アジアの内の日本

「シビリアンコントロール(文民統制)こそ危険の元凶」という意外な事実

若林盛亮 2021年10月5日

軍事ジャーナリスト、半田滋氏の書いた著書「安保法制下で進む! 先制攻撃できる自衛隊」(あけび書房)にこんなことが書いてあった。

「この国を戦争の惨禍に導くのが、太平洋戦争の時代では軍部であり、現代は政治家だとすれば、シビリアン・コントロールこそが危険の元凶になります」

かつて「軍部の暴走」によって日本が戦争に突き進んだという「反省」に立ってシビリアン・コントロール(文民統制)によって自衛隊(軍人)は統制を受ける、これが日本の軍事における民主主義だと言われてきた。しかしこの著書では「シビリアン・コントロールこそ危険の元凶」だと「戦後民主主義日本の常識」に警鐘を鳴らしている。

その根拠に上げられているのが「18防衛大綱」、2018年末、安倍政権下で閣議決定された「新防衛大綱」の成立経緯、特に小型空母保有を決めた経緯だ。

空母保有は、国是である憲法9条下で専守防衛の自衛隊が持てない攻撃型兵器の保有に当たる。小型であろうと大型であろうと日本が保有できないものだ。この保有を決めたことは憲法9条、専守防衛からの大きな逸脱だ。

閣議決定後の記者会見で当時の岩屋毅防衛相は「海上自衛隊や航空自衛隊から具体的なニーズや要請があったのではなく・・・」と自衛隊が求めたものではないと明言した。

では誰が要求したのか?

「18防衛大綱」は、第二次安倍内閣で新たに設置された国家安全保障会議(NSC)とその事務方である国家安全保障局が策定した。この国家安全保障局は元外務次官だった谷内正太郎氏が局長を務めており、外務省色の強い組織だ。外務省の中には、国際法という「国際常識」が日本国憲法の上位にあるべきだという考えが強い。

ここから考えられるのは、外務省官僚が日米安全保障条約の要求、つまり米国からの要求を優先させ憲法9条の制約を超える「小型空母保有」を「18防衛大綱」策定に入れたということだ。

では米国の要求とは何か?

米国は大型空母を中心とする空母打撃群に替わって、米海兵隊が敵国上陸時に使う強襲揚陸艦を小型空母として使う遠征打撃群を編成する方針を打ち出している。この遠征打撃群の編成には佐世保基地に配属されている強襲揚陸艦「ワスプ」と岩国基地の短距離離陸・垂直着陸機、F35B(小型空母でも離着陸可能)を組み合わせる。

一方、日本側では、対潜水艦ヘリポートとなる護衛艦「いずも」の甲板を改修してF35Bを載せる運用法を検討、いわば小型空母化された「いずも」が「ワスプ」搭載F35Bの代替飛行場を提供できるようにするという日米合同軍の完成案を作成した。

要するに日米安保、米国の要求に従って、外務省色の強い国家安全保障局が策定し、自民党国防部会・安全保障調査会がこれを提言としてまとめ、首相官邸主導で安倍内閣が閣議決定した、こうした経緯でつくられたのが小型空母保有を盛り込んだ「18防衛大綱」だ。

結論的にいえば、海上自衛隊も航空自衛隊も求めていないにもかかわらず、外務官僚と自民党、首相官邸が二人三脚で小型空母保有を決めたということだ。

周知のように、わが国は4月の菅首相訪米時の日米首脳会談でバイデン政権に「台湾有事の安保協力」を約策させられ、「対中対決の最前線」に立つことを求められた。

米国の要求する「安保協力」の基本は、台湾有事を日本の有事ととらえ、米軍と共に中国と戦える「安保協力」、すなわち戦争のできる自衛隊への改変を日本に迫ることにある。

自衛隊の求めでもなく、そして非戦の国是に反しても日米安保・米国の要求を優先する政治家によって策定、決議された「18防衛大綱」に明記された「小型空母保有」によって、「台湾有事の安保協力」の第一歩は踏み出されているのだ。

この国を戦争に導く「シビリアン・コントロールこそ危険の元凶」ということを改めて考える必要があると思う。


目立ってきている英国の動き

赤木志郎 2021年10月5日

最近、米覇権回復策動において英国が果たす役割が目立つ。

 クアッド(日米豪印)やインド太平洋構想、そして、ファイブアイズ(五つの目)という機密情報共有枠組(米、英、豪、加、ニュージランド)、そして最近発足したAUKUS(米英豪)など、すべてに英国ないし英連邦国が参加している。

かつて英国は、18世紀、カナダと北アメリカ(ルイジアナ州)、キューバなどの西インド諸島、南アフリカ、インド、香港などを支配する「大英帝国」を形成し、世界を支配する覇権国となった。民族独立運動の台頭とともに第一次大戦後は、「大英帝国」から「英連邦」に改称した。第二次大戦後、さらにゆるやかな連邦になったが、依然として英国が影響力をもっている。この、大英帝国、英連邦は、日本に対しても明治維新と明治政府に大きな影響力をもっていた。

第二次大戦後、米国が圧倒的な軍事経済力を背景に世界を左右する覇権国として登場しながら、英国は米国の第一の同盟国として米覇権に加わってき、英国の独自的な影響力は目立たなくなっていた。ところが、最近、英国が目立つのは、米国の力の衰退に合わせ、米国が英国と英連邦を最大限、米覇権回復に動員しているからだといえる。数ヶ月前のG7開催時に英米による「新大西洋憲章」を合意したのもその表れだ。アングロサクソンという民族、プロテスタントという宗教、自由と民主主義の価値観も共通している。だから、米覇権は英米覇権と言いかえてもいいくらいだ。

この英米を核とした覇権勢力に日本が対中包囲の最前線に立たされようとしているわけだが、日本にとって英米と組んで何か利益があるのだろうか。もはや、英米に従っていけば日本の経済発展なりが開かれるという時代ではない。逆に、さらに日本の力がむしりとられるだけだと思う。日露戦争の時は「東洋の番犬」として認められたが、今日の中国との対決では、結局は利用されて捨てられる存在にすぎないのではないかと思う。

 米追随でアジアの分断の手先になるのではなく、アジアの友人として日本独自の道を拓く時が来ていると思う。


労働政策転換の勧めは、一体誰のため?

若林佐喜子 2021年10月5日

今回は、働き方、雇用問題について考えました。

自民党政権の政策ブレーンである竹中平蔵氏は、著書「ポストコロナ『日本改造計画』」で、今後、世界が凄まじいデジタル資本主義の競争に向かう。経済構造、仕事の進め方、雇用形態も大きく変わるとしながら、「労働者を一つの企業に囲い込むやり方では限界がある。もっと自由で多様な働き方に移行した方が企業も人も活かせる」と、主張しています。

その理由の一つとして、竹中氏は、米国の場合、仕事がなければすぐに解雇されるが、日本の場合は、国が企業に雇用助成金を給付して雇用を支えていると雇用助成金制度を問題視しています。特に今回、政府は、コロナ禍対応、営業自粛などを受けて条件を緩和して適用し、休業者を増加させたが、良かったのか? 今後、経済停滞が長期化し産業構造も大きく変わる中で、雇用助成金をだし続けることは無理、即刻解雇の米国式か、雇用を支える雇用助成金制度を維持するのか、どちらが良いのか?と、労働政策の転換を主張しています。

今回のコロナ禍対応で、政府は、雇用保険を財源とする「雇用調整助成金」をコロナ禍における働き手支援の柱に据え、休業手当を払った企業を助成。その件数と額は456万件、4兆4654億円。さらに、勤務先が雇用調整助成金を使わず、パートを対象に含めなかったりして休業手当を受け取れない働き手が続出したため、国に直接申請して受け取れる休業支援金も雇用保険の枠組み内に創設。中高年のパート(非正規)を中心に利用され、244万件、1823億円でした。(朝日9?25) このような現実を直視すれば、働き手にとって雇用調整助成金制度は必要不可欠です。竹中氏の主張でいけば、この人数の働き手を休業でなく、解雇、失業させろということです。一体、国民をなんと思っているのでしょうか。

近年、米国などで、ギグワーク、「雇われない働き方」が増加しているそうです。デジタル化のなかでアイデア、技術さえあれば、世界中の人と仕事ができるようになりました。企業経営者から捉えれば、正社員を抱えているよりも、必要な時に、必要な技能や知識をもった人を一時間いくらで雇うことが出来れば仕事が終わります。「カイシャ」という形態をとる必要がありません。しかし、働き手にとっては、特定の会社に雇用されず労働法の適用をまったく受けられません。

日本においても、既に、大企業では、選択的週休3日制、副業を奨励する企業があり、自民党もこの制度の政策提言を目指しているそうです。週に3日休み、4日働くことが可能になる制度。介護と仕事を両立させたいと、考えている人にとっては歓迎できるかもしれませんが、企業側の目的は、賃金を押さえることであり、スキルアップ、老後の年金額確保などは自己責任でということです。

結局、竹中氏の「自由で多様な働き方」とは、外資、大企業側に利益をもたらし、働き手に自己責任をおしつけ、更に使い捨てを可能とする労働分野での規制緩和、規制改革です。

それは、また、日本型雇用システム(正社員は長期雇用を前提にする)を崩壊させ、雇用の流動化の促進、米国式雇用形態の奨励ということができると思います。


ピョンヤンから「アジアの内の日本」を考える-対中対決の最前線を担うということ-「いずも」型護衛艦・小型空母化の運命

「救援」 2021年10月 630号

日本では総裁選ニュースが盛況だが、その陰で対中対決の最前線、「東アジア海域は波高し」、日本にとって危険な兆候が表面化している。

9月にこの海域に英国の最新鋭空母「クイーンエリザベス」が進出、出航時から短距離離陸・垂直着陸戦闘機F35B18機を搭載(そのうち10機は米軍機)してやってきた。大型空母だから短距離離陸や垂直着陸の必要もないはずのになぜF35B搭載なのか?

その答えはこの英空母打撃群の指揮官の言葉にあった。

「空母を日英が共同使用し、最新鋭ステルス戦闘機F35Bを統合的に運用することを提案した」と記者会見で語っている。

日本では対潜ヘリ搭載用の「いずも」型護衛艦を小型空母化してこのF35Bの搭載を可能にする改修が進められている。英海軍がわざわざ大型空母にこんな戦闘機を積んできたのは、この海域で日本の小型空母との共同運用計画を具体化するためと思われる。

7月27日の読売新聞トップ記事は、「いずも・米F35B発着訓練」の大見出しで、年内にも改修を終えた「耐熱甲板」を使って米軍のF35Bによる発着訓練を行うと伝えた。

こういった事実を見ると、日本の小型空母は、米軍や英軍のF35B用の「海に浮かぶ臨時飛行場」として予定されていることがわかる。

なぜ日本の小型空母なのか? それは、迎撃困難な中国の中・長射程距離巡航ミサイル1,200基が随時発射可能状態にあって格好の標的である米巨大空母がこの海域に出動も接近すらできなくなったからだ。その代替として日本の小型空母は利用される。

「多少の損害は覚悟で、この海域で小型艦艇をたくさん展開して中国に的を絞らせない」戦略と宮家邦彦氏(キャノン・グローバル研究所)はあるTV番組で語っていたが、「多少の損害」を被るのが自衛隊艦船だということは言わない。

「いずも」に次いで「かが」の小型空母化改修が行われるが、海上自衛隊には小型空母がさらにもっと要求されるかも知れない。

極超音速で変速軌道を描く最新ミサイルの餌食になるのは、米空母ではなく日本の小型空母なのだ。

わが国が「対中対決の最前線」を担うとはこういうことなのだと強く訴えたい。

ピョンヤン かりの会 若林盛亮


「特集 日本の進路、若干の問題提起です」

時代の転換、問われる日本の進路

今、誰もが時代の転換を感じている。何もかもがこれまでとは違ってきている。

米国が最大最悪の感染大国となったコロナ・パンデミック、米軍の撤退に伴い時を置かずアフガニスタン全土に復活したタリバンによる政治、そして、米覇権建て直しのため、米国によって仕掛けられてきている世界を分断する横暴無道な「米中新冷戦」、これらすべてが覇権国家、米国の没落と時代の大きな転換を物語っている。

時代転換の大波は日本にも押し寄せてきている。軍事も外交も経済も、地方地域、教育、社会保障も、すべてがこれまでのようにはやっていけなくなっている。

この時代の切迫した転換点にあって、われわれには自らの進路、日本の進路をどう取るのかが問われている。

米国の強要に従って、中国を敵とする「米中新冷戦」の最前線を担い、それに向け、日本の軍事も経済もすべてが米国のそれに組み込まれる日米一体化の道に進むのか、それとも米国の無理強いをはね除けて、戦後一貫して強いられてきた対米従属の道からの脱却を図るのか。この自らの命運、日本の命運を分ける歴史の分岐点にあって、覇権国家、米国とそれにあくまで追随する親米派勢力に反対して闘う全国民的な運動が求められている。

こうした現実を前にして、私たち「アジアの内の日本の会」は、ここ朝鮮の地から、この度、私たちのサイトを通して、闘いの各分野における争点を広く同胞の皆さんに提起し、一人でも多くの方々との間に論議の輪が広がるのを願ってやみません。

抑止力論に基づく日米安保基軸の防衛か、憲法9条・撃退自衛と敵対国をつくらない外交力による防衛か!

若林盛亮 2021年9月20日

いま戦後日本が維持してきた憲法9条・非戦国家日本の国是は重大な挑戦にさらされている。

戦後日本の防衛は、日米安保条約に基づく米軍が「“矛”・攻撃」、憲法9条に基づく自衛隊が「“盾”・防御」という役割分担で成り立っていた。その実態は、ベトナム戦争、アフガン、イラク戦争では後方基地、あるいは自衛隊の後方支援活動など米軍の戦争荷担国家として日本はあった。しかしながら「自衛隊は一発の銃も撃たず、自衛隊員に死者は出さなかった」と言われるように、憲法9条下の自衛隊は攻撃武力を持たず専守防衛を旨とすることによって、「日本の国是は非戦国家」という表看板は曲がりなりにも守られてきた。それは“矛”を担う軍事超大国、米国に上記の役割分担を変える必要がなかったからだ。

ところが今日、米国が「対中対決の最前線」に立つ「安保協力」を日本に迫るに至って、情況は一変した。

米中新冷戦、対中対決路線は、トランプ政権時代の2017年末に新しく米「国家安全保障戦略(NSS)」が策定されたことに始まる。ここで中国を主敵と規定しながら「米軍の競争力の劣化を認め」たうえで「友好国との同盟の強化」をより重要に打ち出した。

中でも「友好国」日本に求める「同盟の強化」は、劣化した米軍の「抑止力」を補う自衛隊の「抑止力の強化」、自衛隊の攻撃武力化に焦点が絞られている。

「対中対決」において米国の求める「安保協力」は、自衛隊を“盾”から“矛”に転換し米軍と共に中国と戦争のできる日本にすることをわが国に迫るものとなった。

これはわが国の専守防衛路線の放棄要求であり、ひいては非戦国家日本の否定であり事実上の憲法9条改憲要求だと言える。

こうした条件で、わが国が非戦国家日本の国是を堅持しようとすれば、米国の「安保協力」要求の根拠である日米安保基軸という従来の防衛路線の見直しに踏み込むことが要求される。

では、この日米安保基軸を見直す上で核心的問題は何なのか? 

それはこれまでの防衛理念である抑止力論を見直すことであると私たちは考える。

敵国が「報復攻撃を恐れて戦争の意図を放棄する」ようにすることが抑止力論であるがゆえに、報復攻撃能力を持つ米軍に日本防衛の基本を委ねる、したがって日米安保基軸が日本の防衛政策の柱であるとされてきた。

この論理に従えば、「米軍の抑止力の劣化」が現実となった以上、これを日本の自衛隊が補うのは当然の「安保協力義務」であるというのが「理」に適い、「自衛隊の抑止力強化」を拒む方に非があるとされるだろう。

ゆえに憲法9条・非戦国家日本の国是を堅持しようとすれば、抑止力論自体を見直すことが重要な鍵になる。

したがって私たちは基本的な争点として次の二点を提起したいと思う。

第一に、「抑止力」防衛に代わる「撃退自衛力」防衛を基本にすえるべきことを提起する。

「撃退自衛」は交戦権否認の憲法9条第二項を具現する自衛理念として自国の領土領海領空から出ない自衛、いわば「交戦権否認の自衛」の理念として専守防衛の核をなす考え方だ。防衛は撃退にとどめる自衛に徹し、自衛隊は「撃退自衛力」に徹する。

これと同時に在日米軍にもこれに準じる行動を求める。すなわち日本の米軍基地を他国攻撃の出撃拠点としないための日米地位協定改訂が伴わねばならない。

第二に、敵対国をつくらない外交力を備えることが併行して採られるべきである。

「抑止力論」防衛は敵対国を前提とするが、「撃退自衛力」防衛は敵対国をつくらない外交力によって裏打ちされる。

ここで重要なことは、仮想敵国をつくらない善隣外交と共に「対抗ではなく対話と協力」の国際関係を構築することであろう。ここではASEAN諸国が主導する主権尊重、内政不干渉を原則とする東アジア共同体構想や「噛みつく安保ではなく、吠える安保」と言われる非戦の地域集団安保協力機構ARF(ASEAN地域フォーラム)への積極的参加を図ることが重要である。

以上の2点を非戦国家日本の安保防衛問題を論議する上で参考いただければ幸いである。


中国を敵視し世界を分断する対米追随外交ではなく、すべての国との友好をはかる日本と世界のための全方位外交へ

赤木志郎 2021年9月20日

 今日、米国が「米中新冷戦戦略」にもとづき、政治・経済・科学技術・軍事のすべての分野において同盟国を動員して対中包囲網をつくろうとしている。世界をいわゆる「民主主義国家」と「専制主義国家」の二つに分断し、他方を排除することは、国際平和と安定に大きな障害をもたらすものである。現在、推進している「インド・太平洋構想」や「クアッド」(日米豪印枠組み)など、日本が米国の対中国包囲網の最前線に立ち、とりわけアジア諸国の分断と排除の先兵になることは、アジア諸国と密接な関係のもとで日本の繁栄をはかろうとする日本の国益に合致せず、アジアの平和と安定に大きな障害をもたらし、対米従属をいっそう強めることになる。

 これまで堅持してきた「日米基軸」外交は、今や「対中対決」「対中包囲」外交となって、日本の国益を侵し、アジアと世界にとっても危険な米覇権外交に加担し、国際平和をじゅうりんするようになる。もはや今日にいたって、戦後続けられた日米基軸という「対米追随」外交は、時代の要求にまったく合わなくなっている。

 現時代は、大国による覇権に反対し、各国が独自の国益を守り実現していき、各国の独自性を互いに尊重することによって世界の平和と友好、親善を実現していく時代だ。特定の国を排除し世界を分断することによって、自己の覇権を回復させようとする米国の企図はかならず破綻するだろう。

それゆえ、日本は「日米同盟」を基調とする外交から転換し。特定の国を排除せず世界の分断に加担することなく、どの国とも友好関係をむすぶ全方位外交をおこなうことによって、日本の国益、平和と安全を守り、アジアと世界の恒久平和と親善友好に寄与していくことが、切実に要求されている。

 したがって、外交の柱をつぎの通りにすることを提起する。

①中国などを排除しないで、どの国とも友好関係の発展をはかる全方位外交。

②他対米追随外交ではなく、日本の国益中心の独自外交。

③日米一体化ではなく、アジアの一員としてのアジア重視外交。


日本経済の復興と一大転換を図る時

小西隆裕 2021年9月20日

「失われた30年」、長期に渡り停滞してきた日本経済、今、米国は、その日本経済に「救いの手」を差し伸べる構えを示している。デジタル化とグリーン化、そして地方経済の活性化による日本経済の復興。だが、それは同時に、日本経済を米国経済に組み込み、日米経済の一体化を図りながら、中国を包囲し封じ込め排除する「米中新冷戦」の最前線に日本経済を押し立てるためのものだ。

今、世界的範囲で、デジタル化、グリーン化など経済のあり方自体の転換が進展する経済新時代にあって、日本経済は自らの進路をどう取るか、正念場を迎えている。

「米中新冷戦」の先兵として、日本経済の米国経済への組み込みに乗ってしまうのか、それとも、「米中新冷戦」を奇貨として、日本経済の復興とともに対米従属からの脱却を図るのか。

この日本経済の命運を決する闘いにおいて、その争点は、何よりもまず、日本経済の復興と新しい発展を、外資、大企業第一に行うのか、それとも国民生活第一に行うか、それを対米対外依存、効率偏重でやるのか、それとも経済の生命である自立と均衡優先でやるのかにあり、

さらに、闘いの第二の争点としては、経済復興の原動力を日本経済のデジタル化、グリーン化、地方地域活性化に置いた上で、それを米国のため、中国に敵対して行うのか、それとも日本と日本国民のため、米国とも中国とも力を合わせ、アジア、世界と一体に行うのかが問われている。


地方を米国に売る「スーパーシティ構想」ではなく、地域住民のためのスーパーシティを

魚本公博 2021年9月20日

 今、デジタル化による地方振興が叫ばれている。その名も「スーパーシティ構想」。「スーパーシティ構想」とは、ビッグデータ+AI+Iotで都市を丸ごとデジタル化するというものであり、自動運転などの「移動」、自動配送やドローンなどの「物流」、キャッシュレスの「支払い」、ワンスオンリーの「行政手続き」など10項目が上げられている。

 なぜ今、スーパーシティ構想なのか。米中新冷戦を唱える米国は、世界を民主主義陣営と専制主義陣営に分断することで自身の覇権を回復しようとしており、そこに日本を組み込むことが死活的な問題になっている中、衰退した地方・地域から組み込む。「スーパーシティ構想」は、そのためのものである。

この構想はTPP(環太平洋経済圏構想)交渉で「国境をまたぐデータの自由な流通の確保、国内でのデータ保存要求の禁止という原則」を米国に約束したように「データ主権」を放棄しGAFAなど米巨大IT企業の下で行うものになっている。こうなれば各地方・地域及び住民のデータはGAFAに握られ、地方・地域や住民はその隷属物にされる。

 これまでも日本の地方政策は米国の意向に沿って立てられてきた。それは地方を米国が掌握することで日本全体を米国に組み込む日米融合一体化を促進させるとしてあった。安倍政権では経済特区での米系外資導入が図られ、2017年には地方制度調査会が「連携中枢都市圏構想」を打ち出した。それは「全ては救えない」として地方の中核都市にカネ・ヒトを集中し、そこに米系外資を呼び込む。その目玉としての上下水道などの自治体の運営権を米系外資に譲渡するコンセッション方式。

 こうした地方を米国に売る政策の下で、住民の生活に密接に関係する市町村など基礎自治体の大部分の切り捨て、自治体を企業のように運営する「企業統治」が行われる。まさに自治の否定、住民主権の簒奪。それ故、それは、維新の大阪都構想が大阪市民の反対で頓挫したように地域自治体、住民の反発を生んでいた。

「スーパーシティ構想は、こうした地域の反発を排除し、地方を米国に売る政策を一挙に進めるものとしてある。政府は、これを2030年までに実現するとしている。しかしデジタル化そのものは地方振興の大きな武器である。そうであれば、政府の「スーパーシティ構想」に反対するだけでなく、地域住民が主体となった自らの「スーパーシティ」建設が問われている。

これまでの血の滲むような「地域振興」の努力を無にし米国に地域をそして日本を売り渡すかのような政府の「スーパーシティ構想」に対して、地域住民が主体となり、自らの郷土を守り発展させる自らのための「スーパーシティ」建設。それが今、地域問題を巡る闘いの焦点になっている。

地域住民主体の地域住民のための「スーパーシティ」。その基本像を政府の「スーパーシティ構想」と対比させ、以下のように提起したい。

①データ主権なきスーパーシティではなく、データ主権を確立した自主的なスーパーシティを。

②「見捨ててよい地方・地域などない。全ての地方・地域に価値がある」の理念を体現し、大都市中心のスーパーシティではなく全ての市町村のスーパーシティ化を。

③自治体を企業統治するスーパーシティではなく、地方自治、地域住民主権を守り発展させるスーパーシティを。


全国民を人材に育てる教育を

森順子 2021年9月20日

科学技術立国日本にとって20年以上続く研究力の低迷は、国の未来を左右する深刻な事態です。

この状況を克服する鍵は、デジタル化における人材育成にあります。未来を担う教育事業に投資し支援し保障し「誰一人取り残さないデジタル化教育」を実現し誰もが公平に学び皆が未来を担う日本の人材に育つようにしなければなりません。

しかし、「米中新冷戦」のため日本をその最前線に立てようとし、米国は日本の米国への組み込み、日米一体化をもくろみ、そのために教育のアメリカ化を図ってきています。

「英語、IT技術、プレゼン技術」に特化した有能なグローバル人材育成の目的に応えて、大学入試改革や全般的な教育改革、教員問題など、日本の教育制度全体を変えようとしています。

すべての入試試験の合否の基準は英語+二つの技術で評価され、学校の授業より塾通い熱心な生徒、そして学力不問と批判のある推薦入学の人気など、「英語とIT」に特化した教育のあり方は、もはや国民教育という概念とは言えないのではないでしょうか。一方、学校の端末指導では、理解の早い生徒と遅い子に分ける授業が行われている現実。また、デジタル化教育における教員は、質の高い優秀な人を外部や海外に依存。また、日本の学生より留学生をはるかに有利な条件で入学させる大学。我が国の大学院はほとんど危機的で奨学金留学生に占拠される博士課程とまで言われる現実。自らが開発した研究は外に売るしかなく独自の研究開発、人材育成が深刻な大学。

このように日本のデジタル化教育環境は、海外からの人材と外資にとっては、活躍できる有利で安定した条件が整っていますが、反対に、日本人には激しい競争と格差の中に身を置かねばならない厳しい環境が待ち受けています。今後ますます海外からの人材と外資が入って来る日本のデジタル化人材育成は、外国人と外資の下請的存在、下請的役割を担う現実が待っているのではないでしょうか。

私たちは「誰一人取り残さないデジタル化教育」を掲げながら、そのために以下のように争点を提起します。

一つは、日本のグローバル人材育成のため、その目的をどこに置くのか。

少数の人材化か、全国民の人材化か。

二つ目は、先決的に十分な数の教員を養成するため、日本の教員を基本にするのか、

外部、海外の教員を基本にするのか。

三つ目は、それ自体、国の発展である教育、科学技術の発展に国家が責任を持って投資、支援、保障を行うのか、外資の資金に頼り集めるのか。

 以上です。


社会保障をなくすのか、より発展、充実させるのか

若林佐喜子 2021年9月20日

未だ収束の目処が立たないコロナ禍の中で、人々の命と暮らしが脅かされています。

防疫後進国、社会保障後進国の克服の道を見出せないまま、「デジタル敗戦」と烙印され、経済を初めあらゆる分野でデジタル化が急速に推し進められています。

そのような中で、竹中平蔵氏は、「ベーシックインカムの導入で社会保障の廃止」を主張しています。

デジタル資本主義では、経済構造、仕事の進め方、雇用形態に大きな変化が起こり、今ある職業の半分くらいがなくなる超格差社会が予想されるとされています。

竹中氏は、新しい格差社会で必要なのが、毎月一定額(7万円)を必要な人に給付するベーシックインカム制度だと主張します。そして、「これまで、『個人の救済』という概念がなかった。個人の生活スタイルはバラバラで自由であるということを前提にフェアな対策を考える必要がある」と、言っています。

言い換えるならば、月々7万円給付のベーシックインカム制度が公平な「個人の救済」方法であり、生活保護、年金などの社会保障は不公平なので廃止すべきだということです。

しかし、社会保障は、国民の生活が失業、労働災害、病気、障がい、老齢などにより、脅かされたり、破壊されたりする事態に対する共同体としての国の責任による保障です。特に生活保護は、国民に健康で文化的な最低限度の生活を保障するものです。

今日、人間は、生産性ではなく存在するだけで価値があり、どんな命にも役割があるとする、生命共同体、運命共同体意識が共感を呼ぶようになっていると思います。

また、多様性の時代と言われ、社会を構成する人たちには性別や人種、障がいの有無など様々な背景があることが前提であり、誰も排除されることなくその権利、役割が発揮できることを要求しています。

求められているのは、社会保障をなくすのではなく、高まっている人々の要求に合うよう社会保障を発展、充実させることです。

そのために、

1、弱者救済、救貧ではなく、国民の権利としての社会保障制度。

2、自己責任ではなく、共同体としての国が全的に責任もつ社会保障制度。

です。


横浜市長選勝利の要因を考える

小西隆裕 2021年9月5日

先月、横浜市長選で立憲民主党、共産党、社民党が推薦する山中竹春氏が圧勝した。

菅首相、横浜市議会自民党議員、公明党が推す本命だった小此木氏を18万票の差を付けて破る大勝利だった。

当初、誰も夢想だにしなかったこの結果はどこから生まれたのか。その要因についてはいろいろ言われている。

そこで決定的なのは、後ろ盾となった菅首相のコロナ対策の無策とそれによる支持率の20%台への大下落だ。しかも、小此木氏自身、IR反対を出しただけで、コロナ対策が全くなかった。

これに対し、山中氏は、横浜市大教授、医師として、コロナ対策を前面に出し、選挙戦に臨んでいた。

勝敗を分けたのは明らかだ。ジバン、カンバン、カバンではない。コロナ対策だった。

横浜市民のもっとも切実な要求、コロナ対策にもっとも熱心で、力のありそうな候補、山中氏に白羽の矢が立てられたのだ。

ここで注目すべきは、コロナ対策という政策だけではない。政策もそれを選ぶ横浜市民あっての政策だ。

横浜市民の命と暮らしを守るのか守らないのか。守らない候補は、自民党であろうが、横浜の古くからの名士であろうが、必要ない。守る候補なら、どの党であろうと、名士であろうとなかろうと、横浜のため、横浜市民のために、市長になってくれ。

この横浜市民の市民意識の高まりがあったからこそ意味をもったコロナ対策だったのではないだろうか。

今日、こうした趨勢は、時代の趨勢として、一人横浜でのみ見られるものではないと思う。コロナに対し無策で、「自宅療養」を押し付ける菅政権を許さず、見離す日本国民の国民としての意識の高まりは、そのことを雄弁に物語っているのではないだろうか。


二つの「8・15」

魚本公博 2021年9月5日

タリバンのカブール制圧と全土掌握。その日は奇しくも日本の敗戦日と同じ「8・15」だった。もちろん、それは偶然の一致である。しかし、二つの「8・15」は全く無関係ではない。

何故ならば、米軍のアフガニスタン占領は、「反テロ」と「民主化」を掲げて行われたが、その「民主化」のモデルは日本だとされたからである。当時、ブッシュは「イラク、アフガニスタンを日本のように民主化する」と述べている。

そして、それは失敗した。米ボストン大学名誉教授のアンドリュー・ベースビッチ氏は「日本やドイツでやったことを今度はイラク、アフガニスタンでもやろうじゃないか、として「ネーション・ビルディング(国造り)」して失敗した結果の今だと指摘する。

では「8・15」の米軍占領下で行われた日本の「民主化」とはどういうものだったのか。それはあくまでも米国のための民主化であった。そのことは外交評論家の孫崎さんの「戦後史の正体」などを見ても明らかである。すなわち日本を対米従属の国にするための「民主化」であった。その下で、自主派は潰され対米追随派が育成され、米ソ冷戦時には「反共の防波堤」にされ、経済発展の後には、その冨を奪われ(郵政民営化)、今は米中対決の最前線に立たされようとしている。

タリバンの「8・15」の勝利、それは他国を侵略して自分式の民主主義を押しつけても必ず失敗するということを証明したばかりでなく、米国覇権の時代は終わり、覇権など通用しない時代であることを示している。

この時代にあっても日本は対米従属を続けるのか、そこに日本の未来はあるのか。日本は「対米従属」という国のあり方を根本的に考え直す時ではないか。タリバンの「8・15」は、そのことを鋭く問いかけている。

・・・・・・・・・

タリバンは20年かけて米軍占領を終わらせました。米軍占領状態が80年近く続く日本ですが、アフガニスタンがやれたことを日本がやれない筈はない。アジアの中の日本として生きるとはアジアの国々をどんな国でも尊重し学ぶべきは学ぶということだと思います。タリバンの勝利を勝利として受け止め学ぶこと、それが大事なのではないでしょうか。


お知らせ 9月5日

【活動報告】

盛況だった孫崎享氏講演と対論(小西隆裕と電話でつなぐ)

八月二九日、「スペースたんぽぽ」でトークイベント「孫崎享氏講演と対論」が持たれ、「日本人村」と電話でつなぎ小西隆裕はピョンヤンから参加した。昨年、よど号HJ五〇周年に際して渋谷ロフトで試みた新形式、「ピョンヤンからもトークに電話参加する」が定着した。またコメンテーターとして映画監督の足立正生氏(元日本赤軍)も参加。コロナ禍の中、会場いっぱいの四十余名の聴衆が入ったと聞く。

まず主催者側から「かりの会帰国支援センター」の山中幸男代表が挨拶、続いて元外務省国際情報調査局長・孫崎享氏の講演があり、それを受けて対論が始まった。

講演のテーマは二つ、米朝関係と米中新冷戦だったが、米中新冷戦に関して孫崎さんは近々、「アメリカは中国に負ける 日本はどう生きるのか」(河出文庫)を出版される。講演は、米国バイデン大統領の対中国国際戦略の批判に及ぶ。

米国は経済でも中国に圧倒され、軍事においても負けるとの孫崎さんの主張は聴衆の興味をひいた。米軍が「ワー・シュミレーション」をコンピューターでやったがすべて中国軍が勝つ結果になった、など具体的資料と数字を上げた話には強い説得力がある。

「米国必敗の“対中対決の最前線”を担わされる日本、これにどう対すべきなのか」と小西からの問題提起があり、最後には「戦後日本の対米従属から脱却する絶好の契機とする」ということで孫崎さんと意見が一致。ここで問題は、野党も含め既存の政党が「米中新冷戦にどう対するのか」見解を誰も出していないこと、かかる条件では国民的議論を起こし国民的運動を起こすしかないが、これをどうするかが問題、などが議論に上った。

最後に「よど号・欧州拉致逮捕状撤回を求める会」の井上清志氏から拉致逮捕状撤回を求める国賠提訴以降の家族(K)への旅券発給拒否処分撤回の闘い、及び産経新聞社らへの「名誉毀損」提訴などの報告があり、孫崎・小西両氏らの国際情勢分析、これを帰国運動にどう連動させるべきか問題提起があった。また参加者からの「日本人拉致問題」についての質問に井上、山中両氏からの見解と「拉致問題を日朝関係の障害にしてはならない」との意見が表明された。

結局、予定の午後六時~八時が八時半まで延長、閉会となったが、電話のスピーカーを通して聞こえる会場のざわめきが収まらないのが今日のイベントの盛り上がりを物語る。(この日の様子は、なにぬねノンチャンネルのアーカイブで視聴できる)

コロナ禍で会場変更など悪条件の中で成功を保障いただいた山中、椎野両氏ほかyobo_yodoサポーターズの皆さんに感謝を捧げる次第である。

ピョンヤン かりの会 若林盛亮

(「救援」 2021年9月 629号-ピョンヤンから「アジアの内の日本」を考えるより)


「敗レテ目覚メル」-戦艦大和の遺言を76年目の夏に考える

若林盛亮 2021年8月20日

今日は8月15日、朝鮮では「光復節」、祖国解放の日として様々な慶祝行事が行われる。他方、日本では「終戦の日」、なぜか「敗戦の日」とは言わない。「敗れた」ことを認めない、これが戦後日本を象徴しているように思う。

「戦艦大和ノ最期」という本に関する書き物を読んだが、深く考えさせられた。

戦争末期、戦艦大和は米軍の沖縄上陸迎撃を主任務として片道燃料のみを積み、飛行隊の援護もない自殺的な特攻作戦に出撃、文字通り玉砕、巨艦四裂し大海に没した。

「戦艦大和ノ最期」の著者、数少ない大和生き残り士官だった吉田満氏は病没直前の1979年に絶筆「戦中派の死生観」を口述筆記で残した。少し長いが引用する。

「彼ら(特攻作戦で早世した学徒兵)は自らの死の意味を納得したいと念じながら、ほとんど何事も知らずして散った。その中の一人は遺書に将来新生日本が世界史の中で正しい役割果たす日の来ることをのみ願うと書いた。・・・・

戦後の日本社会は、どのような実りを結んだか。新生日本のかかげた民主主義、経済優先思想は、広く世界の、特にアジアを中心とする発展途上国の受け入れるところとなり得たか。政治は戦前とどう変わったか。われわれは一体、何をやってきたのか」

この鋭い問いかけに戦後76年目の日本に生きる私たちは答える義務がある。

戦艦大和の哨戒長だった臼淵大尉は沖縄特攻作戦の成否について艦内で激論が交わされたとき、次のように語ったと「戦艦大和ノ最期」に記されている。

「敗レテ目覚メル、ソレ以外ニドウシテ日本ガ救ワレルカ、俺タチハソノ先導ニナルノダ、日本ノ新生ニサキガケテ散ル、マサニ本望ジャナイカ」

「敗レテ目覚メル」!

臼淵大尉の言葉に従えば、敗れたことを認め、敗戦を直視することをしなかった戦後日本は「目覚める」ことができなかったということになるのではないのか?

臼淵大尉が戦後に託した遺言から76年目を迎えるこの夏、吉田満氏式に言えば、日本の政治は戦前とどう変わったか? あるいは変わらなかったのか?

麻生太郎副総理兼財務相は7月5日、台湾海峡情勢をめぐり、「大きな問題が起き、日本にとって『次は』となれば、存立危機事態に関係してくるといってもおかしくない。日米で一緒に台湾の防衛をやらないといけない」と述べた。

要するに、台湾有事は安保法制に定める「国家存立危機事態」だと認定すべきであり、集団的自衛権行使を発動し、日本は米国と一緒に中国と戦うべきだということだ。

この麻生発言を受けてフジTV「プライム・ニュース」では、日本の国家存立危機事態という認識を示すということは、単なる台湾防衛とか日米間の安保義務などではなくまさに「日本の防衛」そのものとして主体的に戦うことが求められるということだと解説した。

言い換えれば、「台湾海峡は日本の生命線」だと認識し、だから台湾海峡有事は日本の有事として日本が戦うべき事態だと考えるべしということだ。

かつて「満蒙は生命線」だとして満州、蒙古に進出、中国大陸への侵略戦争の泥沼化を招き、あげくは東南アジアに戦火を拡大した結果、ついには米英とアジアの覇を競う帝国主義間戦争に突入、その果ての「戦艦大和ノ最期」を若い学徒兵たちに強いることになったのではなかったのか?

8月15日の敗戦を「終戦の日」と言い換え、「敗レテ目覚メル」ことを怠った戦後日本の行き着いた果てがこんなところにまで来てしまった。

76年目の夏、「敗レテ目覚メル」! このことをいつにも増して深く考えるべきではないだろうか。


ナショナリズムが戦争の原因か

赤木志郎 2021年8月20日

8月15日を迎え、戦争のことを考えざるを得ない。なぜ、戦争が起きるのだろうか? これについてリベラルと言われる人たち、反戦平和のために活動してきた人たちには、ナショナリズムにたいする嫌悪感があり、それが戦争の原因だとする場合が多々ある。

久野収氏もその一人だ。久野収氏は戦前、学生のとき京大滝川事件で反対運動を闘い、反ファッショ民主運動を計画し治安維持法違反で検挙された。その体験からして、戦後すぐに「自由人権協会」を設立し、自由人権擁護の幅広い活動をおこなった哲学者、評論家だ。氏は、「おたがいの兵隊が、なんのために殺し合ったかといえば、それはやはり国家ナショナリズムのためです」「日本人が死んだのも、日本のナショナリズムを拡大するためだった」(『自由人権とナショナリズム』)と、戦争の原因はナショナリズムであり、ナショナリズムは膨張するとかならず他国を侵略し、場合によっては大量虐殺をもおこなうと、ナショナリズムを批判している。

実は、私も「ナショナリズム」こそが人々を侵略戦争に駆り立てたと思い、大学生のときはデモで愛国党の宣伝カーを見ると目から火花が散るほど憎悪感にかられていた。マルクス・レーニン主義も国際主義を強調し、ナショナリズムに反対していたと考え、ナショナリズムこそ侵略と戦争の根源だと思っていた。

ところが、朝鮮革命、中国革命が愛国、すなわちナショナリズムから出発し、帝国主義の侵略と戦い、独立を勝ち取ったことを知り、ナショナリズムにたいする印象ががらっと変わった。ナショナリズムでも他国を侵していくナショナリズムと自国を守るナショナリズムがあると。侵略と戦争をおこなうナショナリズムが悪く、ナショナリズム一般が悪いのではないと。

しかし、もしナショナリズムが自分の国と民族を愛し、国と民族の発展のために力を尽くすという民族主義であれば、自国を守るために戦うのは当然だとして、強国になればかならず他国を侵し、支配しようとするのだろうか。それが自国、自民族のためになるのかということだ。先の60年間の侵略と戦争で、他国を侵し、支配すれば、自分の国の尊厳を傷つけ、国民も幸せになることができないということが、明白になったのではないか。

軍国主義が悪いのは、他国の主権をじゅうりんし、その国民を奴隷のように扱っただけではなく、日本自身の国と民族の尊厳を否定し、日本国民を戦争の駒として総動員し犠牲にしたことだと思う。ほんとうに自国を愛し尊重するならば、他国の人々が自分の国を愛し尊重する心に共感し理解でき、他国を尊重するはずだ。だから、真のナショナリズムは、国自体を尊重し、すべての国を尊重すると思う。

日本軍国主義が掲げた「ナショナリズム」は、日本人は天孫降臨した大和民族であり、日本は万世一系の天皇を戴く皇国であり世界を支配すべき(「八紘一宇」)とした、外には排外主義、内には支配と差別(沖縄など)をもたらす民族優越主義、人種主義であり、けっして民族そのものを大切にしたナショナリズムではないといえる。

氏も体験したようにナショナリズムは大きな力を発揮する。それは人々の心の中に自分の家族を含めた共同体を守り、そのために自己を捧げていこうという祖国愛をもっているからだと思う。それを軍国主義者が植民地拡大のために侵略戦争を「お国のため」と言いかえたのであって、真に国と民族のためではなかった。

したがって、ナショナリズムが戦争の原因だということはできない。戦争の原因はあくまで他国、他民族を侵し支配するという覇権主義にあり、ファシズムや軍国主義は「ナショナリズム」の仮面を被った覇権主義だったと思う。

私自身、今は愛国、すなわちナショナリズムこそ日本の平和と繁栄、国民の幸福のために闘っていける原動力であり、国民を一つに団結させ非戦平和国家を建設できるようにする旗印だと思っている。


「米中新冷戦」と日本の進路(「月刊日本」7月号掲載)

小西隆裕 2021年8月20日

 米バイデン新政権の外交が動き始めた。そこで鮮明になったのは、米中対立だ。トランプ前政権が打ち上げた「米中新冷戦」が前面に押し出され、外交の中心に据えられた。

 日本がこの「新冷戦」に無縁であることはあり得ない。麻生太郎副総理兼財務相などは、いち早く「米ソ冷戦時のフロントライン(最前線)は欧米だったが、米中となった場合は、アジア、日本だ」「今まで以上に目に見える形で、日本の外交的な地位が格段に上がった」としながら、菅首相をはじめ日本の政治家に「最前線」を担う「覚悟」を促している。

 事態は容易ではない。日本の命運を左右する歴史的選択が問われてきている今、ここ朝鮮の地からこの問題について若干の問題提起をさせていただければ幸いです。

1 バイデン外交の本質を問う

発足したバイデン新政権の看板は、当初、「脱トランプ」、その外交の売りは、トランプによる「分断」から「国際協調」への転換だった。

しかし、動き出したバイデン外交は、いささかそれとは趣を異にしている。

露わになったのは、トランプと同じ、中国への敵視、敵対と世界の分断だ。

中国包囲の「アジア版NATO」形成に向けたクアッド(日米印豪)首脳会談、中国を共通の脅威として確認した日米、韓米の外務、防衛閣僚協議(「2プラス2」)、NATO外相会合、そしてアラスカ、アンカレッジでの米中外交トップによる凄まじい非難の応酬、立て続けに展開されたバイデン外交は、その最初から「米中新冷戦」を強烈に印象づけた。

一方、敵視、敵対は中国に対してだけではない。対ロシア、対朝鮮などでも同様だ。

現実のバイデン外交は、政権発足当初の態度表明とは裏腹に、その「国際協調」とは、意図的に分断した世界の一方、自分たちの「同盟」内部の協調に過ぎず、やっていることは、トランプ外交のかたちを変えた踏襲に他ならない。

ここから、「米覇権中枢」の企図は明確だと思う。

米覇権の衰退、中国の勃興という今日の現実にあって、中国のこれ以上の伸長を抑えながら、米中で世界を二分してG2覇権体制をつくり、それを通して米覇権の回復を図る。そこにこそ、バイデン外交の本質、米覇権回復戦略があると言ってよいと思う。

2 「米中新冷戦」、歴史は繰り返されるのか

G1覇権体制からG2覇権体制への転換。

このような転換は過去にもあった。

英国による世界支配から米ソ二極世界支配への転換、「米ソ冷戦」だ。

今回の「米中新冷戦」がかつての「米ソ冷戦」の「成功体験」に基づいているのは容易に推察できる。

しかし、柳の下にいつもドジョウがいるとは限らない。

今回の「冷戦」は、かつての「冷戦」とは決定的に異なっている。

二つの「冷戦」の間にある違いにはいろいろある。中でも、一方の当事国、米国自体の衰退が大きい。第二次大戦による打撃を免れ、上昇気流にあった隆盛発展の帝国主義から下り坂を転がり落ちる黄昏の帝国主義への転落。

しかし、それにも増して決定的なのは、今回の「冷戦」がかつて「西側」対「東側」の攻防になったように、同盟対同盟、ブロック対ブロックの攻防にはならないところにある。

それは、時代の大きな転換と関連していると思う。

今日、時代は、覇権から脱覇権へ、大きく転換している。

その根底には、国と民族そのものを否定する究極の覇権主義、グローバリズム、新自由主義の破綻がある。

新しい型の戦争、反テログローバル戦争の泥沼化、金融ビッグバン、新自由主義経済の破綻、そこから生まれた移民難民の大群、自国第一主義の嵐と新しい政治の台頭、そして今回、コロナによるグローバリズム、新自由主義の矛盾の大爆発。

これらすべての根因には、グローバリズム、新自由主義による国と民族そのものの否定がある。国と民族の上に君臨してきた覇権は、これだけはやってはならない最後の一線を越えてしまったのだ。その矛盾の大きさ、各国国民の怒りの大きさは、そのことを示して余りあると思う。

そうした中、今日、中国は、かつてソ連がとったような、「西側」の同盟に対抗する自分たちの同盟、「ワルシャワ条約機構」の構築といった、覇権のための同盟強化の動きは見せていない。

それは、単純に「米ソ冷戦」失敗の教訓によるものだけではないと思う。それにも増して、脱覇権の時代的基本趨勢を踏まえたものだと言えると思う。

実際、たとえ中国が覇権のための同盟強化の動きを見せたとしても、それに共鳴し、付いてくる国はごく少数に限られるだろう。

同盟対同盟の攻防にならない「冷戦」は、「冷戦」の体をなさない。

「米中新冷戦」は、米国か中国か、覇権抗争の決着をつける攻防ではなく、図らずしも、覇権か脱覇権か、歴史のより大きな分岐となる公算の方が大きいのではないか。

3 突き付けられた「黒船襲来」と「米中新冷戦」

日本は、今、「米中新冷戦」の「最前線」に押し立てられようとしている。「アジア重視」「日本重視」を印象づけたバイデン外交の出発がそれを雄弁に物語っている。

本稿の冒頭にも挙げたように、麻生太郎副総理は、「冷戦」の最前線に立つようになった「感慨」を込め、そのための「覚悟」の必要を説いている。

日本が欧米覇権に押し立てられたので想起されるのは、「共産主義の防波堤」にされた敗戦直後とともに幕末維新の時だ。

あの時、米英帝国主義は、ロシア帝国主義の南下を押さえるため、日本をその攻防の前面に押し立てた。

もちろん、あの時と今では、大きく時代が変わっている。

しかし、地政学的に見れば、あの時は、ロシア、今は、中国だ。

あの時も、日本には大きな圧力がかかった。

英米による維新政府への圧力、それにどう対するか、英米に従い英米と一体になって、アジアの外に出、アジアに対するのか、それとも、アジアの内からアジアとともに欧米全体に抗するのか。

明治6年の政変と「脱亜入欧」。この日本の選択の裏には、欧米への畏怖とともに、「アジア悪友論」、アジアへの諦めと蔑視があった。

今、菅政権にも大きな圧力がかかっている。

昨年9月、自民党総裁選時、菅総裁擁立には、「中国包囲は国益に資さない」(菅首相)など、「米中新冷戦」には簡単に従わない、自主独立の志向が垣間見られた。

しかし今、バイデン新政権誕生を経て、菅首相の長男のNTTとの会食、等々、菅政権に搦め手からかけられてきた圧力の数々。今、菅政権のそれへの屈伏は明らかだ。バイデン外交への追従がそれを雄弁に物語っている。

突き付けられてきた「米中新冷戦」。またしても日本は、欧米覇権の圧力に屈従しそれと一体になるのか。痛恨の歴史的教訓を生かすのかどうかが問われている。

4 「アジアの内から」、日本の進路を!

幕末維新、明治6年の政変に続く、西南戦争から自由民権運動。だが、明治政府に反対する闘いは、「脱亜入欧」からの転換にはつながらなかった。

その後の近代の超克。日本がアジアの盟主、リーダーになって、欧米に対してだけではなく、アジアに対して起こした「大東亜戦争」。その敗北の総括がなされないまま、過ぎてきた戦後76年、対米従属の歴史。

日本近現代史に貫かれた問題は何一つ解決されていない。今、覇権崩壊の危機に瀕する米国が破滅からの脱却のため仕掛けてきた「米中新冷戦」を前にして、それは一層深刻な問題として提起されてきている。

先日、バイデン新大統領は、その初めての記者会見で、米中対立に言及しながら、それを民主主義対専制主義の闘いと言った。

自由と民主主義、「普遍的価値」を掲げ、それを国と民族の上に置いて、国々の上に君臨してきた旧態然とした覇権の論理だ。

今問われているのは、この覇権の論理なのか。それを求めているのは、英、仏、独など欧州覇権諸国、それもその支配層ぐらいしかいないのではないか。

時代の基本趨勢が脱覇権の自国第一になっており、特に今日、コロナが世界中に蔓延している時、国民のための国の役割を高めることこそが何にも増して求められているのではないか。

いくら、欧米覇権諸国が、中国やロシアの「人権」「強権」を非難し、民主主義対専制主義の対決を説いても、世界が「民主陣営」対「専制陣営」の二つに分断され、「冷戦」が展開される事態にはならないと思う。

国の進路を定めるに際し、基準にすべきは、時代の要求、国民の要求だ。この基準に基づかない主観的な「提唱」など、何の力も正当性もない。

今日、もっとも切実な時代の要求、国民の要求は、欧米式の民主主義などではない。それは、世界的範囲での既成政党、「二大政党」の没落に端的に示されている。

求められているのは、何よりも、コロナ禍とそれに伴い一層深刻化する生活苦からの脱却であり、そのための国のあり方の転換、日本と日本国民のための国への転換だと思う。

今、菅政権は、バイデン政権の「米中新冷戦」戦略に巻き込まれながら、同政権のデジタル化、グリーン化戦略に追従して、日本が「新冷戦」の「最前線」を担うため、日米軍事経済のさらなる一体化を推し進めようとしている。それが、国民のためならぬ、覇権のための国のあり方の転換であるのは、菅政権にあって、コロナ禍、生活苦からの脱却が疎かにされているところに端的に現れている。

今日、世界の最先端は、欧米ではない。アジアだ。

それは、コロナ禍、国民の生活苦からの脱却がもっともよくできているのがアジアであり、そのために国の役割がもっとも高められているのもアジアだからに他ならない。

時代は、明らかに、転換している。もはや「アジア悪友論」に基づき、「脱亜入欧」した時代ではない。アジアに学び、アジアの内に入ることが求められる時代だ。

アジアの外に出、外からアジアに対していた時代は終わった。アジアの内に入り、アジアの内からアジアに対する時代の始まりだ。それが覇権から脱覇権への転換と一体であり、そうした中、「米中新冷戦」が米国によって突き付けられてきている今日、それこそが日本の政治に求められていることなのではないだろうか。

米国でも中国でもなく、アジアのリーダーでもなく、アジアの一員として、アジアとともに。そこにこそ、現時代と日本国民の要求に応える「米中新冷戦」への対し方、日本の進路があるのではないかと思う。


【お知らせ】伊藤孝司「平壌の人びと」写真展

会場:ギャラリーTEN(東京都台東区谷中)

期間:8/24-9/5

●関連イベント

・8/28(18時-21時)

伊藤孝司氏の講演と「一度でいいから」(朝日テレビ制作)上映とトークショウ(在朝日本人妻の日本の家族と)

・8/29(18時-21時)

外交評論家・孫崎享氏の講演と対論(平壌の小西隆裕と電話でつなぐ)

コメンテーター:足立正生(映画監督)、小林蓮実(フリーライター/アクティビスト、オンライン参加を予定)

総合進行プロデューサー:椎野礼仁(椎野企画)

会場:スペースたんぽぽ(都営地下鉄線神保町液下車 高橋セーフビル1F)


オリンピックと政治

小西隆裕 2021年8月5日

今回のオリンピックが無観客の残念なオリンピックになってしまったのは、ひとえに日本の政治が、コロナ禍にあって、オリンピックを自分のために利用してきたことの結果だと言うことができる。

政治のためのオリンピックではなく、オリンピックのための政治にならなければならない。

選手たちの一つ一つの競技での素晴らしい秘術の尽くし合いを見るにつけ、そう思わずにはいられない今日この頃である。


「身勝手な決め付け」、それこそが専制ではないのか

魚本公博 2021年8月5日

7月20日、バイデン政権が政権発足半年に際して閣議を開き、この半年間の活動を総括したそうな。そこでバイデン氏は「我々は、中国や他の国々との間で21世紀を決定する競争の最中にある」とし、「こうした国の多くは、専制主義に未来があり、民主主義は対抗できないと信じているが、我々は完全にこれを拒否する」と述べた。

これを聞いての印象は、「何とまあ、身勝手な決め付けを」ということ。民主主義対専制主義、どちらが正しく支持されるかとなれば当然民主主義だろう。だが中国は自らが専制主義などとは認めていないし、「中国には中国の民主主義がある」という立場。それを無視しての米国の言い分は、あまりに一方的。

こうした中、26日に中国・天津で米中高官会議が開かれた。丁々発止とやりあった3月のアラスカ会談以来2回目となる高官会議。ここでも双方の溝は埋まらず。新聞はこれを「国内世論意識 譲歩せず」と分析。すなわち、この間の米中間の対立問題で中国国内のネットなどでは、政府の対米強硬姿勢を支持する声が圧倒的であり、この声に押されて習近平政権は高姿勢なのだと。

国民世論に依拠する。となれば、これこそが民主主義ではないのか。それにも関わらず、それを無視して、外から専制主義だ何だと決め付けることこそ、非民主であり専制ではないのかと思う。

さらには、バイデン氏の「こうした国の多くは、専制主義に未来があり、民主主義は対抗できないと信じているが・・・」という発言。世界の「多く」が専制志向というバカなことはないのであって、この専制志向とは、「国家の主権を守る」「国家の指導性を高める」ということであり、それが世界の趨勢、時代の趨勢ということではないのか。

どうにも、こうにもバイデン氏説くところの「民主主義対専制主義」は、一方的な決めつけ、いいがかりの印象を免れない。

問題は日本。こんな一人よがりの米中対決に、「乗」って良いのか。心して考えるべきことだと思う。


政府が推進する大学の「イノベーション」

森順子 2021年8月5日

今年一月、菅首相は施政演説において、科学技術立国、日本にとって20年近く続く研究力の低迷は、国の将来を左右する深刻な事態だと言われ、大規模なイノベーションを掲げました。それは博士課程学生の支援の拡大、若手研究人材育成、世界トップレベルの成果を上げる自律した大学経営を促すために兆単位のファンドを立ち上げるイノベーションを促進するということです。 

ところが、今回、国立大の運営費交付金問題の政府の対応を見ると、日本の研究力低迷克服は、一体、何のために行うのかという疑問を持たせました。それは今後6年間の交付金の配布は、これまでと変わらない方向で示されたからです。

周知のように国立大は日本の教育、研究の中核的存在であり、その基盤を支えるのが交付金です。この交付金は毎年、削減されるため、教員を安定して雇えず、教育・研究の向上や若手研究者の登用を妨げ、そのため基礎研究はおろそかになり日本の科学技術研究は地盤沈下したと言われて久しく、最近では深刻な危機に直面しているデータもあるようです。このような国立大の危機的な現場を無視し、またノーベル賞受賞者をはじめ、多くの人が交付金見直しを訴え発する警告にも、一切、目を向けようとしない無責任な政府が掲げるイノベーションの中身とは、何なのかです。

それは主に、企業や外資からの寄付金や大学ファンドにより若手の研究人材の育成も行い、自律した大学経営を促すというものです。言い換えれば、大学が今まで以上に企業や外資を引き入れ、相手が求める研究開発を行い自力で資金を稼ぎ大学運営と人材育成をやりなさいということです。その規模は大々的で、しかも国の奨励のもとで行う兆単位規模のファンドの目標を目指して、より稼げる国立大として研究力向上をはかり技術開発していくということではないのでしょうか。そして、その成果如何で各大学は評価され、それに応じて交付金支給額に差をつけるということです。

ここから見えてくることは、外資がどんどん日本に入って来ることにより、大学はこれまで以上に資金稼ぎに振り回され、自分たちが開発した研究は外資に持って行かれ、日本の国立大をはじめとする大学は、外資の下請け的存在になる現実が待っているのではないでしょうか。そして、大学の研究室も奨学金留学生に占領される日も来るのではないでしょうか。

「自分は日本人だから、この研究(iPS細胞)ができた。アメリカ人ならできなかった。彼らは、合理的に考えて絶対に成功するはずがないことには、手を出さない。私はともかく何かあるのではないかと追求し続け発見に至った」と言われるのは、ノーベル賞学者の山中さんです。この発言に思うのは、科学技術研究は社会に役立つためにありますが、金儲けや市場の要求を満たすことを目的にした研究の追求だけでは、自国の将来の発展も人材の育成も望めないということです。菅さんがいうイノベーションも、日本をこの方向に進ませるものではないでしょうか。

日本の国立大は、その研究の拠点となる存在です。国は国立大に見合う政策を準備し、持てる力を発揮できる環境を整えることでこそ、日本のためのイノベーションにつながる自律した科学技術立国として日本の発展の道が開かれるのだと思います。


-お知らせ-

伊藤孝司さん写真展「平壌の人びと」と講演+トーク・イベント(孫崎享×小西隆裕)

題目にある写真展とイベントの通知をさせていただく。

『紙の爆弾』9月号にて小林蓮実氏が「『平壌の人びと』から見えてくる〝世界〟」等のタイトルでこの写真展とイベントの持つ意義などを巻頭と本文で紹介している。

巻頭の冒頭で小林蓮実氏は次のように語っている。

“今夏、今こそ目にしておきたい写真展が開催される。それが、伊藤孝司さんの写真展「平壌の人びと」だ。

フォトジャーナリストの伊藤さんは1992年から43回にわたって朝鮮民主主義人民共和国を訪れ、膨大な量の写真や映像を撮影して、それをテレビや雑誌などに発表してきた。(中略)生活感に満ちた、ありのままの人たちに触れることができる写真展となる。“(写真展は文京区根津「Gallery TEN」にて開催)

本文では伊藤氏への小林氏のインタビューの内容に加え、ご自身の訪朝体験が語られており、次のようにも記す。

“平壌市民は当然、私たち同様、普通の人間であり、喜怒哀楽があって、それぞれの思いや考えがある。そのなかで、日々を生きているのだ。そのようなことへの想像力すら、私たちは奪われるままになっていないだろうか。

冒頭で記したように、写真展とあわせ、8月28日・29日18~21時には「スペースたんぽぽ」(都営地下鉄 神保町駅下車 高橋セーフビル1F)にて関連のイベントも開催される。28日は伊藤さんによる講演や、在日朝鮮人の日本人妻の家族のなかで訪朝経験のある方と「朝鮮の真の姿」について語り合うトークショー、29日には外交評論家の孫崎享さんと平壌「日本人村」に住むよど号メンバーのリーダー小西隆裕さんとを電話でつなぐ予定だ。“

以上が写真展とイベントの紹介だが、『紙の爆弾』には小林蓮実氏自身の三回の山中訪朝団での平壌体験談、彼女独特の気さくな市民との交流エピソードなど貴重かつ楽しいお話満載、ここで紹介する余裕がないのがまことに残念、ぜひこちらもご一読をお勧めする。

伊藤孝司氏についていえば、平壌に来られる度にお会いする方であり、「日本人村」にも取材に来られた氏の映像はテレビに流れるなど、私たちの生の姿をそのまま日本にお伝えいただける誠意ある貴重なジャーナリストの友人である。

よど号メンバー参加のトークイベントについていえば、「米中新冷戦」をテーマにとりあげたいと思っている。

ぜひ写真展と講演及びトークイベントに足を運んでいただければ幸いに存じます。 

*講演及びトークイベント会場はコロナ緊急事態宣言延長のため当初の「不忍通りふれあい館」から「スペースたんぽぽ」に変更いたしました。


麻生発言、「台湾有事は存立危機事態」が招く日本の存立危機

若林盛亮 2021年7月20日

麻生副総理兼財務相は7月5日、台湾海峡情勢をめぐり「大きな問題が起き、日本にとって『次は』となれば、存立危機事態に関係してくると言ってもおかしくない。日米で一緒に台湾の防衛をしなければならない」と述べた。

4月の日米首脳会談で「台湾有事の安保協力」を約束させられたわが国だが、その安保協力の内容については、それが「後方支援」なのかそれ以上のことなのかは明言されなかった。この麻生発言はこれへの回答を与えたものだ。

麻生発言は、「台湾有事の安保協力」とは、2015年成立の安保法制で定められた集団的自衛権行使を可能にする「存立危機事態の認定」に値する「安保協力」になると明言したものだ。

すなわち安保法制に則れば、台湾有事を「我が国と密接な関係にある他国」(この場合、米国)に対する武力攻撃が発生し、これによって「我が国の存立が脅かされる」「国民の生命や自由が根底から覆される」といった事態になると判断するということ、したがって「台湾有事の安保協力」とは、自衛隊が米軍の攻撃作戦、戦争行動に参戦するような安保協力でなければならない、ということだ。

「安保協力の内容」について菅首相は明言を避けていたし、ここまではっきり明言したのは麻生発言が初めてだ。

それだけ事態が切迫しているのだろう。

案の定、この三日後の7月8日、朝日新聞は「米軍、対中ミサイル網計画」、「九州・沖縄-フィリッピン結ぶ第一列島線」と題する米国発の記事を掲載した。

これは「空母キラー」と呼ばれる中国や朝鮮の最新鋭ミサイルによって第7艦隊空母機動部隊が接近すらできないという「米抑止力の劣化」を補うため、日本列島を軸にするこの地域に地上発射型中距離ミサイルを分散配備するという計画だ。

第一列島線に分散配備するとの米軍の方針は、中国のミサイル攻撃の的を絞らせないためであることは言うまでもない。

当然、この方針の一環として自衛隊もこの種の地上発射型の攻撃的長射程ミサイル(迎撃用ではない)保有を迫られる(戦闘機発射型はすでに保有)。米軍としては日本の自衛隊がやってくれるに越したことはないだろう。

しかし専守防衛の自衛隊ではこの種の武装(敵基地攻撃用武装)は御法度だ、ところが安保法制が許す「存立危機事態」と認定すれば、「日米で一緒に台湾の防衛」のために必要な武装となる。

先の麻生発言はこのような意味を持つものだ。

しかしよく考えてみよう。

「台湾問題」は中国の内政問題であり、「台湾海峡問題」自体は日本にとっては海上交通路上の問題はあっても、それ自体が「日本の存立危機」に直結するものではない。むしろ「台湾有事」に米軍と共に自衛隊が参戦すれば当然、自衛隊のミサイル攻撃基地は中国軍の攻撃対象になり、日本は参戦国になる。そのことの方がまさに日本の「存立危機事態」を招くものではないのか? 


半導体の再興はまず日本の自立から

赤木志郎 2021年7月20日

最近、米国バイデン大統領が半導体の安定供給を叫び、大々的な投資をし半導体工場を建設するという。日本でも半導体産業の再興をめざす「半導体戦略推進議員連盟」が結成される。新国際秩序創造戦略本部座長を務める甘利明元経済再生相が主導し、呼びかけ人に安倍晋三、麻生太郎氏らが名を連ねる。設立趣意書では、「半導体を制するものが世界を制すると言っても過言ではない」と強調。

半導体は「産業のコメ」と呼ばれ、通信機器、電子機器のみならず、時計、自動車、カメラ、ミシン、工作機械などの機械機器の分野でも電子制御による高性能化が求められ、今後、あらゆる産業でデジタル化が進み半導体集積回路(IC)が不可欠となり、その需要はいっそう高まっている。半導体が不足し自動車生産ラインが一時停止したのはその一例だ。

ところが、半導体は台湾企業や韓国企業で多く生産されており、実際はその生産が中国でおこなわれているケースが少なくない。そこで、米国は中国との競争、対決で半導体の安定供給を確保するため、本国での生産工場への投資を大々的におこなう一方、日本などにも半導体生産を促しているという。

それを受けての半導体議員連盟結成であり、日本での半導体産業の再興だ。

しかし、日本で半導体をはじめ情報通信分野での先端産業が発展せず、「デジタル敗戦」を迎えたのは、米国の干渉ゆえんだ。かつて日本の半導体生産は世界の50%を占めていたが、現在、わずか10パーセントでしかなくなった。その原因は、先端技術分野で急速に発展してきた日本にたいし米国が圧力をかけ日米半導体協定を結ばせ、半導体生産を抑制したからだ。半導体のみならず、通信5世代開発の遅れ、PC生産もかつての世界一位からいまや東芝、富士通、NECなどが撤退し、先端産業で後塵を拝している。

以前は米国のために半導体産業を抑えられたとしたら、今度は「米中新冷戦」を掲げる米国のためにその主導のもとで半導体産業を興すということになる。それは日本の先端科学時術を発展させるためではない。いわば米国の覇権のためであり、米国のもとでの半導体産業下請けだ。

現在、ただ米国の言うとおりになり米国の下請けを担っていくのか、日本独自の道を拓き日本のための先端産業を興していくのかの岐路にたっている。

 甘利、安倍、麻生らは米国に迎合しようと半導体議連を作った。それが日本のためではないということは明らかだ。日本が日本のための半導体の開発、生産を発展させるためには、米国から自立することが先決だと思う。


過去最高税収、特に消費税収が一番に考える

若林佐喜子 2021年7月20日

7月5日、財務省は、2020年度の国の税収が前年度より2兆3801億円多い60兆8216億円で過去最高と発表。

新型コロナウイルスの影響でGDPがマイナス成長、人々の暮らしが大打撃を受けた中で、意外であり、特に、その内訳、消費税;20兆9714億円、法人税;11兆2346億円、所得税19兆1898億円。特に消費税収が一番多いことに思いが複雑になった。

経済学者の高橋洋一氏は、今回の発表をもって、「税収が上ぶれした、国民への還元をどう進めていくか」(現代ビジネス7?5)と言っている。

消費税・増税は、所得が低く支出に占める生活必需品の割合が大きい人ほど負担が重いと言われている。また、法人税を下げた分、企業は儲かり、法人税減税によって減った税収を補填しているのが消費税だという話もある。更には、「1997年の消費税増税(3%から5%)によって日本がダメ(GDP成長率、家計消費、賃金など)になった」と主張している人もいる。

今回の消費税収は巣ごもり需要などの影響と大きくは8%から10%の消費税率引き上げの結果だ。昨年からのコロナ禍で、非正規労働者の解雇が75万人、特に雇い止めにあったシングルマザーの一日一食の食事の話など困窮する人々の様子が連日、報道されていた。所得に関係なく一律にかかる消費増税が、このような人たちの生活に重い負担となることは目に見えている。

法人税収が前年度より増えているのは、IT、家電業界など一部の業界で予想以上に需要が伸びたことが要因としながらも、政府の巨額な雇用助成金により、本来、企業が負担してきた人件費が「軽く」なった可能性などもあると分析する経済ジャーナリストもいる。

これまでも、そして、コロナ禍のなかでも大企業は政府にしっかり保護され、一方、そのしわ寄せは、国民に、特に非正規労働者をはじめ社会的弱者におしつけられている。コロナ禍の中で、ますます格差が拡大している現実を考えると、消費税収より法人税収が少ないことに疑問と怒りが湧いてきてしまう。

税問題、特に消費税・増税問題は、「上ぶれしたから還元」と言う次元の話しではない。人々の暮らしに、どのような影響を与えてきたのか? とるべき対応策は消費税減税であり、将来的には廃止も念頭に考える重要な問題ではないだろうか?


おかしい!新冷戦論議の不活発

小西隆裕 2021年7月5日

今、日本政治の焦点は、コロナ、オリンピックに置かれているようだ。それが総選挙などとの関係で問題にされている。

しかし、自民党内の動きなどを見ていると、それとは違った力が働いているように見える。安倍、麻生、甘利のいわゆる「3A」が「新しい資本主義」「バッテリー」「半導体」「豪州」などといった一連の議連を立て続けに立ち上げたこと、それに対抗するかのように二階派が「自由で開かれたインド太平洋」議連を安倍を最高顧問に迎えて結成したことなど、そこに「米中新冷戦」が色濃く作用しているのは明らかだ。

ところが、この「新冷戦」が政界でもメディアでも、とんと取り上げられない。一言で言って、国民が見えないところで話が進められている。

これは問題なのではないか。

米国は、日本をこの「新冷戦」の最前線に押し立てようとしている。それが日本の命運に関わる重大事であることは言うまでもない。それが国民の知らない所、知らない間に決められるなど、決してあってはならないことだ。

増して、バイデン大統領は、この「米中新冷戦」を民主主義VS専制主義の闘いだと宣言したではないか。それが民主主義の主体である国民の分からないところで推し進められるとは、「民主主義陣営」の正当性が鋭く問われていると思う。


負け犬の遠吠え、あぶり出される日本のふがいなさ

魚本公博 2021年7月5日

G7で「民主主義的価値を損ない得る、政府によるインターネットの遮断やネットワークの制限といった措置への反対を確認する」との合意がなされた。

これは中国を念頭に置いたものだと新聞なども解説する。即ち、ネット分野においても「民主主義陣営」が結束して中国の専制的やり方に反対し対抗するというわけである。

中国の専制的やり方とは、中国が「ネット主権」を主張し、ネットやデータの国家管理を行い、そのための法整備を連続的に打ち出していることを指している。

今やデジタルは、その国の経済発展、国民生活の向上だけでなく、国防・安全保障でも不可欠なものになっている。中国は久しい以前から、その重要性を認識し、デジタル企業を育成してきた。その結果、米巨大IT企業(GAFAなど)に匹敵するBATHなどが生まれ、今やGAFAを凌駕する勢いとなっている。

元々、米国がネットやデータの規制・制限・管理に反対し「自由」を主張するのはGAFAなど巨大IT企業を擁する米国としては、彼らの国境を越えた活動が米国に大きな利益を与えてきたからだ。

まさに覇権、ITを駆使しての覇権。これに対して中国が「ネット主権」を主張し、ネットやデータの国家管理を強めるのは、主権国家として当然のことであり、どの国も程度の差はあれやっていることである。新聞なども「各国に広がる『ネット主権』『データ主権』」などと解説する。端的に言えば、今回G7で合意したEU諸国自身が米国の「制限反対・自由」に対して反対の立場であり、18年に「一般デジタル保護規則」(GDCR)を締結している。

そのような「ネット主権」を主張する中国に対し、その国家管理を非難しても、中国は聞く耳をもたないだろうし、14億の人口を基礎に中国IT企業は発展し、「ネット主権」を志向する絶対多数の国々との連携を強めるだけであり、痛くもかゆくもないだろう。G7でのネットやデータの「自由」など、衰退する米国の負け犬の遠吠えに過ぎない。

問題は日本。日本は、TPP(環太平洋経済圏構想)の「国境をまたぐデータの自由な流通の確保、国内でのデータ保存要求の禁止という原則」を承認し推進するという立場。

まさか、そんな「原則」を認めているなど私も知らなかったが、これではまるで主権放棄ではないか。日本は、米巨大IT企業の隆盛、それを使った米国覇権が続くと見たのだろうが、そのズブズブの対米従属の下、日本のデジタル化は大幅に遅れた。米国覇権は終わったという現実を直視し、「ネット主権」「データ主権」の道を日本も進むべきなのだ。

デジタル化は結局、どれだけ多くのデータを収集するかがカギだ、各国か「データ主権」の立場に立って自国のデータを集積管理し、それを相互に活用する国際連携を拡大する。それがデジタル世界の未来であり発展の道だろう。そうしたことを考えても、負け犬の遠吠えの米国にいつまでも従っておればよいという話ではないと思う。


問われる全国学力テストのあり方

森順子 2021年7月5日

導入から14年、5月末に小学6年、中3を対象とした全国学力、学習状況調査が行われました。

2017年から、県教育委員会は各公立の小中に「学力向上プラン」を作らせ全国学力テストの目標点を示し、各学校は弱点を分析し市販の教材や過去の問いで何度も事前準備が常態化し、そのため現場だけが結果責任を問われ追いつめられ、子どもたちは居場所を失っている状況だと言います。また、大阪では学力テストの成績を教員の給与にまで反映させる処置をとるということまで起きており、学力テストのあり方に疑問を持たざるを得ません。

全国学力テストは、(1)学校現場の指導改善、(2)国の政策に反映、という二つの目的を掲げ国が行っていますが、指導のためなら学校で行う普段のテストで十分なはず。そして国の政策に生かすためなら、子どもや学校現場の実態を正しく把握することが必要であるはずです。学力の一部しか測れない全国学力テストを評価の基準とし、そのやり方は強制、押しつけ、詰め込みのこのようなテスト方法で、学力向上がなされるのでしょうか。

地域、学校、教員、生徒間のさらなる競争と格差が生まれだろうし、結局は学力低下に繋がっていくと言えます。

以前、NHKでの「自律を目指す公立中学」という番組では、中間試験、期末試験をなくし、科目毎の小テストを主にした試験方法をとり、しかも赤点を採ってもクリアできるまで再挑戦できるという内容でした。この過程で生徒たちは自分で物事を考えるようになり学習意欲も上がり学力もついたようです。

このような公立中もあるのだと嬉しくなりましたが、要は、一方通行や押しつけの教受ではなく、どこまでも生徒自身が自分で考え身につける方法を編み出していくことが学力向上の鍵だということだと思います。そして、それは学校、全教科の先生たちの地道な取り組みがあってこそなされます。学校と教員で生徒第一の案で一致することが重要であるし、先生は一人ひとりの生徒に向き合い具体的なケアをし、見守り指導していくことが生徒の成長と学力向上に繋がるのだと思います。

学校教育が今、知識の「習得」から「活用」へと変わっていく最中にあって、全国学力テストのあり方を、行政や地域、保護者、学校、教員が一緒に改善策を考え、学力を問い直す議論を起こし広めていくことが必要ではないでしょうか。


米国の「押しつけ」に右往左往はもうやめるとき

若林盛亮 2021年6月20日

■最近はなはだしい右往左往
昨年5月、地元の反対を押し切って秋田県に配備予定の陸上イージスアショア、ミサイル防衛システムの配備が中止になった。理由は「迎撃ミサイル発射時に落下するブースターが住民地域を直撃する危険性があるが、それを除去する技術開発には十年以上かかりコストも増すことが判明したから」だった。

またこれを契機に辺野古基地移転にも「見直し」が云々される事態にまで発展した。

「見直し」の理由は、これまた「埋め立て地域に軟弱地盤が見つかり、完成に十数年かかり、予算も膨大にふくれあがるから」だった。軟弱地盤について言えば、早くに指摘されてきたことではなかったのか?

以降、軟弱地盤は避け埋め立て規模を縮小、ヘリパッドやヘリ用の短い滑走路に変更する案が一部に出ているが、沖縄ではその必要性にすら疑念が出されている。

政府の強硬姿勢の突然の変更、見直し議論の登場という右往左往ぶりはいったい何なのか? 「時間とコスト」という理由付けは国民的には強い「?」の残るもの、では本当の理由は何だろう?

■本当の理由は「米国の安保防衛政策の変更」
本当の理由は別のところにあった。

陸上イージスアショア配備中止に関しては、当時、米軍が新ミサイル防衛戦略に変更していたという事情によるものだ。

米国は「迎撃を基本とする日米の弾道ミサイル防衛(BMD)システムの限界を悟り、敵基地攻撃を基本とする統合防空ミサイル防衛(IAMD)構想に変更」(朝日新聞2020・6/20)、という事情があったのだ。

その理由は「北朝鮮のミサイル能力向上」(低空を変速軌道で飛来する新型ミサイル開発)などによって大気圏外から来る弾道ミサイルをレーダーで補足、防衛するようなイージスアショアでは対応できなくなったからだ。

これを裏付けるかのように当時の安倍首相はいち早く国家安全保障会議(NSC)でのミサイル防衛体制の見直し検討、すなわち「敵基地攻撃能力保有の議論」を提起、この年(2020年)8月には議論を始めるとした。敵の発射基地を叩くという方針転換だ。

また辺野古基地の見直し議論に関しては、その前年(2019年)にバーガー海兵隊総司令官が「集中から分散へ」と方針転換を示したことと関係する。その理由は「中国軍のミサイル能力向上(迎撃困難な極超音速滑空弾など)によって1カ所に海兵隊を集中させることは危険になった」からだ。つまり「辺野古が唯一の解決策」と日本に押しつけた張本人、米軍の「都合」による一方的変更によって、海兵隊武力の集中する大規模基地自体が不要になったのだ。

押しつけた米国のコロコロと変わる方針変更によって、日本政府が右往左往させられているというのが今日の悲しい現実だ。

■「台湾有事の安保協力」?もう右往左往は許されない
米中新冷戦に「同盟国」を巻き込むことに躍起のバイデン米国は、「米中対立の最前線」を日本に押しつけてきた。4月の日米首脳会談で菅首相は「台湾有事の安保協力」まで米国に約束させられた。

これには貿易額第一位の中国と対立することに日本の財界は動揺しており、台湾有事で米軍との共同攻撃作戦に動員される自衛隊にも疑問が出るだろう、また国民は誰も中国を敵にしたり米国の戦争に巻き込まれることを望まない。

もう米国の「押しつけ」に右往左往している場合ではないと思う。

非戦を国是とする日本は自分の「非戦の安保防衛政策」を立て、「敵対国を作らない」外交力、誰とも「ウィンウィン」の経済力を備えるなど、そろそろ自分の頭で国の進むべき道を自分自身が決めるときに来ている、そのための国民的議論を起こすとき、そう思う。

徴用工賠償裁判-欧米諸国がどうであれ朝鮮植民地化を謝罪すべき

赤木志郎 2021年6月20日

7日、ソウル地裁は、日本の植民地支配が不当なものだとしてきた徴用工賠償問題での最高裁判所の判決を覆す判決を下した。日本企業にたいする徴用工賠償を認めると、国内的には植民地ゆえに強制動員された不当なものと言えても、国際的には植民地支配が不法となっていないもとでは訴訟権は制限されるとし、日韓関係さらには米韓関係にも影響を与えるとして原告の訴えを退けたのである。

周知のように米中新冷戦を唱える米国は日米韓同盟の強化を求めている。ここで徴用工賠償問題が、駐日韓国大使に外務大臣が面会拒否しているなど日韓関係の亀裂として影響を及ぼしていることが問題になる。米国の要求に折れたのが韓国側だ。すでに文大統領は日本企業への賠償を求めることはしないということを言明していた。

日本での報道を見ると、「これまでの主張が認められた」、「韓国もグローバル秩序に従うようになった」など、当然のこととしている。

ここでの根本問題は、韓国内では日韓併合条約は非合法だが、日本では合法であるとしているところにある。国交樹立の前の日韓条約交渉でもこの問題が障害になり、棚上げにされ、「日韓経済協力協定」の名で「賠償」という言葉が避けられた。これまで日本政府として「日韓併合条約は合法だった」とし、それにもとづく植民地支配は正当だったという立場に立ってきた。

ここに徴用工賠償問題の根本があり、日韓関係が改善されない原因がある。今回の判決で「国内的には植民支配が不当だったとしても、国際的にはまだそうなっていない」もとで対外的に訴訟を起こすことができないとしているが、それでは韓国民はいっそう日本にたいする反感と怒りを増すだけだ。

当事者にとって植民地化は許すことのできないことであり、私たち日本人にとっても日本が武力を使い朝鮮民衆の独立への闘いを弾圧してきたのは歴史的事実からして明らかなことだ。

韓国民衆はこれからも日韓併合条約が合法、すなわち植民支配が正当だったとしていくのかと日本に問いかけていくと思う。民族自主と国家主権を守ることが正義であり、それを否定することは不正義であるということは、今世紀が示している時代のすう勢だと思う。欧米諸国は植民地支配を間違いだったとしてない。しかし、不当だったと認めていなくても、日本が率先して認めていくべきではなかろうか。

しかも、今回の判決が米国の「米中新冷戦」戦略に沿って日米韓同盟を強化するためになされたものであるだけに、「米中新冷戦」がいかに覇権主義的で時代遅れかを示しているといえる。

政府のワクチン接種対応に、危惧と怒りを禁じ得ない

若林佐喜子 2021年6月20日

菅首相は、先の国会・党首討論で、コロナ禍対応は「ワクチン接種が切り札」と主張し、「10月から11月にかけて、必要な国民、希望する方、すべて(打ち)終えることを実現したい」と表明した。

確かに、首相のこの間の対応は「いかにワクチン接種の速度を上げるか」であった。

やっと4月から高齢者(65歳以上)と基礎疾患をもつ優先者接種が始まるや、首相は、7月末までに完了することを各自治体に迫った。

更に、5月24日からは、「自衛隊大規模接種センター」での高齢者向けワクチン接種を開始した。4月末、首相の突如の指示で、東京会場で一日1万件、大阪会場で5千件の接種体制が整えられた。対象が65歳以上の高齢者接種にも関わらず、予約はオンラインのみ。一時、東京会場で予約が2割、大阪会場で3割しか埋まらない状況に陥る。(読売6/10夕刊)。そして、14日時点で、防衛省は「対象を64歳以下に拡大すれば、65歳以上の接種機会が失われる可能性がある」としながら、翌日には、「18歳から64歳に広げる」と発表。16日、両会場とも17日から28日まで予約が全て埋まり、担当者自身が、「対象年齢引き下げが影響している」と認めている。防衛省の数日間の対応を見ていると、このようにすることを「設置のときから想定していたのでは?」と、思うのは、私だけではないだろう。

13日には、元来21日から予定していた、「職域接種」が前倒しでスタートした。政府は5月末に、優先者接種と並行して実施する、企業や大学での「職域接種」を提示。一カ所で最低2000回(千人分)の接種を原則とし、従業員、一千人以上の大企業から初めて行く。企業接種は、自社の従業員や家族、グループ企業や下請けを対象。大学では、職員、学生、地域住民も可能。「職域接種」は自治体が発行する接種券がなくても可能で、采配は主催者側にある。13日に、全日本空輸、14日に日本航空でスタートし、すでに、大企業をはじめとして申請予定者が1千万人を突破。(14日、首相官邸ツイッター)

しかし、現場では、デジタル格差、企業格差を指摘、心配する声がでている。特に高齢者、基礎疾患者の接種予約がオンラインのみに対して、高齢者自身から戸惑い、強い怒りの声が上がっている。本当に、電話しか手段がなく、インターネットが扱えない、ひとり暮らしの高齢者は、接種を受けなくても良いということではないか?このままでは、政府が認めている高齢者、基礎疾患を持つ者、最優先接種者が置き去りにされてしまう。

6月6日現在、65歳以上の高齢者の一回目の全国(平均)接種率は、22.8%である。多くの自治体は、65歳以上の高齢者接種をやっと軌道にのせてきたところである。新たに対象を18歳から64歳と一挙に拡大すれば、接種券の組織の対応など一層の混乱が心配される。

また、「職域接種」は、自治体が発行する接種券が必要なく、采配が主催者側である。接種者の掌握、万が一の事故に対して責任は誰がとるのだろうか?などなど心配が尽きない。 

首相、政府のワクチン接種対応、「いかにワクチン接種の速度を上げるか」は、国民の「命と健康を守る」ためではなく、五輪開催、内閣支持率をあげるためである。と、いったら言い過ぎだろうか?

今、日本政治の原点が問われている

小西隆裕 2021年6月5日

時代の大きな転換点にあって、日本政治には様々な問題が山積している。

そこで今、もっとも痛切に思われることの一つが、政治の原点が見失われているのではないかと言うことだ。

政治の原点と言った時、それは、人々の共同の利益を実現することを置いて他にないと思う。そのために人々を動かすところに政治の役割がある。経済や文化など他の分野にも増して政治の社会的責任が重いのは、まさにそのためだと思う。

この重大な政治、とりわけ国の政治を行うに当たって、もっとも心すべきは、国益、国民益を実現するという原点に絶えず立ち戻ることではないだろうか。

ところで、日本政治を見た時、このもっとも基本的な原点が見失われているのではと思われる場合があまりにも多いように思う。

今、日本にはコロナや米中新冷戦などの問題が切実に提起されている。これらに対して、菅首相はどう対しているだろうか。

どう見ても、国益、国民益第一に対しているようには見えない。オリンピックは何のためか。米中新冷戦の一環であるクリーンネットワーク計画に対して、菅首相自身、国益に資さないと言っていたではないか。

なぜそうなったのか。その動機には、私益、党利党略が見え見えだ。

今日、コロナや米中新冷戦、等々、国と国民の命運を左右する大問題が山積してきている中にあって、私益、党利党略による政治は許されない。

総選挙をはじめ、国と地方の進路をめぐる選挙が目白押しになっているこの時にあって、政治の原点を問う闘いこそがもっとも切実に求められているのではないだろうか。


一体このどこが「成功」なのか?

魚本公博 2021年6月5日

コロナ禍が一層猛威を振るう中、ワクチン接種が大きな焦点になっている。菅首相は「ワクチンが決め手」としているが今だに接種率は2%にすぎない。高齢者の接種を7月末までに完了すると言うがワクチンの確保すら不確かで「到底無理」と言われる状況。

そうした中、「深層ニュース」などの時事番組で米国の「成功」が言われている。「米国はすでに37%が接種を終えた。7月4日の独立記念日までに国民の7割に接種を完了する。ワクチン接種で感染者数、死亡数も減少してきた。緊急事態も漸次解除されつつあり、ブロードウェイも9月中に再開する予定だ」などなど、米国の「成功」を賞賛し、日本の遅れを嘆き、米国に学ばなければみたいな話しになっている。

米国の「成功」? 5月末で感染者数は世界一の3314万人で死者59万人を出している国の一体どこが「成功」だというのか。もちろん、これはワクチン接種についてであり、その限りでは「成功」と言えなくもない。しかし「ワクチン接種」の成功が、「ワクチンで封じ込める」策の成功として、米国のコロナ対策そのものが「成功」の如く語られているのだ。

確かに、ワクチンはコロナ克服の決定的手段。しかし、今はそれが万全とは言えない。血栓症などの副作用や後遺症の発生、接種後の死亡、数ヶ月の効果しかないなどの例も報告されている。そしてワクチンをすり抜ける変異型ウィルスの蔓延。今はインド型が問題にされているが、変異株は続々と出現するだろうと予想されている(すでに英仏やベトナムでも発生)。

ワクチンによる「集団免疫」達成論についてはWHOも「どの国も近い未来に到達できない」と警鐘を鳴らし、感染症対策の基本である「検査・隔離」の徹底を呼びかけている。そういう意味では、米国の「成功」賞賛は、これまで検査を避け「ウィズコロナ」(集団免疫達成)にしがみついてきた日本のコロナ対策の過ちを覆い隠し、あくまでもこれを続けるためではないかとさえ思う。

日本のワクチン接種が無惨なまでに低いことについて言えば、国産ワクチン開発が遅れているからである。米国発の新自由主義改革でワクチン開発などの指導をすべき国立感染研究所の予算や人員を減らし、コロナ禍発生後も米国頼みで国産ワクチン開発支援を怠ってきたからではないか。

米国賞賛、米国追随、米国頼み。これを正さなければコロナ対策もおぼつかない。米国の「成功」などと言っている場合ではないのである。

21世紀の黒船、「米中対立の最前線」押しつけ

若林盛亮 2021年5月20日

■青天を衝け
NHK大河ドラマ「青天を衝け」、藍(あい)農家の長男、栄一が水戸領内の農村私塾で水戸斉昭の掲げた「尊皇攘夷」思想に触れ、愛国の決意に燃え、ついに決起する。
時は欧米列強がアジア植民地化を狙って日本にも押し寄せる19世紀後半。わが国は黒船来航に揺れる。鎖国日本がペリーの開国要求をのまされた幕府の弱腰外交を非難する水戸斉昭の「尊皇攘夷」思想が人々の心をとらえ澎湃(ほうはい)とわき起こる攘夷気運高揚の前に徳川200年の幕藩体制は揺れる。
「父っさま俺を勘当してくれ」!
頭を下げて頼む栄一は父に叫ぶ、「日の本のために俺も役に立ちてえんだ」!
彼は村の有志青年らと「横浜異人村焼き討ち」を企てる、尊皇攘夷・倒幕実現のために。

■21世紀の黒船、「米中対立の最前線」押しつけ
いま日本が揺れ動き始めている。
バイデン新大統領の「米中新冷戦」宣言を受けた4月の日米首脳会談で米国から「米中対決の最前線」を押しつけられた日本。
訪米前、菅首相は「対中強硬で有事対応を急ぐよりも、紛争を平和的解決する環境作りが大切」と言っていた。しかし日米共同声明では「台湾有事の安保協力」、中国との軍事的対決の最前線に立つことまで約束させられ、あげくに米誌News Week取材では「日本は9条改憲の意思があるのか」と迫られた。
この菅政権ののまされた日米共同声明を受けて朝日新聞は「受け身の外交からの脱却を」と書いた。
閣僚の中からも「米中対立で日本は厳しい立場に追い込まれる。もう少し曖昧な表現でもよかった」と不満が出ている。
貿易額第一位を占める中国と敵対することを約束させられたことに経済界からも不安と不満の声が挙がるのは必然だ。さらには対中対決での日米軍事協力、それは「台湾有事」で自衛隊が米軍攻撃作戦の一部に組み込まれ、いわば米軍の傭兵部隊化することになる。自衛隊内部からもおそらく強い不満が出てくるだろう。
非戦国家を自認する日本の国民にとっては米国の戦争に巻き込まれる危険にどう対処するのかがこれから問われることになる。
米国による「対中対立の最前線」押しつけ、これは日本を揺るがす21世紀の黒船襲来とも言える事態だ。 

■戦後世界の「幕藩体制」動揺が日本の国難に
米国による「対中対立の最前線」押しつけ、それは戦後世界の「幕藩体制」動揺の集中的表現ではないかと思う。
日米安保体制基軸、「米国についていけば何とかなる」を「国体」化してきたのが戦後日本だった。それが根本から揺らぐ事態にいまわが国は直面している。なぜなら「戦後日本の繁栄」を支えてきた戦後世界の「幕藩体制」、米覇権帝国中心の国際秩序がまさに崩壊の危機に直面しているからだ。
このことを米国自らも認め失地回復の窮余の策として打ち出されたのが「米中新冷戦」だ。
米国が仕掛けた「米中新冷戦」は、すでにトランプ政権発足1年後の2018年末に本格的に開始されたものだ。この年の末12月18日、米国防総省は「米国家安全保障戦略(NSS)」を公表、ここで「中国とロシアなどは米国の価値観とは対極にある世界を形成しようとする修正主義勢力」と定義、これまでの反テロ戦争戦略からの転換を宣言した。
この最大ポイントは、米国の脅威を「テロリズムではなく大国間の競争こそが最大焦点」としたこと、そのうえで「友好国との同盟関係強化」を強調したことだ。これは「米軍の競争力の劣化」、一言でいって米軍の覇権軍事衰退を認めた上で友好国にいっそうの「安保協力」を求めるという方針転換だ。
さらに今日、経済面においても中国の追い上げに苦しみ中国のIT企業、ファーウェー排除に踏み出さざるをえないほど、米国中心の覇権秩序が崩壊の危機にあることを自ら認めた。
この方針転換を受けて「友好国」日本に対して「米中対立の最前前線」に立つことを押しつける「米中新冷戦」戦略がバイデン政権によって完成された。
「米国についていけば何とかなる」という戦後世界の「幕藩体制」に赤信号が点滅し始めた。その結果として米国による有無を言わさぬ「対中対決の最前線」押しつけがあり、これを前にして進退窮まる国難に遭遇しているというのが現在の日本だ。
だから「日の本の役に立ちたい」という栄一ら青年が尊皇攘夷を論じたように、攘夷か開国か? 尊皇倒幕か佐幕か? このような論議が巻き起こる時代になってきた、そう思う。

緊急事態条項で改憲という自民党政権

赤木志郎 2021年5月20日

5月3日、憲法記念日に際した世論調査で緊急事態への対応について、全体では改憲せずに法律制定で対応すべきが多数をしめているが、無党派層で「緊急事態条項」を改憲して入れるべきというのが増加したという。だから、自民党内で「緊急事態条項」で改憲を提起すべしという声が起こったという。我ながら、自民党議員のずる賢い感覚に驚いた。
なぜ、国民の多くが緊急事態対応の法を要求しているのか。それはこの1年余りの新型コロナ・ウイルス対策で統一的で攻勢的な対策をとれずに、中途半端なことを後手後手とやってきたことに非常に苛立ち、怒っているからではないか。感染抑制を何よりも優先させることをほとんどの国民が望んでいるからこそ、緊急事態法への要求があり、無党派の人々が憲法にその条項を入れるべきだと思っている。
緊急事態への対応は現憲法のもとで十分、法制化できるものだ。そうした法律がないことや憲法に緊急事態条項がないことに問題があるのではなく、自民党政権に緊急事態に対応できる能力がない、危機管理ができないことにある。
問題の九条改憲については国民の大多数が賛成していない。そこで、九条よりも緊急事態条項を押し出して、改憲できないかというのが自民党の魂胆だ。
コロナ対応への国民の不満を改憲に利用しようとするところに、自民党政治の汚さ、ひどさを示している。
それゆえ、自民党がすすめる改憲策動を破綻させていかなければと思う。

-人々の命と暮らしのために、五輪中止を求めます!-「ネット署名」の威力(パワー)を実感

若林佐喜子 2021年5月20日

五輪の開催中止を求める「ネット署名」が、話題を呼んでいます。
元日弁連会長の宇都宮健児弁護士の発起により、署名サイト「Change.org(チェンジ・ドット・オーグ)」を通じて呼びかけると最速ペースで伸び、14日現在、35万筆を突破。勢いが止まりません。
署名のあて先は、IOC(国際オリンピック委員会)のバッハ会長、菅首相、東京都知事、組織委員会会長らで、英語での署名ページも開設。
疲弊する医療現場からは、「(署名は)自分たちにとって非常にありがたいことです」と、感謝の声が届き、署名参加者からは、「こういう(署名)活動をまっていました」という声が多く寄せられています。
この間、ツイッターでは、#五輪中止 がトレンド入りし、世論調査では国民の約7、8割が再延期、又は中止を求めています。医療が逼迫するある病院では、「医療は限界 五輪やめて!」「もうカンベン オリンピックむり!」と書いた張り紙を掲出しているそうです。
今回のネット署名活動は、このような人々の声や思いを可視化し、その実現のための方途を提示してくれたのだと思います。
人々のシビアな思いが可視化され、当然、海外からの取材も殺到しています。
五輪・パラリンピック開催時に放映権料を払う米放送局「NBC」も署名活動について報じ、海外メディアからも取材要請があったとのことです。海外メディアも世界的な大流行コロナ禍の中で日本政府の動きを注視しています。「ネット署名」という形で国民の声、意思を伝えることは大きなインパクト、力になります。ラジオの海外ニュースでも署名活動について報道していました。
14日、東京都知事宛に署名報告書(35万269筆5/14現在)と東京五輪開催中止の要望書が提出されました。今後は、スポンサーへの申し入れ、そして、政府にも。政府の五輪中止の決断まで、ネット署名の勢いは止まりそうもありません。
ネット署名は、現場の人々の声・世論の声を可視化し、その実現のためのパワーを生み出す威力ある活動・方途である事を、とても実感させられました。
同時に、政府の一日も早い五輪中止の「英断」を切に望みます。

「米中新冷戦」、対応の鍵は何か?

小西隆裕 2021年5月5日

米国が引き起こした「米中新冷戦」の「最前線」に立つことが、今、日本に押しつけられてきている。

菅政権は、その受け入れを約束させられた。先の日米首脳会談での共同声明は、そのことを明示している。

「米中新冷戦」は、一言で言って、中国と敵対し、世界を米国と中国、二つの陣営に分断し、中国陣営を包囲、排除することにより、崩壊の危機に瀕した米覇権の回復を図る戦略だと言うことができる。

日本はその矢面、先兵に押し立てられている。それは決して、日本にとって良いことではない。経済的にも、軍事的にも、大きな損失と打撃を覚悟しなければならない破滅への道を意味しているのではないか。

今、日本に問われているのは、米国に付くことでも中国に付くことでもない。アジアの内に入り、アジアの一員として、アジアと一体となり、米国も、中国も、そこに引きつけていく道ではないか。

そうするための鍵は何か。それは、日本が率先垂範して、アジアの外から、アジアに敵対してきた自らの覇権主義、帝国主義の誤りを、戦後の対米従属下でのことまで含め、世界で初めて総括する国になることだと思う。

そこにこそ、幕末維新以来長期に渡り、日本に提起されてきた「脱亜入欧」から脱却する道も広々と開けてくる。

総選挙を前にして、「米中新冷戦」をそのための奇貨とする戦略的な眼識、禍を福となす攻撃精神こそが今求められているのではないだろうか。

日本の土性骨を示す時

魚本公博 2021年5月5日

日米首脳会談で「台湾問題」が取り上げられた。首脳会談で「台湾問題」が上げられたのは69年の佐藤・ニクソン会談以来のこと。「その後の日本の行く末を決めてきた」とされる首脳会談での「台湾問題」。その内容は「台湾海峡の平和と安定に日米が協力する」というもの。だが、この会談を前に米国では「6年以内に中国の台湾への武力侵攻の可能性が高い」などの発言が出るなど、それが「台湾有事」を想定したものだというのは衆目の一致するところ。

米国は、米中新冷戦の中で、中国との武力的な対決(戦争)でも日本が「フロントライン」(最前線)に立つことを要求してきたのだ。果たして日本はどうするのか。まさに日本は岐路に立たされている。

ここで先ず押さえるべきは「台湾問題」とは何かである。「台湾問題」とは、「一つの中国」の内部問題。すなわち「台湾問題」は、中国の「内政問題」であり、それは外からとやかく言うべきものではなく、ましてや武力行使を云々するなど論外だとされてきた問題なのだ。米国自身、これまでその立場に立ち(中国の国連加盟71年、ニクソン訪中72年、交回復79年など)、中国との関係を深めてきた。その立場は国連をはじめ国際社会も同じであり、日本もそうであった。

それ故、共同声明でも、この問題をどう表現するかで多くの時間が割かれ、「台湾海峡の平和と安定」という表現に落ち着いたという。中国もそれは分かっている。共同声明への反論は、先ず駐米大使の「これは内政干渉であり遺憾である」との表明であり、夕方になっての外務省代弁人の声明となった。中国通の論客は、こうした中国の対応は予想されたものより低いトーンであり、「これ以上、踏み込むな」というシグナルだと分析する。

台湾はどうか。外交部は「歓迎、感謝」だが蔡総統は沈黙を守っている。彼らも「台湾問題は内政問題である」いう立場であり、「両岸問題の平和的解決」が中台双方の一致した見解である。台湾は貿易の40%、海外投資の60%が中国であり、中国との軍事対決など乗れるものではない。日本の新聞が「台湾『感謝』、刺激回避」と解説しているが、ある意味「ありがた迷惑」というのが本心だろう。そして、ある高官は「これからは『したたかな外交』が求められる」と述べている。それは、台湾の国益を守るために、中米の抗争に巻き込まれることなく現実的な対応をするということであろう。

現実的対応。それが求められるのは、「米国覇権の崩壊と中国の台頭」は誰もが認める現実だからである。その現実を前に、頭から米国に加担するなど愚の骨頂。それは日本も認識している。何よりも経済界。貿易相手国ですでに米国を抜いて中国がトップであり、中国への進出企業は2万社に及び、そこで莫大な利益を上げている経済界にとってみれば、中国との対決、ましてや武力対決など論外である。自衛隊も「台湾有事」で最前線に立たされることには異論があろう。

「現実的対応」「したたかな外交」、それが日本にも求められている。これまで米国覇権健在の時代には、米国に従うのが「賢明」であったかもしれない。しかし、もはやそうした時代ではない。どうすれば日本の国益に合うのか、それを第一に考えるべきなのだ。

アジアを見てもそれがトレンド。シンガポール国立大学の名誉フェローであるキショール・マブバニ氏は「西欧が民主主義的価値観を押しつける時代は終わった」としながら、ASEANが「イデオロギーにとらわれず問題解決に向け現実的な対応を模索している」と評価し「アジアのプラグマティズムは今後の世界に影響すると信ずる」と述べている。

日本が、時代の岐路にあって、これまでのような対米従属ではない日本になる。そうした日本をアジアは歓迎し共に進もうとなる。今こそ、日本の土性骨を示すべき時なのだ。

中身のない「こども庁」創設

森順子 2021年5月5日

「未来を担う子どもたちのための政策」実現への意欲を3月の自民党大会での菅さんの発言から「こども庁」創設となったわけですが、やはり、思った通り「こども政策は反応がいい」とばかりに衆議院選挙の目玉にあげました。そして、すぐさま自民党のどの省庁が、こども庁を担当するのかの主導権争いが始まり、それが弊害となり対応に遅れているというのが自民党の中身です。同じく、「自分たちこそ(こども)政策を考えていた」と相次いで検討チームを立ち上げたり、「選挙目当てだ。われわれが(こども政策)では本家本元」だと、自民党への怒りの声が出ているのが野党の中身です。

自分たちの党利の奪い合いのために子どもを利用する政治家の、このような様を、当事者である子どもたちは何と言うのだろうか。もし、私たち大人が子どもたちに問われたら、どう答えたらいいのかと、考えさせられます。

「子どものことは一番大事だから、国の宝だから、しっかり・・・」「日本の将来を考えたとき子どもは極めて大事だ」と言うのは、二階さんと菅さんです。

しかし、「子どもは大事、国の宝」だと言うのなら、子どもを大切にし、子どもが国の宝である社会は、どういう社会なのか。どういう日本で、どうやって子どもを育て教育していけば、子ども第一の社会になるのか。何よりも、そういう国のビジョンを示すべきです。そして、そこに理念あるいは構想がなければ、とても、子どものためとは言えず、第一、国民は納得しないでしょう。

今、こども庁の前に問われていることは、当事者の声、現場の声、すなわち国民の中に深く入って、子どもや国民の目線で、その声を聞き、子どもたちの夢や願いや望むことは何か、一番訴えたいことは何か、そして、保護者をはじめ、すべての子どもに携わる人々の現場の声に真摯に耳を傾けることを率先してやっていくことではないでしょうか。そして、ここから、国民や子どもが望むこども庁の役割や課題が出てくるのではないでしょうか。

「宮崎にF35B飛行隊新設」、「小型空母化護衛艦と一体運用」に隠された意味

若林盛亮 2021年4月20日

読売新聞(4/4)第一面トップに「F35B、宮崎に配備へ」という大きな見出しの記事が出た。

記事の内容は、最新鋭のF35B戦闘機18機が航空自衛隊の宮崎県新田原(にゅうたばる)基地に新しく配備され、これに伴い空自の一個飛行隊が編成されるという内容だ。

これだけを見て、空自の戦闘機配備がなぜ一面トップ記事になり、それが何を意味するのか一般にはわかりにくい。

小見出しには「垂直着陸機-離島防衛強化」そして「小型空母化護衛艦と一体運用」とあるが、まさにここにこの意味を解くキーワードがある。

F35B戦闘機は「垂直着陸機」、正確に言うと短距離離陸・垂直着陸のステルス型(敵のレーダーに捉えられない)戦闘機だ。俗に第5世代戦闘機と言われる最新鋭機、離陸距離が短くヘリコプターのように垂直着陸ができ、大型空母の必要はない。

ゆえに空自に新設のF35B飛行隊、それは「小型空母化護衛艦と一体運用」の飛行隊となる。

ついでに言えば「小型空母化護衛艦」とは海自保有の「いずも型」護衛艦を改修した小型空母化を指す。対潜水艦哨戒ヘリコプター14機積載用の同型護衛艦を改修してF35B戦闘機10機が搭載できるようにするというものだ。現在、「いずも」型の護衛艦「かが」にジェット機の噴出する高熱に耐えられるよう従来の対潜ヘリコプター用飛行甲板の改修などを施ほどこし「小型空母化」されることになっている(安倍政権時の防衛大綱改定、中期防衛整備計画で決定)。

注目すべきことは、元来、F35B戦闘機は米海兵隊専用の戦闘機、つまり敵国侵攻の先兵となる部隊用のもので、F35B搭載用の小型空母は海兵隊仕様のものとして米国では「強襲揚陸艦」と称され、その名の通り艦内には上陸用装甲車など海兵隊装備を積載できる攻撃用艦船(護衛艦ではない)だということだ。この強襲揚陸艦搭載のF35B戦闘機は海兵隊上陸地点の敵国の防御拠点をたたくもの、敵国侵攻(侵略)時、海兵隊の露払いとなる戦闘機だ。

つまり日本の自衛隊に米海兵隊同様のF35B飛行隊と小型空母が誕生するということだ。これに先月述べた日本版海兵隊、陸自・水陸機動団を加えれば、敵国侵攻用の攻撃部隊、「戦争のできる軍隊」に自衛隊が作り変えられるということ、これが一面トップ記事の裏に隠された意味だ。

もちろん現在の憲法9条下、専守防衛の日本では攻撃用部隊は持てない、だから尖閣など島(とう)嶼しょ地域の「離島防衛」などと「あくまで防衛」という口実をこじつけている。

F35B戦闘機搭載艦船ならジェット燃料タンクや空対地ミサイルなどの武器格納庫が必要で「対潜ヘリ護衛艦の小型空母化」は軍事技術的には不合理、その使用目的からして米海兵隊のように飛行甲板付きの強襲揚陸艦の建造が筋だと防衛専門家は言っている。にもかかわらずその筋違いの不合理をなぜやるのか? それは憲法9条の建前上、あくまで攻撃的な強襲揚陸艦ではなく「専守防衛の護衛艦ですよ」という形式主義をあえてとらざるをえないからだ。

重要なことは、米国の要請を受けて「抑止力強化(攻撃力強化)」と菅首相が所信表明演説で述べたことが国民的議論もなしに着々と実現に移されているということだ。

さらに言えば、これまでの自衛隊は「盾(たて)(防御)」、米軍は「矛(ほこ)(攻撃)」としてきた役割分担の境界線がなくなり、自衛隊が米軍と一体の「矛」になることを意味する。それは自衛隊が米軍の「矛」の一部になること、完全に米軍の傭兵部隊となることに他ならない。

以上のことが、空自にF35B飛行隊新設、その「小型空母化護衛艦と一体運用」に隠された意味だと思う。

なぜ、戦争と侵略を? (2)近代化が原因か?

赤木志郎 2021年4月20日

日本が侵略と戦争の道を歩んだことが「已む得なかった」理由の一つとして、「近代化と軍国化が不可分だった」という考え方がある。

「日本が東アジアの強国となり、清韓両国がその被害者となったのは、近代化の成否によるといっても過言ではあるまい。・・・近代化に一応成功した段階で、隣国を侵略したり征服したりしようとせず、国民生活を充実すれば理想的であるが、個人でも、国家でも、成功の限界を自覚することはなかなか容易でない。」(猪木正道「軍国日本の興亡」)。

近代化した国が侵略し、近代化できなかった国が征服されたとして、近代化がすなわち他国への侵略・征服になるのか、それはおかしい。

近代化とは、科学技術の革新と発展による現代化、文明化と同義とも言え、各国がめざす究極的な発展した社会の一つの目標であり、それ自体は他国への侵略や征服とは無関係なはずだ。

他国にたいする侵略や征服は、近代化により国力が強化されたとき、国力の増大を覇権に利用したからだ。近代化により侵略と戦争が已む得なかったというのは、強大になった国が他国を支配するのが当然であり、弱小国は強国に従うようになるのは当然なことだという覇権の考え方があるからだと思う。

それゆえ、近代化それ自体が侵略と戦争の原因ではなく、強国が弱小国を支配して当然だという覇権の考え方が侵略と戦争を引き起こすといえる。とくに西洋諸国の近代化は資本主義の発展と独占に基礎した帝国主義の形成にいたり、植民地獲得を生命とし地球上の国々をことごとく植民地にしていった。

国の大小、体制のいかんを問わず、それぞれの国にとって主権がもっとも貴重な生命といえるものだと思う。主権が侵されれば、その国の意思と要求どおりに国の政治をおこなっていくことができない。したがって、国の主権を守ることがその国にとって最高の利益であり、国の主権を犯す侵略とそれに屈する従属にたいし戦うことがもっとも高い祖国愛、人民愛の表れであり、正義だと思う。

しかし、今日でも強大国が覇権を狙うのは当然のことだということが通念となっている。

米国が中国にたいし強大化したことをもって中国が覇権を狙っていると非難するのは、強大国が覇権国家として他国を支配するのが当然だという考え方の裏返しだといえる。覇権を狙っているのかどうかは、実際の行動を見るべきだろう。ウイグル族問題、香港問題、南シナ海問題、尖閣列島問題などは中国の国内問題か国境問題であり、他国に軍隊を派遣していない。それに較べて米国は、世界各国に軍事基地を置き、東アジアにインド太平洋軍を展開し、米国に従わない国には制裁を加えている。どんな理由であれ他国に制裁、軍事的圧力、内政干渉など国の自主権を侵害する覇権こそが最大の犯罪だと思う。

強国が弱小国を支配しても構わない、仕方がない、当然のことだという覇権の考え方があるから侵略と戦争があるといえる。

日本政府のコロナ禍対応こそ人権侵害

若林佐喜子 2021年4月20日

人権を巡って中国などへの非難が高まっていますが、現在、世界的な大流行コロナ禍のなかで、自国民の生命と健康、安心・安全を守ること以上のものがあるでしょうか。

先日、西浦教授(厚生労働省医学対策アドバイザーメンバー)が、感染力の強い変異種の猛威やワクチン接種の遅れ、八月末までに高齢者ワクチン接種を終えるのも無理という現状を踏まえて、東京五輪一年延期の検討を提言しました。氏は「延期に伴う費用と感染者増を天秤にかけたとき、どちらが重いかは言うまでもない」と断言し、政府にコロナ禍対応を最優先させることを訴えています。それが多くの国民の気持ち、声だと思います。

しかし、この間の安倍、菅政権の対応は、国民の命と健康、暮らしを最優先に対応するのではなく、経済活動の優先の「ウイズコロナ」です。

そのため、感染症の防疫原則、検査、隔離、治療のための対応策、打開策をしっかりとってくるのではなく、原則を緩和する方向での対応でした。医療崩壊を口実にPCR検査の抑制、高齢者と持病持ちの方を守るとしながら医療資源の集中、効率化。入院隔離原則の基準を緩めての、宿泊療養、自宅療養の奨励。感染経路や濃厚接触をたどる「積極的疫学調査」の縮小と、列挙したら切りがありせん。

この結果が、累計感染者数が53万人を超え、死亡者が9646人(18日現在)。収束のめどどころか、現在、一日4千人台の感染者、第4波を招き、専門家からは緊急事態宣言の発令を要求する声がでています。

しかし、このような状況にあっても、菅首相の思考の最優先は、「東京五輪」の開催です。安倍政権下で1回目の緊急事態宣言の発令が遅れたのも「五輪」。今年に入り、国民の多くが心配するなかで、2回目緊急事態宣言の早期解除も、3月25日の聖火リレー出発式のため。菅首相は私的な思惑から「東日本大震災からの復興五輪、人類が新型コロナに打ち勝った証となる大会に」と、内外に示してきました。その「五輪」を一〇〇日前にして、三度目の緊急事態宣言だけはなんとしても避けたいというのが首相の本音。閣僚の一人は「重点措置をやって、やめての繰り返しでいい。それだったら五輪もできる」と、なんとも無責任な発言ですが、これが菅政権の実相です。憂慮をとおりこして怒りがわいてきます。

自国の国民の命と健康、安心・安全を守れず、むしろ感染拡大を増長させる人権侵害を行いながら、他国、特にコロナ禍抑えこみに成功している国々の人権問題を云々する資格は、日本政府にはないと思います。また、4月17日現在、56万人超というコロナ死亡者をだし、感染者数が3156万人の米国も同じではないでしょうか。

「覚悟」

小西隆裕 2021年4月5日

先日、麻生副総理兼財務相は、「『米ソ冷戦』のフロントライン(最前線)は欧州だった。しかし、今度(「米中新冷戦」)はアジア、日本だ」「今まで以上に目に見えるかたちで、日本の外交的地位が格段に上がった」と喜びながら、政治家の「覚悟」を促したという。

4月9日、訪米し、初の日米首脳会談に臨む菅首相を念頭に置いての言葉だと思うが、さすが失言癖のある麻生さん、今回も本音を、しかもうっかりではなく、意図的に口にしたようだ。

元来、政治とは覚悟を伴うものだ。覚悟を伴わない政治などないはずだ。

その上で問題は、何に覚悟を持つかだ。

今、日本の政治家に問われている覚悟でもっとも切実なことの一つは、麻生さんが言っているように、米国が日本をその最前線に押し立ててきている「米中新冷戦」を米国の要求に応えて担うべきか否かにあると思う。

その判断が正しいかどうか、正否を分ける基準は、当然のことながら、それが日本と日本国民にとってよいことか否か、すなわち国益に合っているか否かだ。

今、米国は、「大国間競争」「米中新冷戦」など、中国との覇権を巡る闘いを宣言しながら、香港、ウイグル、台湾、ミャンマーなど人権、強権問題を前面に押し出し、この闘いを民主主義と専制主義の闘いだと規定して、あたかも自らが民主主義の守護神であるかのように振る舞っている。

しかし、民主主義を掲げ、それを国々の上に置き、その総本山として米国が世界に覇権し君臨してきた時代はすでに終わっているのではないか。それは、人権蹂躙と強権が横行し、民主主義が踏みにじられている米国の惨状が何よりも雄弁に物語っていると思う。大統領選の不正を訴え、連邦議会を占拠したトランプ支持者たちの行動は、その象徴だと言えるのではないか。

今日、時代は、覇権国家が掲げる「理念」の下に各国が従い、それを自らの国益と考えさせられた時代ではない。それぞれの国が自国の国益を第一にし、そのために何が問われているか自分で考え自分の力で行動する時代だ。

今、日本において求められていること、それは、「米中新冷戦」の最前線に立つ「覚悟」ではない。何よりもまず、民主主義の名で米覇権のため、日本を中国との「冷戦」の矢面に立たせる米国の強要に抗し、それを拒否して闘う「覚悟」こそが求められているのではないだろうか。

「東日本大震災から10年」が問う、人、地方、国のあり方

魚本公博 2021年4月5日

東日本大震災から10年経った。その現状は「縮む沿岸部、膨らむ仙台」「仙台圏の一人勝ち」。仙台はタワーマンションの建設ラッシュ、大型商業施設が次々オープンするなど「ヒト・モノ・カネ」を飲み込んで膨張する反面、それ以外の地域は深刻な人口減や将来の消滅可能性に直面していると新聞は伝える。

政府は、これまで人口減、地方衰退を背景に「全ての地方は救えない」として、有力な都市に「ヒト・モノ・カネ」を集中する政策を採ってきた。「仙台の一人勝ち、他の衰退」もその結果である。

こうした地方政策に反対してきた論者に山下祐介氏(首都圏大学東京准教授)がいる。彼は、「ヒト・モノ・カネ」を集中するやり方は、新自由主義による「選択と集中」の考え方に基づくとしながら、地方は互いに有機的に結びついているのであり、弱い地域だからと言って、これを切り捨てるようなことをすれば、結局、地方全体が衰退し、国全体も衰退するしかないと見る。東北の事例で言えば、「仙台の一人勝ち」と他の地域の衰退は東北全体を衰退させ、それは東京に及び、ついには日本全体を衰退させるということだ。

そこから氏は「見捨ててよい地方・地域などない」として「多様なものの共生」による地方政策を説いてきた。

私も大いに触発されたが、新自由主義改革の流れの中で氏の主張はこれまで「孤軍奮闘」の感があった。こうした中、最近注目される人物が登場。その名はオードリー・タン。若干36歳にして台湾のIT担当相。デジタル技術を駆使して「コロナ封じ込め」に成功し世界的な脚光を浴びるデジタル界の英才。

タン氏はデジタル化において「一人も置き去りにしない」ことをモットーに「多様な人々が公共の決定に参加して衆知を集める」ことを重視する。デジタル化は、多くの人、その日々刻々と変化する膨大なビッグデータによって成り立つのであり人々との連携が多ければ多いほど効果を発揮するからであり、そのために「競争原理を捨てて公共の価値を生み出す」ことを求める。

「一人も置き去りにしない」「どんな地方・地域も見捨てない」。タン氏と山下氏の考え方には共通するものがある。孤軍奮闘の感あった山下氏の主張であるが、東日本大震災10年目の「仙台圏の一人勝ちと他の衰退」という現状。そしてデジタル化の進展は、「見捨てる」ことの間違いを如実に示している。

「一人も置き去りにしない」「どんな地方・地域も見捨てない」。どんな人にも価値がある、どんな地方にも価値がある。それを如何に結びつけるか。人と人のあり方、地方のあり方だけでなく、それを含めたトータルな国のあり方。連携・共同・共生を如何に深めるか。それが問われる時代なのだと思う。

千人計画に参加する日本の研究者への対応

森順子 2021年4月5日

「千人計画」を知っていますか。

「千人計画」は、科学技術強国を目指す中国が08年から実施されており、外国で活躍する研究者を国籍を問わず集める国家プロジェクトです。

日本政府は、千人計画に参加している日本の研究者44人に対して「研究者が資金をどこからもらい、何を研究しているのかについて説明責任を果たし研究を透明化していく」ということで資金源の開示義務を求めました。

まず、言いたいのは今はグローバルな時代、どこで誰が研究しようと自由なはずです。しかし、違法行為や情報の虚偽などは、言うまでもなく許されることではありません。

そのうえで、政府は、「海外への技術流出によって国益に反する事態が起きることを防ぐため」と言い、中国の千人計画の不透明な資金提供で日本の先端技術が盗まれかねない、また、千人計画の監視、規制を強化する米国に足並みをそろえる形で資金状況の開示をルール化したわけです。あたかも日本人研究者が不正を行うかのように「確信犯で悪いことをする人は、ウソを言うかもしれないが」とまで発言する科学技術相。そして、言われるままに米国についていく政府。米国だけを信じ、自国の研究者に対する疑いと不信から出発したこういうやり方が、果たして日本の国益と科学技術の発展になるのでしょうか。日本人として恥ずかしいことだと感じます。

何よりも、なぜ、優秀な日本人研究者が中国へ行くのかです。それは、中国の研究水準が上がっていることが大きいからです。

千人計画に参加している研究者は、「日本の研究者は少ない研究費の奪い合いで汲々としており、大学に残る人は減って、結果として日本の科学技術力が低下している」「研究職は中国の若い人にとって魅力的な職業だが、日本ではいつクビを切られるか分からないハイリスクな職業になっている」と、指摘しています。この事実は、政府が、科学技術発展のために重要な役割を果たすだけでなく日本の国益にも寄与できる人材である日本の研究者を追い出したのも同然であるということです。政府が米国について行こうが、日本の研究者を一律に叩いたとしても、自国の研究者を大切にしない日本政府であるなら、日本の科学技術研究の基盤の危機は解決できないと思います。

千人計画には、米国や欧州を中心に7千人を超える研究者が参加しています。日本が中国や米国のように、科学技術先進国を目指して出発するには、自国の研究者育成と職場の確保や研究環境の根本的改善が必須です。世界からも優秀な人材を招きたければ、やはり他国より見劣りする研究者の待遇の改善が先決であり、このような状況を作り出してこそ、千人計画に参加する日本の研究者も呼び戻すことができるのではないでしょうか。

新設「水陸機動団」、それは「9条平和国家」のあり方を変える部隊

若林盛亮 2021年3月20日

BS-NHKで「離島防衛のリアル」と題する陸自「水陸機動団」の1年間の猛訓練ぶりを放映。その「リアル」を伝える映像、それは「現実を直視しましょう」との視聴者、国民へのメッセージだった。

水陸機動団という日本式「名称」の部隊、これを米国では「海兵隊」と呼ぶ。一旦有事には真っ先に上陸侵攻する侵略の尖兵、戦時の「精鋭部隊」だ。

2018年初頭に新設され、長崎の佐世保基地を拠点にし、全国から選りすぐりの身体能力、「精神力」共に最精鋭3,000人、2個連隊が配属されている。

この番組最後のクライマックスは、米ロサンゼルス南に位置する海岸、上陸作戦訓練可能な演習場での米海兵隊との合同演習、これを陸自水陸機動団400名の部隊が行う場面。「この戦闘で死者、負傷者は何名である」までを数えあげる実戦さながらの演習場面、「戦場」をNHKは生々しい映像で流した。

このような水陸機動団=「海兵隊」を持ったのだという「日本の現実」をNHKは伝えた。これはいったい何を意味するのだろうか?

それは日本も敵攻撃を専門とする人的武力を持ったのだという事実、すなわち「専守防衛」、攻撃武力は持たないと規定した憲法9条とは相容れない事実、実質的改憲を先取りした武力がすでに存在するという「現実」を伝えたかったのではないか? 

もちろん日本政府は「陸自水陸機動団は尖閣諸島など『島嶼とうしょ防衛』部隊、だから『専守防衛』を任務とする部隊である」と説明することで、決して「違憲」部隊ではないと国民の目を欺いている。

一言でいって日本にも「海兵隊」がつくられたのだ。今日の安保法制によれば、現時点でも日本の陸自水陸機動団は米海兵隊の補助部隊ともなり、ひいては海兵隊の代役をさせられることになる。これは集団的自衛権行使が容認された結果だ。事はここに留まらない。

番組の最後をNHKはこんな言葉で締めくくった。「責任を現場に押しつけてはいけない」! 

これはどのようなメッセージなのだろう?

現在の自衛隊の武器使用は正当防衛時のみ、自分が撃たれる危険がある場合にのみ可能と定められている。憲法9条「専守防衛」だから先に手を出せない、正当防衛か否か、武器使用いかんは現場の指揮官の判断に任せることになっている。これは現場の指揮官にはかなりの重圧となる。

「現場に責任を押しつけてはいけない」とは、この現状は見直されるべきだというメッセージ。「現状の見直し」、それは「専守防衛」の足かせをとれということ、だから9条改憲で交戦能力、戦争能力保有を合法化すべきではないのか? これがNHK「水陸機動団」番組に隠された視聴者へのメッセージだ。

陸自水陸機動団保有、それは戦後日本の「9条平和国家」、いちおう形の上では日本は「戦争をやらない国」という建前、この国の形そのものを変えてしまうものだと思う。

なぜ、戦争と侵略を? (1)

赤木志郎 2021年3月20日

周知のように、戦前、すなわち明治、大正、昭和20年までの60年間、戦争につぐ戦争、侵略につぐ侵略の軍国主義の時代だった。

戦争については、それを描いた映画、小説、歴史書などで「戦時の興奮」を再現させたりするものと、終戦の日に多い戦争体験者の投書や書籍など「戦争の悲惨さ」を訴えるものがある。また、「戦争の経過」だけを記述した歴史書も多い。これらと異なり、「戦争の原因と教訓」を明らかにしようという書があまりない。

戦争と侵略の原因と教訓を明らかにしようとするのは、国と私たちの未来のために不可欠だからだ。原因を正しく解明し教訓をえてこそ、真の意味での平和国家を創っていくことができる。かつての戦争の悲惨さを嘆くだけでは、歳月とともに戦争の記憶が次第に風化させられていき、進歩と発展が何もないではなかろうか。

戦前の歴史を見ると、明治8年朝鮮の江華島を砲撃し日朝修交条規という不平等条約を強要したことから始まって、朝鮮の植民地化のために甲午農民戦争鎮圧、日清戦争、日ロ戦争。さらに第1次大戦のどさくさにまぎれた中国の青島占領と太平洋諸島のドイツ領占領、8年間のシベリア出兵、中国東北部を得るための満州事変、そして、廬溝橋事件と日中戦争の全面化、ソ連蒙古軍と衝突したノモハン事件、さらに対米戦争と東南アジア諸国植民地化、太平洋諸島の占領と突き進んだ。その結果、三百数十万人の戦没者と全国の焦土化、および千八百万人にも及ぶアジア諸国の犠牲者を出し、敗戦を迎えた。

なぜ、日本が広大な東アジア全域を占領しようとする戦争をひき起こしたのだろうか。

このことについて、「植民地にならず独立を維持するためには富国強兵によるしかなかった」「日本が自己の勢力圏を確立したからアジアで唯一、独立を維持し、経済発展も遂げることができた」「時代が、帝国主義列強が植民地を奪い合うのが当たり前の時代だった」とし、だから、「仕方がなかった」という見方がある。

それでは、アジア諸国を侵略したのは仕方がなかったということになり、侵略にたいする反省も生まれないし、教訓を得ることもできない。アジア諸国からの「侵略の反省と謝罪を」という声に聞き入れることは日本を悪者とする「自虐史観」になるとし、強く拒絶する。こうして、靖国神社参拝がおこなわれ、南京虐殺はなかった、従軍慰安婦は売春婦だったなどの発言が自民党、維新政治家から繰り返される。

「アジア諸国を侵略したのは仕方がなかった」という考え方の間違いを克服しないかぎり、民族史に教訓を得られず、日本のほんとうの誇りを取り戻せないし、正しい国の在り方にすることもできず、戦後、日本を米国の侵略基地にしたのを許し、今日にいたっては米国の手先となって再びアジア諸国を敵視し戦争に突入しかねない。

それゆえ、近代化と軍国化、戦争の目的、欧米との関係など幾つかの問題を検討し、戦前の日本の侵略と戦争の根本原因を探っていきたい。

3.11東日本大震災10年を迎えながら、怒りと憂慮を禁じ得ません

若林佐喜子 2021年3月20日

10年前の3月11日、事務所の衛星テレビに、押し寄せる大津波に車や家々が流されていく画面が映し出される。一体、日本で何が起きているのか? さらに、福島原発で爆発音が生じて白煙が立ちのぼり、緊張感が伝わって来る。ある通信社は「痛みも、悲しみもその大きさは計りしれない。でも、負けるわけにはいかない。」と、かつて経験したことがない厳しい状況、困難に必死に立ち向かおうとする日本の人々の思いを伝えていた。あれから10年・・。

大地震、津波、原発事故という三重苦により19747人の方が尊い命を失い、未だ行方不明者が2556人。ご遺族の皆様に心より哀悼の意を表します。

今なお、避難生活者が4万人、福島の一部地域は未だ帰宅困難区域。世界に例を見ない原発3機のメルトダウン事故、廃炉の対応、汚染水の対策は全く先が見えない状況です。

3・11に発令された原子力緊急事態宣言は今も解除されていない。帰宅困難区域のある方は、「一〇年は節目でもなんでもない。福島の現実を忘れないで欲しい」と訴えています。

菅政権は、震災を風化させてはならいと言いながら、やっていることは被災地の人々の思いを踏みにじることばかりです。

地元の漁業主や市議会が反対しているにもかかわらず、汚染水の海洋放出の機会をねらっています。特に、憂慮を禁じ得ないのは、菅政権の脱炭素化宣言をてこに国内で原発復権を目ざす動きが強まっていることです。

菅首相は、昨年の所信表明演説で、2050年カーボンニュートラル、脱炭素化社会の実現を宣言し、安全最優先で原子力エネルギー政策を進めることを表明。南海トラフ地震をはじめ大きな地震がいつおきても不思議でないと言われている日本で、「安全な原発」を一体、誰が保障し、誰が信じるというのでしょうか? 国民の8割は脱原発を望み、9割の人が危機感を持っていると言われています。

人々の生命と暮らし、安心、安全を守るのが国の責任と役割、政治の使命のはずです。

「復興五輪」で、フクシマ事故をなかったことにと目論んできた安倍・菅自民党政権ですが、現実は、コロナ禍対応の誤りとともに、その目論見は破綻を免れないようです。

3.11の日に、山本太郎代表・れいわ新選組は、原発即時廃止と同時に自然エネルギー発電を飛躍的に普及させるための国としての積極的な財政出動など盛り込んだ「あの日から10年」の談話を発表。「原発ゼロ、自然エネルギー推進連盟」主催でのコラボ企画、「原発事故から10年、エネルギーの未来を決めるのは誰か」など、様々な催しものが行われ、若者の参加、発言もありました。脱原発は押しとどめることのできない時代の流れ、人々の要求になっていると実感せずにはいられませんでした。そうであればあるほど、菅政権の脱炭素化を口実にしての原発推進の動きに心からの怒りと憂慮を禁じ得ません。

バイデン政権の正体

小西隆裕 2021年3月5日

「脱トランプ」を標榜するバイデン新政権の外交戦略で目立つのは、「国際協調」とともに「米中新冷戦」だ。

トランプ政権の継承であるこの「米中新冷戦」への執着が凄まじい。「アジア版NATO」であるクアッド構想や「クリーンネットワーク計画」など、中国を包囲、排除する作戦が展開され、米国に付くのか中国に付くのか、二者択一の選択を各国に迫る一方、「ウィグル」「香港」など人権問題、「ワクチン覇権」「電池覇権」など覇権問題、等々、中国敵視の宣伝攻勢が世界的範囲で繰り広げられている。

これは、「国際協調」とは裏腹の世界の「分断」であり、バイデン政権の言う「国際協調」とは親米派ブロック内での「協調」であり、「同盟」であるに過ぎない。

「協調」ではなく「分断」を追求するバイデン政権は、「トランプ」からの脱却ではなく「トランプ」の継承を追求する政権であり、世界の平和と友好ではなく、米覇権の建て直しのためでっち上げられた政権だと言うしかないと思う。

何故、国産ワクチンが出来ないのか、やろうとしないのか

魚本公博 2021年3月5日

日本でもワクチン接種が始まった。そこで起きている問題は、ワクチンが確保されていなこと。そのため、全国民への接種開始は6,7月にずれ込むなど、予定が大幅に遅れることが懸念される事態に。

そこで思うのは国産ワクチン。それがあれば、こんなことにはならない筈。国産ワクチン開発については、以前から疑問をもっていた。どの国も国家の緊急かつ重大事として取り組んでいるのに、日本は最初から米国のファイザーや英国のアストラゼネカなど外国産のワクチンを如何に確保するかばかり言って国産についてはほとんど言及されなかった。

元来、日本はワクチン先進国。これまで多くの優秀なワクチンを開発してきた。その日本が今や新型コロナ・ワクチンでは「周回遅れ」と言われる状況なのだ。

何故こうなってしまったのか。専門家が指摘するのは、ワクチン開発を「市場メカニズム」に任せていることにあると言う。すなわち,民間企業に任せる(民営化)、そうなれば儲からないことはやらないとなり、開発は遅れて当然だと。

そして言う。今回のような新型コロナ、更には、今後も確実に予想される新型ウィルスの脅威に対処するためには、「市場メカニズム」では不可能であり、「市場メカニズム」から訣別し国家的な体制を立てる必要性があると。すなわち、国がワクチン開発の戦略的方向を明示し、国家資金を投入し、生産されたワクチンを買い取り備蓄するなどの国家的対策が不可欠だと。

「市場メカニズム」とは、全てを市場(企業)に任せるという新自由主義。そして、これは国の役割を軽視・否定するグローバリズムを同伴する。国単位で考えるのではなくグローバルな視点で考える。すなわち「外」依存で「内」軽視の考え方。かくて日本は外国産ワクチン第一で、国産は二の次になっている。

ワクチン問題は、その是非を突きつけている。「外」に依存するのではなく、「内」なる国民の生命と生活を守る。それが国の役割であり、国が責任をもって「内」なる力を発揮させる、そうした国作りをしなければならないのではないかと。

先生の悩み相談室

森順子 2021年3月5日

「先生の相談室」という公立中学教員の悩み相談に答える記事を新聞で見ました。

Q、「新しい指導要綱が実施されるが新課程の指導法をどうやって身につけ対応すればよいのでしょうか」

A、「一つは自分自身が進んで勉強することが必要、二つ目は経験を聞いたり教員同士で検討したりして授業改善し指導法を高めていくことが大切です」

今回の指導要綱は、これまでのようにただ暗記させテストに備えるような授業から「主体

的、対話的で深い学び」の視点での授業が求められるので、教員の指導力や実力もより問

われこのような悩みを抱えている先生は多いようです。

この相談は、決して単なる一個人の先生の悩み相談ではなく、新しい教育の形が求められ

る日本の教育のあり方としてあると思います。ですが、国や教育機関、行政や学校では、

現場の先生の疑問や問題の解決に対応していく対策があるのでしょうか。なぜなら一般新

聞に相談したこと自体、先生たちの行き場がない現実を示しているように思うからです。

そして、教育関係者の答は自分で学ぶことが必要だということ。すなわち、自助努力、自

己責任で頑張りなさいということですが、こういう回答をしている限り悩みを抱える先生

は増えていくのではないでしょうか。

このように今、自分の指導力の不足に悩む教員だけではなく、長時間労働、父兄との関係、

孤立した環境などで、心の病をかかえ、休職や職場を離れる教員も多いと言います。

教員の人気がなくブラック職場とまで呼ばれるようになった要因は、「教員は崇高な使命を

もつ」この美辞麗句で政府が教員を縛り、自己責任だけを強いてきた結果だと思います。

そのため、教員としてのやりがいをもてず、教員として大切にされない教育環境に置かれ

ているのが先生たちの現状です。しかし、相談者のように悩みながらも頑張ろうとする先

生がいるから日本の教育は、それでも成り立っているのだとも思います。

教育の実践者である教員が、その役割を果たすことができないなら、教員自身の質も、生

徒の実力も、教育自体の質も落ち、しまいには、国の未来や発展さえも望めないようにな

る深刻なことだと言えます。

何よりも、教員が崇高な使命をもって、その役割を果たせるようにすることが、国家が一

番に行うことだと思います。そのためには教員の役割を重視し高める対策と教育環境を改

善し整え保障することだと思います。また、「教員軽視は教育軽視」という観点が必要です。

日本では、先生たちの不祥事問題が取り上げられますが、教員という職業は重視すべきで

あり、尊重し対応する風潮を社会的につくっていくことは、国と社会にとって、とても重

要なことだと思います。

*アジアの内の日本の過去の投稿は
http://www.yodogo-nihonjinmura.com/gigironron/
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