アジアの内の日本 2020年1月号

朝米「決裂」。東北アジアの地殻変動・新段階を展望する

小西隆裕 2020年1月5日

朝鮮が「重大決定」の発表を予告した労働党中央委総会が、昨年12月28日から31日の日程で行われた。

「決定」は、金正恩党委員長の7時間に及ぶ報告自体だったと言うことができる。

それは、一言で言って、「朝鮮の前進を妨げるすべての難関を正面突破戦で突き破って進もう」という呼びかけだったと言える。

すなわち、この間2年近くに渡って行われてきた朝米交渉は破棄されたということだ。

では、朝米の「対話」によって生み出されてきた地殻変動、「戦争と敵対から平和と繁栄へ」の時代的転換も停滞、逆戻りになってしまうのか。

そうはならないのではないかと思う。

なぜなら、この間、米国との「対話」の方法で推し進められてきた地殻変動が、これからは、「正面突破戦」の方法で推し進められていくようになるだけからだ。

すなわち、2年前の朝米交渉が南北朝鮮主動で始まったように、これまでもこれからも、地殻変動を起こしてゆく主体は、米国ではなく、どこまでも南北朝鮮だからだということだ。

自力による社会主義強国建設の推進、アジアなど世界各国との積極的な外交戦、等々、朝鮮の正面突破戦により、米国の策動によって滞っていた地殻変動は、一段と促進されるようになるのではないだろうか。

もちろん、それが一定の緊張激化をともなうのは不可避だろう。

だが、それが2年前への逆戻りになるには、朝鮮も、韓国も、南北間の関係も、アジアや世界、それと南北朝鮮との関係も、さらには、米国による覇権の力も、あまりにも大きく変わってしまっているのではないかと思う。

もう一つの原点を思い起こせ

魚本公博 2020年1月5日

昨年は米国覇権凋落著しい1年だった。そういう中で日本はどう生きるのか。そのヒントになるのが、米国防総省が昨年、策定した「インド太平洋戦略」に対するASEANの対応。ASEANは、これに対して、インド太平洋地域を「対抗ではなく協力と対話の場」と位置づけ、ASEANが主導して地域協力を進めるという「インド太平洋構想」を採択した。

米国のインド太平洋戦略とは、中国の一帯一路路線に対抗し、この地域で米国があくまでも覇権的地位を維持するためのもの。そのために中国との対抗姿勢を示しながら各国にどちらに付くのかと迫り、それによって反中国陣営を形成しようということだ。

米国の魂胆は丸見えである。これに対し「対抗の場」にせず、米中を巻き込んだ「協力と対話の場にする」という主導的な立場の表明。米国が「インド太平洋戦略」を発表するや何の定見もなく諸手を挙げて賛意を表明した日本政府とは大違いの対応である。

ASEANのこうした対応は、今後10年以内にGDPで日本を抜くと予想されるほどの経済発展の実績に裏打ちされている。かつてASEANは、ASEAN+3(日中韓)の東アジア経済圏構想を提唱した。それが当時、アジアでダントツの経済大国であった日本の消極的態度(米国の妨害)で進まないと見るや、ASEAN経済協力体を結成し域内での経済協力を進めた。その特徴は、主権尊重を根本原則にした協力。EUが「主権制限」を標榜し、それによって混乱と困難に直面している現状をみれば、そのやり方こそ「成功」の秘訣ということなのだ。

ASEANのこの原則的立場の強さには歴史的土台がある。1955年、東西冷戦の最中、アジア・アフリカ諸国はインドネシアのバンドンに会し、東西どちらにも属さない反覇権の立場を表明し、主権尊重を根本原則とし、国家の平等、大国中心の集団防衛体制反対、内政不干渉、紛争の平和的解決、正義と国際義務尊重などの「平和10原則」を採択した。ASEAN諸国は、この理念を継承した東南アジア協力友好条約(TAC)を結んでおり、彼らにとって「主権尊重」は絶対に譲れない根本原則なのである。

米国覇権が衰退・崩壊する中で、世界的に「新しい政治」の波が沸き起こっている。今はまだ混沌とした状況なのも事実だが、その混沌さの中に見えるもの、それは反覇権の「主権尊重、それを原則にした協力」、これではないだろうか。どんな小国にも主権があり、それを尊重し共に進む。それは国内的には、どんな地方にも、どんな人間にも自主権があり、それを尊重して共に進むということでもある。こうした中で、日本が旧態依然として米国の言うことには頭から賛成し従うというのは余りにも時代遅れであり、そこに日本の明日はない。

実は日本は、バンドン会議の正式参加国。戦後間もない時期、国連にも入れなかった日本に「共に生きよう」と手をさし伸べてくれたアジア。そこに活路を見いだし、かつて侵略したアジアに辞を低くして向き合い「アジアの内の日本」たらんとした時もあったのだ。今年はバンドン会議65周年。この筋目の年に、「アジアの内の日本」として生きようとした、戦後日本のもう一つの原点を思い起こすことが問われているのではないだろうか。

教員の働き方改革を考える

森順子 2020年1月5日

教員の働き方改革を目的とした「変形労働時間制」を盛り込んだ改正法が成立した。業務量が増え続けている学校の先生は休暇をとりづらいから、まとめどりを法的に裏付け休暇取得の推進で先生の負担軽減を、ということだ。しかし中身は、自治体の判断で可能になるということだから、自治体まかせのかけ声だけだといえる。

休日が増えても休日出勤になりえず、「変形労働時間制」を導入しても残業時間は実質的に減らないという教育現場の声。また、業務量が多く多忙のため授業準備時間がとれないと言う教員の声。そして実際に、教員の教材研究時間の保障は日本が世界の最下位だという。

ここから言えることは、日本の先生たちは、先生として教育に専念し集中する時間がないこと、すなわち、先生が先生として働く時間が保障されていないことを一番の問題にすべきではないのか。

萩生田文科相は、「教員は崇高な使命をもつ。普通の地方公務員とは違う役割を果たしている」と言っているが、その通りだ。

教員は教育の実践者であり、日本の次世代教育の担い手も教員だ。しかし、教員が教育のために使う時間さえ保障されず教員として大切にされない環境では、教員としての役割も果たせないだけでなく、教育の質も落ちるようになり国の発展さえも望めないようになるだろう。

教員の働き方改革の実施は、あくまで教育現場の主体、当事者である教員の実態と要求に基く当事者主体、当事者第一の改革であるべきだ。