アジアの内の日本

エマニュエル駐日米大使の脚本演出「政権変容」-「自民党オウンゴール」脚色はできたけれど

若林盛亮 2024年11月5日

■「自民党オウンゴール」でなんとか「自公過半数割れ」演出
10月5日のこの欄で私はこの秋の政局が、自公過半数割れで与野党大連合政権という政権変容が実現する、それはエマニュエル駐日米大使の脚本演出によるもの、すなわち日米同盟が攻守同盟に変容する「日米同盟新時代」を推進する政権変容を要求するのが米国だからだと書いた。

なぜ「政権変容」が必要なのか?

日米同盟新時代というのは日米同盟の攻守同盟への変容、具体的には対中・代理“核”戦争のできる日本にすること、「国際秩序を護る」ために日本の自衛隊も「矛」の役割を担うこと、攻撃能力、それも核戦争能力を持つことを可能にすることだ。そのためには「専守防衛」に限定した憲法9条、特に第二項の改訂、また最低限「核持ち込み容認」が必要だ。しかしながら「憲法9条改憲」、「非核の国是放棄」を日本国民に受け容れさせることは容易ではない。国民に不人気のいまの自公政権では不可能。

そこで登場したのが橋下徹「政権変容論」-「(野党一本化で総選挙で自公に勝った)野党側が石破氏など国民的人気のある自民党有力者を総理に担いで与野党合同とも言える政権への変容を実現する」-この「政権変容」劇によって、国会内で与野党一致の挙国一致政治を実現する。

これがエマニュエル駐日米大使の脚本だった。ところが肝心の野党一本化が馬場・維新の反対などでできず「自公過半数維持は可能」という情況になった、ここで脚本の脚色、書き換えによる「自民党オウンゴール」劇が演出された。

その脚色の内容は、周知のように石破首相の突然の「変節」と言われた「持論を引っ込め昔の自民に戻った」ような発言のブレ、そして極めつけは識者でさえ「なんでこんなことをやるのか理解に苦しむ」ような「裏金問題の自民党非公認候補への2,000万円交付金一律支給」という「石破茂の裏切り」は国民を激怒させ自民大敗、自公過半数割れの「大政変劇」実現となった。

このように「自民党のオウンゴール」劇に脚色することによってエマニュエル脚本演出の「政権変容緒」劇はなんとか形を整えた。

でもこれは前途洋々の「政権変容」劇にならないだろう。

■「戦後3番目に低い投票率」-国民は冷めた眼で「挙国一致国会政治」を見る
少数与党の石破政権は「野党の政策も取り入れていく」事実上の「与野党大連合政権」実現を約束した。立憲・野田代表も国民・玉木委員長も「政策で一致できるところは与党に協力、国政に空白をつくってはならない」と明言、挙国一致「国会」を約束している。

これからの政治は「政権変容」の挙国一致政権下でエマニュエル駐日米大使の言う日米同盟の「変容」、「日米同盟新時代」実現に向かうだろう。

その「変容」は日米同盟の攻守同盟化、日本の対中・代理“核”戦争国化、そのための9条第二項「交戦権否認、戦力不保持」削除、及び「核持ち込み容認」「核共有」実現だ。これは石破首相の持論だし、野田立憲も玉木国民も馬場維新も「日米関係を損なってはならない」と賛成するだろう。それは岸田国賓訪米時の誓約、「米国は助けもなくたったひとりで国際秩序を守ることを強いられる理由はありません」「日本が最も近い米国の同盟国としての役割をどれほど真剣に受けとめているかを知っていただきたい」の実現だ。

でもこの「政権変容」劇には誤算もある。「自民の異端児、石破」、「与党追求の論戦に強い立憲・野田」という与野党の「顔のすげ替え」で国民的人気を煽り秋の政変劇を「国民的関心の高いものにする」という目論見は崩れた。それを示すのが「戦後3番目に低い投票率」53.2%の数字だ。

脚色した「自民党のオウンゴール」劇によって「国民的人気の石破茂」は地に落ちたヒーローとなり、野党一本化を実現できなかった野田・立憲民主党に国民的人気は「50議席増」とはいえはさほど集まらなかった。

これから正念場を迎える9条改憲、非核の放棄を決める「挙国一致の国会政治」を国民は冷めた眼で見るだろう。

今回の選挙で4倍増、3倍増の国民民主、れいわは国民生活に寄り添った経済政策を打ち出すことで国民、特に若者の熱い支持を得た。9条改憲、非核の放棄という国民生活を危機に陥れる安保外交政策が議論される国会で真に「救民、救国」を実感できる安保外交政策を提示できる政治勢力が出ればエマニュエル脚色の「政権変容」劇は必ず覆されるはずだ。

米大統領選の混迷に象徴される「米中心の国際秩序」瓦解は誰の目にも見えるものになっている。こんな「国際秩序を護る」ための代理“核”戦争国化になることを心では良しとしない政治家、政治勢力は必ずいるはずだ。簡単ではないけれど必ず新しい政治勢力は出てくると信じたい。


多極化をめざす巨大な第一歩―BRICSプラス首脳会議

赤木志郎 2024年11月5日

10月22日から3日間、ロシアのカザンにてロシアをはじめ9カ国の首脳会議に20カ国の首脳級と36カ国と6つの国際機関の代表団が参加し、30カ国超がBRICSへの参加を表明した。 BRICSは当初、5カ国(ロシア、中国、インド、ブラジル、南アフリカ)で発足し、今年1月に4カ国(イラン、エジプト、エチオピア、アラブ首長国連邦の4カ国が加盟し、9カ国の拡大BRICSとなった。拡大BRICSは人口でG7の7,8億人にたいし35、9億人で世界人口の44,8%を占め、経済成長率ではG7の1,7%にたいし平均4%であり、世界全体の3,2%を上回っている。国内総生産(GDP)ではG7の世界の4割にたいしBRICSは3割と肉薄している。そして、食料、エネルギー、原料の大半を占めている。まぎれもなく大きな影響力をもつ国際機構だ。

そのうえ今回の首脳会議で新たに「パートナー国」を創設し、これにトルコ、タイ、インドネシア、アルジェリア、ベラルーシ、キューバ、ボリビア、マレーシア、ウズベキスタン、カザフスタン、ベトナム、ナイジェリアなど13カ国が合意した。BRICSプラスは22カ国となった。

これにたいし、マスコミは「孤立したロシアが欧米の対抗軸を作ろうとしているが無理だ。価値観の異なる単なる協議体で何も決められない」と揶揄するのに懸命だ。

柯隆東京財団政策研究所主席研究員は、「価値観の共有がなく、経済利益の共有を前提に36か国も集まっているとすれば、この集まりはアメリカを中心とする民主主義陣営に対抗できない。結局のところ、BRICSの主役は中ロだが、ロシアはウクライナ戦争に拗れており、中国は改革の遅れと間違った経済政策により経済が大きく落ち込んでいる。結束力なき集まりは烏合の衆になる」と述べている。これが欧米の大方の考え方だろう。それは覇権を望まない世界各国の潮流を見ることが出来ないことを示している。また、BRICS会議でロシアが孤立していないことを示そうとしたというが、そもそもロシアは孤立していない。G7の対ロシア孤立化策動はすでに破綻して久しい。

 G7に代表される欧米の覇権勢力は、「自由と民主主義」という価値観にもとづき新自由主義とグローバリズムで世界各国を支配しようとしてきた。BRICSはそれとは逆に多様な価値観を認め、各国の主権を尊重し守り、協力しながら発展を遂げようというものだ。そこには支配―被支配の関係は生まれない。BRICSの優位性はまさにここにあると思う。G7でのもとでは内政干渉により各国の自由な発展がないが、BRICSでは各国の各者各様自由な発展の展望が保証されている。

G7は世界の一極支配の維持に腐心しているが、BRICSは中ロ首脳会談で明らかにされたように世界の多極化をめざしている。何も欧米に対抗するもう一つの覇権機構をつくろうとしているのではない。多極化は事実上、極のない世界であり、各国が自国の利益を守り実現していける自国第一主義の世界だ。

BRICS首脳が23日採択した「カザン宣言」では、ロシアなど一部加盟国に科された制裁の撤廃を求めたほか、BRICS穀物取引所や越境決済システムなど基本合意された共同プロジェクトが示された。プーチン氏は会議で「BRICS諸国は世界有数の穀物、豆類、油糧種子の生産国であることから、BRICS穀物取引所の開設を提案した」と説明。この取引所は「食料安全保障の確保という特別な役割を考慮すれば、製品や原材料の公正で予測可能な価格指標の形成に貢献する」と述べた。取引対象はいずれ原油やガス、金属などに拡大する可能性があるという。

また、今回のBRICS首脳会議の前に、中国とインドの首脳が会談し国境をめぐる紛争の解決を追求する方向を打ち出したことが大きい。懸案の問題を話し合いで解決するのがBRICSの精神だといえる。

BRICSの拡大発展は確定的であり、世界の多極化、すなわち反覇権、脱覇権の流れが大きな潮流として席巻していくのは間違いがない。


ベストセラー、「カマラ・ハリスの業績」

小西隆裕 2024年10月20日

今、アメリカで「カマラ・ハリスの業績」という本がベストセラーだそうだ。通販サイト「アマゾン」でベストセラーのトップ20位に入っているという。

この本、11月の大統領選でハリス氏を支持すると唱いながら、191ページの大半は白紙だそうだ。序文や章立てはあるが、「経済政策」「教育」「外交」など各章は白紙ばかりだという。

この本が政治的ユーモア部門でトップになり、ベストセラーになったのには、「ハリスに業績がないと言いたかった」という著者のジェーソン・トゥーダッシュ氏自身、驚いているらしい。だが、端で見ているわれわれは十分に納得だ。

しかしそれにしても、ハリスのような人物を大統領に仕立て上げようとしている米覇権中枢、エスタブリッシュメントたちは、一体どういう了見なのだ。この様な「白紙」の人物だからこそ、彼らの思うままに操れるということなのか。それとも、彼ら自身、「白紙」だから、何か業績があり、自分なりの路線、政策を持っているような人物であってはまずいということなのか。ウクライナ戦争「新段階」への突入に、「進むも地獄、退くも地獄」、方針なしの彼らを見ていると、どうやら後者の方ではないかとも思われてくる。


総選挙で争点とすべきものは何だったのか

魚本公博 2024年10月20日

■今、国民に信を問うべきは、「日米同盟新時代」路線
石破政権は、国民に信を問うとして、今回の解散総選挙を実施したが、今、信を問うべきは、何よりも「日米同盟新時代」についてではないだろうか。

何故なら「日米同盟新時代」は日本と日本国民の運命を決定付ける最重大問題だからだ。

岸田前政権は、一昨年の訪米で、中国との軍事対決のための軍事費拡大、敵基地攻撃能力保持を米国に約束した。その額は5年間で43兆円とされているが、ミサイル開発などで70兆円は必要だとか、さらにかさむ可能性があるなどと言われる膨大な額である。

そのために岸田首相自身が「増税メガネ」と揶揄される増税、社会保障費の負担増が行われ、更には社会保障・福祉・教育・学術・文化分野での予算削減、地方交付税の削減などが進められ、国民生活を直撃している。

そして、今年4月の訪米で岸田前首相は、「日米同盟新時代」を高らかに謳いあげた。それは、ジャパン・ハンドラーであるアーミテージが述べた「同盟としての統合」に応じて、米軍の指揮下に自衛隊を統合し戦争することを約束したものとなる。

戦争しない国から戦争する国への転換という明白な平和憲法違反。それは国民の「命と暮らし」を最大の危機に陥れるものである。そうしたものを国会の審議もなく、勝手に米国と約束したのである。

そうであれば、岸田政権を引き継いだ石破政権が信を問うべきは、何よりもこの「日米同盟新時代」を巡ってのものでなければならず、選挙戦では、それが争点にされなくてはならないだろう。

■「裏金問題」が争点にされている
しかし、今回の総選挙で争点にされているのは、「裏金問題」である。

石破政権は「ルールを守る」として、「裏金議員」を自民党公認から外すなどの対応をし、野党各派も「裏金問題」で自民を追及している。そしてマスコミもそこに焦点を合わせた報道をしている。

元々、「裏金問題」は、東京地検特捜部が摘発して始まったものだ。55年の造船疑惑を契機に「大悪を暴く」として作られた地検特捜部の裏に米国があることは政界では常識である。従って地検特捜部が動くときには、米国は何を狙っているのかを見なければならない。

米国は何を狙っているのか。そこで注目すべきは、維新の橋下徹氏が著した「政権変容論」である。その要旨は「国民は・・・野党側が石破氏など国民的に人気のある自民党有力者を総理に担いで与野党合同ともいえる政権への変容を実現するのを求めている」というもの。

それは戦前のような戦争のための「挙国一致内閣」、「大政翼賛体制」に他ならない。

ここで注意しなければならないのは、この「変容」なる言葉は、米国のエマニュエル駐日大使が述べた言葉であるということだ。

今回の総選挙で「裏金問題」が争点にされているのは裏で米国が糸を引き、「日米同盟新時代」から目をそらせるだけでなく、それをもって、これまでの自民党独裁の古い政治体制を解体し、与野党が一体になった挙国一致、大政翼賛政治を実現させようということではないだろうか。そして、それは「日米同盟新時代」路線と一体のものとしてある。

■タブー
これほど重大な問題である「日米同盟新時代」を誰も問題にしようとはしない。自民は勿論、それを批判すべき野党も、マスコミもそれに触れようとはしない。

彼らにとって、「日米同盟新時代」に触れることはタブーなのだ。

米国覇権政治の下で生きるしかない日本にとって、米国に楯突くことは出来ないし、許されないことなのだ。楯突けば、「抹殺される」(政治的にも肉体的にも)。その例は、日本の戦後政治史に無数にある。

石破氏も、その著書「保守政治家 石破茂」の中で、田中角栄がロッキード問題で失脚したことを、「米国からの自立を図ったことが、米国の逆鱗に触れたから、という見方もありますが」と述べ、米国に楯突けば「抹殺される」ことを暗に認めている。

今回の総選挙では、「日米同盟新時代」は争点にされなかった。しかし、いずれこの問題は日時が経つほどに深刻さを増していく。

与野党共に、「日米同盟新時代」を争点にすることを避けるのであれば、主権者である国民がこれを争点にするしかないのではないだろうか。


エマニュエル駐日米大使の脚本、演出-石破・野田挙国一致政権誕生へ

若林盛亮 2024年10月5日

■推定-秋の政局の脚本、演出はエマニュエル駐日米大使
毎日新聞は28、29の両日、全国世論調査を実施した。自民党の石破茂総裁に期待するか尋ねたところ、「期待する」が52%で、「期待しない」(30%)を上回った。また同調査では、立憲民主党の野田佳彦代表に期待するかを尋ねたところ、「期待する」は49%で、「期待しない」(33%)を上回った。

つまり今回の自民総裁選と立憲代表選の結果は、多くの国民的支持を得るものだったことを示している。特に石破氏の場合は、元来「反自民」のリベラル、さらには左翼と言われる人たちの間からさえ「高市早苗でなく石破茂でよかった」という声が聞こえるほどだ。
この結果が私にはとても危険なことに思える。

石破氏と野田氏は「二人の間にはほとんど意見の相違がない」と言われるほど「気脈を通じる関係」にある。だからこの二人の「気脈を通じる関係」から与野党挙国一致政権が生まれるとほぼ確信、危惧している。

その挙国一致政権が4月の国賓訪米で岸田首相が米国に誓約した「日米同盟新時代」、特に「国際秩序を護る」戦争(対中戦争)を米国一人に任せるのはなく、「最も近い同盟国」日本が「国際秩序を力で変更しようとする修正主義勢力」中国との戦争を担う国になる、このことを推進する政権となることを確信するからだ。この「日米同盟新時代」の米国の要求を非戦非核を国是としている国民に迫るのは簡単ではない、だから「国民的人気のある」挙国一致政権体制を整えることが先決問題になる。だから石破総裁、野田代表への「国民的人気」が集まることを危惧する。

「日米同盟新時代」の要求は今回の総裁選、代表選でまったく争点にならなかった、いや「争点から外した」。もしこれを争点にしたら石破氏も野田氏も国民からそっぽを向かれただろう。この意図的な「争点隠し」にこそこの秋の政局の危険性が示されていると思う。
私はこの石破・野田挙国一致政権誕生への布石たるこの秋の政局の脚本、演出は米国、具体的には日本の現場を指揮するエマニュエル駐日米大使だと確信的に推定している。
以下はその確信的推定の根拠だ。

■エマニュエル「日米同盟関係の変容論」と橋下徹「政権変容論」
秋の政局が動き出した7月中旬、橋下徹「政権変容論」が突如として世に出て、いまマスコミ、言論界の反響を呼んでいる。

この基本趣旨は「国民はいま政権担当能力のない野党に政権交代など望んでいない、望んでいるのは“政権変容”だ」とし、その“政権変容”とは「(総選挙で勝った)野党側が石破氏など国民的人気のある自民党有力者を総理に担いで与野党合同とも言える政権への変容を実現する」というまさに与野党合同「挙国一致」とも言える政権構想だ。

この挙国一致政権のめざすもの、それは上記、「日米同盟新時代」体制、「国際秩序を護る」対中戦争のできる日本へとわが国の政治を変容することだ。

橋下徹氏は「変容という言葉は私が考えた造語だ」と語っているが、そうではないだろう。すでに「変容」について語っていた人物がある。それがエマニュエル駐日米大使だ。

岸田国賓訪米、日米首脳会談に先立つ4月4日、エマニュエル駐日米大使は今回の首脳会談が「一つの時代が終わり、新たな時代が始まる日米関係の重大な変容を示すものとなる」趣旨の論文を「ウオールストリートジャナル」誌に発表した。

「一つの時代が終わり、新たな時代が始まる」「日米関係の重大な変容」、それは日米安保同盟が従来の「片務的関係」から「双務的関係」に、「米国は日本のために戦争する義務があるが、(9条憲法下の)日本には米国のために戦争する義務はない」から「日本も米国のために戦争をする義務を負う」という日米安保の攻守同盟化に変容させる、ここに「日米関係の重大な変容」の本質がある。

橋下徹の「政権変容論」は単にエマニュエル大使から言葉を借りただけでのものではない。エマニュエル大使の言う「日米関係の重大な変容」となる政治、「日米同盟新時代」の政治体制を築くための「政治変容論」だと見るのが正しいと思う。

■出来レースの自民総裁選・立憲代表選
この秋の政局で「政権変容」を実現する。その推進主体に選ばれた政治家が石破氏と野田氏だ。

自民党安倍派の「パーティ券・裏金問題」で東京地検特捜部が動き、これが自民党の金権体質問題となり支持率急落の岸田首相が秋の総裁選出馬も危うくなった5月頃から「次期総裁有力候補」として石破茂の名前が浮上し始めた。

5月21日、TBS報道番組「1930」に出演した石破氏は自身の国家観をこう述べた。「主権独立国家」だと、そのうえで日本が主権独立国家に近づくうえで問題は「憲法9条だ」ということを強調した。その内容については語るのを避けたが、石破氏が「憲法9条第二項、交戦権否認・戦力不保持」削除論者であることは衆知の事実だ。明言を避けたのは、これを声高に言うと「国民的人気」に支障を来すからだ。

そして6月にはフジTV「プライム・ニュース」に石破氏と野田氏が登場、秋の政局について語った。その真髄は、9月の自民総裁選と立憲代表選を同時期にぶつけ国民の関心を呼ぶものにするというもので、政治評論家の後藤謙次氏は「すごいアイデア」と誉め称えた。

この後の事態の展開は「すごいアイデア」を立証するものだった。
9月初めにまず立憲代表選を若手ホープの吉田照美氏を交えた話題性あるものにしながら代表選結果は野田代表に決まったが、これを受けた自民総裁選は「誰が野田代表とやり合えるのか」を基準に総裁を選ぶという構図になった。当然、首相経験を持ち論戦上手の野田氏に対抗できるのは石破氏しかないという流れができた。

こうしてみると最初から仕組まれた「出来レースの自民総裁選、立憲代表選」というのが見えてくる。

■「野党からも学ぶ」石破と「党派を超えて一致するものは一致」の野田
石破・野田という与野党党首の実現によって「政権変容」の形は整った。
「野党からも学ぶ」と言う石破氏、そして「党派を超えて一致するものは一致させる」野田氏ならそれは可能だ。

橋下徹「政権変容論」の真髄、「(総選挙で勝った)野党側が石破氏など国民的人気のある自民党有力者を総理に担いで与野党合同とも言える政権への変容を実現する」条件は準備万端、整ったと言える。

これが「日米同盟新時代」推進政権になる条件は揃っている。
「日米同盟新時代」の要求は、「国際秩序を護る」対中戦争体制づくりだが、米国の基本要求は「日本列島を中距離“核”ミサイル基地化すること」であり、これを自衛隊新設のスタンドオフ・ミサイル(中距離ミサル)部隊が担うことだ。

このためには「憲法9条改憲(特に第二項削除)」と非核の国是放棄が必須課題となる。
石破氏は総裁選時に「日米核共有」を主張、有事には米軍の核で自衛隊の“核”武装を可能にすることに道を開いた。当然ながら彼は「核持ち込み容認」論者だ。すなわち非核の国是放棄も容易にできる人物だ。

「9条第二項改憲」については、フジTV「プライム・ニュース」で、これを国民投票にかけるには「長い時間がかかる」という認識を示し、安全保障基本法を国会で審議、採決していくという方法で解決していけばよいと述べた。これは無理に9条第二項改憲をせずとも「交戦権の容認、戦力の保持」は安全保障基本法に盛り込み、その国会承認でできるという方策を示したものだと言えるだろう。安全保障基本法の国会承認による改憲なしの「実質改憲」策だ。

他方、野田氏は外交安保政策は現状のもの(岸田政権のそれ)を維持、集団的自衛権を認めた安保法制を「違憲」としながらも是認することを今回、表明した。

この野田氏の言動が石破式「9条改憲」と「非核の放棄」も認めることになるのは明らかだろう。

事態は、エマニュエル駐日米大使の脚本、演出通りに一見、「順調に」進んでいる。
しかし自民総裁選の第一回投票で大方の予想(石破勝利)を覆し、高市早苗氏が勝利した。これに慌てた岸田首相は旧「岸田派」国会議員票「41」を石破に振り向け、決選投票でなんとか石破総裁実現にこぎ着けた。この一事で自民党内は「反石破」と石破支持に二分されたこと、そして「反石破」があなどれない勢力であることが世間に公になった。

これは希望的観測だが、自民党内の「反石破」グループが隠然たる「日米同盟新時代」に危機感を持つ勢力だとすれば、来る総選挙において、なんらかの形で「日米同盟新時代」推進か否かを争点にすれば、これら「反石破」自民党内勢力も取り込んで「政権変容」ではなく「政権交代」をめざすことも簡単ではないけれど、まんざら不可能ではないかもしれない。

10月27日投開票の総選挙が石破・野田「挙国一致政権」を許さない闘いになること、エマニュエルの脚本、演出の「政権変容」劇が破綻することをただただ祈っている。


独裁国と民主主義国を考える-災害への対応を見て

赤木志郎 2024年10月5日

朝鮮は日本では独裁国と呼ばれている。そして日本を民主主義国と自称している。ここで災害における日本と朝鮮での対応を考えてみたい。

周知のように、今回能登半島に集中豪雨が襲い10余名の命を奪いさり、住宅、道路を破壊した。孤立した集落がいくつもあり、停電、断水などのインフラが麻痺に陥っている。300名余りの犠牲者を出した1月の能登半島震災の被害から復旧しようと努力しているときに無慈悲な追い打ちだ。果たして天が能登半島を見捨てたのだろうか。そうではないだろう。震災以後9ヶ月も経ちながら、国がなんの役割も果たしていないところに根本原因がある。

しかし、隣国である朝鮮では8月の大雨で堤防が決壊し、8千名余りの人々が家を一瞬に失ったけれど、すぐにヘリコプターで全員が救助され、数万人の建設者が動員され復旧に着手し、被災民のうち子供、高齢者など1万名あまりが平壌に収容され、教育と治療を受けている。朝鮮ではこの災害を契機に全国で強固な防災体制を築いていっている。つまり、国民を国の源とし、国家あげての災害救助に取り組んでいるからだ。

国民を守る朝鮮が独裁国で、国民を見捨てる日本が民主主義国なのか考えるべきではないだろうか。民主主義であるかどうか、その基準は国民が国の主人として尊重されているかどうかにあると思う。国家は主人である国民の生命と財産を守ることが使命ではないか。

その基準に照らせば、朝鮮は人民大衆をもっとも貴ぶ人民第一の国であり、それこそ、民を主人としている民主主義国といえると思う。アメリカと特権階級の利益を最優先させ国民の生命を軽視され、国民が国の主人として尊重されていない日本が果たして民主主義国なのだろうか。


総選挙の争点を問う

小西隆裕 2024年9月20日

自民党総裁選、立民党代表選、そして、その結果としておそらくあるだろう総選挙と、今秋は選挙の季節だ。

最初の二つは、半分以上できレースのお祭りだ。しかし、最後の総選挙はそうさせてはならない。そうさせたら、日本は終わりだ。

そうさせないために重要なのは、争点を正しく定めることではないか。

このところ日本の選挙には争点らしい争点がない。争点のない「大政翼賛選挙」が続いている。選挙の投票率が史上最低を更新し続けているのも多分にそのためではないか。選挙をする意味がない。選挙をやっても、同じことだ。世の中は変わらない、よくならないと言うことだ。だから、投票率の底無しの低落は必然だった。

しかし、今度の総選挙はそういう選挙にしてはならない。与野党に任せた争点のない大政翼賛選挙を許せば、世の中変わらないなどと言っていられない。米国の都合に合わせ、日本を決定的に変えられてしまう。

今年の4月、岸田首相は、米国に行って、国会での審議を経ることもなく、「日米同盟新時代」を決めてきた。それによると日本は、米国とともに戦争する国になることになっている。完全な憲法違反、九条違反ではないか。

自民党も立民党も、今回の総裁選、代表選で、何よりも「日米同盟新時代」をこそ問題にすべきだった。だが、どちらの党もしなかった。問題にするどころか、それに触れようともしなかった。

だから、こんな与野党に総選挙を任せる訳には行かない。

こう言う時は、国民が直接、総選挙にその争点を持ち込むしかないのではないか。

何よりもまず、「日米同盟新時代」を問題にし、この「新時代」にあって日本が米国とともに戦争する国になっているのを問題にすることだ。その上で、それが憲法違反、九条違反であることを問題にしながら、「日米同盟新時代」の政治を実際にやるか否かは、国民の憲法九条第二項への賛否を確認してからにすべきだ、それが民主主義国家、日本における当然の事の運び方ではないのかと問題を提起するようにすることだと思う。

そのためには、日本を戦争する国にするのか否か、憲法九条を護るのか否かを争点に総選挙が行われるようにすることだと思う。

そうなった時、国民の過半数以上が「護る」を支持し、それを提起した「国民」に投票するのは明らかだと思う。

米中新冷戦が深まる中、日本が対中対決の戦争の最前線、その矢面に立つことを要求してくる米国に対し、「憲法」を武器にそれを拒否する「国民」による直接的な政治が今ほど切実に求められている時はないのではないだろうか。

今回の総選挙がそのための出発点になるのか、それとも逆に、与野党合同の「挙国一致政権=大政翼賛政権」をつくり、日本が対中戦争最前線、代理戦争へ出ていく出発点になるのかが今、切実に問われているのではないだろうか。


進む対中戦争準備

魚本公博 2024年9月20日

4月訪米で岸田首相は、日本国会での何の審議も決定も無く、米国に言われたままに、「日米同盟新時代」を謳い上げた。それは、「これまで米国は独力で国際秩序維持してきたが、米国は独りではない。日本は米国と肩を組んで立ち上がる」(米議会での演説)というものであり、米国覇権維持・回復のための米中新冷戦の下、日本が対中対決・対中戦争の最前線に立つという決意表明に他ならない。

■「いつの間にか」
事実、今、中国との軍事対決、戦争準備が急速に進められている。

こうした事態を前に、これを告発する言説を多く目にするようになった。

白井聡氏の「日本はいつの間に米国のミサイル基地になったのか」、布施祐二氏の「従属の代償、日米軍事一体化の真実」と題する本などである。布施氏はSNS上で「戦慄すべき、日本の末路」などの論も展開している。

その概要を「現代ビジネス」SNS版が報じていたが、それを見ると、今、自衛隊は中国と軍事的に対決する「南西シフト」を敷き、そこにミサイル基地を建設しており、それが「いつの間にか」行われているというものである。とりわけ「南西シフト」の最前線である石垣島が「美しきリゾート地」から「ミサイル要塞基地」に変貌していると指摘する。

昨年10月には、大分県の湯布院町に「第二特化団」が新設され、その本部が置かれた。この本部が沖縄・九州のミサイル基地の司令部になる。そして、大分市には、このミサイルを格納する大型の地下格納庫が2棟建設されている。

22年12月に策定された「防衛力整備計画」に盛られた全国130カ所の弾薬庫整備も進んでいる。それらは全てミサイル保管仕様になっている。

政府は全国38の空港・港湾を「特定利用空港・港湾」に指定し、3月には、その第一弾として7道県の16の空港・港湾の整備が始まった。これも有事には、ミサイル運搬と運用機材・要員の運搬基地になる。

こうして「いつの間にか」、石垣島だけでなく、全国がミサイル基地化されていっている。

■当然の帰結
「いつの間にか」ではあるが、その裏に米国の意図的な動きがあることを見逃してならない。「日米経済を統合する」と言い放って就任したエマニュエル駐日大使が、その先頭に立っている。

この4月、彼は沖縄駐留米軍の最高司令官を伴って、与那国島、石垣島を訪れ自衛隊基地を視察した。石垣島がミサイル基地化された裏に米国がいるのは明らかである。

「全国のミサイル基地化」、それは「日米基軸」、「日米同盟新時代」の当然の帰結である。

7月28日に開催された「2+2」(日米の防衛・外務責任者)では、在日米軍司令部を「統合軍司令部」として再編し、来春、発足させる自衛隊の統合作戦司令部との連携を強化することが合意された。

ミサイルは敵基地攻撃のためのものであるが、その標的に関する情報は米国に依存せざるをえないのが実態(朝日新聞)」なのであり、自衛隊のミサイル基地は、米軍の指揮下で運営され、その発射ボタンは、実質的に米軍が握ることになる。

■国民の力しかない
米国は自己の覇権維持回復のためには、何をしでかすかわからない。

対中戦争、それは米軍指揮の下、中国にミサイルを撃ち込むことから始まるのではないか。その一発のミサイルが「二度と過ちは繰り返しません」とした「非戦の誓い」を吹き飛ばす。そして郷土が国土が戦場となる。

まさに「戦慄すべき、日本の末路」。それが「日米基軸」「日米同盟新時代」がもたらすものであれば、この「日米基軸」政治を何としても止めさせることが切実に問われている。

しかし、与野党共に「日米基軸」である現状において、今の政治にそれを期待することは出来ない。

「日米基軸」、「日米同盟新時代」との決別が問われる中で、これを実現する力は国民にしかない。国民こそが「日米基軸」などに惑わされることなく、日本の生き方、日本の安全と平和を守るためには、どうすべきなのかを真剣に考え判断を下し、政治を変えることが出来る。

来るべき総選挙で「日米基軸」政治を終わらせ、「日本基軸、日本国民基軸」政治に転換するという意志と力が断固と示されることを切に願う。


焦点は「どう負けるのか」のゼレンスキー、「4つの最後の勝利計画」を米国に提起

若林盛亮 2024年9月5日

■へそが茶を沸かすような「4つの最後の勝利計画」
8月27日、ウクライナのゼレンスキー大統領は「4つの最後の勝利計画」を発表、これを9月の国連総会に合わせた訪米時にバイデン米大統領に伝えるとした。

勝利計画の第一はロシア領内のクルスク州への侵攻、第二は米欧供与の長射程ミサイルのロシア領内への攻撃使用許可を得ること、第三はロシアに外交的に戦争を終わらせるようにすること、第四はロシアに経済的圧力をかけることとした。

目的は「ロシアに戦争終結を強制すること」だそうだ。これをプーチン大統領が聞いたら、それこそ「へそが茶を沸かす」、ちゃんちゃらおかしい「悪い冗談」と言うだろう。

いまやウクライナの敗北は確定的と世界の誰もが見ている。昨年5月以来の「反転攻勢」は挫折して久しいどころかロシア軍の逆攻勢で後退に次ぐ後退を強いられている。

徴兵令を新たに出そうとしても応じるのは「刑の免除」取引に応じた刑務所の囚人だけだ。国民は徴兵逃れに必死、ルーマニアに越境しようとした多くの若者に溺死、凍死の死者まで出ている。「命がけの徴兵逃れ」がウクライナ国民に強いられた現実だ。

また鳴り物入りの「ロシア領内侵攻」は警備の手薄な国境地域を数十km(「1,294平方キロ占領」と面積で誇大に表現)進んだだけで、専門家は「熊のお尻を蚊が刺した」程度と言うような代物だ。

■「勝敗の鍵は米国にかかっている」?他力本願は代理戦争の宿命
ゼレンスキーの「最後の勝利計画」の核心は、第二の「ロシア領内攻撃への米欧供与の長射程ミサイル使用許可」を得ることにある。これをゼレンスキーは「成否の鍵は彼(バイデン大統領)にかかっている」と表現した。敗北確定の中で少しでも劣勢を挽回しようとの焦りの表現であろう。でも「いかにこの戦争を終わらせるか」に必死の米国はこれに応じる意思も力もない。

「どう負けるのか」が確定の現実が、ゼレンスキーをして「最後のあがき」をさせている。

「勝敗の鍵は米国にかかっている」、この言葉は「米欧の兵器供与がないから勝てない」と終始、他力本願にすがる代理戦争国家の本質、宿命的な思想を示している。

これは他人事ではない。

岸田首相は「ウクライナは明日の日本、アジア地域は“東のウクライナ”になる」と対中対決最前線を担う覚悟を国民に求めている。「自由と民主主義を護る」、「国際秩序を護る」戦争は、実は米覇権秩序を護るための米国の代理戦争であること、「米欧の支援がなければ勝てない」というが、正確には「あれほど米欧が支援しても勝てない」のが代理戦争だということを、われわれは肝に銘じるべきだと思う。


アメリカ覇権策動の激化と反覇権勢力の強化

赤木志郎 2024年8月5日

7月9~11日にワシントンにてNATO首脳会議が開かれ、日本がNATOの一員でもないのに岸田首相は韓国、ニュージーランドとともに参加した。NATO会議が終わるや岸田首相はドイツに飛び、ドイツ首相と会談しインド太平洋地域での防衛分野の協力を合意した。そして、19日よりドイツ、フランス、スペインの空軍武力を引き入れ北海道で航空自衛隊との共同訓練をおこなった。歴史上初めてNATO3カ国が日本で合同訓練をおこなったのだ。

欧州の軍事機構に属す3カ国の空軍がなぜ日本の地に来て合同軍事演習をおこなう必要があるのだろうか。NATOがアジアに関与すること自体が異常であるうえに、すぐに日本での合同軍事演習を敢行したのもきわめて異常な事態だということができる。そのうえ、24日には日本をはじめ7カ国が対中国の軍事演習をおこなった。

日本ではすでに宮古島をはじめ沖縄、鹿児島県の諸島にミサイル基地が設置され、全国に弾薬庫が拡充されていっている。自衛隊は7月、史上はじめて台湾軍との共同軍事演習をおこなった。

中国に圧力をかけるための戦争態勢が着々と進められ、東アジアは戦争勃発前夜となっている。

しかし、一方、BRICS、上海協力機構を核とする反覇権勢力はさらに力を強化していっている。

7月4日カザフスタンのアスタナで上海協力機構首脳者会議が開催された。上海協力機構は現在、中国、ロシア、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、ウズベキスタン、インド、パキスタン、イラン、ベラルーシの10カ国で、このたびベラルーシが新たに加盟した。すべてユーラシア大陸の国々だ。とくにカザフスタン、キルギス、タジキスタン、ウズベキスタン4カ国はロシアと中国の間にあり互いに接している中央アジアの国々だ。

習近平主席は「一帯一路」の意義を強調し、会議後にタジキスタンを訪れ熱狂的な歓迎を受けた。中国は中央アジア諸国との関係を「一帯一路」の軸として鉄道、天然ガスパイプライン、高速道路建設など大々的にすすめている。

地政学的に言えば、広大なユーラシア大陸の核としてある中国にいくらG7カ国が圧力をかけても屁のつっぱりにもならないということだ。

また、今年はBRICSがロシアを議長国として出発した年だ。BRICSはエジプト、エチオピア、イラン、アラブ首長国連邦、サウジアラビアがBRICSに新たに加わり、ロシア、インド、中国、ブラジル、南アフリカ共和国と合わせ、これでBRICS加盟国は10カ国に達した。カザフスタンはBRICSに加盟申請があり、次期BRICS総会で正式に承認されることになる。これら非米の新興独立国の結集体であるBRICSは、世界の自国第一主義の潮流を多極世界の実現めざし力強く推進させている核となっている。

この7月の動きで注目すべきなのは、インドとハンガリーの動きだ。インドのモディ首相が7月8日に訪露して、プーチン大統領と熱い抱擁を交わした。NATO首脳会談に参加せずにだ。

NATO首脳者会議にはオーストリラリア首相も参加せず、インド太平洋構想に大きく穴をあけることになった。

また、ハンガリーのオルバン首相は7月1日EU議長国に就任し、すぐにウクライナに行きゼレンスキー大統領と会った。そのときの様子はオルバン首相がゼレンスキーを問いつめているかのようだった。そして、オルバン首相は5日ロシアを訪問しプーチン大統領と会い、ウクライナ停戦問題について話し合った。停戦ラインを予め設定せずまず当事者が参加する和平会議を開くというものだ。それは中国の習近平主席の考えとも一致している。そして、8日にはオルバン首相は北京に飛び習近平主席とも会談しウクライナ問題を話し合った。このようにオルバン首相はウクライナ停戦問題で中ロと連携をとり積極的に動いている一方、EU議会内で第3の会派「欧州の愛国者」をフランスの「国民連合」とともに結成した。

こうした動きは日本のマスコミではほとんど報じられないし、アメリカの後追いしかできない岸田政権では考えられないことだ。対ロシア制裁で生じた物価高で苦しめられている欧州にとってもウクライナ停戦は切実な問題となっている。

ゼレンスキー大統領はトランプ前大統領との電話会談の後、15日の記者会見でロシアも参加するウクライナ終戦案を議論する会議を11月に開くことを表明した。ウクライナの敗北で終わるウクライナ停戦の実現は時間の問題だ。

中ロを専制主義国家として敵視しいわゆる民主主義国家を糾合するというバイデン路線はすでに破産している。結果はアメリカなどのG7が世界から孤立しただけであった。

現在、NATOを動員し対中国包囲網に集中しようとしているが、中国を敵視する戦乱が引き起こされれば、世界の混乱は今の比ではない。アメリカは日本を代理戦争国家にしたてあげ、アジア人同士で戦わせ「漁夫の利」を得ようとしているが、最終的にはアメリカの孤立と破滅の運命から免れることはできないだろう。 


いま日本政治の転換を迫る 負と正の力-政権交代に向け見極めるべきもの

小西隆裕 2024年7月20日

■政権交代へ、高まる国民の当事者意識
 岸田政権への支持率が低落を続ける中、政権交代を要求する声も高まっている。時事通信の5月世論調査では、自民党政権継続要求が33・2%、これに対し、政権交代要求は43・9%だった。

 それは、先の東京、長崎、島根の衆院3補欠選挙にも如実に表れた。自公与党は、東京、長崎は立候補断念、一つに絞った島根でも8・2万対5・7万の大差での惨敗、立憲民主党の3戦全勝を許した。

 この3補選、いずれの投票率も史上最低の前回をさらに大幅に下回ったが、その要因の一つに自民党支持層の多くが、「裏金」問題など、自民党政治のこの間の体たらくに対し、「少しお灸をすえてやろう」と、棄権や立憲支持に回ったのがあったという。

 このかつてなかった事態は一体何を物語っているのか。そこには、現日本政治の余りの低劣さを目の前にして、「これでは日本が大変なことになる。自分たちが何とかしなければ」というかつてなく主体的な国民大衆の切実な当事者意識のようなものを感じる。

 こうした日本政治の当事者としての国民的な意識が広まる中、今、日本における政権交代に向けた気運は、15年前、あの民主党政権誕生時にも似た高まりを見せてきているように思える。

■政治転換への当事者意識が高まる世界
 政治転換への気運は、世界的範囲で見た時、日本におけるにも増してより顕著に現れている。その最たる例がウクライナ、中東、そして東アジア、すなわち、今、米覇権が直面せざるを得なくなっている「三正面作戦」だと言ったら、どうだろうか。それは、ちょっと違うのではないかという返事が帰って来るかも知れない。あれは、政治の転換は転換でも、覇権の転換ではないか。特に、ウクライナ戦争、台湾をめぐる抗争はそうではないかと。

そこで振り返ってみる必要があると思うのは、「三正面」の背景だ。そこには、米国が中ロを「現状を力で変更する修正主義勢力」と名指しで決めつけ、その覇権回復戦略として公然非公然、両様で仕掛けた対中、対ロの「新冷戦」があり、ハマス・イスラエル戦争の背後にはイスラエルをその拠点国家としてでっち上げ敢行してきた米覇権の中東支配戦略がある。この米欧覇権勢力のグローバル支配VS中ロ、ハマスをはじめ、米覇権に反対して闘う非米反覇権勢力が志向する自主独立、まさにここに、「三正面作戦」に貫かれる共通の対決点があると言えるのではないか。「三正面作戦」が中ロと連携したかつての植民地諸国、「グローバルサウス」など広範な非米反覇権勢力と一握りのG7米欧覇権勢力の戦いになっている現実がそのことを雄弁に物語っている。

 今日、米覇権と真っ向から対決する闘いが展開されているのは、「三正面作戦」だけではない。米コロンビア大学を発火点とし、全世界に燃え広がる学生たちの闘いを注視する必要がある。

 半世紀前、われわれが行ったあの学生運動を想起させる今回の闘いで、当時と決定的に異なることがある。それは、当時の闘いがマルクス・レーニン主義などイデオロギーに基づき、イデオロギーから出発したものであったのに対し、今回の闘いがそうでないということだ。

今回の闘いの特徴は、それが当事者として、自分の生活の現場から、米覇権に真っ向から異を唱えているところにあるのではないだろうか。あの時ももちろん、ベトナム戦争を敢行する米帝国主義に反対して闘った。しかしそれが、どれだけ日本の地、自分の生活の現場に足をつけた闘い、言い換えれば、どれだけベトナム解放の闘いと同じ立場に立った、一体の闘いになれていたか。それがよくできていなかったのは、その後の闘いが、米覇権主義の国と民族それ自体を否定するグローバリズムへの転換に対し、自分の国に足をつけ、根を下ろして闘うことができていなかったところに端的に示されていたと思う。

 それに対し、今の学生運動は違う。イスラエルのパレスチナ虐殺に反対しながら、それを後ろから支える米欧覇権に対し、足を地に着け、当事者として、自分たちの立場から闘っている。この闘いが米覇権に反対し、自分たちの国の自主独立のために闘う「三正面作戦」の闘いと一体になり、米欧覇権の崩壊を大きく促進するようになる可能性は小さくないと思う。

■米国VS泉房穂、どちら主導の政権交代か
 今日、日本には、政権交代に向けた動きがいろいろと生まれている。自民党内有力候補の名が幾人か挙げられ、野党は、この間の三補選で全勝した立憲民主党など、勢いに乗ってきている。

 そうした中、本当に日本の政治を変える動きとなると、次の二つしかないのではないかと思う。

 一つは、米国の動きだ。もちろん、それが表に現れる訳ではない。しかし、先の岸田訪米に際し、合意された「日米同盟新時代」は、米国の側から持ち出された「同盟転換」の大方針だ。実際、それに沿って、自衛隊の「統合作戦司令部」が新設されるようになり、それと米インド太平洋軍司令部の権限が一部移譲され、さらには、米軍「大将」が配置されるようになるなど、一段とその指揮権、統制権が強化される在日米軍司令部との連携が決まるなど、日本が米国の下、米国とともにインド太平洋圏全域の中心として、対中新冷戦の最前線を担う新体制が始動の時を迎えている。この片務から双務、盾と矛、役割分担から攻守同盟化など、「同盟大転換」を前に、それに相応する政治の大転換が求められているのは言うまでもない。

 日本政治の大転換は、自民党政治の転換を離れてあり得ない。この間、軍国主義的傾向の強い最大派閥、安倍派や親中派、二階派への集中攻撃など、東京地検特捜部を動かしての自民党解体が進んだことなど、決して偶然ではないと思う。

 この一年、言われ続けてきた「解散総選挙」、それを通じた政界再編がどう行われるか。そこに米国の動きが大きく関わってくるのは間違いないだろう。

 日本の政治を変えるもう一つの動き、それは、立憲民主党でも日本維新の会でもない。泉房穂さんの動きを置いて他にないと思う。泉さんは、すでに昨年の段階で、政権交代戦略を雑誌に発表するなど、公々然と「救民内閣」の下、日本政治を変える自らの考えを明らかにしてきた。

 この元明石市長の動きがなぜ米国と並び政権交代へのもう一つの動きとなるのか。それは、一言で言って、彼の政権交代戦略が、先の三補選などで示された、自らの意思で日本の政治を動かそうとする日本国民の当事者意識の高まりに合致していると思うからだ。

 今日、日本の国と地方、選挙の投票率は史上最低を更新し続け、無党派層は60%を超えている。与野党ともに既存の政党への国民的信頼感は、選挙への期待感とともに地に落ちている。

 こうした情況で、明石市長として市民第一の政治で実績を上げた泉さんが推挙する人物を289すべての小選挙区に立てて選挙をしたらどうなるか。比例区も合わせて、233の衆院過半数を取るのは決して不可能でないのではないか。

■「日米基軸」から国民基軸の政治へ
 政権交代は、それ自体が目的ではない。問題は、政治をどう変えるかだ。

 米国による政権交代が日本と日本国民のためのものではないのは言うまでもない。それが米覇権の下での、米覇権による、米覇権のためのものであり、日本が対中新冷戦の最前線で米欧覇権の代理戦争をやらされるためのものであるのは、おおよそ察しが付く。

 だから、この政権交代をめぐる闘いで負ける訳には絶対にいかない。

 そのためには、泉さんが提唱するように、「救民内閣」の旗の下に全野党が結集し、一つの小選挙区に一人の候補者を立てるようにすることだ。これができれば、勝利は間違いない。だが残念ながら、全野党が一つに結集することなどほぼあり得ない。そこで、次善の策としてあるのは、当事者としての意識を高める国民を主体とする衆院立候補運動を起こすことだ。泉さんとともに闘う高い当事者意識を持った立候補者を全小選挙区に立てることができれば、勝機は十分に生まれてくるのではないか。

 その上で問われてくるのは、泉さんが掲げる「救民内閣」の政策だ。日本国民皆が賛成するような政策を掲げてこそ、泉さんとともにこの運動をやろうという人も増えるだろうし、その人を当選させようという選挙民の当事者としての輪も広がっていくだろう。

 周知のように、戦後、日本政治の基軸は「日米」に置かれてきた。憲法よりも何よりも、「日米基軸」が大前提で、「国益第一」も、あくまで「日米基軸」あってのものだった。実際、今般の岸田訪米にあっても、泉さんが言っていたように、「一体誰の方を向いて政治をしているのか。米国なのか国民なのか」という体たらくだった。

 問題は、その「日米基軸」の現日本政治が全く人気がないということだ。投票率の史上最低を更新する続落、どの政党も支持しない無党派層の有権者の過半を超える激増、これ以上雄弁な現政治に対する国民的評価はないのではないか。

 このことは何を意味しているのか。それは、「日米基軸」という名の「米国基軸」の政治をその根本から見直す時が来ているということだ。

 日本国民皆が要求する政策を打ち出す上での鍵もここにあるのではないか。すなわち、「日米基軸」から当事者である日本国民を第一とし、日本国民を主体とする、自分たちの、自分たちによる、自分たちのための政治、国民基軸の政治へ、ここにこそ、日本政治をその根底から転換する要諦があるように思う。

(初出:「紙の爆弾」2024年8月号)


アメリカの例外主義

赤木志郎 2024年7月5日

よくアメリカの「二重基準」が指摘される。たとえば、一方でロシアの「ウクライナ侵攻」を非難するとしながら、イスラエルのガザ侵攻と爆撃には兵器など支援をしても非難はせず、国連でのイスラエル非難決議に拒否権を行使し反対しているのが典型だ。

その二重基準の根底にあるのは、「アメリカだけは例外だ、特別だ」という考え方がある。アメリカが他国を侵略し爆撃しても、内政干渉や制裁を加えるなどをおこなってもアメリカだから特別であり許されるという。実際、ベトナム、キューバ、グレナダ、イラク、リビアなどで当事国や他国の非難など無関係に侵略戦争、武力干渉をおこなってきた。これを「アメリカ例外主義」という。1831年にアレクシス・ド・トクヴィルが唱えた概念だ。プライムニュースでは、「例外主義」の定義として、「米国は物質的、道義的に比類なき存在で世界の安全や世界の人々の福利に対し特別な使命を負う」と述べていた。

なぜ、アメリカだけが他国と異なり例外、特別なのか。

アメリカの建国の理念を見ると、自由・生命・幸福追求の権利(財産権)という「基本的人権」をもつ人々が国家を創ったとするのがアメリカだ。その「自由と平等に基づく民主政治がおこなわれる」とする「丘の上の町」というのが理想国家であり、その建設を世界中に地の果てまで行き渡らせることを使命としているのがアメリカ合衆国だそうだ。

それを「明白な運命」とし、その理想国家を世界中に広めていくため行動する国家はアメリカ以外に他にない。だから、アメリカは数ある国家の中でも「例外」だという。この「明白な運命」によってまずメキシコからカリフォニア、テキサスを奪い、ハワイ王国を併合し、フィリピンを植民地とし、世界中に侵略と戦乱を起こしてきた。

アメリカはどんな罪を犯しても、侵略と略奪をおこない、多数の人々を虐殺しても許されるとする国がアメリカ合衆国だ。アメリカがやることはすべて正しいとする、まさに覇権主義の権化の国、典型的な帝国主義国家だといえる。

そのことを実行するためには、突出した軍事力、経済力をもってこそできる。その軍事は自国を防衛するための軍事ではなく他国を支配するための軍事であり、アメリカの経済は世界の経済活動を掌握し、自国(支配層)の富を蓄積するための経済だ。

こうしてアメリカの「例外主義」は世界を一極支配する究極の覇権主義の推進力となってきた。

かつて日本も天皇という現人神を戴く皇国としたのも、一種の「例外主義」だ。日本の国是を「八紘一宇」とし、「大東亜共栄圏の建設、ひいては世界万国を日本天皇の御稜威(みいづ)の下に統合し、おのおのの国をしてそのところを得しめようとする理想」を掲げ、侵略戦争をおこないソウル、シンガポールなどアジア各地に神社を建てていった。そしてアジアの民衆の反日民族解放闘争によって「八紘一宇」が破産したというのは周知のことだ。

自国だけが他国を侵略しても構わない「特別な国」だと特殊化するのは、必然的に他国を蹂躙するようになり、各国の国家主権を守る民衆の反撃の前に破綻するようになる。自国を例外主義の国として「特殊化」するのではなく、各国が同じく自国を愛し自分の実情に応じて自分式に発展させようとする国として尊重し理解し、それにもとづき友好関係を深めてこそ国際連帯を築いていくことができる。

アメリカは第二次大戦後、軍事力、経済力で圧倒的な地位を占め、各国をおもうままに侵略や武力干渉をおこなってきたが、その覇権主義がもはや通じなくなっているのが、今日の世界だ。「二重基準」をやめろというのも、「例外主義」が通じなくなっていることを示している。アメリカの「普遍的価値観」の押しつけにグローバールサウスの国々が反発しているのもその証左だ。なによりもアメリカ内部から他国にかまわず自国のことに専念すべきだという自国第一主義が生まれてきている。

今や自国を「特別な国」「例外主義の国」とし世界を支配しようとした覇権主義が古く邪悪なものとして排撃され、最終的な滅亡の運命に直面している。

しかし、いまだに覇権主義を復活させようとあがいているのがアメリカであり、老いぼれ滅びゆくアメリカにしがみつきなんとか支えようとしているのがわが日本という国だ。かつて覇権を追求したことを反省し、訣別していないがゆえに、アメリカと破滅の運命をともにしようということなのか。岸田首相が唱えた「日米同盟新時代」が指ししめす道とは、「例外主義」を抱いて滅びゆく覇権主義の墓穴をともに掘ってゆく道ではないだろうか。


日仏共同軍事訓練とニューカレドニア暴動の関連を考える

若林盛亮 2024年6月5日

■そうか、ニューカレドニアはフランス植民地だったのだ
岸田首相は5月の訪仏で自衛隊と仏軍の共同訓練をしやすくする「円滑化協定」締結で合意した。「インド太平洋地域の平和と安定に貢献」が名目だ。

なんで仏が自衛隊と共同訓練までしてインド太平洋地域に関心を持つのか? 

岸田訪仏から約2週間後に起きたニューカレドニアでの暴動でその理由がわかった。

暴動の原因は仏政府がニューカレドニアの地方選挙で仏系住民の投票権拡大のための憲法改正を企てたことだ。先住民カナクには独立を要求する声が高まっており、その中で仏系住民にカナク人の発言権を押さえられることへの反発から暴動に発展した。現在もカナク人による道路封鎖など抗議行動が続いている。仏国内でもこの憲法改正を見送るべきだとの声が上がっている。

恥ずかしながら私は今回の暴動でニューカレドニアがフランスの植民地だったことを知った。

日本では西南太平洋、メラネシアに属する「天国に一番近い島」だとか観光名所として知られているが、いまなお「仏領」、すなわちフランスの植民地ということはあまり知られていない。

調べてみると、鉱物資源が豊富で、特にニッケル生産量ではかつては世界一を誇ったという。他にクロム、鉄鋼、マンガン、金、銀、鉛の埋蔵が豊富な島なのだ。仏政府にとっては植民地としておいしい資源豊富な島、だから独立を要求するカナク人の声を抑えたい。それが今回の仏系住民に投票権を拡大する憲法改正を急がせたのだろう。

■日仏共同軍事訓練は現代版植民地主義維持のためのもの
日仏政府が「インド太平洋の平和と安定に貢献」目的で共同軍事訓練を行う目的は主として対中対決がある。近年、中国と太平洋島嶼とうしょ諸国との関係拡大にこの地域を支配してきた米国は神経をとがらせており、日本を引き込んでこれら島嶼諸国の切り崩しを図るための会議を日本にやらせた。しかし会議に参加した首脳は少なく、ほとんどが外相クラスを送るという「おつきあい」程度の低調なものに終わった。

米国がこの地域に利害関係を持つ仏政府を巻き込もうとするのは当然だろう。岸田政権はそのお先棒を担いで仏政府と共同軍事訓練を行うための「円滑化協定」を合意したのだ。

ニューカレドニア暴動と日仏政府の軍事協力、それは「国際秩序の変更を迫る修正主義勢力」として中国に対する米国の新冷戦戦略の一環であり、それは現代版植民地主義である米中心の国際秩序維持が目的であることがわかる。

前にも述べたが米国はじめ「G7先進国」グループはかつての帝国主義列強諸国、どの国も自分の植民地主義に対し反省したことはない。ゆえにかつて植民地支配で苦しめられたグローバルサウスと呼ばれる発展途上諸国はG7から離れていく、いまはG7依存を脱し脱覇権、主権尊重、内政不干渉に理解を示す中ロに接近、自身もまたBRICSなど独自の協力機構を通じて自主独立を強めていっている。

岸田首相は先の国賓訪米で「米国ひとりで国際秩序を守る」のではなく日本も同盟国として国際秩序維持の役割を果たすとして、日米安保を攻守同盟化することを誓約した。自衛隊は専守防衛、国土防衛の武力ではなく交戦権と戦力を持つ外征戦争武力に変わる。

フランスとの関係では西アフリカのニジェールで若手将校たちによるクーデターで新政権は駐屯仏軍を追い出した。ウクライナやガザ以外の地域でも米国・G7は孤立を深めている。

もう世界では米国の望むような現代版植民地主義の覇権国際秩序は瓦解の瀬戸際に立たされている。もう「米国についていけば何とかなる」時代は終わったのだ。

わが国もこの世界の現実に正しく対処することが問われている。


ロシア義勇軍に参加した金子大作氏によせて

赤木志郎 2024年6月5日

ロシア義勇軍に参加した金子大作氏(49歳)とのインタビュー記事(『FRIDAY』2024年5月3日号)、およびロシアメディアRTのインタビューを報道した韓国YouTube番組「world reading」2024.5.11)の記事を読んだ。

「(自動車修理の)事業で成功を収めて、生活が豊かになっても幸せを感じなかった。そんな時、人は何のために生きるのか、生存本能とは何だろうと疑問が湧き、それを満たせる唯一の場所と考えたのが戦場でした」と語る金子氏は、日本の民間会社が運営する特殊作戦の訓練を受け、タイの軍隊で射撃インストラクターとなった。教官になったくらいだから、よほど射撃の素質があったのだろう。そこで、世界の動きを見ていてロシアがウクライナ戦争で一方的に悪者にされていると考え、ロシア義勇軍に志願したそうだ。そして、狙撃兵としてロシア軍に参加したという。

その時の動機について次のように語っている。

「ロシアがウクライナ侵攻した最大の原因は、2014年の『マイダン革命』です。この革命以後、ロシアとウクライナの間では軍事衝突が続いていますが、ロシアと敵対している米国やNATOにも非があるなかで、一方的に悪とされているロシアの味方をしたいと思った」

マイダン革命とは、米国国務省次官ヌーランドの指揮のもと、ネオナチ分子を動員してのクーデターだった。しかし、日本の新聞では全く逆に報道されている。今年3月の朝日新聞でもマイダン革命10周年に際し、マイダン革命があたかも親ロシアの政権が悪でありそれを民衆の力で打倒したかのように描き、クーデターを起こしたのをあたかも英雄的な行動として解説しているのだ。私もこの記事を見てびっくりした。新聞記者ならアメリカの策動は広く報道されており、オバマ大統領も認めていることであり、知っているはずだ。

金子氏はタイに滞在しながら、「日本の非常に強い親ウクライナ派の見解と、中立的なタイのメディアの論調を比較することができた」という。そして「一方的にウクライナ側に立ち、ロシアを悪魔化しているマスコミは、英米世界と、日本を含む西側諸国と、ロシアに対する殲滅の叫びを扇動している韓国だけだ。東南アジア、中東、南米、アフリカ、BRICS諸国は正常だ」という。金子氏の体験は、日本国内の一方的な報道にだけ囚われてはだめで、世界とくにグローバルサウス諸国の報道を見なければならないということを教えていると思う。

また、ロシア軍兵士が日本政府と日本人を区別し分け隔てなく接してくれたという金子氏の体験は、反ロシアの色眼鏡ではなく、ロシア内部からロシア人の人間性を理解することの大切さを示していると思う。

金子氏は、インタビューで日本政府がロシアにたいする経済制裁に参加し、ウクライナ支援に120億ドルを支出し、「米国がやれと言うことを何でもする従順な日本政府がもどかしい」と述べている。まさに、自分の国である日本政府がアメリカのウクライナ代理戦争に荷担しているのだ。

「ロシア側につく日本人がいることをアメリカに示したかった」、金子氏のこの言葉は代理戦争で世界に戦乱をもたらすアメリカの覇権主義に日本人として反対する覚悟を示していると思う。

金子氏はロシア人の人間性に惚れ込み、日本に帰国する意思はないという。しかし、金子氏はあくまで日本人であり、日本人としてロシア軍の祖国を守る戦いに参加し、日本のマスコミと政府の過ちを身をもって実証し、アメリカの覇権策動に反対して戦っている。もちろん銃をとって戦うこと自体が大変な決心がいることだ。金子氏は人間として生き方を求め、日本政府のアメリカ代理戦争への荷担を傍観することなく、自らロシア義勇軍に身を投じた。そういう日本人がいるということを私たちも考えるべきではないだろうか。


先の三補選結果を総括して

小西隆裕 2024年5月20日

先の東京、長崎、島根の三衆院補欠選挙は、これまでにないものだった。

三つとも、立憲民主党の圧勝だった。長崎などは、相手の日本維新の会に対してダブルスコアーだった。しかも、自民党は東京、長崎には候補者を立てられず、島根に絞っての選挙だった。

もう一つは、投票率の低さだ。最低だった前回よりもさらに大幅に低下した。自民党の「裏金」問題など、連続的な不祥事に対する審判の意味もあり、投票率がここまで落ちたのは、若干意外だった。

問題は、なぜこうなったのか、その原因だ。

自民党が惨敗した原因は、はっきりしている。自民党との「連帯」を表明していた維新の惨敗もそれに連動したものだ。

しかし、それにしても立憲民主党の大勝は、予想をはるかに超えていた。

そこには、今回の選挙で、共産党が候補者を立てず、全面的に立憲民主党を支持したのが大きかったようだ。

しかし、それだけではあそこまでの大勝にはならない。そこでさらに大きかったのは、自民党支持者の票が大きく立憲民主党へ流れたことがあるようだ。自民党支持者が今回の不祥事、いやそれにも増して、自民党政治自体の至らなさを見て、「少しお灸をすえてやらねば」と棄権や立憲民主党への投票に回ったと言うことだ。

これは、今回の投票率の予想を超えた低下の謎も解明してくれるものだ。

この日本の憲政史上、例のない現象を前にして思うのは、日本国民の現日本政治への絶望、怒りの大きさがいかに大きいかと言うことだ。

だが、今回の選挙での投票率の「劇落」の裏にあるのは、自民党支持者の「お灸」だけではないと思う。それにも増して、いくら選挙をしても政治は変わらないと言う国民全体の絶望があるのではないか。

それは、支持政党なしの無党派層が全体の60%以上になっている現実にも現れている。

そこで思うのだが、逆に言えば、この絶望を希望に変えることができれば、それは、政権交代への大きな力になるのではないか。泉房穂さんの政権交代戦略の妥当性もその辺にあるのではないだろうか。


一体何のための「国の指示権」なのか

魚本公博 2024年5月20日

今、国会で自治法改正案が審議されている。

この改正案は、大規模の感染症や大災害などで想定外の事態が起きたとき、国が自治体に対応を指示できるように、地方自治法に国の「指示権」を新設するというもの。

改正の趣旨説明では「国民の生命等の保護のために特に必要な場合に限る」としているが、「想定外の事態を具体的に示すのは困難」(総務省の田中聖也行政課長)と言っており、一体、政府は何を考えているのかという声があがっている。

そこで考えなくてはならないのは、戦争であろう。「国民の生命等の保護」となれば、何よりも想定しなければならないのは、「戦争」だからである。

4月13日、大分県の湯布院でミサイル部隊である「第二特科団」新設の式典があった。第二特科団の本部は湯布院駐屯地に置かれ、沖縄九州に展開するミサイル部隊を統括する司令部になる。そして大分市では、大型の地下弾薬庫2棟が建設中であり、ここには「スタンド・オフ・ミサイル」を保管することができるという。

米国は今、日米同盟の更なる深化を要求し、日米統合作戦司令部を作ろうとしており、今は自衛隊のミサイル部隊である「第二特科団」も有事の際には、米軍の指揮下に入れられる。

すでに、昨年10月には、湯布院に隣接する日出生台演習場で国内最大規模の日米共同演習「レジュート・ドラゴン」が離島防衛訓練という名目で行われている。

こうした中、大分では「大分が安全保障の最前線に立たされる」の声が上がり、戦争に引き込まれる危機感が増している。

この危機感は大分ばかりではなく九州全域に広がっており、全九州の自治体の議員が超党派で「戦争だけは絶対ダメだ」という有志会を作る動きも出ている。

今、政府は、防衛力強化の「公共インフラ整備」を行うとして、地方地域の港湾・空港などの整備を進めている。その対象は今、全国38施設となっているが、今後その対象は一層拡大するだろう。それは、九州だけでなく、全国の地方地域が、中国との軍事対決、戦争の最前線に立たされることを意味している。

これに反対する地方地域の声はますます大きくなる。それを抑え込む。「国の指示権」を新設する自治法改正の狙いは、そこにこそあるのではないか。

今、「国の指示権」を巡る論議は、2000年の地方分権改革で、「地方公共団体の自主性及び自立性に配慮しなければならない」と規定されたものを昔のように国が地方の上に立つものにしようとしているのではないかという論議になっており、国会の論戦もそうなっている。

しかし、論議されなければならないのは、「国の指示権」新設は、地方地域を対中対決の最前線に立たせるための強権発動になるという問題だと思う。

米中新冷戦を掲げ、日本をその最前線に立たせようとする米国に対し、岸田首相は4月の訪米で「日米同盟新時代、グローバルパートナー」を謳い、米国の覇権回復戦略を積極的に支えることを表明した。

しかし、それを国会で問題視するのは、「れいわ」くらいのものだ。

今、注目されている泉房穂さんの著書「日本が破滅する前に」になぞらえれば、日本は対中対決、戦争の最前線に立たされ「日本が無くなる前に」という状況に置かれている。そのような政権、政治を根本から変える、それが今、切実に問われていると思う。


「グローバルパートナー」の意味を問う

小西隆裕 2024年4月20日

今回の岸田訪米は、これまでにない異例ずくめの首相訪米だったようだ。

「国賓」としての待遇は、儀仗兵に音楽隊、赤絨毯で出迎えられた到着の瞬間から5泊7日の異例の長旅を終えるまでびっしりと続けられた。

日米首脳会談、そしてスタンディングオペレーションの連続で迎えられた米国会での岸田演説などで表明された今回の訪米のキーワードは、「グローバルパートナー」だった。

日米同盟新時代にあって、日米は一体になって世界的な課題の解決のために協働すると言うことだ。

そのために、生成AIや量子技術、半導体、そして有人月探査など、宇宙から深海まで幅広い産業提携が表明された。

だが、「新時代」は、バラ色に輝いている訳ではない。それどころか、今、米覇権は崩壊の危機に瀕している。ウクライナ戦争、中東戦争、米中新冷戦と、三正面作戦に直面させられた米覇権は、一極覇権から多極覇権への転換を余儀なくされている。

こうした中での「日米同盟新時代」「グローバルパートナー」が何を意味しているか。それは、推して知るべしだ。

事実、この間、自衛隊に統合作戦司令部が陸、海、空、三自衛隊を統一的に指揮する司令部として設置されることが決まり、それと米インド太平洋軍司令部から権限を大きく移管された在日米軍司令部との共同作戦が決定されている。

この対中対決戦へ向けての日米軍事統合にこそ、「日米同盟新時代」における「グローバルパートナー」の意味が端的に示されているのではないか。

それが対等なパートナーにならないのは、ウクライナ戦争におけるウクライナと米国との関係を見るまでもなく、米軍と自衛隊との関係を見ても明らかなのではないだろうか。

今回の異例ずくめの岸田訪米の現実は、岸田演説、スピーチのすべてが米人ライターによるものだったという事実まで含めて、そのことを余りにもよく物語っていると思う。


「政治の原点」を考えさせられた

魚本公博 2024年4月20日

泉房穂さんへの注目が高まっている。

東洋経済の「ひとり烈風録」欄でも泉さんが取り上げられていた。その副題は「最後の救世主になるのか 『救民内閣』掲げて東奔西走」。実際、これまで関西の人というイメージで東京での関心は低かったそうだが、ここに来て東京でも注目が集まり、各テレビ局にハシゴ出演するような状況だという。

記事は、その多忙な間にノンフィクション作家の山岡淳一郎さんがインタビューしたものだが、興味を惹かれたのは、副題「政治嫌いの妻の叱咤 有権者をバカにするな 演説が変わっていく」という部分。

03年に民主党の新人候補として神戸2区で立候補した時のこと。最初はマニフェストに沿って叫んでいた。「行動する弁護士・泉房穂、40歳。強い日本をつくる。安心できる社会のために。脱官僚宣言!」などと。

それに対して奥さんが言ったという。「あなたには語る言葉がないの? 有権者をバカにしてはいけないよ。あんな演説でよくも選挙にでると言ったわね。有権者の心を動かさなければ票なんかとれないわよ」

そこから演説が変わった。「生い立ちや弟の逸話が入って、ぐっと人情味が出てサビが効いた、演説に変わっていった」という。

確かに、泉さんが語る、生い立ちや脳性麻痺だった弟さんへの想いは感動的だ。この記事でも、「泣きながら帰った道 見上げた空に誓った やさしい町に変える」の場面は泣かせる。

泉さんは、それを政治活動の原点にして、明石で実現していっただけでなく、その想いで国民を救う「救民内閣」実現を訴え、東奔西走しているのだ。

そこには何らかのイデオロギーに囚われた言葉はない。「今の政治は国民に冷たい」「国民を救う政治を」「国民の味方」「救民」などなどと、誰もが分かる普通の言葉で国民に向かって熱く語りかける。それは、今の政治に欠けているものだ。

泉さんは、よく「何も難しいことはない」と言う。そして、選挙でも「国民の味方」チームで戦えば必ず勝てるし、「救民内閣」も必ず実現できるし、ホップ・ステップ・ジャンプで「令和維新」も実現できると「楽天的」だ。

この「楽天性」「必勝の信念」は、どこからくるのだろう。それは、人間への、国民への絶対的な愛と信頼から自ずと湧き出るものではないだろうか。

人間、国民への絶対的な愛と信頼、それこそが政治の原点であり、政治家が肝に銘じなければならない自身の原点だろう。泉さんに学ぶべきことは多いが、もっとも学ぶべきは、このことだろう。自省の念も込め、この原点をしっかり捉えていきたいと思う。


「武器輸入155%増」の疑問

若林盛亮 2024年4月5日

■疑問1-「武器輸入155%増」の理由は?

ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)は3月11日、世界の武器取引に関する報告書を公表し、2019~23年の5年間の日本の武器輸入量が、14~18年比で155%増になったと明らかにした。 

報告書は、日本が長距離攻撃能力向上に多額の投資を行い、昨年までの5年で米国から戦闘機29機を調達したと指摘。23年に長距離ミサイル400発を米国に発注し、初めて中国や朝鮮の奥深くにある目標に到達する能力を得ることになると分析した。

「武器輸入155%増」の主な理由は、「日本が長距離攻撃能力向上に多額の投資」を行ったから、つまり敵基地攻撃能力を備えた武器の輸入が急増したからだ。

■疑問2-「長距離攻撃能力向上に多額の投資」はなんのため?

武器輸入急増の「2019~23年の5年間」という時期はどんな時期だったのか?

2017年末、米国は国家安全保障戦略を反テロ戦争戦略から対中ロ新冷戦戦略へと全面的に転換し、そのえで「米軍の抑止力劣化を補う」ための「同盟国との協力強化」を打ち出し日本にもこれを求めた。つまり抑止力、攻撃能力の一部を自衛隊が担うことを求めた。これを受けて18年末に安倍首相(当時)が「長距離攻撃能力向上」を密かに盛り込んだ新防衛大綱の閣議決定を行った。2019年度は新防衛大綱実施初年度に当たる。

この新防衛大綱で自衛隊の装備面で専守防衛を逸脱する「攻撃能力保有」が隠然と認められ、輸入武器としてはスタンドオフ・ミサイル(敵の射程圏外から発射)という長射程ミサイルや最新鋭ステルス戦闘機F35A、同B型の導入が決められた。

2019~23年の5年間の武器輸入が前期比で155%増というのはこのためだ。

「長距離攻撃能力保有」は対中対決の最前線担当を日本に求める米国の要求から出たもの、そのための多額の投資は米国家安保戦略、対中新冷戦のためのもの以外の何ものでもない。

■疑問3-23年度以降は「43兆円では確実に足が出る」、なら財源は?

今年の3月9日、「防衛力の抜本的強化に関する有識者会議」初会合が持たれた。

これは岸田政権になった22年末に閣議決定された安保3文書(国家安全保障戦略改訂など)で正式に決まった敵基地攻撃能力保有、防衛予算のGDP2%への倍増など防衛力強化の進展状況を検証して必要な対策をとるという有識者会議だ。

軍事関係者より経済関係者が多いのは「いまの43兆円では確実に足が出る」、予算不足対策、財源問題が大きな比重を占めるからだ。

当初の「2023年から5年間の防衛費総額43兆円」、これは策定時の$1=¥108で計算したもので$1=¥150という超円安の現在、米国製兵器高騰は避けられない。更に国産の兵器も部品の大部分を輸入に頼っているからほとんどの兵器が高騰する。だから当然「43兆円では足が出る」。

そのうえ米国の最新鋭兵器輸入は「対外有償軍事援助(FMS)」で行う取り決めだから価格設定が米側主導で相手の言い値、しかも前払いという高くて損な買い物。例えばステルス戦闘機F35A、40機購入予算は当初の4000億円から「言い値」が上がって5600億円に暴騰、当初より1600億円も高値で買わされることになった。

有識者会議座長の榊原元経団連会長は「国民負担のあり方や具体的な財源は、本音ベースで議論」と言った。「本音ベース」つまり遠慮なく国民に負担をかぶせる、現在の43兆円でも高負担を強いるのにそのうえさらに国民に負担を求める、そんな議論をやるのだ。

■疑問4-「実戦に役に立たない」輸入武器?

そもそも安保3文書で新たに求めた防衛装備品というのは香田洋二元海将が「防衛省に告ぐ」(中公新書ラクレ)で「思いつきを百貨店に並べた印象」、「現場のにおいがしない」と批判した代物だ。自衛隊現場の要求ではなく米国の要求による防衛装備品だということ、そして「現場のにおいがしない」とは自衛隊の現場にとって実戦の役に立たない武器だということだ。

一例をあげれば、最新鋭とされるF35ステルス戦闘機はその複雑な構造のために燃料満タンで総重量が35トン、その鈍重さのため「曲がれず、上昇できず、動けない」致命的欠陥を持ち、40年前開発の旧式F16戦闘機に模擬空中戦で負け、航空自衛隊OBからも「実戦で役に立たない」と言われた。

レーダーにかからず敵国基地爆撃まではできても爆撃後飛来する敵迎撃機との空中戦では負けるというパイロット泣かせの「最新鋭戦闘機」に国民の血税が浪費される。

* * * * *

 以上、見てきたようにこの間の桁外れの米国製武器輸入は疑問だらけ、というより国防の見地からみても、国民の血税負担の見地からみても理不尽だらけの代物だ。そのうえトランプ大統領出現となれば、さらに理不尽な要求にさらされると日本中が戦々恐々している。

 米国次第で右往左往するような日本の防衛、その根本にある日米安保基軸の戦後日本の防衛政策からの卒業をそろそろ考える時が来ていると思う。


「失われた30年」、一体何が失われたのか?

小西隆裕 2024年3月20日

1990年のバブル崩壊後、打ち続く長期経済停滞、「失われた10年」、「20年」、「30年」、しかし、停滞からの出口はいまだに見えない。

この長期停滞で、「失われた」という言葉がごく当たり前のことのように使われているが、一体何が失われたのかと問われたなら、それにどう答えるか。

「経済の高度成長が失われた」。それがごく一般的な回答になるのかも知れない。

しかし、それでは十分に答えを尽くせていないと思うのもまた一般的なのではないだろうか。

実際、この三十余年間、日本にとって失われたものは計り知れない。単に「経済の高度成長」が失われただけではすまされない。経済の領域をはるかに超えている。

GDPが世界二位から四位に転落しながら、科学技術も、教育も、すべてが世界一等の水準から大きく転落した。

なぜこんなことになったのか、問題はその原因だ。

それが単純なバブルの崩壊でないことははっきりしている。よく言われる、その後の経済の建て直しに失敗したからだけでないのも明らかだ。

そこで挙げられるのが、1986年、92年、二度にわたる日米半導体協定だ。これで日本は米国により徹底的に叩かれた。米国に追いつけ、追い越せの産業政策、技術革新そのものが否定されたのだ。

それに追い打ちを掛けたのがグローバリズム、新自由主義の大波だ。国が否定され、国の役割が否定された。

「護送船団」「日本株式会社」、国を挙げての産業政策、経済政策、技術革新などすると米国に叩かれるだけだ。「米国に任せ、市場に任せて、その後をついていくのが日本にとって一番だ」。これが日本の「国是」になってしまった。

「国是」は、経済だけでない、国の政治のすべてに適用される。ここに日本全体の停滞の根因があるのではないか。

「失われた30年」、一体何が失われたのか。答えが見えてきたと思う。それは「日本そのもの」に他ならないのではないだろうか


なぜ今、ウクライナ復興支援会議か

赤木志郎 2024年3月20日

 2月19日、ウクライナ首相ら政財界人士を招き、東京で「ウクライナ復興推進支援会議」を開催し、農業からデジタルまで包括的な支援を長期的におこなうことを決めた。日本はこれまで2年間で約120億ドル(1兆8千億円)の支援をしてき、今年度だけでも1兆2千億円の支援予算を組んでいる。かなりの額だ。日本国内でもそれだけの支援をすべきか、物価高などに対処すべきではないかという声が高まっている。

戦争が行われている最中であり、復興問題が全面的に提起されるはずがない時である。

 それなのになぜ「復興支援」にこだわったのだろうか。

ちょうどウクライナ戦争が2年経ち3年目を迎える時期だ。ウクライナの反転攻撃が挫折し防御に転じる一方、ロシア側は東部をはじめ攻勢を強化している。ウクライナ側では兵力と兵器の不足が取りざたされている。ウクライナから逃亡する若者が多く、国境で拘束される有様だ。ゼレンスキーは国外に家族を避難させ資産を蓄積し国中に汚職がはびこっている。米国の代理戦争でしかない戦争に「愛国」の正義がかすんでしまっている。一方、「侵略した」と欧米日から非難されるロシアは、欧米のNATO侵略にたいする祖国を守る戦いとして志気は高く、兵力、武器ともウクライナ側を圧倒している。つまり、時間が経てば経つほどロシアが占領地を拡大し、ウクライナ側には勝利する展望はない時である。

したがって、日本の復興推進支援会議は、欧州のG7国とともに劣勢に陥ったウクライナを何が何でも支えるということを示すためであると思う。

 ウクライナ戦争の原因は米国が10年前に「マインダ革命」という親ロシア政権を覆すクーデターを引き起こしたことにある。当時の米国務省次官補だったヴィクトリア・ヌーランドや当時の上院議員のジョン・マケインは、キーウのマインダ広場まで出向いて露骨な支援を行った。いわゆるオレンジ革命だ。米国は最終的にロシアを3つに分割するという戦略をもっているという。それに従えば、NATOの東漸を追求することになる。ウクライナ戦争はロシアが「侵略」して起こったのではなく、ロシアが自国を防衛しようとして起こったのである。当時の安倍首相ですら、「プーチンの意図はNATOの拡大、それがウクライナに拡大するということは絶対に許さない。東部2州の論理で言えばかつてボスニアヘルツゴビナやコソボが分離独立した時に西側が擁護したではないか、その西側の論理をプーチンが使おうとしているのではないかと思う。…プーチンとしては領土的野心ということではなくてロシアの防衛安全の確保という観点から行動を起こしていると思います」(フジテレビ日曜報道2022.2.27)と述べている。

日本のウクライナ復興支援会議の目的はあくまで米国の覇権的地位を支えるためにあるいえる。

 今年度予算112兆円の1%に当たるウクライナ復興支援経費1兆2千億円を、能登半島被災に回せば水道復旧や家屋倒壊復旧などを一挙に解決することができるだろう。米国の覇権のためではなく、日本国民のためにこそ復興予算を当てるべきだと思う。


国民のための政治改革を真剣に考える時

魚本公博 2024年3月20日

今、政治改革問題が大きな問題になっている。昨年来、安倍派の政治資金パーティー裏金が問題化される中で、「政治とカネ」が大問題になっているということだ。

 この過程では派閥解体の動きがあり、1月には岸田首相を本部長とする「政治改革本部」が発足し、2月29日から衆院の政治倫理審査会で「政治とカネ」の審議が始まった。しかし、国民の91・4%が「説明不足」と言っており、自民党青年部の「ハレンチ懇親会」なども起きる中で、テレビで延々と映し出される審議風景に国民は「いい加減にしろ」「何やってんだ」と怒りの声をあげている。

率直に言って「政治とカネ」の問題は簡単に解決する問題ではない。今の政治で、それは必然であり、それをなくすなど出来るのかという声さえ聞かれる。

一体、政治改革とは何なのか、何故今政治改革なのか。

それを考える上で見落としてならないことは、この問題は、東京地検特捜部による捜査に端を発しているということである。

地検特捜部の背後には米国が在るというのは政界では常識であり、地検特捜部が動けば、米国は何を狙っているかを考えるのが政治家の習性だ。いわゆる「天の声」は何かということだ。

今、米中新冷戦で日本を最前線に立てようとしている米国は日本の全てを米国の下に統合しようとしている。この露骨な「統合」策には経済界などでも「そんなことをやっていいのか」の声がある。いわゆる「抵抗勢力」の存在である。しかし、米中新冷戦戦略で覇権の維持回復を狙う米国にとって、そうした勢力の存在は許せない。そのために、自民党解体まで視野に入れた政界再編、すなわち米国の下への政治の統合、それが狙いであろう。

こうした中、泉房穂さんの動向が注目されている。

泉さんは、今の政党政治そのものを問題視する。

政党政治は、多数を占める政党が首相を出すとなっており、そこでは派閥が必然的に出来、それを維持するための献金や各議員へのカネの配布も不可避であり、今の政治家は国民のことなど考える必要もないし、考えていないと看破する。

そして、「国民のための政治」を実現するためには、政治制度を変えなくてはならず、国民に直接、政策の是非を問う、大統領制のような「首相公選制」を主張する。

そのために、次の総選挙で政党など関係なく「古い政治」に対して「国民の味方」チームの候補者を立てて勝ち、その後、2回の総選挙、2回の参院選でも勝ち、総仕上げとして「令和維新」を敢行し、「首相公選制」「廃県置圏」を断行して「新しい日本を作る」としている。

国民の声を反映した政治、それは政治の原点であり、欧米での自国第一主義の台頭など、世界的な流れ、時代的な流れとなっている。

泉さんの問題提起は、そうした世界的流れの中での根本的な問題提起となっている。

今、「もしトラ」「いまトラ」が言われトランプ政権必至とされる状況で、バイデン政権が目論む政界再編も不透明になっており、政治改革の行方も見通せない状況になっている。

そうであれば、米国の動きに囚われず、我々国民こそが主体になって、政治改革論議を深めなければならない。国民のための政治はどうあらねばならないのか。政党政治とは何だったのか。真の民主主義政治とはどういうものか、などなど。多くの国民が、とくに次代を背負う若者がSNSなどを駆使し、泉さんの問題提起などを参考にしながら、国民的な政治論議を起こすべき時に来ていると思う。


自業自得-自らつくった「世界分断」で更に危機に陥った米国

若林盛亮 2024年3月5日

■出てきた「世界分断、冷戦の危機」論
2月23日放映のTBS報道番組「1930」に出演した「ロシア問題専門家」小泉悠・東京大学先端科学研究所準教授は「冷戦期に似た地政学的状況を目の当たりにしつつある」と「新しい冷戦」について警鐘を鳴らした。小泉氏の警鐘、それは米中心の国際秩序が危険にさらされることへの危機感の発露だ。

その根拠の第一は、ウクライナ戦争で「ヨーロッパに分断が戻ってきた」こととした。すなわちロシアと欧州の対立、分断が固定化されつつあることを危険視した小泉氏だが、それはウクライナ戦争でロシアの優勢を覆せず欧州がNATO強化で結束、強化をアピールせざるを得ない窮境に置かれたという危機認識だ。

また第二には「ユーラシアの中の権威主義国家が互いに協力するような動き」、すなわちロシアとイラン、朝鮮が軍事的に協力する動きを見せていることをあげた。小泉氏はこれを「ならず者の枢軸」と呼ぶほど危険視した。

2年目を迎えたウクライナ戦争はロシア優位、ウクライナ劣勢、敗色が明確化、固定化されつつあり、これを危険視した欧州ではスウェーデンがこれまでの国是であった非同盟中立を維持する余裕がなくなりNATO軍事同盟加入を決意せざるをえなくなるなど対ロシア対決を深めている。つまり欧州では対ロシア新冷戦を意に反して強いられるような状況が生まれていることへの危機感だ。

このロシアにイラク、朝鮮が協力関係を深めることでユーラシア大陸も「分断、冷戦」のような様相を示すようになると小泉氏は述べている。

2月28日、都内で開かれた「第5回東京グローバル・ダイアローグ」(主催:日本国際問題研究所)で演説した岸田首相は次のような挨拶をした。

「世界を分断、対立ではなく、協調に導いていく」

このような「世界分断、冷戦の危機」論がわが国で出てきたこと、その真相、実相は何かをよく見極める必要があると思う。

■「世界分断、冷戦」は米国がつくったもの
そもそも小泉氏の言う新たな「世界分断、冷戦」は米国がつくりだしたもので、何もロシアやイラン、朝鮮がつくったものではない。

その根源は2019年末、米国が国家安全保障戦略を改訂、これまでの「反テロ戦争戦略からの転換」、新たな戦略を規定したことに始まる。ここで中国とロシアを「国際秩序の現状変更をはかる修正主義勢力」であると規定、この「修正主義勢力」中ロを今日の米国の「重要な競争相手」だとしながら明言は避けたが「米国の主敵」だと規定した。これが今日の中ロ新冷戦戦略の原点だと言える。

この中ロ新冷戦戦略でバイデン大統領は「民主主義陣営対権威主義陣営」の対決として中ロ「権威主義陣営」を「民主主義陣営」の包囲網で弱化、衰退させるという手法をとって自己の覇権回復を図った。つまり米欧式普遍的価値観の共有できる「民主主義陣営」と自分たちの価値観を共有しない「権威主義陣営」という形で恣意的に世界を二つに分断し、「対立する二つの陣営間の争い=新冷戦」体制をつくろうとした。

つまり小泉氏の言う「世界分断、(新たな)冷戦」は米国が自らの覇権回復のためにつくりだしたものだということをまずハッキリさせるべきだと思う。

■自らつくった「世界分断、冷戦」で危機に陥る米国
ところが先に見た小泉氏の「世界分断、冷戦の危機」との指摘のように、「世界分断と冷戦」企図が皮肉にも米国の「覇権回復」思惑とは真逆のリスクとして現れてきた。

その決定機はロシアによるウクライへの「先制的軍事行動」だった。

元来、米国は対中ロ新冷戦体制を築くに当たって、中国を「最大の競争相手・主敵」に定め中国と対決、包囲し中国を弱化させる米中新冷戦を基本戦略とすることとした。それは中ロの2正面作戦に米国が耐えられないからだった。「ロシアとの対決は避ける」、これは米国自身も日本の安保専門家もみなが指摘していたことだ。

ところがウクライナのゼレンスキー政権を使って「少しちょっかいを出す」程度の嫌がらせ挑発、ロシアと国境を接するウクライナが反ロの軍事同盟NATO加盟を主張し米英の軍事顧問団を入れたりミサイル配備をほのめかしたり、そのうえロシア人自治区域への迫害を強化する挙に出たことが裏目に出た。この程度なら大丈夫とタカをくくった米国に対する想定外のプーチンの「先制的軍事行動」を誘発する結果となって米国の目算が狂った。米国は想定外の2正面作戦を強いられることになった。

これに更に昨年10月のハマスのイスラエルへの「アルアクサ洪水作戦」を契機とするガザ戦争という3正面作戦を強いられるに至って、米国は覇権回復戦略どころか米覇権秩序崩壊の危機に晒さらされるようになった。

ウクライナ戦争では米中心の「G7先進国」主導のロシア制裁やウクライナ支援にグローバルサウスと呼ばれる発展途上諸国がことごとく反旗を翻し、ガザ戦争ではイスラエルのパレスティナ人抹殺攻撃を「自衛権行使」だと擁護する米国及び「G7先進国」を目の当たりにした世界から「人道主義の二重基準だ」と米国自身が非難されるに至り、「民主主義陣営の普遍的価値観」も信頼を失った。

米国は自らのつくりだした「世界分断の新冷戦」戦略によって「G7先進国」は孤立を深め、米覇権回復はおろか米中心の覇権秩序「G7先進国」体制の崩壊というリスクを負うことになった。

自業自得とはこのことだと思う。


新しい民主主義

小西隆裕 2024年2月20日

昨年12月20日号FLASHに泉房穂さんが政権交代戦略を明らかにした。

オール野党で「救民内閣」を掲げ、小選挙区289議席すべてをめぐって、自民党と一騎討ちをし、比例代表まで含めれば、衆院過半数233議席を超えて、政権交代できるというものだ。

ここで、「オール野党」ができるか否かが問題だが、権力が取れるとなれば、野党間の譲り合いも可能だし、それでも決着が付かなければ、予備選挙まで組織すれば十分だ。その上、決定的なのは、「救民内閣樹立」を掲げることだ。この旗の下、全野党が結集すればよい。これが、泉さんの構想だ。

なかなか面白い。そこで思ったのは、この発想が従来の民主主義と根本のところで違っていると言うことだ。

これまでの民主主義は、多数決民主主義、多数をめぐっての競争民主主義だ。この競争で勝ったものが少数者を支配する。

これに対して、泉房穂さん提唱の民主主義は、政党同士が競争する以前に、何が「救民」なのかオール野党の意思を集大成し、それを掲げて自民党を圧倒し、「救民」を実現する民主主義だ。

野党が競争するのではなく、「救民」のため、その意思を集大成して行う民主主義。これは明らかにこれまでの競争民主主義とは異なっている。

戦後、自民党政権の天下が続き、「民主主義」が手あかにまみれて、その新鮮な輝きを完全に失ってしまった今日、競争民主主義から野党の意思、国民の意思を集めて実現する集大成民主主義への転換には大きな意義があるのではないだろうか。


恥ずべき、補完外交

魚本公博 2024年2月20日

2月12日に開催された太平洋の「島嶼諸国閣僚会議」で、上川陽子外相が「法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序を維持・強化する」ことを島嶼諸国に提唱した。来年7月に東京で開かれる「太平洋・島嶼サミット」でも、この線でまとめる意向だという。

この「国際秩序」が米国覇権秩序であることは言うまでもない。

今、米国覇権が音を立てて崩れつつある中で、日本は、この覇権秩序の維持・強化のために必死に動き、とりわけ、世界の大多数を占めるグローバルサウスに、この国際秩序の維持・強化を説いて回っている。

しかし、当のグローバルサウス自身は、どうなのか。

1月20日にウガンダのカンパラで19回非同盟諸国首脳会議が開かれた。非同盟諸国会議は参加国121カ国というグローバルサウスの国際会議である、今回のカンパラ会議でも100を越える政府首脳、ハイレベル代表が出席し、国際機関の責任者も出席した。

今回のテーマは「世界全体の豊かさに向けた協力の強化」であり、それに基づき、「多国間主義の堅持」、「国際問題における非同盟運動の影響力の強化」「平和で公正で豊かな世界の構築に向けた努力」などが合意された。

即ち、グローバルサウスは米国覇権秩序の崩壊を見据えて、それに代わる新たな「平和で公正で豊かな世界の構築」を目指すということである。

そこで注目されるのは「1955年のバンドン会議と61年の非同盟運動創建時に確立された原則の再確認」が強調されたことである。

その原則とは、根本原則として「主権尊重」があり、それに基づく、域外からの干渉拒否、内政不干渉、紛争の話し合い解決などの原則である。

「月刊日本」に、進藤榮一・筑波大学院名誉教授が「日本の“亡国に至る病”」と題する連載寄稿を寄せているが、その第一回目の寄稿文で「対米自立の鍵はアジアにあり」として「今こそバンドン会議を見直す」ことを提唱している。

氏は、日本の対米従属政治が日本を亡国に導いているとし、バンドン会議で高崎達之助、藤山愛一郎(後に外相)が秘密裏に中国の周恩来首相と会談し日中貿易の再開を話し合ったことなどを想起させながら、バンドン会議の諸原則に立ち帰ってこそ、中国とも仲良くでき、グローバルサウスと共に進むことができ、そうすれば対米従属から抜け出せると提唱する。

日本はバンドン会議の当時、国連にも参加できず「世界の孤児」の状態にあった。しかし、バンドン会議への出席により、アジア、アフリカ諸国の票を得て56年に念願の国連の成員国になることができた。

その後も外務省や自民党内部にもアジア、アフリカを重視する「A・A研」などアジア・アフリカ派が存在し、対米追随ではない生き方が模索されてきた。

それが今や「日米同盟基軸」一辺倒になり、その下で米中新冷戦の最前線に立たされ、核戦争まで想定された対中戦争をやらされかねない状況になっている。

そのような破滅の道を歩むのか、それとも世界の大多数の国々であるグローバルサウス、非同盟諸国が示す主権尊重、共存共栄の新しい国際秩序の下で生きるのか、日本にはその二者択一が迫られている。

米国覇権秩序が崩壊しつつある中で、日本がいくら、その覇権回復を訴えて走り回っても、それに耳を傾ける国などない。事実、2月の「島嶼諸国閣僚会議」に参加したのは島嶼諸国16カ国中パラオなど6カ国に過ぎなかった。

米国の使い走りのような恥ずべき補完外交をいつまで続けるのか。世界の流れ、時代の流れを冷徹に見据えた日本のための主体的な外交が問われている。


「武器支援がないから勝てない」ウクライナ戦争とは何か?

若林盛亮 2024年2月5日

■出てきた「米抜きのプランB」
TBSのTV報道番組「1930」でウクライナがとるべき戦略として「米抜きのプランB」が取り上げられた。

「米抜きの」というのは、米国が議会でのウクライナ支援の追加予算が共和党の反対で採決できず、また今年末の大統領選でトランプが勝利する可能性も出たためだ。トランプは「ウクライナ支援をやめる」大統領になる。結局、ウクライナへの軍事支援は「米抜きで」、つまり欧州・EU諸国のみでやることになるという前提でのウクライナが取るべき戦略は何か? という議論だ。

ウクライナが取るべき「米抜きのプランB」戦略、それは今年、2024年は「戦略的防御」に徹し、2025年「攻勢」に向けた準備、すなわち欧州からの最新の武器支援をしっかり整えることというもの。

そんな「机上の戦略」が実戦で通用するかどうかは別にして、問題は米欧の最新の武器支援がなければウクライナは勝てないということにある。これがウクライナ戦争の実相だとも言える。

■「支援がないから勝てない」は代理戦争の理屈
ウクライナ戦争はロシアの侵略から祖国を守る愛国的な戦争だとマスコミでは言われている。日本のほとんどの野党も共産党も含めそう言っている。果たしてそうだろうか?

これまでの植民地支配に対する民族解放闘争や外国の侵略者から祖国を解放する戦争で「武器支援がないから勝てない」とは誰も言わなかった。

朝鮮戦争は「原子爆弾と歩兵銃の戦争」で「歩兵銃が勝った」と朝鮮では誇り高く言われている。ベトナム戦争でも戦略爆撃機や攻撃型武装ヘリコプター、化学剤散布など最新兵器の米軍に抗して南ベトナム民族解放戦線は歩兵銃と手榴弾で、北ベトナム軍は古い高射砲や高射機関銃で戦って米軍をベトナム全土から追い出した。

侵略者に抗して勝った戦争では「武器支援がないから勝てない」という言葉は禁句だった。侵略者というのは軍事技術的優勢を頼んで攻め込んでくるのだから、そんなことを言ってたら、とても勝てる見込みのない戦争だし、闘いに起つことすらできないだろう。

ところがウクライナではゼレンスキー大統領が口を開けば「米欧の軍事支援の不足」を言い募り、当然の権利のごとく「より最新の、より多くの兵器支援」を要求する。

彼は「これはウクライナだけの闘いではなく民主主義の価値観を守る戦争だ」とも言っている、だから欧米が支援するべきだと。最近は「ウクライナが負けたら第3次世界戦争になる」と欧州を脅し始めた。これらの言動はこの戦争の性格を正しく語っている。

ウクライナ戦争はけっして祖国防衛のための国民挙げての愛国的戦争ではない。それは米国の覇権回復戦略?対中ロ新冷戦戦略実現のための戦争、「自由と民主主義陣営」のための戦争、一言でいって米国の代理戦争だということだ。「支援がないから勝てない」、それは代理戦争をやらされる人間の口から出てくる不満、へ理屈でしかない。


国民の生命を守る国民第一国家に

赤木志郎 2024年2月5日

能登半島は日本海に向けて突き出た半島で古くから大陸や北海道との交流の場となり、県所在地の金沢が経済文化的に昔から栄えたこともあって、能登半島は独特な自然の美しさとともに輪島塗りなどの伝統文化を有していた。だから、石川さゆりの「能登半島」という歌が郷愁を誘うような響きがあるのかもしれない。漁業が盛んだがそれも年々就業者が減り高齢化していた、「全部過疎」に分類された能登半島は他の限界集落と同様に高齢者の割合が50%以上と非常に高い。古い木造家屋がほとんどだった。

 TVや新聞をつうじて知る、不便だが住み慣れた家を離れたくないという被災者の人々の言葉から、能登半島という故郷にたいする強い愛着を感じる。そして、正月には実家で家族親戚とともにという人々が帰ってくる。そのささやかな温もりとは無関係に震度7の地震が襲った。

 10年前から群発地震が起こっていた。そのうえに千年に一回の強い地震がおこったのである。

能登半島地震は東日本震災のように沖合を震源とするのでなく、直下地震であり、ずたずたに半島を切り刻んでいった。輪島市側は4メートルも陸地が隆起し、下には水が貯まっているためひろく液状化現象がおこり、道路が歪み家屋が傾いていった。珠洲市側は2メートルの隆起と津波のため漁船はほとんど被害を受けた。

 停電と断水、情報遮断、そして孤立化。1ヶ月経った時点で、230人以上の方が亡くなり、住宅は4万3千余り棟が全壊ないし半壊し、1万5千人余りの人が体育館や温室ハウスなどで今なお避難生活を送っている。

 崩壊した港、家屋を前にして、「もうやっていけない」と悲嘆にくれ涙を流す人が多い。一方、飲食店を再開し「元気」を醸しだし、復興への力を鼓舞している例もある。漁船一隻も漁を開始した。他県の職員、ボランテイアが多数駆け寄っている。

 阪神淡路大震災や東北大震災と比して、死者が少なく被災の範囲は広くないが救済と復興の力の入れ方が全然違う。まず自衛隊の派遣は2日後に1000人、8日目に6100人に増やした。その間に助かるかもしれない人々がほとんど亡くなったといえる。熊本地震では2万人を派遣している。国はもちろん県の係官も現地にすぐに行っていない。岸田首相は作業服で記者会見し、対策本部を立ち上げたと言っているが、「やっているふり」をしているだけだ。

 道路が寸断され把握が難しいだけにいっそう人を動員して救助、復旧活動に取り組まなければならない。自衛隊を動員できなかった要因は1月7日に習志野空挺部隊の演習予定があったからだと思われる。しかし、人命救助以上に国の大事があるのだろうか。

 能登半島震災に支出する金額は最初、47億円を表明したが。同日ウクライナ支援に54億円や18日にはトマホーク購入には2450億円が支出されている。現在は新年度予算で1兆円を予備としそのうち1500億円出すとしているが。何もかも遅い。少ない。

 「天災のあとはすべて人災」という言葉がある。能登半島には群発地震がありながら地震が起こる危険性がきわめて少ないと県はしてきた。そのうえでの能登震災への対応は岸田政権による人災であると言わざるをえない。

 国民の生命を守ることを第一にする日本の国にしなければならないと思う。

 そして日本を災害防止立国とし、地震、津波、台風、大雨と河川氾濫、山崩れなどから国民を守っていく対策を講じていくことである。

 最後に、ひとつだけ不幸中の幸いがあった。珠洲原発建設を阻止したので原発事故を起こすことがなかった。もし原発事故がおこれば孤立した集落にいる住民は避難することができなかっただろう。地震大国である日本には福島原発事故が示しているように原発は巨大な原子爆弾をかかえているようなものである。能登半島には志賀原発を再稼働しようとしているが、地震多発地域である能登地区からすみやかに廃炉にしなければならないだろう。

 亡くなった人びとにお悔やみを申し上げるともに、国民の生命と生活を守る国民第一の国とすることが切実に問われていると思う。


国VS覇権の闘い

小西隆裕 2024年1月20日

戦後は、米国が国の上の国として世界に覇権してきた歴史だった。

その間、ソ連が東欧諸国の上の国として、もう一方の覇権国家だったが、

ソ連崩壊後、この30数年間、米一極覇権だった。

それが今、崩壊してきている。

そこで、よく言われるのが中ロなどへの覇権の多極化だ。

だがその一方、このところ、自国第一、国民第一など国の台頭がよく言われるようになった。

国が力を付け、国の上の国、即ち覇権そのものを許さなくなってきていると言うことだ。

なぜ国が力を付けてきたのか。それは、国民の力が強くなったからではないかと思う。

自国第一、国民第一と一体によく言われるのは、「ポピュリズム」の台頭だ。

これは、より正確に言えば、国民の政治への進出だと言うことができる。

国民が欧米式の民主主義、政党によって間接的に行われる政治を認めなくなってきている。

それでは、国民の意思が政治によく反映されないと言うことだ。

米欧における政治不信の高まりと既存の二大政党制の崩壊、

西アフリカなどで見られる軍部上層によるクーデターから広範な大衆と一体となった若手将校によるクーデターへの転換、

洋の東西を問わず、顕著になってきている、国民大衆が直接国の政治を握って動かす直接民主主義への胎動、

こうした広範な国民大衆の国の政治への進出、ここにこそ国の力の高まりの源があるのではないだろうか。

実際、この国の力の台頭の前には、国の上に国を置く覇権の存在などあり得ない。

米覇権の崩壊も、中ロVS米の覇権抗争によると言うより、国VS覇権の闘いでの敗北によると言った方がはるかに事の本質を突いていると思う。


「見捨てられた」ような能登の風景に思う

魚本公博 2024年1月20日

能登大震災、多くの方々が亡くなり、行方不明者も多い。そして今でも2万6000人もの人が寒さに震えながら避難生活を送っており、各地で孤立状態になっている集落が数十ヶ所にも上る。

それにしても過疎化した能登の寒々とした風景には心が痛む。

とりわけ地方出身で地方に関心があり、我々の中で地方政策を研究課題として担当している私としては、その風景に怒りを覚える。

そうした中、鈴木洋仁・神戸学院大学社会学部准教授(歴史社会学専門)の「地方を見捨てる」という悪魔の選択が始まった・・「能登半島地震」で露呈した日本社会の重苦しい未来」(PRESIDENT Online 1月11日)という文章を見た。

要旨は、能登地方で放送インフラが劣化し、今回の地震でテレビやラジオの「停波」が起きたことを例に、地方が「見捨てられ」ているとして、能登復興も「コストパフォーマンスを考えて、小さな再建という方向になるのではないか」と述べる。

そして国連のSDGsの標語「誰も見捨てない」を引用しつつ、「言葉だけなら何とでも言える」としながら、「いつの間にか、誰も責任取らない形で何となく見捨てることになっていくのではないか。見捨てることへの後ろめたさもないままに。なし崩しに予算も人もモノも出さないし出せない、そういう未来はそう遠くないだろう」と結論付けている。

「地方を見捨てる」政策は、新自由主義的思考に基づいている。

2017年に地方制度調査会が提案した中枢都市圏構想は、「全てを救うことはできない」として中核都市を中心にした中枢都市圏にカネ、モノ、ヒトを集中し他は「見捨て」「切り捨てる」というものであった。

その結果「仙台圏の一人勝ち」現象が起きた、すなわち仙台市と秋田市を中心とする仙台圏にカネ、モノ、ヒトが集中し、他の東北全域の市町村が衰退した。

能登の寒々とした風景は、効率第一の新自由主義的思考によって「地方を見捨てる」政策が行われた結果である。

新自由主義は米国の思想である。そうであれば、ここで問題にしなければならないのは、そうした米国の思想を頭から受け入れるという日本政治の対米追随性だろう。

1月7日、ウクライナを訪問した上川陽子外相は、ウクライナ支援のためにNATOに57億円を拠出することを表明した。その2日後の9日に政府が発表した能登への支援額は47億円である。

この数字は、岸田政権の政策が「能登よりも米国が大事」、即ち「日本よりも米国が大事」になっていることを如実に示している。

その上に、米中新冷戦で日本が最前線に立つために、米国に軍事力増強、軍事費倍増を約束したことによって、国難と言うべき大災害にもカネを出し惜しみするかのような対応になっている。

岸田首相は、14日になって能登に出向き「寄り添う」姿勢を強調した。

しかし、鈴木准教授が言うように、「言葉だけなら何とでも言える」。本当に「寄り添う」気持ちがあるのなら、「国難の折り、軍事費倍増は止めて、能登復興に全力を尽くします」くらいは言うべきではないだろうか。

岸田内閣の政治に対して「冷たい政治」だという声が高まっている。この政治を止めさせなければ、地方はますます疲弊し、能登の寒々とした風景が全国に広がっていくだけだ。そして、「いつの間にか、誰も責任をとらない形で」地方だけでなく国民が見捨てられていく。

能登の見捨てられたような風景を前に、考えるべきは、対米追随、米国覇権回復に動員され服務するような政治を止めることである。そうした声を上げること、それが能登の人々に真に「寄り添う」ことになると思う。


窃盗犯に堕ちたG7-露資産盗用でウクライナ支援

若林盛亮 2024年1月5日

■「予算不足」近づくウクライナ
国家予算の半分以上を戦費に充てているウクライナが年初から予算不足に陥って欧米に助けを求めている。

ウクライナの現在の予算自体が約半分を欧米からの援助金を当てにして立てられているから、その欧米からの援助金が滞れば赤字になるのは当然だ。

2024年予算案は歳出を約12兆4,000億円を見込んでいるが、歳入見込みは約6兆5,400億円というから歳入見込み外の予算、残りのおよそ50%の予算は欧米からの援助を見込んで立てられているそうだ。だから欧米からの支援金が滞れば、ウクライナ国家予算は当然、超赤字に陥る。

ユリヤ・スペデリンコ第一副首相兼経済相は、公務員50万人、教師150万人の給与、1000万人の年金給付に支障が出るとして、欧米からの支援金拠出の緊急性を訴えた。

ところが頼みの欧米にはウクライナ支援の余裕がなくなっている。

肝心要の米国がウクライナ支援の予算案は否決されたまま、また欧州諸国ではロシア制裁の返り血を浴びて生活困窮化に苦しむ国民は「ウクライナ支援疲れ」、「国民生活が第一でしょう」となっている。

この窮状を打開するためにG7が一計を編み出した。

■せこいG7-露資産差し押さえ、ウクライナ支援金に!?
いわゆる先進7ヶ国、G7では経済制裁で凍結したロシア資産を差し押さえ、これをウクライナ支援に充てる案が検討されているという。

凍結されたロシア資産は約42兆円にも昇るとされウクライナ支援には十分すぎるほどの金額だ。しかしこれはあくまでロシアの資産であり、ロシア国民のものだ。他人の資産を凍結する経済制裁もひどいと思うが、凍結した資産を差し押さえてウクライナ援助に回すというのは紛れもない窃盗行為だ。

これを米国が主導し、G7内作業部会で法的根拠の整理に入ったという。そして2月下旬に予定されたG7首脳会談での合意をめざしているらしい。

他人の援助を当てにして国家予算を組むウクライナもひどい国だと思うが、他人の資産を窃盗して「ウクライナ支援」などと豪語する米国はじめG7はせこすぎる。いかに窮地に陥ったとはいえ、「先進国」も地に落ちたものだ。

この一事は「米中心の国際秩序の破綻」相、その混乱ぶりを示すものだろう。


「解散総選挙」にどう対するか

小西隆裕 2023年12月20日

「解散総選挙」に関しては、今年の最初から一年を通じ取り沙汰されてきた。

昨年末、岸田首相がテレビ出演しながら、その場で「増税前に選挙があると思う」と口にしたからだ。

一昨年の総選挙での大勝利。それにより向こう三年間選挙をする必要のない、「黄金の三年」に「なぜ今、総選挙なのか」と言われながら、それはことある毎に持ち出されてきた。

それが、この間の物価高騰、生活苦、その上の増税、等々、岸田内閣支持率が政権発足以来の最低を更新し続け、現時点での解散総選挙は自民党大敗北にしかならないと言われる中、その来年への持ち越しが岸田首相自身から表明された。

だが、それを前後して、柿沢法務副大臣に始まって、副大臣が連続辞任する不祥事が続き、さらに安倍派、二階派など自民党各派閥のパーティー券問題、岸田首相自身の統一教会との接触問題、等々、東京地検特捜部によって挙げられる大問題が連続している。

「今なぜ」と言われてきた「解散総選挙」が、今や嫌でも行わざるを得ないものになってきている。

これは、岸田政権、いや自民党政権にとって、最悪だ。この局面での「解散総選挙」が2009年以来の自民党大惨敗を意味しているのは自明のことだ。

2009年と今、違っているのは、あの時は、民主党があったことだ。今はない。

では、どうなるのか。

予想では、自民党大惨敗、公明党も敗北、野党各党は、それぞれ議席を分け合っての勝利だ。

こうなった場合、日本の政治はどうなるのか。

そこで考えられるのが政界再編だ。

今、政界再編への強い要求はどこにあるか。特別思い当たらない。あるとすれば、それは米国だ。米国は、「米中新冷戦」の最前線に日本を押し立てながら、それを担う強い政権を求めている。

それは、親米と非米、改革と保守、国家主義、親中、等々、対中対決戦への姿勢が相異なる勢力が混在する今の自民党政権にはとても望めない。米覇権崩壊の危機が迫る中、「新冷戦体制」に向けた「改革」、それに基づく対中戦争を強行できる親米改革と戦争遂行政権への転換が決定的に求められている。

そのためには荒療治が必要だ。それが解散総選挙による自民党の大惨敗、それを契機とする自民党の親米改革派と非米保守派への分裂、さらには、野党の親米改革派と非米保守派、自主派などへの分裂と、与野党を超えた離合集散というかたちで強行されるのは十分に想定できるのではないだろうか。

もちろん、この青写真が現実になるか否かは不明だ。

しかし、今、世界で繰り広げられる非米か親米かの闘いが、「米中新冷戦」をめぐって日本にも提起されてくるのは、自明のことだ。

ここで問われているのは、日本主体の立場だと思う。

世界的な非米か親米かの攻防にあって、そのどちらに付くのかというのではなく、何よりもまず、日本としての国益を考え、それに基づいて自らの進路を決定することが問われていると思う。

幕末、維新以来の根本的な転換と選択が、今切実に求められてきているのではないだろうか。


日本の通信インフラを米国に売るのか、その国民的論議を

魚本公博 2023年12月20日

NTTが米国に売られようとしている。

国が保有するNTT株を売却して防衛費倍増のための財源に充てるためである。

そのためにNTT法を廃止しようとしている。

NTT法では「NTT株の3分の1以上を国が保有する」となっており、この条項をなくさなければ売却できないからである。

NTT法は1984年に米国の要求に従って、これまで公社(国有)であった「日本電信電話公社」を民営化し、「日本電信電話株式会社」(NTTはその略称)にした時、その公共性を保障し、日本の電信電話事業を守るための規制を定めたものである。

そのため3条で、会社の責務として、①固定電話をユニバーサルサービスとして全国一律に提供する。②電話通信技術の普及を通じて公共の福祉に資する研究開発を行い、その成果を公表する、としており、「取り締まり役の選任」や「事業計画」で総務相の認可を義務付けるなどの規定や「外資規制」が明記されている。

NTT法廃止を主導するのは自民党の前幹事長・甘利利明氏である。

甘利氏は、TPP交渉の過程で「国境をまたぐデータの自由な流通の確保、国内でのデータ保存要求の禁止という原則」(20年に「日米デジタル貿易協定」として締結)を受け入れた人物である。

その甘利氏がNTT株を売却するという相手は米国外資であることは明らかである。

米国外資にNTT株を売却するということはNTTの経営権を米国に渡すということだ。

そうなれば、NTTが現在行っている「固定電話によるユニバーサルサービス」なども放棄される。事実、現経営陣はこれを無くすと言っている。

しかしそれ以上に問題なのは、NTTがもっている通信インフラを米国が握るようになることである。NTTは、固定電話や光ファイバーの回線、電柱、電線、地下通路、管轄、庁舎を所有管理しており、米国外資がNTTの経営権を握れば、こうした通信インフラを米国が握ることになる。

今日、デジタル化が社会発展の基本手段になっている中で、通信インフラを米国に握られるということは国の命脈を米国に握られるということである。

米国は今、崩れ行く米国覇権を回復するために米中新冷戦を掲げ、日本をその最前線に立たせようとしているが、その米国覇権は、この間、さらに崩壊の度を強めている。

米国が人権を掲げながらイスラエルのガザでの虐殺蛮行を容認する二重基準、ウクライナでゼレンスキー政権が窮地に追い込まれている状況を見ながらグローバルサウスなど世界の多くの国々が離米の動きを示すようになっているからだ。

米国から見れば、このような世界的な流れに日本も乗る危険性がある。しかし米国はそれを許さない。それを許せば、米国覇権が決定的に崩壊するからである。

だからデジタル化の基盤である通信インフラを押さえる、そうすれば日本は米国から離れられなくなる。

通信インフラは国民の財産である。それは固定電話加入者が払う加入料金や電話料や税金で作られたものであり、その額は当時で15兆円、現時価で40兆円にのぼる。

それを政府が勝手に米国に売るなど許されないことである。

しかし政府は、国民の目に触れないように、NTT法廃止を自民党内の論議で閣議決定し、25年の通常国会で法案化しようとしている。

そうした密室討議で、このような重大問題が決定されていいのだろうか。

これについて、国民的な論議を起こさなければならない。そうした中で、国民の財産を勝手に米国に売るな、通信インフラを米国に売るな、NTT法廃止断固反対の声を高めなければならないと思う。


「一丁目一番地に居続ける」、その危険を考える

若林盛亮 2023年12月5日

■「一丁目一番地に居続ける」の意味

10月下旬のフジTV「プライム・ニュース」では「“世界動乱の時代” の幕開けか」というテーマを取り上げた。

ハマスによるイスラエルへの先制的攻撃による中東戦争勃発で、米国が主戦場の対中対決に加えてウクライナ戦争で対ロと二正面作戦を強いられ四苦八苦中なのに、さらに対中東の加わる三正面作戦にはとうてい対応できないという事態を受けての番組だ。

「これはアメリカを中心とする国際秩序が破綻していることを映すのか」が番組の問いかけだが、問題は日本がこの事態をどう見てどう対処すべきかだ。

キャノングローバル戦略研究所研究主幹、内閣官房参与の宮家邦彦氏はこれについて番組最後の提言ボードにこう書いた。

「一丁目一番地に居続ける」

この意味はいかなる時であっても米中心の国際秩序の恩恵を受ける同盟国という「一丁目一番地に居続ける」、すなわち米国の最大の同盟国として崩れゆく米覇権秩序維持のために自身の役割を最後まで果たすべきだということだ。

いまそれは具体的にはこういうことだ。

「アメリカがウクライナとガザで手一杯でインド太平洋地域の抑止力が弱っていく、それは困る」と宮家氏は述べたが、その結論は東アジアで「米国の抑止力が弱っていく」不足分を日本が補うべきであるということだ。

■いま「一丁目一番地」が補うのは「“核”ミサイル抑止力」

「米国の抑止力が弱っていく」不足分を日本が補う、それは具体的に何を指すのか?

結論的に言えば、敵基地攻撃能力保有の目玉、陸上自衛隊に新設のスタンドオフミサイル(中距離ミサイル)部隊の“核” 武装化であり、日本列島の中距離“核” ミサイル基地化、米国側からすれば日本の対中・代理“核”戦争国化だ。

「日本列島の中距離“核”ミサイル基地化」は、2021年7月に米インド太平洋軍が「九州、沖縄からフィリッピンを結ぶ第一列島線に対中ミサイル網計画」を発表、中でも「日本は地上発射型中距離ミサイル配備先の最有力候補」としたことに始まる。

米国が対中対決で「日本列島の中距離“核”ミサイル基地化」を死活的問題とするようになったのは以下の理由からだ。

1987年に米ソ(後に「米ロ」)間で合意のINF条約、地上発射型中距離ミサイルを全廃する取り決めによって米国はそれを廃棄したが、逆に中国は中距離ミサイル、それも極超音速や変速軌道を描く最新式のものを大量に開発し保有するようになり、この地域のミサイルバランスは米国に圧倒的不利になった。ミサイルは核運用に必須の運搬手段だけにミサイルバランスの不利は核バランス不利に直結する問題となり対中対決上、米国は核抑止力の劣勢という深刻な問題ととらえた。

このINF条約の2019年失効後、米国は新たな中距離ミサイル開発に着手、「日本への配備もあり得る」段階に来たが、米軍は在日米軍基地へのミサイル配備を見送った。理由は「安保三文書」改訂で自衛隊の敵基地攻撃能力保有が可能になり、日本の中距離ミサイル部隊、「スタッドオフミサイル(敵の射程圏外から発射可能ミサイル)部隊」が陸自に新設されたからだ。つまり自衛隊新設のミサイル部隊が中距離ミサイルの対中バランス上の米軍不利を補う責務を負わされることになった。

残された課題は、日米「核共有」協議システムをつくり、有事には自衛隊の中距離ミサイルに“核”搭載を可能にすることにより米軍の対中・核抑止力劣勢を補うことだ。

尹ユン錫ソク悦ヨル大統領の「勇断」(元徴用工問題で妥協)によって日韓首脳会談のメドが立った今年三月八日、読売新聞は米国が日韓政府に次ぎのような打診をしてきたことを伝えた。

「“核の傘”日米韓で協議体の創設を」! 

これを受け韓国の尹大統領は四月末の「国賓」訪米時の「ワシントン宣言」に米韓“核”協議グループ(CNG)創設を謳った。これが日米韓“核”協議体創設の布石であろうことは明白だ。

これに続き八月末に日米韓首脳会談がキャンプデービッドで持たれたが、米韓首脳の個別会談ではこのCNG稼働をバイデンが高く評価すると共に「日米韓でも拡大抑止(核)の協議を進めたい」ということを米政府高官に言わせた。

現時点で自衛隊“核”武装化の鍵は、「核共有」のための日米韓“核”協議体の設置にある。

宮家氏は内閣官房参与の位置にある人物だけに、わが国が「一丁目一番地に居続ける」ために新年には日米「核共有」、自衛隊“核”武装化の道筋がつけられていくことになるだろう。

それは滅び行く米覇権秩序と運命を共にする道、米国との「無理心中」の道、日本破滅の道になる。

■「一丁目一番地」を脱するときが来た

2023年を通して米中心の「国際秩序の破綻」、すなわち「パックスアメリカーナ(アメリカによる平和)の終わり」は、ウクライナと中東での戦争を通じて世界が眼にすることになった。

米国によって対中対決の最前線を担う決断を迫られているわが国は、この「時代の潮目の変化」を誰よりも敏感に注視し正しく対処すべきだと思う。

対中対決、その最前線を迫る米国と「無理心中」をするのか否かを問われている現時点にあって、「一丁目一番地」を脱する決断、日本独自の道を考え選択するときに来ていると思う。


岸田政権の規制改革では国民の命を守れない

若林佐喜子 2023年12月5日

厚生労働省は、患者の生涯にわたる医療データを創薬に活かすシステム構築を目指し、患者の同意がなくても情報を活用できる仕組みとするために特別法の制定を含めて有識者会議で検討を始める。(読売11.13)

これは、6月に、岸田政権が閣議決定した「経済財政運営と改革の基本方針2023」(骨太の方針)、規制改革実施計画の一つである「感染症危機に対応するため、医療データの活用に関する特別法制定を含めた制度整備を検討する」に基づくものである。

現在、薬の開発では、薬を使ったグループと有効成分を含まない偽薬をつかったグループで効果や安全性、副作用などを判定する「臨床試験」(治験)が定められている。医療データで代用できれば、研究機関や製薬企業などが薬の効果や副作用を詳細かつ迅速に解明でき、開発期間や費用の圧縮にもつながるということだ。

記事は、米国では、臨床試験をせずに医療データの分析によって、ガン治療薬の使用対象の拡大が認められた。コロナ禍では医療データの蓄積が進むイスラエルで、ワクチン効果に関する分析結果が世界に先駆けて公表されたなど、医療データ代用のプラス面だけが挙げられていた。

しかし、今回の新型コロナウイルスワクチンの開発、接種を巡って深刻な状況が提起されているのが現実である。

2020年3月にWHO(世界保健機構)で新型コロナウイルスのパンデミック宣言が出され、米国ではトランプ大統領が大統領権限を発動して、民間の薬剤会社、国立衛生研究所、国防省まで総動員して8ケ月でワクチンを開発、緊急使用を許可。元来、ワクチン開発には数年かかるとされていたが、米国で開発された新型コロナウイルスワクチン、ファイザー製、モデルナ製は、人工的に合成した遺伝物資メッセンジャーRNA(mRNA)という遺伝子組み換えという革新技術で開発された新種のワクチンである。遺伝子組み換えの新種ワクチンということで人体への影響を心配し、短期間の開発、実用化なので安心テストは充分行われているのかと疑問を抱く人は少なくない。

櫻井ジャーナル(023,5.31)によれば、この新種のワクチンは020年12月下旬から、医療データが整っているイスラエルで接種が急ピッチに進むが、021年4月に、10代の若者を含む人々の間で心筋炎や心膜炎が増えているという情報が伝えられ始める。6月23日に、米国のCDC(疫病予防管理センター)のACIP(予防接種に関する諮問委員会)がmRNAワクチンと「穏やかな」心筋炎との間に関連がありそうだと認める。その二日後、FDA(食品医薬品局)がmRNA技術を使ったファイザー製とモデルナ製の「COVID-19ワクチン」が若者や子供に心筋炎や心膜炎を引き起こすリスクを高める可能性があると発表。2022年に入るとイスラエルを含む大半の国で同種のワクチン接種が大幅に減っている。

さらに、日本では、021年2月から米国産の同種ワクチン接種が行われてきたが、接種後、2000人の死亡者と健康被害が多くでていることが確認され、また、接種目的が感染防止から重症化防止に変わる不可解さに不信感を抱く人も少なくない。そのような中で、6回、7回の接種を奨励している政府に対して、停止を要求する声が出ている。

今回の米国産新型コロナワクチンの実態やイスラエルの医療データから発信された内容を考慮すれば、ワクチン開発をはじめ創薬において「臨床試験」(治験)問題は慎重に、厳格にとりあつかうことが問われている。特に、米国のコロナ禍対応は、ワクチン接種万能論、ウイズコロナ路線の国、そして、何よりも感染者数が1月29日現在、1億58万人超、死亡者が110万人を超えた世界でも突出した国である。ここから、岸田政権は、冷徹に感染症対策の教訓を探していくことが今、問われていると思う。特に、効率、経済も重要であるが、その担い手、支える国民があってこそのものである。感染症対策、規制改革で守るべきものは、国民の命、健康であるということを改めて切に訴えたい。


トランプ人気の秘密は?

小西隆裕 2023年11月20日

来年もまた、米大統領選が巡ってきた。

今度も、トランプが一番人気だという。

女性問題や秘密漏洩問題、それに暴言の数々。

しかも、鼻持ちならない大金持ちに加えて、77の高齢と来ている。

これでもかこれでもかという悪条件。

その彼がなぜ一番人気なのか。

こんな男しか大統領候補がいない。

それこそ、アメリカの衰退の生きた証拠だ。

もちろん、そうとも言えるだろう。

しかし、この問題は、それだけで片付けてしまってはならない何かがある。

前々回、8年前、本命ヒラリークリントンを打ち破った「秘密」は、「ラストベルト地帯」に象徴される、全米に広がる反グローバリズムの気運の高まりだった。

あの時と今と、もちろん本質的なところは変わっていない。

しかし、まったく同じだというわけでもない。

何が変わったか。

それは、米覇権の決定的な崩壊ではないだろうか。

もちろん、あの時も米覇権の崩壊は進んでいた。グローバリズムの破綻だ。

だから、世界の警察を辞めると叫び、TPPから脱退し、それまでの米覇権秩序を否定したトランプは、喝采を受けた。

だが、あの時は、米覇権の中枢、エスタブリッシュメントにもまだ余裕があった。

今は、その余裕が決定的になくなっている。

「米中新冷戦」にウクライナ戦争、それに加えて、ハマス・イスラエル戦争と三正面作戦へ直面し、米国はたまらず、恥も外聞もなく最大の敵、中国を相手に「米中協議」のクリンチに逃げ込んだ。

こうした中、米国民は要求している。米国がこれらすべての「戦争」から手を引くことを。それは、米覇権そのものからの撤退を意味している。

それを彼なら、型破りに決行できるのではないか。

常識を超えたトランプへの「淡い期待」。

まさにそこにこそ、その人気の秘密があるのではないだろうか。


二つの「二重基準」を考える

魚本公博 2023年11月20日

今、ガザ地区でイスラエルによる未曾有の虐殺蛮行が起きている。

すでに死者が1万人を超え、その7割が女性や子供であり、難民キャンプや病院までが標的にされている。そうした状況がSNSで拡散し、その惨状を日々目にする中でイスラエルの虐殺蛮行への激しい怒りの声が世界中で沸き起こっている。

その怒りは、人権や人道を掲げながらイスラエルの未曾有の非人道的な行為を容認するという「二重基準」への怒りとなっている。

しかし、「二重基準」と言うなら、自衛権に対する「二重基準」こそがより根本的なものとして問題にされなければならないのではないか。

米国はイスラエルの自衛権のみ擁護しハマスの自衛権は認めていない。

米国は、国連安保理の緊急会合での4度の停戦決議案も、「イスラエルの自衛権支持が明記されていない」として拒否権を発動し、10月27日に行われた国連総会でのヨルダンの停戦決議案も121カ国が賛成する中で同様の理由で反対に回っている。

それは、まさに自衛権をめぐる米国の「二重基準」である。

米国がイスラエルの自衛権のみ支持し、ハマスの自衛権を認めないという、自衛権の「二重基準」に固執するのは、米国の覇権維持のためである。

米国は、ハマスなどの反米組織をテロ組織としながら、反テロ戦争の名目でこれら反米組織を軍事攻撃し反米的な国々をテロ支援国家として攻撃することで覇権を維持してきた。ハマスの自衛権を認めれば、この戦略が最終的に破綻する。

また、米国は自衛権の「二重基準」によって、イスラエルを押し立ててアラブ諸国と争わせる「分断して統治する」手法を採ってきたがハマスの自衛権を認めれば、それも出来なくなる。

米国がイスラエルの自衛権のみ認めハマスの自衛権を認めない「二重基準」によって、イスラエルのガザ攻撃は、一方的な自衛権行使として想像を絶する虐殺蛮行となり、ハマスを絶滅するまで続けるものになっている。

人権・人道を掲げながら、イスラエルの虐殺蛮行を容認する「二重基準」の根底には自衛権の「二重基準」があるのであり、この「二重基準」こそ批判し正さなければならない。

逆に言えば、自衛権をめぐる米国の「二重基準」を正してこそ、イスラエルの蛮行を止め、米国の中東政策を破綻させて中東に平和をもたらし、パレスチナの人々が渇望するパレスチナ国家建設を実現の道が拓かれる。そして、それは米国覇権の崩壊を促進する。

そういう意味からも、自衛権をめぐる「二重基準」こそをより根本的な「二重基準」として批判することが決定的に重要になっていると思う。


「アジアの外」からは見えない時代の潮目“「近代化に翻弄された国」による国際秩序への挑戦”だって!?

若林盛亮 2023年11月5日

■“「近代化に翻弄された国」の逆恨み”という「アジアの外」からの視点

米国はいま、基本主戦場の対中対決に加え、ロシアの先制的軍事行動によるウクライナ戦争で「対ロ」の加わった二正面作戦を強いられ青息吐息なのに、このうえ「対中東」が加わる三正面作戦を強いられ、これらにとうてい耐えられなくなっている。

これらが示す米国の無力ぶり、それは米国中心の国際秩序、「パックスアメリカーナの終わり」であることを世界の誰もが見える時代になった。でもこれを見ようとしない人々もいる。

10月下旬のフジTV「プライム・ニュース」では「“世界動乱の時代” の幕開けか」というテーマを取り上げたが、ここで登場した日大危機管理学部教授・先崎彰容氏は要旨こう述べた。

いま新しい国際秩序をめざす中ロやグローバルサウス諸国は「近代化に翻弄された国」であり、彼らの逆恨みが「近代化に成功した先進国」の国際秩序への挑戦を生み、「世界動乱の時代」という混乱をもたらしている元凶だ、と。

彼らの「近代化に翻弄された恨み」の根本理由は米欧日帝国主義列強による植民地支配からくるものだと先崎氏は言うが、では植民地にされたことを中国やグローバルサウス諸国が不当だと怒ることのどこがおかしいのか? 逆に言えば、「近代化に成功」して植民地主義をやった帝国主義列強に対する怒りは逆恨みであって不当なもの、植民地支配は近代化の中で生じる必然の出来事だったということを先崎氏は言っているのだ。

これは何も先崎氏だけに限った考え方ではない。政府の企図する「西欧の近代史と一体の日本歴史教育」をという高校生向けの「歴史総合教科書」もそうした視点からのものだろう。

事実、米欧日の旧帝国主義列強諸国の中でかつての自分のやった植民地支配を反省、謝罪した国はない。

「韓国併合」を(当時の)国際法的に合法とする日本だけでなくかつて自分がやった植民地支配をまともに反省総括した国はどこにもない。「反省の模範」とされるドイツにしても「ナチスの残虐性」を反省しただけ、植民地主義に関しては反省も謝罪もない。米英仏「連合国」側の諸国は自分たちが「反ファッショ」正義の「民主主義国」側ということで反省の必要すらも感じていない。

そして今もグローバリズムや米中新冷戦戦略で覇権大国が世界を支配するという現代版植民地主義をやっている、中ロやグローバルサウスはこれに異議を唱えているのだと言える。

日本は脱亜入欧、「アジアの悪友を去り、西欧の良友と進退を共にする」として「アジアの外」に出て欧米と共に「近代化」を進め、帝国主義列強の道を歩んだ。戦後も米国には頭を下げたがアジアには頭を下げず(植民地支配を反省せず)、アジア唯一のG7「先進国」成員として「アジアの外」の日本であり続けた。

だから先崎氏のように、中ロやグローバルサウスの米国中心の国際秩序への挑戦を「近代化に翻弄されたものの逆恨み」としか見ることができなくなるのだ。

「G7がリードする」米国中心の国際秩序はかつての植民地支配秩序の現代版「覇権秩序」に過ぎないことをグローバルサウス諸国は知っている。

8月、南アで開催のBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南ア)首脳会議では新たにサウジアラビア、アルゼンチン、イラン、アラブ首長国連邦、エジプト、エチオピアの6ヶ国の参加が認められ、BRICSはG7とは一線を画する新興国の国際秩序形成の巨大集団になった。

また9月にインドで開かれたG20首脳会議ではG7諸国が求めたウクライナ問題、「ロシアの侵略」明記やロシア非難の文言のない首脳宣言が採択されたことが世界の注目を集めた。また会議ではAU(アフリカ連合:20ヶ国網羅)の加入も決定され、G20でもG7「先進国」は全くの少数派に転落した。

彼らがめざす国際秩序は、「歴史の教訓」を汲み、各国の主権尊重、内政不干渉、紛争の平和的解決といった脱覇権の新しい国際秩序形成をめざすものになるだろう、パックスアメリカーナ、米覇権専横の時代は歴史の遺物として排斥される。

■「アジアの外」からではなく「アジアの内」から正しく時代を見ること

2023年を通して「国際秩序の破綻」、すなわち「パックスアメリカーナの終わり」は、ウクライナとパレスティナでの戦争を通じて世界が眼にすることになった。

「アジアの外」からは見えないこの時代の新しい潮流を「アジアの内」から正しく見ることが問われていると思う。

米国によって対中対決の最前線を担う決断を迫られているわが国の政治家、政治勢力もこの「時代の潮目の変化」を誰よりも注視しているはずだ。先の鈴木宗男氏の大胆な訪ロ行動と「ロシアは勝つ」発言も「米国の終わり」を見越したものだろう。岸田派古参幹部の古賀誠氏は「日米安保に引っ張られすぎるのは危険だ」と岸田政権を批判した。これらの動きは「アジアの外から」を脱して時代を見ようという動きだと思う。

対中対決、その最前線を迫る米国と「無理心中」をするのか否かを問われている現時点にあって、「アジアの外」からではなく「アジアの内」から正しく時代の潮目を見て正しく対処することがいま切実に問われていると思う。言葉を換えれば「近代化の反省」が問われている時とも言えるのではないだろうか。


鈴木宗男ロシア行きに思う

小西隆裕 2023年10月20日

先日、鈴木宗男氏が所属している日本維新の会に無断でロシアに行き、ウクライナ戦争の真相として、ロシアの圧倒的優勢を伝えたのは、日本と日本の政界にちょっとした波紋を投げかけた。

そこでまず思うのは、なぜ彼はこのような行動に出たのかだ。

こうした突拍子もない行動がいかなる意味を持つのか。

そう考えた時、まず思い浮かぶのは、欧米メディア大本営の垂れ流しウクライナ情勢の報道に明け暮れる日本メディア界の実態だ。

鈴木氏のもたらした情勢評価は、それに対する反証に一定程度なったのではないかと思う。ロシアの優勢を伝える情報は、このところ増えてきていたが、鈴木氏の情勢評価がそれをも超える意味を持ったのは事実なのではないかと思う。

しかし、今回の鈴木氏の行動自体の意味は、それに止まらない。それは、この「事件」に対する日本の政界自体の対応に示されているように思う。

一言で言って、対応が鈍かったということだ。当の日本維新の会自体、鈴木氏の除名を直ちに行うでもなくいる中に、鈴木氏の方から出されてきた辞表を受け入れるというかたちになったし、自民党をはじめ、政界のこの件に対する動きも極めて鈍かったのではないか。

この甘さ、鈍さは、一体どこからくるのか。それは、日本の政界、メディア界全体の間で、米覇権の威信自体が崩落してきている現れなのではないだろうか。すなわち、鈴木氏が伝えてきたウクライナ戦争の真相は、すでに日本の政界、メディア界全体の暗黙の了解になっており、米英大本営発表の権威はがた落ちになっていたと言うことだ。

こうして見た時、鈴木宗男氏の行動は、また違って見えてくる。

彼の本当の狙いは、米覇権をめぐり激動の兆しを見せてきている日本の政界再編への動きに一石を投ずること、その辺にあったのではないだろうか。

それは鈴木氏の過去を見てみても推測できることだ。自民党田中派で精力的に動いていた彼がアフリカでの資源外交を問題にされ、失脚したことだ。米覇権に抗し、日本の自立を目指したあの活動と今回の行動、それが一本の赤い糸で結ばれているの否定することはできないのではないだろうか。


「処理水安全」キャンペーンは何のためか

魚本公博 2023年10月20日

福島原発の汚染水の放出は一回目の放出が9月11日に終わり、10月5日から第二回目の放出が始まった。そこで行われているのが「処理水安全」キャンペーンである。

松野官房長官は二回目の放出開始を告げながら、東電がモニタリングした結果を公表し「安全情報を発信する」と言う。貯蔵された汚染水860万トンを3、40年掛けて放出すれば1年の放出量は数%に過ぎず、ここ数年は「安全」かも知れない。しかし、冷却は廃炉まで続けなくてはならず、専門家は数百年かかると言っている。860万トンの汚染水だけでも膨大な量なのに、毎日100トン出ると言われる汚染水を数百年流し続ければ一体どうなるのか。

自分の政権期間中は、だましだまし「安全」を証明できたとしても、その後のことは頬かぶりする。「処理水安全」は「我が亡き後に洪水よ来たれ」式の無責任極まりない妄言としか言いようがない。

今、「処理水安全」キャンペーンは、日中対決の手段になっている。松野官房長官は、2回目の放水開始を告げた席で、中国の日本産海産物禁輸措置の「即時撤回」を求め、「科学的根拠に基づく対応を求める」と述べている。

汚染水処理は、他に方法は幾らでもある。内外の専門家は「貯蔵を継続して、その間に最も安全で科学的は方法を開発すべきだ」と勧告する。しかし、それを無視して汚染水放出を強行した背後には米国がある。

その理由は、これまで何度も強調したように、米国が米中新冷戦の最前線に日本を立たせるためだ。

中国は、汚染水放出に反対しており、それが強行されれば相応の措置を取ると明言してきた。そこで放出を強行させれば、日中対立は激化する。米国はそれを予見して、日本政府に汚染水放出を強行させたのだ。

「処理水安全」キャンペーンは、米国の核覇権のためでもある。

反原発・原発廃止論者で著名な小出裕章さんは、核廃棄物の貯蔵は「都合よく行ったとして10万年、100万年かかる」のであり、そんな危険なものは即刻運転停止し、廃炉を進めるべきだとする主張し、その立場から、「汚染水安全」の宣伝は「原発は安全」に世論を誘導するためのものだと看破する。

その上で、この「原発は安全」は米国にとって死活問題だということを見なければならない。何故なら、米国の覇権は核覇権であり、そのための核兵器は、原発の燃料である濃縮ウラン、その運転過程で生成されるプルトニウを原料にしているからだ。

まさに米国の核覇権は原発によって維持されている。そのために「汚染水は安全」でなければならない。そこで米国は、IAEAを使って、米国だけが濃縮ウランを供給し、他国がプルトニウを核兵器生産に転用しないよう監視(査察)すると同時に汚染水の安全性を保証させている。

米国の核覇権にとって、原発は安全でなくてはならず、その稼動で必然的に出てくる汚染水も安全でなくてはならないのである。安全でなければならないから安全だと言い張る、そのどこに科学性があると言うのか。「処理水安全」こそ偽情報ではないか。

更に、「処理水安全」キャンペーンは、被爆国日本の核アレルギーを弱化解体させるためだということに注意を払わなければならない。

米国は、米中新冷戦を掲げ、日本を対中対決の最前線に立たせようとしているが、その日中対決は、軍事対決として米国の代理戦争、核代理戦争になることまで想定したものだ。米国が岸田政権に敵基地攻撃能力保持を迫り、核の共同保有を迫るのは、そのためである。

そこで最大のネックになっているのが被爆国日本の核アレルギーである。「二度と過ちはくりかえしません」という非核の誓いは全国民的な国是になっており、これを下手にいじれば火傷を負う。火傷どころか、大爆発になりかねない。

そこで「処理水安全」キャンペーンを繰り広げて、中国との対決感情を国民的レベルにまで高め、「汚染水は安全」を容認させ「原発は安全」も容認させる。こうして日本の核アレルギーを弱化解体しながら、米国の核覇権戦略に「理解」を示すように仕向ける。

それが米国の狙いである。そうであれば、米国のために日本が防波堤になり国土を核戦場にするような核代理戦争策動を阻止するために、「処理水安全」キャンペーンとの戦いが極めて重要になってくる。

他の方法は幾らでもあるのに、海洋放出を強行して「処理水安全」などと非科学的な偽情報を流しても、それで国民の眼を欺くことは出来ない。科学的な情報こそが国民に支持され勝利する。「汚染水放出即時停止」、その声を大にする。そこから全ては始まる。


-関東大震災時の朝鮮人虐殺100周年に際して-かつては「不逞鮮人」、いま「不逞中ロ」-「歴史は繰り返す」を考える

若林盛亮 2023年10月5日

■映画「福田村事件」の今日的意味

森達也監督の映画「福田村事件」が話題を呼んでいる。それは関東大震災の混乱の中でふだんは善良な日本人が流言飛語に惑わされて朝鮮人虐殺を行った異常な時代の事実を描いたからだ。

それは決して過去の「不幸な事件」ではない、とても今日的な意味を持っている。

今年9月は関東大震災から100周年、映画「福田村事件」は震災時に「朝鮮人が放火や殺人、井戸に毒を投げ込んでいる」などの流言飛語が流され、6000余人もの朝鮮人が「自警団」らによって虐殺された事件を取り上げた。流言飛語の原因が戒厳司令部による「不逞鮮人の不穏な動きがある」通達であるというのが通説だ。「不逞鮮人」とは「独立の陰謀をめぐらす不逞な朝鮮人」という当時の言葉で独立運動家を「不逞鮮人」と呼称するのはマスコミによって広く流布されていた。

大震災の4年前には朝鮮全土で3・1独立運動、「独立万歳」を老若男女が唱え街頭に繰り出した「万歳闘争」と南北朝鮮で呼ばれる大規模な全民族的闘いがあり、当時の日本政府は大きな危機感を抱き、日本国民に「不逞鮮人」に対する恐怖心、敵愾心を煽った。大震災時の朝鮮人虐殺は起こるべくして起こった。

その後、「不逞鮮人」に「チャンコロ(中国人の蔑称)」が加えられて満州、中国大陸へと植民地拡大戦争(中国侵略戦争)に発展、これがこの地に利権を持つ米欧列強との軋轢を呼び「鬼畜米英」との植民地再分割戦争(太平洋戦争)へと突き進み、無惨な敗戦を結果した。

「不逞鮮人」に始まる戦争と敗戦の歴史から戦後日本は何も学ばなかった。それを示すのが、朝鮮人大虐殺に対して国としての責任をいまだ日本政府が認めていないことだ。国会質問で答弁に立った松野官房長官は「事実関係を確認することができる記録が見当たらないのでお答えできない」の一点張りだった。

一見、過去の歴史認識に関する小さな問題のように見えるが、この今日的意味は大きい。

戦争は「日本の敵」をつくり出すところから始まることを歴史が教えている。いま新しい「日本の敵」がつくり出されている。そしてこれが「新しい戦前」を呼び起こしている。

■かつては「不逞鮮人」いま「不逞中ロ」

「日本の敵」としての「不逞鮮人」はいま「不逞中ロ」と形を変えて生き残っている。

「不逞鮮人」は「日本の植民地支配に反対し独立を主張する不逞の輩」だったが、いま中ロは「(欧米式)普遍的価値観、法の支配に挑戦する専制主義」の「不逞の輩」とされている。これをマスコミが煽り立て、「朝鮮人虐殺」ならぬ「不逞中ロ征伐」気運が高められている。特に日本は対中対決の最前線としてこの欄で何度も強調したように代理“核”戦争国化、「新しい戦前」へと向かっている。

かつては「不逞鮮人」思想、日本の植民地支配に反対するものは「日本の敵」という思想が先の戦争と敗戦という悲劇を生んだ。いま「不逞中ロ」思想は欧米式「普遍的価値観と法の支配秩序=米国中心の覇権国際秩序」に従わない中ロを「敵」とする対中ロ新冷戦気運が煽られている。対中対決の最前線と米国が位置づけるわが国は「新しい戦前」に向かう渦中に置かれている、

かつて「不逞鮮人」いまは「不逞中ロ」、「歴史は繰り返す」危機にわが国はある。

■「不逞中ロ」の米欧日は今や世界の「孤児」

かつて「不逞鮮人」いまは「不逞中ロ」と「歴史は繰り返す」の日本、「新しい戦前」を呼ぶような愚を犯すような日本になったのはなぜかを考る必要があると思う。

先の戦争の敗戦時、日本はアメリカには頭を下げたがアジアには頭を下げなかった。「天皇陛下万歳」が「アメリカ万歳」に変わっただけ、その帝国主義的覇権体質は変えなかった。

米英中心の当時の国際覇権秩序(世界の植民地支配秩序)に挑戦したことだけを反省し、植民地支配自体を反省しなかった。日本政府が「朝鮮人虐殺の責任」を認めないのは朝鮮への植民地支配を合法とし「朝鮮独立を主張するものは不逞鮮人」という認識を変えていないことを示すものだ。

それはかつての帝国主義列強、米欧も同じ。

第二次大戦後、英国はインドの独立闘争を苛酷に弾圧、フランスはアルジェリア独立闘争を「アルジェリア戦争」として軍事的に弾圧した。米国は韓国、フィリッピンに親米軍事独裁政権を樹立、形式は独立を与え「傀儡政権」を通じて新植民地支配をやった。その後はインド、アルジェリアは独立を果たし、韓国、フィリッピンは民主化運動で軍事独裁政権を倒した。しかしいまだに米欧は植民地支配自体に対して謝罪も反省もしない姿勢を貫いている。

戦後の米欧中心の国際秩序は旧植民地支配秩序の現代版、パックスアメリカーナ(アメリカによる平和)、覇権大国・米国を中心とする国際覇権秩序だった。

いまパックスアメリカーナが大きく揺らぎ、グローバルサウスと呼ばれる発展途上国が反旗を翻している。それはG7に象徴される米中心の国際秩序、「米欧式の普遍的価値観、法の支配」が過去の世界植民地化の現代版だと世界が知り始めたからだ。

先のインドでのG20会議では新にAU(「アフリカ連合」:55ヶ国網羅)の参加が決められ、グローバルサウスが絶対多数を占め、いわゆる「G7」、米欧日「先進国」は世界の少数派、「孤児」の境遇に転落した。G7が呼びかける「ウクライナ支援」に世界の誰も見向きもしない現実がそれを示した。

ウクライナ戦争で「不逞ロシア」をいくら米国やG7が訴えても世界の誰も額面通りに受け取らず、むしろ「不逞」はウクライナで対ロ新冷戦の代理戦争をやらせた米国ではないかと世界が思い始めたからだ。

「不逞中ロ」の米欧日「G7」諸国は世界の少数派に転落、時代の「孤児」になりつつある。それは世界が大国による覇権主義秩序を拒否し、脱覇権の新しい正義と平和の国際秩序樹立をめざし始めたからだ。

「新しい戦前」を阻止する上でこのことを正しく認識することが重要だと思う。


西アフリカ、勃発するクーデター

小西隆裕 2023年9月20日

ニジェール、ガボン、そして少し前には、ギニア、マリ、ブルギナファソでも、西アフリカ諸国で立て続けに軍が国家権力を奪うクーデターが生まれている。

そこで顕著なのは、旧領主国、フランスなどに対する、反米欧感情だ。

だが、これを単純な旧植民地主義に反対する闘いだと見る見方は少ない。

この地域におけるロシアや中国の経済的進出が誰の目にも明らかであり、中ロによるクーデターへの関与が見られるからだ。

そこで西側で盛んに言われているのは、米欧と中ロの「資源争奪戦」説だ。

中ロがこれら西アフリカ諸国に豊富な地下資源を狙って、そこに根深い反米欧感情を煽り、軍部を動かしてクーデターを起こしているのではないかということだ。

だが、こうした「米欧対中ロ新冷戦」的な見方には、少し無理があるのではないかと思う。

何よりも、これら一連のクーデターには、これまでにはなかった特徴がある。それは、これらクーデターが、どの国にあっても、これまでのように軍部上層によってではなく、若い将校たちによって起こされており、広範な大衆的支持を受けているところにある。

SNSがこれらクーデターで広く利用されたことなどに、それは裏付けられているのではないかと思う。

一言で言って、クーデターの主体は、中ロではない。それぞれの国の若い軍部を中心とする広範な国民大衆自身だということだ。

西アフリカで生まれたクーデターの波、そこにも、覇権時代の終焉、新しい脱覇権時代の到来が鮮明に映し出されているのではないか。


「汚染水放出」、他の方法はあるのに何故、それに拘るのか―「海洋放出停止」を汎国民的な声にしよう

魚本公博 2023年9月20日

8月24日、汚染水の「海洋放出」が強行された。他に方法はなかったのか。何故、政府は「海洋放出」に固執するのか。これとどう対決すべきなのか。今回は、この点に絞って意見を述べたいと思う。

■「海洋放出」だけが、汚染水処理の方法ではない

先ず確認しておきたいことは、汚染水を処理する方法は「海洋放出」だけではないということだ。

元々、政府内でも「海洋放出」以外に「水蒸気放出」「水素放出」「地層注入」「地下貯蔵」などが論議されてきた。それに加えて、トリチウムを科学的に取り除く方法があり、これは米国、英国、カナダで実施されており、日本でも近大の研究グループが18年に、より高性能な装置を開発している。近代の研究グループは、その完成のために政府に補助金支援を要望したが政府は応じず、東電も協力要請を拒否している。

日本の専門家や世界の専門家は、「貯蔵継続」、すなわち、より大型で堅牢な容器に替えるか、米国で実施しているモルタル化しての貯蔵を継続し、その間に科学的処理や他の方法を研究開発して放出以外の方法で処理する。これが一番、安全で確実な方法だと言ってきた。

「海洋放出」が問題なのは、これを廃炉まで続けなくてはならないからである。

福島原発には860トンもの核燃料と共に溶け落ちたデブリがあり、それを冷却水で冷却し続けなければ、再臨界を起こす。だから廃炉まで冷却を続けなければならない。

その廃炉を政府は2041年から51年に終えるとしているが、デブリの位置や状態も把握出来ていない状況で、それは不可能だということは政府、東電も分かっている。英国の研究機関は廃炉まで200年は掛かるだろうと言っており、世界の専門家の中には数百年かかるだろうと見る人もいる。

200年、数百年と言えば、過去に遡れば江戸時代、戦国時代にもなる。今後それだけの年数をかけて、放出を続ければ、その量は天文学的数字になる。その悪影響も次第に明らかになるのではないか。他の方法は幾らでもあるのに、「海洋放出」に固執する政府の態度は異常である。

■なぜ「海洋放出」に固執するのか

「海洋放出」以外の方法は色々あるのに、政府が何故、執拗に「放出」にこだわり、今それを強行したのか、それは米中新冷戦と関連づけてこそ理解できるものである。

今、日本は米国の提起する米中新冷戦に従って、その最前線に立とうとしている。そのために軍事費をGNPの2%にまで増大し反撃能力の保持、核の共同保有という核武装まで目指すようになっている。

そのために中国との対決感情が煽られており、染水放出による日中対決は、それを煽る者たちにとって、極めて好都合なものとなっている。

実際、この日中対決は、米国によって後押しされている。「海洋放出」にお墨付きを与えているIAEAはNPTという米国の核戦略のための機関であり、「海洋放出」が米国の後押しの下で行われたものだということを示している。

8月18日に行われたキャンプデービッド会談でも米国は「海洋放出」を積極的に支持し、今後「偽情報」対策でも協力していくとしている。

元々、放出に反対してきた中国は放出されれば対応措置を取ると明言してきた。だから中国の全面禁輸措置は十分に予想されたことである。そうであれば、「海洋放出」は日中対決を煽るための既定の路線であったと見るべきなのだ。

とりわけ「汚染水放出」は、日本の「核政策」とも絡むものであることは注意を要する。

日本の「核政策」、その一つは、対中国政策で「核の共同保有」など「核」をもっての軍事対決が準備されていることであり、他の一つは、「GX推進法」などで「原発」維持が決定されたように、日本のエネルギー政策で原子力依存を続けるということである。

ここで障害になるのは、日本人の核アレルギーである。

唯一の被爆国である日本では核アレルギーが強く、「非戦」と共に「非核」は国是となっている。また福島原発事故により原発の「安全神話」がウソであることを知った多くの国民が原発廃止を求めるようになっている。これを何とかしなくては、日本の核政策を進めることはできない。

そのために、「汚染水放出」の安全性に異議を唱え反対するものを、すべて「偽情報」として対処するという強権発動、マスコミを動員しての世論誘導などが行われている。

野村農相(当時)が「汚染水」と言ったことが問題視され、それを立民の泉代表が問題発言だと追求するなど、まるで戦前の「大本営発表」「大政翼賛政治」を髣髴させる事態が現出しており、ネット上でもネトウヨによる「偽情報」攻撃が激しくなっている。

「汚染水処理」問題は、米中新冷戦、その下で進む、日本の軍拡、核の共同保有にまで絡む問題であり、日本の国是「非核」や「反原発」とも絡む問題であり、ひいては日本の生き方、あり方を問う問題なのだ。

■「汚染水放出停止」を汎国民的な声に

これとどう対決するのか、それが問われている。

今、「汚染水放出」を巡る論争は、IAEAを後ろ盾にした政府の「安全性」宣伝に対して、それが如何に欺瞞的なものであるかを暴露するものになっている。それは、重要なことである。しかし、戦前の反軍演説で有名な斉藤隆夫の「斉藤一人孤塁を守る」ではいけないのではないか。

誰もが納得し賛成するものを対決点にする。それは「海洋放出停止」ではないだろうか。

中国や韓国の「放出反対」の声も、日本に対して敵意を煽り、日本をやっつけろといようなものではなく、至極穏当な「放出を停止してくれ」ということである。

当事者である福島の漁民の声も「放出はやめてくれ」である。彼らは言う。「これからも何も聞いてくれねえべなあ」「(反対すると)賠償金欲しさで反対しているのかと言われる。何で理解してもらえねえんだ」「想定外と言うが、これから30年、何回起きるか分かんねえべ」と。

そして、多くの国民が彼らに同情を寄せ、自分に出来ることとして「福島の魚を食べて応援します」と言う。それを「放水を容認するのか、認識不足だ」として批判してはならない。そうではなく、こうした当事者である福島漁民、それを助けようとする国民の心情にかなうものは何かということであり、それは「海洋放出停止」だということだ。それこそが日本や世界の専門家も推奨する最も科学的な方法であり、「海洋放出」に固執する政府を窮地に追い込むものになるということだ。

汚染水放出が米国とそれに追随する日本政府の強権的な手法で強行されている中で、それと対決する力は、国民しかいない。そのためにも国民誰もが納得し賛成できるものとして、「汚染水放出停止」を汎国民的な声にしていくことが問われていると思う。

この誰もが納得し賛成する方法を採用すること。それが国民生活に責任をもち、日本の運命に責任を持つ政府の取るべき方法ではないのか。もしそれが出来ないというのであれば、そういう政府は即刻、退陣して頂くしかないということだ。


「前のめりの米国」-キャンプデービッド日米韓首脳会談で見えること

若林盛亮 2023年9月5日

8月18日、キャンプデービッド日米韓首脳会談が開かれた。

「日米韓安保、歴史的“高み”」と鳴り物入りで読売新聞はその「成果」を伝えたが、他方で朝日新聞は「前のめりの米国」とも「懸念」を伝えている。

「前のめり」とは「事を急せいている」、あるいは「焦り」を表す言葉だ。米国は何を「急いている」、あるいは「焦っている」のか?

今回の「日米韓安保」の狙いは、対中、対「北朝鮮」で「日米韓軍事同盟」レベルの協力という「歴史的“高み”」に3国間関係を引き上げようというものだった。米国の究極の目的は、「対中対決の最前線」とした日本の代理“核”戦争国化だ。このことは前にも書いたので結論的に述べるにとどめたい。

なぜ「日米韓」なのか? それは、すでに対「北朝鮮」代理“核”戦争国化に一歩踏み込んだ尹ユン錫ソク悦ヨル政権の韓国を日本の対中・代理“核”戦争国化のための「水先案内人」に利用しようという米国の心算からだ。

すでに米国は4月の米韓首脳会談時の「ワシントン宣言」で「有事の核使用に関する協議体」として「米韓“核” 協議グループ」を新設、すでにこれを稼働させている。今回のキャンプデービッド会談時に「日米韓でも拡大抑止(核抑止)の協議を始めたい」という米政府の声を新聞は伝えたが、米国の真の目的は「日米韓“核”協議体」創設だ。すでに稼働の米韓“核”協議グループに日本を引き込むこと、これによって日本の対中・代理“核”戦争国化を確実なものにしたい、これが米国の「前のめり」の正体だ。

でもこれはそう簡単にできるとは思っていない、日本は非核を国是としており、日韓関係は歴史認識問題の火種を抱えているからだ。しかし日本の代理“核”戦争国化は米国の米中新冷戦戦略の死活的問題だ、だから米国は「前のめり」、焦っている。

その焦りの表現としてあるのが、今回の会談で日米韓首脳会談、閣僚級会談の毎年定例化、次官級協議の不定期定例化を「制度」として決めたことだ。これを「日韓を『固定化』し、米国を『固定化』する」ことだと米高官は述べた。読売新聞はキャンプデービッド会談の意義を「今回の合意が極力継続するよう(日米韓)協力の枠組みを“制度化”したこと」としたが、制度化しなければ揺らぐほど日米韓協力はもろいものだということの表現でもある。

今回、日米韓“核”協議体創設合意は見送られたが、「制度化」された首脳級、閣僚級会談、次官級協議で日本との「有事に関する核使用に関する協議体」創設は強引に進められるだろう。

いま東の対ロ・代理戦争、ウクライナ戦争での米国の敗北は避けられないものになっている。それだけに西の米中新冷戦戦略実現に米国は自己の覇権の死活を賭けている。焦れば焦るほど米国の強引さは苛酷になるのは必至だ。

日本の対中・代理“核”戦争国化は覇権破綻の淵にあえぐ米国と「道連れ心中」も同然の危険なことだ。岸田政権にこれを拒む力はないだろう。


マイナ保険証問題、その真意は?

若林佐喜子 2023年9月5日

岸田政権は、マイナカードと保険証の一体化で多くのミスが露呈し、総点検を指示した。しかし、国民の不安と非難の声が高まっているにも拘わらず、024年秋の紙の保険証廃止は撤回せず、ひたすらマイナカード事業を推し進めようとしている。一体、なんのためなのか?

今日、デジタル化、AI化なしに国と社会の発展は望めない。そのデジタル化において、生命とされる決定的なものがデータであり、国の政治、経済、軍事、国民生活においてその重要性が一層増している。同時に、膨大なデータに非常に大きな価値があるとともに、国家と国民の安全保障が緊急な課題でもあり、世界各国でデータ主権を守り、保護することが重要な問題として提起されている。

ここで深刻で重要な問題は日本が自らデータ主権を放棄している事実だ。

日本は、米国とのTPP交渉の過程で、「国境をまたぐデータの自由な流通の確保、国内でのデータ保存要求の禁止という原則」を受け入れ、2020年に「日米デジタル貿易協定」を締結している。すなわち、日本は国としてデータ保護・管理などのデータ主権を放棄させられているということだ。

日本はコロナ禍の中で、「デジタル敗戦」と烙印をおされ、デジタル化の流れが急速におし進められた。菅政権下で2021年9月に発足した「デジタル庁」は、システムの標準化、統合を眼目とし、各省庁とともに国と地方のシステムの統合、すなわち各自治体が別々に整備してきた税、社会保障、住民登録などのシステムの一本化であり、025年度の移行を目標に掲げてきた。今回のマイナカード化事業、マイナ保健証問題はそその一環である。

ここで重要な事は、その基盤(クラウド)として使用されているのが、アマゾンのプラットフォーム、「アマゾン・ウエブ・サービス(AWS)であることだ。022年、10月、デジタル庁(河野太郎デジタル相)は、政府の情報システムを効率化するための「ガバメントクラウド」の事業者として、先行事業で契約したアマゾンとグーグルに加え、マイクロソフト、オラクルの選出を発表。「米国企業に依存することについて安全保障上の懸念を示す声も出ていた」と、読売新聞は伝えている。(022年10月5日)

その後、総務省とデジタル庁は、スマートホンにマイナカード機能を搭載できるサービス、オンラインで行政手続きができるなどの利便性を強調し、「まず、グーグル社のアンドロイド端末が対象になる」と、具体的な日にちまでを広報した。

今回のマイナ保健証問題、マイナカード化の推進は、デジタル庁の目指す各省庁、国と地方のシステム統合の一環であり、また、それは、米国と米国巨大企業「GAFAM」に統合、組みこまれることを意味するものだ。

時代は今、弱化した米国覇権の回復戦略である米対中露新冷戦、日米統合一体化が推し進められ、その最前線である、日本政府のみならず、国民みなの資産を米国と米国IT大手「GAFAM」が掌握しようと躍起になっている。

改めて、岸田政権が進めるマイナ保険証、マイナカード化事業の阻止と、日本政府のデータ主権の確保、行使を強く訴えたい。


ロシアとウクライナ、どちらが愛国か

小西隆裕 2023年8月20日

ウクライナ戦争、この戦争で戦っている双方がともにわれこそが「愛国」だと言っている。

これを聞いて、普通誰もが考えるのは、ウクライナの正当性だ。

ロシアは自分がウクライナを侵略しておいて、何を言っているんだということだ。

これに対し、ロシアは、「攻撃しているのは、ウクライナの後ろからロシアを攻撃している米欧の方だ。だからこの戦争は、米欧に対するロシアの愛国の戦争なのだ」と言っている。

この言い分には正当性がある。何よりも、この戦争が始まる前、米欧はウクライナを押し立て、ロシアを包囲し攻撃していた。

米英は、東西冷戦後のロシアとの盟約を破って、東欧諸国のNATO加盟、NATOの東方拡大を続け、最後に残ったウクライナの加盟までも近日中のことにしていた。一方、米英は、ウクライナに対する軍事支援を強化し、軍事顧問団の派遣と大量の米国製兵器の供与によるウクライナ軍の米英化、ウクライナの対ロシア軍事大国化を図るとともに、東部ウクライナのロシア系住民に対するファッショ的弾圧を強めるようにしていた。

ロシアが今回のウクライナに対する「特別軍事作戦」に当たって、ウクライナの中立化、非武装化、非ナチス化をスローガンとして掲げたのはそのためだった。

この戦争がウクライナの後ろにいる米欧によるロシアに対する戦争だというのは、戦争が始まった後の米欧の動きにもよく現れている。

米欧によるウクライナ支援は全面的だ。米英が中心になっての米欧側諸国総動員の軍事支援、ロシアを西側経済秩序から放逐排除してのロシア経済の破壊と対ウクライナ経済支援、そして米英メディア総動員でのロシア攻撃・ウクライナ支援の一大宣伝戦。

こうした現実から、この間よく言われるようになってきているのは、この戦争が「代理戦争」だと言うことだ。すなわち、ウクライナが後ろにいる米欧によって戦争をさせられているという意味だ。

実際、ゼレンスキー大統領の言動を見ているとそのことが露骨に現れている。二言目には、「民主主義陣営」からの武器、経済の支援要請であり、支援が足りないことへの怒りの表明だ。ウクライナ自身の自分の力による問題の解決という視点が全くない。自分たちが「民主主義陣営」を代表して戦っているのだから当然だということなのだろう。

ところで、この「民主主義陣営」には、正義性、正当性がほとんどない。米欧VSロシアを民主主義VS専制主義だとし、自らの正当性を言っているが、「民主主義陣営」が米英による「覇権陣営」であることは誰の目にも明らかだ。さらに、ゼレンスキー氏自身、彼らから押し立てられた傀儡に他ならない。

この非正義、不当性は、今、ウクライナ内部で起こっていると言われる不正、腐敗によく現れている。米欧から送られてくる武器の大量横流し、兵役免除をめぐる汚職の続出、等々、ウクライナの軍部、官僚機構に蔓延する諸事象には枚挙の暇がなくなってきている。

事ここに至り、親族を戦争勃発直前、イスラエルに退避させていたゼレンスキー大統領が叫ぶ「愛国」が空しく響くようになっているのは必然ではないか。

「覇権の側に愛国なし」。ここに真理があるのではないか。


汚染水放出問題は、米国覇権に従いそれを頼りにする愚を教えている

魚本公博 2023年8月20日

今、「汚染水放出」が問題になっている。福島第一原発でメルトダウンして、底に溜まった溶解デブリは冷却しないと再臨界(核反応)に到る。その防止のための冷却水を貯めてきたタンク(1000個・約137万トン)が24年には限界に達するとして岸田政権は8月末には汚染水の海洋放出を始めると言明しているからだ。

■抗議の声に耳を貸さず、約束破り、国際法違反
これに国内外から反対の声が上がっている。

汚染水はALPSで処理してきたが、トリチウムは処理できない。そこで政府はトリチウムは安全基準の40倍に希釈するので安全だと強弁する。ところが、汚染水に含まれる62の核種のうち、ストロンチウム90、セシウム137、134、ヨウ素129など処理できない核種を隠してきたことも判明した。

放出は廃炉まで延々と続けなければならない。英国の研究機関は廃炉には200年かかるだろうと予測しており、数百年かかるという見解もある。今、一日の冷却水は循環式に替えて一日100トンであるが、それを数百年続ければ総量は莫大なものになる。

いくら希釈したとしても食物連鎖で放射性物質は蓄積される。それは海草から魚へと蓄積され最後は人体に入り癌を引き起こし、遺伝子に影響を与える。そのような事態が予想されるのに、世界の共通財産である海洋を被爆国である日本が汚染するなど許されないことだ。

何よりも先ず、日本国民が反対の声をあげている。

とりわけ福島や東北の漁業関係者の懸念は深刻である。福島原発事故で痛手を受け、ようやく、その痛手から回復する兆しが見えた中での、この放出計画は、彼らを再び絶望の底に突き落とすものだ。

またこれは福島原発事故を見て、原発の危険性を知り、原発廃止を要求する多くの国民への挑発であり、唯一の被爆国であり、核廃絶を願う日本国民への背信行為である。

そして、国際社会の懸念。太平洋に面するオーストラリア、ニュージーランドを含む太平洋諸国。フィリピン、インドネシア、南アフリカ、ペルーでも専門家や国民から抗議の声が上がっている。

日本政府は、これまで、「関係者の理解なく、(汚染水の)いかなる処分もしない」「海洋投棄は関係国の懸念を無視して行わない」と表明してきた。

今回の決定は、その「約束」を破るものとなる。

それは、国際法違反でもある。

海の憲法と言われる「国連海洋法条約」では「いずれの国もあらゆる発生源から海洋環境の汚染を防止する義務を負う」とあり、とくに「毒性または有害な物質(特に持続性のもの)の陸の発生源からの放出」を禁じている。

また「海洋汚染の防止に関する」ロンドン条約でも「あらゆる放射性廃棄物の海洋投棄は関係国の懸念を無視して行わない」としている。

従って、汚染水の海洋放出は、国際法違反であり、国際犯罪となる。

■錦の御旗、「IAEA」米国覇権に従い頼って
政府は、こうした事態を回避するためにIAEA(国際原子力機構)に放出計画の検討を依頼した。その報告書は、「計画は国際基準に合致しており」海洋放出しても影響は「無視できるほど、ごくわずか」だというもの。

政府はこれを「錦の御旗」にしている。

しかしこの報告書には「処理水の放出は、日本政府が決定することであり、その方針を推奨するものでも承認するものでもない」の一文がある。すなわちIAEAの調査は、日本政府が放出計画を説明し、提供された資料水に対して「計画は国際基準に合致し」、その資料水は「安全」としたものに過ぎない。そこでは政治的圧力や賄賂などの噂もある。それ故、世界の学者も、報告書は認められないと言っている。

日本政府が海洋放出を選んだのは「それが一番安上がり」だというもの。そうした安易な案は捨て、内外の誰もが納得できる方法を採用すべきではないだろうか。汚染水処理については放出以外にも様々な方法がある。その中には、近畿大学が東洋アルミニウムなどと協力しトリチウムを分離回収する方法、装置の開発もある。専門家は、タンクへの貯蔵を続け、その間に他の方法を研究開発すべきだとの案を述べる。

IAEAとはNPT(核拡散防止条約)体制のための機関であり、実質、米国の機関である。すなわち、汚染水の海洋放出は、米国のお墨付きで行われ、日本はそれに頼って、国民も国際社会も反対する放出を強行しようとしているということだ。

 まさに米国覇権に従い、それに頼って生きる。だから内外の抗議にも耳を傾けず、日本主体の案も研究もやろうとしない。ここに問題の本質がある。

■中国敵視に政治利用の卑劣
何故、米国が日本の汚染水放出にお墨付きを与えるのかについては、色々考えられる。その中でも米国が汚染水放出をもって、G7など「民主主義陣営」の結束を図り、日本と中国の対決を促進させる動きをしていることが注目される。

米国は日本の計画を支持し、G7など「西側陣営」としても、これを支持するように仕向けており、こうした中で日本は中国との対決姿勢を強めている。

日本政府は「日本は何度も反論しているのに、中国が政治的理由から議論してくる」、「中国も大量の汚染水を放出している」と中国攻撃に熱を上げており、日本のマスコミは、「処理水放出 中国だけが反対」などとこれを煽っている。

これに対し、中国は、「科学を尊重し、事実を尊重し、IAEAの報告を”後ろ盾”とすることなく、国際的道義的義務と国際法の義務を忠実に果たし。海洋放棄計画を停止し責任ある方法で放射能汚染水を処理するよう促す」としてASEAN外相会議、ASEAN経済フォーラム、NPT再検討会議の予備会談でも、この問題を取り上げるように提起している。

自国、自国民への悪影響を防止するのは国家として当然なことである。放出すれば、自国の海や国民を守るために日本の海産物禁輸の措置を取る。それは主権国家の権利の正当な行使であり日本がそれに文句をつけても無意味である。

また中国の要求は、国際社会の懸念を代弁している。他の国々も懸念を表明するが声を大にして反対を唱えるまでにはなっていない。それは強大な米国とそれに追随する日本への気兼ねがあるからだろう。しかし米中新冷戦を仕掛けられた中国は気兼ねなく堂々とその懸念を表明しているということだ。

汚染水放出問題を政治的に利用しているのは中国ではなく日本であり米国である。

科学は真実を解き明かす。いずれ汚染水放出が世界の海を汚し、海産物を汚染し、人間への被害も明らかになるだろう。このままでは、日本の海は破壊され、海産物に多くを依存する日本の食文化も破壊される。そして世界の海を汚染した日本は、世界の糾弾を浴びることになるのではないか。

汚染水放出問題は、米国覇権に従って、それを頼りにする生き方が如何に愚かなことであるかを教えている。


敬意を払われない自衛隊、その理由は?

若林盛亮 2023年8月5日

自衛隊元海将が安保3文書、特に防衛力整備計画の内容を批判した「防衛省に告ぐ」という本を出した。帯には「目を覚ませ防衛省! これじゃ、この国は守れない」とある。この人の名前は香田洋二、海上自衛隊護衛艦隊司令官を務めた元海将だ。

現役当時、自身が防衛装備品計画策定に関わってきた経験から今度の安保3文書を「思いつきを百貨店に並べた印象」と強く批判している。

要は「現場のにおいがしない」というのが氏の批判の主たるものだ。国の防衛は国民の理解と支持があってこそ成り立つという自分の信念についても述べている。

こんな本を出すとは気骨のある自衛隊関係者だと思う。自衛官として勤めを果たしたことに誇りを持つ人だ。そんな香田元海将はこんな不満を持っている。

「今の日本は国を代表して命を懸ける自衛官に対し、敬意を払わないことが当たり前になっている」

彼は現役時代、自分の息子が学校で「税金泥棒」と言われて不登校になった悔しさもこの本で述べている。

香田元海将は一本筋の通った自衛官で、愛国心から自衛官になったという言葉に嘘はないだろう。だから彼の不満は当然で理解もできる。しかしいくら香田元海将が「自衛官に敬意を払うこと」を求めても、いまの自衛官に敬意を払えというのは無理な願望だとも思う。

その理由は、自衛隊が日本の安全と国民の生命を守っていると実感できる日本人は多くはないからだ。せいぜい災害支援時の自衛隊が感謝され、これによってより自衛隊の認知度、好感度は上がったかもしれない。

でも自衛隊の基本任務は、「災害支援」ではなく「国防」である。国防で感謝されてこそ国民は「自衛官に敬意を払う」、つまり香田元海将の嘆きは、日本の自衛隊が国防という基本任務を果たしていないからだということではないだろうか?

戦後日本は日米安保体制下で「軍事は米軍に任せ、日本は経済に集中する」という吉田ドクトリンによって「日本を守るのは米軍」が常識となった。いわば自衛隊軽視の国防政策を採ってきたと言える。

「米軍の核の傘によって日本は守られる」をはじめ、米軍の「抑止力」=「矛」によって日本は守られているのであって、専守防衛の「盾」の自衛隊は国防で副次的役割を担うにすぎない。これでは国民が自衛隊、及び自衛官に敬意を払うことは難しい。

では敬意を払われる自衛隊になるためには、どうすべきか?

憲法に「自衛隊は違憲ではない」と書きこんだからといって敬意を受けるわけではない。

また今日のように安保3文書改訂で反撃能力(敵基地攻撃能力)を持ち「矛」の役割を担う「強い」自衛隊になったからといっても、「核抑止力」はじめ基本的な重要「抑止力」を持つ米軍に取って代われるものではない。いまよりもっと米軍の「属軍」になるだけで、そんな自衛隊に敬意を払えと言う方が無理というものだ。

したがって日米安保基軸、米軍の「抑止力」依存の戦後防衛政策からの転換しか「自衛官が国民から敬意を受ける」道はないと思う。

ここでは詳しく述べる余裕はないから要点だけにとどめる。

米軍に依存しない防衛、すなわち「矛」を必須とする「抑止力」防衛ではない「盾」に徹する防衛、一般に専守防衛と言われる「国土防衛」に徹する防衛政策、より具体的には「非戦非核の国是」基軸の防衛政策への転換を図ることだ。再度強調すれば、国土防衛に徹することによって「日本の防衛を自衛隊が全的に責任を負う」防衛に転換される。

日本の平和と安全を守ることに全的に責任を負う! そんな自衛隊になってこそ、全国民からの敬意を受け、愛される自衛隊になるだろう。

「防衛省に告ぐ」という現防衛政策への警鐘を鳴らす良心的な元自衛官、香田元海将の嘆きをこの本から感じた私はそんなことを考えさせられた。


ウクライナ、相次ぐ惨劇とその真相

小西隆裕 2023年7月20日

ウクライナ戦争では、不可解な惨劇が相次いでいる。

ブッチャでのジェノサイド、カホフカ水力発電所のダム決壊、そしてザポリージャ原発破壊騒動、等々、ロシアとウクライナ双方が互いに責任を追及し、真相不明のまま、紛糾が続いている。

こうした時、最も有効な真相究明方法は、利害関係から真犯人を見つける方法だと思う。

当たり前のことだが、人間は、自分にとって有利なことをするのであって、不利なことはしない。

そこから見た時、ロシアがやったとウクライナが騒ぎ立てているこれらの事象は、どう見てもロシアにとって利益になることではない。

ブッチャで当地を去り際のロシア軍がウクライナの人たちを虐殺して、何の利益になるのか。そんなことをすれば、ウクライナにロシアの暴虐を宣伝されるだけだ。しかも、虐殺された人の中には、ロシアに協力していた人たちが少なからず含まれていたという。そんなことはあり得ないことだ。

カホフカでのダム決壊もそうだ。水害に遭ったのはロシアが統治していたヘルソン州の住民であり、その後の停電で被害を被ったのも、彼らであり、ロシアによる当地の統治に他ならない。

そして、ザポリージャ原発の場合、それは一層明白だ。もし、ロシアが原発を破壊したなら、どういうことになるか。「特別軍事作戦」を引き起こしたロシアの正義性、正当性は全くなくなり、いかなる弁解も通用しなくなる。ウクライナ側は、ロシア人が原発から退避しているのをロシアがやろうとしている証拠だとしているが、ウクライナによる原発破壊の噂が広がっている条件で、ロシア人が逃げるのは当然であり、そんなことはロシア首謀の何の証拠にもならない。

そもそも、こうした謀略事件というものは、事件を騒ぎ立てた側が相手側を陥れるために、仕組むのが一般的だ。共産党がやったとされたナチスによる国会焼き討ち、旧日本軍による廬溝橋事件や柳条溝事件、等々、その枚挙に暇がない。

もちろん、事の真相は究明されなければならない。しかし、それ以前に、この利害関係からそれは見えてくるものだ。事実、ダムの決壊問題など、ウクライナ側が、国際調査団の調査を拒否しているという事実も伝わってきている。


「この戦争はハリウッド映画じゃない」-ゼレンスキーの悲鳴

若林盛亮 2023年7月5日

6月25日は朝鮮戦争(朝鮮では祖国解放戦争)勃発の日だが停戦協定締結の日、7月27日までの1ヶ月間は「反米月間」、今年の7・27は祖国解放戦争勝利70周年、盛大な行事が持たれる。

ここ朝鮮では朝鮮戦争を指して「歩兵銃と原子爆弾との戦い」と言われている。まだ創建されてまだ2年の朝鮮人民軍の装備は戦車、戦闘機、魚雷艇などあるにはあったが圧倒的に数は少なく主な兵器装備はまさに「歩兵銃だけ」に等しい。だから世界最強を誇る米軍との戦争は「歩兵銃と原子爆弾の戦い」、でも朝鮮は勝った。何が言いたいかというと戦争での勝敗を分けるのは決して兵器装備の優劣で決まるのではないということだ。祖国防衛の側と侵略者の側の人間の精神力の差、モチベーションの差が最終的に勝敗を決める。これはベトナム戦争でも証明済みだ。

5月以降、BS放送の政治報道、討論番組のテーマはウクライナの「5月反転大攻勢」ばかり、でも2ヶ月経ったいまも「反転大攻勢」に転じたという報道はない。

最近になってウクライナ側の「言い訳」「弱音」ばかりが聞こえるようになった。

ゼレンスキー大統領は、反転攻勢が「期待よりは遅い」と英国BBCのインタビューで明らかにした。このインタビューでゼレンスキー大統領は、ウクライナが反転攻勢の速度を上げなければならないという圧力は感じていないとして、「一部の人は、これ(戦争)をハリウッド映画のように思い、今すぐの結果を期待しているが、これは映画ではない」と述べた。

これはおそらく米バイデン政権が「ウクライナ軍事支援」の名分が立つように「早く戦果を上げよ」と迫っていることを念頭に置いた発言だろう。

「誰かの圧力」でロシアとの戦争をやっているのか? と疑いたくなるゼレンスキー発言だ。

米国の戦略国際問題研究所(CSIS)は、9日に公開した報告書で、ロシアが今回の大反撃に対して非常にきめ細かな塹壕、地雷地帯、竜の歯(対戦車障害物)を設置したとし、これは「第2次世界大戦以後、欧州の地で行われた最も広範囲な防衛作業」だと評した。塹壕は深さ2.5m、戦車が通過するためには架橋が必要、でも架橋地点は集中砲火を浴びる、つまり多大の犠牲を覚悟する戦闘になる。

ウクライナ側にそんな覚悟はないようだ。

ウクライナのハンナ・マリャル国防次官は6月14日に「テレグラム」に載せた文では、ウクライナ軍がバフムト周辺で200~500メートル、ザポリージャ南東方面で300~350メートル前進したとし「わが軍は激しい戦闘に直面し、敵の優越な制空権および砲撃の中でも前進している」と明らかにした。この主張がすべて事実だとしても、ウクライナが最前線で部分的な前進を成し遂げただけで、ロシア軍の防衛線を突破するなどの成果は上げられていないことが分かる。

「ニューヨーク・タイムス」紙によれば、ウクライナ軍は、欧米側がこれまで供給したドイツの主力戦車レオパルト2や、米国のブラッドレー装甲車を多数失ったことが確認された。

これまで支援してきた主力戦車などの重火器が大反撃初期に消耗される様相が明らかになったことを受け、西側諸国ではウクライナに今後も続けて兵器供与が可能なのかを懸念する声もあがっていると「ポリティコ」が6月16日付で報じた。

ゼレンスキー大統領は口を開けば「もっと戦車を」「戦闘機を」とか米国やNATOに軍事支援の要請ばかりやっている。これでは支援する側も嫌気がさすだろう、ましてや「ロシア制裁」や「ウクライナ支援」で生活苦にさらされる支援側の国民の怒りを呼ぶだろう。

朝鮮やベトナムはそんなことは言わなかった、ひたすら国民の愛国心に呼びかけ「歩兵銃と原子爆弾との戦い」に勝った。これは「誰かの圧力」で戦争をやってるものとの大きな違いだと思う。

わが国もいま「誰かの圧力」で対中対決の最前線を担わされ、敵基地攻撃能力保有や軍事費倍増で国民は「新しい戦前」の危険にさらされ、厳しい生活苦まで強いられている。

日本の首相が「この戦争はハリウッド映画ではない」などと悲鳴を上げるような事態になる前に、われわれ国民の側がなんとかしなければならないと思う。ウクライナを「他山の石」とすべきであろう。


グローバルサウスには、理念も指導もないのか

小西隆裕 2023年6月20日

広島G7が終わった。いつものG7とは異なり、インドやブラジルなど、グローバルサウス主要国の首脳が会議に招待されたのだが、そこにウクライナ大統領、ゼレンスキーが登場するサプライズが演出された。

ウクライナ戦争、引いては「米対中ロ新冷戦」をめぐり、グローバルサウス諸国を米欧側に引きつけようとしたこの「企画」に対するこれら諸国の反応は、一様にG7の思惑に沿ったものではなかった。

この問題を取り上げた番組、「深層ニュース」に出演した評論家、宮家邦彦氏は、「グローバルサウスと言ってもねえ、彼らに理念がありますか。一つにまとまっていますか」「理念を提起し、世界をリードできるのはG7しかありません」とグローバルサウス諸国の対応を大勢に影響のないものとして切って捨てた。

だが、現実の進展は、同氏が言ったようになっているだろうか。グローバルサウス諸国のこうしたほぼ一致した反応は、その後の世界の動きに少なからぬ作用を及ぼしているのではないだろうか。

グローバルサウス諸国のほぼ一致した反応の基には、共通の理念があり指導があるのではないかと思える。それは、すべての主権国家の意思と国益、尊厳を第一とし、互いに尊重する理念であり、ASEANなどで見られる互いに助け導き合う集団的な指導だ。

これは、確かに宮家氏が言うような、自由や民主主義、法による支配など、国の上に置かれた「普遍的価値観」と言う名の理念でも、覇権国家が「国際社会」の名で各国を統制し動かす指導でもない。

理念と指導があるのかないのかではない。古い覇権の理念と指導か、それとも新しい脱覇権、自らの国の意思と尊厳を第一とし、互いにそれを尊重する理念と互いに認め合い導き合う指導か。新しい時代にあって、問題はこう立てられているのではないだろうか。


株価上昇に「はしゃぎ、煽る」のは何のためか?

魚本公博 2023年6月20日

日本の株価が上昇している。6月5日には、90年7月のバブル期「最高値」を33年ぶりに更新した。その要因は「海外勢の取引過熱」にある。海外勢による「買い」は3月から9週連続で「売り」を上回る「買い越し」になっており、その累計は4兆円に上る。

マスコミは、これを「日本経済復興のチャンス」かのように分析する。しかしその海外勢の主力は、米国のファンドや機関投資家なのであり、ここで考えるべきは、今何故、米国のファンドや機関投資家が日本の株買いに走るのかということである。

考えられるのは日米経済の統合一体化が進んでいることである。それは「指揮と開発」の二つの側面で進められている。

広島G7を前に米IT企業トップが来日し日本重視の姿勢を示した。そこでは衰退した日本の半導体を再生させるために、日本の大企業8社が推進する「ラピダス」への協力話しも出た。IBMの副社長ダリオ・ギルは「新たな市場開拓に協力できる」と述べ、imec副社長マック・ミルゴリは「(日本の)世界最高峰の素材企業は大きな力」「政府の全面的、継続的支援が欠かせない」「人材育成や補助金などが政府の役割だ」と述べている。

半導体の基礎設計は米国企業が受け持つ。その下で日本は部材や製造設備で下請け的に協力せよ、日本政府はそれを全面的に支援せよというのだ。日米経済統合一体化の「開発」はこのような形で進んでいる。

一方、「指揮」について言えば、米国ファンドや機関投資家が、日本企業への直接「指揮」に乗り出してきている。6月には各企業で定例の株主総会が開かれたが、彼らはアクティビスト(「もの言う株主」)としてコーポレートガバナンス(企業統治)の改変を要求してきた。その要求の基本は、社外取締り役を増やし、もっと「情報公開せよ」ということであり、そのために現執行部は退陣しろというものである。それは、すなわち日本企業の「指揮」権を米国企業に渡せということである。

何とも露骨で傲慢な要求であるが、岸田政権は、これを後押ししている。6月に発表された「骨太方針」(経済財政運営と改革の基本方針)では、「2000兆円の家計金融資産を開放し『資産運用立国』を目指す」とし、そこに「資産運用業の促進」が盛り込まれている。これまで日本の資産運用は、日本の銀行や証券会社などが行っていたが、これからは米国系の運用会社にもそれを任せ、それを「促進」するということである。

「資産運用立国」とは、株式投資で経済を運営するというものだが、それは日本国民に株式投資で稼ぎ、将来の社会保障も「自己責任」で解決せよということでもある。そのために、「骨太方針」では「労働市場改革」が明記され、「労働の流動化」を促進するための「学び直し」(リスキリング)に力を入れるとなっている。

株式投資は投機である。日本の家計資産2000兆円を「開放」するとは、米国外資にそのカネを投機に使ってくれと言うことであり、そんなものに日本の経済や国民生活を託すなど「売国・棄民」行為以外の何ものでもない。

親米アナリストやマスコミが株価上昇をもって、「日本経済復活のチャンス」、「日本の黄金時代到来」などと「はしゃぎ、煽る」のは、日米の政府そして企業が一体となって推し進める米国主導の日米経済統合一体化という「売国・棄民」の道に日本国民を引き込むためだということを見逃してはならないと思う。


「被爆地、広島」を政治利用、冒涜したG7広島サミット

若林盛亮 2023年6月5日

G7広島サミットは「大成功」と多くのマスコミは高く評価した。特にG7首脳が原爆資料館を訪れたことを絶賛した。果たしてそうだろうか?

被爆地、広島でG7初めてとなる核軍縮に向けた文書「広島ビジョン」が採択された。

そこでのポイントは「全ての者の安全が損なわれない形での核兵器のない世界の実現に向けた我々のコミットメント」を再確認するという文言が盛られたことだ。逆読みすれば「安全が損なわれるような形での」核軍縮はやらないということだ。

その危険な本質は、「核使用の危険のある国」としてロシアや中国、「北朝鮮」をあげ、これら「安全への脅威」に対処するコミットメント、核抑止力を更に強化することを世界に宣言したことだ。

これが広島に対する冒涜でなくてなんなのか!

広島県原爆被害者団体協議会の箕牧智之理事長は、「広島ビジョン」がG7各国の核保有や“核の傘”による安全保障を正当化し、「核抑止」を肯定する内容だったことに「まったく賛成できない」と断言し、「ロシアの核の脅しも問題だが、ますます世界を分断させることにならないか」と懸念を表明した。

1991年から8年間、広島市長を務めた平岡敬氏は、「岸田首相が、ヒロシマの願いを踏みにじった。そんなサミットだった」「19日に合意された“広島ビジョン”では、核抑止力維持の重要性が強調されました。戦後一貫して核と戦争を否定してきた広島が、その舞台として利用された形です」と怒りを露わにした。

更に言えば、この「広島ビジョン」に基づく米国の「核抑止力強化」の矛先はわが国に向けられる。

それは5月5日更新のこの欄で述べたこと、「核持ち込み容認」「日米の核共有」、すなわち有事には新設される自衛隊の中距離ミサイル部隊に「核搭載」を可能にすること、これが米国の要求だ。

国内政局収拾のため早々と帰国したバイデン大統領は日韓首脳を別途、米国に呼び寄せ、日米韓首脳会談の早期開催を公表した。主要議題は日米韓“核”協議体創設になるだろう。これが上記の実現に向けたものになる。

「広島ビジョン」での米国の究極の狙いは、わが国に非核の国是放棄を迫ることにある。その先にあるのはわが国の対中・代理“核”戦争国化だ。

こんな理不尽なことを広島も長崎も、いや日本国民が許さないだろう。


力による現状変更

小西隆裕 2023年5月20日

近頃よく聞く言葉に「力による現状変更」なるものがある。

直近で言えば、ロシアによるウクライナ軍事攻撃などはその最たるものだ。

力で現在ある秩序を変えると言うことだ。

国際問題を見る時、それがやってはいけないもっとも重要な基準にされている。

そこで問題になるのは、何が「現状」なのか、変えてはいけない「現状」とは何かだ。

そうした中、暗黙の了解にされているのが「国際秩序」という名の「米覇権秩序」だ。

最近、中国やロシアをはじめ、「現状」を力で変更する輩が横行してきている。けしからんということだ。

しかし、そもそも「米覇権秩序」を変えるのがそんなに悪いことなのか。

例えば、「自由」とか「民主主義」とか言っても、米国式自由、米国式民主主義が真の自由、民主主義だと言えるのか。

自由と民主主義の国、米国で、規制という規制を取り払った「自由」、新自由主義から生み出されているのは果てしなく拡大する格差であり、これ以上にない「民主主義」制度に基づく政治が「1%のための政治」「分断政治」になっている。

もはや米国式自由と民主主義は普遍的価値でもなんでもなく、米国の権威と力は覇権国家としての絶対性をはなはだしく欠くものとなっている。

こうした現実にあって、「力による現状変更」はもはや国際政治の基準としては、甚だしく、その的確性を欠くものになっていると言えるのではないだろうか。 


「米国企業による日本の自治体管理」それが狙われている

魚本公博 2023年5月20日

4月に行われた統一地方選は、前回にも増して「低調」であった。とりわけ一般市町村の首長、議員選挙が行われた後半戦は、その「低調」さが浮き彫りになった。88の市長選では、その3割近くの25市が無投票であった。町村はより深刻で125の町長・村長選では半数の70町村で無投票。373の町村議員選では1250人が無投票であり、そのうち議員定数に満たない「定数割れ」は前回の2・5倍となる20町村であった。

マスコミなどは、これを「選挙制度の問題」とし、朝日新聞は「自治制度の危機」と題する社説(4月27日)で、議会活性化のための様々な方途を提案しながら、会社員の「議員兼務」を更に進め、公務員の「議員兼務」も容認すべきだ主張している。

また5月3日の憲法記念日に際して読売新聞が行った座談会では、「首長がいない自治体も認めるべきだ」との発言も出ている。

米国は今、新冷戦戦略の下、中国ロシアを敵国視しながら、その最前線に日本を立てようとしている。それは衰退した米国覇権回復のためであり、そのために日本の全てを米国に統合する日米統合一体化を進めており、地方地域も米国の下に統合しようとしている。

会社員の「議員兼務」促進や公務員の「議員兼務」容認、「首長にない自治体」容認は、そのためのものではないか。会社員、公務員の「議員兼務」容認は、米系外資・米国企業が関係人士を地方議会に送り込むことを促進、容認するものとなる。とりわけ、「首長のいない自治体」容認は、米国企業が自治体を直接管理することを容認するものになると思う。

いずれにしても米国は、様々な方法で日本の自治体を直接管理運営することを狙っている。維新が大阪で進めているIRを見ればそれが分かる。IRは、米国のIR運営会社「MGMリゾーツ」がオリックスなどが出資する「IR株式会社」を前面に立てて運営する。これを安倍政権で首相補佐官を勤め松井大阪市長が推薦して府の特別顧問にした人物(和泉洋人)が指揮する。

日本、日本人を表に出しながら実質、米国企業が管理運営する。こうした方式で大阪の自治業務(水道、教育、大学、公営病院など)ひいては自治体そのものが管理運営されるようになるだろう。

維新の「改革」とは、まさに米国が狙う「日本改革」のためのものであり、維新はその全国化のための先鋒隊、切り込み隊になっている。

昨年12月、地方制度調査会が「議員との兼務容認」を提言し、岸田首相は1月の施政方針演説で「地方議会活性化のための法改正に取り組む」と述べている。そして4月には総務省がIT人材を民間人材派遣会社と協力して都道府県で確保し、それを市町村に派遣するという方針を打ち出している。それはGAFAMと関連する会社員が公務員(自治体職員)となって基礎自治体(地域)を運営するものになるだろう。

統一地方選の「低調」を口実にした、「議員との兼務容認」や「首長のない自治体容認」は日本の自治体を米国の下に統合一体化するものであり、「日本をなくす『改革』」、そのための法改正以外の何ものでもない。

生活の砦である地域自治体を米国企業が直接管理するようになれば、一体どうなるのか。生活の砦である地域を地域住民自身の力で守っていく、今そうした闘いが切実に問われていると思う。


非核の日本人は「核に無知」!?

若林盛亮 2023年5月5日

「日本の最大の弱点は、核に対する無知だ」!

と言った日本人がいる。「安全保障問題の第一人者」とされる兼原信克元内閣官房副長官補(同志社大学客員教授)だ。

この発言は、4月15日に広島で持たれた読売新聞社主催の「G7広島サミット開催記念シンポジウム」で述べたものだ。

非核日本の象徴である被爆地・広島から上げられた声だけに事はただごとではない。

この人物が言う「日本の最大の弱点」とは非核3原則を国是とする日本のことだ。要は非核は「核に対する無知」から来るものだということだ。

広島、長崎への原爆投下で核戦争の惨禍がいかに甚大かつ悲惨なものであるか、だからこそ核戦争を二度と引き起こしてはならないということを世界の誰よりも知っているのが日本人だ。だからこそ世界に先駆けて率先垂範して非核3原則(核をつくらず、持たず、持ち込ませず)の「非核」を国是としたのではないのか?

この兼原氏は日本TV「深層ニュース」出演時に「非核の国是が大切なのか? 国民の生命と安全を守ることが大切なのか? これを議論すべきだ」と述べた人物だ。

非核と安全保障を対立させ、安全保障のためには非核の国是放棄を迫る「安全保障専門家」。

このシンポジウムでは「広島の声」として「葛藤から逃げずに議論を」という広島大平和センター所長のメッセージが紹介された。

この広島の平和センター所長はこのように言った。

「広島は核なき世界をかかげるシンボリックなまちで、これまで核抑止論を含む安全保障の問題を正面切って議論することは少なかった」

つまりこれまでは「核廃絶という理想と現実の葛藤」となる核抑止の議論を避けてきた、しかしいまは現実の核の脅威から「逃げずに核抑止を議論」すべきことをこの広島大平和センター長は訴えたのだ。

「核に無知」な日本人が「葛藤から逃げずに議論」すべき課題については、すでに米国から明確に示されている。

ブラッド・ロバーツ元米国務次官補代理(オバマ政権時、核・ミサイル担当)は読売新聞の取材に答えて「議論すべき課題」、核抑止力強化のための日本の課題を提示した。

第一は、「アジアに核兵器が配備されていない核態勢は今日では不十分」だということ。

これは日本の「非核三原則」を見直し、せめて日本への核配備、「核持ち込み」を容認しないと危険なことになりますよという警告だ。ブラッド氏にとっては非核三原則は「核に対する無知」な日本のシンボルなのだろう。

第二は、NATOのような核使用に関する協議システム、「日米核協議の枠組みが必要」だということ。

これはNATOと同様に米国と日本との「核共有」システム、有事には自衛隊も核使用を可能にする協議システムが必要だということだ。

米国の狙いは、米国の核抑止力の一端を自衛隊に担わせること、有事には自衛隊に核攻撃能力を持たせることだ。具体的には「核共有」実現によって新設された自衛隊スタンドオフミサイル(中距離ミサイル)部隊に核搭載を可能にすることだ。

その先にあるのは米国が対中対決の最前線を担わせる日本の代理“核”戦争国化、「東のウクライナ」化だ。

これがG7広島サミットで発信される「広島の声」、「葛藤から逃げずに議論」すべき「核抑止力強化」論の帰結だ。

非核を「核に対する無知」だとする暴論、広島を愚弄するこのような詭弁を日本人は許さないだろう。ましてや日本を代理“核”戦争国にするような米国の「同盟要求」を易々と引き受ける日本人はいない。日本人の性根が問われるときだと思う。


寄稿[救援649号]-ピョンヤンからアジアの内の日本を考える-

フェークニュース、大本営発表で世論を誤導するフジ産経グループ

 「よど号事件、拉致 私が防げたのでは」-これは産経新聞がよど号HJ50周年を迎える前日、二〇二〇年三月三十日に掲載した記事の大見出し。 

 警視庁公安部の元警視三森貫一がHJ直前の十三日に自分が東大安田講堂事件で取り調べを担当した安部公博(現姓:魚本)が電話してきて中村橋の喫茶店で会い、その後焼肉店に移動、安部の「悩み」を聞いたが生まれたばかりの娘の顔を見たくて途中で話を切り上げたこと、そのことを「私が防げたのでは」と「後悔」しているというのが記事の主内容だ。

 HJ闘争直前の安部が公安刑事と会うこと自体がありえないこと、会ったとしたら安部が「警察の内通者」だったということ、だから私たちは名誉毀損で訴え、現在、控訴審中。高裁では証拠物件提示が要求され、また本人尋問の可能性も出る状況にまで来た。さぞかし相手は慌てていることだろう。山下弁護士や支援者は勝てる可能性が出てきたと闘志満々。

 かの産経記事は、加藤達也元編集委員(現在、内閣調査室勤務)のシナリオに基づき元警視三森貫一主演のでっち上げ、フェークニュースだ。まさか「北朝鮮にいるよど号犯」が裁判沙汰にするなどありえないとタカをくくっていたのだろう。記事には「安部と会った」ことが記された手記やその素材となった当時の三森元警視の手帳の存在が明記されてあるが、それが彼らの命取りになるとは予期せぬ青天の霹靂であろう。

 産経は「よど号欧州拉致」でも様々なフェークニュースで世論を誤導した張本人だ。

 最近、同じフジ系TV、プライムニュースでは米核抑止力専門家が登場して「中ロの核の脅威」で視聴者を脅し「核の脅威に対する知識を深める」必要を日本人に説いた。非核に凝り固まった日本人は「核の脅威に無知」、だから「知識を深めなさい」というお説教だ。

 前号に書いたが、G7広島サミット以降、表面化するであろう米核抑止力強化を補強するための議論-「核持ち込み容認」「日米の核共有」「自衛隊の核武装化」-非核の国是放棄に踏み込むための世論誘導の地ならしだ。このお先棒をフジ産経グループがかついでいる。

 フェークニュースで世論を欺き、大本営発表で世論を誤導し日本を誤った道に導くマスコミの横暴を許さないためにも、この産経損賠訴訟はなんとしてでも勝利させたいと思う。

 産経損賠控訴審への皆様のご注目とご支援をお願いする次第です。

    ピョンヤン かりの会  若林盛亮


日米統合と植民地支配

小西隆裕 2023年4月20日

今は、米国が仕掛けた「米対中ロ新冷戦」の時代だと言うことができる。

2017年、米国家安全保障会議で現状を力で変更する修正主義国として中国とロシアが名指しで規定された。

そして2019年、トランプ政権によって、「米中新冷戦」が米覇権回復戦略として、貿易戦争の形をとり、一方的に宣布されると同時に、ウクライナでゼレンスキー政権が樹立され、その下で、ウクライナのNATO加盟の促進、ウクライナ軍への米国製兵器の大量供与と米英軍事顧問団による訓練、そしてミンスク合意の破棄とウクライナ東部、ロシア系住民へのナチス的弾圧が開始された。

2022年2月のプーチン・ロシアによるウクライナへの国境を突破しての「特殊軍事作戦」は、二正面作戦を避け、裏でロシアへの攻撃を強める米国を公然たる「米対中ロ新冷戦」の場に引きずり出すためのものだったと言えると思う。

この「新冷戦」をバイデン米政権は、「民主主義VS専制主義」の覇権競争だと本質規定しながら、中ロなど「専制主義陣営」を包囲、封鎖、排除する一方、米欧日など「民主主義陣営」に属する友好国、同盟国を米国の下に「統合」する戦略的方針を打ち出した。

この「統合」は、軍事や経済、教育など、国と社会のあらゆる領域にわたる「指揮」と「開発」、両面での「統合」であり、「新冷戦」での米国の勝利のため、各国の力を米国に集中させるためのものだ。

そこには、明らかに、米国と同盟国、友好国の間の国境をなくすグローバリズムの思想が働いており、競争至上、新自由主義の思想が働いている。

一言で言って、民主主義陣営に貫かれる「統合」の思想は、この間、米一極世界支配の下、反テロ戦争の泥沼化、グローバル・新自由主義経済の停滞、そして自国第一主義の新しい政治の台頭、等々を通してその破綻が明らかになった究極の覇権主義、国と民族それ自体を否定するグローバリズム・新自由主義の「新冷戦」の名による焼き直しに他ならないと言うことができる。

このことは何を物語っているだろうか。この間、駐日米大使エマニュエルなどによって言われている「日米統合」が、米国による日本の植民地化にも増した究極の覇権主義、国と民族それ自体を否定し、日本という国の存在自体を否定する対日支配の極致であることを物語っているのではないだろうか。

実際、自衛隊は、統合幕僚会議が動かしていた自衛隊からそこに米インド太平洋軍司令部将官が入った合同司令部が動かす自衛隊に変えられ、経済は、米IT大手GAFAMによる支配の下、大手企業が海外ファンド主力の株主の意向で動かされる経済に変えられ、教育は、日本というナショナルアイデンティティーを否定し、日本人の心の中からそれを消し去る教育に変えられる。

これは、戦前、強制的に朝鮮語の使用を禁止し、氏名を日本式に変えさせるなど、世界でももっともあくどい植民地主義と言われた日本による対朝鮮植民地支配をも凌駕するものだと言えるのではないだろうか。


台湾での戦争を望むのか、平和を望むのか

魚本公博 2023年4月20日

「選択」4月号に、「台湾軍「スパイ報道」で大騒動」という記事があった。それは、日経新聞が2月に台湾の匿名の軍関係者が語ったという「軍幹部の9割ほどは、退役後、中国に渡り、軍の情報提供を見返りに金かせぎしている」という記事が台湾で波紋を呼んでいるが、この問題はこれまで台湾でタブー視されてきた「軍の忠誠問題」であり、「迫り来る台湾危機で肝心要の台湾軍が頼りになるのかどうか」という問題なのだから、タブー視せず、これと真摯に向き合うべきだというものだ。

記事は、「台湾軍の中枢は、1947年に蒋介石と一緒に大陸から渡ってきた子孫」であり、彼らは「台湾独立に反対し、台湾の将来は中国と統一すべきだ」と考えており、「台湾独立志向の民進党が嫌いだ。中国に親しみを感じる」人たちだと指摘しながら、台湾軍「スパイ」説には、根拠があるかのように解説する。

昨年11月に行われた台湾の地方選で民進党は惨敗した。それは、台湾有事が叫ばれる中で、台湾独立志向の民進党政権では戦争の危険性が高まる、それよりも親中国的で統一志向の国民党の方が平和を守れるという民意の反映であった。

こうした民意を受けて来年1月の総統選挙でも国民党が勝利する可能性が高まっている。中国も「平和的解決」の雰囲気を高めるために、3月末には、47年以来初めてとなる前総統である国民党の馬英九氏を中国に招待するなど台湾との関係改善に努めている。

そうなれば、「両岸問題の平和的解決」が進み、「台湾有事」の根拠がなくなってしまう。

日経の記事は、中国と対決したくないという経済界の意向を反映して、台湾の軍隊は親中国的だと言おうとしたと推測できるが、「選択」は、日経記事を利用しながら「軍の忠誠問題」をもって、軍との関係が深い国民党への期待に水を差そうとしたと見ることができると思う。

元々、中国と台湾の関係は「一つの中国」を根本原則とした上で「両岸問題の平和的解決」を目指すものとしてあり、これは中国と台湾の政権が国民党、民進党を問わず合意しているものである。

「両岸問題の平和的解決」を前提とした「現状維持」、それは台湾の民意である。台湾の世論調査を見れば「速やかに独立」は1・1%、「現状維持後に独立」7%、「永遠に現状維持」29・2%「現状維持後状況を見て判断」29・9%など「現状維持」が9割以上と圧倒的である。

「台湾有事」とは、米国の覇権回復のための新冷戦戦略の下、中台の「平和的解決合意」を破壊し、中国と台湾を軍事的に対決させ、戦争させようというものだ。台湾は親日国と言われ、日本人の多くも台湾に親近感をもっている。その台湾での戦争を望むのか、それとも平和を望むのか、問題はこのように立てられている。

とりわけ、「台湾有事は日本有事」(麻生副総理)などと、日本が東のウクライナとして、米国の対中対決の代理戦争をさせられようとしている状況の中で、中国覇権がどうのこうのと言う前に、何よりも先ず、台湾を戦場にしないための中台の「平和努力」を歓迎し支持することが大事だと思う。


「正常化」にほど遠い日韓首脳会談と歴史認識問題を考える

若林盛亮 2023年4月5日

12年ぶりという日韓首脳会談、だがそれは日韓関係正常化にはほど遠いものだった。

それは関係悪化の要因となった元徴用工問題で日本企業に対する賠償金支払いを韓国の政府系財団が「立て替える」という変則的な妥協の産物だったからだ。

当然ながら韓国では「白旗外交」「土下座外交」の非難が上がり、保守系の政界、報道界でさえ岸田首相自身の言葉で「おわび」がなかったことに不満を表明した。

他方、日本側では韓国側が立て替えたとしても元徴用工への賠償金支払いを認めたこと自体への不満が保守強硬派を中心にあり、「60%が反対」という韓国内の世論などから政権が代わればまた蒸し返されるという不信感が根強い。

「正常化」にほど遠い、その根本要因は歴史認識問題の両国間の差違にある。

韓国国民からすれば日本による植民地支配の罪悪性を日本政府が認め真摯に謝罪することを求めている。これは至って正当なものだ。

しかし歴代日本政府の立場は、1965年の日韓条約締結、国交正常化時に「謝罪」は終わったものとする立場だが、この時は植民地支配自体を謝罪することなく「迷惑をかけた」程度の文言ですませ、謝罪賠償金に関しても「経済復興支援金」という形でお茶を濁した。

一言でいって日韓条約時に国際法的に「謝罪は終わった」、これ以上、謝罪の必要はないというのが歴代日本政府の立場だ。いや野党諸党も同様で日本政界全体の立場だ。今回の元徴用工への賠償金支払い命令の韓国大法院の措置も「不当」とするのは与野党共通の立場だ。

これでは歴史認識問題で日韓双方の溝が埋まる展望はない。だからこの状態である限り、真の意味で日韓正常化はないだろう。

なぜこうなるのか?

それはわが国が先の大東亜戦争、あるいは太平洋戦争に対する反省、総括が不十分なものだったからだ。

米英に対して独伊国際ファッショ勢力と連合して無謀な戦争を起こしたこと、要は当時の米英中心の国際秩序に挑戦したことを反省、総括するだけに終わったためだ。

アジア諸国に対する植民地支配自体については何も反省、総括しなかった。だからいくら韓国が「植民地支配への謝罪」を求めても「何度、謝罪すれば気が済むのか」という日本側の立場は変わりようがない。

このことは日本に限らず、米国はじめ西欧のかつての植民地帝国諸国も同様である。彼らは自己の植民地支配を謝罪したことはない。ということはいまなおその植民地主義体質は生きているということに他ならない。

米国が普遍的価値観とする「法の支配」というのは、米国の覇権秩序を守る「法の支配」、戦後世界で新植民地主義、グローバリズムと形を変えた現代版「植民地主義」に他ならない。

ウクライナ戦争を契機に米国は「ロシア制裁」を訴えたが、グローバルサウスと呼ばれる発展途上国はこれに応じなかった。これらの諸国は旧植民地諸国だから米国の言う「普遍的価値観に基づく国際秩序」が形を変えた植民地主義、覇権主義だとわかるからだ。

米国の仕掛けた対中ロ新冷戦だが、米国の企図した覇権回復はおろか、米国の覇権衰退、没落の様相を示しつつある。

このことはわが国が米国覇権の下で繁栄の夢を見る時代が終わったことを示す。それは自身の覇権体質を見直すときが来たということだ。

ところが逆に米中新冷戦の「最前線」日本の道を進む危険を冒しているのが現実だ。

日本の文部科学省は3月28日、来年から使用する小学校教科書の検定審査結果を発表したが、社会の教科書で、強制動員被害者に対する強制性の記述が2019年の検定時に比べよりいっそう後退した。「兵士となった朝鮮の若者たち」に「志願して」という言葉を新たに追加し、「徴兵」が強制ではなく自発的な選択だったという点を強調するかたちに変えた。

こんなことをやっていてはますます時代から取り残され没落を早めるだけだ。

韓国だけでなくアジア諸国から歴史認識で「反省」を求められていることを「禍」ではなく「幸い」とし、過去の犯した植民地支配に真摯に向き合い、その誤りを自覚し、心からの反省と謝罪をすること、これがいま日本を救う第一歩になるだろうと思う。


寄稿文[救援648号]

-ピョンヤンからアジアの内の日本を考える-「よど号」渡朝から五十三年-「戦後日本を革命する」時が来た!

 「そして最後に確認しよう、我々はあしたのジョーである」-五十三年前の出発宣言。

一九七〇年三月三十一日、私たちの門出を祝福するように羽田の空は青かった。ソウル金浦空港での韓国軍包囲の苛酷な三泊四日を経て私たちは四月三日、夕闇迫るピョンヤン美林飛行場に着陸した。

 よど号ハイジャック闘争を前に全員が決意書を認したためめた。「ちっぽけな愛などくそ食らえ、私は大きな愛の中で生きる」と決意を締めくくった私。朝鮮を国際根拠地とし軍事訓練を受けた自分たちが秋の「七〇年安保決戦」で首相官邸占拠-前段階武装蜂起を貫徹し勝利の突破口を開く、ここで命を失うことがあっても「人民の愛の中で永遠に生きる」、そんな心意気だった。これは「よど号赤軍」みなの想いだったと思う。

 いま思えば、未熟で粗野な「決意」、赤軍派イデオロギー丸出しの超主観主義的「決意」だったけれど、その心意気だけは失ってはいけないといまも思っている。

 私たちの総括の原点、それは「革命は何のため? 誰のため?」だった。

 それは赤軍派という党派の枠を越えた私たちが、「大きな愛の中で生きる」ことを突き詰めた結果、たどり着いたものだ。

 あれから五十三年、日本のため、日本人民のために何をなすべきか!

 「ピョンヤンからアジアの内の日本を考える」私たちだが、今こそ「戦後日本を革命する」時が来たと考えている。

 一言でいって今や「米国についていけば何とかなる」時代は終わった。

1%のために99%が犠牲にされる今の米国、「政治に殺される」ハッシュタグがたちまち拡散される日本・・・それは戦後日本の生存方式からの転換が問われているということだ。

 対中ロ新冷戦を仕掛けた覇権帝国・米国は自身が内外から窮地に追い込まれている。それは日本への「同盟要求」、拙速かつ無理難題の「非戦非核の国是」放棄を要求するまでに至った米バイデン政権の焦りとして表現されている。

 「安保3文書」で「非戦」の一角は崩されたが、更には五月のG7広島サミット以降は、「核持ち込み容認」「日米“核共有”」受け入れ、「非核の国是」放棄に進む。ここで詳しく触れる余裕はないが、それが米国からの岸田政権への「厳しい宿題」となる。しかしそれは広島・長崎を愚弄するものであり、日本人の「虎の尾を踏む」結果をもたらすであろう。

 「米国についていけば何とかなる」時代の終わりとは「アジアの内の日本を考える」時代、「戦後日本を革命する」時が来た! ということだ。

 以上を「あしたのジョー」に七転八起を託した私たちの五十三年目の決意表明としたい。

    ピョンヤン かりの会  若林盛亮


「力による現状変更」

小西隆裕 2023年3月20日

近頃よく聞く言葉に「力による現状変更」なるものがある。

直近で言えば、ロシアによるウクライナ軍事攻撃などはその最たるものだ。

力で現在ある秩序を変えると言うことだ。

国際問題を見る時、それがやってはいけないもっとも重要な基準にされている。

そこで問題になるのは、何が「現状」なのか、変えてはいけない「現状」とは何かだ。

そうした中、暗黙の了解にされているのが「国際秩序」という名の「米覇権秩序」だ。

最近、中国やロシアをはじめ、「現状」を力で変更する輩が横行してきている。けしからんということだ。

しかし、そもそも「米覇権秩序」を変えるのがそんなに悪いことなのか。

例えば、「自由」とか「民主主義」とか言っても、米国式自由、米国式民主主義が真の自由、民主主義だと言えるのか。

自由と民主主義の国、米国で、規制という規制を取り払った「自由」、新自由主義から生み出されているのは果てしなく拡大する格差であり、これ以上にない「民主主義」制度に基づく政治が「1%のための政治」「分断政治」になっている。

もはや米国式自由と民主主義は普遍的価値でもなんでもなく、米国の権威と力は覇権国家としての絶対性をはなはだしく欠くものとなっている。

こうした現実にあって、「力による現状変更」はもはや国際政治の基準としては、甚だしく、その的確性を欠くものになっていると言えるのではないだろうか。


「同盟」は国益たりえない現実

魚本公博 2023年3月20日

ロシアによるウクライナへの「特殊軍事作戦」開始1年を契機に、朝日新聞が「ロシア制裁 隙だらけ」(2月20日)、読売新聞が「ロシア制裁 大きな『抜け穴』」(3月3日)という記事を載せていた。勿論、その結論は、「もっと制裁を強化せよ」というものだが。

その「隙間だらけ、大きな抜け穴」とは、制裁を実施しているのは、米欧日だけであり、世界の大多数の国々は、ロシアとの貿易量を増やしているということだ。

特にインド、トルコ、中国がロシアとの貿易量を増やしており、インドは前年比で輸入は5倍、石油輸入は10倍にもなっている。トルコも輸出を大々的に増やしている。中国も輸入を4割増やしており、金額では8兆円もの増加だ。そればかりではない、グローバルサウスと言われる発展途上諸国もロシアとの貿易を拡大している。

その理由は、「それが国益になるから」である。

一方、日本政府は「同盟が国益」だとする。それは米国覇権秩序の下でこそ日本の国益が守れるという考え方であり、そのために米国主導のロシア制裁にも諸手を挙げて追随している。ロシア制裁に熱心な欧州も米国覇権秩序の下に国益があるという考え方であり、日本の「同盟が国益」と同じである。

その結果、欧州は「返り血」を浴びている。ロシア制裁の結果、ロシアからの天然ガス、石油の輸入が減り、電気代、ガソリン、食糧が高騰し、昨年のインフレ率は10%にも達している。その状況は「このままではホームレスになるしかない」(朝日新聞)ほどのものになっている。

こうした中、欧州では、制裁で国民生活が犠牲にされていることへの怒りの声が高まっている。昨年来の制裁による物価高騰に抗議する「いい加減にしろ」のデモが各地で起き、今年に入って英国では、教職員、医療関係者や公務員など50万人のストが起きた。ストは全国的なゼネストに発展する様相を呈し、スナク政権の支持率は10%台に落ちている。

今や「同盟」とは、国民生活を犠牲にするものだという「現実」を前にして、国民生活のためになる本当の国益を求める声が高まっているのだ。

日本は今のところ物価高騰も4%程度である。それでも生活が苦しくなっているのに、戦争が長引けば、さらに物価は高騰する。米国に言われての軍拡で増税、社会保障費の削減も必至であり、それは「新しい戦前」を準備するものになっている。

そうであるのに、「さらなる制裁強化」でよいのか。朝日、読売両紙に登場する鈴木一人・東大教授は、制裁は1,2年では効かないと言いながら、制裁強化のために日本は「サハリン2から撤退すべきだ」と主張する。しかし、中国、インドの企業が日本撤退後を狙っており、それは只々、国益を、国民益を損なうものでしかない。

「同盟が国益」として、米国覇権秩序を支えることは、本当の国益たりえない。それに従おうとしない世界の動き、欧州国民の動きを、米国覇権追随を終わらせる時代的な流れとして冷徹に見据え、その流れに合流することを真剣に考えねばならない時に来ている。


自衛隊元海将の嘆き「現場のにおいがしない」

若林盛亮 2023年3月5日

自衛隊元海将が安保3文書、特に防衛力整備計画の内容を批判した「防衛省に告ぐ」(中公新書ラクレ)という本を出した。この人の名前は香田洋二、海上自衛隊護衛艦隊司令官を務めた元海将だ。

現役当時、自身が防衛装備品計画策定に関わってきた経験から今度の安保3文書を「思いつきを百貨店に並べた印象」と強く批判している。

要は「現場のにおいがしない」というのが氏の批判の主たるもの。

「防衛力整備というのは会議室で考えるんじゃない、現場からつくりあげていくものなんです」というのが香田氏の持論だ。

「現場のにおいがしない」とは例えばこんなことだ。

敵基地攻撃能力の目玉である長射程ミサイルの一つ「12式地対艦誘導弾」改良開発の場合。

「200キロの射程を1000キロに延ばして敵基地攻撃(反撃能力)と遠距離対艦攻撃の両方に使うという。搭載燃料を5倍にするなら、設計も初めからやらなくてはならない」

これを2027年度までに開発、生産するというが香田氏は「そんなことが簡単にできるのか」と強い疑問を呈している。

またこうも語る「しかも全長、直径とも米軍トマホークの2倍程度の大きさになる。これでは世界一簡単に撃ち落とされるミサイルになってしまう」と。そんなものが実戦で役に立つのか? ということだ。

また目玉の一つである「極超音速ミサイル」開発についてはどうか。

「推進力の問題(極超音速)を解決できてもその弾を目標に誘導しなきゃならない。でもマッハ5以上なんていう速度だと、ちょっとのかじ切りでえらく違ったところに飛んでいく」

だからこれには自動制御と飛行制御という複雑高度な技術を使った指揮管制システムが必要で、問題はそんなものを日本が構築できるのか? 「バクチをやるというなら別だが」とまで断罪している。

「アメリカだって、20年かけてまだ十分できていないのに」、これから着手する日本にできるという保証がどこにあるのか? バクチで一国の防衛計画は立てられない。

なぜこうなるのか? 「現場のにおいが」しないからだ。

例えば、長射程ミサイルを日本が独自開発するまでの「つなぎ」として米国の「トマホーク」をイージス艦に導入することについてこう語っている。

「トマホークをイージス艦に搭載して運用するなど、海上作戦を無視したど素人ぶりを暴露しています」と言いながら、その理由を述べている。

「日本の場合、打撃を主任務とする米軍と異なり、イージス艦は対潜水艦戦のときに艦隊を守るのが第一義です。その任務を捨ててトマホークを撃ちに行くことなど外道」だと。

なぜこのような現場を無視した防衛力整備計画になるのだろう?

日本の防衛現場の要求から出た要求ではないからだ。元々、敵基地攻撃能力保有は「弱体化した米軍の抑止力を補う」という米国の要求を同盟義務として日本に押しつけられて作成されたものだ。

だから「思いつき(米国の要求)を百貨店に並べた」ものにしかならない。

日本の自衛隊の現場を無視した「防衛力整備」はこうした現場からの反発を呼ぶものになる。自衛隊現場が納得しないで日本の防衛が果たしてできるのか?

香田元海将の嘆きは、国民全体の憂いでもある。


「貿易戦争」で敗れた米国

小西隆裕 2023年2月20日

米国の対中国貿易が昨年、2022年、過去最高の6906億ドルを記録したという。

2018年、ピークだったのが、4年振りに更新されたということだ。

その中身を見ると、輸出は1538億ドルで前年比1・6%増、輸入は5368億ドルで前年比6・3%増だった。

この数字は、何を物語っているか。

それは、2019年米国の一方的な宣告で勃発した「米中新冷戦」、そこで喧伝された「貿易戦争」で米国が敗北したということだ。

米国は、明らかにこの戦争に耐えられなくなった。

一つは、米国民の要求を抑えられなくなったということだ。

すなわち、中国の安いプラスチック製品などが入ってこなくなったことで物価が上がり、国民の不満が増大したこと。さらに、中国への農産物の輸出が止まり、米国農家の困窮が深まったことだ。

もう一つは、ウクライナ戦争と対中対決戦、ロシアと中国を同時に相手にする「米対中ロ新冷戦」、二正面作戦に耐えられなくなったということだ。

この間、明らかに米国は中国に外交で秋波を送っていた。それが、今回の「気球事件」で示しをつけない訳にはいかなかったのだろうが、米国が苦しくなっている事実は覆い隠せないのではないか。

今回の米国の対中貿易結果は、米覇権の終焉が迫っているのを自ら露呈するものだったと言えるのではないだろうか。


地域の自治解体・民営化が狙われている

魚本公博 2023年2月20日

 2月5日の読売新聞に「IT人材確保 民間とタッグ 自治体DX促進」なる題目の記事があった。それによると総務省は、23年度から、民間の人材サービス会社と協力して都道府県にデジタル化の外部人材を確保させ、それを市町村に派遣してデジタル化を推進し、25年度までに戸籍や地方税などの主要業務を処理するシステムの「標準化」を目指すという。

 これまで私は、岸田政権の「デジタル田園都市国家構想」は、米国巨大IT企業であるGAFAMのプラットフォームを使った地方のデジタル化であり、こうなればデジタル化で生命とされる個人情報や地域の全てのデータを米国に掌握され全地方が米国に管理されること。それは日米統合一体化を地方から進めるものであり、その下で米系外資による地方自治の解体・民営化が進むであろうことを述べて来た。

 総務省の方針は、そのためのものではないか。総務省が協力を求める人材サービス会社とは、竹中平蔵の人材派遣会社「パソナ」などであり、その人材とは、ゴールドマンサックスなど米国の投資銀行、米系ファンド、GAFAMやその傘下のコンサルティング会社の人材になるだろう。こうした人材が米系外資による市町村の公共事業民営化を促進する。

 公共事業を民営化することは、新自由主義を信奉する米国巨大企業の利潤追求の大きな手段である。とりわけ、他国の公共分野を民営化することは巨大な利益を生むだけでなく、その国への支配力を強化する手段ともなる。有名なのは水道事業の民営化である。米国の水メジャーは中南米諸国の水道事業を民営化して巨利を得つつ、人間が生きていく上で不可欠な水を支配することで、米国のその国に対する支配を強化してきた。

 日本では、水道事業のような公共事業は、基礎自治体である市町村が管理運営している。上下水道だけでなく、道路や河川の整備管理、ガスやゴミ処理、公園や文化施設の管理運営、公共病院や学校(小中高)の管理運営、子育て・介護・生活保護などの福祉事業などなど。

 麻生副総理が2013年に米国で講演し、「日本には、こういうもの(水道のような公共事業)がたくさんあります。これらの運営権を全て民間に譲渡します」と述べた時、会場は色めきたったという。

 地方自治体は、別名「地方公共団体」と言われるように、地域住民全体のための公共事業を行う単位である。その公共事業を米系外資が全て民営化していけば地域の自治は有名無実化する。こうなれば、地域は米系外資の食い物にされ、地域住民は、その対象物・隷属物にされ、「地域のことは地域住民が決定する」という自治の本義、地域住民主権も奪われる。その下では、地域の発展など望むべくもなく、地域格差は益々拡大し多くの地域が一層衰退していく。

 市町村を単位とする地域は暮らしを守る最後の砦だと言われる。とりわけ、岸田政権の軍拡のために増税や社会保障や福祉予算、地方交付税の削減が予想される中で、この最後の砦を守ろうとする声は広範かつ切実なものになっている。それは「地域を守れ」という地域第一主義と言えるものである。それが互いに連携して一つの大きな力になれば、対米追随の政治を国民第一・自国第一の政治に変える大きな基礎的な力になる。それを大いに期待する。


「米軍が日本を守る」から「自衛隊が米国を守る」に!?

若林盛亮 2023年2月5日

読売の1月23日付朝刊1面トップは「日本に中距離弾、米見送り」の大見出し、続けて「米政府が日本列島からフィリッピンにつながる“第一列島線”上への配備を計画している地上発射型中距離ミサイルについて、在日米軍への配備を見送る方針を固めたことが分かった」の記事。

その理由は「日本が“反撃能力”導入で長射程ミサイルを保有すれば、中国の中距離ミサイルに対する抑止力は強化されるため不要と判断した」からだ。

要するに「対中ミサイル攻撃は、米軍に代わって自衛隊がやりなさい」ということだ。もちろん米軍は潜水艦発射ミサイルや空母などからの戦闘機発射のミサイルで敵本土攻撃ができるがこれはあくまで「側面援助」に過ぎない、基本は日本列島に分散配置される地上発射型の中距離ミサイル基地が主役だ。ということは「主役は自衛隊に任せる」ことを米国は決めたのだ。

昨年末、閣議決定された「安保3文書」で「陸自にスタンドオフミサイル部隊の新設」が決まった。「スタンドオフミサイル」というのは「敵の射程外から発射できるミサイル」、要するに長射程の中距離ミサイルだ。「安保3文書」で自衛隊の地上発射型中距離ミサイル部隊が日本に誕生することになるが、この部隊が米軍に代わって対中ミサイル攻撃の主役を任されることになるのは火を見るよりも明らかだ。

一言でいえば、対中攻撃の主役が米軍から自衛隊に代わる、「矛」の主役が米軍から実質的に自衛隊に移る。中距離ミサイル部隊という強い「抑止力」(攻撃武力)を自衛隊が持ったからだ。

何のために? 「米中新冷戦」のため、「米国のアジアにおける覇権秩序回復のため」、対中対決の最前線を自衛隊が担うために。要するに「米国を守る自衛隊」になったということだ。

戦後日本の「常識」であった「米軍が日本を守る」は、「自衛隊が米国を守る」に変わった。

これこそが岸田首相の言う「安保3文書」の意義、「戦後日本の防衛政策の大きな転換」の隠された本質ではないだろうか。


米国式民主主義こそ専制主義だ

小西隆裕 2023年1月20日

バイデン米大統領は、米国が引き起こした覇権回復戦略、「米中新冷戦」の本質を「民主主義VS専制主義」だと規定した。すなわち、民主主義を代表する米国と専制主義を代表する中国の覇権争奪をめぐる競争、それが「米中新冷戦」だということだ。

こうした一方的な決めつけには、いろいろ問題があるが、ここでは米国の言う「民主主義」について考えてみたい。

そもそも民主主義とは、ギリシャの昔から、集団の意思をその集団の成員皆が主人、主権者として討議しその皆の意思を集大成してつくる政治のことを言った。

だから、もっとも基本的な集団である国と民主主義は対立する関係にあるのではなく、国の政治を民主主義で行うのか否かという関係にある。

この自明のことが米国の言う民主主義では通用しない。

米国では、と言うより、米国の政界やメディアでは、もっぱら民主主義とは、個人の自由を保障することであり、各人の自由意思を政治に反映させ多数決で競わせて行うのが民主主義だ。

すなわち、国の意思が国民皆の一致した意思で決められ、それに反する意思など出てこないような政治はあり得ず、そんな政治は、独裁者の強権によって仕切られた政治、権威主義、専制主義の政治でしかあり得ないと排撃され敵視されようになる。

その米国の民主主義が近年なぜ「1%のための政治」などと言われ、米国内的にはもちろん、世界的に外から見ても、かつての輝きを失ってしまっているのはなぜか。

それは、何よりもまず、米国式民主主義が人間を個的、個人的な存在として見、もっぱら互いに対立し、競争する存在としてとらえているところにあるのではないだろうか。

そのため選挙は、集団の意思を皆が力を合わせてつくるため、それにふさわしい人を選ぶというより、もっぱら自分の主張や利益を実現するため、各人が競い合う場と化し、政治は、弱肉強食、強いものが多数を占めて、自分に有利に政治を行う「1%のための政治」に成り下がっている。

もう一つ、米国の民主主義凋落の原因を考えた時、グローバリズムにより国を国として認めず、米国自身を国の上の国をして位置付けているところにあるのではないかと思う。

各国の主権国家としての権威、権限が認められず、米国主導の各種「同盟」の下に各国主権が置かれている。日本の「日米同盟第一」などは、その典型に他ならない。

この現実が示しているのは何か。それは、「米国式民主主義こそ、もっとも悪質な専制主義だ」ではないだろうか。


平和と生活を守る闘いを、より強くより広範なものとするために

魚本公博 2023年1月20日

今年、平和と生活を守る闘いが燃え上がるのは必至である。

昨年末に立てられた「新しい安全保障政策」による「軍事費倍増、反撃能力保持」が閣議決定され、その膨大な軍事費を賄うために増税することが明らかにされたからである。

軍事費は、27年度までの5年間で倍増してGNP2%以上となり、初年度の23年に、過去30年間で1兆円増額していたものを一挙に1兆円増額して6・8兆円にし5年間で43兆円にするという急激かつ膨大なもの。

今後様々な増税が検討されることになる。さらに、厚労省が所管する医療関係の積み立て金を国庫に返納するなどの案が取り沙汰されるなど、国民生活に直結する医療、教育、文化、環境、産業育成などの分野での歳出削減、とりわけ、歳出の3分の1を占める社会保障費の削減も進むであろう。

ロシア制裁や中国敵視などを背景に物価高騰が進んでいるのに、更に増税が重なれば、一体国民の生活はどうなるのか。新聞の投書欄に、ある女性が「戦争する前に食が・・・」というのがあった。戦争の危険性もさることながら、その前に食べることさえできなくなるという悲鳴のような声。それは、不安定雇用に従事するアンダークラスと言われる人々、シングルマザーなど多くの庶民の声、全国民的な声となっている。

こうした中、1月1日元旦の日、読売新聞が「世界平和構築へ日本は先頭に立て」なる社説を載せた。それは、「政府が『反撃能力』の保有など防衛政策の大転換となる新しい安全保障政策を決定したのは当然だ」などと岸田政権の防衛政策を擁護するものとなっている。

このようなマスコミ報道に関わりなく「平和と暮らしを守る闘い」は進む。しかし、それがより力強く広範なものになるためには、彼らがどういう論理で自己の主張を正当化しているのかを見抜かなければならない。

そのカギとしてあるのが、最初の小題目である「「独裁者の暴走を防げ」というものだ。すなわち、プーチンは独裁者であり、ウクライナ戦争は「妄想にかられた独裁者の暴走」だということだ。「民主主義であれば、為政者が判断を誤っても周辺が理不尽な行動を止め、敢えて強行して失敗すれば反対派または選挙による国民の投票によって追放される」からと。

そこから社説は、日本は強権政治への誘惑を退け、「自由と民主主義的制度」に自信をもつと同時に、その理念を世界に広げる努力をしなければならないと説く。それは、かつて植民地国であった「グローバル・サウス」がロシアや中国に接近するなど民主主義が「世界的に見れば少数者になりつつある」からであり、日本は、そうした途上国との「パイプ役」の役割を果たさなければならないとする。

以上、見ても分かるように、問題は、プーチンを独裁者と見るかどうかである。私は、プーチンは選挙で選ばれたのであり、ロシアには議会もあるのであり、その「特殊軍事作戦」への支持が80%にも及ぶことを考えれば、独裁者の烙印を押すのは一方的であり間違っていると思う。

勿論、それには反論もあるだろう。しかし、ここで考えるべきは、「プーチンは独裁者」と言うことによって、それが米国の対露政策を擁護し、それに追随する日本の安保戦略を擁護するものになるということだ。そして、それは「平和と暮らしを守る闘い」への信念を弱め、より広範な国民の参加を妨げる。そうであれば、プーチンが独裁者であるということは慎重に吟味すべきことであり、少なくとも諸手を挙げて、それに同調する愚は避けなければならないと思う。

米国は今、「民主主義対専制主義」を掲げ、中国、ロシアを専制主義として敵視し、民主主義陣営に結集して衰退著しい米国を支えさせて覇権を回復する覇権回復戦略を採っている。それに従うのは、欧米や日本など、戦前帝国主義であった国々であり、植民地国であった国々である「グローバル・サウス」諸国が従おうとしないのは社説も指摘する通りである。

社説は冒頭、「国連創設のために関係諸国が米サンフランシスコに集まったのは1945年4月のことだった。第二次世界大戦がまだ収束しない段階で早くも平和回復後の国際秩序作りがはじまっていたのだ」から始まる。しかし、この「国際秩序作り」とは何だったのか。

それは米覇権の下での「平和」であり、それに応じない国に対しては戦争を仕掛ける、そういうものだったのではないか。朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、反テロ戦争によるイラク侵攻やアフガン侵攻、シリア侵攻など。さらには、米覇権に反対する政権に対するクーデター、要人暗殺などなど、その平和の「国際秩序」は血塗られている。

それが民主主義なのか。日本の「軍事費倍増や反撃能力保持」も国会審議もなく岸田政権が勝手に閣議決定したものであり、そこには民主主義の欠片もない。

元々、「軍事費倍増や反撃能力保持」は昨年5月のバイデン訪日で米国側が要求したものであり、1月13日の日米首脳会談で、米バイデン大統領は「これほど日米関係が緊密になったことはなかった」と手放しで喜びを表明した。

このままでは、日本はアジアから世界から見放される。日本の動きを見てタイの外務大臣は「日本との関係を見直さなければならない」と述べている。そして、行き着く先は、ウクライナと同じような代理戦争である。

今こそ「平和と暮らしを守る闘い」が問われている時はない。そのためにも、「独裁者の暴走」とか「民主主義の優位」とかの妄言に惑わされてはならないと思う。


「教育鼎談 どんなに時代が変わっても教育の本質は変わらない」を考える

森順子 2023年1月20日

朝日新聞は、元旦に新春特別鼎談「どんなに時代が変わっても教育の本質は変わらない」を掲載した。名門進学校である麻布中高、開成中高の校長二人が、現在、押し進めている教育改革の弊害を指摘し、教育とは、本来、どうあるべきかを語っている。

二人の校長先生が、強調されたことは、今の教育改革が、子どもたちのためでも、日本の実情に合った改革でもない、と言われながら、教育の本質を忘れた教育改革だと、はっきり言い切っている。

最初に、言われたのは、従来の教育では世界に勝てない、と、抜本的な改革が必要だとした教育改革だが、従来の教育のよさを捨てた稚拙な改革だと言われ、何よりも子どもたちを教育改革の実験台にしてはいけない、とまで言われた。

次に、教員の負担がますます増えていっていることを指摘し、その結果、教員が生徒と向き合えない本末転倒の学校現場になっていっているという。

そして、教育に置いて重要なこととして、生徒の知的好奇心や勉強への意欲を育むこと、結局、教育とは子どもたち一人一人の可能性や才能をいかに伸ばすか、これが教育の本質、この本質を忘れた教育改革には、危機感を抱くと締めくくっている。

まだ記憶に新しいが、大学入試試験問題のときも「日本の教育を立て直せ」など、教育改革に異議を唱えた多くの議論をかもしだした。問われたのは、日本の教育のためか、日本の子どもたちのための教育改革か、であった。このことで、一気に令和時代の「新しい教育」としてスタートした改革に対する疑問が表面化された。

それは、この教育改革の目的と本質が、「米中新冷戦」の下に組み込まれた日本を米国に融合する「統合」のための教育改革として押し進められているからだ。この「統合」を言うならば、これまでの日米の不都合な区分の垣根を取り払うというものだ。すなわち、国境をなくし、日米が一体化すること、言い換えれば、国をなくすということに他ならない。

「英語とIT技術」を身につけた人材育成を教育改革の目的にしたのも「統合」だ。日本の歴史を独自の歴史としてではなく、世界の一環としてみる高校の必修新科目「歴史総合」を置いたことも「統合」だ。また、東工大と医科歯科大学の統合も、まさに「統合」である。他にも、「年間、外国人留学生30万人以上、受け入れ計画」、これも同じだ。

この日米「統合」のためのどの改革も、アメリカに吸収され、アメリカと一体化のための中身であり、それは、教育のアメリカ化、教育のグローバル化である。

そのなかでも核となることは、日本という国とともに、人々の内面までもアメリカ化されていくようになると言っても過言ではないことだ。無国籍のグローバル人材、日本人としての帰属意識や、アイデンテイテイを持たない人材を育て、日本人の中から日本というもの、社会というものが失われていくことを意味していると言えるのではないか。そして、皆バラバラな個にさせられ、留学生や海外からの人材と競い合い、格差の拡大する社会に身をおき、生きていかなければならない環境が待ち受けている・・・。そう思うと、次世代を担う子どもたちと日本の将来も、決して明るいものと見ることはできないだろう。

子どもの才能や、可能性を見つけ伸ばし、日本のグローバル人材を育成することが、「人間を育てる」「人材を育てる」という本来の教育である。

校長先生たちは、「この本質を忘れた教育改革に危機感を抱いている」と言う。だが、今、その、教育の本質を変えようと日米の「統合」が大手を振って徹底的に強行されている現実に、どう対するのか、が日本に求められていることだと思う。

それゆえ、この「日米統合」ための教育改革に対して、日本の真のグローバル人材育成を掲げ、自国第一、自国の人材第一の日本の教育のあり方を追求していくときだと思う。また、日本の将来を決める教育議論が、もっともっとなされる必要があると思う。


「戦争ができない国」になった米国、「戦争ができる国」になる日本

若林盛亮 2023年1月5日

米国は「戦争ができない国」になった。
米国は、「ウクライナ戦争」では武器提供など後方支援は行うが自分が対ロ戦争に巻き込まれるような米軍の派兵は避けている。「戦争ができない国」になったからだ。
かつて朝鮮戦争やベトナム戦争、そして「反テロ」を掲げたアフガン、イラク戦争など世界の幾多の戦争を率先して仕掛け、その先頭に立ってやった頃とは様変わりの国になった。
他方、日本は「戦争ができる国に」になる。

昨年暮れに閣議決定された安保3文書は「反撃能力保有」を謳い、自衛隊が「矛」の役割を担う、すなわち相手国本土攻撃能力を持つ「戦争のできる軍隊」になった。
かつては米軍が「矛」、自衛隊は「盾」との役割分担で、もっぱら攻撃は「戦争のできる国」米国が担い、憲法9条により「戦争のできない国」日本は専守防衛、国土防衛のみを担った。ところが今や日本は「戦争のできる国」になる一方で、米国は「戦争ができない国」になった。これは一体どういうことを意味するのだろう?

自分が単独であるいは先頭に立って「戦争ができない国」になったからといって、覇権帝国である限り、米国は戦争を常に必要とすることに変わりはない。だから戦争のやり方をこれまでと変えてくる、それは日本が「戦争のできる国」になることと密接に関係してくる。どう変えてくるのか? ここがポイントだ。

米国は先の国家核戦略(NPR)改訂で日本への拡大核抑止力提供を保証したが、自国が核戦争に巻き込まれるICBM(大陸間弾道弾)の使用保証はないまま(「使うことはない」と日本の安保専門家は断言)、日本本土への中距離核ミサイル配備を求めている。その目的は明確、日本を米中新冷戦の最前線基地にするためだ。そして「核持ち込み」をいずれ認めるように迫られると安保専門家は言い、日本の「非核3原則」の見直しが迫られるだろうと指摘する。

米国の最終的狙いは明確だ。かねてから安倍元首相が唱えていた「米軍との核共有」、すなわち自衛隊の中距離ミサイルに核を搭載することが「許容」され、日本の自衛隊基地を対中(朝)中距離核ミサイル基地にするということだ。森本敏・元防衛大臣は在日米軍基地への中距離ミサイル配備はしないだろうと予測している。
何のことはない対中戦争では自衛隊が最前線に立ち、米軍は長射程ミサイルや核を提供する後方支援に廻るということではないか?
ウクライナと同様、日本も対中戦争で代理戦争をやらされるということだ。
これが「戦争ができない国」になった米国、他方で「戦争ができる国」になる日本という今日の事態の本質だと思う。


外交の日米融合に反対し自国第一主義の外交を

赤木志郎 2023年1月5日

現在、軍事、経済、教育文化などすべての分野で日米統合化がすすめられている。外交も例外ではない。昨年、日本の外交で主だった活動は、米国のロシア制裁と中国包囲網への参加と、ASEAN諸国を対象にした「インド太平洋経済枠組み(IPEF(アイペフ))」の結成とティカッド(日本主導のアフリカ首脳会議)開催だった。
岸田外交は「したたかなリアリズム外交」を掲げたが、その実態は米国の手先としてアジア、アフリカ諸国への「橋渡し」「接着剤」の役割を果たすことだった。
とくにIPEF結成では、米国がアジア諸国との繋がりがうすく、中国との関係が強いもとで、日本が先頭に立ってASEAN諸国が受け入れやすい案を米国のもとでつくり、かつASEAN諸国を説得していく活動をおこなった。そこには日本のためのアジア外交はない。アメリカのために日本が汗を流し智恵を絞り出すものだった。

アメリカのための下請け外交・補完外交、それが外交における日米統合であると思う。外交は国の対外活動であり、国の在り方と直結している。外交が米国の指揮のもとで米国のためにおこなっていけば、日本という国は国際舞台でその独自的な存在価値を失ってしまうのではないか。
かつて日本外交は米国の陰に隠れて見えないと言われてきたが、今や、米国の手先外交を積極的におこなっている。それを「主体的外交」というのだから救いようがない。
日本の外交がないのは単に国として体をなしていないだけでない、そのことにより国益、国民の利益が犠牲になっていることが問題だ。
米国は自己の覇権回復のためにロシア、中国を敵に回して新冷戦外交をおこなっているが、日本がそれに同調することは百害あって一利もない。隣国であるロシア、中国を敵視すれば、日本の安全保障を危うくするばかりか、経済的にも大きな損失を蒙ることになるのは明らかだ。実際、ロシア制裁参加によりエネルギー危機を迎えさらに物流の停止で日本が物価高に追い込まれている。インドやトルコのように米ロ両方と仲良くした方がどれだけ得か明白であると思う。防衛費を2倍にする話も米国の要求であって、日本が平和国家として生きるためにはそれほどの防衛費は必要ではない。対米従属外交が国民生活を破壊していると言って言いすぎではないと思う。

私たちにとって日本という国が日本人にとっての共同体、家であり、日本という国の発展、繁栄、平和のなかで国民の幸せもありえる。今年、米国のもとの融合外交と日本の国益、国民益との矛盾が決定的に激化するだろう。

国民生活を守る外交、それが自国第一主義の外交だ。すでに世界の多くの国はそれを実践している。日本だけができない理由はないはずだ。
また世界が覇権を追求し国を否定する欧米勢力と、国を守ろうとする反覇権主権国家勢力の闘いが繰り広げられている中にあって、世界の時代的潮流である国の主権を守る闘いに合流してこそ、日本の主権を守り世界平和に寄与していくことができる。
それゆえ、求められているのは、日本のための外交であり、世界の反覇権勢力と連帯する外交、すなわち自国第一主義の外交だ。
自国第一主義は愛国の闘いであり、国民のための闘い、世界平和のための旗印だと思う。


「国民の命と暮らしを守る」のは、国の責任、最優先課題

若林佐喜子 2023年1月5日

岸田政権に対する国民の怒りが日に日に高まっている。
物価高騰と光熱費の値上がりが国民生活を直撃する中で、防衛費増税、更に社会保険費の負担増が追い打ちをかけている。賃金は上がらず、支出のみがアップし、子供のいる家庭は本当に大変とのことだ。子供の食事のために自分は一日一食にするシングルマザーの悲痛な姿も伝わってくる。
岸田首相が防衛費増税を示した際の「今を生きる国民の責任」発言。上目線だとして「今を生きるわれわれの責任」と修正したが、政治の長としての「国民の命と暮らしに」対する心配、責任は微塵も感じられない。

昨年末、岸田首相をトップとする「全世代型社会保障構築会義」が、めざす改革の方向性と今後取り組むべき課題をまとめた報告書を公表した。主な内容として、少子化を「国の存続に関わる問題」と位置づけ、大胆な対策によって人口減少の流れを変えると強調。具体策として、出産一時金を現行の42万円から50万円に引き上げ、その財源については、各健康保険組合の保険者ほか、新たに75歳以上が加入する後期高齢者医療制度からも財源の7%を拠出する方針を提示した。

しかし、社会保障に於いて負担を分かち合うとは、結局は、本人の負担増、責任を国民に押しつけ、国の責任、負担を不問にするものでしかない。岸田政権の手法の狡猾さは、社会保障制度の中核的な位置をしめる社会保険を「共助」(分かち合い)にすり替え、今回の報告にあるように、出産一時金支援の引き上げ分は、後期高齢者医療制度(保険者)からも負担させるというものだ。すでに、昨年4月からの75歳以上の医療費1割負担から2割など医療費制度改悪をはじめ社会保険料の自己負担増が次々に押し進められている。その一方で、政府は2025年度の節目に医療費の国庫支出8兆円の削減を計画しているのだから、全くひどい話である。

今、切実に問われ、求められているのは、国の責任である。国の責任である「国民の命と暮らしを守る」ことが最優先課題であり、そのための社会保障事業財源が確保されることである。緊急課題として、低負担と手厚い行政サービスによる社会保障の充実、賃金の大幅な底上げ、大企業や富裕層への課税強化、金融所得課税などの見直し、教育の無償化などがあげられる。


時代のキーワード

小西隆裕 2022年12月20日

今、「統合」が「時代のキーワード」になっているように思える。

昨年、駐日米大使エマニュエルが大使として承認されるに当たって、その抱負を語りながら、日米経済の「統合」のために尽くしたいと語っていたが、それがここにきて、一つの流行語、「時代のキーワード」になってきた感がある。

この間、話題になった東工大と東医歯大の合併も「総合知」の必要が説かれて「統合」だし、大学の理系と文系の垣根、同じ理系内部各部門の垣根をなくす問題も「統合」だ。

さらには、日本史と欧米史の近世から近代を一つの歴史としてみる歴史の「総合」も「統合」と同じ思想だ。

これはどうしたことか。デジタル・トランスフォーメイションやグリーン・トランスフォーメイションが起こり、従来の分野、部門、領域区分ではやっていけない状況が生まれてくる中、その不都合な区分の垣根を取り払う「統合」が「時代のキーワード」になってきていると言うことではないのか。

ここで問題は、この「時代のキーワード」を使って、日米の「統合」も、経済だけではなく、軍事をはじめあらゆる分野、領域で当然のことであるかのように言われてきていることだ。

日米の垣根をなくすと言うことは国境をなくすと言うことに他ならず、言い換えれば、国をなくすと言うことだ。

これは、一昔前の「グローバリズム」と同じことではないか。すなわち、この間その破綻が証明された「グローバリズム」がかたちを変えて繰り返されようとしていると言うことだ。

ドイツや米国が覇権を握るEUやグローバル世界の下、ドイツや米国に組み込まれ、支配されるのに反対する「自国第一主義」の波がヨーロッパをはじめ世界に広まる中、中ロを「専制主義」「権威主義」として包囲し、封じ込める「新冷戦」とともに、同盟国、友好国を米国に融合する「統合」の波が世界を席巻してきている。

日本は、今、もっとも従順な同盟国として、その「統合」の模範にされようとしている。今般、閣議決定された「安保三文書」は、日米軍事「統合」を推進する法的担保に他ならない。これによって、日本の軍事は、日米共同の覇権侵略戦争に動員される補完、下請け軍事に落とし込められた。それは、米国による対中ロ代理戦争をやらされる「東のウクライナ」への道を意味している。

新年を迎えながら、日本に問われているのは、この「日米統合」の大波からの脱却だ。

そこで求められるのは、「統合」を上回る時代のキーワード、「自国第一」ではないだろうか。

今、ウクライナ戦争でのロシアへの制裁など、各国を物価高や財政難に巻き込む米英覇権への怒りは「自国第一」の闘いとして、ヨーロッパをはじめ、全世界に広がってきている。

覇権の横暴に抗し、自らの運命を自分の国に託す、自国第一の世界の思いは、日本国民の思いとなって、日本を米国の下に溶かし込め、使い捨てようとする「日米統合」の邪心を白日の下にさらし、打ち破らずにはおかないだろう。

戦後80年を前にして、日本国民の堪忍袋の緒が切れる時が近づいているのではないだろうか。


「地方から日本を変える」闘いを今こそ

魚本公博 2022年12月20日

政府は12月23日に「デジタル田園都市国家構想総合戦略」を閣議決定するという。

その概要が朝日新聞の「#政官会ファイル」という囲み記事にあったので、それを以下に記す。

「政府は30日、デジタル化で地方の課題を解決し、地方の活性化につなげる新たな方針『デジタル田園都市国家構想総合戦略』の骨子案をまとめた。戦略に基づいて、各省庁や自治体が地方創生の関連施策を進め、年内の閣議決定を目指す。

2023年から27年度の5年間で、国の交付金を活用して、自治体や地域産業のデジタル化を推し進め、雇用や移住の促進を図る内容。データを利用した農業の効率化や過疎地での新交通システムなどのモデル事業の全国展開も盛り込んだ。

第二次安倍政権下で進められた「まち・ひと・しごと創生総合戦略」を衣替えする形で、岸田政権の看板政策の一つ「デジタル田園都市国家構想」を進める方針と位置づけている」

■米国への日本の統合のための「デジタル田園都市国家構想」

「デジタル田園都市国家構想」の最大の問題点は、これによって、地方の米国への統合が決定的に進むということである。

今、米国は新冷戦戦略とも言うべき覇権回復戦略を展開している。中国、ロシアを敵視し、西側陣営の力を結集するという戦略である。その戦略の下、日本を米国に統合する政策が進んでいる。「デジタル田園都市国家構想」は、日本のすべてを米国に統合するという米国の要求の下、地方から日本を米国に統合するものとしてある。

その手段は「デジタル」である。地方のデジタル化は米巨大IT企業であるGAFAMの下で行われる。デジタル化において、成長エンジン、生命とされるものがデータである。それ故、世界各国はデータ主権を唱え、データを守り、保護することを重視している。しかし日本は、自らデータ主権を放棄している。TPP交渉の過程で「国境をまたぐデータの自由な流通の確保、国内でのデータ保存要求の禁止という原則」を受け入れ、2020年1月には、それを「日米デジタル貿易協定」として締結している。

このデータを集積利用するクラウドも、アマゾンの「アマゾン・ウェブ・サービス」(AWS)とマイクロソフトの「アジュール」を使う3社で60~70%のシェアを占め、NTT、富士通、NECなどの日本勢はシェアを落とし排除・駆逐されている。

2021年9月1日に発足したデジタル庁はプラットフォームとしてアマゾンのAWSを使用しており、それに基づき、米国IT最大手のアクセンチュアが「全国共通のプラットフォーム」を作っている。

米国仕様で統合されたデジタル化によって、全ての地方・地域が丸ごとGAFAMの管理下に置かれる。個人情報だけでなく、自治体自体の情報、企業の情報を丸ごとGAFAMが管理するようになる。そうなれば、自治体だけでなく地域産業、地域住民のすべてが米国に管理されるようになる。

■地方自治体の解体と自治の否定、地域住民主権の剥奪

こうしたGAFAMによる管理によって、日本の地方・地域がどうなるか。

先ず、基礎自治体である市町村の多くが見捨てられ切り捨てられる。

デジタル化で競争させ、それを進める自治体には交付金を渡し、そうでない自治体には渡さず、見捨て切り捨てる。総合戦略では、デジタル実装の自治体1500になっているが、その直前まで1000になっていた。今、基礎自治体の数は1727団体なので半数は見捨てるということだったが、反発が強くて1500にしたのだろう。しかし、弱小自治体は切り捨てるという思考は変ってはいない。交付金を使って、多くの基礎自治体が切り捨てられていくだろう。

そして何よりも問題なのは、自治体の民営化による自治体の解体、住民自治・地域住民主権の剥奪である。

「デジタル田園都市国家構想」では、自治体自体の民営化が目論まれている。これまでも水道や空港、公営交通などの分野で民営化が進められてきた。しかし、「デジタル田園都市国家構想」では、自治体そのものの民営化が目論まれている。

総合戦略では、24年末までに、1000のサテライトオフィスを置き、ハブとなる経営人材を100地域に展開する、などの施策を挙げているが、それはGAFAMやその系列のコンサルティング会社や経営人材が地方を経営するためのものとなる。

こうなれば、自治体活動は、少数のデジタル・マネージャーによって計画、決定、執行されていき、議会は形骸化し住民の要望や抗議活動も無視され、地域住民は主権者としてではなくデジタル管理の対象者、隷属物にされてしまう。

どうして、このようなことがまかり通るのか。それは、日本の地方政策が徹頭徹尾、米国の要求によって、行われているからである。この米国一辺倒、米国追随の政治を変えないことには地方・地域の衰退を食い止め、地方・地域を救うことはできない。

■「地方から国を変える」を巡っての闘い

岸田首相は「デジタル田園都市国家構想」について1月の所信表明演説で「このデジタル化は地方から起こります」と述べている。それは米国の意図が「地方から日本を変える」ものであるからだ。

米国が日本を統合する上で障害となるのは、国家としての秩序、それを法的に保障する諸規制である。それを一挙に撤廃することは困難である。そこで地方から風穴を空ける。事実、安倍政権は、「岩盤規制に風穴を空ける」として、「特区」形式で、それを実現しようとした。

安倍政権の「まち・ひと・しごと創生総合戦略」を「デジタル田園都市国家構想総合戦略」に衣替えするのは、それを特区ではなく全地方で行うということだ。

この総合戦略では、地方・地域全般の行政手続きの様々な規制を撤廃するとしており、水道業、建設業などの資格を緩和し、自治体ごとに設けられている諸規制を「ローカルルール」として見直すとしている。

こうして地域から諸規制を撤廃し、それをもって国の諸規制をも撤廃していく。こうして日本の国としてのまとまりを破壊し、統合していくということである。

しかし、国民の側から見れば、地域は生活の場であり、市町村などの基礎自治体は、暮らしに直結する。

今、地域では、安倍政権以来の新自由主義的改革によって、学校や病院の統廃合が進み、インフラ整備が滞り、各種福祉事業も削減されていっている。そうした中で、地域が一丸となって、自分たちの地域を守ろうとする動き、地域第一主義とも呼べるような動きが強まっている。

維新による大阪市廃止を巡る住民投票で大阪市民がノーを突き付けたように。6月の杉並区長選挙では、民営化に反対しコモンを追求する岸本聡子さんが当選した。12月には尼崎市長選で維新市長の誕生を阻止した、などなど、地域を守る動きが各地で見られるようになった。

何としても、米国一辺倒の政治を変えなければならない。その最前線は地域にある。

それは、対米追随政権による米国のための「地方から国を変える」政策に対し、地域住民が自分自身の命と暮らしを守るために自身が主権者として「地方から国を変える」政治を実現する闘いである。

これから益々生活苦は深刻化する。そういう中で、軍事費増大など全くのナンセンスでしかない。今ほど命と暮らしを守るための政治実現が求められている時はない。地域住民の地域第一主義とも言える動き、それが自国第一へと発展する中で、この国は変る。

そういう意味でも、「デジタル田園都市国家構想」、それが地方・地域を米国に売り、地域を切り捨て、地方自治・地域住民主権を剥奪するものだとして反対することが大事だと思う。地域からのノーの突き付け、地域からの「反乱」、それが宿阿のような米国一辺倒、対米追随の政治を変える。それを期待して止まない。


大学統合の真実

森順子 2022年12月20日

現在、物事の進め方に変容や変化が起きるDXが進み教育分野にも影響を与えている。

日本の科学技術開発の拠点である大学が、いま、他の大学との統合、連携が相次いていることは、あらゆる分野の知見を用いてイノベーションを起こし社会全体を変革していく観点が求められるDX時代の要求だと言えるだろう。

その模範が、今回、世界レベルの研究大学を目指す、東京工業大学と東京医科歯科大学の統合だ。この両大学の統合が実現すれば、日本の研究力低迷を打開し、日本社会の成長発展の道も開かれるだろう。すなわち、統合は、時代の要求、国のための統合である。なぜ、これを強調するかと言うと、いま、この統合が、米国が要求する統合、米国が主体となった統合になっているからだ。それが日米統合であり、大学統合もその一環となっている。

周知のように、「日米統合」は、弱化する米IT覇権を強化するための重要な環として押し進められていることを忘れてはならない。

この「統合」について、米国側の要求は、一言で言って、中国、そしてロシアとの競争に勝つため、同盟国、友好国と米国の戦力、技術力を結集するというものだ。それは、軍事や経済に留まらず、教育・先端技術などあらゆる分野に広がる日米統合、一体化への要求だ。

そのために、今、日本は、新国家安保戦略のもと、防衛費倍増まで明記されている。その防衛力強化では、統合が強調され、統合があってはじめて、日本の安全と繁栄が実現されるという。それゆえ、米国との統合、信頼を深めて、更なる軍事能力の統合と、経済、教育・科学技術、情報の統合が急がれている。ここに、米国が要求する大学統合の意図と、「研究力の高い理系の総合大学の誕生」「世界レベルの研究大学」だと言われる両大学の統合が、何なのかが示されていると思う。

エマニユエル駐日大使は、日米統合、一体化の必要性についてこう強調している。

「今や日本が米国を必要としているのでなく、米国が日本を必要としている。日米は、防衛産業も含めて一体化しなければならない」と。

このように米国による日米統合が強まってきているなか、この統合は、当然、米国主導、米国上位のものだ。多分、これに誰も異議をもつ人はいないかも知れない。そして日本はあくまで米国を補完する役割となり、日本の大学で開発された科学技術は、米国の軍事や経済に吸い取られていくことになるだろう。

このように、日米統合の本性が、顕わになった今、統合の行き先はどこなのか。

もっとも危惧することは、米対中ロ新冷戦・代理戦争国家化が現実的なものになるかも知れないと考えざるを得ないことだ。日米統合の真の姿は、ここにあるのではないかと思う。そして、それは、日本という国が米国に組み込まれる日本の米国化、人々の内面までも米国化されていくことになるということだ。

深刻に問われていることは、日米統合、一体化が国家総動員で推進されている現日本のあり方だ。

「日本ファースト、自国第一、自国の人材第一」、これが、日本の自律した科学技術立国へと向かう道ではないのかと思う。こうすれば、本当の意味で日本のための統合が実現していくようになるに違いない。米国に日本のすべてを握られ代理戦争まで迫られ、賛成する国民はいないはずだ。「日米統合」からの脱却に向けて、「日本ファースト、自国第一、自国の人材第一」の日本のあり方を追求していくときだと思う。


「岸田政権崩壊の危機」を陰謀から考える

若林盛亮 2022年12月5日

いま岸田政権は「崩壊の危機」、また政権党である自民党自体が大きく揺れている。これは安倍元首相「銃殺」後の統一教会問題に端を発するものだが少し異常だ。

かつて「ロッキード事件」で田中角栄首相が、「クロネコヤマト事件」で金丸信自民党幹事長が政治生命を断たれた。いまではそれは「アジア自主外交」の田中首相、「日朝国交正常化」の金丸幹事長をよく思わなかった米国による陰謀と言われている。

今回の日本の政局に走る大地震も「米国の陰謀」から考えると見えてくるものがある。あえて「独断と偏見」で考えてみたい。

■安倍「銃殺」、統一教会問題もどこかおかしい

田中宇氏は自身のネット情報誌で「安倍暗殺は米国の陰謀」説を早くから唱えていた。その根拠は安倍氏が中国にも秋波を送る二股外交で米国の対中敵視政策に反する危険性を米国が感じたからだとしている。安倍氏は親米派を装っているが、元来、軍国主義的自主派ともいうべき「強い日本」を政治信条としている政治家だから一定の根拠のある説だと思う。

私が異常だと思うのは、「銃殺」犯である山上青年の取り調べ状況が「精神鑑定中」ということでまったく明らかにされない異常さだ。あれほどの大事件でありながらこれはおかしい。

当初の統一教会がらみの家庭の不幸は大々的に報道され、それが今日の岸田政権や自民党の「危機」につながっているが、これも「陰謀論」に立てば「さもありなん」だ。元首相の暗殺という政治的大事件にも関わらず、その真相が闇に葬られている。これはやはりなにかおかしい。

統一教会問題も「文春砲」はじめマスコミが大々的に騒ぎ、これを国民的世論にし、これが国会で野党が取り上げ「政権の危機」という政局化させたのも、やはりどこかおかしい。

■立憲と維新の会の共闘もなにかおかしい

さらにはこの時期、立憲と維新の会が選挙協力を初め「共闘」というのも実におかしい。維新の会は新自由主義が政治理念の政党、他方は新自由主義反対の政党、政治信条では水と油のはずがなぜ「共闘」を組むのか? 当然、立憲内部では反対の声が上がっているが、泉代表執行部は統一教会問題追求で維新の会と「共闘」、来年の「選挙協力」のタッグマッチを組み続けている。

枝野元代表が「消費減税を取り下げる」としたのもおかしい。「増税で財源を確保する必要」も今後の防衛費2倍の経費拡大などを考えれば、これも米国の意にかなうことだ。

■日米「統合」時代の政界再編

ではなぜ岸田政権や自民党が米国から攻撃を受けるのか? これが重要なポイントになる。

そのキーワードは日米「統合」だ。米国は弱体化した米国の覇権建て直しのため、直接的には中国に対抗する米中新冷戦のために、同盟国、特に日本との軍事、経済、政治、文化の「統合」を不可欠としている。日本は独自性を失い完全に米国に融合させられる危険に直面していると言える。これを日本の政財界が両手をあげて歓迎するとは思われない。

日本の政財界は表向きは唯々諾々と米国の言うことを聞いているが、内心快からぬものを持っている。菅政権初期「対中包囲網に参加することは国益に資さない」と断言したのはそのことを示している。この菅政権もコロナなどの問題化で倒れたが、これだって「米国の陰謀」かもしれない。自民党はある意味、日本の土着政党、中央や地方の財界の意向を最も代表する政党だ。だから日米「統合」の抵抗勢力だとも言える存在だ。

 だから土着政党的体質の自民党を解体し、日米「統合」時代にふさわしい政界再編を米国が狙っていると見て、今日の政局の動揺を「米国の陰謀」から考えるのも、あながち「独断と偏見」とばかりは言えないと思う。


深刻なのは、デジタル主権を日本が放棄していること

若林佐喜子 2022年12月5日

このところ、「マイナ保険証問題」をはじめ、「TikTok」炎上問題など河野太郎デジタル相の言動が物議を醸している。そんな矢先、「アメリカ式か中国式か? ビックデータと国家安全保障をめぐる『仁義なき戦い』勃発」(Newsweek 11/17)という記事が目に入った。

特に、興味深かったのは、中国による個人情報収集に警戒感が高まるが、世界的にみれば、ヨーロッパをはじめインドなど多くの国々は、米国と米国IT巨大企業こそが、最大の国家安全保障上の脅威だと捉えていることだった。

理由の一つは、2013年にエドワード・スノーデンが公表した米国安全保障局(NAS)の大量の機密文書のことを忘れていない。機密文書には、米政府が世界各国の要人や一般市民の電子メール、ショートメセージ、携帯の位置情報といった膨大な量の個人データの収集が示されていた。二つ目は、米国のIT巨大企業GAFAMが世界のユーザー、一般市民のデータを食い物にし、巨大化していることが挙げられていた。

欧州各国では、米巨大IT企業への監視を強め、2018年にデータ移転ルールなどを定めた「一般データ保護規則」を設けている。さらにこの5年で、62ケ国がデータの国外移送に制限を加え、国内にサーバーの設置義務を課すルールなどの「データ・ローカライゼーション」規則を設け、強化している。

記事は、デジタル世界は、「(ネット検閲、情報統制システム)『グレートファイアウォール』に守られた中国のインターネットと、アメリカ主導のインターネットだ。そしてヨーロッパやアフリカや中南米の国々は、どちらかを選ぶように迫られている」と結ばれていた。だが、注視すべきは、「データ保護ナショナリズムは激しくなる一方だ」との言葉に表現されているように、各国が、自国のデータ保護・管理を強化していることだ。

今日、デジタル化、AI化なしに社会の発展は望めない。そのデジタル化において、生命とされる決定的なものがデータであり、国の政治、経済、軍事、国民生活においてその重要性が増している。同時に、膨大なデータに莫大は価値があるとともに、国家と国民の安全保障が重要な課題でもある。この世界の動きを考えたとき、深刻なのは日本である。日本政府が自らデジタル主権を放棄しているという事実だ。

日本は、TPP交渉の過程で、「国境をまたぐデータの自由な流通の確保、国内でのデータ保存要求の禁止という原則」を受け入れ、2020年に「日米デジタル貿易協定」を締結している。言い換えれば、データ保護・管理などデジタル主権を自ら放棄させられている、している国なのだ。2021年9月に発足した「デジタル庁」は、システムの標準化、統合を眼目とし、省庁とともに国と地方のシステム統合を目指してきた。その基盤として使用されているのが、米国のIT巨大企業アマゾンのプラットフォームである。国家と国民の安全保障に関わる政治システムを他国の民間企業に任せるケースは世界でも珍しく、さらに個人情報を管理するデータ設備を日本国内に置く要求もできない。これでは、日本と日本人の資産を自ら、米国と米国巨大テックに際限なく売り渡すのに等しい。

前回、「マイナ保険証問題」は、まさに「新冷戦」に向け、その最前線、日本の国民、皆を、日本政府だけでなく、米国、IT巨大企業が掌握するためではないかと記した。今回は、日本政府が米国に対してデータ保護・管理、デジタル主権を放棄している事実の深刻さを想起したい。


中国共産党20回大会をどう見るか

小西隆裕 2022年11月20日

去る10月16日、世界注視の中開かれた中国共産党第20回大会は、22日、その全日程を終え閉幕した。問題は、それがどうだったか、その内容と結果だが、それについて若干考えてみたい。

習近平続投。その独裁体制のさらなるもう一段の独裁化、それにともなう社会主義への傾斜の一層の深まり。この予想通りの展開を見て、中国の発展ももはやこれまで、「西側」、日本にとっては、かえって良かったのではと評し判断する人が少なくなかったのではないだろうか。

この大会で基調となったのは、言うまでもなく習近平総書記の報告だ。

「中国の特色ある社会主義の偉大な旗を高く掲げ、社会主義現代化国家を全面的に建設するために団結して闘争しよう」と題してなされたこの報告で強調されたのは、一言で言って、欧米の現代化とは異なる中国式現代化による中華民族の復興であり、そのための社会主義現代化強国の建設だった。

経済実力、科学技術実力、総合的国力の大幅向上など、2035年までの達成目標を掲げたこの社会主義現代化強国建設が成就されるか否かは、

第一に、公有制経済と非公有制経済、二つの経済の発展を同時に推進する社会主義市場経済体制がいかに芸術的に運営されるようになるか、

第二に、米覇権による「米中新冷戦」、対中国包囲、封鎖、排除がある中、科学技術と教育に依拠する国家振興戦略、人材強国戦略、革新による発展戦略を実施して、現代化建設のための革新型人材をいかに積極的に育成配置できるか、

第三に、人民民主主義を発展させて、人民が国の主人としての権利を行使する制度と体系を完備し、人民の政治への参与を拡大し、人民大衆の積極性と主動性、創造性を発揮させることによっていかに生気溌剌として安定し、一致団結した政治的環境をつくり出していけるか、

第四に、法による全面的な国家管理、法治国家中国の建設を推進し、社会の公平と正義をいかに保障し促進していけるか、

第五に、社会主義文化を一層輝かしく発展させ、中国の優秀な伝統文化を継承し、日々高まる人民の精神文化的需要を満足させることによって、全党、全国の各民族、人民が団結して闘争する共同の思想的土台をいかに固めることができるか、

第六に、人民の生活と福利を増大させ、人民の生活の質をいかに高め、いかに懸案の「共同富裕」を実現することができるか、

第七に、グリーンな発展を推進し、人と自然の和階、共生をいかに促進するか、

第八に、国家の安全システムと能力の現代化を推進し、国家の安全と社会の安定をいかに保障することができるか、

第九に、建軍100年の努力目標を実現し、国防と軍隊の現代化の新局面をいかに切り開くことができるか、

第十に、「米中新冷戦」の複雑な国際環境の中、香港、マカオの「一国二制度」を堅持、完備させ、台湾との祖国統一をいかに推進するか、

そして第十一に、分断と激動の世界にあって、その平和と安定を促進し、人類運命共同体の構築をいかに推し進めるか、

等々にかかっていることが提起され、その解決のための課題、方途が言及された。

以上、習近平総書記の報告について長々と述べたが、そこから一つ分かることがある。それは、この報告が、今米国が中国に対して仕掛けている「米中新冷戦」やウクライナ戦争をはじめ、複雑多難な国際情勢には一言も触れることなく、ただひたすら淡々と、自国、中国の建設についてのみ述べていることだ。

そこには、米国が中国に対して仕掛けた「米中新冷戦」の本質、「民主主義VS専制主義」やそれにともなう「民主主義陣営」VS「専制主義陣営」の抗争に対応する「陣営」や「同盟」の概念がない。昔、「米ソ冷戦」の時にあった、「NATO」に対抗してソ連がつくった「ワルシャワ条約機構」が見当たらない。

あるのは「同盟」でなく、ただ「国」だけだ。これは、中国に米国と覇権抗争をする気も立場もないことを示しているのではないか。あるのは、どこまでも欧米式ではない中国式の現代化、社会主義現代化だということだ。

先述したように、報告で国際問題に関して提起されたのは、ただ一つ、「陣営」や「同盟」ではなく、「人類運命共同体」だけだ。

その上で厳密に言えば、もう一つ触れられている箇所がある。それは、中国式現代化について述べながら、その一環として人類運命共同体建設を推進することが挙げられ、その中国式現代化全体を通して人類文明の新しい形態を創造すると述べられている箇所だ。

「人類文明の新しい形態を創造」、これは一体何を意味しているのか。それがこれまでの欧米式覇権文明の古い形態を念頭に置いたものであるのは言うまでもないと思う。

以上、中国共産党20回大会について見てみたが、こうした角度からの論議が生まれ広まるのを期待しています。


米国でも高まる、「自国第一主義」への期待

魚本公博 2022年11月20日

■「赤い波は起きなかった」に笑顔のバイデンだが

注目された米国の中間選挙は、上院ではジョージア州を残して民主党50、共和党49となり、民主党のペロシ議長の票が入ることにより、民主党が過半数を制した。下院は現時点で436議席中、民主205、共和党218だが、共和党が大きく議席を伸ばすという予想は外れた。マスコミは「赤い波は起きなかった」と報道、バイデン大統領も一安心の笑顔であった。

今、バイデン政権は、「民主主義対専制主義」を掲げて、中国、ロシアを敵視し、そこに民主主義陣営を結集し、米国を支えさせることによって、衰退著しい米国覇権を立て直す、米覇権回復戦略を立て実行している。

そして、この覇権回復戦略で、焦点になっているのは、ウクライナでの戦争である。ロシアを侵略者と決めつけ、ロシア制裁、ウクライナ支援に欧州、日本を巻き込むことは、米国覇権回復戦略のカナメになっている。

ところが共和党は、ウクライナ支援に異を唱えている。投票日直前、下院共和党トップのマッカーシー院内総務は「不況に喘ぐことになる米国民がウクライナに無制限に金を使わせることはないだろう」、「白紙のチェック(小切手)を切るわけにはいない」と述べた。

これに対してバイデンは、「外交政策を分かっていない」と批判した。すなわち米国の覇権回復戦略、そのカナメであるウクライナ支援を減らしたり止めるようなことは、許されないということである。

それは、米国第一主義から起きている。そうであれば、その台頭を何としても阻止する。それが米国エスタブリッシュメントの強い意志であり、それを反映したバイデン政権の意思であろう。

今、欧州では、「戦争やめろ、国民生活救え」のデモが各国で起きており、そこでは国益第一、自国第一が言われている。すなわち、米国の世界戦略に追随する自国政府によってウクライナの戦争が長引き、それによって、ロシアからのガス供給が減らされ、「凍える冬」を前に、凍死者も多発しかねない事態に、国民の暮らしと生命を守る国益第一、自国第一主義への期待が高まっているのだ。

トランプ氏の「米国第一主義」MAGA(Make America Greate Again=偉大なアメリカの復興)には、大国主義的で覇権主義的な面もある。米中新冷戦を提起したのもトランプ政権であった。しかし、そこに欧州での自国第一主義と同様のものがあることも確かだ。

とりわけ、ここで見ておかなければならないのは、MAGAを支持する米国民の多くは、国民益第一、国益第一の「自国第一主義」として、これを支持しているということだ。すなわち米国内においても、覇権回復戦略への反対気運が盛りあがっているということだ。

しかし、この支持拡大を許せば覇権回復戦略は挫折する。米国エスタブリッシュメントにとって、自国第一主義の台頭阻止は至上命令である。そのため、バイデン政権は、選挙の争点を民主主義の「選択」に置いた。トランプ氏が前回の大統領選で勝っていたのに、集計で不正が行われたとする選挙否定や議会襲撃事件をもって民主主義の危機として、民主主義を守るのか否かを問う「選択」選挙だとした。

こうして民主党「善戦」に成功したが、トランプ推薦200人中150人が当選して下院を制し、議会や州の公職に共和党から立候補した「選挙否定」派291人中、170人が当選したことなどを見れば、「赤い波は起きた」と言えるのであり、トランプ氏が「勝利」というのも根拠のないことではない。

■自国第一主義絶対阻止、そのための文化戦争、不正選挙

11月15日、トランプは、「再び偉大な国にする」として、2年後の大統領選への出馬を表明した。前哨戦としての中間選挙を「勝利」と位置づけるトランプ再登場の可能性は高い。

今回の争点、国民の関心は、「経済・インフレ」が60%で最大の関心事であった。今後、この2年間、物価高騰は続き、経済恐慌さえ囁かれる事態になる中、「戦争よりも国民生活を」、「対外政策よりも国内政策を」の声の高まりは必至である。

そして、「文化戦争」。人工妊娠中絶、性の多様化と性教育、銃規制、地球温暖化、環境問題などなどの問題を巡っての「文化戦争」によって、米国では社会の分断が起きている。

「分断して統治する」、それが昔からの支配の常套手段であるとすれば、この文化戦争も分断統治のためのものではないだろうか。

社会の本質的分断は、新自由主義政策の結果生じた1%と99%の分断である。フランスの人口学者、エマニュエル・トッド氏は、1%が99%を管理・支配する社会のあり方を「リベラル寡頭制」だとする。すなわち、その1%がリベラルの仮面をもって、管理・支配していると。

全国民の48%を占めるトランプの岩盤支持層は、ラストベルトなど見捨てられた地方や都会でも最下層に置かれた層、庶民層であり、彼らは「自国第一主義」に希望を託している。「文化戦争」は、これを崩すためのリベラル・エリートの仕掛けの側面をもっていると見ることができるのではないだろうか。

文化面での様々なリベラルな主張は、それ自体は肯定的なものであり、私も、それを支持する。しかし、一方で、それに反対する99%の庶民層の意志も見なければならないと思うし、それが分断に利用されている面を見なければならないと思う。

その上、さらに見ておかなくてはならないと思うのは不正選挙である。岩盤支持層である48%が、これを事実だとしている。今回の選挙での「選挙否定」派の大量当選も、多くの国民が、それを真実だと見ていることを示す。

今回、「赤い波は起きなかった」のも、それが作用している可能性はあると私は思っている。いずれにしても、「自国第一主義」阻止があらゆる手段と方法を使って行われているということを忘れてはならないと思う。

・・・・

日本では、マスコミなどで民主党の「善戦」を歓迎する声が多い。山際敬和南山大学教授は、「米国デモクラシーの健全さを感じた」などと言っている。

しかし、見るべきは、米国で国民益、国益第一の「自国第一主義」への期待が高まっており、これが米国覇権回復戦略を覆すものに成長しているということである。今回の米国中間選挙で見るべきは、そこにあると思う。


学校がかわいそう

森順子 2022年11月20日

子どもたちにとって、学校は居場所ではない。「学校はつらい場所」、これが今の学校の姿だ。この問題は、今、始まったことではないが、コロナ禍で小中学生の過去最多の不登校数が公表され、再び、学校と生徒たちの深刻な状況が注目されている。

文部科学省の昨年の全国調査によると、小中学生の不登校は、過去最多の24万人以上で、

不登校を含む30日以上の長期欠席は、小中学校で41万3750人。高校生の不登校は、5万985人、中退者は、約3万5千人(20年)という結果だ。不登校の要因は無気力、不安が、ほぼ50%だという。他にも勉強についていけない子、人間関係で悩みを抱える子、こうした息苦しい教育環境のなかで、SOSも出せず、悲鳴をあげている子どもたちがどれだけいるのだろうか。

学校側の対応も追いついていない。不登校の生徒には、「居場所を」と、フリースクールや通信制高校などを紹介することで終わらせていて、結局、個別的な救済になっている。スクールカウンセラーは、月に一度の予約制ゆえ、何の役にも立たない学校もある。誰もが、親や教員が子どもとのコミュニケーションを密にすることが重要だと言っているだけだ。だが、教員は長時間労働で疲れ果て、とても子どもと向き合い信頼関係を築くような状況ではないという。

ならば、子どもたちの居場所は、どこなのか。家庭でも学校でもない「第三の居場所」が、勉強を教えるNPOや地域の方が営む子ども食堂になっているケースが増えているという。

また、子どもの自由と自主性を尊重する学びの場と言われるフリースクールがある。授業なし、学級なしのそのあり方が学校の常識を破る新しい風と評価されている。2014年に開校した鳥取県のフリースクールは、米国のフリースクールの系列学校で日本には9校もあるという。一方で、学校に行かなくてもいいんじゃない、という風潮が強くあるのも事実だ。日本では、「学校なんか行くな!」と発信している少年革命家ゆたぼん君は、自分で考え自分らしく生きている少年だ。台湾のデジタル相のオードリータンさんも学校には通わず独学で知識を得た人だ。このように学校に馴染めなかった人が、社会で堂々と生き活躍している姿は、人々の励ましとなるに違いない。だが、それだけ、学校拒否も広がっていると言えるのではないか。

公教育は、日本語や日本という国の発展歴史などを学びながら日本人として育ち、日本人としてのアンデンテイテイ―を身につけていく場所であり、境遇や家庭環境が違う子どもたちがともに生きる社会人として育てる場所でもある。一言で言って、学校教育には、子どもたちが日本人、社会の一成員としての自らを自覚し生きていけるようにする役割があると言える。

だが、20年以上続けられてきた、グローバリズム、新自由主義教育によって、学校教育は、「人間を育てる」という教育本来の目的から離れた、到底、国の教育とは言えないものにされてしまった。そして、20年度からの教育改革によって、ますます、公教育の必要性は無くされ、学校に頼らなくても「第3の居場所」やオンライン学習で学べばいい、受験のためには公教育で頑張るよりも塾にと、裕福な家庭は公教育に見切りをつけるようになってきている。

このように学校を悪者にすることによって、公教育を否定し、子どもたちの本来の居場所を奪うこの教育改革が、日本の未来を育てるものでないのは明白だ。

現在、日本は「米中新冷戦」の下で、日米統合一体化が進んでおり、軍事、経済などとともに教育の日米統合も進められ、そのための改革が全面的に行われている。

「英語とIT技術」に特化した人材の育成を目的にしたこと。日本独自の歴史を欧米史の中に溶解させる「歴史総合」新科目を必修に置いたこと。また、公教育を担う教員の養成を放棄したこと。等々、見えるだけでもこのように示されている。

すなわち、「日米統合」のための教育改革とは、グローバリズム、新自由主義をもう一度、蘇えらせるための改革であり、日本の教育のアメリカ化であると言えるのではないかと思う。他の言い方をすれば、日本人皆を、バラバラな個にしてしまい、日本人の中から日本というもの、社会というものを無くなってしまう、そういう教育改革ではないのだろうか。


反撃能力保有は「明らかな違憲」となぜ言えないのか!?

若林盛亮 2022年11月5日

10月28日の新聞は、「米巡航ミサイル購入打診」の見出しで、射程1,250km超の巡航ミサイル「トマホーク」購入を日本政府が米政府に打診していると伝えた。続く29日の新聞にはそのトマホークを水中発射する潜水艦保有に向けた「実験艦」の新造を政府がめざしているという記事が出た。

射程1,250km超というトマホークは海上から発射すれば朝鮮本土に達するという敵基地攻撃能力を有する兵器だ。岸田政権が今年末に改訂をめざす国家安全保障戦略に盛り込む「反撃能力保有」そのものが改訂を待たずに着々と既成事実化されている。

問題はこういった危険な事態を野党が国会で問題視し正面から議論もされていないことだ。だから国民にはその正否が何も知らされないまま事が運ばれていく。

議論のない理由は、「日米同盟第一」はほとんどの野党が政府と見解を同じくし、米軍の「抑止力劣化を日本が補え」から出た「反撃能力保有」という「同盟義務」を正面から拒否できないからだろう。その上で重要なことは、「反撃能力保有は憲法違反ではない」という政府見解にまともに反論できないという事情が作用していることだ。

この政府見解は、70年も前の鳩山一郎政権時の「座して死を待つべしというのが憲法の趣旨ではない」、だから国家存亡の危機時には敵ミサイル基地攻撃は憲法違反に当たらないとした当時の政府見解を踏襲している。

侵略された国が相手国に報復攻撃を加えることは「自衛戦争」として自衛権に属する合法的権利だというのが国際常識となっている。ここからすれば「反撃能力保有」は国際ルールに反することではない。だからいまだ米国と戦争状態(停戦中)にある朝鮮は、いったん有事には米本土を攻撃できる大陸間弾道弾を保有している。

しかし日本国憲法9条は第二項で「戦力不保持」「交戦権否認」を定めている。

「戦力不保持」は、たとえ自衛戦争であれ「外征戦争武力」は持たないということだ。

「交戦権否認」は、相手国との交戦状態、すなわち国同士の戦争になるような自衛戦争の権利自体を否認したものだ。

だからこれまで自衛隊は日本の領土領海領空を越えない自衛、「専守防衛」に徹し相手国に攻め込む「反撃能力」「外征戦争武力」保有を自らに禁じてきたのだ。

これはかつて「満蒙は日本の生命線」などを掲げ「自衛」の名で中国大陸、さらには東南アジアに侵略戦争を拡大したという覇権国家であった苦い自己の歴史を教訓化したものだと言える。いわば二度と覇権国家にはならない、そのためには国際ルールとして認められた自衛戦争すらも「交戦権否認」として否定したいわば「脱覇権国家宣言」とも言えるのが憲法9条ではなかったのか。

憲法は国の基本法であり、国是と言えるものだ。いくら日米同盟の義務だからといって国是を政府自ら破ることは国の自殺行為だ。もし反撃能力保有が日本にとって必要なら「憲法9条改正」を正々堂々と国民に問うてからやるべきであろう。

現時点で「反撃能力保有」の道、それは対中対決の最前線に日本が立たされる道、「日米同盟義務」の口実で対中代理戦争に突き進み、わが国が「東のウクライナ」になる道だ。

だから今後、国家安全保障戦略改訂、特に「反撃能力保有」に対して「それは明らかな違憲行為である」と正々堂々と野党は岸田政権に論戦を挑むべきであろう。野党にそれができないのなら国民の中からそうした論議を引き起こしていくしかない。

東アジアの一角から私たちは私たちのやり方で声を上げていくつもりだ。


「マイナ保険証」問題-今、なぜそんなに急ぐのか?

若林佐喜子 2022年11月5日

先月13日、河野デジタル相が現行の紙の健康保険証を2014年秋に廃止し、マイナンバーカードと一体の「マイナ保険証」に一本化することを表明した。

これに対して、個人情報、プライバシーの侵害、国による国民の管理・監視であると、人々の怒りの抗議と撤回を求める声があがった。特に、政府の健康保険証、国民の生命と健康を人質にとってのマイナンバーカードの強制に人々の怒りがましている。

その一方で、今、なぜそんなに急ぐのか?と、いう声が出ている。

「マイナ保険証」発表時に、河野デジタル相は「マイナンバーカードは、デジタル社会を新しく作っていくためのパスポート」と、マイナンバーカードの完全な普及を強調した。

マイナンバー制度、マイナンバーカード化は、国や自治体などがバラバラにもつ社会保障や税などの個人情報を一つにまとめ、一人一人に割り振る制度、そのカード化である。日本政府は、2016年に開始したが、今年の9月末時点での取得率は5割弱と低い。そこで、河野デジタル相は、皆保険制度を利用して、「マイナ保険証」に一本化することで、マイナンバーカードの国民の完全取得達成を狙ったということである。もう一つは、医療DX、患者の受診歴や指定検診結果などの医療情報である。

今日、デジタル化なしに社会の発展はなく、そのデジタル化において生命とされる決定的なものがデーターである。データーを制したものが世界を制するとまで言われている。特に、今日、激化する米中新冷戦の下で、米国巨大IT企業「GAFAM」vs中国IT企業「BATH」と言われ、ここ数年、中国IT企業の締め出しが日本でも大々的に行われてきた。

一方で、日本は、コロナ禍のなかで、「デジタル敗戦」と烙印を押され、米国IT企業「GAFAM」への統合、組み込みがおし進められてきた。

2021年9月に発足した「デジタル庁」は、システムの標準化、統合を眼目とし、省庁とともに国と地方のシステム統合を目指してきた。その基盤として使用されているのが、アマゾンのプラットフォーム、「アマゾン・ウエブ・サービス」(AWS)である。さらには、これを使って米国の最大ITコンサルティング会社「センチュアル」の日本法人が会津若松市などスーパーシティ化の実証実験を行い「全国共通自治体プラットフォーム」化がおし進められてきた。こうして、地方、地域のデーター、産学を含むすべてのデーターは米国巨大IT企業に掌握されていっている。

河野デジタル相が、「マイナ保険証」の発表時に、米グーグルの基本ソフト「アンドロイド」のスマートフォンにマイナンバーカードの機能を搭載するサービスを23年5月11日から始めると発表していた。

今回の「マイナ保険証」問題は、まさに、「新冷戦」に向け、その最前線、日本の国民みなを日本政府だけでなく、米国、IT大手「GAFAM」が掌握するためだったのではないかと考えるのは、私だけではないだろう。


自国第一主義の台頭が問いかけるもの

魚本公博 2022年10月20日

イタリアの総選挙でメローニ氏率いる「イタリアの同胞」が26%を獲得して第一党となり、ベルルスコーニの「フォルツァ・イタリア」、サルビーニの「同盟」と共にメローニ氏を首班とする新政権が誕生することとなった。スウェーデンでも「スウェーデン民主党」の新政権が誕生した。フランスでは大統領選挙で「国民連合」を率いるルペン氏が躍進し議会選挙でも大幅に支持を伸ばした。

彼らが共通して掲げるのは、国益優先の「自国第一主義」である。しかし、日本のマスコミは、これをポピュリズム、極右の台頭として警戒を呼びかけている。その理由は、自国第一主義は、米国が主導しているロシア制裁に風穴を空けるものになり、更には、民主主義陣営の結束を損なうものになるからだというものだ。

米国は今、「民主主義対専制主義」を掲げながら、中国、ロシアを敵視し、米国の下に欧州、日本を結集させて、その力を統合しながら、衰退した米国中心の覇権秩序を回復する新冷戦戦略を採っている。

こうした中で、欧州で自国第一主義が台頭すれば、この戦略は破綻してしまう。そこで

何としても、それを阻止する必要に迫られている。日本マスコミが国益優先の「自国第一主義」をポピュリズム、極右として描く理由もそこにある。

しかし、国益を守ることは、政治の基本であり、国政政党としての原則ではないか。自

民党も「国益を守る」と口では言う。そうであれば、ここで問われるべきは、ロシア制裁や民主主義陣営への結集が国益になるのか、それとも自国第一主義が国益になるのかということである。日本のマスコミは、前者が国益になるとするが、それが正しいのか、それが本当に日本の国益になるのか、そのことが問題にされなければならない。

実際、ロシア制裁、「民主主義陣営」への結集によって、日本でも物価が高騰しており、その上、軍事、経済の日米統合が進められ、防衛力強化や反撃能力強化など日本を戦場にするかのような事態が進んでいる。そのどこが国益なのだろうか。

欧州での自国第一主義の台頭は、自国第一主義こそが国益を守るものになるのではないかという国民の期待が高まっていることを示す。そして、その声は、実際の生活を通じての国民の切実な要求から起きている。欧州では、ロシア制裁による物価高騰が国民生活を直撃している。ロシア制裁で天然ガスの4割をロシア産に依存するイタリアでは電気料金が3倍にもなり、他の物価高騰も9・2%に達する。

反面、インドや中国、トルコなどは、通常より安い価格でロシア産のガスや石油、食料、資源を大量に購入している。そういう「現実」を見れば、西側陣営の結束って一体誰のためなのか、何のためなのか、それが国民のためのものなのか、という疑問がわいて当然なのだ。

今後、欧州では自国第一主義政権が各国で生まれ、欧州の政治地図は激変するのではないか。

問題は日本だ。米国追随こそ国益とし米国覇権に縋る生き方が正しいのか。それで国益を守れるのか、国民益を守れるのか、欧州での自国第一主義の台頭は、それを問うている。


高度人材の争奪戦と国力強化

森順子 2022年10月20日

優れた人材が国の興亡を決定するとされる現時代、高度人材の奪い合いが国家間で激化している。これを象徴する動きが、今年、5月にあった。英国が有名大学の卒業生に対する異例のビザ優遇策を発表したことだ。技術革新や起業の「国際拠点」づくりが英国の狙いで、現地企業との雇用契約がなくても就労ビザを出すという。

2021年の卒業生の場合は、37大学が優遇を受け、日本からは、東大と京大が入った。

注目されたのは、英国という主要国の政府が、具体的な大学名まで指名して高度人材の獲得に乗り出したこと、そして、英国は37優遇大学のうち、全体の半数を超える20校を占めた米国の大学を優遇した。これをもって、米国の大学は高い評価を受けただけでなく、人材争奪戦の歴史で、米国は最強国だという認識を世界に与えた。

確かに、米国への留学生数は世界1位。このような米国に集まった世界の頭脳は、様々な分野で活躍し20世紀を米国の世紀にする大きな力になったことは事実だが、21世紀の現在、世界に栄華を誇った米国の国力は、目に見えて弱体化したことも事実だ。留学生送り出し、科学論文数、博士号数だけをみても、中国に大きく差をつけられた。

しかし、世界の頭脳を集め世界一の国力強化を図った米国が、なぜ、衰退し弱体化したのかだ。

「1%と99%」、すわなち、上層「1%」への富の集中と「99%」の絶対多数の窮乏、それが米国だ。米国が悪化の一途をたどったのは、経済の均衡が失われたことだと言われる。その要因が、グローバーリズム、新自由主義にあるのは言うまでもない。そのため、効率がよく利益が出て儲かる部門にのみ投資し、イノベーションを促進できなくさせたからだ。

もう一つは、国内の人材の育成に投資せず、外から優秀な頭脳をどんどん入れた方が手っ取り早いとする効率主義の人材育成を行ったことにある。そのため米国に呼び込まれた世界の頭脳は、「1%」に属する富者になったが、米国の経済全体には金が回らず、「99%」の貧困が生まれ、その結果、国力の弱化をもたらした。

以前、聞いた話だが、米国の大学の一等外国人留学生は、中国人だという。だが、米国の大学の中でも一番頭のいい優秀なこの人材は、自国に戻ったという。最近は、こういう留学生が多いようだ。また、目先の利益だけでその先は無関係という意識から、自らの事業の先に理想的な社会を描きながら仕事に邁進する若者人材が多くいると言われる。中国が米国をしのぐ発展を遂げた理由が、このへんのところにあるのではないだろうか。考えてみる必要があるように思う。

日本は今回、2校が選ばれたが、世界の高度人材に「選ばれる国」になってはいないというのが、日本への評価だ。そのためか、岸田首相は、先月、年間30万人以上という留学生受け入れを決めたばかりだが、今回また、海外高度人材獲得は、欧米に比べると足りないと言い制度改正を行い、激化する人材獲得に勝ち抜こうと必死のようだ。勿論、人材は、外から集めてくることも必要だ。

だが日本では、人口減、人材不足はどの国よりも深刻、だから優れた人材は外から入れるしかない、その方が早く役立ち、即、戦力になるという効率主義、米国と同じ論調だ。

こういう、日本の将来を担う人材を育てていくという観点がないことが深刻なことだ。優先すべきなのは、国内の人材第一、子どもたちのための子どもたち第一の教育だ。そして、そのための教育環境を整えることだと思う。大切なことは、自国の人材を大胆に信じて育てること、国の成長発展は、ここにしかないと思う。


「安倍国葬反対デモは老人ばかり」と「山上崇拝の若者」を考える

若林盛亮 2022年10月5日

「安倍国葬反対デモは老人ばかり」と世間では評されている。

他方で「山上崇拝の若者」がいる。彼らは国葬反対デモには行かない人たちだろう。

これをどう考えたらいいのだろう? 

安倍元首相を銃撃した山上青年は個人テロ、暴力に訴えた。いわゆる民主主義とは対極のものだ。「崇拝者」とまでいかずとも共感、同情を示す若者はもっと多いだろう。ネットでの「山上減刑嘆願署名」に数十万が集まったと言われる。

国葬反対集会やデモの主催者、団体が掲げた基本スローガンは「法的根拠のない憲法違反」、「民主主義の危機」。これがこうした若者の心をとらえなかった、そう考えるべきだろう。

思うに「生きづらさ」を感じる若者には護憲も民主主義も縁遠いもの、さらには保守も革新もいまの政治は自分たちとなんの関係もないもの、しらじらしいものになっているのではないだろうか?

いまの政治がしらじらいいというのは、決して政治に無関心だというのではないはずだ。山上青年への若者の同情、共感は彼らの一つの政治的関心の表明の仕方なのではないだろうか?

これと同列に語ることはできないが、私たち戦後世代、全共闘世代も当時の革新政党や政治家の語る「戦後の平和と民主主義」、議会制民主主義に象徴される「すべてを話し合いで解決」という政治がしらじらしく思えたものだ。だからヘルメットとゲバ棒という「権力に対する暴力」を前面に打ち出した新左翼の運動になにか新しさを感じ、のちに全共闘運動という形でこの種の闘いに全国の学生大衆が大挙参加したのは周知の事実だ。しかしこれは既存政治へのアンチテーゼだけに終わり、新しい政治を示すことなく敗北と挫折に終わった。

「端境はざかい期」という言葉がある。3月頃の初春、既存の穀物が切れ前年収穫の新穀物が凶作などで出回らなくなると飢餓が襲う、餓死者も出る、そんな季節を表す言葉だ。

いま日本の政治も「端境期の時代」を迎えているのではないかと思う。新しい米が出て来なくて日本の政治が「飢餓状態」に陥っている、下手をすれば日本には餓死が待っている、そのような時代のように思える。

若者は日本の未来であり、若者に新米が供給されなければ飢えが襲う、日本の未来がなくなる。でも日本の若者も座して餓死を待つことはないだろう。きっと若者の中に新米を産み出す力はあるはずだ。私たち古い世代は若者たちが新米を産み出せるよう、どうしたら力になれるのか?

遠くピョンヤンの地にある私たちだが、このことを常に考えていきたいと思う。


9・18に考えたこと

赤木志郎 2022年10月5日

9・18は満州事変が起こった日である。日本では謀略事件を起こし中国との戦争を始めた日として知られている。

関東軍板垣征四郎大佐、同作戦主任参謀石原莞爾中佐らが中心となり、9月18日夜10時半、奉天(現、瀋陽)郊外の柳条湖村で満鉄線路を爆破、これを張学良軍の仕業と称して軍事行動を起こした。張学良軍の宿営北大営と奉天城への攻撃から始まり、翌日には奉天市をはじめ満鉄沿線の主要都市を占領し、3日後には司令官林銑十郎中将により朝鮮軍が越境し、戦火は南満州全体に拡大した。この日、日本が中国侵略を開始した日として中国国民に刻み込まれ、毎年、行事がおこなわれている。

満州事変以降、日本軍は中国全土に戦火を拡大し、10万人の兵士・民衆を殺害した南京大虐殺を含め、全国至るところで中国民衆を殺害した。日中戦争での中国側の犠牲者は1千万人をこえたという。

自身の過ちを認め、反省、謝罪するのは、自らを虐めることではなく、まともな国として新しく出発するため必ずしなければならないことだ。ところが、最近でも、従軍慰安婦の少女像を含む「表現の不自由展」が幾つかの市で開催されたが、宣伝カーを繰り出しての右翼の妨害がすさまじいという。徴用工・従軍慰安婦の問題をめぐっても韓国との溝を埋められないでいる。それほど侵略と虐殺を認めることも反省することもできない日本の現状を示している。

それだけではない。今や、米国の米中新冷戦戦略にしたがって中国との戦争準備として沖縄、鹿児島県でのミサイル基地を建設している。台湾防衛のためとするが、台湾は中国一部であり中国の内政問題だ。日本の防衛問題ではない。結局、日本自衛隊が米軍の手先となって中国軍を相手に戦うという話だ。

日本はかつての侵略戦争を反省していないから米国の中国封じ込めを支持し、その手先までなろうとしており、米国の代理戦争でるウクライナ戦争でロシア非難の立場に立っている。

9・18に際し、日本の侵略戦争のあくらつさを知ることの必要性、国としての反省と謝罪の重要性を今一度、考えざるをえなかった。


米国で、岸田首相が米国並みウイズコロナを鮮明にする

若林佐喜子 2022年10月5日

先月、国連総会に出席した岸田首相が、ニューヨーク証券取引所で講演を行った。首相は新型コロナウイルスの水際対策について「米国並みの水準まで緩和」すると強調し、政府のウイズコロナを鮮明にした。果たして、米国並みウイズコロナはそんなに自慢できることなのか?

10月1日現在、日本の総感染者数は、2133万7204人、死者が4万5004人。当初からウイズコロナを奨励してきた米国は、総感染者が9638万7204人、死者105万9579人と突出している。

8月2日に、「第7波」を受け医療崩壊の中で、政府の感染症対策分科会の尾身会長が、経済活動を維持しながら医療崩壊を防止するための対策提言をした。第一は、感染を抑えるための一人一人の主体的行動。第二は、オミクロ株の特徴に合わせた効率的な医療体制への移行。第三は、国は重症者、死者が増える可能性を国民に説明し理解を求めよというものであった。岸田政権は、政府に突きつけられた重症者、死者が増える責任を曖昧にして、防疫原則、規制の大幅な見直しを決める。内容は、感染者の全数把握の簡略化をはじめ、水際対策は、10月11日から入国者数の完全撤廃、個人旅行の外国人観光客の受け入れとまさに「米国並み」にしたのである。

先月26日から、感染者の全数把握の簡略化が全国の自治体でスタートした。具体的には、病院から保健所への届け出が65歳以上と入院、治療薬や酸素投与が必要な人、妊婦に限定。届出が2割に減り保健所や医療機関の負担は大幅に軽減された。しかし、一方で、対象外の患者・軽症者へのフォローがなくなる。政府、厚生労働省は、体調の急変時には自治体の窓口に連絡してもらい、基本は自己管理としている。36道府県は政府の意向に沿う体制でスタートしたが、見直しを知らない人から問い合わせが殺到しているとのことである。また、「誰ひとり取り残さない・・」を掲げる鳥取県をはじめ11都県は、対象外の患者らに「健康フォローアップセンター」などに登録してもらい、健康観察や食料の配布などを行うようにしている。鳥取県では患者の99%が登録するなど、不安を抱えていることがわかる。このように見直し現場では、混乱と不安、様々なリスクが生じているのが現実である。

結局、国、政府の対応は、見直しによるリスクに責任をもたず、地方自治体に放り投げ、最後は一人一人の自己管理、自己責任である。なぜ、政府はこんなにも無責任な態度がとれるのか?

2020年5月の第一次緊急事態宣言の解除時、感染症の専門家たちは「限りなくゼロ」(ゼロコロナ)を求めたが、安倍元首相は、「専門家は経済のことを考えていない。そこは政治家が責任を持つ」と押し切った。つまり、日本国の首相が責任を持つのは経済であり、国民の生命は二の次ということだ。米国は、集団免疫、ワクチン万能説のウイズコロナ路線の一番の奨励国であるが、その根底には、生産性第一、「経済のためには多少の犠牲は仕方がない」という考え方がある。米国しかり、日本政府のコロナ禍対応、特に防疫原則に対する態度は、「国民の生命」に対する観点問題と言える。

これから、インフルエンザの流行と「第8波」が指摘されているが、岸田政権の米国並みウイズコロナでは、感染者の拡大、重症者、死者が増えるしかないと思う。私の老婆心であれば良いが・・。


【寄稿】「救援」642号 -ピョンヤンから「アジアの内の日本」を考える-

吉田・安倍国葬は戦後日本の「恥辱の歴史」の象徴

 これが掲載される頃は、安倍国葬は終わっているが、安倍国葬反対闘争で高まった国葬への疑問を別の視点から考えてみたいと思う。

 戦後日本で国葬は吉田、安倍の元首相2名に対してとり行われたが、吉田の国葬に対しては安倍の時のような反対闘争は起きなかった。それは吉田が「戦後日本の平和と繁栄の礎を築いた」人物という一般の評価があったからでもあろう。でもこれには強い違和感がある。

 吉田茂首相は「日本は経済に専念、軍事は米国に任せる」として「軽武装日本」「高度経済成長の日本」という戦後日本の「平和と繁栄」をつくったと、その功績を評価される人物だ。

 しかし吉田は日本の「独立」の第一歩とされるサンフランシスコ講和条約時、日米安保条約を締結した張本人である。それも他の閣僚は参加させず吉田首相単独で安保条約にサイン、「有事の指揮権は米軍に委任」の密約まで取り交わしたとされる人物だ。米国との密室政治で「日米安保第一、憲法第二」、日米安保基軸の戦後日本の礎を築いた張本人だと言える。

 「軍事は米国に委ねる」が可能だったのは米軍の軍事力が当時は世界を圧倒したからで、いまは「米軍の劣化」、これを補う「同盟国との協力強化」の時代だ。これを推進したのが安倍首相であり、彼は、2018年防衛大綱改定で長距離ミサイル、小型空母保有など自衛隊の抑止力化、攻撃武力化に踏み込み、安保法制強行採決で集団的自衛権行使のできる自衛隊、米国と共に外征戦争のできる自衛隊に大転換をした張本人だ。吉田が基礎を築いた日米同盟基軸政治はいま、「同盟義務」の名によって今日の日本の「東のウクライナ化」、代理戦争国化の危機に直面している。この端緒を開いた人間が安倍首相だと言える。

 このように見れば、吉田も安倍も「日米安保第一、憲法第二」の戦後日本の「国体」をそれぞれの時代に合わせて築き、これをいっそう強化推進した張本人であり、その二人を国葬としたことは、戦後日本の「恥辱の歴史」を象徴しているということができるのではないだろうか。

 年末には国家安全保障戦略改訂で日本の「東のウクライナ化」、米国の代理戦争国化が一歩前に進められる。安倍国葬反対闘争がこれを阻止する闘いに継続されることを朝鮮の地から願うばかりである。

    ピョンヤン かりの会  若林盛亮


ハイジャック事件の前に戻ることができれば、どんな人生を送りたいですか?
──読者からの質問への回答

1,ハイジャック事件の前に戻ることができれば、どんな人生を送りたいですか?

答:「事件の前に戻るなら」ということを考えたことはありません。人の人生とは「過去の人生の積み重ねの結果」、自分の人生過程での経験と教訓をどう活かすかを考えています。

2,後悔してますか?

答:反省すべきは反省し、誤りと失敗からは教訓を汲み活かすべきですが、自分の決心でやったことですから後悔はありません。

3,あなた達の子供たちはあなた達をどのように評価していますか?

答:それぞれ違いはあるでしょうが、若いときの情熱は情熱、誤りは誤り、失敗は失敗と客観的に親のことをとらえているでしょう。上で述べたことと関連しますが、老年期に入った私たちが人生をしっかり結束することを願っていると思います。

4,あなた達のご両親は事件のことをどう考えていましたか? 親不孝したとは思いませんか?

答:ハイジャック自体については、「乗客や世間に迷惑をかけたことはよくない」と考えたでしょう、それでも息子を信じてくれたのは有り難いと思います。私たちが親孝行を考えるとすれば、両親に恥じないように人生をしっかり結束することだと思います。

2022年9月20日 ピョンヤン 「かりの会」一同


沖縄知事選で問われたこと

小西隆裕 2022年9月20日

去る9月11日、沖縄県知事選があった。

玉城現知事が自公推薦の佐喜真氏に6・5万票の差をつけての大勝だった。

知事選開始当初は、接戦。佐喜真氏やや優勢も伝えられていた。

それが何故こうなったのか。

要因にはいろいろあると思う。

第三極、下地氏と佐喜真氏が票を食い合ったこと。

佐喜真氏がこれまでの選挙で曖昧にしていた辺野古問題に「容認」を打ち出し、それが沖縄県民の怒りを買ったこと。

そうした中、一番大きかったのは、やはり「統一教会」問題だったのではないか。党全体が「疑惑」の中に放り込まれた自民党の気勢はさっぱりだったようだ。

しかし、今回の知事選は、その大勝にもかかわらず、もう一つすっきりしない。

それは、闘いが事の本質をついていなかったからではないかと思う。

今、沖縄県で最大の問題は、台湾に連なる南西諸島が沖縄とともに、「米中新冷戦」、対中国対決戦の最前線を担う日本のそのまた最前線にされ、そのための自衛隊基地、中距離核ミサイル基地配備が国会での審議もないままに進んでいることにある。

そのことが争点にされないまま、玉城知事までがその容認を表明している。

戦前の大政翼参会そのままに、与野党一致で沖縄を再び戦争の犠牲にする政治が進められていっている。

今回の沖縄知事選は、その流れを押し戻すどころか、逆にさおを差すことになったのではないか。

そこにこそ、知事選の総括は求められなければならないと思う。


「年間、外国人留学生30万以上の受け入れ」から考える教育改革

森順子 2022年9月20日

「年間、留学生30万人よりもっと増やせ」計画。これは文科省が、「留学生受け入れ戦略」を改定し、さらに留学生を増やすために策定した新たな計画だ。

外国人留学生の受け入れは、企業の技術者不足、理工分野も含めて、基本は、デジタルや脱酸素を実現するグリーントラストォーメーショ(GX)などの分野だという。

だが、この留学生を増やせという指令に対して、さっそく批判の声が上がっているという。

日本での留学状況はどうかというと、グローバル人材=留学と言われるくらい、留学は、スキル向上の重要な通過点であり、海外留学への学生たちの希望と関心は非常に高く、やはり英語で学べる学部がある大学を優先する学生が多い。だが、政府は、教育のグローバル化をさらに促進させていくとしているのだから、日本人は、どんどん海外に行って、外国人留学生は、どんどん来てもらって・・・。そんな「英語と海外の人材」ウエルカム社会に、日本人留学生が卒業後に日本で活躍するための場はあるのだろうか。

教育分野でのグローバル改革は、この他に、賛否の声があった小中学校の英語に「デジタル教科書」の導入が決まったこと。「グローバル人材育成」を掲げる東京都では、高校入試にスピーキングテストを活用し採点は民間業者に委託する方針となったことで、強い反対が多く、まだ結論が出ていない状況だということ。そして、8月には、英名門系列校を岩手県のリゾート地に誘致開校した。教育方式は英国式、授業は英語、教師陣の8割は英国人。世界各国から移住者を呼び込み国際都市をめざす計画らしい。尚かつ、岩手県と市は、英国の学校の安定した経営のために毎年2億円以上の補助金を支援するという。岩手県がまさに日本のグローバル国家の典型となるような出来事かもしれない。

今年に入って急速に目立つ教育分野での改革は、地方、地域からも始まっているが、言えることは、日本全体のグローバル化、アメリカ化の一環だということに他ならない。そして、それは、「国」を蔑ろにし日本を米国に溶解させる米国への「統合」だと言えるだろう。その中でも核となる改革は、無国籍のグローバル人材、日本人としての帰属意識やアイデンテイテイを持たない人材に育て、日本人の内面的側面をもアメリカ化することだと言えるのではないだろうか。

今回の30万以上の外国人留学生受け入れは、米国はもちろんだが、新たに欧州の留学生を重視したものになっている。民主主義国家との連携を進める上で欧州は重要という理由だが、それは「米」同盟国との連携の強化にあり、これこそ「米欧日対中ロ新冷戦」のためのものになっている。

また、この留学生受け入れに対する批判は、「日本の学生を優先すべき」「日本人の大学生が卒業しやすい環境を」「日本の若者を無視している」「留学生は無料で日本の大学で学べ、大学には政府からの補助金が入る」「日本はメリットがあるのか」「まずは日本ファーストで行動すべき」など、どれも的を得ていて、まずは、日本の学生を助けることを考えようという声だろう。これは、真の教育改革に関わる問題だと思う。日本ファースト、自国第一、自国の人材第一、それが真の教育改革であり、日本のためのグローバル人材を育てる問題である。日本のためのグローバル人材育成は、日本のための日本全体の改革の核にならなければならないと思う。


ピョンヤンから感じる時代の風〈06〉新「サハリン2」が問いかけるもの

魚本公博 2022年9月2日

今、世界的な物価高騰が起きている。とりわけ、「ウクライナ事態」発生以降、ロシアに対して経済制裁する国々では、ロシアからの石油、ガスの供給が滞り、それによってガソリン価格や電気料金が高騰を続けており、まさに「返り血を浴びる」状況になっている。

こうした状況の中で、日本では、「サハリン2」の問題が起きている。

6月30日、プーチンは「サハリン2」の経営会社である「サハリン・エナジー社」の資産を新設するロシア企業に無償で引き渡すよう命令する大統領令に署名した。「サハリン2」は英石油メジャーのシェルが27%を出資して経営を握っており、日本も三井物産が12.5%、三菱商事が10%の出資をしていた。日本は、これを通じて全LNGガス輸入量の約10%、年間600万トンを得ていた。ロシアの措置は、それが得られなくなる可能性があるというので緊張が走った。

その後、ロシアは8月2日に新会社(会社名は「サハリンスカヤ・エネルギヤ」、本社所在地はサハリン州のユジノサハリンスク)を設立した。8月18日には、供給を受けている九州電力、東京ガス、西部ガスなどに以前と同じ価格や調達量で再契約を結ぶという通達を行った。これによって、日本の2商社も同様の条件になることが予想され、西村経産相は、「日本の権益を守りLNGの安定供給が図られるよう官民一体で対応したい」と述べ、9月4日の期限までに、2商社に株式保有をロシア側に通知するよう要請した。これを受けて、8月25日、三井物産、三菱商事は出資継続をロシア側に通知することを表明した。今後、数ヶ月間に渡って再契約の中身をつめる交渉が行われる見通しだ。

問題は米国である。米国はロシア制裁のために、シェルの撤退を歓迎し、日本にも同様の措置を採るように要請していた。そうした米国にとって、今回の日本の措置は不愉快なものであり、再契約の交渉過程でも「サハリン2」から撤退するように様々な圧力を掛けてくることが予想される。

今後、日本政府は、国益を守るのか、それとも米国の圧力に屈するのかの選択を迫られることになる。すでにマスコミは、「権益を守れるかどうかは不透明」などと米国を利するかのような論調を張るが、「サハリン2」からの撤退こそ国益放棄なのであり、日本は「撤退せず国益を守る」という立場で、ロシアとの交渉に臨めばよい話しである。

ロシアは、そうしたことを見越して、今回、穏やかに「以前通りの契約で」という措置をしたのであり、それは、日本に「あくまでも米国について行きますか、どうしますか」を問うものになっていると言える。その問いかけは、本質的に「日本はあくまでも米国に従い、米国覇権の下で生きていくのですか」という問いかけである。


ピョンヤンから感じる時代の風〈07〉「打って出る同盟」東のウクライナ化への道

若林盛亮 2022年9月19日

◆「打って出る同盟」── エマニュエル駐日米大使
「打って出る日米同盟に」!

これはエマニュエル駐日米大使が9月2日、東京で開かれた読売国際経済懇話会(YIES)で行った講演のキーワードだ。

彼が強調したのは次の二点。

①日米同盟は「守りの同盟」からインド太平洋地域に「打って出る同盟」の時代に入った。

②日本が国内総生産(GDP)比2%を念頭に防衛費増額を検討していることを称賛する。抑止力の一環としての反撃能力の議論は必要だ。

日本の立場から解釈すれば、専守防衛「守り」の自衛隊が攻撃武力保有の「打って出る」自衛隊に変わること、これを日米同盟の義務として行うこと、これが「打って出る日米同盟」への転換の本質だ。言葉を換えれば、国土防衛から外征戦争を行う自衛隊への転換だ。

その中心環には自衛隊の反撃能力保有、敵本土攻撃能力保有が置かれているのは言うまでもない。

一言でいって自衛隊が「守り」から「打って出る」こと、専守防衛から反撃能力保有への転換-これが米中新冷戦で最前線を担うべき「新しい時代」における日本の同盟義務だとエマニュエル大使は明言したのだ。

「ウクライナ戦争」を経験した今、「打って出る同盟」への転換で米国が日本に要求する「同盟義務の転換」とは何か?それが日本の「東のウクライナ化」への道であることを以下で見ていきたいと思う。

◆対中本土攻撃の中距離核ミサイル基地化する日本
8月の新聞に「海上イージス艦に長射程弾搭載検討」という記事が出た。また「長射程弾1000発保有」に向けた防衛予算概算要求がすでに立てられている。政府は「長射程弾」と表現をごまかしているが、この「長射程弾」というのは射程1000km、あるいはそれ以上の長射程ミサイル、要するに中距離ミサイルと一般に言われるものだ。

これまで専守防衛の自衛隊には禁止されていた兵器、当然、憲法9条に反するものだ。

昨年、米インド太平洋軍は「対中ミサイル網計画」として、日本列島から沖縄、台湾、フィリッピンを結ぶいわゆる対中包囲の「第一列島線」に中距離ミサイルを配備する方針を打ち出した。米軍の本音は日本列島への配備だ。

計画では米軍は自身のミサイル配備と共に自衛隊がこの地上発射型の中距離ミサイルを保有することも求めており、これを受けてすでに防衛省は地上配備型の日本独自の長射程(中距離)ミサイル開発を決めている。

これらは世論の反発を恐れて隠然と進められているが、先の海上イージス艦に中距離ミサイル配備検討、及び1000発の中距離ミサイル保有が「長射程弾」という言葉のまやかしで着々と現実化させられている。

海上イージス艦配備はあくまで象徴的な「第一歩」に過ぎず、この「長射程弾1000発保有」の実際の狙いは自衛隊の地上発射部隊への全面配備にあることに間違いはない。

これに「核共有論」が加われば、日本の自衛隊基地は中国本土を狙う中距離核ミサイル基地に変貌する。

◆代理戦争方式をとる米国
自民党の麻生太郎副総裁は8月31日、横浜市内のホテルで開いた麻生派研修会で、ペロシ訪台以降の緊迫する台湾情勢を巡り「(対中)戦争が起きる可能性が十分に考えられる」との見解を示した。「与那国島(沖縄県)にしても与論島(鹿児島県)にしても、台湾でドンパチ始まることになったら戦闘区域外とは言い切れない状況になる」と語り、ロシアのウクライナ攻撃の教訓として「自分の国は自分で守るという覚悟がない国民は誰にも助けてもらえない。我々はこのことをはっきり知っておかなければならない」と台湾有事=日本有事に備えることを説いた。

これは米国の同盟国としてその義務をウクライナ以上に積極的に果たせということだ。

ベトナムに続きイラク、アフガンでみじめな惨敗と多大の犠牲を強いられた米国民の厭戦気運は米バイデン政権をしてアジアや欧州での対中ロ戦争を同盟国にやらせる「代理戦争」方式をとらせるようになっている。すでにウクライナでそれは実証済みだ。

対中ロ新冷戦に自己の覇権の存亡をかける米国が日本に要求するのは一言でいって対中代理戦争だ。それを知りながら岸田政権は日本の対中・中距離核ミサイル基地化を着々と進めている。

これの持つ意味をリアルに考えてみる必要がある。

前に「デジタル鹿砦社通信」(6月20日付け)に書いた河野克俊・前統幕長発言「(中距離核基地化するということは)相手国の10万、20万が死ぬことに責任を負う」覚悟を持つこと、これを裏返せば相手国からの核ミサイル反撃があれば「日本の10万、20万が死ぬ」覚悟を持つことが求められる事態になるということだ。

これが意味する現実はすでに「対ロ・ミサイル基地化」でロシアにケンカを売ったしっぺ返しを受けた「ウクライナ戦争」でウクライナ国民が身を以て体験していることだ。中距離核ミサイル基地化する日本が「東のウクライナ」になるとはそういうことだ。ウクライナは米国との同盟関係はない、だから同盟国・日本はウクライナ以上に米国から苛酷な「同盟義務」を強いられるだろう。

◆明らかになった「戦後平和主義」の限界と課題
「日米安保のジレンマ」という言葉がある。

日米安保同盟のおかげで米軍が抑止力として日本の防衛を担っくれているのはよいが、反面、その抑止力である米軍基地があるために日本は戦争に巻き込まれる危険を背負うことになる。

例えば中朝のミサイルは日本の米軍基地に照準が当てられている。いったん有事には日本の米軍基地が核ミサイルや爆撃機、空母など中朝に対する攻撃の際には出撃拠点になるからだ。つまり抑止力として米軍基地があるために米国と中国や朝鮮との戦争事態になれば、否応なしに日本は戦争に巻き込まれる。

これがこれまで日米安保基軸の「戦後平和主義」が内包する「日米安保のジレンマ」と言われるものだ。

しかしいまや事態は一変している。「ジレンマ」というそんな悠長なことは言っておれない事態に日本は直面させられている。

日本が戦争に巻き込まれるどころか、戦争当事国になる、しかも「東のウクライナ化」で米軍ではなく自衛隊が前面に立たされる代理戦争国になろうとしているのだ。

今、直面しているこの由々しい現実は、「戦後平和主義」の限界と課題を誰もに明らかにしたと言えるのではないだろうか?

「戦後平和主義」の限界は「日米同盟基軸を大前提にした平和主義」というところにある。

これまでの専守防衛は米軍の抑止力が強大であったからこそ維持できた「平和主義」に過ぎない。その「平和主義」は、「戦後の日本は自衛隊が一発も銃を撃つこともなく自衛隊に一人の死者も出さなかった」と言われるが、他方でベトナム戦争の出撃拠点になるなど戦争荷担国であるという多分に欺瞞的な「平和主義」でもあった。

それも今日、事情はがらりと変わった。

「日米同盟基軸を大前提にした平和主義」は、冒頭のエマニュエル発言のごとく日米同盟が「守る同盟」から「打って出る同盟」に転換される時代に入って正念場を迎えている。今や米国自身が認める「米軍の抑止力の劣化」、それを補うための自衛隊の抑止力強化、反撃(敵本土攻撃)能力保有は日米同盟(米国)の切迫した要求となった。それが今、「打って出る同盟」への転換、日本の対中・中距離核ミサイル基地化という「東のウクライナ化」、米国の代理戦争国化という事態を招いている。

すでに前述のごとく隠然と既成事実化は着々と進められており、今年度末には国家安全保障戦略改訂で「打って出る同盟」への転換は国家的方針、政策として確定される。

今、問われているのは、日米同盟基軸の「戦後平和主義」を脱すること、同盟に頼らない日本独自の平和主義実現の安保防衛政策を構想することだ。これが今や「まったなし」の切迫した課題としてわれわれに提起されている。このことを真剣に議論するときが来たと思う。


「日米安保のジレンマ」どころじゃない事態にいかに?

若林盛亮 2022年9月5日

■「日米安保のジレンマ」どころじゃない事態に
「日米安保のジレンマ」という言葉がある。

日米安保同盟のおかげで米軍が抑止力として日本の防衛を担っくれているのはよいが、反面、その抑止力である米軍基地があるために日本は戦争に巻き込まれる危険を背負うことになる。

例えば中朝のミサイルは日本の米軍基地に照準が当てられている。いったん有事には日本の米軍基地が核ミサイルや爆撃機、空母など中朝に対する攻撃の際には出撃拠点になるからだ。つまり抑止力として米軍基地があるために米国と中国や朝鮮との戦争事態になれば、否応なしに日本は戦争に巻き込まれる。

これがこれまで「日米安保のジレンマ」と言われるものだ。

しかしいまや事態は一変している。「ジレンマ」というそんな悠長なことは言っておれない事態に日本は直面させられている。

周知のように岸田政権は、これまでの「攻撃武力は持たない」という専守防衛路線を変更、抑止力強化に踏み切り、反撃(敵本土攻撃)能力保有を打ち出している。

なぜ? 世界最強を誇った米軍の抑止力が劣化したからだ。

何のために? 米軍の「抑止力劣化」を補うため、日本が日米安保の同盟義務を果たすためだ。米軍劣化を認める米国自身が「同盟国との協力強化」を打ち出し日本にそれを求めているからだ。

これは中朝本土攻撃を担う自衛隊基地が中朝ミサイルの攻撃対象になるということであり、日本は「戦争に巻き込まれる」どころではない、「戦争当事者」「交戦国」になる。

さらにもっと事態は危ない性格を帯びている。

■「隣国にミサイル基地ができたら?」プーチンの言い分
「もし米国が自分の隣国にミサイル基地ができたらどうするだろう?」

プーチンがウクライナに対する「先制攻撃的軍事行動」をとった直後の言葉だ。

1962年に「キューバ危機」というのがあった。キューバに配備されるミサイルを運搬するソ連軍艦を武力で阻止しようと米艦艇群が太平洋で待ちかまえた。すわ米ソ核戦争勃発!世界は本気で恐怖した。

結局、ソ連が折れて事は収まったが米国はソ連と一戦交えてでもキューバへのミサイル配備を阻止する構えを見せた。プーチンはこのことを念頭にロシアの立場を説明したのであろう。ウクライナのNATO化によって対ロ・ミサイル基地が隣国にできるならロシアは黙っていられるだろうか、と。

いま日本に中国本土を射程に入れる中距離核ミサイルが配備されようとしている。それはプーチンが言った「対ロ・ミサイル基地」化推進でロシアにケンカをふっかけた隣国、ウクライナのような国になること、日本の「東のウクライナ」化を意味するものだ。これがいまわが国の現実になりつつある。

自衛隊の「反撃能力保有」、その基本に中距離核ミサイル配備が置かれ、日本列島が対中朝本土攻撃のための核ミサイル基地になる方向に隠然と事態は動きだしている。

8月の新聞に「海上イージス艦に長射程弾搭載検討」という小さな記事が出た。また「長射程弾1000発保有」に向けた防衛予算が立てられている。政府は「長射程弾」と表現をごまかしているが、この長射程弾というのは射程1,000km、あるいはそれ以上の長射程ミサイル、すなわち中距離ミサイルと言われるものだ。

昨年、米インド太平洋軍は「対中ミサイル網計画」として、日本列島から沖縄、台湾、フィリッピンを結ぶいわゆる対中包囲の「第一列島線」に中距離ミサイルを配備する方針を打ち出した。

「軍事作戦上の観点から言えば・・・中距離ミサイルを日本全土に分散配置できれば、中国は狙い撃ちしにくくなる」(米国防総省関係者)。米軍の本音は日本列島への配備だ。

計画では米軍は自身のミサイル配備と共に自衛隊がこの地上発射型の中距離ミサイルを保有することも求めており、これを受けてすでに防衛省は地上配備型の日本独自の中距離ミサイル開発を決めている。

これらは世論の反発を恐れて隠然と進められているが、先の海上イージス艦に中距離ミサイル配備検討、及び1000発の中距離ミサイル保有が「長射程弾」という言葉のまやかしで着々と現実化させられている。先の海上イージス艦配備はあくまで象徴的な「第一歩」に過ぎず、この「1000発保有」の実際の狙いは自衛隊の地上発射部隊への全面配備にあることに間違いはない。

■東のウクライナ化=代理戦争国化という「同盟義務」
自民党の麻生太郎副総裁は8月31日、横浜市内のホテルで開いた麻生派研修会で、ペロシ訪台以降の緊迫する台湾情勢を巡り「(対中)戦争が起きる可能性が十分に考えられる」との見解を示した。「与那国島(沖縄県)にしても与論島(鹿児島県)にしても、台湾でドンパチ始まることになったら戦闘区域外とは言い切れない状況になる」と語り、ロシアのウクライナ攻撃にも触れ、「自分の国は自分で守るという覚悟がない国民は誰にも助けてもらえない。我々はこのことをはっきり知っておかなければならない」と台湾有事=日本有事に備えることを説いた。

これは米国の同盟国としてその義務をウクライナ以上に積極的に果たせということだ。

ベトナムに続きイラク、アフガンでみじめな惨敗と多大の犠牲を味わされた米国民の厭戦気運は米国をしてアジアや欧州での対中ロ戦争を同盟国にやらせる「代理戦争」方式をとらせるようになっている。すでにウクライナでそれは実証済みだ。

対中ロ新冷戦に自己の覇権の存亡をかける米国が日本に要求するのは一言でいって対中代理戦争だ。それを受けて岸田政権は日本の中距離核ミサイル基地化を着々と進めている。

これによって「日米安保のジレンマ」どころじゃない事態に追い込まれたわが国にはいま「日米安保同盟の危険」にどう対処すべきかが切迫した問題として問われている、そのことを強く訴えたい。


専制主義・権威主義を敵とする意味

赤木志郎 2022年9月5日

今日、米国は「専制主義・権威主義」にたいする非難に熱をあげている。

「専制主義・権威主義」は主に中国、ロシアを念頭においた言葉であり、聞いた人ははじめなんのことかと思う人もいるだろう。専制主義は大多数の人民大衆を政治から排除した王政・貴族制を意味し、選挙とそれにもとづく議会、行政、独立した司法制度をもつ今日の国にとって縁のない言葉だからだ。権威主義もあいまいな言葉だ。指導者の権威はないよりあったほうが良い。なぜ、あえて古い概念をもちだし専制主義・権威主義として中国・ロシアを非難するのだろうか。

自国第一主義と個人第一主義
国と民族それ自体を否定し世界の一極支配をめざした新自由主義・グローバリズムは、実現不可能な空想にすぎなかった。なぜなら、国と民族は人々の運命共同体、生の拠り所として消滅することがないもっとも強固な共同体だからだ。

反帝自主をかかげ国の主権を守る朝鮮、イラン、キューバ、シリアなどは、米国の最大限の武力干渉、経済制裁にたいし、屈服しないばかりかいっそう国の主権を守り、自力更生で国を発展させてきた。

そして、世界の新興独立国は国の役割を高めることによって発展の道を歩んで来た。米国が「専制主義・権威主義国」としもっとも非難する中国は、いまや米国を凌駕するほどの経済力と軍事力を備えるにいたった。それは国の主導的な役割を強め、効果的に国家的投資をする一方、欧米独占資本の経済的思想文化的浸透を防いできたからだ。

ロシア、中国のみならず新興国が発展をめざすために国家の役割を高め、自国の力をつけていくとうことは常識となっているといえる。米国式の「自由と民主主義」は世界に根付くことなく、各国の伝統と実情を生かした制度を発展させていくことが主流になっている。国が繁栄してこそ国民も幸福を享受できる。そういう意味では、現時代は自国第一主義の時代だ。

反対に、この数十年間で米国は巨大独占資本は膨大な富を蓄積し膨張するだけ膨張してきたが、内部的には格差をいっそう拡大し富を蓄積しながら、国力は著しく衰退し世界を動かす力を喪失してきた。昨年のアフガンからの撤退はその象徴だ。なぜ、米国が著しく衰退してきたのか、それは米国が集団の力でなく個人間の競争で発展させようとしたからだ。国の役割を高め集団の力で発展しようというのが自国第一主義としたら、米国の場合、個人第一主義だということができる。米国が自称する「自由と民主主義の国」は、国民全体の自由と民主主義ではなく個人第一の個人のための自由と民主主義だ。だから、国民の共同体としての国の役割を否定され、99%の人々は社会保障制度もなくコロナ禍と貧困で世界一多い感染者と死亡者をだしている。

自国第一主義の国々が興隆し、個人第一主義の国が衰退、没落していくのは必然だ。

専制主義として国家の役割を否定する米国
今日、米国は「専制主義VS民主主義」を掲げているのは、衰退していく米国の覇権回復のために、国の役割を否定することにより国を否定し各国の力を弱化させようとしているからだ。

そのための中ロを敵とする排除であり、同盟国・追随国の統合だ。米国は中ロをはじめ世界各国の国の役割を非難するのみならず、同盟国と言われる追随国をあらゆる分野で米国の補完国、下請け国として統合し、それらの国々まで国としてなくそうとしている。その典型が日本だと思う。

それゆえ、国を守る戦いは、非米脱覇権諸国のみならず、米国に統合されていく日本などの同盟国・追随国の中で起こるのは必然だ。日本の思想文化伝統を生かし、国益を守り、自国第一、国民第一を掲げた戦いを起こしていくことが問われているのではないだろうか。

とりわけ、日本はかつて欧米に見習いアジア諸国を侵略し、最後には米国に挑戦し敗北した国だ。「二度と戦争をしない」という誓いが米国に盾突かず従属していくことに繋げるのではなく、いっさいの覇権と従属を排しどの国とも友好関係をむすぶ真の平和国家、自主独立国家として生きることが国としての尊厳を蘇らせる日本の道だと思う。


「民主主義国」では国民の生命が守られず、「専制主義国」で守れる!?

若林佐喜子 2022年9月5日

8月21日、世界の新型コロナ感染者数が6億人を越えた。圧倒的に感染者数、死者数の多い国が米国であり、総感染者9362万5517人、死者104万1115人(数字は読売、8 /21 より)である。又、第7 波のなかの日本では、一日の感染者数が29万人、死者が日本に於いて最多の343人を記録。総感染者数は、1698万2155人、死者3万6837人である。

一方、死者が少ないのが、中国であり5226人である。中国は、徹底した防疫原則、ゼロコロナ対策をとってきた。

更に少ないのが、朝鮮である。朝鮮の国家防疫司令部の発表によれば、有熱者数477万2535人、死者74人(致死率=0.00016%)。朝鮮は、これまで国境を封鎖するなどして2年間ゼロコロナを維持してきたが、ステルスオミクロンBA.2の感染者が確認される。5月12日には、最大非常防疫体制が発令され、直ちに全国、全地域の遮断と封鎖を行い各地域での伝染源の制圧、同時に全ての人々の検診、検温で有熱者を探し出して隔離・治療が行われた。医師担当区域制をフル稼働させ、特別に派遣された軍医、保健活動家、衛生ボランテイアらによって、薬局を24時間運営し、家で隔離、治療が必要な人には、薬が届けられ治療を受けられるようにした。そして、8月10日に、非常防疫体制の勝利宣言、コロナ終息宣言が出され、現在は、緊張、強化された正常の防疫体制で公共や個人での検温、消毒はあるが、マスクなしの生活になっている。

日本では、このような中国や朝鮮の原則的な防疫対策、ゼロコロナ対応を、国家による個人の移動の自由への行動規制、私権の制限などとして人権侵害、権力行使との批判の声が聞かれる。

現在、米国は米中(ロ、朝鮮)新冷戦、「民主主義Vs専制、権威主義」を声高に叫んでいる。しかし、コロナ禍対応の現実、結果は、「民主主義国」では、国民の生命が守られず、「専制主義国」で国民の生命が守れるということを示しているのではないか。

米国が言う、「民主主義」とは何なのか?そして、「専制主義」とは? コロナ禍対応から、そんなことを考えさせられた。


【寄稿】救援8月号

朝日8.15社説に見た「戦後平和主義」の限界と課題

 8月15日の読売と朝日の社説は対照的だった。

 読売が悪いなりに主張がすっきりしていたのに対して朝日は何を寝言を言ってるのかという歯切れの悪いものだった。

 読売社説は、平和憲法改正も視野に「反撃能力保有」など日本の抑止力強化による日米同盟の義務を果たし、米中心の国際秩序を「築き直せ」という岸田政権の推進する国家安全保障戦略改訂を積極支持するものだ。

 他方、「平和の合意点を探るときだ」と題する朝日社説は、「足下の民主主義をたえず点検すること」だとか「多様な個々人の共生を保証する仕組み」だとかさっぱり要領を得ない。読売式の日本の「対中対決最前線化」、「東のウクライナ化」に対決するという切迫した論議を避けた腰の引けた主張でお茶を濁している。読売にバカにされても仕方がないものだ。

 対中ロ新冷戦という緊迫の時期にあって、それは戦後リベラルを自称する朝日新聞式「戦後平和主義」の限界と課題を見せつけたものだと思う。

 「戦後平和主義」の限界は「日米同盟基軸を大前提にした平和主義」というところにある。専守防衛も米軍の抑止力が強大であったから維持できた「平和主義」だ。今日、事情はがらりと変わった。米国自身が認める「米軍の抑止力の劣化」、それを補うための自衛隊の抑止力強化、反撃(敵本土攻撃)能力保有は日米同盟(米国)の切迫した要求となった。詳細は省くが、それがいま日本の「東のウクライナ化」、米国の代理戦争国化という事態を招いている。

 陸上イージスアショア・ミサイル防衛網配備断念に替わる海上「イージスシステム艦」に中朝に届く射程1,000kmの長距離ミサイル搭載が決められた。これに「核共有論」が加われば、日本は対中朝の核ミサイル基地に変貌する。これはまだ日本の「東のウクライナ化」、代理戦争国化の端緒に過ぎない。

 8月15日に主張すべきことは、いまこそ日米同盟基軸の「戦後平和主義」を脱すること、そして同盟に頼らない日本独自の平和主義実現の防衛政策を構想することだろう。それこそがこの時代に生きる日本人が、日本とアジアにおける先の戦争犠牲者の霊魂を真に鎮魂することになるのではないだろうか。

    ピョンヤン かりの会  若林盛亮


問われる「国」に対する観点の確立

小西隆裕 2022年8月20日

今、世界でもっとも悪く言われているものの一つ、それは間違いなく「国」だ。

「米中新冷戦」は、「民主主義VS専制主義」の闘いだと言われているが、その「専制主義」とは、「国」による「強権」「独裁」「専制」のことだ。すなわち、「国」が自由や民主主義最大の敵対物にされていると言うことだ。

中国の「ゼロコロナ政策」への中傷も同じことだ。「国」による強権批判だ。

「国」を悪者にし、目の敵にするこうした論調を見ていて思うのは、「国」の人々に対する統制者、強権者、抑圧者などの側面ばかり見、人々の保護者、拠り所、居場所、共同体、等々、「国」が持つ、なくてはならない、かけがえのない側面はまったく見られていないことだ。

なぜ、こんなことになっているのか。

そこで明らかなのは、こうした論調をつくり出しているのが、米欧の、それに日も加わるだろうか、政界、メディアだと言うことだ。

彼らにとってもっとも大切なのは、覇権であり、覇権秩序だ。だから彼らがもっとも神経をとがらせるのは、それへの侵害である「現状の力による変更」に他ならない。

今日、覇権はその崩壊のかつてない危機に陥っている。

「現状の力による変更」などと、覇権を脅かすことへの警戒を露わにしているのもそのためだ。

国々の上に君臨し、国々を思いのままに動かす覇権にとって最大の脅威は、他ならぬ「国」であり、「国」のまわりに国民が結束することだ。

だから、今、覇権崩壊の最大の危機にあって、「国」への誹謗中傷も最高潮に達している。

ここで問われていることははっきりしている。覇権と国民の「国」をめぐる闘いで勝つことだ。

この闘いで国民が勝つために問われていること、それは、覇権の側の「国」に対する誹謗中傷を打ち破る国民の側の自らの「国」に対する揺るぎない観点の確立を置いて他にないのではないかと思う。


「NPTの危機」、それは良いことではないのか

魚本公博 2022年8月20日

今、ニューヨークの国連本部で8月1日から26日の日程で、核拡散防止条約(NPT)の再検討会議が開かれている。

NPTは、核兵器を巡る国際秩序の基盤とされる。それは、米露英仏中の5カ国だけに核保有の特権を認め、他の国に核保有はさせないというものであり、米国の覇権秩序の基盤となっている。

それが発足した1970年は、東西冷戦の真っ最中であり、米ソという2大核保有国が、世界を東西に分割管理(支配)しようというものだった。いわゆる「パクス・ルッソ・アメリカーナ」(米ソによる平和)である。しかし、91年のソ連崩壊後、NPTは完全に米国覇権のためのものとなった。すなわち、米国の「核抑止力」で世界の安定と平和を維持するという体制である。しかし、この安定と平和は「パクス・ロマーナ」の実態が、ローマ帝国の下で他国を属州化し支配するというものであったように米国の世界支配秩序、覇権秩序であることは言うまでもない。

NPTには、191の国と地域が参加し、その大部分は非核保有国である。米国の「核抑止」とは、反面「核の脅し」なのであり、多くの国々が、それに反発し不満を持っている。それをなだめるために提起されたのが核保有国の「核軍縮」である。それは最終的には「全面廃棄」を目指すとしており、再検討会議は、主にその進捗状況を再検討する場になっている。しかし、それは遅々として進んでいない。10回目になる今回の再検討会議では、「核軍縮」を口約束ではなく法的拘束力をもつものにする討議がなされる予定だが、せいぜい「検討する」「努力する」という言葉で終わるだろうと予想されている。核は米国覇権のカナメであり、それを全面放棄することなどありえないのである。

これをもって、マスコミなどは「NPTの危機」を言う。しかし、NPTが米国覇権の道具であれば、その危機は歓迎すべきことであって、決して悲観するものではないし、それは良いことではないか。

「NPTの危機」の本質は核をもっての米国覇権と、それに反発し不満をもつ圧倒的多数の国々の対立であり、これまで米国覇権を甘受してきた国々が、それに反対する声をあげるようになったことで、それが顕在化したというところにある。

こうした中、考えるべきは、日本の姿勢である。日本は、NPT堅持の立場である。その理由は「日本は米国の核抑止で安全を保障されているから」というものである。その立場から今では、米国覇権を支えるべく、反撃能力という敵基地攻撃能力保持や軍事費倍増、さらには核の共同保有まで言うようになっている。

 「核の共同保有」は完全なNPT違反である。それにもかかわらず、米国がそれを日本にやらせるということは、力を落とした米国にとって、もはやNPTの拘束には構っていられないということであろう。

核廃絶は、日本国民と世界人民の悲願である。唯一の被爆国である日本は米国の「核の傘」から脱し、「核兵器禁止条約」を早急に批准するなど、核廃絶に向けた方策を先頭に立って実行すべきである。

米国覇権は至るところでほころびを見せている。今回のNPT会議で、非核保有国が「核軍縮」を強く要求し、米国もそれを無視できなくなっているのも、その反映である。

まさに、それが時代の流れである。日本は、いつまで米国覇権の下で生きていくようなことを続けるのか。時代の流れ、世界の流れを見据えながら、これまでの米国覇権の下での生き方を再検討する。今、日本に問われているのは、そうした再検討だと思う。


安倍元首相が残した教育改革の禍

森順子 2022年8月20日

安倍元首相は、2006年から8年8ケ月の在任中、「教育再生」を掲げて様々な改革を押し進めた。最も大きい政策は、教育基本法の改正だ。「道徳心」「伝統と文化」「公共の精神」などの育成という文言だけでなく、備えるべき「資質、能力」といった人材育成への文言を入れ、その後の改革につなげた。17年―19年に改訂された今の学習指導要領は、安倍元首相の教育改革の集大成だと言えるだろう。安倍元首相亡き今、教育改革は何を残したのか。

その中でも、問われるべき一つは、教育改革の目的を「英語、IT技術、プレゼン技術」に特化した人材育成に置いたこと。

二つは、日本の歴史を、日本独自の歴史ではなく世界史の一環として学ぶ「歴史総合」新科目を必修に置いたことだ。

三つは、教員を養成せず、教職を「ブラック化」させたことだ。このことによって教員志願者は減り、教育現場が本当に崩壊するかもしれない危機的状況に置かれている。 

安倍元首相は、「日本をとりもどす」をキャッチフレーズに、教育改革に力を注いできたが、それが、日本のためのグローバル人材の育成、国の人材を育てる教育につながっているのか。本当にとりもどすのなら、教育改革の軸を「日本をとりもどす」、ここに置かなければならなかったはずだ。 

まず、教育改革の目的を「英語とIT技術」に特化した教育に置いたこと自体、日本を担う人材つくりにはならない。子どもたちの全般学力が落ちる教育のあり方である「英語とIT技術」に特化した教育は、「人間を育てる」「人材を育てる」という教育の目的から離れた、国の教育とは到底言えない改革だ。

また、「歴史総合」は、日本独自の歴史を欧米史の中に溶解させ、日本の歴史事実を無くしてしまうような科目だ。自国の歴史を知らなければ、自分の国を語れず、自分の国という観点を持てない人材が育ち、「道徳心、伝統と文化、公共の精神」を言っても、実際に身に付くはずがないだろう。

また、国の教育は、教員を養成することから始まる事業だが、教育を担う教員を養成しないこと自体、日本の教育をつくろうとしない現れだ。

この三つだけでも、日本のための人材を育成する日本の教育改革でないことは明白だ。それは、この教育改革の目的、その本質が、「米中新冷戦」の下に組み込まれた教育改革としてあるからに他ならない。「英語とIT技術」に特化したグローバル人材育成とは、弱化した米IT覇権を支えるための人材育成としてあり、米国の下請的役割を担う人材を育成するということではないのか。

「日本をとりもどす」と言いながら、安倍元首相が行った教育改革とは、「アメリカ化に大転換した日本の教育」だと言えるのではないか。これが、安倍元首相の罪、禍であり、それは、今に続いている。


ピョンヤンから感じる時代の風〈04〉覇権の秩序から反覇権・脱覇権の新しい世界秩序へ

【寄稿】デジタル鹿砦社通信2022年8月12日
赤木志郎

 日本では、世界を考えるときどうしても欧米中心に考えてしまう。世界秩序もG7や国連など欧米中心で見る。私たちもかつてそうだった。50年前、私たちが平壌に来たときにその欧米中心の思考方式がひっくり返されたのだ。軍事パレードなどの行事や病院に行けば、ベトナムやアフリカ、中南米からの留学生たちで湧きかえり、平壌には第三世界からの代表団が訪問していた。1970年代はベトナムをはじめアフリカ、中南米での民族解放闘争勝利の最終局面を迎え、新興独立国の非同盟運動が高揚していた。それが時代の熱い息吹だった。

 それから50年余り経った現在、米ソ冷戦が終息し、その後の米国の一極支配もすでに崩れ去り、世界各地で各国の主権を守る闘いが繰り広げられ、欧米中心の古い覇権の秩序が音をたてて崩壊していっている。とくに、今年に入って、ウクライナへのロシアの軍事行動を契機に、世界が激変していっており、古い世界秩序の崩壊が加速度的に速まっている。

国連中心の世界秩序の崩壊は嘆くべきか

 戦後の世界秩序は国連を中心とした秩序だと言われてきた。戦後体制は米ソ超大国による世界支配秩序(ヤルタ体制)でありながら、世界の諸問題を扱う機構として国連があった。国連中心の世界秩序というのは、米ソなど5大国が拒否権をもつ大国中心の国際秩序であり、いわゆる覇権の秩序だったといえる。

 国連はしばしば米国の覇権の道具として利用され、国連が覇権の道具として役立たない時には「有志連合」が覇権の機構として利用され、米ソ冷戦が終息した後にはアフガン、イラク戦争など米国の単独軍事行動で国連を超越した存在として米国の一極支配のもとに世界があった。

 しかし、覇権の世界秩序は、民族解放闘争の勝利、新興独立国の非同盟運動、さらに朝鮮、キューバ、シリアなどの反帝自主国による国家主権を守る戦い、世界的範囲での自国第一主義勢力の台頭によって衰退してきた。それゆえ、世界の反覇権・脱覇権勢力が台頭してきたところに、欧米の覇権のための国連中心の世界秩序が崩壊してきた根本要因があると思う。

 今日、ロシアのウクライナでの軍事作戦の展開を契機に、国連中心の世界秩序が完全に崩壊したと多くの人々が指摘している。たとえば、香港中文大学教授鄭永年氏の「今回の危機で第二次世界大戦後に形成された国連中心の世界秩序が崩壊しつつある。今やパワーポリティクスが復活し各国が自国に有利な秩序を築こうとする群雄割拠の時代に入った」(読売新聞3月21日)と嘆くのもその一例だ。

 たしかにウクライナにおけるロシアの軍事行動をめぐって国連常任理事国が何も決定できない機能不全に陥ってしまった。これをもって「国連改革をすべき」という声が高まっているが、ウクライナ事態そのものは、米国がNATOという米国の覇権の軍事機構を拡大し、ロシア包囲網を作ってきたことにその直接的な原因があるゆえ、ウクライナの中立化を目的にしたロシアの行動は一定の正当性をもっており、ロシアの拒否権発動を非難するのは、国連をあくまで米国主導の覇権機構としての役割を果たさせようと言うことに他ならない。

 以上、覇権の道具としてあった国連が機能不全に陥ったことは、果たして嘆くべきことだろうか? 

顕在化する欧米諸国と非米主権擁護諸国の対立

 周知のように今日、米国は世界を「専制主義国家と民主主義国家」に分け、いわゆる「専制主義国家」を排除し世界を分断しようとしてきた。

 欧米がロシアにたいする全面的な制裁を加えることによって、世界が欧米式民主主義を標榜する欧米諸国とそうでない非米主権擁護諸国とに分かれるようになった。

 しかし、欧米のロシア制裁に加わっているのは30数カ国であり、大多数の国はロシア制裁に参加していない。

 ロシアは対外収入の6割を天然ガス・石油に負っている。そこで米国は金融制裁・エネルギー輸入禁止措置をとることによってロシア経済に打撃を与えることを狙ったが、インドのロシア産石油輸入が8倍に増えるなど、ロシアの原油輸出は制裁以前より増加させている。中国のロシア産天然ガス輸入も急増し、むしろ制裁に加わった独、北欧、日本がエネルギーで危機に陥っている。金融決済もルーブルや元が力を増し、ドル経済圏が縮小していっている。すなわち、欧米と無関係な新しい経済圏が生まれていっている。

 世界各国は「専制主義国VS民主主義国」に分ける分断と排除を求めていず、平和と正常な貿易関係を求めている。米国の分断と排除の戦略は、かえって自らの孤立を招いているといえる。

5月バイデン訪日時にインド太平洋経済枠組み(IPEF)にASEAN諸国を取り込もうしたが、同時期、シンガポールのリー首相が日経新聞記者に「今やアジアの多くの国にとって中国は最大の貿易相手だ。アジアの国々は中国の経済成長の恩恵にあずかろうとしており、貿易や経済協力の機会の拡大を概ね歓迎している。中国も広域経済圏構想『一帯一路』のような枠組みを作り、地域に組織的に関与している。我々はこうした枠組みを支持している」と言ったように、「中国が繁栄して域内の各国と協調を深める方が、国際秩序の外で孤立するより好ましい」と中国排除をはっきり否定している。

 続けて米国は6月米州首脳会談を開催し、「世界中で民主主義が攻撃されているこの瞬間に、再び団結をしよう」(バイデンの開幕宣言)と呼びかけたが、キューバ・ベネズエラを排除したため6カ国が不参加、15カ国の宣言署名拒否という事態に直面し、さらにその後コロンビアに左派政権が初めて登場し、米国支持国はさらに減った。

 米国は、中国がソロモン諸島との安保協定締結、キリバスでの滑走路改修のほか、5月末南太平洋島嶼国10カ国外相会議を開催し、中国の影響力が拡大したことに対抗し、6月、日英豪仏を含め太平洋での新たな枠組みを作る構想を明らかにした。明らかに米国が後手にまわっている。

 さらに米国は6月末、G7首脳会議で中国の「一帯一路」に対抗するため、6000億ドルをかけて途上諸国のインフラに投資する新計画PGIIも決めた。しかし、一帯一路の参加諸国に対してG7諸国がインフラ投資しても、対象国が一帯一路から抜けず、ほとんどの国は、中国とG7の両方から投資してもらおうとする。G7は中国を付き合うなと強制する分、反発を受けるだけだ。

 7月中旬、バイデンは①石油増産、②中東版NATOの発足を目的に中東諸国を訪問したが、肝腎のかつての親米派だったサウジが応じずバイデンの企図は失敗した。サウジはすでにBRICS加盟の意志を固めているという。

 つまり、この半年余り、米国は「新冷戦戦略」を掲げロシアと中国を孤立させようと必死に策動したが失敗に帰している。

 こうした動きのなかで注目すべきことは、6月、BRICS(ロ・中・印・南ア・ブラジル新興国5カ国)の台頭だ。BRICSがアルゼンチン、トルコなど13カ国を招請し、拡大会議をオンライン形式で開催して制裁反対で一致した。習近平主席は「一部の国が軍事同盟の拡大により、絶対的な安全保障を求め他国の権益を無視して唯我独尊的を大々的にやっている」と米欧を批判し、「互いの核心的利益に関わる問題で互いを支持し覇権主義と戦うべきだ」と述べて賛同を得た。また、習近平主席はBRICSの拡大を呼びかけ、すぐにイランとアルゼンチンが加盟申請をした。

 今や、世界を主導しているのは、欧米ではなく、非米の反覇権・脱覇権勢力だと言えるのではないだろうか。

 「民主主義」を掲げる欧米側はGNPの総計で優位に立つが、非米主権国家側は人口と国の数で圧倒し、世界を動かしている。

反覇権・脱覇権の新しい世界秩序を!

 打ち立てるべき新しい世界秩序は、古い覇権の秩序ではなく、各国の主権を守り尊重することで一貫される反覇権、脱覇権の世界秩序だと考える。それが時代の流れだ。

 戦争の原因は覇権主義、すなわち武力で各国の主権を侵害するところにある。NATO、日米安保など覇権の機構を見直し、覇権主義を根本的に否定し、除去し、各国の自主権を徹底的に擁護し尊重すること、そのことにより世界の平和と各国間の友好関係の実現、ここに新しい世界秩序の要諦がある。その新しい時代がすでに始まっている。

 こうした新しい時代的潮流の中で、日本は時代の流れに逆行し、ロシア制裁に加わり、対中包囲網の前線基地として日米同盟を強化し、軍備拡張し、対中包囲網にASEAN諸国を取り込もうとしている。それは孤立と破滅の道だ。世界を欧米中心にではなく反覇権・脱覇権の非米諸国を基軸にすえて見ることが、今何よりも問われていると思う。


-8月に考える-「核戦争を戦う覚悟」を迫る日米同盟とは?

若林盛亮 2022年8月5日

8月は6日、9日が広島、長崎「原爆の日」、15日が「終戦(敗戦)記念日」だ。77年前のあの日の記憶はすべての日本国民が共有する苦い民族的体験だ。「二度と戦争当事国にはならない」、「核戦争を許してはならない」、この思いは非戦非核の国是として具現され、いかなる政権も堅持すべきものとされてきた。

ところがいまわが国の安保防衛問題の専門家や政治家の間から日本国民に「核戦争を戦う覚悟」を迫るような議論が公然化しつつある。

事の発端は、5月末の日米首脳会談で岸田首相が反撃能力保有、防衛費倍増など「防衛力強化」を約束し、それに応えバイデン大統領が日本に「拡大抑止力(核の傘)の提供を保証」したことに始まる。

小野寺五典・自民党安全保障調査会会長は日米首脳会談直後の時事通信とのインタビューで「『核の傘』に入るということは、『核を使ってでも守ってください』ということだ。その覚悟(核を使う覚悟)が皆、すっと抜けている」と国民の覚悟の不足を批判した。さらにこう続けた、「日本は唯一の被爆国だからそんなことはやってはいけないとか、核の議論をしたらいけないとか言うかもしれないが、現実はそうだ。核の議論をしなくていいのか」と。公々然と非核の国是を見直す議論を呼びかけた。

またフジ系TV報道番組で河野克俊・前自衛隊統合幕僚長は「核を使えば相手国の十万、二十万人が死ぬ」その責任と覚悟を日本国民が持つべきだという主張を展開した。その理由は、それぐらいの覚悟を同盟国として日本が示さないと米国は核の拡大抑止・「核の傘」を提供してくれないからだということだった。

なぜ急にこんな「核戦争を戦う覚悟」を迫る議論が出てきたのだろうか?

米中新冷戦の最前線と米国が位置づける日本列島への中距離核ミサイル(中国本土に達する射程1,500km程度のもの)配備計画がすでに米インド太平洋軍作戦計画としてあり、それが実現段階に来ているという現実が背景にある。この計画には自衛隊に対する「要望」として「長射程ミサイル開発と保有」を上げており、すでに日本政府はこれに着手している。

これに安倍元首相の主張「米国との核共有」論が加わって、有事には自衛隊の長射程ミサイル(中距離ミサイルと同等のもの)に米軍の核が搭載されることが遠くない現実となるだろう。

「核戦争を戦う覚悟」を迫る議論の公然化は米中新冷戦で「最前線」を担うべき日本に対するこうした具体的な日米同盟からの要求があるからだ。一言でいって日米同盟が「核戦争を戦う覚悟」を日本に求めているからだ。言葉を換えれば日米同盟が日本の非戦非核の国是放棄を迫っているのだと言える。

いま著名な保守論客・桜井よし子などが「日本人の平和ボケ」批判の先陣を切っているが、これも日米同盟のこうした要求を反映したものだろう。

いま問題はこう提起されている。

国是か同盟か、これに対する答をすべての日本人が考えるべき時が来たのではないだろうか。

この8月は非戦非核の国是、その原点に立ち返ってこれへの回答を考える8月にすべきだと思う。


日韓関係が改善しない理由

赤木志郎 2022年8月5日

今年3月、ユン・ソクヨル新大統領政権発足に伴い、日韓関係が改善されるのではないかと観測されてきた。しかし、日韓関係の正常化はきわめて難しい。

ユン大統領は、外交政策として第一に米韓同盟の強化(朝鮮民主主義人民共和国との対決)であり、第二にそのもとでの日韓関係の改善を掲げていた。それで、4月韓日政策協議代表団の来日と親書伝達(大統領就任式への招待)、7月パク外相の訪日と日韓外相会談を通じて韓国側からアプローチがなされた。そこで懸案の徴用工問題の早急の解決の合意がなされた。

日韓関係がこじれた要因には、徴用工賠償問題、従軍慰安婦問題、竹島(独島)問題、旭日旗問題、教科書問題などがある。その根元は、日韓基本条約と付随日韓経済協力協定だ。それは、日韓関係正常化交渉で問題となった日韓併合条約が、合法であったか武力で押しつけた不当なものだったかの問題である。日本側は日韓併合条約が合法であったと侵略の事実を一貫して認めなかった。それで、日韓基本条約は過去の日韓併合条約が無効であることのみ触れ、植民地支配であったことを認めず、賠償問題も経済協力金という形にし賠償としておこなわれなかった。ここから個別の植民地支配下での強制連行による徴用工賠償問題や従軍慰安婦賠償問題が生まれるのであった。竹島(独島)領土問題も乙巳(いつし)保護条約を強要し外交権を奪った1905年、島根県に編入したものとして、やはり植民地支配問題がからまっている。

これにたいし自民党政権は植民地支配それ自体を認めない立場である。それゆえ、徴用工、慰安婦、竹島問題をいっさい相手にしない態度だった。だから、自民党政権は植民地支配が事実だったではないかという韓国を不信の目でみており、ユン・新政権の日韓関係の改善姿勢にたいしても冷たく対応している。

韓国側が冷え切った日韓関係を改善するためどれだけ妥協するか分からない。たとえ韓国政府側が折れても、日韓関係は本質的に改善されないと考える。なぜなら、韓国の誰もが日本による韓国植民地化を体験か事実として考え、それを不幸の根源として否定しているからだ。

したがって、日韓関係改善の鍵が日本側が植民地支配の事実を認め、謝罪するところにあるというのは、あまりに明白なことではないだろうか。

日本が「米中新冷戦」戦略に従い最前線に立つとするのも、戦前の侵略を反省せず、強国が覇権を求めるのは当然だという覇権思想であるからだ。日本の「米中新冷戦」体制の確立に反対するためにも、植民地支配を認め謝罪し、いっさいの覇権をしない、これに加担しない立場を確立していくことだと思う。韓国・朝鮮との連帯運動の発展も、この視点にたってはじめて大きく前進させることができるのではないかと思う。


民主主義への中傷を許すな

若林佐喜子 2022年8月5日

安倍元首相への銃撃事件は国内外に大きな衝撃を与えた。

一方、国内では、事件後、SNSなどで「民主主義の破壊は許されぬ」「民主主義への愚劣な挑戦」という新聞の見出しや言葉に対して、違和感を覚える、今の日本に守るような民主主義あるのか。安倍首相こそが民主主義の破壊者などという内容のやりとりがとびかっているそうだ。

そんな中で、読売新聞記者(Natsuki Sakai)の「安倍元首相の『死』、SNS時代の憎悪と分断の果て」(7/19 wedg)を目にした。

その文章も、「『民主主義に対する』という言葉に違和感を覚えるのも事実だ。その『解』について考える」という書き出だしであった。

しかし、その内容は、戦後レジームからの脱却を掲げて本丸を憲法改正におき、なかでも日米同盟の強化、集団的自衛権行使ができて初めて、日米は対等なパートナーになることができる。それを国家の存亡にかかわる政治課題と言い切り、それを首相としてやり抜いてきたのが安倍元首相であるとする。とりわけ、2015年の集団的自衛権の限定行使に踏み込んだ安全保障関連法案の強行採決を、全国各地で繰り広げられた法案に反対するデモと怒号を越えて信念を貫き通したと、評価している。

安保法制の強行採決は、当時、平和憲法、民主主義に対する侵害だと危機感をもったママたち、憲法学者、若者と多くの市民たちが全国で反対の声をあげ、12万人規模のデモが国会前で行われたにも関わらず、それらを無視して強行したのである。そこのどこに民主主義があるというのだろうか?

さらに記事は、そのときの抗議行動から生れ、その後も反安倍政治のスローガンにもなった「アベ政治を許さない」の言葉に対して、一般市民が首相を呼び捨てにしていると嫌悪感を示めす。挙句の果ては、国会前で「アベ政治を許さない」と怒りの声をあげて抗議する人々の写真に「安倍元首相への罵詈雑言が今回の事件につながった」との説明書き。主権者である国民の声をなんと思っているのかである。安倍政治に対する怒りと抗議の声を罵詈雑言とは誹謗中傷もいいところであり、民主主義的行動への牽制である。

本当に、このどこに民主主義があるのかと改めて怒りが湧いてくる内容記事だった。


時代の流れを反映するのはどちらか?

魚本公博 2022年7月20日

G7先進国首脳会議が6月26日から28日の3日間ドイツのエルマウで開催された。一方、これに対抗した形で、23日に中進国会議と言われるBRICSの首脳会議が中国の司会の下、オンライン形式で開かれた。

この二つの首脳会議の比較、そこから何が見えてくるだろうか。

G7会議では、①ロシア制裁の強化。そのためにロシア産の金の取引停止を決めた。石油取引価格の上限を決める(低く押さえる)ことも討議されたが具体策は決められなかった。②世界的な物価高への対処。しかし、これも具体策はなく「プーチンのせい」としただけに終わった。③発展途上国への援助拡大として27年までに6000億ドル(81兆円)を支出することを決めた。

BRICS会議では、①ロシア制裁に反対を表明し、発表された北京宣言では「ロシアとウクライナの対話を支持する」とある。②覇権主義との戦いの表明。中国の習近平主席は「一部の国が軍事同盟の拡大により、絶対的な安全保障を求め他国の権益を無視して唯我独尊的を大々的にやっている」と米欧を批判し、「BRICSは互いの核心的利益に関わる問題で互いを支持し覇権主義と戦うべきだ」と述べて賛同を得た。③今回の会議では、BRICSの拡大が目指された。習近平主席は「志を同じくするパートナーを早期に加盟させるべきだ」と述べ、宣言に「拡大プロセスの原則、精神、手順を明確化する」ことを盛り込んだ。そして、24日には、計18カ国の首脳とオンライン会談を行った。

この二つの首脳会談を見て思うことは、何よりも先ず、G7という言葉自体である。まるで数カ国の大国が世界の問題を取り決めるかのような言葉を今でも平気で使うこと自体、時代遅れの感をいなめない。それに対して、BRICSは、「一部の国の唯我独尊」を指摘し「覇権主義と戦うべきだ」としてグループとして合意した。

次にウクライナ事態への態度である。G7はロシアが屈するまで戦争継続である。それに対してBRICSは、「ウクライナとロシアの対話を支持する」である。G7の態度は、自分は戦争の枠外にいながら、武器を売って、ウクライナ人に戦いを強いるものでしかないと思う。

次に世界的な物価高への態度である。G7は、すべて「プーチンのせい」だとして制裁強化を言う。しかし新聞などが指摘するように、それは「両刃の剣」で自分に返ってくるものであり、それを続けるというのは、自国国民に苦痛を強いるものとなるのではないか。

次に、広さである。G7は自分たちだけであるのに対し、BRICSは、志を同じくする者を結集しようしており、その賛同者が多いということである。

いずれにしても、G7とは覇権国家アメリカとそれに従う大国のグループであり、そういう存在はもう時代遅れであり、世界の共感を呼ばないということである。プーチン氏は、7月7日、ロシア下院幹部との談話で「米国支配の世界秩序の根本的な破壊の始まりを意味する」と述べている。私は、事態の推移は、その通りに進むと思うのだが、どうだろうか。

G7では結束がうたわれた。それはロシアの天然ガスへの依存度が高い独、仏、伊などの停戦の動きを「ロシア制裁」で一致することで封じたからだ。しかし、今後の推移によっては、欧州は一層の痛手を負うことになる。それでも欧州は米国に従うのだろうか。後進国への経済援助も新聞は「秋波」と表現する。それは世界の米国離れを必死で食い止めようとするあがきにすぎないように思える。

二つの会議が示すことは、最早、覇権の時代は終わったのであり、脱覇権・自主の道こそが時代の流れになっていくだろうということである。


「産官学」一体で進める科学技術開発とは?

森順子 2022年7月20日

国立大学には、いま、さらに「稼げる」研究へと向かわざるをえない深刻な事態にありながら、世界に伍する研究大学に向けて、多様な形での外部資金獲得や、そのための経営体への転換が求められている。国立大は法人化以降、近年、倍増する関連法人の新設が増加傾向にあり、市場のニーズの要請にも応えられやすく、外部資金が入りやすくなるということで様々な分野の法人化事業が増えているということだ。

このような中で、注目なのは、産業界、政府、自治体の要請を受けて「産官学」連携の事業、「バイオ人材」育成事業を展開している国立大だ。「バイオ」といえば、最先端の科学技術であり、世界では、軍、政府、産業界、学術界が一体で取り組んでいる研究だ。また、国産量子コンピューター製作のため量子技術に関する新たな国家戦略の原案を政府は発表し、大学を含む4カ所に量子技術の研究・支援の拠点を整備するという。さらに政府は、国際競争力を高めるため、半導体・蓄電池製造の人材育成に取り組む「産官学共同体」を全国各地につくるという。対象となるのは、大学、高等専門学校、工業高校で、経済産業省や文部科学省、自治体の支援の下、産業界が求める知識や技術を修得し、それに基づいた教育を受け半導体の製造や開発を担う人材の育成をすすめていくという新聞の内容だ。

バイオや半導体の進化、量子コンピューター、これらの進歩は、産業のあり方を劇的に変え、民間の産業から軍事まで、すべての技術を左右すると言われる最先端技術だ。日本の研究力が低下し科学技術が地盤沈下したといわれる今日、このような国家的な事業に、皆、大賛成するに違いない。しかし、いま、日本は、「米中新冷戦」を宣言した米国のよきパートナーとして、軍事と経済、技術開発もすべて力を合わせ、米国の下に統合するしかない厳しい状況にある。そういったなかでの国立大の変化や「産官学」の取り組みは、何のためにあり、どのような意味があるのかということだ。

それが、「米中新冷戦」にあるのは言うまでもない。

中国のこれ以上の発展を抑え、弱化する米IT覇権を強化するための「産官学」一体の取り組みだ。その米IT覇権強化の中核となるのが、科学技術・イノベーションである。それゆえ、「米中新冷戦」の重要な環は、「学」、教育だということだ。 

国立大が、世界に伍する研究大学に向けて経営体の転換が求められている理由は、「産官」と一体になった技術開発、経営体にするためであり、求められるのは、米国との「統合」である。それは、共同開発、共同経営として行われると言われているが、それが、米国の指揮のもとに動くものであるのは間違いないだろう。事実、半導体製造には、基本である設計、製造、素材の部門が必要だが、もっとも重要な核ともいえる、設計は米国が、製造は台湾、素材は日本が担当する。と、いうことは、半導体の肝心なことを修得できず、日本は下請け的な役割を担わされるということではないか。そして、日本の地で開発された科学技術は、米国の経済や軍事に吸い取られていくのではないだろうか。

こうした「産官学」連携のもとで進む科学技術開発事業は、これまでの国立大学としての独自の運営や個性、特色などはなくなり、国立大のあり方自体が、文字どおり転換するということだ。それは、「米中新冷戦」体制つくりを実質的に行っていくということ、それも、より徹底的に強行されようとしている。


【寄稿】デジタル鹿砦社通信2022年7月18日─ピョンヤンから感じる時代の風〈03〉参院選、野党大敗を前にして

小西隆裕 2022年7月20日

参院選、事前に大方予想はついていた。

それに拍車を掛けることになるかもしれない「安倍暗殺」。

自民大勝を告げる選挙速報は、ただ淡々と実務的に流れていった。

■野党は政策で負けていた
いつものことながら、今回の選挙も争点がないと言われた。

だが、いつもと同じだった訳ではない。

自民党は比較的争点になるような政策を掲げていた。

経済は「新しい資本主義」、安保防衛は「防衛費GDP2%へ増」、そして憲法改正。

問題は、これと真っ向から対決する野党がなかったことだ。

正直言って、野党の政策には、この「危機」の時代に対処し、自民党とは違う日本を創るというビジョンが感じられなかった。

これでは勝負にならない。

ここに、野党大敗の第一の要因があったのではないだろうか。

■四分五裂だった野党
自民党と真っ向から対決する路線も政策も持たなかった野党が、その下に統一し団結することがなかったのは必然だった。

特に今回、野党の分裂はいつにも増して甚だしかった。

まず、選挙前の内閣不信任案を野党一致で出すこと自体ができなかった。

出した立民が孤立し、深手を負った。

その上で、前回、前々回の参院選で実現した一人区の野党一本化ができなかった。できたのは、32ある一人区中11だけ。結果は、4勝28敗の惨敗だった。

また、野党間協力どころか抗争がいつにも増して激しかった。

野党第一党をめぐる立民VS維新の抗争は、ともすれば自民党との戦いを超えたものになった。

それに加えて、出馬政党のいつにない林立。

「政権の受け皿」など念頭にも浮かばない有様だったと言える。

■できなかった危機への対応
今度の選挙では、「危機」が異口同音に叫ばれた。

与野党そろって、「物価高騰の危機」、「戦争の危機」を叫んでいた。

しかし、それに対処するビジョンらしきものを提示していたのは自民党だけだった。

だが、その自民も、「危機」の本質を全面的に明らかにしていた訳ではない。

物価高騰、戦争の危機と言った時、人々の念頭にあったのはもちろんウクライナ戦争だ。

そこで問題は、このウクライナ戦争が単純なロシアによるウクライナ侵略戦争ではないという事実だ。

軍事や経済など、「複合大戦」とも言われ、直近では、「第三次世界大戦」の声も出てきているこの戦争の根底には、米欧覇権秩序・勢力VS中ロと連携した全世界脱覇権秩序・勢力の攻防がある。

この世界を二分する攻防にあって、自民党が米欧覇権の側に立っているのは明らかだ。

だが、この米欧覇権の側の戦略戦術自体、霧の中に包まれている。

日本など同盟諸国の軍事と経済を自らの下に統合して自身を強化する一方、中ロなど脱覇権勢力を包囲、封じ込め、排除、弱体化して打ち負かす覇権回復、建て直し戦略の全貌を米国が明らかにするはずがない。

自民党が今度の参院選を契機に打ち出したビジョン、政策がこの米覇権戦略の手の平の上にあるのは言うまでもない。

今、日本に問われているのは、自らの進むべき道を自らの頭、自らの力で選択し切り開いていくことだ。

参院選で示された野党の姿、それは、その反面教師だと思う。

これまでのように米欧覇権の側に明確な自覚もないままに立ちながら、大政翼賛的に自民との争点もつくれず、自分たち相互でいがみ合っていた姿、そこからの脱却こそが求められているのではないだろうか。

■「黄金の三年」に問われていること
これから日本政治の前には、「黄金の三年」と言われる国政選挙のない三年間が横たわっている。

この期間に、ウクライナ戦争に象徴される米欧覇権勢力VS中ロと連携した脱覇権勢力の世界史的攻防は進展し、その米欧覇権側の対中対決最前線、「東のウクライナ」としての日本の面貌は大きく変えられていくのではないか。

そのために、何よりもまず、「新しい資本主義」「防衛費GDP2%」そして「憲法改正」が公約通り実行されていくだろう。

それが日本にとって何を意味しているかは、今、ウクライナの現実が雄弁に教えてくれていると思う。

国政選挙のないこれからの三年をどうするか。

問われているのは、日本の「東のウクライナ」化に反対し、それを阻止する闘いの三年にすることではないかと思う。

これまでの野党政治の荒涼たる廃墟の上に、世界政治の実相を見据え、それに真っ向から相対するビジョンと政策をもった新生日本への新しい運動の構築こそが今切実に求められているのではないだろうか。


“ウクライナ戦争”はいいタイミングで起きた」の意味

若林盛亮 2022年7月5日

■「ウクライナ戦争はいいタイミングで起きた」!?
「“ウクライナ戦争”はいいタイミングで起きた」と言った人がいる。フジ系の「プライム・ニュース」に出演した折木良一・元自衛隊統合幕僚長が日米首脳会談で「対中国・共同対処」のために日本の防衛力強化が合意されたことを受けて、これを歓迎する発言の中でつい出たと思われる不謹慎な放言だ。

反撃(敵基地攻撃)能力保有、防衛費・GDP2%超倍増という岸田政権も心は「“ウクライナ戦争”はいいタイミングで起きた」の思いであろうことは想像に難くない。

これは非戦日本を当たり前のように考えてきたリベラル派の人たち、いや国民には迷惑な話だ。

しかしよく考えてみれば、これまでベトナム戦争、アフガン・イラク「反テロ」戦争など米国の戦争に荷担しながらも「憲法九条平和国家」を名乗ってきた戦後日本のおかしさ、その欺瞞性が“ウクライナ戦争”に乗じて対中対決の最前線を担う「憲法九条否定の戦争国家になる」ことで鮮明にされたのだと、むしろ逆にこれを「いい機会」ととらえて積極攻勢の方策を全国民的議論を起こし考える時が来た、

そうとらえるべきだと思う。

■「いいタイミング」-その意味(1)
今回の参院選での全候補者の演説で「外交安保」問題が二番目に多かったそうだ。“ウクライナ戦争”を受けての世論調査で60%が「防衛力強化賛成」という現実の反映だろう。

これまで「安保防衛問題は票にならない」、つまり国民の関心外だと言われてきた。これが“ウクライナ戦争”で一挙に関心が高まったということだ。

これまで重要な安保防衛政策は、国会や国民の前で議論もされることなく「閣議決定」や「強行採決」で重大な変更が繰り返されてきた。むしろ国民の関心の高まったいま、日本にとって必要な安保防衛政策とは何かを、全国民的議論で選択、決定する絶好の機会が訪れたのだと考えるべきだと思う。

■「いいタイミング」-その意味(2)
岸田政権の掲げる「反撃能力保有」「防衛費倍増」は、米国の日本への信頼を高める、つまり日米安保同盟の同盟国として日本の役割を強める、結局は日米安保同盟強化こそが日本の「安保防衛政策の要」だという認識から来るものだ。“ウクライナ戦争”がそのことをよく示した、というのが岸田政権や自民党の考えだ。

果たしてそうだろうか?

いま「ゼレンスキー疲れ」「ウクライナ支援疲れ」がマスコミで言われる米欧諸国の実態だ。フランスの国会選挙でマクロン大統領の政党の大敗、左派政党や自国第一主義を掲げるルペンの民族主義政党が大躍進という結果はその端的な表現と言われている。米国でもバイデン支持率の急落は「ウクライナ支援疲れ」の米国民の選択だと言われている。

いまや「ウクライナの愛国心が勝つ、ロシアは大敗する」という当初の予想は裏切られつづけている。

ベトナムでもイラクやアフガンでも圧倒的武力装備の米侵略軍を追い出したのは国民の愛国心であり、けっして兵器の優劣ではない。ところがゼレンスキーはSNSを駆使して米欧に「最新兵器を送れ」の督促しかやっていない、彼のSNSが国民の方を向いているように見えない。米欧の国民が「負担疲れ」を感じるのは当然だろう。ロシア制裁の結果は、食糧難、物価高騰として国民に跳ね返ってきたが、これを「ロシアのせいだ」と信じる人は少ない。

「専制主義と民主主義の戦い」という米国の「正義」は米欧日以外の世界では通用しない。ロシア制裁に賛同する国は米欧日のみと言っても過言ではない。これは「中国包囲」賛同も世界で得られないということでもある。

米国がNATOや日米安保で同盟国と図って「ドルと軍事力」で世界を分断支配した覇権専横の時代はもう終わったのだ。

日本を対中対決「最前線」「戦争国」とする安保防衛政策の根本にある「日米安保同盟強化こそが日本を守る」がただの幻想ということが誰の目にも明らかになるだろう。

だから日米安保基軸からの転換、憲法9条基軸の安保防衛政策を全国民的に考える機会が与えられるのだと積極的に考えるべきではないかと思う。

「米国について行けばなんとかなる」そんな「思考停止の時代は終わった」ことが明らかになる、そういう意味で今度の「“ウクライナ戦争“をいい機会に」すべきだと切に思う。


援助と制裁

赤木志郎 2022年7月5日

最近、外交といえば、援助と制裁の乱発だ。6月末に開かれたG7会議で岸田首相は、ロシアにたいする新たな制裁と発展途上国にたいする数百億円のインフラ支援を発表した。その前の米国のインド太平洋経済枠組みの発足に際して、岸田首相はASEAN諸国にたいする日本企業の大型投資を発表している。

結局、岸田外交は対ロシア、対中国にたいする制裁と包囲網作りと、それに参加するようにというASEAN諸国・発展途上国の取り込みのための経済援助に終始している。どちらも覇権の道具になっている。すなわち、どちらも米国の対中ロ新冷戦戦略のためのものだ。

援助をしてくれることを拒否する国はほとんどない。しかし、それがいわゆるヒモ付き、すなわち対中ロ包囲網形成に従えというのは肯く国は少ない。ロシア、中国と密接な関係のある国が多いからだ。だから、もう世界を分断するような戦略に従わない。しかも、札束で頬を殴るような相手国の自尊心を傷つけるようなものであれば反発されるだけだ。実際、これまで日本の援助に第三世界諸国が反発したケースは少なくない。

ロシア、中国、さらに言えば、朝鮮にたいする制裁も、それは相手国を困らせる、音を上げさせるやり方だが、それも効かなくなっている。自力更生で解決していくからだ。そして、制裁した国から日本への憎悪を買うだけだ。

日本が行う援助と制裁が世界の平和と安定に障害をもたらしているというのが、日本外交の姿だ。その原因が米国の覇権のための手先外交となっているからだというのは言うまでもない。

相手国を尊重しその国の発展、友好と平和のためではない、覇権のための援助や制裁がもはや通じなくなっているのが、今日の世界だ。岸田首相が「リアリズム外交」を掲げるなら、その現実を直視し、米国の手先外交に汲々とするのをやめ、真に、世界の平和と安定、発展のために寄与する外交をおこなっていくべきだろう。


投資で貯金を失い無気力に

若林佐喜子 2022年7月5日

これは、読売新聞の人生案内コーナーのある日の見出しである。相談者は20代の無職の男性。人間関係で正社員を辞めた後、何事にも挑戦しようと政府が奨励するNisa(小額投資非課税制度)を手始めに、株、暗号資産(仮想通貨)などをやる。最初は利益が出たが次第に損が膨らみ、取り返そうとして資金が尽き、後の祭りに。自業自得だと気持ちを切り替えようにも失ったお金のことが頭をよぎり、何もする気がおきないということだ。

回答者は、「授業料と考えて下さい。『若いうちの苦労は買ってでもしろ』ということわざもあります」と、答えている。

「政府のお勧めで貯金を失ってしまった人に、随分、簡単に言ってくれるね」という思いとともに、頭に浮かんだのは、先月7日に閣議決定された岸田政権の骨太方針。目玉政策として、人への投資、「資産所得倍増プラン」NisaやIDco(個人型確定拠出年金)の拡充などである。

そもそも、個人投資のNisaやIDcoが注目されるようになった契機は、2019年の麻生金融担当相(当時)の老後資金の蓄えとしての「2千万円問題発言」である。発言に対して、「自己責任でやれということか」と、社会保障、公的年金に対する政府の無責任さに人々の怒りの声が噴出した。しかし、一方では将来に不安を抱く若者らの投資現象を生んだ。政府が、個人投資であるNisaやIDcoに配当金への非課税措置などをつけて積極的に奨励したからである。 

岸田政権は、今回の骨太方針で個人の金融資産を「貯蓄から投資へ」と呼びかけている。最近の経済ニュース解説は、「一億総株主化」、国民に金融リテラシーの向上が求められているとか、そのためには、ドルから金融資産をみることも大切と米国株を奨励する専門家もいる。しかし、34%の人が貯蓄ゼロというのが格差と貧困の日本の現実である。

岸田政権の狙いは、第一は、公的年金に頼らず「老後資金は自助努力でなんとかしろ」ということ。第二は、海外投資家、米国外資を呼び込むことではないでしょうか。

岸田政権は、「何もやっていないのに・・」「新しい資本主義はよくわからない」という言葉を報道などで耳にするが、とんでもないことである。やっていないどころか、「資産所得倍増プラン」は、若者の貯金、気力までをも失わせるものであり、国民の貴重な財産、貯蓄をむしり取り、海外投資家、米国外資にさし出すものである。

果たして、社会保障、公的年金制度をはじめ、人々の老後、子供や若者の未来に責任をもつべき、国、政府のやることなのだろうか!!?


【寄稿】デジタル鹿砦社通信 2022年6月15日
ピョンヤンから感じる時代の風〈01〉「東のウクライナ」・代理戦争国家化する日本

若林盛亮

■「隣国にミサイル基地ができたら?」プーチンの言い分

 「もし米国が自分の隣国にミサイル基地ができたらどうするだろう?」

 プーチンがウクライナに対する「先制攻撃的軍事行動」をとった直後の言葉だ。

 1962年に「キューバ危機」というのがあった。キューバに配備されるミサイルを運搬するソ連軍艦を武力で阻止しようと米艦艇群が太平洋で待ちかまえた。すわ米ソ核戦争勃発! 世界は本気で恐怖した。かのボブ・ディランは「もう君に会えないまま死ぬのかと覚悟した」とイタリア留学中の恋人スーズに手紙を送った。米国の学校では机の下にもぐる核戦争退避訓練をやった。

 結局、ソ連が折れて事は収まったが米国は一戦交えてでもキューバへのミサイル配備を阻止する構えを見せた。プーチンはこのことを念頭にロシアの立場を説明したのであろう。ウクライナのNATO化によって対ロ・ミサイル基地が隣国にできるならロシアは黙っていられるだろうか、と。

 いま日本に中国本土を射程に入れる中距離核ミサイルが配備されようとしている。それはプーチンが言ったロシアにケンカをふっかけた隣国、ウクライナのような国になること、日本の「東のウクライナ」化を意味するものだ。これがいまわが国の現実になりつつあるということを強く訴えたいと思う。

■日米首脳会談合意の「成果」-対中「共同対処」

 5月26日のバイデン大統領を迎えての日米首脳会談は二つの「共同対処」を合意した。 

 これについて自衛隊元統合幕僚長・折原良一氏は次のように評価した。

 「中国を念頭に置いて『共同対処』する認識を共有したことは大きな成果と言える」(読売5/24)。

 折原氏といえば岸田政権の今年度末の国家安全保障戦略改訂に向けた政策提言を行う立場の人物だけにその発言は重要な意味を持つ。

 この人物が「成果」と評価する日米首脳会談で合意された「共同対処」の第一は、岸田首相が「敵基地攻撃能力保有」、防衛費増額を表明したこと、その第二は、米国が日本への核による「拡大抑止」提供を保証したことだ。

 「拡大抑止」とは同盟国への攻撃を自国への攻撃とみなし報復する態度を米国が示すことで「敵国」の攻撃企図をためらわせることを意味する。折原氏の言う今回の「成果」とは「米国の核」を報復攻撃に使う保証を得られたということを指す。

 ここで注目すべきことは、「拡大抑止」の提供、「米国の核」を報復攻撃に使う保証を与えることを改めて米国が強調したこと、これが「成果」とされることだ。そして米国の「拡大抑止」保証との関連で日本が米国に約束した「敵基地攻撃能力の保有」を「成果」としたこと、この意味をよく考えてみる必要があると思う。

■「核抑止100%の保証を得る」覚悟―中距離核ミサイル配備受け入れ

 フジTV「プライム・ニュース」で「米国は本当に核の傘をさしかけてくれるのか?」が論議された。「ウクライナ戦争」の教訓として「米国は自国への核戦争の危険があれば参戦しないということがわかった」からという前提での議論だ。

 ここでは河野克俊・前統幕長の発言が注目を集めた。彼は「米国から核抑止100%の保証を得るべき」としつつ「それはただではすみませんよ」と日本が同盟国としてやるべきことを示した。

 「いずれ核弾頭搭載可能な中距離ミサイル配備を米国は求めてくる、これを受け入れいることです」と。そのためには少なくとも「核持ち込み」は認める、すなわち「非核三原則の見直し」が必要ですと河野氏は国民に覚悟を求める。

 なぜこれが米国から「核抑止100%の保証」を得ることになるのか?

■中距離核ミサイル配備の意味

 中距離核ミサイルとは射程500km以上の戦術核ミサイルを指し、これを中国や朝鮮に近い日本に地上配備、ここを発射拠点とすれば米本土から戦略核・大陸間弾道弾発射の必要がなく米国本土が核戦争被害を受ける心配がない。米国が安全なら「核抑止100%の保証を得られる」というのが河野氏の計算だ。

 すでに昨年、米インド太平洋軍は「対中ミサイル網計画」として、日本列島から沖縄、台湾、フィリッピンを結ぶいわゆる対中包囲の「第一列島線」に中距離ミサイルを配備する方針を打ち出している。

 「軍事作戦上の観点から言えば・・・中距離ミサイルを日本全土に分散配置できれば、中国は狙い撃ちしにくくなる」(米国防総省関係者)。米軍の本音は日本列島への分散配備だ。

 さらに河野氏はこうも言う、「日本独自にミサイルを持つという議論もあるが、まずは米ミサイルを配備させて・・・」と。

 この意味は、まずは「核抑止100%の保証」を米国から得るための「同盟国の義務」として米国の要求する中距離核ミサイル配備受け入れ、すなわち「核持ち込み」容認の覚悟を日本国民が持つことが第一歩だということだろう。

 逆に言えば、これには次のステップ、第二歩があるということだ。

■中距離核ミサイル発射は自衛隊が担う

 首脳会談で岸田首相が約束した日本の敵基地攻撃能力保有を上記の米国の中距離核基地日本配備計画と関連させるとその危険な本質が見えてくる。

 米インド太平洋軍の計画では、米軍自身のミサイル配備と共に自衛隊がこの地上発射型の中距離ミサイルを保有することも求めている、そしてすでに防衛省は地上配備型の日本独自の長射程ミサイル開発を決めている。

 すでに対中ミサイル基地としては沖縄、南西諸島に自衛隊の短距離対艦・対空ミサイル基地があるが、これらが中国本土を射程に入れる中距離ミサイル攻撃基地になるであろうし、日本本土の陸自基地にも米軍が望むように中距離ミサイルが「分散配置」されることになるだろう。

 これはまさに自衛隊が任意の対中(朝鮮)「敵本土」攻撃能力を保有することとなる。

 これとの関連で安倍元首相の持論である「米国との核共有」論を見ていくと、有事には自衛隊の地上発射型中距離ミサイルに米国の核を搭載できるようにするための論理と言える。

 日本の敵基地攻撃能力保有と米国の「拡大抑止」提供の保証、この「共同対処」を合意したことが日米首脳会談の成果とした折原・元統幕長の真意が見えてくる。それは日本が地上発射型中距離核ミサイルの対中(朝鮮)本土攻撃基地となる覚悟を全国民的に迫る根拠を得たということではないだろうか。

■「日本のゼレンスキー」たちの暗躍を許すな

 プーチン大統領は、5月29日、祖国戦争勝利記念日の演説で「ウクライナ戦争はロシアと米欧の闘いである」とした。ゼレンスキー政権下のウクライナは米欧の代理戦争をやらされているということだ。

 いま日本は対中新冷戦最前線として中距離核ミサイル攻撃基地を担う「覚悟」を迫られている。それは「東のウクライナ」・米国の代理戦争国化の道である。

 上述のTV番組で折原氏は「いいタイミングでこの議論ができた」とつい本音をもらした。その真意は、「ウクライナ戦争」でいかに米国の拡大抑止力の保証を得ることが大切か、そのための同盟国としての義務を果たすことの重要性を日本国民が痛感しただろう、そんなタイミングでの国民の覚悟を促す議論ができたということだろう。

また同氏は米軍の中距離核ミサイル配備を受け入れるということは、もしそれを実際に撃てば「相手国の10万、20万ガ死ぬことに責任を負う」覚悟を持つことだとも語っている。「撃てば撃ち返される」が戦争の常識だ。だからそれは「日本の10万、20万が死ぬことを覚悟する」ということでもある。

 いまウクライナでは18歳から60歳までの男子の国外退避を禁じる法律に抗議するSNS投稿への賛意拡大にゼレンスキー政権は神経をとがらせている。それは「ウクライナ戦争」がけっして愛国戦争などではなく米国の代理戦争ではないかと国民が薄々感じ取っているからではないだろうか。

 事が起こってからでは遅い。日本の「東のウクライナ」・代理戦争国化への道、そんな「覚悟」を迫る「日本のゼレンスキー」たちの暗躍を許してはならない。


デジタル鹿砦舎通信  2022年7月4日
ピョンヤンから感じる時代の風〈02〉ウクライナ戦争 ── 真に日本を守るために 小西隆裕

今日、「ウクライナ」を離れて世界はない。日本の参議院選挙も、この戦争にどう対するかが大きく問われていると思う。

◆参院選最大の問題点

今回の参院選で自民党は、公約のキーワードとして、「日本を守る」「未来を創る」を掲げながら、その政策「七つの柱」のトップに外交安保政策を挙げ、「防衛費、GDP2%以上。敵ミサイル発射基地を破壊する『反撃能力』の保有」などを打ち出した。

これがウクライナ戦争という現実を踏まえたものであるのは言うまでもない。

この執権党、自民党の公約に正面からぶつかり、対決して出てきた野党は、残念ながら一つもなかった。

唯一、れいわ新選組のみが「『日本を守る』とは『あなたを守る』ことから始まる」をスローガンに、「日本を守る」ことの意味を問うたが、他の政党は、「日本を守る」を争点にすること自体を避けた。国民民主党に至っては、「給料を上げる」とともに「国を守る」をスローガンに掲げ、自民党案への賛同、同調を表明した。

ウクライナ戦争の真っ只中、日本のこの戦争への態度が問われている今、「日本を守る」を第一スローガン、第一政策に押し立ててきた与党、自民党に対し、真っ向から対決して出る野党が一つもなかったこと、ここに大政翼賛化した日本政治最大の問題点が現れているのではないだろうか。

◆ウクライナ戦争の本質、それが問題だ

ウクライナ戦争に直面して、少なからぬ人々が考えること、それは、西のウクライナに対する東の日本の運命ではないだろうか。そこには、西のロシアとの対比で東の中国の存在がある。

去る2月24日、ロシアによるウクライナに対する軍事行動で始まったこの衝撃的な戦争をロシアのウクライナに対する「侵略戦争」だと見るのは誰も否定しない一般常識になっている。

だが、ここで考慮すべきことがあるように思う。米ソ冷戦終結時米ソ首脳の間で交わされたNATOの東方不拡大の約束だ。それがこの30年間、旧東欧社会主義諸国の相次ぐNATO加盟によって破られ続け、今や、旧ソ連邦の一員、ウクライナのNATO加盟までが日程に上らされている事実だ。

さらにロシアにとって深刻なのは、それがウクライナを最前線にロシアを包囲するかたちで隠然と促進される「米ロ新冷戦」を意味していることだ。

実際、2019年に登場したゼレンスキー政権の下、米国製武器の大量導入と米軍によるウクライナ軍の訓練、等々、軍事、政治、経済全般に渡るウクライナのアメリカ化、ミンスク合意を破棄してのドンバス地方、ロシア系住民への迫害と弾圧など、ウクライナの対ロシア最前線化は急速に進められていた。

周知のように「米中新冷戦」は、トランプ政権の下、2019年、対中「貿易戦争」として公然と開始された。それが、今、「民主主義VS専制主義」の闘いとして、バイデン政権の下、デジタル、グリーン、宇宙など、あらゆる領域に渡り、対中包囲と封鎖、排除などありとあらゆる手を駆使して繰り広げられている。

この衰退、崩壊する米覇権の建て直し戦略が、中国と同じく現状を力で変更する修正主義国に指定されたロシアに対しても、二正面作戦を避けながら、こちらは非公然に隠然と仕掛けられてきていたということだ。

こうした観点から見た時、ウクライナ戦争は、ロシアによるウクライナ「侵略戦争」と言うより、ロシアによって先制的に仕掛けられた「米ロ新冷戦」の「熱戦」化、言い換えれば、米欧が仕掛けられた戦争をウクライナを前面に押し立てて行う代理戦争だと言えるのではないだろうか。事実、この戦争は、米欧がウクライナの背後から武器を供与し、情報宣伝戦を繰り広げるだけでなく、ゼレンスキーの周りを米英の顧問団で固めて行う、ロシア対米欧の戦争の様相を呈している。

ウクライナ戦争の本質と言った時、もう一つ、ロシアに対する米欧の経済制裁とそれをめぐる戦いまで含め、軍事と経済の「複合戦争」という見方がなされている。

実際、エネルギー・食糧大国、ロシアへの米欧による経済制裁は、世界を覆う全般的な物価高の一大要因になっているだけではない。これまでの米国、ドルを中心に動いてきた国際決済秩序など世界経済秩序全体を、そこからロシアを排除することにより、大きく揺り動かしてきている。

そこで今、姿を現してきているのは、古い米欧覇権秩序と勢力に向き合って一歩も譲らない中ロと結びついた新しい脱覇権秩序と勢力の世界地図だ。それは、アジアから中南米、アフリカへと急速に世界の色を塗り替えてきている。


ウクライナ戦争と米英覇権の運命

小西隆裕 2022年6月20日

ウクライナ戦争はロシアよる「ウクライナ侵略戦争」だと言われている。

だがその一方、そうなった原因として、NATOの東方拡大など米英からのロシアへの圧迫があったというのも一つの常識になっている。それで追いつめられたプーチン・ロシアがやらされた戦争、それがウクライナ戦争だということだ。

それを言い換えれば、米英による対ロシア「新冷戦」がその裏にあったと言うことだ。

実際、2017年、米国家安全保障会議で中国とロシアが「現状を力で変更する」修正主義国家と規定されてから、「米中新冷戦」が公然と引き起こされ、欧州では、隠然と「米英対ロシアの新冷戦」が開始された。

この欧州での「新冷戦」の最前線に立たされたのがウクライナだ。

2019年、ゼレンスキーの大統領選出があった後、かねてからあったウクライナのNATO加盟への動きの活発化。ウクライナへの米国製兵器大量導入と米軍によるウクライナ軍の訓練。軍事ばかりではない。政治、経済など全面的なウクライナのアメリカ化。そして、ゼレンスキーによるミンスク合意の破棄とウクライナ東部ロシア系住民に対する弾圧。プーチン・ロシアによるウクライナへの軍事行動は、その上でのことだ。

「米英対ロシアの新冷戦」、その延長としてのウクライナ戦争。実際、ウクライナ戦争は、ロシアと米英、米欧の戦争の様相を呈している。ウクライナは、どこまでも米英、米欧の代理として犠牲にされているということだ。

今、ウクライナで、「兵役拒否の自由」「(成年男子)出国の自由」が問題にされ、ゼレンスキーがそれに対し、怒っていると言われるが、「自由」の主張は当然なことではないか。誰も代理戦争に命をかけたいとは思わないではないか。

米英、米欧との戦争に命をかけるロシア軍と代理戦争をやらされるウクライナ軍、勝敗は見えていると思う。

それは、米英覇権の運命が最終的に尽きることを意味している。


太平洋諸国でさえ米国離れ

魚本公博 2022年6月20日

中国の王毅外相が南太平洋島嶼諸国10カ国を訪問し5月30日にはフィジーで10カ国の外相会合を行った。これは、バイデン訪日で、台湾やIPEFなど対中国対決体制、中国包囲網作りに対抗するものであった。

これを米国が問題視した。4月に、中国はソロモン諸島との経済協力協定を結んだが、そこに安全保障協約があることが明らかになったからである。その詳細は非公開だが、中国がソロモン諸島に建設した港湾へ中国艦船の寄港も許可する内容があるということで、そうなると第二列島線の外側に中国の基地ができると。

しかし、それは米国の見方であり、当事者の側から見れば、どうなるか。

何よりも先ず、見るべきは、南太平洋諸国が中国の経済援助と関係強化を「歓迎」していることだ。テレビの時事番組でも、立派な港湾施設や道路、リゾート地開発の様子が映し出され、現地の人々は「中国のおかげで港や橋や道路が整備され感謝している」と話す。

フィジー会議を前に南太平洋諸国に安全保障協約を締結しないよう書簡を送ったミクロネシア連邦でさえ、外相は王毅外相とのリモート会談で「中国は国の発展に多大の貢献をしている。感謝する」と述べている。

次に中国から見ればどうか。米国が中国を敵視した中国包囲網を築こうとしているのに対して、これを突破しようとするのは、当然のことだ。

それは日本にとっても良いことではないか。日本は今、対中対決の最前線に立ち、グアム島の米軍基地と連動した中距離ミサイル、核ミサイル配備をしようとしている。それは日本を戦場、核戦場にして米国を守るというものになる。その戦略を弱化・無効にさせるものなのだから。

6月10日にシンガポールで開かれたアジア安全保障会議で岸田首相は、中国を念頭に「ルールに基づく国際秩序強化」の重要性を訴えた。しかし、その国際秩序とは何か。それは米国がアジアを統括するという米国覇権秩序ではないのか。

岸田発言にASEAN諸国は異を唱える。シンガポールのリー・シェンロン首相は「民主主義対権威主義という図式にはめ込むのは、終わりのない善悪の議論に足を突っ込むこととなり賢明ではない」と述べた。そこには、経済関係だけでなく、米国覇権に反対すると同時に、米国覇権に追随し、その橋頭堡になろうとする日本への批判も込められている。

その上に「アメリカの海」であった太平洋諸国の対中接近。それは米国が主導する対中対決、中国包囲網の破綻を如実に示す。日本は、こうした現実を直視して、頭からの対米従属を見直すべきときに来ている。


つくられた教員不足

森順子 2022年6月20日

新年度が始まった各地の公立学校(特別支援学校、小中高)では、必要な数の教員が配置されない事態が相次いでいる。約1900校、2560人の不足だという。 

一部の小学校では担任を置けず、中高では授業が行えず生徒の学習に大きな影響が出ているという。新学期が始まって1ヶ月、35人学級の導入などで教員の確保は急務で、校長が

父兄に、知り合いに教員はいませんか、と頼んだり、ハローワークに求人を出す教育委員会もあるというのには驚いた。しかし、今年から新教科書が使われ教員の指導力がカギだと言われていたなか、新しい教育としてスタートした途端、教員がいないとは、信じられない出来事だ。政府の怠慢としか思えない。

文科省は、「採用倍率が低下し、代替教員の確保が難しくなっている。教師を取り巻く環境は非常に厳しい。様々な対策で環境を改善したい。」と言われているが、果たして教員不足の問題は、ここだけにあるのだろうか。

公立学校といっても、「小中一貫校」「中高一貫校」もあるが、ここの教員不足はないようだ。それどころか、全国では公立中高一貫校が増え続けているという。今年、注目されたのは茨城県で、5年間で県内各地域に中高一貫校を16校も設けたという。志願率は4倍以上だ。校長は公募、多分教員もそうだろう。だが問題は、公立中高一貫校が増えると、受験できる公立学校が減少するということだ。公立中高一貫校は、表向きは選択を増やすことを目的に導入されたが、公立高の生徒数の減少が続けば、公立高は、統廃合するか、廃校にするしかない状況に追い込まれるということではないのか。

また、「学校選択制」導入で、公立学校間の格差が拡大している。大阪では、選択されなかった学校は学校や地域の責任だとし、父兄からは、選択制は公立学校の統廃合のため、公費削減が目的だという声が多く聞かれたという。

公立学校を取り巻く環境は、格差と選別によってランクの高い学校だけを残して優秀なエリート教育を実施し、そうでない学校には、正規の教員も配置されず非正規が担うとか、ハローワーク頼みとか、ということではないのか。そして、学校間の熾烈な競争で生き残れなかった公立学校は、徐々に統廃合、廃止を強いられるようになることではないのかと思う。つまり、このような厳しい状況下にある公立学校の教員不足は、公費削減にあるということだ。教員が絶対的に必要な時期に、公費削減という名の教員減らしは正規教員を増やさず、非正規に依存する状況をつくり、そのうえ長時間労働による休職者も多く、教員職は敬遠され採用倍率も低下するようになったということだと思う。

同じ公立でも、慢性的な教員不足を抱えている公立学校と、一方の公立一貫校は増加傾向にあるということは、すなわち、公教育のあり方が変わるということではないかと思う。

そして、教育改革の課題である「6・3・3・4制の見直し」を行えば、小中高の公立学校のあり方、役割は、根本的に大きく変わらざるをえないだろう。

深刻な教員不足問題は、日本の公教育の危機的状況を示唆しているのではないかと思う。


幕末-「アメリカの世の末」

若林盛亮 2022年6月5日

いま戦後世界を支配した「アメリカの世」がぐらついている。「アメリカの世の末」、戦後世界の幕末を迎えているのではないかと私は思う。

団塊世代第一号の私がまだ幼かった敗戦直後の頃、母は私によく言った-「日本はアメリカに負けてよかったんやで」-と。小中学生の頃は映画やTVのドラマに出てくる白亜の家、週末はガールフレンドとドライブなどというアメリカ中産階級の豊かさや自由が羨ましく、母の言葉を納得した。

高校生になる頃には、南部の黒人差別、ケネディ暗殺、ベトナム戦争の米国に「?」を感じ「あくまで明るい」米ポップ音楽にも嫌気がさし、大学生になってベトナム反戦、反安保の闘いに参加するようになった。でも団塊世代の闘いは敗北、日本自体は高度経済成長下の「米国についていけば豊かになる」時代にあったし、その後のベトナム敗戦もあったけれど「アメリカの世」に大きく変わりはなかった。1990年には東西冷戦は終わったが「アメリカの一人勝ち」と言われた。

しかし今日、世界は大きく様変わりした。

3ヶ月を経た「ウクライナ戦争」は、米欧の支援を受けるウクライナが勝つという当初の予想が外れ、「米外交の大御所」といわれるキッシンジャー氏がダボス会議で「二ヶ月以内に停戦しないと米欧が大変なことになる」という事態に至っている。マスコミの伝える「ウクライナ善戦、ロシア苦戦」報道は一部から「大本営発表」と揶揄の声が上がっている。

米国はウクライナに大量の兵器支援をしているけれど、これは「ウクライナ人に戦え」というだけで、この「民主主義守護の戦争」に参加する意思も力も米国にはないことを世界に示した。結局、「停戦しないと大変なことになる」、米欧がロシアに敗戦するような事態に追い込まれている。

またロシアへの経済制裁はかえって自分の首を絞めている。原油や穀物の不足と価格暴騰に象徴される米欧日経済に大打撃を与え、自分自身への「逆制裁」として返ってくるような結果を招くだけだった。

「アメリカの世の末」を象徴するのが「インド太平洋経済枠組み(IPEF)」だ。バイデン訪日の機会に日本を巻き込んで華々しく打ち上げたが誰もこれがいいとは思っていない。

トランプ時代にTPP(環太平洋経済連携協定)から脱退した米国はアジア地域に自分の主導する経済的枠組みを持っていない。対中対決の新冷戦の必要からつくりあげたのがIPEFだ。

肝心の日本の経済界でさえ「経済的メリットが見えない」「最善は米国がTPPに復帰してくれること」と懐疑的であり、アジアから参加を表明した7ヶ国も義理で「おつきあい」してるだけだ。そもそも「中国排除」が目的だから、経済的メリットが「見えない」のは当たり前だ。自由貿易なら日本が主導するTPPや中国主導のRCEP(地域的包括経済連携)でアジア諸国は十分だと思っている。いまや米国は自国民の反対があって自由貿易のための「関税引き下げ」のできない国になっており、IPEFに参加するメリットはない。だからアジアは米国が笛吹けど踊らず。

日本の幕末期に徳川幕府瓦解を決定づけた「長州征伐」戦争があった。幕府のかけ声で全国諸藩から集まった兵力は「烏合の衆」に過ぎなかった。徳川将軍が言うから仕方なく「おつきあい」しただけの幕府軍は数的に圧倒しながら長州軍に敗北、「徳川の世の末」を誰の目にもわかるようにした。

いま米国自身も認めるように「国際秩序の現状変更が進んでいる」。それは何も米国の言う中国やロシアの「力による変更」、覇権主義のためなどによるものではない。「ウクライナ戦争」で米国が世界に呼びかけた「ロシア制裁」にいわゆる「先進国」以外はほとんど誰も加わらなかったように、アジアをはじめ非欧米諸国がすでに米中心の国際秩序に距離を置き始めているからだ。

世界の幕末化、「アメリカの世の末」は誰もが見えるものになってきた。わが国はそろそろ「米国についていけば何とかなる」、そんな戦後日本の「常識」から卒業すべき時に来たと思う。


世界を分断するな!

赤木志郎 2022年6月5日

バイデン米大統領は、民主主義国が専制主義国の台頭により現状変革の挑戦を受けているとし、民主主義国が結束し、専制主義国との戦いを行っていかなければならないと主張し続けている。その対象国は中国とロシアだ。

中国に対しては対中国包囲網である4カ国枠組み(クアッド)や英米豪のオーカス軍事同盟、米英加豪ニュージランドのファイブスター情報網、そして今回、IPEFインド太平洋経済枠組みを発足させた。ロシアにたいしてウクライナ戦争でウクライナへの大量の武器供与で「代理戦争」を行わせ、世界的な対ロ経済制裁をおこなっている。

その結果、ロシアと中国にたいする制裁・包囲網により食糧・資源・エネルギーの供給不足と物価高、サプライチェーンの混乱により世界各国の経済が大きな打撃を受けており、ウクライナ戦乱で幾万人の死者と数百万の避難民をうみだしている。大多数の人々が世界の分断と対立を終わらせ、覇権的秩序でない互恵、相互尊重の友好的な経済秩序と平和を願っていると思う。

問題は、欧米式民主主義を掲げ他国を専制主義国として否定する米国だ。米国は世界を分断し、中ロを弱化させ欧米諸国を米国と一体化させて、崩壊の危機に直面した世界にたいする覇権を回復させようという対中ロ新冷戦戦略をとっている。

そもそも専制主義を掲げている国は存在していない。各国にはそれぞれの歴史と実情に合った政治形態をとっている。君主制の名残を残している国もあれば、ロシア式民主主義、中国式民主主義、朝鮮式民主主義、そして欧米式民主主義などの政治形態がある。どの政治形態をとるかは、各国が決定する問題であり、それに干渉することは内政干渉であり、他国を従わせる覇権そのものだ。

しかし、米国は欧米式民主主義を掲げ、それを基準にして他国を「専制主義国」という烙印を押し非難し、敵対し、制裁や包囲網形成を行っている。欧米式民主主義と異なるゆえ「専制主義」と否定するのは主権の否定であり覇権そのものだ。

米国による欧米式民主主義の押しつけ、世界を専制主義国と民主主義国に分断することに反対し闘うこと、ここに戦乱と敵対を克服し平和を実現していく鍵があると思う。

そうした覇権のために欧米民主主義押しつけの反発が世界に拡がっている。ロシア制裁を行っている国は欧米日など少数だ。今後、ますます非米自主の流れが強まっていくのではないか。日本もその流れを注視し、分断の手先になるのは世界からの孤立していく道だということを知ることだと思う。


「ジョブ型っぽい」雇用の導入、その狙いは何か?

若林佐喜子 2022年6月5日

朝日新聞の5月12日夕刊の「取材考記」で、次のような内容(要旨)があった。

「取材を進めるとジョブ型という言葉が一人歩きする現状も見えてきた。労働政策研究・研修機構の溝口桂一郎所長は『(日本企業で)導入されようとしているのは、ジョブ型っぽいもの。いわば社内ジョブ型・・』と指摘。企業の担当者からは、『ジョブ型雇用とは呼んでいない。(社内向けの)ジョブ型人材マネジメント(管理、調整)』との声が聞かれた。」

確かに、欧州のジョブ型雇用は、職務内容と賃金額は企業横断的に社会的相場が形成され、それに基づいた雇用形態である。会社は職務の必要性に応じて労働者を採用し、労働者は産業別に決められている賃金額、労働条件の適用を受ける。ところが、日本の大企業がやろうとしていることは、社内外から高度な人材、即戦力を確保するために、各企業で職種、賃金を明確に示し、企業内の人材を管理、調節していくものである。

問題は、大企業、政財界の目的、狙いはなにかである。

今、政財界は米中新冷戦の下、IT、デジタル化、グリーン化、地方の活性化への産業構造の転換、そのための人材確保、労働力の移動を図ろうとしている。

経済省は、今後の方向性として①労働者は、知的創造作業に重心を移行、アイディアを生み出す力と実行スピードが要求され、優秀な外国人の積極的な採用が必要。②所得、賃金はスキルポジションから逆算した報酬体系にする。③即戦力となる教育訓練、特に個人が自ら学び直し、自律的なキャリア形成を行う。などを示している。

これらを、実行、実現していこうとしたら、妨げになるのが年功序列・終身雇用の日本型雇用であり、特に大企業の正社員の働き方、雇用が問題視されている。

昨年から、デジタル技術を使った業務変革サービスに力を入れる「富士通」は、最新技術に詳しい人を採用し活躍できるようにしたいと、企業内の職務を重要度などに応じて格付けし給料に反映する、いわゆる「ジョブ型」雇用を導入した。これまで社員は、年功序列に従い、年齢、勤続年数に従って給料が上昇し、定年年齢まで勤めてそれ相応の退職金額がもらえた。しかし、「富士通」では、昨年12月以降50歳以上の幹部社員を対象に早期希望退職が募られ、4%に当たる3031人が応じている。残った中高年社員は新たに格付けされた職務によって賃金が下がることが予想される。若い社員はどうだろうか?これまでは、いろいろな職種を経験しながらスキルを身につけていけば良かったが、即戦力が求められ、絶えず本人負担、自己責任でのキャリア形成、同僚、優秀な外国人との競争が強いられ、与えられた職種で結果が出せなければ、降格、解雇もあり得る。

政財界、大企業のいわゆる「ジョブ型っぽい」雇用の導入の目的、狙いは、これまで日本型雇用にある意味「安住」できていた正社員の雇用の流動化である。いいかえれば、働き手、正社員にとっては不安定化を強いられるということだ。

1990年代後半、財界が日本的経営から株主利益重視の新自由主義グローバル経済、アメリカ型経営への転換を図り、日本社会の大改造、「構造改革」、雇用における非正規雇用の常態化、正規雇用の削減が行われた。

今、さらに、「ジョブ型」雇用の導入によって、アメリカ型経営に日本の経済、国民が完全に組み込まれようとしていることを意味していると言える。


プーチンはなぜ戦争を起こしたのか

小西隆裕 2022年5月20日

去る2月24日、ロシア軍のウクライナ突入、この誰も予想し得なかった事態はなぜ起きたのか。プーチンの狙いは何だったのか。

そこでよく言われるのが、ウクライナの属国化、旧ロシア帝国の復活、等々、いわゆるプーチンの「狂気」だ。民主主義ならぬ、専制主義の国、独裁国家ならではの暴挙、誤りだという訳だ。

しかし、ここでプーチンがこの軍事行動の目的として掲げたウクライナの「非武装化」「中立化」「非ナチス化」を単なるスローガンとして無視してはならないと思う。

実際、この間、ウクライナのNATOへの加盟が促進される中、米国製兵器の大量導入、米軍によるウクライナ軍の訓練などウクライナの対ロシア軍事大国化が推し進められる一方、ロシア系住民の多いウクライナ東部へのファッショ的弾圧など、ウクライナをその最前線とする、米欧による対ロシア包囲、封じ込めが一段と強化されてきていた。

この一連の動きの根は深い。2017年、米国家安全保障戦略会議で中国とロシアが「現状を力で変更する修正主義国家」として規定され、この両国を包囲、封鎖、排除する「新冷戦戦略」が米覇権回復戦略として策定された。ここで「米中新冷戦」が前面に押し出され、「米ロ新冷戦」は、二正面作戦を避けて、表面化されなかった。

2019年、ゼレンスキー政権樹立とそれに基づく、冷戦終結時の米ソ首脳間の約束を破ってのウクライナのNATO加盟促進、2015年に結ばれたミンスク合意の一方的破棄によるロシア人特別区の否定、そしてウクライナの軍事、経済など、全面的なアメリカ化など、米国とウクライナ一体となっての政策が「米中新冷戦」と連動する「米ロ新冷戦」戦略の具現であったのは明らかだ。

こうして見た時、プーチンによるウクライナ軍事介入の目的が見えてくる。

米国を「米対中ロ新冷戦」、二正面作戦に誘い出し、中ロおよび非米欧主権国家群総体の力を結集して米覇権を最終的に崩壊させる、そこにこそあったのではないだろうか。

 先の祖国戦争勝利記念の閲兵式でのプーチン演説にあって、ウクライナ、ゼレンスキーという言葉が一度も出てこず、この戦争がどこまでも欧米との戦争であることが強調されたのは、そのためであったと思う。

実際、今、ウクライナ戦争は、米欧覇権勢力とロシアなど非米欧主権勢力の誰が誰をの最後の決戦的様相を呈してきている。


ゼロコロナ非難の背景、狙いを考える

魚本公博 2022年5月20日

3月末にオミクロン株での急拡大を受けて上海がロックダウンされて以降、日本のマスコミが連日のようにこれを取り上げている。それは、新聞報道の題字だけ見ても「上海封鎖不満爆発」「封鎖に住民抗議」「食糧不足住民疲弊」などと、ゼロコロナが如何に市民生活を脅かしているかを印象づけるものになっている。

そして、「ゼロコロナ死守」「習政権、ゼロコロナに固執」などしながら、「習政権はゼロコロナを実現する強力な防疫体制を一党支配体制の優位性の象徴としてきた。だから政権は、それを止めることはできない」と解説する。

これを見て、思うことは、今、米国が米中新冷戦を打ち出しながら、これを「民主主義vs専制主義」として提起し、中国が如何に専制主義であるかを、香港やウイグル、チベットなど様々な問題をもって攻撃していることである。そのように見れば、ゼロコロナ非難もその一環ではないだろうか。

では、コロナ対策での「民主主義vs専制主義」の現実はどうなのか。米国の感染者は9000万人、死者100万人である。米国に追随する欧州も英国、フランス、ドイツ、イタリアなど感染者2000万人、死者十数万人であり、日本も900万人が感染し、3万を越える死者を出している。

これに対し中国の感染者数は5月末現在で感染者112万人であり死者は5203人である。この数字を見れば、米国が「民主主義」であるとは、とても言えない。そこにあるのは、はなはだしい「人命軽視」であり、逆に中国のゼロコロナは「人命尊重」になっていると言ってもよいのではないだろうか。

ゼロコロナによって、中国は経済も正常に回してきた。上海ロックダウン前の中国の感染者は14万人、死者4638人であった。こうしてコロナを押さえ込み、経済活動も行ってきた。日本のマスコミは上海ロックダウンを契機に中国のGDPが落ち込み、年目標の5・5%成長が4・8%に修正されたことを「ゼロコロナ失敗」として騒いでいたが、米国や欧州、日本の落ち込みは、それをはるかに越える。

これらを見れば、中国がゼロコロナを堅持し、「国民の命と暮らし」を守ろうとした姿勢自体は非難されるべきものではないと思う。未知の感染症など有事の時には国家が前面に出て、その責任を果たすべきだというのは日本でも感染症の専門家が口を酸っぱくして言ってきたことである。

今、日本は、米中新冷戦の最前線に立とうとしている。反撃能力(敵基地攻撃能力)保持や核共同所有、軍事費倍増そして改憲策動など。そのために中国敵視の感情を広く国民に植え付ける。上海ロックダウンを契機としたゼロコロナ批判の背景には、それがあると思う。

ウクライナ事態もそれに利用されている。米国は「民主主義を守れ」「民主主義陣営の結束を」を、と唱えながら、和平交渉をやろうともせず、ゼレンスキーに膨大な武器を渡し、戦わせながら、戦争の長期化を狙っている。

余りの人間無視・人命軽視、それは「少々の犠牲はやむをえない」とするウィズコロナの思考方式と同じものだ。その「少々」で、米国のコロナ死者は100万人を越えた。日本も3万人の死者を出している。その日本が死者5000人の中国ゼロコロナを非難して対中対決の最前線に立とうとする。それを促すマスコミの報道ぶり。その背景、その狙いをよく見なければならないと思う。


就学前時期は「知の源泉」

森順子 2022年5月20日

子どもの知能教育は、何歳児からが適切なのか。

一般的には、小学校に入ってからと考える人が多いようだ。しかし、子どもの知能、素質が開花される時期は就学前にあるという。すなわち就学前の乳幼期こそが、「知の源泉」だと言うことである。この時期に、子どもの意欲や興味を引きだすことによって、能動的思考もでき、知能、資質も開花されるということだ。このような乳幼期に「意欲」や「努力することができる力」の種を与える就学前教育を充実させることが重要ではないかと思う。

現在、教育の大きな変化は、社会の担い手となる人材をどう育てるのかにある。そのために子どもの知的能力をどう伸ばすのか。このことが、今、切実に提起されている。学校や塾では、知能開発のプログラム教材や教授方法など様々な新たな開発が試されているのもそのためだ。だが、「知の源泉」と言われる就学前に質の高い教育の実施は、初等段階での意欲や探求心がさらに高まるだけでなく、子どものその後の人生などにプラスの成果をもたらすことを示している。これ以外に、就学前教育の充実、必要性は、日本の現実からも、切実に求められていると言える。

一つは、義務教育は、国が負担するが、就学前は家庭が負担すべきとなっていることだ。問題は、必要な世帯に子育て支援がなされていないことだ。幼稚園・保育園の就園率は95%という高い水準であることで政府は、何の手だてもなしだったが、数年前、「保育園落ちた日本死ね」という待機児童問題に悩む母親の本音が話題になったことや民間企業の推計では約89万人の待機児童がいることなどが明らかなになったように、質・量ともに投資や保障が十分とは言えない状況だ。このような実態からも就学前教育は、義務教育前教育という観点から捉え見直す必要があるのではないかと思う。

二つ目は、親の経済的地位による学力格差は、小学校低学年の時にはすでに始まっていることも明らかだ。そして、家庭の経済状況による学力格差は、子どもの意欲や将来への希望といったものまで影響している。意欲や希望の格差が就学前や小学校低学年に始まっているのであれば、親の社会経済的地位が生じる前に、質の高い就学前教育を与えることが必要ではないのか。子どもの貧困も極めて深刻な日本、学力格差是正のために就学前教育政策を考えるべきだと思う。 

三つ目は、中学受験が増えているが、今は小学校受験も広がっている。つまり幼児教育から、受験準備が始めるわけだ。しかし、日本の受験システムの問題は、大学だけが、「知」

を生産する場であるかのようになっている。保育園、幼稚園で小学校に入る準備をし、小学校は中学校に行くための準備をするというように、それぞれが一つ上の段階に進むための下請けのような教育を行っているということだ。だが、求められている教育は、「自分で考える教育」「自律性を養う教育」である。そして、その出発点は、「就学前こそが知の源泉」と言われる就学前教育にある。国が質の高い就学前教育を与えてこそ、子どもたちが大きく羽ばたける人材に育つ出発点となるのではないかと思う。


ゼレンスキー礼賛-大政翼賛会化する日本を危惧する

若林盛亮 2022年5月5日

「米中新冷戦の最前線化」進行中のわが国がウクライナ事態でいま「反中」に加え「反ロ」大合唱で大政翼賛会化の観を呈している。かつては「鬼畜米英」いまは「反中反ロ」(「反北朝鮮」はもう既成事実)、これは実に危ないと思う。

マスコミは米英発の「戦争犯罪人プーチン」大本営発表に終始、これに異を唱えれば「非国民」扱い、ロシア料理店までがバッシングされるというのは異様だ。日本の国会がゼレンスキー演説にスタンディング・オベーションで応えると決め、これに異を唱えたのが唯一「れいわ」だけ。政党は与野共に大政翼賛会化されつつある。

非戦を国是とする国民感情からすれば、ロシアの起こした戦争は許せないとなるのは当然だろう。しかしもう少し事態を客観的かつ冷静に見てみる必要があると思う。

元々、ロシアにケンカを売ったのはゼレンスキー、売られたケンカを買ったのがプーチンというのがウクライナ戦争の実相だ。このゼレンスキーを後ろで操ったのが米国だ。

東部ウクライナにおけるロシア系住民の自治と停戦を決めたミンスク合意を「自分が大統領でないときの取り決めだ」として一方的に破棄、ウクライナ語を「公用語」に押しつけ、ロシアが「ネオナチ」と呼ぶアゾフ大隊を動員して「ロシア系住民虐殺」戦争を再開させた。NATOのウクライナへの拡大でロシアを軍事的に挑発したのもゼレンスキーだ。

ゼレンスキーがやっているロシアとの戦争は米国の代理戦争だと見れば、ゼレンスキーは米国の代理人に過ぎない。米国会で「リメンバー・パールハーバー」を言いながら、日本では「リメンバー広島・長崎」あるいは「東京大空襲」には触れなかったこと一つとってもそれは明らかだろう。

なぜこんなことを言うのかと言えば、日本の岸田政権、あるいは大政翼賛会化した日本の政界がゼレンスキーの愚を犯してはならないと思うからだ。

米国からすれば「西のウクライナ」が反ロ新冷戦の最前線だとすれば、「東の日本」は米中新冷戦の最前線の位置にある。

文藝春秋4月号は「専守防衛・非核三原則を議論せよ」(折原良一元統幕長)、5月号は「“核共有”の議論から逃げるな」(安倍晋三)論文を掲載、他方で「平和ボケの時代は終わった」式の議論が盛んだ。日本の「ゼレンスキー」たちはすでに活発に動き始めた。

ゼレンスキー礼賛、大政翼賛会化に異を唱える役割を「れいわ」一人に負わせてはならない、このことを強く訴えたいと思う。


欧米式民主主義国の凋落

赤木志郎 2022年5月5日

現在、ウクライナ事態をめぐってロシア非難の合唱と全面的な制裁と排除がなされている。バイデン大統領は、ロシアの軍事行動後、ワルシャワにて「民主主義と自由を求める長年の闘いの中で現在、ウクライナが自国の存亡をかけて最前線で戦っている。・・・この30年間、権威主義陣営は世界中で復活を遂げている。ロシアは今、民主主義を握りつぶそうとしている。阻止するために、民主主義国家の力を実行に移そう」と呼びかけた。世界を「専制主義国と民主主義国」の戦いとする新冷戦戦略に従って、いわゆる民主主義国の結束をはかり、「専制主義陣営」を倒し、世界支配の復活を企図しているのが、米国の姿勢だ。

その舞台として国連を最大限に利用し、ロシア非難決議、国連人権理事国からのロシアの追放、拒否権発動についての説明義務など決議している。

しかし、ロシア制裁に参加する国は、欧米諸国が主であり、アジアでは日本とシンガポールのみ、とくに人権理事国からの追放決議には賛成よりも反対・棄権・無投票が上回った。アジア、中近東、中南米、アフリカなどの大部分の非欧米諸国は、ロシアにたいする制裁に参加していない。欧州の中でもハンガリーは制裁に反対であり、フランス国内でも制裁反対のルペンにたいする支持が高い。もはや、欧米民主主義国の世界にたいする覇権の力が弱まり、凋落していっていることを示している。

欧米式民主主義は、その内部でも機能しなくなっている。かつてあった保守・リベラルの二大政党制が崩壊し、政党不信・政治不信層が増大し、日本でも無党派層、無投票層が過半近く占めている。「投票しても政治は変わらない」と諦めている人々が多い。米国に至ってはトランプ支持派が選挙結果を受け入れず、議会占拠までするようになった。格差の拡大と経済発展の停滞から抜け出せないまま、巨大ITの登場でさらなる格差拡大と停滞が続くようになっている。

一方、急速に発展しているのは、国の役割を高めている国々だ。中国をはじめこれらの国が欧米諸国を圧倒しつつあるのは周知のことだ。そして、バイデンが言う「専制主義国」は何も「民主主義国」を攻撃したり排斥したりはしていない。米国支配層が危機意識をもち、旧い欧米式民主主義の限界を省みずに、自国第一主義の国を「専制主義国」だと非難し、対抗しているのだ。

結局、「民主主義」を掲げた旧覇権勢力と大多数の自国の強化発展をめざす自国第一主義勢力との戦いが、現在の世界の動きの基調をなしていると思う。

欧米式民主主義が凋落した要因は、「個人の自由の実現」を原理とする欧米式民主主義自体にあると思う。「個人の自由」は、個人の金儲けをする自由、他人を搾取する自由を意味し、そうした社会が弱肉強食の法則が貫かれ富める者がますます富み貧しき者がいっそう貧しくなる社会になるのは必然だ。

個人主義を原理とする欧米式民主主義は、集団の意思を決める際に、個人間の争いを通して多数が少数を従わせるという多数決民主主義だ。それは言うまでもなく、富と力をもつ少数の特権階級が大多数の勤労大衆を支配するための政治方式でしかなく、「自由と民主主義」の名で各国を支配し従わせる覇権の道具になった。その矛盾と害毒性は、新自由主義と国と民族を否定したグローバリズムの席巻により貧富の差の無限の拡大と各国の主権の否定として極度に達した。

だから、各国の反覇権主権擁護の戦いと覇権国内部の勤労大衆の不支持(政治不信の増大)により、欧米式民主主義国が衰退していくのは必然だった。覇権の弱化は各国が自己の意思によって自国の発展を成し遂げようとする志向をさらに強めていく。

集団の意思を集大成し、それを実現するという民主主義は、まず基本的集団である国の主権を守り国の役割を高めることが前提である。その国を否定する個人主義、グローバリズムでは民主主義の実現はおろか超大国の覇権のもとにおかれるしかない。それゆえ、国民の意思を集めて国の意思をきめることを原理とした自国第一、国民第一の民主主義こそが真の民主主義だということができる。

だから、いわゆる欧米式民主主義勢力が衰退し、自国第一主義勢力が日々隆盛し、確固たる時代のすう勢となっているといえる。欧米式民主主義勢力の結束をはかり、自国第一主義勢力を弱体化させ、世界における覇権勢力の復活をはかろうとする米国の新冷戦戦略は実現しえないし、かえって欧米式民主主義勢力、すなわち覇権勢力の墓穴を掘り、滅亡の運命を早める結果しか生まないだろう。


大企業で米国式ジョブ型雇用の拡大、政府が後押し

若林佐喜子 2022年5月5日

デジタル技術を使った業務変革サービスに力を入れる「富士通」は、最新技術に詳しい人材を採用し活躍できるようにしたいと、職務に応じて賃金を決める「ジョブ型雇用」制度を導入。一昨年から国内の幹部社員を対象に職務を重要度などに応じて格付けし、給料にも反映。今年4月から全社員に広げる。その他、通信大手「KDDI」、日立製作所など大手製造業を中心に進められている。(朝日4/1)

ジョブ(職務)型雇用とは? 欧米企業では、一般的な雇用形態であり、会社が職務の必要性に応じて労働者を採用する。賃金も職務が変わらない限りほぼ同じで、社内で職務が必要なくなれば解雇されることもある。特に、米国では、解雇は原則自由である。

現在、政財界は、デジタル化、脱炭素化、地方の活性化を掲げて特に産業構造の転換を図ろうとしている。経済省は、「2050年の未来からバックキャストした今後の方向性」を示している。①労働者は、知的創造作業に重心を移行、アイディアを生み出す力と実行スピードが要求され、優秀な外国人の積極的な採用が求められる。②所得・賃金は、スキル、ポジションから逆算した報酬体系を決定。③働き方は、労働時間に拘わらず誰もが働く場所や時間を自由に選択可能にする。④スキル、学びなおしは、即戦力となる教育訓練受講の機会拡大、特に個人が自ら学びなおし、自律的なキャリア形成を行う。などである。

これらを実行、実現していく上で、日本型雇用が妨げの要因として挙げられている。

実際、経団連は、今年の春闘の指針で新卒一括採用や終身雇用といった日本型雇用システムの見直しを主張。主体的キャリア形成を望む働き手にとって、ジョブ型が「魅力的な制度となり得る」と評価し奨励している。政府も、職務や勤務地、労働時間などを限定した「多様な正社員」が必要とし、厚生労働省は「多様化する労働契約のルールに関する検討会」で報告書をまとめ、労働基準法などの改正を目指している。

大企業のジョブ型雇用の動きの拡大は、政財界が一丸となった取り組みということである。

働く側、労働者にとってどうなのだろうか? 「若い世代は重要なポストにつきやすくなるが年功序列で管理職になっていたような人には厳しい」と言う声が現場から聞かれる。

事実、富士通は昨年12月以降、50歳以上の幹部社員を対象に早期希望退職を募り、国内の会社員の4%が応じている。大手企業では希望退職の募集が相次いでいる。また残った中高年層は新しい職務につくことにより、賃金が下がることも予想される。

若い世代にとってはどうなのだろうか? 確かに重要なポストにつけるチャンスは与えられた。しかし、採用時から即戦力が求められ、採用後は自律的なキャリア形成が絶えず要求され、同僚、優秀な外国人と熾烈な競争をさせられる。結果が出せなければ解雇であり、非常に厳しく不安定である。

1990年代後半以降この30年、政財界は、新自由主義・グローバル経営の導入、経営のアメリカ化で、雇用、社会保障に責任を持たなくなった。具体的には、非正規社員(労働)を生みだし、現在、4割にまで至り、貧困と格差の原因になっている。

今、更に米国式ジョブ型雇用の導入で、「正規社員」の個別化、個人に責任が押しつけられ、中高年層のリストラと賃金カット、若い世代の不安定雇用化が促進されようとしている。


<寄稿文>「救援」 2022年5月 637号-ピョンヤンから「アジアの内の日本」を考える-

「時代は変わる」-ウクライナ事態でわかった世界の実相
ウクライナ事態を受けて、米バイデン政権はロシアとの戦いを民主主義対専制主義という世界の二つの陣営の戦いだと宣言した。しかし世界の実相はどうだろうか?

四月二〇日、G20財務相会議(TV)がロシアも参加してワシントンで開かれた。米国はロシア排除を強力に迫ったが、議長国のインドネシアがこれをはねつけたからだ。ASEAN(東南アジア諸国連合)で米国の強要する対ロ経済制裁に応えたのはシンガポールのみ、これがウクライナ後のアジアの実態だ。

「週刊プレーボーイ」四・一八号掲載のコラム「古賀政経塾」で元経産省官僚・古賀茂明氏がウクライナ事態でわかった世界の実相について書いている。

四月七日に採択された国連人権理事会からのロシア追放決議では米欧を中心に九三ヶ国が賛成、反対が二四ヶ国、棄権が五八ヶ国でこれに無投票を合わせると一〇〇ヶ国となって賛成を上回ったとしながら、これが今の世界の実相であると説いている。特に反対や棄権に回った諸国の中心にBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国)やVISTA(ベトナム、インドネシア、南ア、トルコ、アルゼンチン)と呼ばれる成長途上の新興国があることに注目すべきだと氏は指摘している。当然これら諸国は対ロ経済制裁にも不参加だ。

対ロ経済制裁で危機的状況に陥ったのはロシアではなく逆に米欧日、なかでも食糧、燃料高騰、諸物価高と一二九円の超円安に象徴される日本の経済苦境は著しい。

米国はウクライナ事態を受けてロシアを「深刻な脅威」とし、中国を「最重要の競争相手」とする中ロ二正面の新冷戦体制で世界を「民主主義対専制主義」に分断する覇権回復戦略に出た。米国からすれば「西のウクライナ」が反ロ新冷戦の最前線だとすれば、「東の日本」は反中新冷戦の最前線の位置にある。

文藝春秋4月号は「専守防衛・非核三原則を議論せよ」(折原良一元統幕長)、5月号は「“核共有”の議論から逃げるな」(安倍晋三)論文を掲載、他方で「平和ボケの時代は終わった」式の議論が盛んだ。これらは対中対決の最前線を軍事的に担って日本が新冷戦の「東のウクライナ」になるという議論だ。

日本は米国のお先棒を担いで国を戦禍に巻き込んだゼレンスキーの愚を繰り返すのか。

ウクライナ事態でわかった世界の実相は「民主主義陣営」を自称する米覇権体制側、米欧日の帝国主義諸国専横の時代は終わったことを示している。この世界の現実を直視して日本の立ち位置をしっかり考え直すべきときに来たと切実に思う。

    ピョンヤン かりの会  若林盛亮


「ジェノサイド」問題を考える

小西隆裕 2022年4月20日

ウクライナ戦争の一つの焦点として、ロシア軍による「ウクライナ人大虐殺」が挙げられ問題にされている。

ロシア軍がキエフへの包囲を解いて撤退した後、キエフ周辺のブチャという町の市街に虐殺されたウクライナ人の死体が多数転がっているのが発見されたというのだ。

ウクライナ大統領ゼレンスキーは直ちに現場に急行、それをロシア軍の蛮行だと断言し、間髪を入れず、全世界に発信した。

この報を受けて米大統領バイデンは、これまた直ちにそれを「ジェノサイド」と表現した。ナチスドイツによるユダヤ人大虐殺だ。

ロシア側がそれをウクライナの捏造、でっち上げだと否定しており、その真偽を検証する国際的な調査団がつくられてもいない時にだ。

どうもこの大統領は軽率なところがあるが、これは「軽率」ではすまされない重大問題だ。

そこで私も、少ない資料を基に考えてみたが、腑に落ちない点が一つや二つではない。

まず第一に、ロシア軍が虐殺死体を路上に放置したまま撤退したとするなら、一体その目的は何か。

第二に、死体が発見された時がロシア軍が撤退した3月30日から幾日も経ってからだという。なぜ、その何日間は虐殺問題が問題にされなかったのか。

第三に、虐殺死体の幾つかには白い腕章が巻かれていたと言うが、それは親ロシア派の印だ。なぜ、ロシア軍が親ロシア派の人間を虐殺するのか。

第四に、このような初歩的な疑問が生まれる事件をゼレンスキーやバイデンは、国際的な調査団による検証を待つこともなくなぜ「ジェノサイド」だと直ちに断定し、騒ぎ回るのか。

私は、この「ジェノサイド」にこの戦争に対する米国の姿勢、目的が鮮明に示されているように思う。


「食糧高騰」が問いかけるもの

魚本公博 2022年4月20日

●ウクライナ事態で深刻化する穀物高騰

ウクライナ事態でガソリンだけでなく食糧が高騰している。その中でも穀物高騰が深刻だ。ロシアとウクライナは小麦やトウモロコシの大生産地だからだ。そして、穀物輸送の停滞、米国は農産物売買への制裁はしていないが経済制裁の影響で欧米の銀行は、輸送業者への融資を渋っており、船舶などの穀物輸送が滞っている。

そして肥料問題。リンは一位・中国でロシアは4位。カリは一位カナダだが2位ベラルーシと3位・ロシアを合わせればカナダを抜く。大穀物生産国である米国やブラジルもカリやリンは輸入に頼っており、世界的な肥料の高騰と不足が穀物価格を高騰させる。また石油の逼迫で代替燃料であるエタノールの原料がトウモロコシであることも穀物高騰を後押しする。

元々、穀物価格は、世界的な「食糧危機」が言われ上昇していたところにコロナ禍で輸送が滞り拍車が掛けられた。その上さらに、ウクライナ事態による高騰、こうした状況の中、日本では、食の安全保障、自給率向上を求める声が高まっている。何しろ、日本の食糧自給率はカロリーベースで37%(穀物に限れば28%)に過ぎず、175の国と地域の中で124番目、先進国27カ国中26番目という低さだからだ。

●危機感なき政府の姿勢 

しかし政府は、この問題に真剣に取り組もうとはしていない。2月に策定された「経済安全保障推進法案」でも、中国製品の締め出し、サプライチェーンの脱中国など中国を対象にしたものであり食糧はまったく触れられていない。ウクライナ事態後も特別な対策はとられていない。

何故こうなのか。これまでの食糧政策が米国依存であり、米国覇権依存であり、そこに安住してきたからだ。日本の穀物輸入では、米国からの輸入がトウモロコシ81%、小麦51%、大豆69%と大半を占める。また米国覇権の下で、ロシアもウクライナも安い穀物生産・輸出国に甘んじることを余儀なくされてきた。そうした中で、これまでは「お金を出せば買える。それが一番安くて効率的だ」ということが通用してきた。

しかし、それが通用しなくなっている。それを見越したかのように、各国は食糧確保に走っている。ロシア、ウクライナも穀物輸出を規制しているし、アルゼンチン、ハンガリー、インドネシア、トルコなども食品の輸出制限を発表した。中国も食糧確保(輸入拡大)に乗り出している。

そこで日本は「買い負け」している。急激な円安もそれに追い打ちをかける。今回の円安は、経常収支の赤字など日本の経済力低下から来る根底的なものだと言われる。もう「お金を出せば買える」状況ではないのだ。

●食の米国依存、米国覇権依存を見直すとき

こうした中、日本は米国覇権を支えるのに必死だ。米国の言う米中新冷戦の最前線たらんと敵基地攻撃能力保持や核の共同保有などを叫んでいる。それで本当に日本の安全が保障されるのか。それで食の安全が保障されるのか。

ウクライナ事態による穀物高騰は、食糧という「生」に直結する問題をもって、今までのように、米国に依存し、米国覇権に依存してやって行くのか、やって行けるのかを問いかけている。

「急激な円安」も、エネルギーや食糧の極めて低い自給率という日本経済の根本的な弱さを見ての円売り、日本売りではないだろうか。

日本は、日本に合った形で、主体的に食の安全を確保し、自給率を高めていくべきだ。自給率100%の米食を重視し、コメを飼料にした、こめ豚、こめ鶏、こめ卵などの生産を拡大する。カリやリン肥料も有機農法でかなり解決できる。こうした自然循環型農業を発展させ、スマート農業で後押しする。農作業の省力化・無人化などで農業就業人口の高齢化問題も解決し、小麦やトウモロコシの生産も増やす。年間2000万トンに上る食品ロスもなくす。そうした抜本的な農業政策、食糧政策が問われている。そのためにも先ず、米国依存、米国覇権依存を止めなければならないと思う。


「歴史総合」新科目の狙い

森順子 2022年4月20日

今年4月から、「歴史総合」という新科目が、高校の必修となったが、どんな科目なのか。

教科書の執筆者の一人である歴史学者の成田氏は、このように言われている。

「これまで世界史と日本史に分かれていた歴史科目を、18世紀以降の近代史として、『総合』した形で学ぶ新科目です」と。また、「これまでの日本史の教科書のような、一国だけの歴史(ナショナルヒストリー)ではない。日本と世界をグローバルヒストリーとして学ぶことに主眼がある」そして「世界的な相互関係のダイナミズムから歴史をとらえます」と。

すなわち、この「歴史総合」科目は、歴史を日本史としては教えず、18世紀以降からの世界史として、「近代化」「国際秩序の変化」、「大衆化」、「グローバル化」の3編からなるテーマ史として教えるようになっているらしい。

ここで問題は、歴史を日本史としてではなく、世界史としてとらえていることである。言い換えれば、歴史を日本と世界の歴史、グローバルストーリーとしてとらえると言いながら、その基軸をどこまでも日本ではなく、世界に求めているということだ。

日本の教育は、現在、「新冷戦体制」の下での教育のグローバル化が進み、グローバル人材育成を目的とした教育改革がすでに始まっている。そのなかの歴史教育改革での基本が、この「歴史総合」科目であり、「戦後の歴史教育の大きな転換になる」と言われている。この意味することは、自分の国を基本にして観る歴史を、世界を基軸に観る歴史にとらえ直し、日本の独自の歴史、日本の歴史事実をなくしてしまうということではないのか。歴史の基軸を世界史、特に欧米、近代史に置くことにより、日本の歴史、「日本史」を欧米史の中に溶解させて、自分の国という観点をもたない人材を育成すること、すなわちグローバル人材育成のための歴史教育改革だと言える。

しかし、グローバル人材は、あくまでも日本のための人材であり、日本のためのグローバル人材を育てなければならない。

英語、IT技術、幅広い知識や教養を備えていることは、グローバル人材としてもちろん必要だろうが、日本のためのグローバル人材と言うとき、まず重要なのは、日本人としての自覚を持った人材、日本人としてのアイデンテイテイを持った人材、そして、自分の国を愛し、日本のため日本の未来のために尽くす意志をもった人材である。とくに今、このような人材として育てることが求められているように思う。そして、このような日本のためのグローバル人材は、自国の歴史を知るだけでなく、それを世界史の関係で広く深くとらえられ、自分の国の未来を世界史は発展との関係で考え、そのために働くことができる人材でなければならないということだ。

それゆえ、日本のグローバル人材育成如何は、自国の歴史をどのようにとらえ教えるかにかかっていると言える。とくに、未来を背負っていく世代に正しい歴史認識が基礎とならなければならず、そのためにも自国の歴史を知り分かるようにすること、それだけではなく、主体的にとらえ考えられるようにすることが、日本のためのグローバル人材育成のために切実に必要なことではないだろうか。


「東アジア不戦推進プロジェクト」、その成功の鍵は?

若林盛亮 2022年4月5日

2022年2月22日22時22分22秒、この「2」が12個並ぶ千年に一度の特異日を期して、東アジア各国首脳が「少なくとも東アジアを戦争のない地域にする」という宣言を共同または単独で同時に発信する、これを戦争を体験した最後の世代と言える18人が提案するという企画があった。

提案者は、明石康氏(元国連事務次長)ら外交官、故瀬戸内寂聴、沢地久枝、千玄室氏(裏千家)ら文化人、東大や早大の元総長ら学者、変わりどころでは山岳スキーヤーの三浦雄一郎氏など80代、90代の戦争体験者の方々だ。

この企画は残念ながらコロナ禍のため人的交流が制限されたために準備ができず、この日には実現はできなかった。でも諦めずこれを再出発させるという。

私が注目するのはこの世代の方々の意地もさることながら、この企画が単なる「理想」を謳うだけのものじゃないことだ。実現できるもの、現実性のあるものとして追求され構想されていることだ。

実現可能性の一つは、東アジアに地域を特定したことだ。

不戦推進可能な地域の実体として「ASEAN(東南アジア諸国連合)+3(日中韓)」を念頭に置いている。これは十分、実現可能な地域だ。

その第二には、不戦を可能にする「対立超克の理論」が打ち出されていることだ。これがなければ不戦推進は絵空事になってしまう。

戦争の原因となる国家間の対立はどの地域にも多かれ少なかれある。この対立を「超克」する方法は、「対立しているもののもう一つ高い次元に立つことだ」とする「理論」にあるとして、これを探そうと模索されている。

果たしてそんなものがあるのか? 私はあると思う。

国家間対立は主に宗教や理念の違い、社会制度の違いから来る。個々人の自由と平等が保障されるように国家間でも宗教、信条、さらには社会制度の選択も決定も各国の自由だ。でもこれらの違いは下手すれば対立の要素となる。過去には宗教戦争が、近年には体制間対立、米ソ冷戦があった。ここでの教訓は、自分の宗教や制度を他人に押しつけてはいけないということだし、さらには各国の国民が選択、決定した宗教、理念、社会制度を互いに尊重することが重要だろう。

この「対立超克の理論」は、すでに東アジアで構想、実践され、その生命力が証明されている。

1967年にインドネシアでASEAN首脳会議が開かれたが、域内諸国の平和関係維持のための「主権尊重、内政不干渉」などを原則とするTAC(東南アジア友好協力条約)が調印された。いまもこのTACはこの地域に生きている。

現在、ミャンマーやタイの軍事政権が欧米から制裁圧力をかけられているがASEAN諸国は「懸念」を表明しても、「非難」や「制裁」とは一線を画している。進行中のウクライナ事態に対しても欧米・日のような「ロシア非難」とは一線を画し、ロシア制裁にも距離を置いている。「対決、対抗ではなく協力と対話の地域にする」ことを原則とするからだ。

このASEANの掲げるTACの原則「主権尊重、内政不干渉」が国家間の対立、抗争を「超克」する「理論」の核心になるのではないだろうか。

だから東アジアでこの「不戦推進プロジェクト」の提案が実現する可能性は高いし現実性のあるものだと思う。ASEAN以外の「プラス3」の日・中・韓がこのTAC原則を名実共に受け入れればよい。

ここでいちばんの問題は日本だろう。TACに署名はしたが実際の行動は真逆だ。

現在、わが国が主導する「インド太平洋地域構想」によって、東アジアを米中対決の対立抗争の地域に変え、「対中姿勢」如何でアジアを分断しようとしている張本人だからだ。

この東アジア不戦推進プロジェクトが目標を達成しようとすれば、まずわが国でこの問題をクリアすることが第一の課題になるのではないだろうか。


覇権のための経済秩序か、主権尊重の経済秩序か

赤木志郎 2022年4月5日

現在、ロシアのウクライナへの軍事行動により、世界秩序の大きな転換が起こっている。その一つが、米国主導の経済制裁がもたらしている国際経済秩序の転換だ。

周知のように、ウクライナ問題をめぐってロシアにたいする全面的な制裁が欧米諸国からかけられている。資産凍結、航空機乗り入れ禁止、金融決済からの排除、多くの物品の輸出入禁止、それに伴う進出企業の撤退など全面的だ。それは、ロシアのみならず世界経済に深刻な影響を及ぼしている。

制裁そのものはロシアに打撃を与えることになるが、その方法は相手国の息の根を止めようとする兵糧攻めという戦争行為だ。さらに、米国は中国が制裁逃れの抜け道になる可能性があるとして、中国にたいしロシアを支援すれば同じように制裁を加えると脅かしている。これにたいし、中国側は「制裁は庶民を苦しめるだけ」と制裁そのものに反対した。実際、そうである。制裁は経済の混乱と停滞、物価高など庶民の暮らしに直接、打撃を与える。

今回、経済制裁が対象国に一定の経済的打撃を与えているだけでなく、米国などの覇権経済をも破壊的な影響を与えていることが特徴となっている。

ロシアがガス代金支払いをルーブルでという義務を課し金融制裁を揺るがし、原油・天然ガスの輸入制限と小麦、鉱石などの輸入縮小で、欧米日諸国における経済的混乱と物価高、とくにロシア・ウクライナに小麦粉輸入を依存する中東諸国などが大きな打撃を受けている。欧米による制裁がこれまでの世界的な経済秩序そのものを破壊しているのが現状だ。

また、制裁を受けた場合、大抵はそれで参ってしまうのではなく、いっそう戦意を高め制裁に耐える経済をつくろうとする。その典型が、今日、世界でもっとも制裁を受けている朝鮮だ。ミサイルと人工衛星を打ち上げただけで制裁を受ける不当なものだ。日本もこの制裁に加わっており、すべての生産物の輸出入禁止、在日朝鮮人往来の制限など課している。すなわち、米国と日本は朝鮮にとっては自国を窒息させようとする敵対国だ。これにたいし、朝鮮は自力更生の道を選び奮闘し、かえって社会主義建設を軌道に乗せてきた。

ロシアが自らの道を進めていくためには、軽工業部門の発展に力をいれ自力更生の道を選択する一方、友好国との関係を強め、欧米の国際秩序と異なる、主権を尊重したうえで友好・協力関係を深める別の国際秩序を作っていくことになろう。すでに中国は天然ガスなどの購入を決め、協力関係を強化し、ユーラシア同盟、上海機構、中国との一帯一路があり、欧米以外のインド、ブラジル、ミャンマーなど個別的にロシアと密接な関係があり、いわゆる発展途上国の大多数がロシア制裁に加わっていないことが、その可能性を示している。

欧米の制裁は対象国に一定の打撃を与えるが、それでロシアが屈服することなく、かえって自国式の経済社会を発展させ、結局は、欧米の覇権のための経済秩序と異なるまったく新しい反覇権の経済秩序を生み出すという結果にいたるだろう。


岸田政権で浮上した「勤労者皆保険」 

若林佐喜子 2022年4月5日

先月、岸田政権で設置された、「全世代型社会保障構築会議」の第二回会合が開かれ、雇用形態にかかわらず加入できる「勤労者皆保険」の実現をはじめ6分野の論点が示された。

雇用形態に関わらず加入できる「勤労者皆保険」とは、その狙いは何か?

岸田首相は、昨年10月の所信表明演説で「・・兼業、副業あるいは、学びなおし、フリーランスといった多様で柔軟な働き方をしてもセーフティネットが確保されること。働き方に中立的な社会保障や税制を整備し「勤労者皆保険」の実現にむけて取り組む。」とした。

近年、AI、デジタル化とコロナ禍のなかで、ネット経由で単発の仕事を請け負う、ギグワーカーという雇用主をもたない働き方が普及、増大している。料理宅配サービスの配達員、デザインや事務、家事代行などを請け負う人たちである。体力と一定の技術があれば好きな時間だけ働け、収入は本人次第ということである。しかし、彼らは、雇用契約を結ぶ労働者と見なされず、健康保険や厚生年金などには加入できない。最低賃金や雇用保険の失業手当といった労働関係ルールもほとんど適用されず、彼らの権利保護が問題になっている。

一方でこのような働き方を政財界が、個人が組織にしばられない多様で柔軟な働き方として積極的に奨励しているのが現実である。

1990年代後半以降、政財界は、新自由主義・グローバル経営の導入で、雇用、社会保障に責任を持たなくなった。具体的には賃金の高い正社員から安い非正規社員(労働)に置き換える動きを加速させ、現在、非正規社員が労働者の4割に達するまでになっている。さらに現在、デジタル化、効率化の中で、政財界は、社員から自由契約、無所属のフリーランスに置き換える動きを加速させている。これまでは、新卒の学生を採用して様々な業務を経験させて幹部社員に養成する「メンバーシップ型」であったが、今は、即戦力が求められ、核となる知識労働者のみ正規雇用で、その他は外注化、必要な技術者を必要な時間だけ契約すれば良いということである。

EUの欧州委員会では、ギグワーカーの権利を守るため労働者の規定基準を広げてプラットフォーム企業が責任を負うように法改正をして対応している。

日本では、雇用形態にかかわらず加入でき、働き方に中立的な社会保障、「勤労者皆保険」の実現ということである。予想されるのは、現在、労災保険については一定の業種や職種の自営業者たちも特別加入できる制度があり、この制度の拡大と考えられる。加入は任意で保険料は全額自己負担である。全額本人負担であるなら民間保険と変わらず、雇用、社会保障に対する国の責任を否定するものである。実際、どのようなものになるのか注視していきたい。

ところで、先日、読売新聞(3/27)で興味深い記事を目にした。全国世論調査で、日本の経済格差を深刻・ある程度深刻が84%。具体的な格差として職業や雇用形態、正規と非正規がそれぞれ84%。更にそれらの原因、責任を政府(49%)、企業(20%)に求めていた。特に興味深かったのは、日本の社会保障のあり方を「国民の負担を少なくした上で、社会保障など行政サービスを手厚くする」ことだった。国民は、「助け合い」自己責任ではなく、国の責任、負担を求めているのだと改めて思いを強くした。


【寄稿】「救援」 2022年4月 636号-ピョンヤンから「アジアの内の日本」を考える-

新冷戦の最前線-「西のウクライナ」、「東の日本」を考える

いま日本の新聞、TVは連日、プーチン非難のウクライナ報道でオミクロン株蔓延事態も吹っ飛ぶ大騒ぎだ。義勇兵志願が話題を呼び、政府は防弾チョッキ支援だとか「ウクライナ支援」熱でいっぱいだが、今回の事態は「支援」などですむような他人事だと言えるだろうか。日本人としてもっと主体的に考えるべきことがあると思う。

米国の推進する新冷戦体制構築が招いたものという視点から見れば、今回の事態がわが国にとってけっして他人事ではないことが見えてくる。

プーチン・ロシアのウクライナ侵入を引き起こしたそもそもの原因は、米国の推進するNATOの東方拡大にあり、その究極にロシアと国境を接するウクライナにロシア敵視のミサイル基地が建設されることにある。これに対し「中立化、非武装化」を求めたプーチン・ロシアの回答というのが今回のウクライナ事態だ。

米国は2017年末の米国家安全保障戦略改訂で、現状変更を企図する「修正主義勢力」として中国とロシアを位置づけ、その後、米国の覇権的地位を脅かす大国、中国を「主敵」と見立てた米中新冷戦体制構築を米国の覇権国際秩序回復の生命線とした。

中国と同時にロシアを敵に回す二正面作戦を避けながらも米国はゼレンスキー政権をしてウクライナを「対ロシア対決の最前線」とするNATO東方拡大策動をやめなかった。その愚をついたのが今回のプーチンのウクライナ軍事侵入ではないだろうか。

他方、東の日本を「対中対決の最前線」と米国は位置づけ、安倍や麻生は早くからこれを担う「政治家の覚悟」を説いていた。「台湾有事の安保協力」はその最たるものだ。

さらにはウクライナ事態を受けて安倍は米国との「核共有論」、「核持ち込み容認」・非核三原則見直しを議論すべきだと言い出した。米国が中距離核ミサイルを日本列島から奄美、沖縄、南西諸島へと続くいわゆる第一列島ラインに配備することを求めているからだ。

岸田政権は今年度中に国家安全保障戦略改訂を行い、敵基地攻撃能力保有を認める方針だ。おそらく非核三原則の見直し議論にも踏み込むだろう。非戦、非核の国是まで放棄する、対中対決、日米同盟重視のために。ゼレンスキー政権以上の超攻撃的姿勢だ。

ウクライナ事態に対してASEANはじめ東アジア諸国は「ロシア非難」の対決路線に一線を画している。東アジアを「対抗ではなく協力と対話の地域に」が信条だからだ。

 わが国はロシアとの対抗、対決に踊らされたウクライナの愚を犯してはならない。いまこそ「アジアの外」から脱し「アジアの内」の日本を構想すべき時に来ていると思う。

              ピョンヤン かりの会  若林盛亮


「力による現状変更」

2022年3月20日 小西隆裕

近頃よく聞く言葉に「力による現状変更」なるものがある。

直近で言えば、ロシアによるウクライナ軍事攻撃などはその最たるものだ。

力で現在ある秩序を変えると言うことだ。

国際問題を見る時、それがやってはいけないもっとも重要な基準にされている。

そこで問題になるのは、何が「現状」なのか、変えてはいけない「現状」とは何かだ。

そうした中、暗黙の了解にされているのが「国際秩序」という名の「米覇権秩序」だ。

最近、中国やロシアをはじめ、「現状」を力で変更する輩が横行してきている。けしからんということだ。

しかし、そもそも「米覇権秩序」を変えるのがそんなに悪いことなのか。

例えば、「自由」とか「民主主義」とか言っても、米国式自由、米国式民主主義が真の自由、民主主義だと言えるのか。

自由と民主主義の国、米国で、規制という規制を取り払った「自由」、新自由主義から生み出されているのは果てしなく拡大する格差であり、これ以上にない「民主主義」制度に基づく政治が「1%のための政治」「分断政治」になっている。

もはや米国式自由と民主主義は普遍的価値でもなんでもなく、米国の権威と力は覇権国家としての絶対性をはなはだしく欠くものとなっている。

こうした現実にあって、「力による現状変更」はもはや国際政治の基準としては、甚だしく、その的確性を欠くものになっていると言えるのではないだろうか。 


①「ウクライナ事態」、何が問われているのか

2022年3月20日 魚本公博

ウクライナ事態を受けて、これまで平和日本」の国是とされてきたものがどんどん崩されていっている。非核三原則、専守防衛、武器輸出三原則などなど。

非核三原則では、安倍元首相や維新の会が唱える「核の共同所有論」が唱えられている。その論理は「ウクライナは核を放棄したから侵略された。日本はNATOのような『核シェアリング』を取り入れて、非核三原則(持たず、作らず、持ち込ませず)の『持ち込ませず』を放棄すべきだ」と。

武器輸出三原則は、武器輸出は原則禁止としたものだが、これはすでに2014年に防衛装備移転三原則に改められ、「紛争地には移転しない」などの制限を加えながら輸出を許容するものになっていた。そして今回、ウクライナに防弾チョッキやヘルメットなどの「支援」が行われた。

専守防衛では、それでは日本を守れないということが言われ、さらには9条では日本を守れないとして改憲の動きが強まる事態になっている。

「平和日本」の見直し。ウクライナ事態をロシアの侵略という側面からのみ見ればそうなる。しかし、ウクライナ事態は、ウクライナのNATO加盟、すなわちNATOの東方拡大が生んだという側面があることを見逃してはならないと思う。そして、それが根本原因ではないだろうか。

NATOの東方拡大は、米国の覇権戦略であることは論をまたない。そうであれば、「平和日本」を崩そうとする者たちは、米国覇権戦略を支持し、米国覇権に頼り、米国の核の傘の下で生きていくことを望み、渇望するような者たちだということだ。

今後、事態がどのように進展するかは予断を許さないが、米国のNATOの東方拡大戦略が頓挫したことは確かであり、その最終的な失敗が明らかになっていくのではないだろうか。

歴史は発展し時代は変わるのであり、大国が覇権を行使できるような時代ではない。もし、ロシアが何らかの覇権を考えているのであれば失敗を免れないのであって、事態は脱覇権の方向に進むのではないか。

今後予想されるのは、世界経済の混乱である。すでに石油・天然ガス、小麦、トウモロコシなど食糧の高騰が起きている。中国がこれを買い取り、決済も元やルーブルで行うようになれば、ドル基軸通貨体制にも風穴があく。全般的な物価高が進み、生産は停滞する。

それは、「核とドル」による米国覇権秩序の失墜・失敗・崩壊を如実に示すものとなる。それでも米国覇権を信じ、どこまでも米国に従って生きていくのか。そして「平和日本」を崩していくのか。ウクライナ事態で問われているのは、そのことだと思う。


②「核の共同保有」とは一体何なのか

2022年3月20日 魚本公博

ウクライナ事態を受けて「核の共同所有」(核シェアリング)論議が起きている。安倍元首相は「核共有を議論すべき」。日本維新の会は、「核共有の議論開始を政府に提言する」。高市政調会長「核兵器を『持ち込ませず』の原則について自民党内で議論したい」などと。

その論理は、安倍氏によると、ウクライナが侵攻されたのは核を放棄したからであり、NATO加盟国が採用している「核シェアリング」について、日本も議論すべきであり、非核三原則(持たず、作らず、持ち込ませず)の「持ち込ませず」を放棄すべきだというものだ。維新も「非核三原則は昭和の論理だ」と言っている。

先ず言うべきは、唯一の被爆国であり、非核を国是とする日本において、共有であれ何であれ核保有を云々することは非核を願う日本国民への挑戦であり、許されない暴言だということだ。

その上で、NATOの「核シェアリング」とは、どういうものかである。軍事評論家の前田哲男氏は、「米国とNATO加盟国が冷戦時代から取っている体制です。核を保有しないNATO加盟国に米国の核を配備している。欧州各国のパイロットは核投下の模擬訓練も受けています。ただし、核を管理する権限は米国にあり、有事の際に使用するかどうかの決定権も米国にある。シェアした国が勝手に使えるわけではない。レンタルとは違う」と述べている。

管理も決定権も米国にある「核シェアリング」とは、徹頭徹尾、米国のためのものであり、「共同保有」すれば日本の核になるかのような論理は、そもそも成り立たない。

NATOの「核シェアリング」は、冷戦下で当時のソ連が欧州を射程に納める中距離核を配備したことに対抗して、1979年に米国が欧州に中距離核ミサイル・パーシングⅡを配備しようとしたことに始まる(80年代初頭に配備)。

この時、欧州では「欧州を核戦争の戦場にするのか」との怒りの声が高まった。しかも、それは欧州を犠牲にして米国本土を守るものとして受け取られた。こうして未曾有の欧州反核運動が起きた。

「核の共同保有」論も全く同じことだ。それは、「日本を核戦争の戦場にするのか」「米国を守るために日本を犠牲にするのか」というものなのだ。

今、日本では敵基地攻撃能力保有の動きが急だ。昨年7月に米国のミリー統合参謀本部議長は九州・沖縄-フィリピンを結ぶ第一列島線に沿って対中ミサイル網を構築する計画を公表した。そのミサイルに核を搭載すれば、「パーシングⅡの悪夢」の再来であり、安倍氏らの動きは、この米国の意図に従うものとなっている。

ここで問題にしたいのは、米国の核を「共有」すれば、日本の核になると考える、「核共有」論者の思考方式である。それは、「米国に言われたことが自分の考え」であり、「米国と日本は一体」と考える者の頭からしか出てこない思考方式ではないだろうか。

時あたかも、米国は、米中新冷戦を唱え、日本を中国との対決の前線に立たせようとしている。そして、新駐日大使エマニュエル氏が言ったように「日米経済の統合」を進めようとしている。それは日米の融合一体化であり、日本が米国の一部になるような、そういう統合である。

日本が、そのような国とは言えない「国」になれば、確かに、米国の核は日本の核のようになり「核の共有」も成り立つ。結局「核の共同保有」論者とは、日本が米国と融合一 体化することを自分の意志として熱望する、そのような者たちということになる。

非核三原則について言えば、米国の核の傘の下に居ながらの「非核」は矛盾している。事実、「もちこませず」とは言葉だけで、現実的には、密約によって、沖縄にも、横須賀の米国艦船にも、核は持ち込まれている。それは、米国高官がしばしば公言してきたことでもある。

あるのに、ないと国民の目を眩ましてきた「非核三原則」。「核の共同保有」を進めようとする勢力に対し、真に非核日本にするためにはどうすべきなのか。そもそも米国の核の傘の下で生きるというということが正しいのか。ウクライナ事態の中で親米論客でさえ「米国は弱くなった」と慨嘆する時代にあって、そのことを真剣に考えなければならない時に来ている。

「核共有」論者は言う。「議論しよう」と。やろうではないか。これまで、国民の目を眩ましてきた問題をおおっぴらにし、日本国民の非核の願いを背景に、「核の共同保有」などという正義性も論理性もない論を粉砕し、敵基地攻撃能力保有や改憲の動きをうち砕かなければならない。


10兆円大学ファンドー日本のためなのか?

2022年3月20日 森順子

岸田政権が、菅政権から引き継いだ10兆円規模の大学ファンド。

この大学ファンドは、日本の研究力低迷の現状にあって、科学技術・イノベーションの振興、先端科学技術の国際競争力復活に向け、世界に伍する「国際卓越研究大学(仮称)」を作るためのファンドである。今回、年間3千億円が上限で、数校に年数百億円ずつ配分する大学ファンド案が正式に決まった。 

懸念されることの一つは、大学間の格差を広げるだけではないのか、ということだ。

それは、この方策が5~7校の選ばれた有力な大学に資金を投入し、有利な条件を与えるというものだからだ。他の大学への研究費がこれまで通りであれば、大学間の格差は、間違いなくさらに広がるだろう。そもそも、今日の日本の研究力低下を招いた要因は、公的研究資金が少ないことにある。そのため各大学の研究費は大きく制約され、独自の開発や人材育成は深刻な状況になっている。これまで研究予算の見直しを訴えてきたノーベル賞受賞者をはじめ多くの人たちの、その声を政府は、どのように受け止めているのか。

国の発展のためには様々な科学研究が要求される。実際、地道だが貴重な研究を担っている大学は多数ある。私立や地方を含めこうした諸大学の研究を生かさず、切り捨てるようなやり方は、日本全体の研究力の強化、向上に繋がるとは言えない。

また一方、支援を受ける大学は独自に民間資金を獲得したり寄付を募ったりして、年、3%の事業成果が求められるという。上限3千億円という資金を自由に使えるのだから3%くらいは、と思うが、「年3%の成長」は、20数年後に収入(大学病院を除く)を倍増させることでもある。これは大学にとって、非常に高いハードルだという。

このようなリスクも伴い、大学間の格差を広げるものとなるのも、やはり、日本の研究開発資金が決定的に低いことにある。何よりも、まず開発資金を上げるためにどうするのかという国家戦略をたて開発投資方法を考えるべきだろう。

ところで、この大学ファンドの、より本質的な問題点は、これが「米中新冷戦」体制つくりの一つの重要な環だということである。

この大学ファンドの対象として選ばれる数校は、産業の国際競争力復活を担わされ、当然のことながら、AIや量子といった最先端技術を扱う大学である。すなわち岸田首相が「経済安全保障が待ったなしの課題だ」と言う中国排除の経済安保の先頭を、まず、切らされるということになる。

「産官学」すなわち、企業、政府、研究者の連携で推進される経済安保は、今後、「産官学自」の方向に変化していくという。「自」は、自衛隊のことだ。自衛隊を入れた経済安保の強化が、日本の将来にとって何を意味するのか、考えなければならないことだ。

その上で、この大学ファンドが、「米中新冷戦」体制つくりの環となるのは、この大学ファンドが、外資の意向に沿った研究と米国との共同事業、共同研究で行われるようになるからである。

それは、この大学ファンド案が、英米のトップ大学を手本にした案だということに現れている。世界大学ランキングで上位の英米の大学は、寄付などを元手にした独自の基金で研究資金を大幅に増やし成功した。それを日本が見習って10兆円の基金を株式や債券で運用し、その利益から数校の大学に配布することになっている。その代わり、大学は外部の人間でつくる経営機関を設け、米国式最先端なガバナンスの導入をしなければならない。これは経営も設備も人間も外資の意向通りの大学につくり変えるということだろう。そうであればこの大学ファンドは、外資の意向に添った研究と、米国との共同事業、共同研究で運営されるということだ。そして、選ばれた優秀な日本の人材は、それを支える下請け的存在、下請け的役割を担わせられるということではないだろうか。

さらに、大学ファンドは株式や債券で運用されるわけだが、10兆円の元手のうち9兆円分は、国からの貸付である。これだけの巨費を損失リスクのある市場運用に回した例はないと、危機感を募らす関係者もいるが、もし、失敗すれば、それも国民が負担するということである。

「米中新冷戦」体制つくりのためにある10兆円大学ファンドが、国と国民のためのものでないのは、明白だ。「米中新冷戦」体制つくりのため、日本は、多くの先端科学技術とイノベーションを創出し国際競争力を高めて、米国の経済を補完する力を養い、日本経済を米国経済に吸収統合、一体化させるための道具にされるということ、まさに、ここに10兆円大学ファンドの本質があるのではないだろうか。


「思いやり予算」から「同盟強靱化予算」への名称変換、その意味

2022年3月5日 若林盛亮

「在日米軍の駐留費用を支援する通称『思いやり予算』。それを政府は『同盟強靱化予算』に言い換えると表明した」(「AERA」2022年2月7日号)。

この「同盟強靱化予算」への名称変更に関する記者会見で岸信夫防衛相はこう胸を張った。「厳しい安全保障環境に肩を並べて立ち向かっていく決意、日米同盟をより強靱なものにしていく決意を示すことができた」と。

この名称変更、それはいったい何を意味するのだろうか?

これまで日米同盟は、日本側が基地=モノ、米国側が兵力=ヒトを提供して日本を防衛するという「モノとヒトとの協力」と呼ばれ、「思いやり予算」はそれを支えるものだった。これを「同盟強靱化予算」と名称変更したそこに隠された意図は何なのか?

沖縄国際大学の野添文彬準教授(国際政治学)は次のように述べている。

「『同盟強靱化予算』という言葉には、米軍を日本に駐留させて日本を守ってもらうのではなく、日米でともに戦うという『ヒトとヒトとの協力』に日米同盟を変えていこうとする意図を見ることができます」

それを端的に示すのが、名称変更と共に新設された「訓練資機材調達費」予算だ。

米軍と自衛隊、日米共同訓練に必要な「訓練資機材調達費」を盛り込むことによって、米軍の抑止力に一方的に依存するのではなく、日米一体の抑止力強化に「質的に変換」させたものだということだ。この日米一体の抑止力強化という「質的転換」とは、一言でいって自衛隊の「矛」化、攻撃武力化、すなわち「盾」に徹するとした専守防衛の「国是」放棄を意味する。

すでに日本版海兵隊とされる陸自・水陸機動団部隊が南西諸島、東シナ海域で米海兵隊所属の強襲揚陸艦に自衛隊ヘリで着陸、「台湾有事」の戦争に備えた日米共同軍事訓練に参加している。海兵隊というのは敵国侵攻時の最前線を担う部隊だ。まさに中国との戦争を想定した東アジアでの日米一体の戦争体制構築、これが「同盟強靱化」に求める米国の真意図であり、岸防衛相の「肩を並べて立ち向かっていく決意」の本質だ。

さらに言えば、これまでの光熱費、人件費など「基地維持費」はその上限が想定できる範囲内で予算が組めるが、訓練資機材費用となるとどのような訓練を行うかによって際限なく費用が膨大化するものとなり、それでなくても緊迫した財政面での負担は無限に広がる。

ウクライナ情勢における米軍を基軸とする欧州のNATO同盟の非力さを見てもわかるように日米安保「同盟強靱化」は果たして胸を張れるものなのか? せいぜい日米一体化の名の下に自衛隊が中国の極超音速兵器など最新ミサイルの攻撃を受ける最前線に立たされ米軍の安全を守るという損な役割を担わされるだけだろう。ウクライナ事態で米軍はたった800名の部隊が何のリスクもない周辺国に派遣されただけ、後は欧州諸国の当事者責任という事実がそのことを証明している。

岸田政権の言う「米軍に守ってもらう」のではなく日本自衛隊も米軍と「肩を並べて(中国に)立ち向かっていく」とする「同盟強靱化予算」を財政難に苦しむ日本政府が敢えて負担するということだが、これが果たして岸防衛相のように「胸を張って」言えるものなのか? われわれ日本国民はよく考えてみる必要があると思う。


強制連行を認めるかどうかの歴史戦を!

2022年3月5日 赤木志郎

佐渡金山のユネスコ世界遺産登録をめぐって安倍、高市らの右派の突き上げを受けて、岸田政権は登録申請をすることを決めた。佐渡金山が江戸時代の伝統手工業で鉱物を採った歴史的空間だとしているが、アジア太平洋戦争当時、朝鮮人1500人余りが強制労働に動員された悲劇的な場所でもある。日本政府はこのような歴史を隠したまま、戦国時代から江戸時代までの歴史だけを世界遺産登録の対象にする構えだ。これにたいし、市民団体「強制連行真相究明ネットワーク」(中田光信事務局長)は、「強制連行は事実だったと認めるべき」を述べている。韓国政府もユネスコ世界遺産登録に反対するとしている。

もし佐渡金山を世界遺産として登録しようとするなら、強制連行の歴史的事実を明確にしたうえでおこなえば問題はない。しかし、そうしようともしていないし、先の端島(軍艦島)の世界遺産登録において強制連行の事実を明記すると決めながら、未だなされていない事実があり、ユネスコから是正を求められている。このこともあって、佐渡金山のユネスコ世界遺産登録は強制連行の事実を並記しないかぎり不可能だ。

にもかかわらず、安倍・高市ら右派は岸田政権に申請を強行させた。それは、強制連行をあくまで認めないというデモストレーションにほかならない。それが、「歴史戦」だろうか。

右派は都合の悪い歴史的事実を力で歪曲、否定しようとする魂胆だ。歴史の真実を究明し、教訓をとりだし現在に生かしていくという姿勢とは正反対だ。その姿勢に一貫しているのは、日本がアジア諸国を侵略した事実を覆い隠すことにある。従軍慰安婦問題、日韓併合問題、南京虐殺問題しかりだ。しかし、力で覆い隠そうとすればするほど、真実がさらに明白になってくる。むしろ今こそ、「何が正しいのか」歴史戦を堂々とやる時だ。「歴史戦」で勝利するのは、歴史の事実を認め反省すべきことは反省していく真実追求の側だ。

「2001年、国連は南アフリカ共和国ダーバンで人種差別撤廃会議を開き、『植民地主義は非難されなければならず、再発を防止すべき』などの内容を盛り込んだ『ダーバン宣言』を採択した。それ以降、国際社会は植民地主義克服の道を歩み始めた。元徴用工賠償判決や慰安婦問題もその流れにある。日本保守勢力だけが世界の潮流に必死にあがいているが、あがけばあがくほどその醜い姿が白日のもとにさらけ出されるだろう。

侵略の歴史に向き合うことが日本自身にとって二度と過ちを犯さないために、またアジア諸国との友好のために非常に重要だと思う。


家庭への責任の押し付けでなく、国の責任、具体的な支援を

2022年3月5日 若林佐喜子

岸田政権が、子供に関する政策を一元的に担う「こども家庭庁」を設置する方案を決定した。しかし、急遽、名称に「家庭」の2文字が入ったことが論議を呼んでいる。

名称だけでなく、原案の内容にも家庭の役割を強める変更があったと指摘されている。これまで、政府内で「家庭の教育力の低下」が指摘され、「親の責任の自覚」「親としての成長」を求める方向で家庭教育のあり方が議論されてきた経緯があり、今回の「こども家庭庁」にも、その意図が反映されたということらしい。

政府、国が、子供の養育に関して家庭の責務を強調し、押し付けることに疑問を抱かざるを得ない。現在、少子化問題、子供の貧困、いじめや不登校、親の子供への虐待などが問題になっているが、それは、家庭、親の責任、ましてや「家庭の教育力の低下」のためなのかということである。 

昨年、「親ガチャ」と言う言葉が流行したが、それが決して戯言(ざれごと)ではないという事実が、昨年末の内閣府より「令和3年 子供の状況調査の分析 報告書」で明らかになった。結局、保護者の経済状況、学歴などが子供の学習環境に大きく影響し、「貧困層」世帯の子供は学習環境に恵まれず、その結果、進学の機会も狭められ子供が豊かになる可能性は低くなる。つまり、「貧困の連鎖」が生まれているということである。

ここで問題は、「貧困の連鎖」が生れる原因ではないだろうか?

日本は、子供の養育、教育費などの親、家庭への負担率が非常に高く、逆に賃金の低下に伴う世帯収入が減少していることが上げられる。世帯の平均可処分所得は1977年から2015年で97万円も低下し、非正規労働者がその直撃を受けている。シングルマザーの過半数が貧困家庭であると言われている。逆に教育費は高騰し続け、現在、公立大学でも年間100万円弱かかる。

歴史的背景や文化の違いなどがあるが、フランスでは子育て支援に日本の2倍の公費が注がれ、学費は義務教育開始年齢、満3歳から大学まで公立校は原則無償である。「子供は社会にとって大切な存在」「子育ては親だけではできない大変なこと」という考え方が社会的に共有されているそうだ。

子供は国の未来である。本来、政府、国には、家庭の責任を問題にする前に、「貧困の連鎖」の要因を取り除き、すべての子供たちに機会の均等が保障され、誰もが安心して子育てできる環境を整える責任があるのではないだろうか。

「こども家庭庁」は、「こどもがひとしく健やかに成長することができる社会」を目指し、出産から青年期まで幅広い政策を担っていくとしている。問われているのは、家庭にのみ責任を押し付けるのではなく、国の責任、具体的な支援が問われていると思う。


【寄稿】「救援」 2022年3月 635号-ピョンヤンから「アジアの内の日本」を考える-「今は黒船の時代」という意味

堤幸彦という映画監督をご存知だろうか。「トリック」「金田一少年の事件簿」や「20世紀少年」などドラマ、映画の話題作をヒットさせた人だ。

その堤監督が「今、一番やりたい題材は“よど号ハイジャック事件”。これはもういろんな要素があって面白いんです」とあるネット取材で答えた。その面白さとは「ハイジャックの部分だけじゃなく、翻弄される日本政府の情けなさや、裏にあるアジアの政治体制、アメリカの動向などもテーマになってくる」ことにあるということらしい。

その面白さを映画にしたい根拠は「今はいろんな意味で黒船の時代なので」と語っている。今を「黒船の時代」という時代認識が面白い。

いま日本を米中新冷戦の最前線化するための米国の圧迫攻勢は、この欄で何度も述べたように「戦後日本の泰平の夢」を破る現代版「黒船の来襲」とも言えるものだ。

軍事では「米軍の抑止力の劣化」を補うための自衛隊の抑止力化・攻撃武力化、すなわち戦後日本の「国是」であった専守防衛の放棄、ひいては9条改憲が迫られており、敵基地攻撃能力保有はその最たるもの、外征戦争能力を持つ自衛隊への転換だ。経済では「経済安保」の美名下で対中経済関係を制約、対中包囲網への日本引き入れに躍起だ。これに対し十倉経団連会長は「中国との経済関係は維持したい。世界は中国なしにやっていけない」と語り経済活動に制約をかけないでほしいと不満を述べている。

今回の「黒船の来襲」が前回のそれと決定的に異なる点は米国の覇権主義が衰退、没落化している時代にやってきた黒船だということにある。

今、欧州での「ウクライナ危機」がどう推移するのか? ウクライナの中立国化、ロシア参加の全欧安保会議がNATOに代わる欧州の集団安保機構となるかは即断できないが、欧州に対する米覇権の破産として終わる気配が濃厚だ。朝日新聞の漫画にはプーチンの乗る戦車の砲身にとまるひ弱そうなバイデン「鳥」の絵、表題は「大きな国の小さな大統領」とある。

現代の黒船は覇権主義衰退の時代、覇権帝国・米「幕府」の「ご瓦解」、「幕末期」にあって日米同盟基軸の更なる強要、米国への日本の統合一体化を迫るもの、旧弊から逃れられない日本の政財界は米国に翻弄され戦々恐々だが、国民が恐れる必要は全くないだろう。

堤幸彦監督の「よど号ハイジャック」映画がこの辺まで描かれれば面白いと期待している。    ピョンヤン かりの会  若林盛亮


ウクライナ、一気に進むか米覇権の崩壊

小西隆裕 2022年2月20日

ウクライナを包囲して展開されたロシア陸海軍十数万の大軍事演習。それをめぐるロシアと米欧との緊張関係は演習終了後も継続している。ロシア軍の大部分がウクライナとの国境線から撤退せず留まっているからだ。

米国は、ロシアのウクライナへの侵攻を警戒し、米軍数千を派遣するとともに、対ロシア経済制裁の脅しを掛けている。そうした中、仏大統領マクロンや独首相ショルツがウクライナとロシアに飛び、両国の間で調停に動いている。

これに対し、ロシア大統領プーチンは、米大統領バイデンとの間の電話会談を決裂させながら、北京オリンピック開催を祝って中国に飛び、中ロの連携強化を確認する一方、仏独との首脳会談で両国との意思疎通を確認している。特にドイツとの間には、このほど完成したシベリアと欧州を結ぶLNGパイプラインをめぐっての連携がある。

もともと、今回の事態の根元には、30年前、冷戦終結時確認されたNATO不拡大の約束を米欧側が一方的に反故にし、ウクライナのアメリカ化を進めながら、そのNATOへの加盟を強行しようとしたことがある。これが、現状を変更する「修正主義国」として中ロを名指しし、包囲、封じ込める覇権回復戦略、「米中新冷戦」を米国が引き起こしている今日、その一環であることが重要だと思う。

これを許さないロシアが軍を動かしたということだが、もちろんそこには十分な勝算があるように見える。一つは、米バイデン政権の弱体化だ。ロシアの強硬策に対して米国が取れる策は、せいぜい経済制裁くらいしかないと言うことだ。しかも、それはいくらでもしのぐことができる。その担保としてもう一つの勝算、言わずと知れた経済大国、中国との連携強化がある。そして、担保はそれだけではない。さらにもう一つの勝算、米欧の分裂、欧州、特にドイツとの連携があり得る。

そうした中、今、ウクライナのフィンランド化(NATO非加盟・中立国化)が言われる一方、東ウクライナのロシアへの分割が噂されている。ロシア議会で問題にされた東ウクライナでのロシア人虐待とその救済決議は、それを示唆するものだ。

連続して揺さぶりを掛けてくるプーチン政治、米バイデン政権にこれに対処し事態を打開する力があるか。

事の進展によっては、ロシアの全欧安保への加盟とドイツの欧州盟主化、さらには米国のNATO脱退にまで立ち至りかねない事態にまで来ている。

これは、「米中新冷戦」が「やぶ蛇」と化した米覇権の一気の崩壊を意味している。

その時、「米中新冷戦」を突き付けられている日本はどうするのか。幕末、黒船到来以来の大転換を準備する時が来ているのではないだろうか。


経済安保論議を日本の経済、国のあり方を問う論議に

魚本公博 2022年2月20日

2月1日、岸田政権が目玉政策に掲げる「経済安全保障推進法案」について有識者会議が提言を発表した。基本となる「4つの柱」は「サプライチェーンの強化」「基本インフラの事前審査」「先端技術の官民協力」「特許の非公開」である。政府は、この提言にもとづき法案を整備し、今国会での成立を目指すとしている。

これに対して経済界が反発。この法案が、日本の最大の貿易相手国であり、経済的に深い関係にある中国排除を図って中国部品やシステムの排除を「罰則規定」を設けて、各企業に強く迫るものになっているからである。経済安保法案の内容が発表された当日、経団連の十倉会長が「中国との経済関係は維持したい。世界は中国なしにはやっていけない」と憂慮を示したのも、そのためである。

そして経団連は、2月8日には、経済安保法案に対する意見書の内容を公開した。その要旨は以下の通りである。

・国際競争上、不利な環境に置かれないよう、企業活動に過度な制約を課すべきではない。

・サプライチェーンの強靭化も企業の主体的な取り組みを後押しすることを基本に。

・基本インフラの事前審査は厳に必要最小限に。

・政府のインテリジェンス(情報の収集分析)機能の強化が不可欠。

経済界の反発は、中国を排除し対決するようなことをやって日本が経済的にやっていけるのかという強い危惧があるからであるが、そればかりではない。経済安保の背景には米国があり、その要求が分かっているからである。それは、米国が米中新冷戦の中で日本が対中国の最前線に立つことを要求しており、そのために日米統合が進められようとしているということである。ラーム・エマニュエル新駐日大使は、その就任の是非を問う上院での公聴会で、中国と対決するために「日米経済を統合する」と明言している。

日米経済の統合とは、日本経済の米国へのいっそうの従属、融合一体化に他ならない。そんなことをすれば日本経済はどうなるのか。日本経済は自主性を失い、各企業は米国企業の下請け隷属物にされてしまうだろう。そうしたことを裏に秘めた経済安保法案に日本の経済界が警戒感をいだくのは当然である。

これまでも日本経済は米国の要求によって、メチャクチャにされてきた。90年代からの新自由主義的な構造改革要求によって、日本経済はかつての強さを喪失し、失われた30年の憂き目にあった。

この時も日本の経済界では「日本経済をつぶすのか」の声が上がった。しかし、その声は大きくなることもなく構造改革が進んだ。東芝の見るも無惨な現状。それは明日のトヨタでありパナソニックであり、その他多くの日本の世界的企業の明日なのだ。

そのトラウマとも言える、過去の経験からの反発の声。そこには、米国の衰退と台頭する中国という時代の流れを前に、米国の言うがままに中国を敵視し、日米経済の統合を進めて、日本はやっていけるのかという危惧がある。

経済安保をめぐって起きた経済界の反発の声。これを契機に、経済安保論議をさらに深化させなければならないと思う。米国が日米経済の統合を目論む中で、経済安保は対中国だけでなく、対米国こそが論議されなければならないのではないか。各企業の取り組みだけではなく国としての取り組み方が問われているのではないか。

政府部内にも、経済安保法案をめぐって、これを危惧する声と「ザル法にしてはならない」との声が錯綜する。経済安保論議が真に日本のための経済安保のあり方めぐって、日米経済統合の是非をめぐって、さらには日米基軸の国のあり方をめぐって深化させることが切実に求められている。


東アジアからの政策提言 米中新冷戦、問われる戦後日本政治の転換

「アジアの内の日本」の会

序  戦後日本政治の転換の時に当たって                小西隆裕

1  「日米安保」基軸から「非戦の国是」基軸への転換のために     若林盛亮

2  日米基軸外交から脱し日本の国としての外交へ           赤木志郎

3  日本経済の真の転換を問う                    小西隆裕

4  米国のためではなく、日本のため、真に地方のための地方政策を   魚本公博

5  デジタル化社会をめざす日本の教育―国の人材を育てる教育を    森 順子

6  ―国の責任、国民の権利としての社会保障―            若林佐喜子

廃止ではなく、発展、充実させる

【序】

戦後日本政治の転換の時に当たって

「アジアの内の日本」の会代表 小西隆裕

戦後80年近く、今、日本の政治は大きな転換の時にあるように思う。

 この短くない歳月、戦後日本政治がたどってきた路程は、一言で言って、日米関係を基軸に米国によって大きく左右されてきた路程だったと言える。

 米ソ冷戦の中、「反共の防波堤」として戦後復興、高度成長した時も、米一極世界支配の下、長期経済停滞に陥ってきたこの30年間も、日本にとって米国は自らの命運を委ね預け切ってきた特別な存在だった。

 そして今、その米国が、崩壊の危機に瀕した自らの覇権の回復のため、もう一つの超大国、中国を相手に「米中新冷戦」を引き起こし、日本をそのフロントライン(最前線)に押し立ててきている。

 これに応じるか否か、いずれにせよ、日本政治はこれまで通りではあり得ない。転換が問われている。そこで問題は、どう転換するかだ。

 昨年の自民党総裁選、そしてそれに続き行われた総選挙は、この問題が争点として全く問われないまま、事実上、これにどう応えるかその選択が問われた選挙だった。実際、この二つの選挙を通して選出された岸田新政権によって、今、「新冷戦体制」づくりが着々と全面化されようとしている。

 「戦後体制」から「新冷戦体制」へ、米国が言う「日米新時代」へのこの転換の時にあって、にわかに騒がしくなってきている改憲への動きはその象徴に他ならない。そして実質的な転換は、すでに、軍事、経済から国と社会のすべての領域に亘って、日本国民の合意もないまま非公然に深く静かに進行している。その本質は、一言で言って、日本の米国への吸収統合、一体化だと言うことができる。

 米国によって日本に求められているのは、かつてのような「防波堤」ではない。米国と一体となりその一部となって、対中対決戦をともに闘う「最前線」、全世界アメリカ化の「最前線」になることだ。

 米覇権の下、戦後一貫して、主権国家、独立国家としての体を成さず、米国言いなりに、その陰に隠れて生きてきた日本という国が今や実質上、完全になくなろうとしている。

 日本と日本国民にとってこれ以上にないこの重大事が、自民党総裁選においても総選挙においても、全く争点にされることなく、その結果生まれた岸田新政権にあっても不問に付されたまま、戦後日本の象徴、憲法の改定が叫ばれ、日本の米国への吸収統合、一体化に向けたデジタル臨時行政調査会やデジタル田園都市国家構想の実現会議、そして国家安全保障戦略会議などが実施されるようになってきている。

 それが日本と日本国民にとって良いことなのか悪いことなのか。その最終判断とそれに基づく実行は、米国でも大企業でも、まして自民党でもなく、どこまでも日本国民自身に委ねられ、かかっている。

 そこで私たちの方から国民の皆さんに、その判断と決心の一助になればとこの問題についての若干の問題提起をさせていただければと思う。

 私たちもまた、今を新しい時代への「転換の時」ととらえている。しかし、その意味は、岸田首相や米国が言うのとは全く異なっている。

 岸田政権が米覇権の意を受けて、改憲への意思を誇示しながら、軍事、外交、経済も、地方地域、教育、社会保障もすべて、米覇権のため、米国と一体に、日本のアメリカ化を図ろうとしているのに対し、私たちは、日本と日本国民第一に、その実現のため、この政策提言を行おうとしている。

 岸田氏が「民主主義の危機」を叫び、その所信表明演説で、自由、民主主義、法の支配など普遍的価値を守り抜く覚悟を日本の国の平和と安全を守る覚悟の上に置いたのに対し、私たちは、何よりも、日本の国の平和と安全、利益を守り抜く覚悟を第一に、それを国の責任と役割を高めて実現するよう、あらゆる政策を提起する。

 もちろん、玄界灘を隔てて、遠くピョンヤンの地から、日本を離れて久しい私たちがする提言、それには余りにも制約が大きく、到底、日本国民の意思を政策に正しく反映することなどできないかもしれない。

 しかし、米覇権と真っ向から闘う東アジアの一角、朝鮮の地で、半世紀を超える歳月生活しながら、アジアの内の日本のあり方について考え続けてきた私たちが、明治以来、アジアの外に出、とりわけあの敗戦の後、米覇権の下、引き続きアジアの外からアジアを蔑視、敵視し続けてきた日本、その下で生き闘ってきた日本国民を思い、政策提言をなす意味も少しはあるのではないかと思う。

 米覇権の崩壊が誰の目にも見えてきている今日、その建て直しのため、日本を米国の一部にする「新冷戦体制」づくりに従うのが日本国民の意思であり要求であるのか、それともそれに反対し、脱米日本、アジアの内の日本の未来を切り開くのが日本国民の意思なのか、答えは自ずから明らかなのではないだろうか。

政策提言

【安保防衛】

       「日米安保」基軸から「非戦の国是」基軸への転換のために

                                  若林盛亮

1「非戦の国是」堅持か放棄か-迫られる回答

■そもそも日本の防衛とは何か

今日、問われている日本の安保防衛政策を考える前に、そもそも日本の防衛とは何なのか? まずこの大前提から検討してみる必要があると思う。

防衛とは、国の安全保障政策の一部であり最も重要な安全保障分野である。

国の安全保障には、経済の安全保障、環境や食の安全保障などさまざまな分野がある。この中で防衛は、国民の生命と財産を守るため、外敵の侵害から主権と国土の安全を保障する国土防衛を担う。まずこの大前提をしっかり押さえることが重要だと私たちは考える。

なぜならば、かつてわが国は国土防衛ではなく海外植民地領有のための外征戦争を基本とする防衛政策を採り、その結果として悲惨な敗戦を招いた、そんな痛恨の体験を持つ国だからだ。二度と外征戦争の発端国とならないことを誓った憲法9条、それに象徴される「非戦の国是」はこの民族的体験の教訓から生まれたものだ。

非戦を国是とするということは、国の防衛政策が国土防衛強化に徹するものでなければならないということだ。

戦前の大日本帝国は植民地領有を日本の「利益線」とし、アジアへの外征戦争、侵略戦争を行った。その結果、米英列強との「利益線」を巡る覇権抗争、植民地争奪戦としての太平洋戦争で悲惨な敗戦を体験させられた。

当時の防衛は、「利益線の防護」、外征戦争のための軍事が基本であり、「主権線の防護」、国土防衛は二の次とされた。その結果、太平洋戦争末期、米軍の本土爆撃から国民の生命、財産を守る戦闘機も高射砲もろくになく無防備都市はじゅうたん爆撃にさらされ、米軍の本土上陸に備えては「竹ヤリ」で国民に立ち向かわせるしか手だてがなかった。

「非戦の国是」は国民の生命と財産を守れなかった痛恨の教訓から生まれ全国民が骨身に刻んだものだ。

 ところで憲法9条で非戦を国是としたはずの戦後日本も、日米安保基軸路線の下では「国土防衛は二の次」という基本構造は変わっていない。

 その一つの象徴は、多数の原発が無防備な海岸線に置かれ、攻撃を受ければ核攻撃を受けたに等しい惨事を招くような無防備体制にあることだろう。国土防衛を担うべき自衛隊は慢性的な人員不足といううすら寒い状態、軍事予算は「日米安保協力」のための莫大な装備拡充費用に割かれて国土防衛現場に金は回らず、各種兵器の新規部品不足、中古部品の転用によるヘリコプター墜落事故などを続発させている。元自衛艦隊司令官だった香田海将は「いずも」型護衛艦の小型空母転用を「国土防衛に穴を空ける」ものと警鐘を鳴らした。護衛艦に「空母」の任務供与が更に付与されることによって、本来の領海防衛、対潜哨戒任務に穴が空くからだ。

このような現実を直視した上で、日本の防衛は国土防衛強化を基本とすべきこと、この大前提からこの提言の主題「『日米安保』基軸から『非戦の国是』基軸の安保防衛政策への転換」について考えてみたいと思う。

■米中新冷戦下の安保防衛問題の基本争点

いまわが国の安保防衛政策は、米バイデン政権の推し進める「米中新冷戦」戦略に基づく「対中対決」のための「安保協力」をめぐって重大な決断を迫られている。

その重大性は一言でいって、この「安保協力」要求が後に述べるようにわが国の専守防衛の放棄、「非戦の国是」放棄を迫るものとしてあることにある。

さらに深刻な問題点は、従来の日米安保基軸路線の下ではこれを拒むことは困難であろうということだ。

今日の安保防衛政策を考える上で、まずこのような認識の共有から出発することが重要であると思う。

さらに言えば、「非戦の国是」を守る上で重要なこと、それは先の戦争における悲惨な敗戦体験を経て戦後日本は二度と「戦争をする国」、外征戦争の発端国にはならないことを全国民的な決心として出発したこと、したがって「非戦の国是」は日本国民の総意として何があろうと堅持されるべきでものあるという確固たる立場と認識を共有することだと私たちは考える。

ならば「非戦の国是」堅持、それを基軸とした安保防衛政策、言い換えれば外征戦争を排し国土防衛に徹する防衛はどのように構想されねばならないのか?

2 「非戦の国是」堅持における論点、対決点

1)「非戦の国是」放棄の根本要因-米国家安全保障戦略改訂に伴う「台湾有事の安保協力」

2021年4月の菅前首相訪米時に米バイデン政権に約束させられた米中新冷戦での「台湾有事の安保協力」、それが「非戦の国是」放棄を迫る具体的かつ根本的な要因であることをまず押さえておく必要があるだろう。

当時、麻生副総理兼財務相は「台湾で大きな問題が起きたとき、それは(日本の)国家存立危機事態」と発言した。その意味するところは、「台湾有事は日本の国家存立危機事態である」と認識し、この認識に基づく安保法制の定めるところに従って集団的自衛権行使が容認され、「日本有事」の米日共同の軍事行動、すなわち中国と戦争のできる自衛隊として米軍に「安保協力」すべきであるということに他ならない。

これに先立つ2017年末、米国は「国家安全保障戦略(NSS)」改訂で中国を主な競争相手(主敵)と規定し「米軍の競争力(抑止力)の劣化」を認めた上でこれを補うための「同盟国との協力強化」を打ち出していた。米国のNSS改訂による「同盟国との協力強化」要求、日本に対するそれは「米軍の競争力(抑止力)劣化」を補う自衛隊の抑止力化、攻撃武力化への転換であり、言葉を換えれば国是としてきた専守防衛の放棄であった。

この米国の要求は今日、日本に対する「台湾有事の安保協力」要求としてより具体的な形を取ったと言える。

結論から言えば、米国家安全保障戦略改訂に伴う日本への「安保協力」は「台湾有事の安保協力」として具体化され、専守防衛という自衛隊の役割の見直し、すなわち「非戦の国是」放棄を要求する段階に至ったということだ。

さらに言えば、米中新冷戦下の「安保協力」だからとして日本の国是を放棄するということは国のあり方を失うことであり、また自衛隊の抑止力化は核兵器など最強の抑止力を持つ米軍に日本の軍事が統合一体化され、自衛隊が属軍化されることを意味し、これも国を失うも同然のこととなる。こうした観点からも「非戦の国是」放棄が迫られるに至った今日、直面する安保防衛問題を深刻にとらえ考えるべき時が来たことを知る必要があると思う。

2) 論点、対決点は何か

(1) 「抑止力」防衛は「非戦の国是」と相容れない

上で見たように今、非戦国家・日本の国是は重大な挑戦を受けている。しかし現状では米国からの「安保協力」が要求する「非戦の国是」放棄を拒むことはまず困難だろうと思われる。

その根拠は、戦後日本の安保防衛政策が「抑止力論」に基づいて立てられているからだ。

「抑止力論」は「(敵国に)報復攻撃を恐れて戦争する意思をなくさせる」防衛を説くものであり、報復攻撃武力保有を必須条件とする。それは専守防衛というわが国の「非戦の国是」とは本質的に相容れないものだ。

「抑止力」防衛の内包するこの国是との矛盾は、これまでなんとかとり繕われてきた。

この矛盾を繕うために、日米安保条約に基づき核抑止力という究極の報復攻撃能力を持つ米軍が“矛”、憲法9条に基づく専守防衛の自衛隊が“盾”を担うという役割分担が行われた。「日本の自衛隊は専守防衛」という役割分担によって「非戦の国是」の体裁だけはかろうじて保たれてきたと言える。「自衛隊は一発の銃も撃たず、自衛隊員に死者は出さなかった」と言われるように。

しかしその内実は米軍が自衛隊に代わって外征戦争を行うことを容認し、その出撃拠点として在日米軍基地を自由に使用でき、他方で自衛隊が後方支援を提供するなど非戦国家と称しながら実態は「戦争荷担国家」であるというジレンマを内包するものだった。ベトナム戦争然り、アフガン・イラク戦争然り。

 そんなジレンマを抱えながらも「非戦の国是」の体裁だけはとり繕えてきた。それは「世界最強」を誇った米軍が単独で抑止力機能、“矛”の役割を十分果たせるという大前提があったからだ。

しかし今日、その大前提は崩れた。

今日、米国自身が「米軍の抑止力劣化」を認め、それが世界公認の事実となった。その必然的結果として「米軍の劣化」を補う自衛隊の抑止力化、攻撃武力化を米国が強く求めるようになった。「抑止力」防衛の見地からすれば、「米軍の抑止力の劣化」を補う日本への「安保協力要求」は理にかなうものであり、これを拒むことの方に無理がある。つまり「非戦の国是」、専守防衛を維持することは論理上、困難である。

したがって「抑止力」防衛という従来の考え方自体を見直すこと、これが「非戦の国是」堅持の上で重要な論点、対決点になるということを押さえておくことが重要だと思う。

(2) 「利益線の防護」から「主権線の防護」へ-「非戦の国是」堅持の鍵

■「非戦の国是」より日米安保優先という現実

 2018年初頭、安倍首相は所信表明演説で「専守防衛は国是ではありますが・・・」と言葉を濁しながら、「安保環境が厳しさを増す」情勢下ではこれを見直す必要があることを暗に示唆した。そしてその示唆通り専守防衛放棄につながる新防衛大綱を年末に閣議決定した。この新防衛大綱に基づき、「いずも」型護衛艦の小型空母化改修、F35A、F35Bステルス戦闘機や900km長射程巡航ミサイルなど自衛隊が抑止力を担える攻撃型兵器の保有を認めることによって、装備上では専守防衛放棄の一歩はすでに踏み出されている。

 これが2017年末に中国を主敵と規定した米「国家安全保障戦略」で提起された「米軍の抑止力劣化を補う日本の安保協力」を受けたものだというのは明白であろう。

 ここで重要に考えるべきこと、それは「国是ではあるが・・・」と発言した安倍首相の言葉とその後の行動だ。その意味するところは、「専守防衛は国是ではあるが『日米安保協力』が優先される」ということに他ならない。

 2015年に首相の「戦後70年談話」を検討する有識者懇談会で委員の外交評論家、岡本行夫氏は戦後日本が平和だった要因を「憲法9条ではなく日米安保防衛体制を採ったからだ」と言い切った。これは日本の安全保障は専守防衛の憲法9条ではなく、報復攻撃を認めた日米安保体制の「抑止力」防衛で成立していることを明確に述べたものだった。

 「非戦の国是」、日本国憲法よりも日米安保条約が優先される、ここに戦後日本の防衛政策に一貫される本質があることを明確に示すものではないだろうか。

■日米安保優先は「利益線の防護」から来る必然的結果

 ではなぜ日本の国是よりも日米安保が優先されるのか? 言葉を換えれば、「非戦の国是」と相容れない日米安保基軸の「抑止力」防衛を採るようになる根拠は何か? ということを考えてみる必要がある。

日本の防衛がなぜ米軍の抑止力、報復攻撃武力に依存せねばならなくなるのか? 

それは戦後日本の防衛が国土防衛という「主権線の防護」ではなく「利益線の防護」路線を採ってきたからだと言える。その内実は抑止力を持つ米軍に国土外での外征戦争を全面的に委ねる防衛路線だと言える。

 「利益線の防護」という防衛概念は、わが国最初の帝国主義戦争である朝鮮半島を巡る清国との戦争、日清戦争を前にして山県有朋首相が軍事費大幅増額の必要性を説いた「富国強兵」演説で初めて用いられたものだ。

 1890年、史上初の帝国議会で山県有朋首相は軍事費増額を説くに当たり、「主権線」「利益線」という用語を用い、国境という「主権線」だけではなく「その主権線の安危に、密着の関係にある区域」という「利益線」という概念を用い、この「利益線」を保護しなければならず「巨大の金額を割いて、陸海軍の経費に充つる」のはその趣旨からだ、と説いた。

 これは当時あった国土防衛軍構想を排除し、外征戦争をも可能にする規模の軍事拡張路線、富国強兵を明確に打ち出したものだった。そして実際、わが国初の外征戦争である日清戦争によって「利益線」は北は朝鮮国、南は台湾島の対岸、福建省にのび、さらにこれを契機に満蒙から中国大陸、東南アジアにまで日本の「利益線」を拡大していく植民地争奪戦争、「大東亜戦争」を結果した。

 戦後日本にも「利益線の防護」思想は継承されている。

 元陸上幕僚長、富澤暉氏は自著で次のように述べている。

 「既に帝国主義は消滅したわけですが、それにも関わらず、この利益線という考え方は国益を守る上で意味を持ち続けています。一時、マラッカ海峡防衛論といった『シーレーン防護』や『中東の平和(石油)維持』が話題になったことがありますが、これらは『新時代の利益線防護』の思想から出てきたものといっていいでしょう」(「逆説の軍事論」パジリコKK)

 続けて富澤氏は「(利益線は)もはや一国で守るのではなく他国と協力した共同防衛、集団安全保障の形で守らざるを得ないというのが現在の安全保障に関する考え方の主流になっています」と述べている。

 富澤氏が言うように、かつての帝国主義的な植民地争奪戦の時代が終わっても「新時代の利益線防護」の思想は生きている。それは、戦後日本において「米中心の国際秩序維持」を日本の「利益線」とし、これを日米安保基軸という「集団安全保障の形で守る」、このような防衛路線として具体化された。東西冷戦下では「東側陣営に対する西側陣営の防護」、そして米中新冷戦に備える今は「専制主義陣営に対する民主主義陣営の防護」という形で「利益線の防護」思想は生きている。

 先に見たように「台湾有事の安保協力」とは台湾海峡にまで「利益線」をのばし、この「利益線の防護」に米軍と協力して自衛隊が当たるということに他ならない。事実、「台湾海峡など海上シーレーン防衛は日本の安全保障問題(国家存立危機事態)」という言葉が出てきているのはその証左だ。

 現在、岸田政権の推進する「台湾有事の安保協力」である「敵基地攻撃能力の保有」などは、かつて大日本帝国が行った「利益線の防護」という外征戦争路線の現代版であり、ついに自衛隊が「利益線の防護」の軍隊、外征軍に転換する段階に至ったと言える。

 したがって、いま日本が直面する「非戦の国是」を放棄するか否かという問題は、「利益線の防護」という考え方を引き続き採るのか否かという問題として提起されていると言える。

■「利益線の防護」は覇権抗争の時代の遺物

中国で生まれた「合従連衡」という概念がある。小国連合で超大国である秦と対抗する「合従」、そして秦との単独同盟を図る「連衡」、これは戦国時代に自国の安全と覇権的権益を守り拡大を図る、まさに覇を競う時代の産物だ。

第二次大戦では日独伊の新興の弱小帝国主義国同士が「合従」し、英米仏の帝国主義列強秩序に対抗して「利益線の拡大と防護」、植民地争奪戦を図った。

 第二次大戦後、「利益線の防護」路線は、「米中心の国際秩序維持」という形で欧州ではNATO(北大西洋条約機構)、アジアでは日米安保という集団安保体制を採った。それは最強の核抑止力を持つ米国を中心とする現代版「連衡」だと言えるだろう。

しかし今や時代の様相は大きく変わった。「利益線の防護」や「合従連衡」は古い時代の遺物となりつつある。

「米中心の国際覇権秩序維持」、米欧日列強諸国の「利益線の防護」路線は音を立てて崩れ始めている。米国が主導したグローバリズムによる破壊的な世界的危機状況、それに伴う各国での国益中心・自国第一主義の台頭はこの現実の反映だと言える。米国自身が「米軍の抑止力の劣化」を認めたのはその象徴と言える。

 今日、時代は米国のそれであれ中国のそれであれ、覇権主義を古い時代の遺物として、それからの脱却を求めている。世界に覇を唱える力を持つ超大国となった中国が同盟関係を誰とも築いていないのは、植民地化に抗した歴史伝統もあって、それが通用しない時代であることを知っているからだろうと思われる。

またかつて植民地隷属国の悲哀を体験したアジア諸国は誰の覇権も認めない国々となっている。その端的な例が、トランプ政権末期、米国が中国に対抗する「インド太平洋地域構想」への賛同、協力を求めたとき、ASEAN(東南アジア諸国連合)は「対抗ではなく対話と協力の地域とする」対案でこれを拒否した。

こうした世界の現実はアジアにとどまらず世界的な新しい時代の様相を端的に示すものだ。

このまま「利益線の防護」路線を続けるのか? 防衛ラインをどこに引くのか? 主権線か、利益線か? この根本問題を避けては、「非戦の国是」堅持のための安保防衛政策は論議できない時点に来ている。

このような認識に基づき日本の安保防衛政策はどうあるべきか、そのための提言を行いたいと思う。

3 提言:「非戦の国是」基軸の安保防衛政策

「非戦の国是」を堅持するための安保防衛政策を立てる上で根本問題は何か。

それは従来の「利益線の防護」のための「抑止力」防衛、それを具現した日米安保基軸に代わる「非戦の国是」基軸の安保防衛構想を国民の前に提示し、国民的合意が得られるように政策化していくことであろう。

その基本は、「利益線の防護」に代わる「主権線の防護」、「抑止力」防衛に代わる「報復攻撃をしない」防衛、すなわち国土防衛に徹する防衛政策が構想されるべきことだと思う。

1)「主権線の防護」に徹する撃退自衛、「抑止力」でなく撃退力

 「非戦の国是」は憲法9条として具現、規定されている。

 ゆえに「非戦の国是」堅持のためには、戦争放棄と戦力不保持・交戦権否認の憲法9条に基づく「9条自衛」を正しく政策化していくこと、これが一にも二にも先決課題であろう。

第一に、「9条自衛」は憲法9条第一項の戦争放棄、第二項の戦力不保持・交戦権否認を具現する自衛路線である。

「9条自衛」は、撃退自衛に限定する自衛に徹し、自衛隊は報復攻撃武力を排し撃退力強化に徹することを求める。すなわち「利益線の防護」ではなく「主権線の防護」に徹する「撃退自衛」、そして「抑止力」防衛ではなく「撃退力」による防衛を求める。

国の防衛政策としては、自国領土領海領空を越えない自衛、主権線外に撃退するが深追いし相手国領土に侵攻、報復攻撃をしない、名実共に「主権線の防護」の自衛に徹する。また抑止力ではなく国土防衛のための自衛武力、撃退力強化に徹する。国土防衛を旨とし、この強化のために人員や兵器など防衛資源を集中させる。

これが「非戦の国是」基軸の防衛としての「9条自衛」であろう。

第二に、「9条自衛」はこれまでの専守防衛論、及び「必要最小限の自衛力」論にあった憲法9条に関する政府解釈の曖昧さを許さず、「非戦の国是」をより厳密化、徹底化させるものである。

 これまで自民党政府の専守防衛論は「敵基地攻撃は合憲」という解釈を許してきた。

 その根拠として、日本に攻撃が行われた場合、「座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨とは考えられない」として「他に手段がない」場合に限り、敵ミサイル基地を攻撃するのは「法理的には自衛の範囲」とした1956年鳩山一郎内閣当時の政府説明を歴代内閣は踏襲してきた。岸田政権の掲げる「敵基地攻撃能力保有の論議」もこの説を踏まえたものになるであろう。

 「9条自衛」は、「主権線の防護」、国土防衛に徹することを求める。したがって撃退自衛に徹し相手領土内への攻撃を徹底排除し、「敵基地攻撃は違憲」として認めない

 「9条自衛」はまた「必要最低限の自衛力」論に内在する「必要最低限」がいかようにも解釈できる曖昧さを排し、「敵基地攻撃能力」などといった抑止力・報復攻撃武力保有を違憲として禁じる。

 付言すれば、「9条自衛」には「必要最低限の自衛力」という言葉はない。「最大限の自衛力・撃退力」で国土侵害から国民の生命と財産を守る、それが「9条自衛」である。先に述べたように、「国土防衛は二の次」状態に置かれた現在の自衛隊の撃退力は不十分なものであろう。ゆえに日本に侵攻するものがあれば誰であれ「ただではすまさない」、たとえ一寸たりとも国土侵害を許さない強力な撃退力、侵攻武力撃滅のための「必要最大限の自衛力」を保有する。これは先の戦争の胸痛い教訓でもある。 

「自衛は撃退自衛、自衛武力は撃退力強化に徹すること」!

これがいかなる場合にも相手国への報復攻撃から戦争へという国家間の交戦状態に至ることを避けるという意味で、名実共に戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認の憲法9条を具現する自衛となるだろう。それは「自衛」の名による報復攻撃から外征戦争、侵略戦争を許す危険性を徹底的に排除した新しい自衛の考え方だと言える。

2)日米安保体制の見直しと多角的安保体制の構築

 まず第一に、「9条自衛」に準じた措置として日米安保基軸体制の見直しが同伴されるべきであろう。

 それは日米安保体制の内包する「非戦の国是」と相容れない部分の見直し措置となるであろう。

その基本は在日米軍基地を米軍の外征戦争の出撃拠点として使用しない、もしくはその場合は必ず日本政府の事前承認を必要とするという措置が採られることである。

これは国家間の取り決めである日米安保条約が存在する中でも「日米地位協定の改訂」という形で十分実現できるものだ。

実際、フセイン政権後のイラクも同様の地位協定を米国と結んでおり、韓国でも「北朝鮮との戦争の際には韓国政府の事前承認が必要」という穏健な形で文在寅政権が米政府に立場表明をしている。他の国でできることがわが国にできない理由はないだろう。

第二には、日米安保一辺倒ではなく、新しくアジア安保体制構築をめざす多角的集団安保の道が採られるべきであろう。

ASEAN(東南アジア諸国連合)諸国が推進する東南アジア外交フォーラム(ARF)を土台にこれを発展させ集団安保体制ともなる東アジア共同体形成にわが国が積極的役割を果たすことが重要であろう。当然ながらここに中国、南北朝鮮が入らなければならない。かつて「ASEAN+3(日本・韓国・中国)」として追求されたものの発展形だ。

ARFは「噛みつく安保」ではなく「吠える安保」を旨とし攻守「同盟」ではない。すなわち制裁や報復攻撃を認めず対話と協力で地域紛争を解決することを原則としている。アジアには領土、領海問題など様々な紛争要因が現存する条件で、まさにARFは非戦を国是とする日本が積極的役割を果たしうるアジア集団安保体制構築への可能性を秘めている。

このアジア安保は「噛みつかない」自衛、報復攻撃を禁じる「9条自衛」の力強い担保として必要不可欠なものだ。「噛みつかない安保」、報復攻撃を認めないアジア安保共同体に中国や朝鮮(北)と共にわが国が入るということは中国や朝鮮の最新ミサイルを恐れる必要がなくなるということ、「敵基地攻撃能力の保有」などといった対抗措置をとる必要がなくなるということだ。この意味でもわが国が積極的役割を果たすべきであろう。

またアジア安保は「噛みつく安保」の危険をはらむ日米安保体制の暴走をアジア諸国と協力して抑制する機能を果たすものとなるだろう。

3)「敵対国」をつくらない強い外交力

 「9条自衛」は「仮想敵」を想定しない自衛であるがゆえに、「敵対国」をつくらない外交力によってそれが裏打ちされねばならない。

 「敵対国」をつくらない外交力、それは報復攻撃武力を不要とする「9条自衛」の国際環境をつくるための積極的な外交力だと言える。その意味で「9条自衛」の必須条件だと言える。

「敵対国」をつくらない外交力とは、思想、信条、宗教、社会体制の違いにかかわらず、いかなる国をも国家としてその尊厳を認め、主権尊重、内政不干渉を原則とする国家関係を築く外交力を持つということだ。「仮想敵」を想定せず、どの国とも敵対関係にならない外交力、すべての国と親善、協力の友好関係を結ぶ外交力を持つこと、これが「非戦の国是」堅持の必要条件となる。

特に米中新冷戦戦略下で日米安保基軸をさらに要求する米国との関係では、米国が何と言おうと「敵対国」をつくらない、具体的には「対中包囲」といった中国敵視にくみしない、この原則を堅持する強い外交力が問われるだろう。

以上、「非戦の国是」基軸の安保防衛政策を立てる上で基本論点を提言として提起させていただいた。これから必要となる安保防衛政策論議、そして緊急には改憲論議の一助としていただければ幸いである。

【外交】

          日米同盟基軸外交から脱し日本の国としての外交へ

                                               赤木志郎

 今日、米国が対中国包囲網を築く措置(英米豪軍事同盟オーカスの結成、技術同盟、南シナ海での英米豪日の軍事訓練など)を連続的に打ち出し、内外情勢がいっそう厳しいものに変化するなかで、日本の外交がかつてとまったく異なった、中国に敵対国として対応するものに変わっており、このことが日本の国のあり方を大きく左右するものになるのではないかと思う。

1,「新冷戦外交」の特徴

 岸田首相は昨年十月の初の所信表明演説で、「毅然たる外交」をおこなうとして「自由、民主主義、人権、法の支配といった普遍的価値を守り抜く覚悟」を掲げた。これは、所信表明で、「米豪印をはじめとする同盟国・同志国とともに普遍的価値を守り抜く」と言うように、「専制主義国家」対「民主主義国家」の戦いの最前線に日本が自ら立つという意味がこめられていると思う。

 岸田首相の所信表明では「米中新冷戦」という言葉は一度も使われていない。しかし、そこに貫かれているバックボーンは、米国の「米中新冷戦」戦略に対応した「新冷戦体制」の構築であるといえる。つまり日本外交が「米中新冷戦」の中国包囲網形成に対応して、日本における「新冷戦外交」に大きく転換したことを意味しているといえる。

 すでに日本は、中国包囲網である「開かれたインド太平洋地域構想」、「クアッド」(米日豪印の枠組み)に参加し、岸田政権はさらに経済安全保障担当大臣、人権担当首相補佐官を設け、中国包囲網に積極的に加わっている。二月一日の衆院本会議では中国の人権状況への懸念を表明する決議を賛成多数で可決している。岸田首相は去る12月には米国の主導で初めて開催された「世界民主主義サミット」に参加し、中国を念頭においた「人権問題」を強調した。そして今年、クアッド首脳会議や対面での「第2回世界民主主義サミット」の日本での開催が予定されている。

■新冷戦外交への転換の特徴

 この「新冷戦外交」への転換の特徴は第一に、これまでの後から付いていく対米追随外交から「主導的」な追随外交への転換だ。

 日本は戦後からこれまで米国にたいする追随の「日米同盟基軸外交」をおこなってき、米国の陰に隠れて日本には外交がないとよく言われていた。外務省は米国の対外政策を支持し追随するだけで、米国国務省の駐日事務所だという人もいた。そういう意味で、これまで日本の外交はなく、日本という国の顔がまったく見えなかった。

 今日、その「日米同盟基軸外交」の意味が大きく変わろうとしている。それは米国の後ろからそれにつき従う「対米追随外交」から、「中国包囲網」の最前線に立つ米国の別働隊にすすんでなり、自ら「主体的」に外交をおこなう「主導的外交」への転換だといえる。

 去る12月の「民主主義サミット」では、専制主義国と民主主義国に分ける基準が不明確で、米国自身が自国の民主主義に問題があることを吐露するまでに至っている。

 この衰退する米国を支え、日本が「別働隊」として主導的に対応しようしているところに、今日の日本の「新冷戦外交」の特徴があるのではないか。杉山晋輔前駐米大使が「力の弱まったバイデン政権にたいし日米同盟を主導するいいチャンスだ。・・・負担の分担ではなく責任と負担の分担をきちんとやろうと日本が言うべき」(出典)と言っているのも偶然ではないと思う。

 その特徴の第二は、世界の国々の上に普遍的価値観を置いて支配する米国に後から従う外交から、日本が普遍的価値観をもって世界を分断し排除する新冷戦の尖兵になる外交に変わったことだ。

 戦後、経済軍事的に世界一の強国となった米国は「普遍的価値観」を国の上におき、世界支配のための手段としてきた。これまで米国は「普遍的価値観」を掲げ、朝鮮戦争、ベトナム戦争、さらにアフガン、イラクなど世界各国にたいする政権転覆と侵略戦争をおこなってきた。

 しかし、今日、米国が「普遍的価値観」を掲げるのは、世界を「専制主義国と民主主義国」に分断し対中包囲網をつくり、台頭する中国の弱体化を図り、同盟国に米国を補完させることによって更なる従属と自らの支配的地位を守ろうとする企図からだといえる。

 岸田政権の言う「普遍的価値を守る覚悟」というのは、米国の対中包囲網の最前線に立ち世界の分断と排除の尖兵となるということに他ならない。そのため、経済安保、人権などを口実に中国を敵視し、ワクチン外交やインフラ外交で各国を糾合しようとしている。

 特徴の第三は、米国の戦争を後方から支援する外交から戦争最前線に立ち米国と共に戦争をする外交への転換である。

 これまで日本は米軍の兵站基地、前線基地としての国土の利用を許し、戦費を提供するなど米国の戦争を支えてきたが、自衛隊が表立って他国との戦争に加わるということはなかった。それは憲法九条のいかなる名分でも戦争はしないという条項があり、それを国民が支持してきたからだ。

 しかし、今日、岸田政権は台湾有事を日本の存立問題としてとらえ、小型空母を所有し、敵基地攻撃能力をもとうとしている。それは、これまで世界を侵略と武力干渉で支配してきた米国が弱体化したことにより、日本を米国の別動隊として対中戦争に引きこみ、対中対決の最前線に立たせようとしているからだと言える。

 特徴の第四は、米国の後から従ってきたアジア外交から「自由アジア」のリーダーとしてより積極的に行動しようとしていることである。

 日本には、もちろんアジアのリーダーになろうとする野心があったが、マハティール首相が提唱した「東アジア共同体構想」に、米国の圧力により日本が参加できず破綻したように、米国は日本がアジアのリーダーになることを抑えてきた。日本のアジア外交はあくまで米国の敷いたレールに従うものとしてあった。

 今日、米中新冷戦の主戦場になっているアジアにおいて米国が「インド太平洋地域構想」への協力を呼びかけたのに対し、ASEAN諸国が「対決と分断」に反対し「対話と協調」を主張している。このアジアで発言力を失った米国を支えるために、日本が「自由アジア」のリーダーになることを米国が要求し、日本も積極的にそれに応じようとしている。

2,新しい時代、求められる日米同盟基軸外交からの転換

 岸田政権は口を開けば「新しい時代」の到来だと言っている。岸田政権が言う「新しい時代」とはどんな内容か。脱炭素化、デジタル革命によるバラ色の未来社会を構想し、格差をうみだした新自由主義の克服と、成長と分配の均衡を言う一方、「現世界秩序を変更しようとする修正主義勢力は許せない」「民主主義国が専制主義国に圧倒されつつある」との論調。岸田首相の「新しい時代」の提起は「旧い覇権の時代」が衰退の危機に直面していることの反映だといえる。

 電気自動車やデジタル、宇宙産業など最先端産業の主導権を争うこの激動する時代に、「旧い覇権の時代」が衰退していくのを必死にくい止め、覇権を回復させようというのが、「米中新冷戦戦略」である。だから岸田政権は衰退した米国を支えて日本が主導的な外交、分断の尖兵となる外交、米国と共に戦争をする外交、「自由アジア」のリーダーとなる「新冷戦外交」を提唱していることに他ならない。

 そもそも外交とは何か。外交は国益を実現するための対外活動であり、世界の平和と繁栄のために寄与する活動であるといえる。だとしたら、ここで問題になるのは、現出している「新しい時代」における国益とは何かである。

 「(同盟の相手といえば、中国でもなければ欧州でもない)米国しかないではないか」(杉山前駐米大使)というように、国益はどこと同盟するかに求められている。ここで同盟とは覇権のための同盟であり、時代が覇権の時代であることが前提にされている。

 しかし、果たしてこの時代認識は正しいのか。

 今日、世界各国が米国の指図に従わず、自己の道を拓き発展を遂げようとしており、反対に米国の覇権の力は弱化しつづけている。全世界に展開していた米軍は、アジアにだけ集中され、アフリカ、中東、中南米から撤退している。昨年、アフガニスタンからの米軍撤退に象徴されるように、アジアからも米国の影響力が失われていくのは時間の問題である。

 民主主義を国家と対立させて覇権の回復をはかる新冷戦には無理がある。先の「民主主義サミット」の失敗は、そのことを示している。これは覇権そのものの終焉を示唆しているのではないだろうか。

 覇権が終焉しようとしている時代にもかかわらず、覇権は回復できると見なし覇権回復のための先頭に立とうとするのは、時代の流れに真っ向から逆らうものだ。それが国益になるだろうか。世界の平和と繁栄に貢献するものになるか。

 覇権は、かつて大日本帝国がアジアの盟主になろうとして侵略と戦争を拡大し滅びたように、元来、国益ではない。米国が世界の強大国を誇っていたとき覇権に加担してきたこれまでもけっしてそれが良かったとは言えないが、今日、弱体・衰退していく米国を支え、米国の別働隊となり、あくまで従っていくことが良い事なのか、国益なのかどうか、考え直す時が来ているのではないだろうか。

 今こそ、米国との同盟=国益という呪縛を断ち切り、現時代の時代的すう勢に合流し、日本の地に足をつけ日本国民の力で日本独自の道を拓いていく国としての外交を行うときである。

 「日米同盟基軸外交」と訣別した日本の真の国益に立った独自的・主体的外交を確立し、排除と分断がない互いに尊重して友好と協調を深めていく世界、非戦平和を外交の基本理念として争いと戦争のない平和な世界をめざし、アジア諸国を友として「新しい脱米自主の時代」の先頭にたっていくことこそが日本の進む道である。

ここから次のように外交政策の提言をしたいと思う。

3,外交政策の提言

① 日米同盟基軸外交」から脱した国としての独自的外交を

 覇権の道具である日米同盟を絶対化した「日米同盟基軸外交」が、今や日本の国益、国民の利益を侵し、アジアと世界の平和に脅威を与える根源となっている。これまでも国としての外交がなかったが、とくに、米国と一体になって「新冷戦外交」を「主導的」におこなうに至っては、日本を米国の一部とする、日本という国の完全な否定である。それゆえ、「日米同盟基軸外交」そのものから脱し、国としての独自的な外交をおこなうことが何よりも要求されている。

 そのために、日本の国益、国民の利益を基準にして独自の外交政策を確立し遂行していくことである。

 とりわけ、米国の覇権回復戦略である対中包囲網に参加せず、米中対立を緩和させることが、日本の利益と世界の安定、平和に寄与することになる。歴史文化的・経済的に密接な関係にある中国に敵対することが日本の国益に合致しないということは明らかではないだろうか。

 米国との友好関係は維持、強化しながらも、あくまで日本の主権と国益を守りぬいてゆくこと。

② の国とも友好と協力関係をはかる全方位外交を

 外交の基準を「普遍的価値観」に置く排除と分断の外交に反対し、あくまで国益を基準に多様な価値観を尊重し、すべての国との友好協力関係を強化していく全方位外交を行うことによってこそ、現在の対立激化と、平和と安全への脅威を取り除くことができる。

 全方位外交は、世界各国との貿易を不可欠として、かつ様々な制度と歴史をもつ国々と接する日本にとって国益に適う外交である。そして、価値観の異なるどの国とも友好関係をはかることによって、世界から争いと戦争をなくしていくことができ、あらゆる国との友好と協力関係を発展させ、世界の安定と共存共栄と発展に貢献することができる。

―「開かれたインド太平洋地域構想」、「クアッド」、「民主主義サミット」などの対中包囲網に加担せず、制度と理念の違いを越えてどの国も主権国家として尊重し、排除せず、互いに内政干渉せず、相互理解にもとづく友好関係を築いていく。とりわけ中国のウイグル、香港など内政問題に干渉せず、中国との友好関係を強化すること。

―尖閣列島、竹島、北方領土など懸案の問題は一方的に主張せず、話し合いで解決し、朝鮮民主主義共和国との国交正常化を実現し、隣国との安定した関係を築くこと。

③ 戦平和を基本理念とする平和外交を

 中国の内政問題である台湾海峡をめぐる武力衝突がおこれば、日本を含む東アジア全体に戦火を及ぼす危険性がある。それはまた、かつて、日本軍国主義が中国を侵略した過ちを米国の尖兵となって繰り返すということにほかならない。

 とりわけ、元来日本の国是は非戦平和であり、それは戦争の悲惨な体験を経た国民の一致した念願である。現憲法は、再び戦争を起こさず恒久平和をめざす理念で一貫されている。今こそ、憲法九条を掲げ、いっさいの戦争に関わらず世界平和を主導する非戦平和の外交をおこなっていくべきである。

 非戦平和を外交の基本理念とするということは、争いと戦争のない平和な世界の実現をめざし、日本の恒久平和と安全を保障するだけでなく、日本が国際社会において大きく貢献していく道である。

 そのためには、敵対国を作らず、あらゆる国の主権を尊重し、平和的な友好関係を築いていくことだ。それはすなわち、内政干渉をしないということであり、「民主主義」「人権」の名で排斥し制裁を行わないということだ。

④ ジアの内からアジアの一員としてアジア重視外交を 

 アジア重視は、アジアが米中対立の主戦場となっているがゆえに、いっそう切実である。このとき、日本が米国の別働隊となって「自由アジアのリーダー」をめざし、分断と排除の先頭に立つのではなく、友好と対話を志向するアジア諸国に与し、肩を並べてこそ、アジアと世界の平和と安定をはかることができる。それはASEANをはじめアジア諸国の念願でもあることである。

 アジア重視外交は、これまでのような「脱亜入欧」か「アジアの盟主になる」というアジアの外からアジアに対応するのではなく、アジアの内からアジアに対し、アジアの一員として「対話と協力」を通じて隣人、友人として絆を深めていくアジア重視外交をおこなうことである。とりわけ、アジア諸国はかつてのアジア諸国ではなく、アジアは世界の中でも急速に発展していっている地域である。だから、日本の国益の見地から言っても、アジア重視の外交をおこなうことは、東アジアの平和と安定、友好と協調に寄与し、そのなかで日本の平和と繁栄を築いていくことができることになる。

 民族と宗教、制度と歴史が多様な東アジア諸国にたいし、各国の主権を尊重し、相互理解と信頼、内政不干渉にもとづいて友好協力関係を発展させていくことだ。その発展はASEANを母体に東アジア全体の共同体への発展につながる。さらに、アジア諸国との友好関係を築くうえでの前提として、また、非戦の誓いの証しとして、まだ十分におこなっていない植民地支配と侵略それ自体にたいする反省と謝罪、補償を誠実におこなうことだ。そうしてこそ、アジア諸国の人々の信頼と尊敬を受けることができるだろう。

 わが国が、「日米同盟基軸外交」に訣別し独自の自主外交を行うことを根本原則とし、多様な価値観を尊重する全方位外交を展開し、非戦平和の基本理念のもとで敵対国を作らず争いと戦争のない世界をめざし、アジアの内からアジアの友人としてアジア重視の外交をおこなっていくとき、日本の安全と平和、繁栄を確固たるものにし国益を実現することができ、アジアと世界の平和と協調に大きく寄与することができるだろう。

【経済】

日本経済の真の転換を問う

小西隆裕

 岸田新政権は、その経済政策として、成長と分配の好循環、「新しい資本主義」を掲げ、長期停滞からの転換と新しい発展について国民の前に公約した。しかしそこには、それを実現するための具体的な対策も、失敗したこれまでの経済政策、アベノミクスについての総括も何もない。

 時あたかも、第4次産業革命、それに基づく産業経済のデジタル化、グリーン化など経済発展の新時代。この時代的転換の時にあって、「新しい資本主義」はそれにどう対するものなのか。

 さらにもう一つ、決定的に重大なことがある。今、衰弱する米覇権の回復戦略、「米中新冷戦」が日本をその最前線に押し立てながら仕掛けられてきている。岸田新政権の経済政策がこれとの対応抜きにあり得るはずがない。

 総括やそれに基づく科学的な対策がなく、万一あったとしても、それを正式に公表することもない、そのような政権に国と国民の前にしっかりと責任を持った政策や方針を期待することができるのだろうか。

 岸田新政権の経済政策に対しこうした疑問を呈しながら、私たちが考える経済政策について若干の問題提起をしていきたい。

■日本経済長期停滞の根因を探る

 「失われた30年」、日本経済は、この30年来ほとんど成長してこなかった。と言うより、衰退したと言った方がよいかも知れない。

GDPも実質賃金も、個人消費、設備投資も、1990年、バブル崩壊以来、成長が止まっている。GDPは1・5倍(中国37倍、米国3・5倍)、平均賃金は4・4%増(米国47・7%増、英国44・2%増)。企業の内部留保金(利益余剰金)が2012年、304兆円、17年、446兆円と大幅増したのに対し、実質賃金はむしろ減少し、国民の貧困化が進んでいる。全雇用者5953万人中、年収400万未満は50・0%、300万未満は31・1%。可処分所得でも20年以上連続で下がり続けており、個人消費、設備投資もほぼ横ばいが続いている。

 この世界的にも例がない異常な事態に直面してよく言われるのは、先端産業の立ち後れだ。かつて「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と称賛され、他の追随を許さないまでに先行発展していた日本の先端産業は、今や見る影もない。他のどの国でも容易に追いつけるごく一般的なものへと色あせてしまった。「昔、ソニー、パナソニック、今、アップル、サムソン」はその代名詞だ。

 それを示すものとして一目瞭然なのが、中国や米国に大きく水をあけられた研究開発投資の少なさだ。その結果、生み出された特許や論文の数や質、そのレベルは、米中などとは対比もできないものになってしまっている。

 コロナ禍で露呈された「デジタル敗戦」は、それに止まらない。何より、産業、経済、社会全般に亘るデジタル化、「デジタルトランスフォーメイション」が世界的に大きく立ち後れてしまっている。

 これは深刻な事態だ。しかし、「失われた30年」を見た時、それにも増して深刻な問題がある。日本の経済、社会全体を覆う格差と不均衡の極度の拡大だ。

 周知のように、人々のもっとも基本的な社会生活単位である国を基本単位として、ヒト、モノ、カネが回り循環して、経済は生きている。それがよく回らなくなった経済は、病んだ経済だ。30年の長きに亘り停滞する日本経済は、明らかに病んでいる。それもかなり深刻な重症だ。ヒト、モノ、カネの偏在が甚だしい。大企業、富裕層、首都圏、外需産業、等々への富の極度の集中は、その流れを著しく阻害し経済停滞の根因になっている。

アベノミクス第一の矢、「大胆な金融政策」で「年間80兆円」という異次元の金融緩和策を続けても一向にカネが回らなかったのは、まさにそのために他ならない。いくらカネを増刷しても、大企業の内部留保金が膨張するだけで、それが広く国民に行き渡らず、個人消費が増えなければ、企業の設備投資欲も上がらず、経済が回転することもない。

 アベノミクス第二の矢、「機動的な財政政策」失敗の根因も同じことだ。財政出動の口がなく、未だに企画倒れの政策が多数残っている。すなわち、第一の矢でつくったカネの使い道がないということだ。これが富の偏在によるのは言うまでもない。

 そしてアベノミクス第三の矢、「民間投資を喚起する成長戦略」。働き方や農業、医療などの新自由主義構造改革について言えばもはや論外だ。この弱肉強食への改革が格差と不均衡を生み出し拡大する元凶であるのは、久しい以前に証明された事実ではないか。

 以上、「失われた30年」の根因について、「先端産業の立ち後れ」、そして何より「格差と不均衡の拡大」から見てきたが、問題は、なぜこのような事態になっているのか、その根因について見極めることではないだろうか。

 「格差と不均衡の拡大」については、ここで改めて論ずる必要もないのではないか。それが米覇権戦略の新植民地主義・ケインズ主義からグローバリズム・新自由主義への転換にともなうものであるのは周知の事実だ。1993年宮沢・クリントン会談以来、毎年米国から送り届けられるようになった「年次改革要望書」によって、日本経済と社会の新自由主義構造改革、すなわち弱肉強食化が一段と促進され、その結果、格差と不均衡が甚だしいものになったのはすでに一つの常識になっている。

 では、「先端産業の立ち後れ」についてはどうか。これの起源が1986年と91年の日米半導体協定にあることについては、金子勝氏が指摘している。この二回にわたる協定で日本製半導体のダンピング容疑による価格引き下げの禁止、米国への輸出禁止、さらに日本への外国製半導体の輸入割当の強制がなされ、産業のコメである半導体の生産が世界の50%から10%へ激減するという決定的打撃を受けることになった。まさにこれによって、日本の先端産業、情報通信産業全体が衰退局面に入り、世界最先端にあった電機産業も国際競争力を失っていった。そしてこの過程が、日本政府がわが国産業の利益を守るためにと、米国の強まる要求へ譲歩に譲歩を重ね、そうすることにしか日本の生きる道を見出せなくなった過程としてあったのは、同氏の指摘を待つまでもないだろう。

 「格差と不均衡の拡大」と「先端産業の立ち後れ」、この「失われた30年」の二大根因の背景にあったのは何か。それはもはや明らかではないだろうか。米国言いなり、そして新自由主義の市場任せきり、この経済政策の不在にこそ「失われた30年」の根因中の根因があったと言うことができると思う。

■産業経済発展の新時代と「新冷戦体制」下の日本経済

 今は産業経済発展の新時代だ。産業経済のあり方の根本から転換が起こってきている。仕事や生活の一部にIT機器が導入されたという次元ではなく、仕事や生活のあり方そのものがITによって成り立っている。これまでには考えられもしなかった働き方、生活の仕方の根本的転換が起こってきているということだ。

 それは、IT革命,産業経済のデジタル化だけに止まらない。もう一つ、産業のグリーン化、脱炭素化が一つの時代的な趨勢として生まれてきている。石油や石炭といったいわゆる化石燃料の時代から太陽の光や熱、風力、地熱、そして水素など再生可能エネルギーの時代への転換だ。それが発電方式の転換やエンジンからモーターへ発動方式の転換などこれまでのエネルギー生産方式の根本からの転換につながっていっている。

 この産業経済のあり方の根本からの転換が持つ意味は計り知れない。底なしの経済停滞からの脱却口をこじ開けるくらいの力は十分に持っているのではないか。

 岸田新政権の「新しい資本主義」にこの「産業経済の新時代」が織り込み済みなのは、その政策の柱の一つに「科学技術立国」が掲げられているところにも現れている。この政権が、地方地域の活性化とともに、デジタル化、グリーン化を経済政策の目玉にしてくるのはほぼ間違いない。

 そうした中、問題は「米中新冷戦」だ。米国は、米覇権の建て直しのため、中国を敵視し、対中国の「新冷戦」を仕掛けてきている。この対中対決戦で米覇権が最重要視しているのが日本をその最前線に押し立てることだ。なぜそうするのか、その理由は明確だ。弱体化した自身の軍事、経済力に日本の力を取り込みながら、日本をこの対決戦の先兵に押し立てるためだ。

 そのために米覇権が狙っていることがある。それは他でもない、軍事、経済をはじめ、あらゆる領域での日米統合、融合、一体化だ。

 事実、近く米国の駐日大使に指名される予定と言われるラーム・エマニュエル前シカゴ市長は、「(「米中新冷戦」は)経済規模で世界首位の米国と3位の日本との統合を強める好機であり、この統合が緊密化できれば、きわめて強い力になる」と言っている。

 この日米経済の統合、一体化において、産業経済のデジタル化、グリーン化が地方経済の活性化とともに大きな力になるのは目に見えている。すなわち、この新時代の新しい経済領域を日米共同で開発、構築していくことを通じて、日米経済の統合、融合、一体化を図るということだ。デジタル庁の担当大臣と同等の権限を持つ監事に日系二世の米国人女性が就くことがすでに内定しているという。

 そればかりではない。この日米経済の統合、一体化、そして共同は全面的だ。デジタル化のプラットフォームはGAFAのものになることが決まっており、デジタル化の命であるデータ主権は、すでにGAFAの一つ、アマゾンに売り渡されているという。

 一方、グリーン化も日米一体、共同だ。バイデン政権の下、大々的に推し進められる「グリーン・ニューディール」の一環として日本のグリーン化が推進される公算大である。

 これらが、安倍政権の時すでに開始されていたコンセッション方式による外資の地方地域の開発や産業経済への参入と相まって、日米一体、共同での日本経済の復興と転換、新しい発展につながっていくのは、言うまでもないのではないか。

 ところで、この米国言いなりの「新冷戦体制」下、日米統合、融合、一体化の経済にあって、忘れてはならないことがある。それは、この統合、融合、一体化が日米対等のそれではなく、どこまでも米覇権の下、日本経済を一国の経済として基本単位にすることなく、どこまでも米国経済の一部、下請けとしてそこに併合、吸収する統合、融合、一体化だということだ。

 産業経済新時代の石油に代わる戦略物資、半導体の生産が米国による設計、米国、台湾、韓国による製造、そしてそれを支える日本による設備、部材の生産という体制で行われること、そのために世界最大の台湾の半導体メーカーTSMCの工場が熊本に日本の半額出資(4000億円)で建設予定であることなどは、その象徴的な役割分担だと言えるのではないだろうか。日本は、完全に米国を頂点とする全アジア的な半導体生産体制の中に組み込まれ、その下支えの役割を負わされている。

 これで果たして、日本経済の拡大する一方の格差と不均衡は正され、立ち後れた先端産業は立ち直ることができるのだろうか。

 「新冷戦体制」下の日米経済の統合、融合、一体化では、「失われた30年」の二大根因である「格差と不均衡の拡大」「先端産業の立ち後れ」を克服し、日本経済の転換と新しい発展を実現することはできない。それどころか、日本経済は米国経済の一部、その下請け経済として組み込まれ、日本経済の「格差と不均衡の拡大」「先端産業の立ち後れ」の克服など一顧だにされなくなるのは目に見えている。

■日本経済の真の転換、新しい発展のために

日本経済の「格差と不均衡の拡大」「先端産業の立ち後れ」を克服し、「失われた30年」から抜け出すためには、その根因中の根因である米国言いなり、市場任せきりの経済政策の不在から正していかなければならない。

 日本が米国言いなり、市場任せきりの経済政策の不在に陥ってしまった根は深い。その根底には、国を否定し国の上に君臨してくる覇権国家米国への追随があり、その究極の覇権思想、国と民族そのものを否定するグローバリズム、新自由主義に囚われてしまったという現実がある。

 そこからは、国の経済を国が主体となってつくるという観点も、そのために政策を立て執行するという意思も生まれてこない。それが米国言いなり、市場任せきりという経済政策の不在となって現れている。

 この事態から抜け出るためには、対米従属の足枷から脱却すると同時に、国の経済を日本主体の観点から、自ら政策を立ててつくるという発想の一大転換を起こすことが決定的だと思う。国が主体となって、国の経済をつくるという観点に立ってこそ、日本経済の「格差と不均衡の拡大」も「先端産業の立ち後れ」も正し、「失われた30年」の泥沼から抜け出すことができる。

 国の経済を国が主体となってつくる上で何よりもまず求められるのは、やはりそのための指針だと思う。どういう目的、原則をもって国の経済をつくるのかという指針をもってはじめて、この膨大な事業を過ちなく行っていくことができる。

周知のように、安倍政権はアベノミクスの目的を「企業がもっとも活躍しやすい国づくり」に置いた。ここで言われた「企業」が中小企業や零細企業ではなく、大企業や外資を指していたのは、安倍政治9年の「実績」が雄弁に物語っている。

 ところで、そもそも経済活動の目的はどこにあるのか。人々の生活を豊かで幸せなものにするところにこそあるのではないか。企業もそのためにあるはずだ。ところが、現実にはそうなっていない。企業が、株主の利益第一など、金儲け第一、利益第一になり、政府はそれを助ける機関になってしまっている。これまで国民のため、働く勤労者のため、営々と築かれてきた各種規制を株主の利益、企業の利益第一にことごとく取り払い、なくしてしまったグローバリズム、新自由主義はその最たるものだった。そのため、格差や不均衡が拡大し、ヒト、モノ、カネが回らなくなってしまった。

こういう時は、原点に戻るのが一番だ。企業の活動より何より、国民生活をよくすることを第一に、国の経済をつくっていくということだ。外資や大企業はもちろん、企業活動のすべてを国民の生活向上を第一にそれに奉仕するようにするということだ。そうすれば、格差と不均衡をなくし、経済が回るようにすることができるし、先端産業の立ち後れも取り戻すことができる。

 問題は、それをどうやって実現するかだ。企業、とりわけ外資や大企業にそんなことを期待できるはずがない。

 では、それに従わせることのできる意思と力はどこにあるか。それは、国民にしかなく、国民によって支えられ、国民の意思と力を集めて動く政府、国にしかない。

 かつて2009年、圧倒的な国民的支持を受けて成立した民主党政権が掲げたのが「国民の生活第一」だった。しかし、残念ながらそれは実現しなかった。なぜ実現しなかったのか。その要因としてはいろいろあるだろう。だが、もっとも決定的だったのは、米国の圧力を突破できなかったところにあると思う。それは、沖縄の普天間基地移設問題で米国の拒否に逢った鳩山首相がそれをはね除けることができず、政権を放棄せざるを得なかったところに端的に示されていた。

 この歴史的教訓から導き出されることは何か。それは、政策を打ち出し、遂行するに当たって「自主、自立」を原則とし、あらゆる政策を自分の頭、自分の力で打ち立て、推し進めるようにし、そうすることを国民的な合意とすることしかない。そうすること以外に、米国の圧力に抗し、国民的合意の下、国と国民の意思と力を背景に「国民の生活第一」の政策目的を実現していくことはできない。

 これまで戦後日本の経済は、最初から対米対外依存だった。米覇権の下、米国の資本、米国の技術、米系資本を通しての資源、販路、等々、すべて米国、米系外資の力に頼って戦後日本の経済は運営されてきた。その日本がプラザ合意や年次改革要望書、そして日米半導体協定など、米覇権とその対日政策の転換にともなって、完全に米国言いなり、市場任せきりになり、経済政策不在になったという経緯があった。

 だからこそ、今、日本が米国言いなり、市場任せきりから脱却し、国民の生活第一の政策を打ち立て遂行しようとすれば、全国民的な合意の下、「自主、自立」を第一原則としてしっかり打ち立てるようにすることが決定的になる。

 もう一つ、国民生活第一の経済政策を確立する上で決定的なのは、効率を至上とする原則から「均衡」と「革新」を生命とする原則へ転換することではないか。

 弱肉強食のグローバリズム、新自由主義の経済、すなわち、外資、大企業第一の経済では、効率ほど重要なことはない。すべての基準は効率であり、効率が良いか悪いかですべてが決められるようになる。

 これに対し、国民の生活第一の経済では、国の経済をどうつくるかの観点からあらゆる問題に対するようになる。そこで問われるのが、「効率よりも均衡であり革新」だ。

雇用形態の正規雇用基本への転換や最低賃金の引き上げ、所得税の累進課税強化や法人税引き上げ、消費税廃止など税制改革、高齢者への全額給付や保険料廃止、生活保護者への給付引き上げなど社会保障の充実、等々、富の分配、再分配をよくし所得格差を縮小するとともに、教育や地方地域間、企業規模間、産業間などあらゆる格差を縮め、富の偏在、一極集中をなくして、生き物である経済がよく回るようにするための生命は「均衡」の原則だ。少しくらい効率が悪くても構わない、格差をなくし均衡を取って経済が回るようにするのを第一にそれを優先させる原則で国の経済を積極的、能動的につくり運営していくのが肝要だ。

国の経済をつくる上で、もう一つ重要な原則は「革新」だ。効率を先立て失敗を恐れて、革新を抑える新自由主義経済にあって、先端産業の大胆な革新が抑えられ経済の停滞現象が顕著になるのは周知の事実だ。米国における先端経済停滞の大きな要因もここにあったと言うことができる。「効率よりも革新」の原則を立て、それを国の政策立案において堅持、固守するとともに、全国全社会的に失敗を恐れず革新する気風、風潮が内からわき上がり、それが国の経済発展の推進力になるようにすることが問われていると思う。中国が国家的に革新を奨励し、ベンチャー企業を積極的に育てて、国の経済のデジタル化を急速に推し進めたのは参考にする必要があると思う。

 今日、産業経済発展の新時代にあって、国の経済を国が主体となってつくる上で求められているのは、その目的や原則など指針を確立するとともにもう一つ、AIやモノ・デジタル・バイオ技術の融合などを基本内容とする第4次産業革命を国と社会を挙げての大事業として推し進めながら、産業経済のデジタル化、グリーン化を「失われた30年」からの脱却と日本経済の新しい発展のための原動力として積極的、能動的に促進して、国の経済をつくっていくようにすることだ。そこにこそ、無限の経済需要の源泉があり、国の経済を「国民生活第一」に、「自主、自立」と「均衡」、「革新」の原則で限りなく発展させていく力が秘められているのではないだろうか。

 そこで問題なのが「新冷戦体制」だ。日本の国としての存在を否定し、米国の一部として日本を米国に吸収統合、一体化するこの「体制」にあって、産業経済のデジタル化、グリーン化はそのための手段にされている。日本経済に対するデジタル支配、グリーン支配を強め、それを通して、日本経済の米国経済への吸収統合を促進しようということだ。

 「失われた30年」の泥沼から脱却し、国の経済をつくるための原動力か、それとも日本経済の米国経済への吸収統合、一体化を促進するための手段か。今日、同じデジタル化、グリーン化をめぐってのこの対立と攻防が、国の経済をつくるための指針をめぐっての対立、攻防とともにもう一つの切実な問題として提起されている。

 その対決点、争点は、当然のことながら、具体的に現れるようになる。産業経済のデジタル化にあっては、そのプラットフォームを米系、GAFAに委ねるのか、中国系、BATHに委ねるのか、はたまた、日本独自のプラットフォームをつくるのか、デジタル化の生命、データ主権をアマゾンに売り渡してしまったのをどうするのか、対米対外依存の半導体生産体制に甘んじるのか、それとも設計から製造、設備、部材まで、自立的で総合的な半導体生産体制を立て直すのか、地方のデジタル化とスーパーシティー構想をGAFA主導に任せるのか、それを日本主導に転換するのか、第4次産業革命の推進体制と方法を米国に委ねるのか、はたまた日本独自に打ち立てるのか、等々、あらゆる問題において対決点、争点は、一つ一つ、鮮明になっていくだろう。

それは、産業経済のグリーン化にあっても同様だ。これを通して、格差と不均衡の是正と先端産業の立て直しを目指す日本と、日本経済の米国経済への取り込みを狙う米国とでは最初から目的、目標が異なっている。それが電動車生産問題、レアメタルなど資源、資材問題、地産地消推進問題、グリーン化研究開発問題などあらゆる領域、分野での下請け化、等々、深刻な矛盾として現れていくのが目に見えている。

 続出する矛盾、対決点を前に、それを解決する主体は、米国でも大企業でも自民党でもない。唯一日本国民しかいない。日本国民が自らの政権を推し立て、国の意思と力でこの問題を解決する時、はじめて産業経済のデジタル化、グリーン化は、日本の産業経済を「失われた30年」の泥沼から抜け出させ、新しい発展の道に立たせる力強い原動力になることができる。

 だが今、日本経済の現実は、岸田政権の「新冷戦体制」づくりの中、それとは真逆の方向に突き進んできている。こうした時、問われているのは、禍をもって福となす攻撃精神ではないだろうか。「新冷戦体制」づくりとの闘いを奇貨とし、より鮮明になった対決点を掲げ、政策対政策、この闘いに勝ち抜くことを通して、「失われた30年」から脱却し、真の転換、新しい日本経済発展の道を切り開く時が来たと言うことだ。

 夜明け前の暗闇は、もっとも暗いものだ。

【地方】

     米国のためではなく、日本のため、真に地方のための地方政策を

                                    魚本公博(序)

岸田政権は、その地方政策として「デジタル田園都市国家構想」を打ち出している。しかし、米国がGAFAなど超巨大IT企業を持つ下での「地方のデジタル化」は地方・地域を米国にゆだね差し出すものになるのではないか。

これまで日本の地方政策は、米国による米国のための地方政策でしかなかった。89年に始まった日米構造協議以降、日本の地方政策は、米国が要求する新自由主義改革を実現するものとしてあった。その結果、地方格差が広がり、多くの地方・地域が衰退した。

そして今、米中新冷戦を掲げる米国は、そのための日本の「新冷戦体制」づくりを急いでいる。それは、これまで進めてきた日本の米国への組み入れ統合を「デジタル化」によって一挙に深化・完成させるものとしてあり、「デジタル田園都市国家構想」は、そのための環となる地方政策ではないだろうか。

 岸田首相は、その2回の所信表明演説で「このデジタル化は地方から起こります」、「新しい資本主義の主役は地方です」と地方を強調している。それは、まさに地方が「新冷戦体制」づくりの中心環、その突破口として位置づけられているということではないだろうか。

これまでの新自由主義改革による多くの地方・地域の格差拡大と衰退、その上での「新冷戦体制」づくりのための地方政策は、それらをさらに深化させずにはおかない。

今こそ、米国の米国のための地方政策ではなく、日本による日本のための地方政策、真に地方のため地方政策が切実に問われている。そうした観点から日本の地方政策を提言したい。

■岸田政権のデジタル田園都市国家構想とは何なのか

岸田政権は、「デジタル田園都市国家構想」を成長戦略の柱の一つに据える。政府関係者は、それを、内閣府の指導の下で進行中の「スーパーシティ構想」の集合体だと説明する。そして、昨年11月には、その「実現会議」の初会合を開き全体像をまとめ、今年6月頃に決定する「経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)」に反映させる方針だという。そして、これを「デジタル実装加速化交付金」などで後押しするとする。この力の入れよう、その背景には何があるのか。

米国の次期駐日大使ラーム・エマニュエル氏は、その指名承認のための上院外交委員会での公聴会で中国との対決のために、「経済規模で世界首位の米国と3位の日本との経済統合を強める好機であり。この統合が緊密化できれば極めて大きな力になる」と述べた。

日本との経済統合、それは米国経済の下に日本経済を吸収、統合するということである。そして経済が吸収、統合されれば日本のすべてが吸収統合される。

米中新冷戦を唱える米国は、世界を民主主義陣営と専制主義陣営に分断することで自身の覇権の建て直しをはかろうとしており、そこに日本を組み込むことが死活的な問題となっている。この「新冷戦体制」とも言うべき体制の構築、それは日本を米国に吸収、統合する、そのような体制だということができるだろう。

それにしても「日本との経済統合」とは何と露骨な表現であろうか。エマニュエル氏は、大使就任にあたって「日本との絆を深める」とトーンを落としているが、その本音は「日米統合」にあることをはっきり押さえておかなければならない。そして岸田首相は、エマニュエル新大使と「緊密な連携をとる」と言っている。こうした中での「デジタル田園都市国家構想」が日米統合のためのものとなるのは明らかだ。

それは「デジタル田園都市国家構想」がデータ主権を放棄した下での「地方のデジタル化」となるからだ。

今日、デジタル化なしに社会の発展は望めない。そのデジタル化において、生命だとされる決定的なものがデータである。政治、経済、軍事においてもデータの重要性が増している。第4次産業革命が言われる中、未来を担う量子コンピューター、量子レーダー、量子通信などの量子技術、AIやロボット、バイオなどでもデータが決定するという。

それ故、世界各国はデータ主権を唱え、データを守り、保護することを重視している。しかし日本は、自らデータ主権を放棄している。TPP交渉の過程で「国境をまたぐデータの自由な流通の確保、国内でのデータ保存要求の禁止という原則」を受け入れている。そして2020年1月には、それを「日米デジタル貿易協定」として締結し、自らデータ主権を放棄しているのだ。当時、トランプ大統領は、この締結について「4兆ドル相当の日本のデジタル市場を開放させた」と自身の成果を誇っている。

「地方のデジタル化」は、こうして、データ主権放棄の下で行われる。事実、昨年9月1日に発足したデジタル庁はシステムの標準化、統合を眼目としており、省庁と共に国と地方のシステム統合を目指しており、その基盤としてアマゾンのプラットフォームである「アマゾン・ウェブ・サービス」(AWS)を使用するとしている。さらには、これを使って米国の最大手ITコンサルティング会社「センチュアル」の日本法人が会津若松市や気仙沼などでスーパーシティ化の実証実験を行っており、これを「全国共通自治体プラットフォーム」にしようとしている。

こうなれば、地方・地域のデータ、産業を含むすべてのデータ、地域住民のデータはGAFAに掌握されてしまう。岸田政権の「デジタル田園都市国家構想」とは、地方を米国の手にゆだね、それをもって日本の国全体を米国の手にゆだねる、まさに日本の米国への吸収統合、そうした日米統合一体化、日本のアメリカ化のためのものになるしかない

岸田首相は、2回の所信表明演説で「このデジタル化は地方から起こります」、「新しい資本主義の主役は地方です」と述べている。それは「地方からデジタル化」を進めることで日米統合一体化を進めるということだ。地方は、日米統合一体化の中心環であり、「デジタル田園都市国家構想」はそのためのものとなるということである。

■米国による、米国のための「地方から日本の国の形をかえる」地方政策

これまで、日本の地方政策は、米国による米国のための地方政策であった。89年からの「日米構造協議」、それを引き継いだ93年からの「日米包括的経済協議」以降、それは顕著である。米国は、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われるまでに力をつけた日本の強さを日本株式会社、すなわち政官民一体となった構造、国と地方が強く結びついた構造にあるとして、その構造自体の改革、新自由主義改革を要求してきた。

そして、その遂行状況をチェックする「年次改革要望書」を日本に突きつけてきた。この要望書の存在を告発し「拒否できない日本」を著した門岡英之氏は、それは「アメリカ型への『日本改造プログラム』」だと指摘している。

日本を新自由主義改革し、アメリカ型の日本にする日本改造プログラム。それに基づく地方政策。日本の地方政策は、徹頭徹尾、米国のための米国の地方政策であったと言っても決して過言ではない。

その構造改革要求は「地方分権、行政改革、規制緩和」の三つであり、日本の地方政策は、この米国の要求に基づいて立てられてきた。そして、それは「地方から国の形を変える」というものとしてあった。

まず「地方分権」。これは日米構造協議が始まった当初から米国が強く要求してきたもの。そのために1995年6月に地方分権推進委員会が設置され、何回かの勧告の後、98年には「地方分権推進計画」が閣議決定され、99年7月に「地方分権一括法」が成立した。

そして行政改革要求による01年の省庁改編での自治省の解体によって、これまで地方自治を担当してきた自治省は、総務省の下に三つの部局に分割されて置かれることとなった。

国と地方は一体であり、国あっての地方、地方あっての国である。それ故、国は地方に対して責任をもち、指導や援助を行う。地方分権の推進と自治省の解体は、これを断ち切るものであり、事実、こうした中で地方交付金や各種助成金が大幅に減らされ、多くの地方が衰退していった。

そればかりではない。地方分権は、「地方分権推進計画」で「多極分散型国家」を目指すとされているように、究極的には維新が主張する多極分散型国家としての道州制のように各地方が半独立国家のようになる。そうなれば、日本は一つの国とは言えない「国」にされる。そして、米国は分権化された地方を今まで以上に掌握し、それによって、日本の国も掌握することができる。まさに地方分権は、「地方から国の形を変える」ためのもの、そのアメリカ化、日米統合一体化のためのものだということができる。

次に規制緩和。国は、自国産業を守り、国民の生活を守るために様々な規制をする。競争力の弱い産業、重要産業、育てるべき産業などは関税を設けて守る。国民生活では、コメ生産を守り、遺伝子組み換え産品の輸入禁止、狂牛病に冒された国からの牛肉輸入禁止措置もとる。

米国は、こうした国として当然の規制を不公平であるとして撤廃を要求してきた。しかし、国としては、それにおいそれと応じるわけにはいかない。それに応じれば自国産業を潰し、国民の生活を危うする。しかも、そうした規制は法律に基づいており、それに応じることは日本の法秩序、制度そのものをなくすに等しいものだからだ。

そこで地方から崩す。それを最もよくやったのが安倍政権である。「特区への外資導入策」がそれである。安倍政権は「地方創生」を掲げながら、「特区への外資導入」策をとった。2013年6月に「国家戦略特区法」を成立させ、特区への外資導入策を進めた。そこで言われたのは「岩盤規制に穴を空ける」ということだった。

特区では国次元で設定された様々な規定が撤廃された。例えば、教育や医療では、それに従事する教師や医師は、国家資格をもった者に限られるし、営利目的とする株式会社経営は禁止されている。しかし、特区では、その他様々な国家的規制が撤廃された。こうして米系外資が国の規制を超えて大手を振って浸透するようになった。

そして「連携中枢都市圏構想」。2017年に地方制度調査会が提起した、この構想は効率第一の新自由主義に基づき、衰退する地域の「全ては救えない」として地方の中核都市を中心とした圏域にヒト、モノ。カネを集中するというもの。そして、この構想を受け入れる自治体には交付金を多くし補助金を出すなどの優遇措置をとるとした。逆に言えば、この構想に参加しない自治体、相手にされない弱小自治体は「切り捨てる」ということになる。

日本の自治は、基礎自治体である市町村と都道府県の二重構造であり、住民生活に密接した自治体業務は市町村で行われる。この基礎自治体を中枢都市圏の傘下に置き、参加しない自治体は切る捨てるということは、地方自治そのものを切り捨てるということになる。

この「連携中枢都市圏構想」で目玉とされたのが、コンセッション方式だ。自治体が管理・運営する水道など公共事業の運営権を民間(米系外資)に譲渡するというもの。この方式は、米国の水メジャーが南米などで実践してきたものであり、2013年に麻生財務相が米国で行った講演で「日本には、こうしたもの(水道など)がたくさんあります。これらを全てを民間に譲渡します」と述べたとき、会場は色めきたったという。

「これら全てを民間に譲渡する」。そうなれば自治体が管理する多くのものが民間(米系外資)によって運営され、ひいては自治体そのものが米系外資によって運営されるようになる。

2018年に総務省は「連携中枢都市圏構想」を受けて「自治体戦略2040構想」なるものを打ち出しているが、それは2040年には日本の総人口が1000万人減少するから、それに対応して「地方公務員の半減」や「公共サービスの民間への委託拡大」を行うというもの。

「デジタル・ファシズム」を著した堤未果氏は、それを自治体解体だと指摘するが、コンセッション方式による自治体業務の米系外資への譲渡、すなわち民間委託の拡大、それに伴う地方公務員の大幅削減など、それは地方自治の根幹である基礎自治体の解体であり、さらに言えば、日本の地方自治制度の解体である。

今、「仙台圏の一人勝ち」ということが言われている。仙台圏とは、仙台とその周辺だけでなく山を越えた山形市を中心にした地域を含む経済圏として、県の範囲を超えた中枢都市圏であり、そこにヒト、モノ、カネが集中し、他の東北の多くの市町村が衰退した。このことは、中枢都市圏構想とは、地方自治制度を解体し、とりわけ住民生活に直結する基礎自治体を解体し衰退させるものであることを如実に示している。

「拒否できない日本」を著した関岡英之氏は、米国が日本改造のために、いかに執拗に長期的戦略をもって対してきたかを語っている。地方分権による地方と国の切り離し、特区への外資導入策、「連携中枢都市圏構想」での基礎自治体の切り捨て、コンセッション方式による地方・地域の米系外資へ売り渡しなど、「地方から日本の国の形を変える」戦略、すなわち日本を吸収・統合して日米統合一体化する戦略は、その完成を目指す段階に至っている。

■「新冷戦体制」づくりのための地方政策

米中新冷戦を唱える米国は、これを「好機」(エマニュエル氏の言葉)に「新冷戦体制」として日米統合一体化を決定的に押し進め完成させようとしている。それは、これまで進めてきた地方分権、地方からの規制緩和、基礎自治体の解体を基軸とする地方自治制度の解体を「デジタル化」によって、さらに拡大・深化させて米国が地方を完全に掌握支配する、それを地方を中心環に、突破口にして「地方から日本の国の形を変える」路線を完成させるということだ。

これまでも日本の地方政策は、米国のためのものであり、日本をアメリカ化する「日本改造プログラムとして日米統合一体化を進めるためのものであった。しかし、そのための地方分権、特区への外資導入策、連携中枢都市圏構想、その下でのコンセッション方式などには根強い反発・反対があり、必ずしもすんなり進んでいるわけではない。

地方分権もその眼目とされた「三位一体の税制改革」は進んでおらず、特区への外資導入策も部分に止まっており、「中枢都市圏連携構想」についても全国市長会議で「われわれを見捨てるのか」「これまでの努力を無にするのか」などの声があがった。また、それを先取りしたかのような維新の大阪都構想のための大阪市解消の是非を問う大阪市住民投票で大阪市民はノーを突きつけた。

そして、「仙台圏の一人勝ち」と揶揄されるように、切り捨てられ、見捨てられた地域の反発・批判の声も高まっている。コンセッション方式も浜松市が一旦、決めた水道事業への導入を市民の反対の声が高まる中で中止を表明するなど、これまでの地方政策は多くの反発・反対にぶつかっている。

そこで「デジタル化」。デジタル技術を使えば、これらの反発・批判を押しつぶし「地方から国の形を変える」ということも一挙に進めることができる。

米国はGAFAなどIT巨大企業を抱え、この分野で圧倒的な力をもっている。そして日本は、データ主権を放棄している。また「産業のコメ」と言われ、今やかつての石油のような「戦略物資」とされる半導体も、その設計は米国が担当し日本は製造設備や部材などでそれを支える体制になっている。米国としては「デジタル」を活用すれば、地方を完全に掌握・支配し、そして、それによって日本を完全に米国に吸収する形で統合一体化させることができると踏んでいるということである。

その素案は2011年3月11日の東日本大震災の復興に際してセンチュアルなどを介した「日本デジタル化計画」として立てられおり、米国が以前から「デジタル化」による日米統合一体化を狙っていたことを示している。

それは、どのようなものになるだろうか。「デジタル田園都市国家構想」がスーパーシティの集合体だとすれば、日本の各地方に拠点的なスーパーシティが形成され、そこに基礎自治体が網羅される、そのような形になるのではないか。

デジタル化には膨大な資金と技術が必要であり、スーパーシティは力のある地方の中枢都市中心になるだろう。そして地域住民の生活に密着した市町村など基礎自治体の多くは、その傘下に入れられるか、切り捨てられる。そして、そのスーパーシティは外資系コンサルに委託される。まさに自治体の解体、自治制度の解体である。そこでは地方・地域の企業や産業のあらゆるデータ、住民のデータがGAFAに掌握され、地域と地域住民はその隷属物にされる。

こうして地方は完全に米国に掌握され、それによって日本の国自体もいっそう米国に掌握され、日米統合一体化は完成させられる。

「デジタル田園都市国家構想」は、「世界とつながるデジタル田園都市国家構想」となっている。それは米国とつながるということであり、地方政策でありながらも「国家構想」として、「日本の国の形を変える」ものとしてあるということだ。

「デジタル田園都市国家構想」「スーパーシティ構想」など、デジタル化を地方からやるというのは、それがやりすく日米統合一体化の突破口になるからだ。

今、地方・地域は少子高齢化、過疎化に喘いでいる。そういう地域にとって無人走行、無人配達、遠隔治療などのデジタル化への期待は大きい。岸田首相も「地方にはニーズがある」として高齢化、過疎化をあげる。しかし、それは歴代自民党政権による新自由主義的地方政策の結果ではないのか。国から切り離され地方交付金を大幅に減らされ、「仙台圏の一人勝ち」のように、中枢都市圏にヒト、モノ、カネを集中することによって、基礎自治体の多くが衰退したのであって、それを「ニーズがある」などと言うことは許されない。

政府も新自由主義的手法では、地方格差を拡大し多くの地方・地域が衰退することは分かっていた。分かっていながら、その衰退を逆利用するという狡猾さ。「地方のデジタル化」もそれが地方を完全に米国の手にゆだね、それによって日米統合が進むということは分かっている。しかし、それは言えない。そこで地方の衰退をその口実にする。極めて狡知に長けた手法と言わざるをえない。

また、ここで注目しておかなければならないことは、維新の存在である。先の総選挙でほぼ4倍増の「躍進」を遂げた維新が改憲を強く主張し始めた。彼らは、その綱領に「統治機構改革」を掲げ、それを改憲の目的にしている。そして「地方から日本の国の形を変える」として、地方分権を進め多極分散型の国家として道州制にするとしている。

これまでも維新は、新自由主義改革を先頭に立ってやってきた。公営病院や公共施設の統廃合を進め、大阪市大と府大の統合を決め、市営地下鉄の民営化も行った。スーパーシティ構想についても25年大阪万博の跡地にスーパーシティを建設する案を打ち出しており、これを大阪全体に拡大する。さらには、「自治体運営に企業運営の手法を取り入れる」とする維新は、自治体運営も民間に委ねる、すなわち米系外資系のコンサルタント会社に運営をまかせるようになるだろう。

岸田内閣の「デジタル田園都市国家構想」は、維新の動きも取り込み、それと一体になりながら、米国のための地方政策への根強い「反発・反対」を押しつぶし、日米の統合一体化を一挙に進めて「新冷戦体制」を構築する、そのためのものとしてある。

「新冷戦体制」づくりのための地方政策、それは、これまでの米国による米国のための地方政策の問題点をいっそう浮き彫りにし深刻化させずにはおかない。

第一に、国と地方の切り離し、地方・地域の米国への売り渡し

これまでも政府の地方政策によって、国と地方が切り離され、米国による地方・地域の掌握、米への売り渡しが進んだ。しかし「デジタル田園都市国家構想」や「スーパーシティ構想」による地方のデジタル化は、米国が地方・地域をすっぽりと掌握するものとなり、国と地方は完全に切り離され、米国に売り渡される。

地方のデジタル化は、アマゾンのプラットフォームを使い、米国のセンチュアルが作る「全国共通自治体プラットフォーム」が使われる。そうなればNTTやNECなどの日本勢は排除されるか、その傘下に入れられる。こうして、地方・地域は完全に国から切り離され米国に掌握される。こうして地方銀行をはじめとする地方の企業や産業も米国に掌握される。

第二に、基礎自治体の切り捨て、地方自治の解体

これまでも「連携中枢都市圏構想」など、力のある中枢都市圏にヒト・モノ・カネを集中し基礎自治体を切り捨てる政策が進められた。しかしデジタル化はこれをさらに深化させる。デジタル化には膨大な費用と技術が必要であり、結局、力のある中枢都市圏に集中する。こうして基礎自治体の多くが、その傘下に入れられるか切り捨てられるようになる。そこでは米系コンサル会社など米系外資への委託が進み、地方自治は解体される。

市町村など地域住民の暮らしと生命に密着する基礎自治体が米系外資にゆだねられれば、住民の暮らしと生命が脅かされる。外資は儲け第一であり、上下水道や電気、ガスなどの基本インフラや道路や公営施設なども有料化や値上げが進む。インフラ整備は後回しにされ、地域の企業活動、農産物、水産物の生産、輸送システムも劣化し米系外資の儲けの場にされる。

第三に、自治体の企業運営、地域住民主権の剥奪

これまでも、特区への外資導入策、中枢都市圏以外の基礎自治体を切り捨てる政策、コンセッション方式による地方の公共事業の運営権の民間への譲渡などによって、民間(米系外資)に自治体運営を委託するような政策が進められてきたが「地方のデジタル化」は、それを拡大、深化させる。

「デジタル田園都市国家構想」やスーパーシティもアマゾンやセンチュアルなど米系外資への委託になり、その運営は彼らが行うようになる。地方議会は有名無実化し、地域住民の闘争の中で生まれた「地域のことは地域住民が決める」という地域住民主権は剥奪され、地域住民はGAFAなど米巨大IT企業の隷属物にされる。

地方政策提言

「新冷戦体制」づくりと、その下で「地方から日本の国の形を変える」すなわち日米統合一体化が深化し完成されようとしている今、米国のための地方政策ではなく日本のための地方政策、真に地方の振興を図り、地域住民の暮らしと生命を守る地方政策が切実に求められている。

そして、米国のための地方政策が「デジタル化」によって深化され、その問題点をさらに深刻化させるものである以上、地方・地域とその住民のための地方政策は、それと対決するものとして立てられる。

第一に、国と地方を切り離し米国に売る地方政策ではなく、「国と地方は一体、国あっての地方、地方あっての国」の理念の下、データ主権、デジタル主権を打ち立て、地方に対する国の責任と役割を高める。

国と地方は一体であり、地方が発展してこそ、経済の循環性も保たれ、国の経済も発展する。それ故、国はすべての地方に責任をもつ。これまでのように外資にゆだね任せるのではなく、地方が持つ経済基盤を生かし自らの力で発展できるような地域発展の指針を示し、各地方の取り組みを財政ばかりでなく技術的にも人材的にも支援する。

とりわけ財源基盤の弱い地方・地域には、地方交付金を多くするなど国の再分配機能を高める。地方格差をなくし日本経済を好循環させるためには再分配機能の回復こそが大事であり、こうしてこそ全国の均衡的発展をはかることができる。

デジタル面では、アマゾンのプラットフォームを使用するのではなく、日本独自の「全国共通自治体プラットフォーム」を作りデータ主権を取り戻す。その下で日本のデジタル・ベンチャーを育成する。こうして、地方、地域が自らの力でデジタル化を実現できるよう技術的にも財政的にも人材的にも支援する。

第二に、「すべては救えない。弱小自治体は切り捨てる」ではなく、「見捨ててよい地方・地域などない。全ての地方・地域に価値がある」の理念の下、全ての市町村、地域のデジタル化を進め、デジタル化による地方・地域の振興を図る。

効率第一の新自由主義で「すべては救えない」として、多くの基礎自治体、弱小自治体が切り捨てられてきたが「デジタル田園都市国家構想」「スーパーシティ構想」では、それがさらに深刻化する。しかし、それは身体の一部を切り捨てるようなものであり、一部でも切り捨てれば全身が衰弱する。どんな地域にも価値があり、それを生かしてこそ地方全体の発展もある。

それ故、デジタル化も、中枢都圏中心ではなく、住民生活に直接関与する基礎自治体である市町村のすべてをデジタル化する。すなわち全ての市町村のスーパーシティ化である。

そして地域振興をデジタル技術を使って高度に実現する。政府のスーパーシティ構想は「サービス向上」をうたって、自動走行、自動配送、ワンスオンリーの行政手続き、遠隔医療など10項目を挙げる。もちろん、そうした「サービス向上」も実現する。その上で、より大事なこととして、デジタル技術を使った抜本的な「地域振興」策を立てる。

そのために地産地消、地域循環型経済をデジタル技術を使って発展させる。地域産業を構成する地方銀行、地場産業、地域企業、自営業や農林水産業の連携を深め地域自治体と一体になった取り組みをデジタル技術を使って高度化し、地域の特質を生かした観光や新産業を育成していく。そこでは、スマート農業だけでなく水産、林業などもスマート化する。とくに農業では食の安全・安定・安心のために「種苗法」を廃止し、以前の種子法を復活させる。

上下水道水、ガス、電気など基本インフラのデジタル化を進め自給自足度を高める。道路、公営施設などのインフラ整備にも力を入れ、デジタル化で利便性を高める。

地域通貨もデジタル通貨として取り入れる。ボランティアの労力、地域住民の地域のための活動、労力などを通貨化し、地元の産品との交換に使う。これは、財政基盤の弱い自治体にとって大きな助けになるだろう。

ブロックチェーン技術を使って地域及び地域住民のデータを守る。

これらのことを行いながら、基礎自治体が互いに経験を交流しあい連携し助け合い、その輪を横にも上にも広げていく。

第三に、自治体運営を米系外資に委託し企業運営するのではなく、「地域のことは地域住民が決定する」という地域住民主権の理念の下、自治、地域住民主権をデジタル技術を使って強化し高度化する。

自治の基本単位は市町村などの基礎自治体であり、基礎自治体をどう発展させるかは、地域住民自身の主体的な働きにかかっている。

そのために、デジタル技術を使って住民の声を高め集約するネット空間を様々につくる。ネット議会を作るなどして議会活動を活発化させる。それと同時にデジタル技術を使った住民投票の拡充・活性化、オンラインでの政策論議や提言など、地域住民が主体となって自治体を運営できるよう直接民主主義的手法を大幅に取り入れる。

その主体は、左右の垣根を越えた、地域アイデンティティーに基づく主体であり、地域自治体も一体となった主体でなければならないだろう。

そこではワーケーションやボランティアで地域に居住する関係人口も地域自治に関与できるようにする。

また、デジタル人材の職員を増やし、すべての住民がデジタル技術を応用できるように「デジタル講座」なども行ってデジタル格差が起きないようにする。

【教育】

デジタル化社会をめざす日本の教育―国の人材を育てる教育を

                             森 順子

いま日本の教育は、戦後教育の大転換と言われるほど大きく変えられようとしている。

今回の教育改革の目的は「グローバル人材の育成」だが、そのためのデジタル教育とは、どのような教育なのか。そして、本当に日本の人材を育てる教育なのか。

教育は国と国民自身の未来を決める重要なテーマであり、誰ひとり無関心ではいられない問題だ。戦後教育の大転換期にある今、「日本のためのグローバル人材、国の人材を育てる」という視点から日本の教育政策について提言したいと思う。

1、日本の教育の現状

戦後、日本は、「頑張れば、今日より明日の方がよりよい日本になる」、国民は皆こういう思いで、よりよい生活、社会を望み、戦後日本を復興させ60年代の高度成長をもたらしたと言えるだろう。この発展を支えたのは、かつてトップレベルの教育を誇ったと言われる日本の教育(日本式の知識伝達型教育)だが、人材教育に国が力を入れてきたことは間違いないと言える。

グローバリズム時代に入って日本の教育は、戦後日本の教育を支えた「機会均等」からの転換により、「やる気のある者がやり、やる気のない者は無理する必要がない」という「ゆとり教育」などを導入した。

この教育政策の転換の根拠は、グローバリズムの進展によって企業の海外移転が多くなるに従い一部の優秀な人材を除いて国内において人材は不要になったということ。言葉を換えれば、人材教育の必要性がなくなったということにあると言える。それは、「努力する必要がない」ということではないか。

これによって「努力すれば報われる」から一転して「努力をしても報われないのではないか」と考える風潮が社会的に広がっていき、教育現場では、「努力」という言葉が、生徒に対して使いにくくなったと言われている。また、不登校の生徒の増加が、社会的に問題になってきたのもこの時期であった。この間、日本は教育機関への公的支出は、上位30カ国中、最下位となり、教育、科学研究水準は甚だしく低下し、同時に学力の低下、国力の弱化も認めざるを得ない状況にまでなった。

そして残ったものは固定化された格差だけだ。そこには、落ちこぼれ、登校拒否、いじめが増え、学力の低下が生まれ、さらに、今では、「学校選択制」導入などで、学校間格差が拡大し、学校の二極化が問題化され、このため昔とはちがう受験の低年齢化が進み競争倍率が十数倍と、新たな「受験戦争」が勃発していると言える。

先日、ラジオで、「子どもたちの精神的幸福度」調査を行った結果を放送していたが、38ヵ国中、日本の子どもたちの幸福度は37位だということだ。いかに日本が先進国であっても、38ヵ国中、37位とは、やはり教育最貧困国、日本を現しており、次世代を担う子どもたちと日本の将来も、決して明るいものだと見ることはできない。幸福度、38位中、37位という現実からも国の教育政策が切実に求められていることを痛感する。

教育の担当者である教員は、教育のために使う時間さえ保障されず、メンタルヘルスが問題になるほど、長時間労働という過酷な教育現場に身を置いている。また、大学もそうだ。研究開発への投資は削られ続け、独自の開発と人材育成は深刻な大学の状況だ。

20年以上続けてきた国と民族を否定するグローバリズム、新自由主義こそが、まさにこのような教育現場の窮状、日本の教育の惨状をもたらしたと思う。

そのなかでも一番、憂慮されることは、日本の若者が、日本のことを語れず日本人のアイデンテイテイを失いつつあると言われることである。これもグローバリズム、新自由主義教育がもたらした必然の結果ではないだろうか。子どもたちは、日本語や国の発展歴史などを学校教育で学びながら日本人として育ち、その価値観も身に付けていくものだと言える。従って、学校教育には、自らの価値観を自覚し教えるようにすべき役割があると言える。だがグローバリズム、新自由主義の教育は、日本人という概念があいまい化され、日本の将来に対する不安を広げ、若者は自信が持てず、自分の国、日本を語れなくなってしまっている。

ここからしても、日本人を育てる国としての教育政策がないことこそ、その根本要因であると言える。

2、「米中新冷戦」体制のなかでの日本の教育 

深刻な事態にある日本の教育は、令和の新しい時代にふさわしい教育の実現のためにデジタル化を掲げた。科学技術立国日本にとって20年以上続く研究力の低迷は、国の未来を左右する深刻な問題だとし、この状況を克服するためにとデジタル化における人材育成を目的とした。

これは、すでに2013年、第二次安倍内閣が「教育再生実行会議」において、「英語、IT技術、プレゼン技術」に特化したグローバル人材の育成を目的とした教育改革として示し、2020年を「教育改革元年」と定めるに至ったということだ。ここ数年間の経過は、この目的に応え大学改革を始めとする全般的な教育改革、大学入試改革、教員問題など、日本のこれまでの教育制度全体を変えるための改革として進められてきた。

そういう中にあって、2018年から現れた「米中新冷戦」が、世界情勢を変化させた。

米国は、弱化した米覇権建て直しのため、中国を敵視した「新冷戦体制」に日本を組み込み、米IT覇権のもとに日本を統合、融合、一体化させることを迫ってきているということだ。それは、日本のあらゆる領域、分野での米国との融合、一体化であり、教育改革においても、これとの対応抜きに、日本の教育もあり得ないと言うことだ。

それまでは、教育改革の目玉として、「日本の大学のグローバル化」や「グローバル人材育成」が前面に出されたが、2018年以降からは、「デジタル資本主義」「日本のデジタル改革」、「教育のデジタル化」が急速に言われ始めたことは、決して「新冷戦体制」と関係のないことではないと思う。

 菅、岸田内閣が、科学技術立国である日本の研究力の低迷打開のためイノベーションを掲げたのもそのためであり、その実現のために人材育成の促進、10兆円規模の大学ファンド設置、外資の研究開発、優秀な海外人材の参入などに現れており、「新冷戦体制」のもとで押し進められる教育のデジタル化は、日本の教育に大きな変化をもたらすものになると言えるだろう。

事実、デジタル化のために政府が力を入れる4600億円利権の「GIGAスクール構想」のため、教育市場は、今、グーグルやマイクロソフト、アップルといった巨大なIT企業が争奪戦を繰り広げ、国内の企業も、この「教育ビジネス」に協力体制をとっていると言われる。グーグルと提携を発表した外資系銀行は、「GAFAのプラットホームを使いながら日本の教育産業が電子教科書をつくっていけばいい」と言うが、大きな問題はこのプラットホームで、生徒がタブレットを使うたびに個人情報がどんどん米国に蓄積され掌握されていくことだ。また、全国の小中高の敷地に5G基地局を建てるプランもあると言われている。すでに教育のデジタル化は、「新冷戦体制」の下、GAFA支配の進行として始まっているということだ。

また、「英語、IT技術、プレゼン技術」に特化したグローバル人材育成は、すべての生徒、学生と言っても過言ではないと思うが、「英語、IT技術、プレゼン技術」関係の授業は楽しく、他の科目への関心は薄いようだ。とくに大学の推薦型入試は「英語、IT技術、プレゼン技術」を基本に評価することで人気があり、大学入試の主流になりそうだと言われている。そして、すべての大学入試試験の合否の基準も「英語とIT技術」を重視することから、子どもたちは幼児教育から小中高大までは、この特化した学習だけに全力集中せざるを得ないわけだ。全般学力が落ちるような教育のあり方、入試のあり方は、学力不問だと批判されているが、正しい指摘だと思う。

「人間を育てる」ことが教育の目的ならば、このような教育のあり方は、教育の目的から離れた、もはや国民教育とは言えないだろう。世界で本当にグローバル人材育成を考えるのなら教養教育が必要なのは、言うまでもないことだ。日本の将来、未来のことを考えるためには幅広い知識や教養、自覚が必要であり、そういう人がプログラム言語もできて初めて本当のグローバル人材と呼べるのではないだろうか。

また、英語やデジタル教育を担当する教員は、質の高い優秀な人を外部や海外から多く入れるが、デジタル化についていけない教員は、支援も受けられないままに教育現場に放置されているも同然の状況になっている。

そして、大学は、日本の学生より留学生を、はるかに有利な条件で入学させ、また、学生全員を留学に行かせるとか、英語教育に力を入れる取り組みを行い、大学の生き残りをかけた競争を行っている。また、日本の大学院も、博士課程では日本の奨学金で来た留学生がほとんどだという現実なのだ。

技術も教材も米国産、「英語、IT技術」に特化した人材育成の教育、学生も教員も研究者も、求められる人材は外国人、というデジタル化教育は、もはや国を基本にした教育として日本の人材を育てる教育だとは、到底、言うことはできないと思う。ここに、米国と融合、一体化した教育として押し進められていることが示されている。

ここからは優秀な少数の人材が生まれる反面、圧倒的多数の落ちこぼれが生まれることは目に見えて分かることだ。問題はそれだけではなく、留学生や海外からの人材には活躍できる条件があり、日本人には激しい競争と格差の中に身を置かなければならない厳しい環境が待ち受けているということである。日本人はどんどん海外に行って、外資と外国人はどんどん来てもらって・・・見えてくるのは、「英語と海外のIT人材」ウエルカム社会であり、日本人が、外国人と外資の下請的存在、下請的役割を担う現実が待っているのではないだろうか。

 また、一方で、教育の変化で社会が変化し、求められる人材像も変われば、人々の思考、意識も変化するのは必然なことだと思う。「日本人らしさ」が提起されるのか分からないが、日本人の資質や社会のあり方が変わるのは十分予想できることでもある。その過程でこれまでの日本人とは違う日本人が出てこないとも限らない。気がついたら日本人とも言えないしアメリカ人とも言えない人材が育っていくかも知れない。こんなふうになれば真の意味での日本人はいなくなり、日本人がいなくなれば、国が無くなってしまうというしかないと言えるだろう。

すなわち、現在、進められている「新冷戦」の下、日本のデジタル化教育とは、日本の米国への吸収統合、一体化のための教育であるということだ。それは、日本の教育のアメリカ化であり、そのアメリカ化とは、現在、行われようとしている教育のグローバル化、デジタル化の徹底化、全面化だと言うことだ。

そして、これが、「新冷戦体制」下での日本の教育だと言うことだ。

「戦後教育の大転換」と言われるが、それは、まさに、「アメリカ化に大転換した日本の教育」だと言ってもおかしくはないと思う。

それゆえ、「新冷戦体制」における日本の教育は、本質において、米国IT覇権の下請けを担う無国籍(米国籍)人材を育てることだと言えるのではないだろうか。

果たして、これで日本の教育の質的水準が上がり、日本のためのグローバル人材を育てることができるのだろうか。

3、日本のためのグローバル人材、国の人材を育てる教育のために 

「米中新冷戦」下での日米融合、一体化のもとでは、日本の教育を建て直すことはできない。

教育、科学技術の立ち後れを克服し、日本独自のデジタル化への発展は、国と国民のための教育を築いていくしかないと思う。そうしてこそ、日本の国のためのデジタル化、すべての国民のためのデジタル化として発展させることができるからだ。

そのためには、アメリカ化した教育でなく、日本化をめざす教育、日本のための真のグローバル人材を育てる教育を実施しなければならない。

そして、そのための国の教育政策が切実に必要だということだ。ならば国の教育をつくる上で何が問われるのか。それは、一にも二にも、国の人材をつくるという観点が必要だということである。

国の将来は国民が決め、その国民は教育によって決められるのだから、国の将来は、人材教育如何にかかっている。では、どのような観点で人材を育てるのか、ということだ。

先に記した「子どもたちの精神的幸福度」1位はオランダだが、在住の日本の方は、学校で一人一人が大事にされ、一人一人に合わせた学びを実施しているから、というのが幸福度1位の理由だと言う。小学校高学年は、35人学級だが、一人一人に合わせた学びは、子どもの発達に合わせ遅れている子には、その段階にもどって教えているということだ。このような教え方によって、子ども間の大きな学力の差はできず、それどころか、自分がいま、どのくらいの学力であるのかを、子どもたち自身が、分かっていると言う。だから、競い合うということはなく、一人一人の子どもは、自分の学習目的なり、目標をもっているので、競争をする必要がないということだ。以前は、オランダも落ちこぼれが多く社会的な問題にもなり、画一化した教育から、一人一人を生かす教育方法に徐々に改革していったようだ。もちろん遊ぶ時間も十分あるということだ。

学校は、子どもたち自身の居場所、子どもが責任をもって過ごせるようにすることではないかと在住の方は言っている。それには、子どもたちを信じ、子どもたち自身が、自分で考え決めてやれるようしていくことが大事で、例として、学校を安心できる場所にするにはどうしたらいいかをクラス全員で話し合ったり、いじめが生じたときも皆が関わって話し合いを続けるなど、行っているという。

どの国の教育も、その国ならではの特色があると思うが、落ちこぼれが多かったオランダで、このような取り組みを実施していることはとても参考になる。それだけでなく、「人間を育てる」教育の目的から見たときに、多くを学ぶべきことができると思う。

何よりも、学校で一人一人が大事にされ、子どもに合わせた学びを行っていることが、「人間を育てる」、すなわち、「人材を育てる」という観点なくしてできないことだ。落ちこぼれもなく、自分を見失った競争が生まれない教育にできるかどうかは、ここにあると言えると思う。この子どもたちのための子ども第一の教育は、子どもたちが自分で考え決めていけるようにする自律性を養う教育であり、国の人材として育てる担保だと言うことができる。

問題は、どうしたらこのような教育が実現していけるかである。

日本のこれからの教育に求められることは、日本の国の発展を担う、日本のためのグローバル人材、国の人材を、日本の国と社会、学校、教員が、育てることだと思う。

このような視点から、いくつかの提言をしたい。

一つは、格差をなくし全国民の人材化を目的とする教育が必要である。

それは、国は未来を担う人材育成事業に投資し支援し保障し、誰も置き去りにしない教育、誰もが公平に学び次世代を担う日本の人材に育つようにする教育である。

 二つ目は、十分な数の教員を養成することが第一義的に問われている。

全国民の人材化教育は、決定的に不足している教員を養成し増やすことを先行してやらなければならない課題だ。誰も置き去りにせず公平に学べるようにするためにも教員を増やすことは必須である。また、オンライン教育で、教員が減らされていくなかで、教員は一人いればいいと言うが、教育は、一方通行、いわゆる教え込むことではない。教育の質を上げるのは、タブレットより人間の教員が必要だということだ。また、教員不足を外国人や外から連れて来る人材に頼るのではなく、基本は日本の人材を採用すべきである。そうして、全教員が次世代教育に知恵と力を発揮できるようにすることだ。

三つ目は、教育は全社会的な事業だということだ。教育を重視し、次世代にどんな未来を残すのか、どんな教育を与えられるのかは、皆が考え皆の力で築いていくことだと思う。

なぜなら、教育は、学校と家庭だけでなく、政府、行政、地域社会など、さまざまなものと密接な関係がある、まさに全社会的な事業だからである。それゆえ互いの協力と連携があってこそ、生徒、学生第一に彼らと向き合うことができ、見守り、指導していくことができ、それを彼らの成長と学力向上に繋げていけるようになると思うからである。

 四つ目は、教育・科学技術の発展に国家が責任をもって投資、支援、保障を行うことだ。

大事なことは、教育によって格差を縮めることができ、教育によって雇用も促進でき、経済も成長させ、ひいては平和で公平な社会をつくることができるということだ。それは、すでに世界的に指摘され証明されているでもある。

国がいかに教育にお金をかけずにすむか、から出発した経済効率第一の教育を行うことにより、日本の教育、科学技術水準が、今日のように低下したのは周知の通りだ。この遅れを克服できるかどうかは、国が教育にどれだけ惜しみのない投資注力を行うことができるかどうかにかかっていると思う。

【社会保障】

  -国の責任、国民の権利としての社会保障-

       廃止ではなく、発展、充実させる

                              若林佐喜子

序)

日本は防疫後進国、社会保障後進国の克服の道を見出せないまま、「デジタル敗戦」と烙印され、今、米中新冷戦体制の下、デジタル化を通じて社会保障の否定、完全なアメリカ化、社会保障分野での米国巨大IT企業ビジネスへの依託、日米融合一体化が一挙におし進められようとしている。このような中で、自民党政権の政策ブレーンである竹中平蔵氏は、ベーシックインカムの導入による社会保障の廃止を公然と主張するに至っている。

社会保障を廃止するのか、それとも発展、充実させるのか、今、問題はこのように提起されている。ここから、政策提言を行っていきたい。

1、社会保障の現状(戦後、自民党政権の社会保障政策の改悪と日米一体化)

政府は、首相の諮問機関である社会保障制度審議会の「1950年勧告」で、憲法25条を根拠に社会保障の原則を、「国の義務・責任であり、国民の権利」と確認し、これを「建前」とした。70年代初めに、社会保障は、社会保険、家族手当(児童手当)、公的扶助、社会福祉の4本柱として構成、整備され、73年、田中角栄首相当時に「福祉元年」宣言を行った。

しかし、81年以降、日本経済の低成長期とともに政府の対応は一変し、社会保障の制度改革が国庫負担の軽減化の方向でおこなわれる。そして、社会保障に対する政府の責任を軽減するため、個人、家族、地域、とりわけ企業に依存する「日本型福祉社会」論が持ち出された。

■株主利益重視のアメリカ型経営、いわゆる新自由主義グローバル経済への転換で社会保障は変質、形骸化させられた。

1995年、財界は、「新時代の『日本的経営』」を発表し、従来の日本的経営から株主重視のアメリカ型経営へ転換する。80年代後半から輸出に軸足を置いてきた日本の大企業は、製造、営業拠点の国際化、いわゆる経済・経営のグローバル化を展開するようになる。財界人のバイブルとも言われている1997年の「市場主義宣言」で、社会保障は生きていく上での最小限度にとどめ、社会保障の分野を営利の場にするとしている。政府の社会保障政策はこれに従って変質した。

新自由主義グローバリズへの転換により、国が国民の権利の保障に責任をもたないようになった、即ちアメリカ化である。

国の責任不在の現象の第一は、国も企業も雇用、社会保障(社会保険、公的扶助、社会福祉など)に責任をもたなくなったことである。

政財界は、国内においては、総賃金の抑制と下請単価の切り下げなど労働者、中小企業への締め付けを厳しくする「大構造改革」を行う。雇用においては、①少数の基幹労働者(正社員)、②「専門分野」を担う有期雇用者、③圧倒的多数の非正規労働者の3つに分け、不安定雇用の常態化と正規雇用の削減をおこなった。企業は、正社員以外の労働者に対して社会保障の責任を負わず、圧倒的な非正規労働者は、医療で言えば保険料の負担が大きい「国民健康保険」に入らなければならず、低賃金のため次第に保険料が払えず、多くが無保険者、無・低年金者になった。

社会保障を国の責任とした「50年勧告」から、国の責任が後退し、家族や地域の互助となり、社会保障は「みんなで支える助け合い制度」に変質し、憲法25条に基づく、「国の責任、国民の権利」は事実上、形骸化する。社会保障で「助け合い」と言う言葉は原則と矛盾し、国の責任を曖昧にさせる。安倍政権から、少子高齢化を理由に「全世代で助け合う」という全世代型社会保障改革がすすめられてきているが、これは、国の責任を不在にし、本質は本人負担、自己責任化である。

社会保障は連続的に改悪され、非正規労働者は全労働者の37.4%(2015年)、働いても、働いても生活が成り立たない年収200万円未満の「働く貧困層」(ワーキングプアー)は1130万人(2015年)に達した。雇用(失業)保険は、1982年には失業者の59.5%が受けていたが2006年には21.6%に落ち込む。原因は、非正規労働者の多くが失業給付の資格がないからである。国民健康保険も同様で、2006年で480万世帯(19%)が滞納。「ネットカフェ難民」の73.2%(07年)は健康保険に加入できていない。

公的扶助制度(生活保護)は、所得・資産が基準値に満たないときに生活費・住宅費・医療費・教育費などの扶助を世帯単位で受けられるが、受給者は2012年に210万になる。それでも、捕捉率(受給資格があって、実際受けている)は2割弱である。自治体窓口で申請させずに追い返す「水際作戦」が横行し、生活保護を受けられずに又、うち切られて餓死した事件がおき、自殺者も増大した。

雇用(労働)のセーフティネット、社会保険のセーフティネット、公的扶助のセーフティネットが崩壊し、格差と貧困の国、日本。原因は明らかである。国が雇用、社会保障に責任を負わなくなったからである。

国の責任不在の現象の第二は、社会保障分野の営利化、ビジネス化である。

安倍政権は、基本戦略である「世界で一番企業が活躍しやすい国」の中身として、成長戦略を重視し、成長産業の一つとして医療、介護を位置づけ、社会保障分野での民営化、ビジネス化を推し進めてきた。

日本では、医療の非営利性を維持するために「医療法」で持ち株会社の医療法人設立を認めず、一部特区を除き株式会社の参入は規制されていた。しかし、2014年に東京証券取引所で国内初の「ヘルスケアリート」(健康介護投資)が承認された。同年のダボス会議で安倍首相(当時)は「非営利ホールディングカンパニー」(持ち株会社)型法人制度について言及し、海外投資家たちに日本に新たに生れる新市場をアピールした。名前の頭に「非営利」とついているが、実際は株式会社が出資できるようになっている。医師ではなく、経営のプロが運営することで、人員配置や料金設定、サービスの質などは全て利益拡大という目的に沿って決定されていく。

これは、米国の要求であり、社会保障分野におけるアメリカ化、日米一体化である。

2001年に経済財政諮問会議が誕生し、アメリカ政府が望む日本医療の商品化(混合診療の解禁・拡大、保険会社の参入、企業の病院経営への参入など)のための法改正、規制緩和が連続的に行われてきた。その一つが、2013年の国家戦略特区法の成立である。内容は、特定の地区で、通常できないダイナミックな規制緩和を行い、企業がビジネスをしやすい環境をつくることで国内外の投資家を呼び込むというものである。その一例が、東京・大阪での学校や病院の株式会社経営や医療の自由化、混合診療の解禁など総合的な規制撤廃地区を実現し、全国に広げていくというものである。実際、新自由主義改革を掲げる大阪では、公営病院や公共施設の統合配合、外資導入が進んでいる。

40兆円という世界第2位の規模をもつ日本の生命保険市場はグローバル企業と海外投資家にとって絶好のビジネス市場である。2019年の麻生金融担当相(当時)の老後資金の蓄えとしての「2千万円」発言は、社会保障に対する政府の無責任さへの怒りの声とともに、一方で若者の株投資現象を生む。更に、政府自身が、自助努力での年金づくり、Nisa、IDecoなどの私的年金を積極的に奨励し、海外投資家を呼び込んでいる。

129兆円という年金基金(GPIF)の運用委託先が、米国のゴールドマン・サックスをはじめ14社の内10社が外資系金融機関である。6700万人が加入する公的年金、国民の将来の老後資金が米国金融ビジネスに委ねられ、極言すれば、売り渡されているのである。

政府、国の社会保障、国民の命と暮らしに対する責任不在、即ちアメリカ化。その結果が、今回の日本のコロナ禍惨状である。この30年間の行政改革で4割以上が縮小された保健所の機能マヒとPCR検査の抑制、病院民営化のためベッド数は世界レベルなのに、コロナ用床は3割に満たずに医療崩壊。自宅療養の強制で治療を受けられずに亡くなった人々。米国産頼みのワクチン。休業補償がスムーズになされずに、雇い止め、失業者、倒産、生活困窮者の続出である。

2、今、米中新冷戦体制の下で、デジタル化を通じて社会保障の否定、廃止、すなわち、完全なアメリカ化、社会保障分野に於ける米国IT巨大企業ビジネスへの依託、日米融合一体化が一挙におしすすめられようとしている。

これまで、新自由主義グローバル経済への転換、アメリカ化により、社会保障の変質、形骸化がおこなわれてきたが、米中新冷戦体制の下、デジタル化(デジタル資本主義)を通じて、社会保障の否定、廃止が公然と主張されるに至っている。

■「ベーシックインカム導入の代わりに社会保障の廃止」を主張

竹中平蔵氏は、デジタル資本主義では、経済構造、仕事の進め方、雇用形態に大きな変化が起こり、特に、人の労働がAIにとって代わられ多くの失業者と桁違いの格差が生じる。そのために、誰もが最低限の生活を送れるように、毎月7万円を支給するベーシックインカム制度を提案し、月7万円のベーシックインカム制度が究極のセーフティネット(安全網)だとする。

そして、「一人毎月7万円給付する案は、年金や生活保護などの社会保障の廃止とバーターの話でもあります」(竹中氏著「ポストコロナの『日本改造計画』」より)と、公然と社会保障の廃止を唱えるに至った。

その論拠として、「これまで、『個人の救済』という概念がなかった。個人の生活スタイルはバラバラで自由であるということを前提にフェア(公平)な対策を考える必要がある」とする。

では、この自由でバラバラな「個人の救済」とは、一体、どのようなものなのか? 月々7万円給付のベーシックインカムは、株に投資したり、スキルアップに利用したり、貯金するなどその人の自由であるとのことだ。しかし、それは、病気になろうが、コロナ禍で失業しようが、老後の生活も全て本人の努力次第、本人の責任ということである。すなわち、ベーシックインカムは、失業、貧困は個人の怠惰、個人の責任とする貧困者に対する施し、「救貧法」の考え方そのものである。

氏は、そのような、自己責任の「個人の救済」であるベーシックインカムが公平で、国の責任、国民の権利の保障である年金や生活保護の給付があたかも不平等な制度だと、主張している。しかし、それは、社会保障を否定、廃止するための詭弁にすぎない。

竹中氏は、労働者を一つの企業に囲い込むやり方では限界があり、もっと自由で多様な働き方に移行した方が企業も人も活かせると、雇用の流動化を奨励する。その理由の一つとして、米国の場合は仕事がなければ直ぐに解雇されるが、日本の場合は国が企業に雇用助成金を給付して雇用を支えていると雇用助成金制度を批判している。

要するに、デジタル資本主義の下では雇用の流動化、失業の増大を想定すべきだという主張である。社会保障を必要とする人が激増するが、それをいちいち国が責任を負う必要はないという社会保障の否定、廃止の要求である

これまで、米国と政財界によって社会保障が変質、形骸化されてきたが、国の責任であり国民の権利の保障である社会保障そのものを完全に否定することはできなかった。しかし、デジタル資本主義の下では、社会保障そのものの否定、廃止を公然と主張するに至ったのである。

社会保障を否定、廃止するということは、人々の基本的な生活単位である共同体としての国の責任、役割を消失させ、人々をバラバラな個人にして、生命共同体、運命共同体としての日本という国がなくなることを意味する。

■社会保障分野に於ける米国IT巨大企業ビジネスへの依託、日米融合一体化が一挙におしすすめられようとしている

日本は、一昨年の8月、米国の要求、意向を汲む政財界からデジタル敗戦と烙印されて以来、コロナ禍対応でのデジタル化が一挙におしすすめられてきた。一昨年9月に発足した菅政権は、「まず自助、共助、最後に公助」を掲げ、規制改革の推進とデジタル化、グリーン化を表明した。

そして、保健所業務のデジタル化と追跡調査のアプリ化。オンライン診療、オンラインでの住宅介護者への薬剤師の薬の処方。自衛隊を動員しての大規模会場でのワクチン接種は高齢者が対象なのに、なぜか予約はラインのみでお年寄りから不満が出ても一向にお構いなしだった。

この過程で、台湾のデジタル化でのコロナ禍対応が大々的に宣伝され、一方で中国IT関連バッシングと締め出しが徹底的に行われた。そして、米国IT企業GAFAのプラットフオーム化と医療をはじめ社会保障分野への浸透が着々とおし進められてきた。

今、デジタル版「国家戦略特区」スマートシティーの取り組みが加速されている。

IT、デジタル化の発展にともない、コロナ禍を受けた「非接触の街」、車に乗れないお年よりのためのロボ配送やドローン配送、行政や民間のサービスを効率的に提供し、人口減少や少子高齢化、自然災害といった多様な社会課題を解決する「賢い街」として認識されるようになり、現在31地域が応募しているそうだ。

しかし、スマートシティーが米国の意向を反映してつくられたデジタル版国家戦略特区であるということ、日本人の資産を米国IT企業GAFAに際限なく売り渡す街であるということはあまり公にされていない。

また、政府は、「GAFA」米国巨大IT企業の日本の医療・健康分野への参入を積極的に後押ししている。心臓に持病のある84歳の女性はアップル製の「アップルウオッチ」で心電図をとるのを日課にしているが、心房細動という心臓の異常兆候を捉えるアプリが、昨年の秋、国の承認を受けて搭載されたからだ。ITでの膨大な健康情報を収集、分析する技術で個人に適した健康づくりから治療法の開発、健康を支える住宅や街づくりと市場は膨大である。しかし、ここで忘れてならないのは、ヘルスデーターはビックマネーの源泉、健康医療分野はあくまでもビジネスの対象ということだ。

社会保障分野での営利化、それは、米国IT巨大企業ビジネスに国民の命と暮らしが任せられ、売り渡されるということである。

今、米中新冷戦体制の下で、デジタル化を通じて社会保障の否定、廃止、すなわち、完全なアメリカ化、社会保障分野での米国IT巨大企業ビジネスへの依託、日米融合一体化が一挙におしすすめられようとしている。

一連の道筋を引いたのが有識者会議の座長であり、岸田政権下で新しく設置された田園都市国家構想実現会議の座長でもある竹中氏であることは銘記すべきことだと思う。

社会保障を廃止するのか、それとも、発展、充実させるのか、今、問題はこのように提起されている。

3、社会保障の廃止ではなく、発展、充実させる

社会保障の廃止は、人々の活動と生活の拠り所である日本という共同体としての国を失わされることである。断じて、そのようにしてはならない。

なぜなら、社会保障は、国の責任であり、国民の権利の保障であるからだ。

西欧の社会保障の成立過程を見れば、国家の責任で貧困対策をおこなうことが前提とされた。それ以前、貧困は個人の努力不足、怠惰の招いたもの、個人の責任とされていたが、世界恐慌などを経て失業・貧困が一般化し、個人の責任ではなく共同体としての国の責任と認知される。失業、貧困対策は国家の責任であり、貧困者に保障請求権があり、救貧法は公的扶助へと前進、確立される。戦後、対労働者対策の社会保険と家族手当(児童手当)、貧困者対策の公的扶助、社会事業らが、国民すべての生活、権利を等しく守る社会保障へと発展してきた。

ドイツの社会保険制度は有名であり、今回のコロナ禍のときも、いち早く労働者をはじめ文化人らに対する休業補償がスピディーに行なわれ、日本でも話題になったのは記憶に新しいところである。

日本においては、憲法25条に基づいて、社会保障の原則を、「国の義務・責任であり、

国民の権利」と確認し、これを「建前」として、70年代初めに、社会保障は、社会保険(医療保険、年金保険、労働者災害補償保険、失業保険など)、家族手当(児童手当)、公的扶助、社会福祉の4本柱として構成、整備された。

今、問われているのは、廃止ではなく、日本の社会保障をいかに発展、充実させていくかである。

政策提言

第一は、社会保障を弱者救済、救貧でなく、共同体の成員としての国民の権利が保障されるものに発展、充実させる。

社会保障は、失業や貧困の責任を個人に求めて施す救貧法のような「個人の救済」ではなく、共同体としての国の成員である国民の権利の保障である。言い換えれば、現憲法でも定められている、健康で文化的な生活を営む権利をはじめ、教育を受ける権利、働く権利、団結権、団体交渉権などの保障とも言える。

特に、今日、「生産性ではなく、存在すること自体に価値がある。どんな命にも役割がある」とする、生命共同体、運命共同体の成員としての人々の権利の保障が求められている。子供は国の未来であり、今の日本があるのは高度成長期にがむしゃらに働いてきたお年寄りがあってこその日本であり、若者には若者としての権利があり、役割がある。

また、多様性の時代にあって、性別や人種、障害の有無などで排除されることなく、共同体の成員としての国民の権利の保障が求められている。

特に公的扶助(生活保護)の受給は、25条とともに、共同体としての国の成員である国民の権利の保障である。受給資格の緩和、改善をおこない必要とされるすべての人が受給でき、受給者自身の要求にそって、住宅保障、AIなどの技術取得など自立に必要な公的支援を受けられるようにする。

非正規雇用の常態化が格差と貧困の原因になり、不安定な立場で将来の人生設計を描けず、晩婚化など少子化の要因になっている。安定した正規雇用形態を基本とし、本人の都合によるパート雇用などにおいても、同一労働、同一賃金制を徹底化して、正規雇用と働く時間に差異があるだけで、受けられる社会保障の施策は同じにする。

特に、デジタル化の中で、新しい技術の取得、スキルアップが求められる労働者に対しては公的支援で保障する。在宅でのテレワークやネットを通じて単発の仕事を請け負う「ギグワーカー」など多種多様な形態が生れている。12月、EUの欧州委員会(行政府)が、「ギグワーカー」らの利益を守る法案を発表し、プラットフォーム企業が「雇い主の義務」を負うようにして社員と同等に最低賃金や有給休暇を取得できるようにした。日本でもフリーランスとして働く人が462万人に上り、雇用契約を結ぶ労働者と見なされずに健康保険や厚生年金などに加入できずにいるが、公的支援による方法で解決する。

第二は、社会保障を自己責任でなく、共同体としての国が全的に責任もつものに発展、充実させる。

まず何よりも、共同体としての国が人々の活動と生活の拠り所であるという視点から、国が共同体の成員としての国民の権利である社会保障に全的に責任を負う。

この視点に立ち、国は、コロナ禍対応をはじめ全ての社会保障事業を押し進めるにあたって、市場原理、効率ではなく、共同体の成員である国民の権利の保障を第一に、最優先にして行う。

そして、国民の権利を第一に、最優先に保障していくための充分な社会保障事業予算を確保する。そのためには、社会保障の財源を国の税金で賄うようにする。法人税率を上げるのをはじめ累進課税方式の徹底化と金融所得課税の見直しを行う。低所得層に負担の大きい消費税は減税を行い、将来的には廃止する。

特に、社会保障である健康保険、年金保険など社会保険に於いて、国庫負担の増額と本人負担の軽減化を行い、誰もが、皆保険制度、皆年金制度をはじめ社会保険の加入者、受給者となりその利益を実感できるようにする。(了)

「論点」

発想の転換-敵基地攻撃力よりも「敵をつくらない外交力」

      若林盛亮

敵基地攻撃が避けがたい日本の選択のような論議が盛んだが、この選択が日本の安全保障にとって果たして有効性があるのか? 日本の安全保障に実質的に有効な方策は何か? この側面から敵基地攻撃論を考えてみたいと思う。

■「抑止力」にもならない敵基地攻撃力

岸田政権は敵基地攻撃力の保有を今年度中に改訂される「国家安全保障戦略」の中心に据えると公約している。その有効性からみれば、これに防衛費「GDP比2%超」をかけるほどの無駄遣いはない。

敵基地攻撃論の必要性は、中国や朝鮮の極超音速滑空弾ミサイル、これは上下、左右に自由に変動、しかもマッハ10という極超音速、これを迎撃するのは無理、だから発射前の敵ミサイル基地攻撃しか方法はないというものだ。そしてこれが日本の安全を保障するという論拠は、報復攻撃を受けると「敵」がわかれば戦争になることを恐れて「敵」はミサイル攻撃をあきらめる、だから敵基地攻撃力を持つことが「抑止力」になるというものだ。

敵基地攻撃力が「抑止力になる」というが、それならとっくに日米安保軍として米軍が膨大な核兵器を筆頭に十分すぎるほど持っている。その「抑止力」さえ中国や朝鮮には無力だというのが今日の現実だ。いくら日本が敵基地攻撃力を持つと頑張っても米軍以上のものを持てない、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」というものではないだろう。

現に中国や朝鮮にある数百もの最新ミサイル、それもいつどこにでも移動可能な車両や鉄道積載の発射台を衛星がすべて監視し発射前に攻撃するなどとうてい不可能とされている。

これまで強力な「抑止力」であった米空母機動部隊すら中国や朝鮮の最新ミサイルを恐れて有事には近隣海域に接近すらできないというのが今日の現実だ。日本の「安保協力」を得て自衛隊が多数の小型空母配備や南西諸島に中距離ミサイル部隊を分散配備してもそれは焼け石に水だろう。

米国は既に2017年末の「国家安全保障戦略」改訂時に、「米軍の競争力(抑止力)の劣化」を認めた。これは膨大な核兵器や各種ミサイル、空母群という攻撃武力、「抑止力」がいまや無力なものになったということを自ら告白したものとも言える。

■発想の転換-「敵をつくらない外交力」

敵基地攻撃力など「抑止力」はなんの安全保障にもならないという今日の現実を踏まえた発想の転換を図る必要があると思う。

敵基地攻撃力を持つのではなく、その必要をなくすこと、すなわち「敵をつくらない外交力」こそが最善の安全保障策、という考え方だ。もちろん専守防衛は盤石にした上での話だ。

そもそも21世紀の世界で戦争を好む「好戦国」などあり得ない、現代の戦争が破滅的被害を自国に及ばすことなど赤子でもわかる道理だ。中国や朝鮮が防衛力を強化するのは、自分を敵視する米国による戦争威嚇に対処するもの以外の何ものでもない。ましてや朝鮮は米国とは「停戦状態」、すなわち「戦争の継続状態」にあるのだ。

「敵国」と見なされれば誰だって身構える、個々の人間関係だってそうだ。

今日の現実が教える自国の安全保障の最善策は「敵をつくらない」こと、それを実現できる強い外交力を持つことではないだろうか。

「敵をつくらない外交力」とは、思想、信条、宗教、社会体制の違いにかかわらず、いかなる国をも国家としてその尊厳を認め、主権尊重、内政不干渉を原則とする国家関係を築く外交力を持つということだ。「仮想敵」を想定せず、どの国とも敵対関係にならない外交力、すべての国と親善、協力の友好関係を結ぶ外交力を持つこと、これが最も有効な安全保障政策だと言える。

日本には特に強い外交力が問われる。

米中新冷戦戦略下で「台湾有事の安保協力」、敵基地攻撃力を含め自衛隊の抑止力化・攻撃武力化、すなわち専守防衛の放棄を求めてくる米国との関係ではこれを拒否し、米国が何と言おうと「敵対国」をつくらない、具体的には「対中包囲」といった中国敵視に組みしない、このことを正々堂々と米国に言える強い外交力が問われるだろう。

 この現状を変更するのは間違いなのか

                            赤木志郎

1月4日岸田首相は、「東シナ海あるいは南シナ海における力による現状変更の試みは許してはならない。」(BSフジTV)と述べた。「既存の秩序に力で挑む中国やロシア」(朝日新聞正月社説)、日米同盟にもとづく民主主義秩序を守る」(エマニュエル駐日大使着任メッセージ)・・・。こうした「現状変更は許されない」という論調が何の説明もなく至るところで氾濫している。現状とは何なのか。この現状を変更するのは間違いなのだろうか。

よく中国の台頭によって米国中心の秩序が崩壊しつつあると言われている。とくに南シナ海がその典型例だと。それまで米軍が中国の国境に接近したり、航空機による偵察活動がおこなわれていたが、今や、中国軍の強化によりそれができなくなり、南シナ海から撤退せざるをえないところまで追い詰められている。もし米国のカリフォニア沖で中国艦隊が展開すれば、米国は黙っているだろうか。だから、「既存の秩序に力で挑む中国やロシア」となる。

南シナ海での動きは、米国の覇権の力が衰退している一つの表現だ。

それは南シナ海だけではない。中東、アフリカ、中南米など至るところで、米国の言うことが通じなくなっている。その典型例は、アフガニスタンからの米軍撤退だ。アフガニスタンの力で米軍統治を追い出したのだ。中南米でも米国に従ってきたホンジュラスに左派政権が誕生している。

米国の力の衰退によりこれまで世界を支配してきた覇権そのものが崩壊しつつある。

すなわち、変更を余儀なくされている現状とは、米国中心の覇権秩序だということができる。この現状を変更することは時代のすう勢と各国の要求に合致しており、けっして間違っていない。

すでに大国が覇権を追求する時代は終わった。「現状変更は許さない」というのは、覇権秩序の崩壊を嘆く断末魔にすぎない。

だとしたら、日本が日米同盟という従属の頚を絶ち、脱覇権の道という選択肢を検討すべき時が来ているといえるのではなかろうか。日本がアジアの一員として親しい友となり、アジア諸国との友好と協力の関係を結び発展させることこそが、日本の生きる道であり、アジアと世界の平和に貢献していくことになるのではないだろうか。

岸田政権、新自由主義からの脱却と言うが何も変わらず一層危険に

                若林佐喜子

昨年は、岸田政権の「新自由主義からの脱却」「新しい資本主義」と言う言葉が飛び交っていましたが、今年に入っての国会質疑では総論ばかりで中身が見えてこない、具体性にかけるという声が上がっています。ある政府高官は、「看板の掛け替えで、議題の多くは会議名が変わっても引きつがれている」と言っていますが、的を射た言葉ではないかと思います。

岸田政権は、成長と分配の「新しい資本主義」で、行き過ぎた新自由主義を乗り越えるとして、「新しい資本主義実現会議」を立ち上げました。その会議では、経団連の会長が「社会保障費の抑制と介護保険の2割負担の対象者の拡大提起」を行っています。首相は、昨年12月に介護や保育職員の賃金を月収の3%(約9千円)、看護は1%(4千円)上げましたが、結局、その分40歳から64歳の現役世代が納める介護保険料が一人当たり約70円増になるそうです。さらに、雇用保険においても同様です。コロナ禍対策で雇用調整助成金の支出が5兆円台になり、積み立て残金が少なくなっているので、保険料率を現在の0.9%から10月に1.35%に上げ、雇い主と働き手の負担になります。

しかし、ここではかられるべきは、保険料の負担、働き手の負担増ではなく、国庫負担の増大ではないでしょうか。にもかかわらず、失業手当の国庫負担分が元来25%であったのに、これまで10分の1の2.5%しか負担してこなかった事実が明らかになっています。

社会保障は国の責任、国民の権利の保障であるのにも関わらず、自民党政権の下で、国庫負担の軽減と本人負担の増大の方向で社会保障の改悪が行われてきました。特に、安倍政権からは、少子高齢化を理由に「全世代で助け合う」という全世代型社会保障改革がすすめられてきました。これは、国の責任を失くして、責任を国民に押しつけるというものです。

岸田政権においても、全世代型社会保障構築会議で、能力に応じて「みなが支えあう」と、安倍政権、菅政権となんら変わりない、国の責任不在の社会保障政策が行われています。

変わらないばかりでなく、もっと危険な状態になっています。

それは、ベーシックインカムの導入で社会保障の廃止を公然と主張した竹中平蔵氏を「デジタル田園都市国家構想実現会議」の座長にしていることに示されています。ベーシックインカムは、失業、貧困は個人の怠惰、個人の責任としながら、貧困者に対する施しをするという「救貧法」の考え方です。だが、社会保障は本来、国の責任、国民の権利の保障です。竹中氏のベーシックインカム導入と社会保障の廃止発言は、究極の新自由主義以外の何ものでもありません。

岸田政権は、「新自由主義からの脱却」と言いますが、何もかわらないばかりか、一層、危険になっているのではないでしょうか。


国と民主主義を対立させてはならない

小西隆裕 2022年1月20日

最近、国と民主主義を対立させる論調が目に付く。

コロナ対策をめぐっての「民主」と「強権」、

「米中新冷戦」での「民主主義」VS「専制主義」、「権威主義」、等々。

国が何らかの強制力を持ってやることは、すべて「強権」、「専制」として民主主義と対立させられている。

ここで問いたいのは、民主主義とは、もともと国の政治のあり方として生まれたものなのではないのかということだ。

人々の意思を反映した政治が民主主義であり、抑圧する政治が専制主義、強権政治だったのではないのか。

それがいつの間にか、国と言えば強権、専制ということにされてしまっている。

それは、現実の国々が往々にしてそうなっているから説得力を持つ。

しかし、だからと言って、国と民主主義の対立を説き、国への絶望を煽るのが正しいのか。

それとも、人々の共同体としての国がその成員である人々の意思を反映した政治、民主主義を行うようあくまで追求するのが正しいのか。

問われているのは、国と民主主義を対立させて、国を否定することではなく、国を人間にとってなくてはならない、かけがえのないものとしてとらえ、その国が真に人々のためのものになるよう、どこまでも追求していくことではないかと思う。


日本を戦場にするのか、日本を米国の盾にするのか

魚本公博 2022年1月20日

年初からきな臭いニュースが舞い込んできた。7日、日米の外務と防衛担当トップの会談「2プラス2」で、日米は「抑止力強化」を確認し「日米同盟の役割や任務を深化させる」ことが合意された。そして、それに基づいて日本は敵基地攻撃能力を念頭に、「国家の防衛に必要なあらゆる選択肢を検討する決意」を表明した。

敵基地攻撃能力が取り沙汰されるようになったのは、中国が変則的軌道を描く弾道ミサイルや極超音速の弾道ミサイルを開発し実戦配備しているという状況の中で、これまでのミサイル防衛では歯が立たないから、相手の基地を攻撃するというものだ。

それを強く主張するのが安倍元首相。2プラス2を前に、安倍元首相は読売新聞のインタビューに、中国の新型ミサイルに従来の方法では、「太刀打ちできないから、打撃力を持つ方が合理的なのです」と述べている。

しかし中国の新型ミサイルは個体燃料で車載されたものや列車、潜水艦から任意の場所、任意の時間に発射される。そうなれば、敵基地攻撃とは中国全土への攻撃を想定したものとなり、こうなれば中国との全面戦争になってしまうのではないか。

敵基地攻撃論者の論理は「抑止力」との関係で位置づけられており、日米同盟を強化することで米国の強大な軍事力、とくに核を後ろ盾にして日本を守ってもらうとなっている。しかし、いくら日米同盟を強化しても、米国が核を使うことはありえない。3日に米露中英仏の核保有国が声明を発表したように「核戦争に勝利者はない」のである。

結局、敵基地攻撃能力の所有は、日本を戦場にして、日本を米国の「盾」にするものとなるだけだ。これまでの「盾」は、あくまでも日本国内でのものであった。しかし敵基地攻撃すれば戦場は外になる。そこでの「盾」は、米国を守るための「盾」になるということだ。

何故、こんなバカげたことが論議されなくてはならないのか。それは米国が米中新冷戦を掲げ、日本にフロントラインの役割を要求しているからであり、日本に、それに呼応しようとする勢力が存在するからである。

日本は、「二度と戦争はしない」ことを国是にし、憲法にも、それを明記している。そのための手段はいくらでもある。専守防衛に徹し、平和外交や経済関係の深化など、平和的アプローチこそ追求すべきなのではないか。

それを主張する識者も少なくない。経済関係でも中国への投資は日米共に増えており、それが現実的なのだ。いずれにしても、「この1年むずかしい舵取りが迫られる」と言われる中、賢明で現実的な方法を模索すべきであり、平和を願う国民の声を高め、敵基地攻撃能力所有論など葬り去らねばならないと思う。


単なる名称変更ではない「こども家庭庁」

森順子 2022年1月20日

子ども政策司令塔として、新しい省庁の名称が「こども庁」から「こども家庭庁」に変更された。「家庭」が加えられた理由の背景には、子育ては家庭が担うべきという与党内の根強い声だという。

なぜ、「家庭」を入れるのか? 家庭に縁がうすい子もいるし、家庭のことで苦しんでいる子もいるし、そういう子どもの方が増えていて抱えている問題は多いというのが現実ではないのか。このような子どもがいることなどを考えての「こども家庭庁」なのか、ということだ。これは、単なる名称変更にとどまらない問題だ。

そもそも、子どもの問題は、家庭だけの問題ではない、本質は社会の問題であるということだ。そして、家庭、親の問題も、社会の問題であるということだ。

だが、「こども家庭庁」は、子どもは「家庭」が担うべきとすることによって、当事者である子どもを軽視し、一方で、その子どもを家庭に押しつけるものになっているということだ。言葉を換えれば、子どもの貧困やいじめ、様々な子どもに関わることは、すべて家庭の問題とし、そうすることによって政府は自らの責任を回避しているということだと言えるし、子どもの問題を、社会の問題から外そうとすることに他ならないではないか。

また、「こども家庭庁」は、当事者である子どもや国民の声など一切無視し、与党内だけで名前を変える話があっさり決まってしまった役所であるということだ。

すなわち、国民の生活環境や暮らしに関心のない政治家が、自分たちの要求を通すためにあたかも国民のためであるかのようにして勝手に名称を変えてつくった役所だ。で、あるだけに「子育ては家庭が担うべき」「子どもはお母さんが育てるもの」と言う時代遅れの現実を知らない自民党政治家への不信感と不安が出ているが、言うまでもないことだ。

子どもたちの幸福や未来にむける視線が、まったくない子ども政策は岸田政権の未来もないということだ。次世代の子どもたちを真剣に考えるのであれば、子どもを社会の真ん中において子ども政策を考えるべきだと思う。


おことわり

今回と11月5日と20日、そして12月5の計4回、「アジアの内の日本」コーナー、休ませていただきます。

理由は、「アジアの内の日本」の会の活動を当面、「戦後日本政治転換の時に当たって」(仮題)という名の政策提言に集中したいからです。

どうかよろしくご了承下さい。
お願い申し上げます。

2021年10月20日
「アジアの内の日本」の会


「シビリアンコントロール(文民統制)こそ危険の元凶」という意外な事実

若林盛亮 2021年10月5日

軍事ジャーナリスト、半田滋氏の書いた著書「安保法制下で進む! 先制攻撃できる自衛隊」(あけび書房)にこんなことが書いてあった。

「この国を戦争の惨禍に導くのが、太平洋戦争の時代では軍部であり、現代は政治家だとすれば、シビリアン・コントロールこそが危険の元凶になります」

かつて「軍部の暴走」によって日本が戦争に突き進んだという「反省」に立ってシビリアン・コントロール(文民統制)によって自衛隊(軍人)は統制を受ける、これが日本の軍事における民主主義だと言われてきた。しかしこの著書では「シビリアン・コントロールこそ危険の元凶」だと「戦後民主主義日本の常識」に警鐘を鳴らしている。

その根拠に上げられているのが「18防衛大綱」、2018年末、安倍政権下で閣議決定された「新防衛大綱」の成立経緯、特に小型空母保有を決めた経緯だ。

空母保有は、国是である憲法9条下で専守防衛の自衛隊が持てない攻撃型兵器の保有に当たる。小型であろうと大型であろうと日本が保有できないものだ。この保有を決めたことは憲法9条、専守防衛からの大きな逸脱だ。

閣議決定後の記者会見で当時の岩屋毅防衛相は「海上自衛隊や航空自衛隊から具体的なニーズや要請があったのではなく・・・」と自衛隊が求めたものではないと明言した。

では誰が要求したのか?

「18防衛大綱」は、第二次安倍内閣で新たに設置された国家安全保障会議(NSC)とその事務方である国家安全保障局が策定した。この国家安全保障局は元外務次官だった谷内正太郎氏が局長を務めており、外務省色の強い組織だ。外務省の中には、国際法という「国際常識」が日本国憲法の上位にあるべきだという考えが強い。

ここから考えられるのは、外務省官僚が日米安全保障条約の要求、つまり米国からの要求を優先させ憲法9条の制約を超える「小型空母保有」を「18防衛大綱」策定に入れたということだ。

では米国の要求とは何か?

米国は大型空母を中心とする空母打撃群に替わって、米海兵隊が敵国上陸時に使う強襲揚陸艦を小型空母として使う遠征打撃群を編成する方針を打ち出している。この遠征打撃群の編成には佐世保基地に配属されている強襲揚陸艦「ワスプ」と岩国基地の短距離離陸・垂直着陸機、F35B(小型空母でも離着陸可能)を組み合わせる。

一方、日本側では、対潜水艦ヘリポートとなる護衛艦「いずも」の甲板を改修してF35Bを載せる運用法を検討、いわば小型空母化された「いずも」が「ワスプ」搭載F35Bの代替飛行場を提供できるようにするという日米合同軍の完成案を作成した。

要するに日米安保、米国の要求に従って、外務省色の強い国家安全保障局が策定し、自民党国防部会・安全保障調査会がこれを提言としてまとめ、首相官邸主導で安倍内閣が閣議決定した、こうした経緯でつくられたのが小型空母保有を盛り込んだ「18防衛大綱」だ。

結論的にいえば、海上自衛隊も航空自衛隊も求めていないにもかかわらず、外務官僚と自民党、首相官邸が二人三脚で小型空母保有を決めたということだ。

周知のように、わが国は4月の菅首相訪米時の日米首脳会談でバイデン政権に「台湾有事の安保協力」を約策させられ、「対中対決の最前線」に立つことを求められた。

米国の要求する「安保協力」の基本は、台湾有事を日本の有事ととらえ、米軍と共に中国と戦える「安保協力」、すなわち戦争のできる自衛隊への改変を日本に迫ることにある。

自衛隊の求めでもなく、そして非戦の国是に反しても日米安保・米国の要求を優先する政治家によって策定、決議された「18防衛大綱」に明記された「小型空母保有」によって、「台湾有事の安保協力」の第一歩は踏み出されているのだ。

この国を戦争に導く「シビリアン・コントロールこそ危険の元凶」ということを改めて考える必要があると思う。


目立ってきている英国の動き

赤木志郎 2021年10月5日

最近、米覇権回復策動において英国が果たす役割が目立つ。

 クアッド(日米豪印)やインド太平洋構想、そして、ファイブアイズ(五つの目)という機密情報共有枠組(米、英、豪、加、ニュージランド)、そして最近発足したAUKUS(米英豪)など、すべてに英国ないし英連邦国が参加している。

かつて英国は、18世紀、カナダと北アメリカ(ルイジアナ州)、キューバなどの西インド諸島、南アフリカ、インド、香港などを支配する「大英帝国」を形成し、世界を支配する覇権国となった。民族独立運動の台頭とともに第一次大戦後は、「大英帝国」から「英連邦」に改称した。第二次大戦後、さらにゆるやかな連邦になったが、依然として英国が影響力をもっている。この、大英帝国、英連邦は、日本に対しても明治維新と明治政府に大きな影響力をもっていた。

第二次大戦後、米国が圧倒的な軍事経済力を背景に世界を左右する覇権国として登場しながら、英国は米国の第一の同盟国として米覇権に加わってき、英国の独自的な影響力は目立たなくなっていた。ところが、最近、英国が目立つのは、米国の力の衰退に合わせ、米国が英国と英連邦を最大限、米覇権回復に動員しているからだといえる。数ヶ月前のG7開催時に英米による「新大西洋憲章」を合意したのもその表れだ。アングロサクソンという民族、プロテスタントという宗教、自由と民主主義の価値観も共通している。だから、米覇権は英米覇権と言いかえてもいいくらいだ。

この英米を核とした覇権勢力に日本が対中包囲の最前線に立たされようとしているわけだが、日本にとって英米と組んで何か利益があるのだろうか。もはや、英米に従っていけば日本の経済発展なりが開かれるという時代ではない。逆に、さらに日本の力がむしりとられるだけだと思う。日露戦争の時は「東洋の番犬」として認められたが、今日の中国との対決では、結局は利用されて捨てられる存在にすぎないのではないかと思う。

 米追随でアジアの分断の手先になるのではなく、アジアの友人として日本独自の道を拓く時が来ていると思う。


労働政策転換の勧めは、一体誰のため?

若林佐喜子 2021年10月5日

今回は、働き方、雇用問題について考えました。

自民党政権の政策ブレーンである竹中平蔵氏は、著書「ポストコロナ『日本改造計画』」で、今後、世界が凄まじいデジタル資本主義の競争に向かう。経済構造、仕事の進め方、雇用形態も大きく変わるとしながら、「労働者を一つの企業に囲い込むやり方では限界がある。もっと自由で多様な働き方に移行した方が企業も人も活かせる」と、主張しています。

その理由の一つとして、竹中氏は、米国の場合、仕事がなければすぐに解雇されるが、日本の場合は、国が企業に雇用助成金を給付して雇用を支えていると雇用助成金制度を問題視しています。特に今回、政府は、コロナ禍対応、営業自粛などを受けて条件を緩和して適用し、休業者を増加させたが、良かったのか? 今後、経済停滞が長期化し産業構造も大きく変わる中で、雇用助成金をだし続けることは無理、即刻解雇の米国式か、雇用を支える雇用助成金制度を維持するのか、どちらが良いのか?と、労働政策の転換を主張しています。

今回のコロナ禍対応で、政府は、雇用保険を財源とする「雇用調整助成金」をコロナ禍における働き手支援の柱に据え、休業手当を払った企業を助成。その件数と額は456万件、4兆4654億円。さらに、勤務先が雇用調整助成金を使わず、パートを対象に含めなかったりして休業手当を受け取れない働き手が続出したため、国に直接申請して受け取れる休業支援金も雇用保険の枠組み内に創設。中高年のパート(非正規)を中心に利用され、244万件、1823億円でした。(朝日9?25) このような現実を直視すれば、働き手にとって雇用調整助成金制度は必要不可欠です。竹中氏の主張でいけば、この人数の働き手を休業でなく、解雇、失業させろということです。一体、国民をなんと思っているのでしょうか。

近年、米国などで、ギグワーク、「雇われない働き方」が増加しているそうです。デジタル化のなかでアイデア、技術さえあれば、世界中の人と仕事ができるようになりました。企業経営者から捉えれば、正社員を抱えているよりも、必要な時に、必要な技能や知識をもった人を一時間いくらで雇うことが出来れば仕事が終わります。「カイシャ」という形態をとる必要がありません。しかし、働き手にとっては、特定の会社に雇用されず労働法の適用をまったく受けられません。

日本においても、既に、大企業では、選択的週休3日制、副業を奨励する企業があり、自民党もこの制度の政策提言を目指しているそうです。週に3日休み、4日働くことが可能になる制度。介護と仕事を両立させたいと、考えている人にとっては歓迎できるかもしれませんが、企業側の目的は、賃金を押さえることであり、スキルアップ、老後の年金額確保などは自己責任でということです。

結局、竹中氏の「自由で多様な働き方」とは、外資、大企業側に利益をもたらし、働き手に自己責任をおしつけ、更に使い捨てを可能とする労働分野での規制緩和、規制改革です。

それは、また、日本型雇用システム(正社員は長期雇用を前提にする)を崩壊させ、雇用の流動化の促進、米国式雇用形態の奨励ということができると思います。


ピョンヤンから「アジアの内の日本」を考える-対中対決の最前線を担うということ-「いずも」型護衛艦・小型空母化の運命

「救援」 2021年10月 630号

日本では総裁選ニュースが盛況だが、その陰で対中対決の最前線、「東アジア海域は波高し」、日本にとって危険な兆候が表面化している。

9月にこの海域に英国の最新鋭空母「クイーンエリザベス」が進出、出航時から短距離離陸・垂直着陸戦闘機F35B18機を搭載(そのうち10機は米軍機)してやってきた。大型空母だから短距離離陸や垂直着陸の必要もないはずのになぜF35B搭載なのか?

その答えはこの英空母打撃群の指揮官の言葉にあった。

「空母を日英が共同使用し、最新鋭ステルス戦闘機F35Bを統合的に運用することを提案した」と記者会見で語っている。

日本では対潜ヘリ搭載用の「いずも」型護衛艦を小型空母化してこのF35Bの搭載を可能にする改修が進められている。英海軍がわざわざ大型空母にこんな戦闘機を積んできたのは、この海域で日本の小型空母との共同運用計画を具体化するためと思われる。

7月27日の読売新聞トップ記事は、「いずも・米F35B発着訓練」の大見出しで、年内にも改修を終えた「耐熱甲板」を使って米軍のF35Bによる発着訓練を行うと伝えた。

こういった事実を見ると、日本の小型空母は、米軍や英軍のF35B用の「海に浮かぶ臨時飛行場」として予定されていることがわかる。

なぜ日本の小型空母なのか? それは、迎撃困難な中国の中・長射程距離巡航ミサイル1,200基が随時発射可能状態にあって格好の標的である米巨大空母がこの海域に出動も接近すらできなくなったからだ。その代替として日本の小型空母は利用される。

「多少の損害は覚悟で、この海域で小型艦艇をたくさん展開して中国に的を絞らせない」戦略と宮家邦彦氏(キャノン・グローバル研究所)はあるTV番組で語っていたが、「多少の損害」を被るのが自衛隊艦船だということは言わない。

「いずも」に次いで「かが」の小型空母化改修が行われるが、海上自衛隊には小型空母がさらにもっと要求されるかも知れない。

極超音速で変速軌道を描く最新ミサイルの餌食になるのは、米空母ではなく日本の小型空母なのだ。

わが国が「対中対決の最前線」を担うとはこういうことなのだと強く訴えたい。

ピョンヤン かりの会 若林盛亮


「特集 日本の進路、若干の問題提起です」

時代の転換、問われる日本の進路

今、誰もが時代の転換を感じている。何もかもがこれまでとは違ってきている。

米国が最大最悪の感染大国となったコロナ・パンデミック、米軍の撤退に伴い時を置かずアフガニスタン全土に復活したタリバンによる政治、そして、米覇権建て直しのため、米国によって仕掛けられてきている世界を分断する横暴無道な「米中新冷戦」、これらすべてが覇権国家、米国の没落と時代の大きな転換を物語っている。

時代転換の大波は日本にも押し寄せてきている。軍事も外交も経済も、地方地域、教育、社会保障も、すべてがこれまでのようにはやっていけなくなっている。

この時代の切迫した転換点にあって、われわれには自らの進路、日本の進路をどう取るのかが問われている。

米国の強要に従って、中国を敵とする「米中新冷戦」の最前線を担い、それに向け、日本の軍事も経済もすべてが米国のそれに組み込まれる日米一体化の道に進むのか、それとも米国の無理強いをはね除けて、戦後一貫して強いられてきた対米従属の道からの脱却を図るのか。この自らの命運、日本の命運を分ける歴史の分岐点にあって、覇権国家、米国とそれにあくまで追随する親米派勢力に反対して闘う全国民的な運動が求められている。

こうした現実を前にして、私たち「アジアの内の日本の会」は、ここ朝鮮の地から、この度、私たちのサイトを通して、闘いの各分野における争点を広く同胞の皆さんに提起し、一人でも多くの方々との間に論議の輪が広がるのを願ってやみません。

抑止力論に基づく日米安保基軸の防衛か、憲法9条・撃退自衛と敵対国をつくらない外交力による防衛か!

若林盛亮 2021年9月20日

いま戦後日本が維持してきた憲法9条・非戦国家日本の国是は重大な挑戦にさらされている。

戦後日本の防衛は、日米安保条約に基づく米軍が「“矛”・攻撃」、憲法9条に基づく自衛隊が「“盾”・防御」という役割分担で成り立っていた。その実態は、ベトナム戦争、アフガン、イラク戦争では後方基地、あるいは自衛隊の後方支援活動など米軍の戦争荷担国家として日本はあった。しかしながら「自衛隊は一発の銃も撃たず、自衛隊員に死者は出さなかった」と言われるように、憲法9条下の自衛隊は攻撃武力を持たず専守防衛を旨とすることによって、「日本の国是は非戦国家」という表看板は曲がりなりにも守られてきた。それは“矛”を担う軍事超大国、米国に上記の役割分担を変える必要がなかったからだ。

ところが今日、米国が「対中対決の最前線」に立つ「安保協力」を日本に迫るに至って、情況は一変した。

米中新冷戦、対中対決路線は、トランプ政権時代の2017年末に新しく米「国家安全保障戦略(NSS)」が策定されたことに始まる。ここで中国を主敵と規定しながら「米軍の競争力の劣化を認め」たうえで「友好国との同盟の強化」をより重要に打ち出した。

中でも「友好国」日本に求める「同盟の強化」は、劣化した米軍の「抑止力」を補う自衛隊の「抑止力の強化」、自衛隊の攻撃武力化に焦点が絞られている。

「対中対決」において米国の求める「安保協力」は、自衛隊を“盾”から“矛”に転換し米軍と共に中国と戦争のできる日本にすることをわが国に迫るものとなった。

これはわが国の専守防衛路線の放棄要求であり、ひいては非戦国家日本の否定であり事実上の憲法9条改憲要求だと言える。

こうした条件で、わが国が非戦国家日本の国是を堅持しようとすれば、米国の「安保協力」要求の根拠である日米安保基軸という従来の防衛路線の見直しに踏み込むことが要求される。

では、この日米安保基軸を見直す上で核心的問題は何なのか? 

それはこれまでの防衛理念である抑止力論を見直すことであると私たちは考える。

敵国が「報復攻撃を恐れて戦争の意図を放棄する」ようにすることが抑止力論であるがゆえに、報復攻撃能力を持つ米軍に日本防衛の基本を委ねる、したがって日米安保基軸が日本の防衛政策の柱であるとされてきた。

この論理に従えば、「米軍の抑止力の劣化」が現実となった以上、これを日本の自衛隊が補うのは当然の「安保協力義務」であるというのが「理」に適い、「自衛隊の抑止力強化」を拒む方に非があるとされるだろう。

ゆえに憲法9条・非戦国家日本の国是を堅持しようとすれば、抑止力論自体を見直すことが重要な鍵になる。

したがって私たちは基本的な争点として次の二点を提起したいと思う。

第一に、「抑止力」防衛に代わる「撃退自衛力」防衛を基本にすえるべきことを提起する。

「撃退自衛」は交戦権否認の憲法9条第二項を具現する自衛理念として自国の領土領海領空から出ない自衛、いわば「交戦権否認の自衛」の理念として専守防衛の核をなす考え方だ。防衛は撃退にとどめる自衛に徹し、自衛隊は「撃退自衛力」に徹する。

これと同時に在日米軍にもこれに準じる行動を求める。すなわち日本の米軍基地を他国攻撃の出撃拠点としないための日米地位協定改訂が伴わねばならない。

第二に、敵対国をつくらない外交力を備えることが併行して採られるべきである。

「抑止力論」防衛は敵対国を前提とするが、「撃退自衛力」防衛は敵対国をつくらない外交力によって裏打ちされる。

ここで重要なことは、仮想敵国をつくらない善隣外交と共に「対抗ではなく対話と協力」の国際関係を構築することであろう。ここではASEAN諸国が主導する主権尊重、内政不干渉を原則とする東アジア共同体構想や「噛みつく安保ではなく、吠える安保」と言われる非戦の地域集団安保協力機構ARF(ASEAN地域フォーラム)への積極的参加を図ることが重要である。

以上の2点を非戦国家日本の安保防衛問題を論議する上で参考いただければ幸いである。


中国を敵視し世界を分断する対米追随外交ではなく、すべての国との友好をはかる日本と世界のための全方位外交へ

赤木志郎 2021年9月20日

 今日、米国が「米中新冷戦戦略」にもとづき、政治・経済・科学技術・軍事のすべての分野において同盟国を動員して対中包囲網をつくろうとしている。世界をいわゆる「民主主義国家」と「専制主義国家」の二つに分断し、他方を排除することは、国際平和と安定に大きな障害をもたらすものである。現在、推進している「インド・太平洋構想」や「クアッド」(日米豪印枠組み)など、日本が米国の対中国包囲網の最前線に立ち、とりわけアジア諸国の分断と排除の先兵になることは、アジア諸国と密接な関係のもとで日本の繁栄をはかろうとする日本の国益に合致せず、アジアの平和と安定に大きな障害をもたらし、対米従属をいっそう強めることになる。

 これまで堅持してきた「日米基軸」外交は、今や「対中対決」「対中包囲」外交となって、日本の国益を侵し、アジアと世界にとっても危険な米覇権外交に加担し、国際平和をじゅうりんするようになる。もはや今日にいたって、戦後続けられた日米基軸という「対米追随」外交は、時代の要求にまったく合わなくなっている。

 現時代は、大国による覇権に反対し、各国が独自の国益を守り実現していき、各国の独自性を互いに尊重することによって世界の平和と友好、親善を実現していく時代だ。特定の国を排除し世界を分断することによって、自己の覇権を回復させようとする米国の企図はかならず破綻するだろう。

それゆえ、日本は「日米同盟」を基調とする外交から転換し。特定の国を排除せず世界の分断に加担することなく、どの国とも友好関係をむすぶ全方位外交をおこなうことによって、日本の国益、平和と安全を守り、アジアと世界の恒久平和と親善友好に寄与していくことが、切実に要求されている。

 したがって、外交の柱をつぎの通りにすることを提起する。

①中国などを排除しないで、どの国とも友好関係の発展をはかる全方位外交。

②他対米追随外交ではなく、日本の国益中心の独自外交。

③日米一体化ではなく、アジアの一員としてのアジア重視外交。


日本経済の復興と一大転換を図る時

小西隆裕 2021年9月20日

「失われた30年」、長期に渡り停滞してきた日本経済、今、米国は、その日本経済に「救いの手」を差し伸べる構えを示している。デジタル化とグリーン化、そして地方経済の活性化による日本経済の復興。だが、それは同時に、日本経済を米国経済に組み込み、日米経済の一体化を図りながら、中国を包囲し封じ込め排除する「米中新冷戦」の最前線に日本経済を押し立てるためのものだ。

今、世界的範囲で、デジタル化、グリーン化など経済のあり方自体の転換が進展する経済新時代にあって、日本経済は自らの進路をどう取るか、正念場を迎えている。

「米中新冷戦」の先兵として、日本経済の米国経済への組み込みに乗ってしまうのか、それとも、「米中新冷戦」を奇貨として、日本経済の復興とともに対米従属からの脱却を図るのか。

この日本経済の命運を決する闘いにおいて、その争点は、何よりもまず、日本経済の復興と新しい発展を、外資、大企業第一に行うのか、それとも国民生活第一に行うか、それを対米対外依存、効率偏重でやるのか、それとも経済の生命である自立と均衡優先でやるのかにあり、

さらに、闘いの第二の争点としては、経済復興の原動力を日本経済のデジタル化、グリーン化、地方地域活性化に置いた上で、それを米国のため、中国に敵対して行うのか、それとも日本と日本国民のため、米国とも中国とも力を合わせ、アジア、世界と一体に行うのかが問われている。


地方を米国に売る「スーパーシティ構想」ではなく、地域住民のためのスーパーシティを

魚本公博 2021年9月20日

 今、デジタル化による地方振興が叫ばれている。その名も「スーパーシティ構想」。「スーパーシティ構想」とは、ビッグデータ+AI+Iotで都市を丸ごとデジタル化するというものであり、自動運転などの「移動」、自動配送やドローンなどの「物流」、キャッシュレスの「支払い」、ワンスオンリーの「行政手続き」など10項目が上げられている。

 なぜ今、スーパーシティ構想なのか。米中新冷戦を唱える米国は、世界を民主主義陣営と専制主義陣営に分断することで自身の覇権を回復しようとしており、そこに日本を組み込むことが死活的な問題になっている中、衰退した地方・地域から組み込む。「スーパーシティ構想」は、そのためのものである。

この構想はTPP(環太平洋経済圏構想)交渉で「国境をまたぐデータの自由な流通の確保、国内でのデータ保存要求の禁止という原則」を米国に約束したように「データ主権」を放棄しGAFAなど米巨大IT企業の下で行うものになっている。こうなれば各地方・地域及び住民のデータはGAFAに握られ、地方・地域や住民はその隷属物にされる。

 これまでも日本の地方政策は米国の意向に沿って立てられてきた。それは地方を米国が掌握することで日本全体を米国に組み込む日米融合一体化を促進させるとしてあった。安倍政権では経済特区での米系外資導入が図られ、2017年には地方制度調査会が「連携中枢都市圏構想」を打ち出した。それは「全ては救えない」として地方の中核都市にカネ・ヒトを集中し、そこに米系外資を呼び込む。その目玉としての上下水道などの自治体の運営権を米系外資に譲渡するコンセッション方式。

 こうした地方を米国に売る政策の下で、住民の生活に密接に関係する市町村など基礎自治体の大部分の切り捨て、自治体を企業のように運営する「企業統治」が行われる。まさに自治の否定、住民主権の簒奪。それ故、それは、維新の大阪都構想が大阪市民の反対で頓挫したように地域自治体、住民の反発を生んでいた。

「スーパーシティ構想は、こうした地域の反発を排除し、地方を米国に売る政策を一挙に進めるものとしてある。政府は、これを2030年までに実現するとしている。しかしデジタル化そのものは地方振興の大きな武器である。そうであれば、政府の「スーパーシティ構想」に反対するだけでなく、地域住民が主体となった自らの「スーパーシティ」建設が問われている。

これまでの血の滲むような「地域振興」の努力を無にし米国に地域をそして日本を売り渡すかのような政府の「スーパーシティ構想」に対して、地域住民が主体となり、自らの郷土を守り発展させる自らのための「スーパーシティ」建設。それが今、地域問題を巡る闘いの焦点になっている。

地域住民主体の地域住民のための「スーパーシティ」。その基本像を政府の「スーパーシティ構想」と対比させ、以下のように提起したい。

①データ主権なきスーパーシティではなく、データ主権を確立した自主的なスーパーシティを。

②「見捨ててよい地方・地域などない。全ての地方・地域に価値がある」の理念を体現し、大都市中心のスーパーシティではなく全ての市町村のスーパーシティ化を。

③自治体を企業統治するスーパーシティではなく、地方自治、地域住民主権を守り発展させるスーパーシティを。


全国民を人材に育てる教育を

森順子 2021年9月20日

科学技術立国日本にとって20年以上続く研究力の低迷は、国の未来を左右する深刻な事態です。

この状況を克服する鍵は、デジタル化における人材育成にあります。未来を担う教育事業に投資し支援し保障し「誰一人取り残さないデジタル化教育」を実現し誰もが公平に学び皆が未来を担う日本の人材に育つようにしなければなりません。

しかし、「米中新冷戦」のため日本をその最前線に立てようとし、米国は日本の米国への組み込み、日米一体化をもくろみ、そのために教育のアメリカ化を図ってきています。

「英語、IT技術、プレゼン技術」に特化した有能なグローバル人材育成の目的に応えて、大学入試改革や全般的な教育改革、教員問題など、日本の教育制度全体を変えようとしています。

すべての入試試験の合否の基準は英語+二つの技術で評価され、学校の授業より塾通い熱心な生徒、そして学力不問と批判のある推薦入学の人気など、「英語とIT」に特化した教育のあり方は、もはや国民教育という概念とは言えないのではないでしょうか。一方、学校の端末指導では、理解の早い生徒と遅い子に分ける授業が行われている現実。また、デジタル化教育における教員は、質の高い優秀な人を外部や海外に依存。また、日本の学生より留学生をはるかに有利な条件で入学させる大学。我が国の大学院はほとんど危機的で奨学金留学生に占拠される博士課程とまで言われる現実。自らが開発した研究は外に売るしかなく独自の研究開発、人材育成が深刻な大学。

このように日本のデジタル化教育環境は、海外からの人材と外資にとっては、活躍できる有利で安定した条件が整っていますが、反対に、日本人には激しい競争と格差の中に身を置かねばならない厳しい環境が待ち受けています。今後ますます海外からの人材と外資が入って来る日本のデジタル化人材育成は、外国人と外資の下請的存在、下請的役割を担う現実が待っているのではないでしょうか。

私たちは「誰一人取り残さないデジタル化教育」を掲げながら、そのために以下のように争点を提起します。

一つは、日本のグローバル人材育成のため、その目的をどこに置くのか。

少数の人材化か、全国民の人材化か。

二つ目は、先決的に十分な数の教員を養成するため、日本の教員を基本にするのか、

外部、海外の教員を基本にするのか。

三つ目は、それ自体、国の発展である教育、科学技術の発展に国家が責任を持って投資、支援、保障を行うのか、外資の資金に頼り集めるのか。

 以上です。


社会保障をなくすのか、より発展、充実させるのか

若林佐喜子 2021年9月20日

未だ収束の目処が立たないコロナ禍の中で、人々の命と暮らしが脅かされています。

防疫後進国、社会保障後進国の克服の道を見出せないまま、「デジタル敗戦」と烙印され、経済を初めあらゆる分野でデジタル化が急速に推し進められています。

そのような中で、竹中平蔵氏は、「ベーシックインカムの導入で社会保障の廃止」を主張しています。

デジタル資本主義では、経済構造、仕事の進め方、雇用形態に大きな変化が起こり、今ある職業の半分くらいがなくなる超格差社会が予想されるとされています。

竹中氏は、新しい格差社会で必要なのが、毎月一定額(7万円)を必要な人に給付するベーシックインカム制度だと主張します。そして、「これまで、『個人の救済』という概念がなかった。個人の生活スタイルはバラバラで自由であるということを前提にフェアな対策を考える必要がある」と、言っています。

言い換えるならば、月々7万円給付のベーシックインカム制度が公平な「個人の救済」方法であり、生活保護、年金などの社会保障は不公平なので廃止すべきだということです。

しかし、社会保障は、国民の生活が失業、労働災害、病気、障がい、老齢などにより、脅かされたり、破壊されたりする事態に対する共同体としての国の責任による保障です。特に生活保護は、国民に健康で文化的な最低限度の生活を保障するものです。

今日、人間は、生産性ではなく存在するだけで価値があり、どんな命にも役割があるとする、生命共同体、運命共同体意識が共感を呼ぶようになっていると思います。

また、多様性の時代と言われ、社会を構成する人たちには性別や人種、障がいの有無など様々な背景があることが前提であり、誰も排除されることなくその権利、役割が発揮できることを要求しています。

求められているのは、社会保障をなくすのではなく、高まっている人々の要求に合うよう社会保障を発展、充実させることです。

そのために、

1、弱者救済、救貧ではなく、国民の権利としての社会保障制度。

2、自己責任ではなく、共同体としての国が全的に責任もつ社会保障制度。

です。


横浜市長選勝利の要因を考える

小西隆裕 2021年9月5日

先月、横浜市長選で立憲民主党、共産党、社民党が推薦する山中竹春氏が圧勝した。

菅首相、横浜市議会自民党議員、公明党が推す本命だった小此木氏を18万票の差を付けて破る大勝利だった。

当初、誰も夢想だにしなかったこの結果はどこから生まれたのか。その要因についてはいろいろ言われている。

そこで決定的なのは、後ろ盾となった菅首相のコロナ対策の無策とそれによる支持率の20%台への大下落だ。しかも、小此木氏自身、IR反対を出しただけで、コロナ対策が全くなかった。

これに対し、山中氏は、横浜市大教授、医師として、コロナ対策を前面に出し、選挙戦に臨んでいた。

勝敗を分けたのは明らかだ。ジバン、カンバン、カバンではない。コロナ対策だった。

横浜市民のもっとも切実な要求、コロナ対策にもっとも熱心で、力のありそうな候補、山中氏に白羽の矢が立てられたのだ。

ここで注目すべきは、コロナ対策という政策だけではない。政策もそれを選ぶ横浜市民あっての政策だ。

横浜市民の命と暮らしを守るのか守らないのか。守らない候補は、自民党であろうが、横浜の古くからの名士であろうが、必要ない。守る候補なら、どの党であろうと、名士であろうとなかろうと、横浜のため、横浜市民のために、市長になってくれ。

この横浜市民の市民意識の高まりがあったからこそ意味をもったコロナ対策だったのではないだろうか。

今日、こうした趨勢は、時代の趨勢として、一人横浜でのみ見られるものではないと思う。コロナに対し無策で、「自宅療養」を押し付ける菅政権を許さず、見離す日本国民の国民としての意識の高まりは、そのことを雄弁に物語っているのではないだろうか。


二つの「8・15」

魚本公博 2021年9月5日

タリバンのカブール制圧と全土掌握。その日は奇しくも日本の敗戦日と同じ「8・15」だった。もちろん、それは偶然の一致である。しかし、二つの「8・15」は全く無関係ではない。

何故ならば、米軍のアフガニスタン占領は、「反テロ」と「民主化」を掲げて行われたが、その「民主化」のモデルは日本だとされたからである。当時、ブッシュは「イラク、アフガニスタンを日本のように民主化する」と述べている。

そして、それは失敗した。米ボストン大学名誉教授のアンドリュー・ベースビッチ氏は「日本やドイツでやったことを今度はイラク、アフガニスタンでもやろうじゃないか、として「ネーション・ビルディング(国造り)」して失敗した結果の今だと指摘する。

では「8・15」の米軍占領下で行われた日本の「民主化」とはどういうものだったのか。それはあくまでも米国のための民主化であった。そのことは外交評論家の孫崎さんの「戦後史の正体」などを見ても明らかである。すなわち日本を対米従属の国にするための「民主化」であった。その下で、自主派は潰され対米追随派が育成され、米ソ冷戦時には「反共の防波堤」にされ、経済発展の後には、その冨を奪われ(郵政民営化)、今は米中対決の最前線に立たされようとしている。

タリバンの「8・15」の勝利、それは他国を侵略して自分式の民主主義を押しつけても必ず失敗するということを証明したばかりでなく、米国覇権の時代は終わり、覇権など通用しない時代であることを示している。

この時代にあっても日本は対米従属を続けるのか、そこに日本の未来はあるのか。日本は「対米従属」という国のあり方を根本的に考え直す時ではないか。タリバンの「8・15」は、そのことを鋭く問いかけている。

・・・・・・・・・

タリバンは20年かけて米軍占領を終わらせました。米軍占領状態が80年近く続く日本ですが、アフガニスタンがやれたことを日本がやれない筈はない。アジアの中の日本として生きるとはアジアの国々をどんな国でも尊重し学ぶべきは学ぶということだと思います。タリバンの勝利を勝利として受け止め学ぶこと、それが大事なのではないでしょうか。


お知らせ 9月5日

【活動報告】

盛況だった孫崎享氏講演と対論(小西隆裕と電話でつなぐ)

八月二九日、「スペースたんぽぽ」でトークイベント「孫崎享氏講演と対論」が持たれ、「日本人村」と電話でつなぎ小西隆裕はピョンヤンから参加した。昨年、よど号HJ五〇周年に際して渋谷ロフトで試みた新形式、「ピョンヤンからもトークに電話参加する」が定着した。またコメンテーターとして映画監督の足立正生氏(元日本赤軍)も参加。コロナ禍の中、会場いっぱいの四十余名の聴衆が入ったと聞く。

まず主催者側から「かりの会帰国支援センター」の山中幸男代表が挨拶、続いて元外務省国際情報調査局長・孫崎享氏の講演があり、それを受けて対論が始まった。

講演のテーマは二つ、米朝関係と米中新冷戦だったが、米中新冷戦に関して孫崎さんは近々、「アメリカは中国に負ける 日本はどう生きるのか」(河出文庫)を出版される。講演は、米国バイデン大統領の対中国国際戦略の批判に及ぶ。

米国は経済でも中国に圧倒され、軍事においても負けるとの孫崎さんの主張は聴衆の興味をひいた。米軍が「ワー・シュミレーション」をコンピューターでやったがすべて中国軍が勝つ結果になった、など具体的資料と数字を上げた話には強い説得力がある。

「米国必敗の“対中対決の最前線”を担わされる日本、これにどう対すべきなのか」と小西からの問題提起があり、最後には「戦後日本の対米従属から脱却する絶好の契機とする」ということで孫崎さんと意見が一致。ここで問題は、野党も含め既存の政党が「米中新冷戦にどう対するのか」見解を誰も出していないこと、かかる条件では国民的議論を起こし国民的運動を起こすしかないが、これをどうするかが問題、などが議論に上った。

最後に「よど号・欧州拉致逮捕状撤回を求める会」の井上清志氏から拉致逮捕状撤回を求める国賠提訴以降の家族(K)への旅券発給拒否処分撤回の闘い、及び産経新聞社らへの「名誉毀損」提訴などの報告があり、孫崎・小西両氏らの国際情勢分析、これを帰国運動にどう連動させるべきか問題提起があった。また参加者からの「日本人拉致問題」についての質問に井上、山中両氏からの見解と「拉致問題を日朝関係の障害にしてはならない」との意見が表明された。

結局、予定の午後六時~八時が八時半まで延長、閉会となったが、電話のスピーカーを通して聞こえる会場のざわめきが収まらないのが今日のイベントの盛り上がりを物語る。(この日の様子は、なにぬねノンチャンネルのアーカイブで視聴できる)

コロナ禍で会場変更など悪条件の中で成功を保障いただいた山中、椎野両氏ほかyobo_yodoサポーターズの皆さんに感謝を捧げる次第である。

ピョンヤン かりの会 若林盛亮

(「救援」 2021年9月 629号-ピョンヤンから「アジアの内の日本」を考えるより)


「敗レテ目覚メル」-戦艦大和の遺言を76年目の夏に考える

若林盛亮 2021年8月20日

今日は8月15日、朝鮮では「光復節」、祖国解放の日として様々な慶祝行事が行われる。他方、日本では「終戦の日」、なぜか「敗戦の日」とは言わない。「敗れた」ことを認めない、これが戦後日本を象徴しているように思う。

「戦艦大和ノ最期」という本に関する書き物を読んだが、深く考えさせられた。

戦争末期、戦艦大和は米軍の沖縄上陸迎撃を主任務として片道燃料のみを積み、飛行隊の援護もない自殺的な特攻作戦に出撃、文字通り玉砕、巨艦四裂し大海に没した。

「戦艦大和ノ最期」の著者、数少ない大和生き残り士官だった吉田満氏は病没直前の1979年に絶筆「戦中派の死生観」を口述筆記で残した。少し長いが引用する。

「彼ら(特攻作戦で早世した学徒兵)は自らの死の意味を納得したいと念じながら、ほとんど何事も知らずして散った。その中の一人は遺書に将来新生日本が世界史の中で正しい役割果たす日の来ることをのみ願うと書いた。・・・・

戦後の日本社会は、どのような実りを結んだか。新生日本のかかげた民主主義、経済優先思想は、広く世界の、特にアジアを中心とする発展途上国の受け入れるところとなり得たか。政治は戦前とどう変わったか。われわれは一体、何をやってきたのか」

この鋭い問いかけに戦後76年目の日本に生きる私たちは答える義務がある。

戦艦大和の哨戒長だった臼淵大尉は沖縄特攻作戦の成否について艦内で激論が交わされたとき、次のように語ったと「戦艦大和ノ最期」に記されている。

「敗レテ目覚メル、ソレ以外ニドウシテ日本ガ救ワレルカ、俺タチハソノ先導ニナルノダ、日本ノ新生ニサキガケテ散ル、マサニ本望ジャナイカ」

「敗レテ目覚メル」!

臼淵大尉の言葉に従えば、敗れたことを認め、敗戦を直視することをしなかった戦後日本は「目覚める」ことができなかったということになるのではないのか?

臼淵大尉が戦後に託した遺言から76年目を迎えるこの夏、吉田満氏式に言えば、日本の政治は戦前とどう変わったか? あるいは変わらなかったのか?

麻生太郎副総理兼財務相は7月5日、台湾海峡情勢をめぐり、「大きな問題が起き、日本にとって『次は』となれば、存立危機事態に関係してくるといってもおかしくない。日米で一緒に台湾の防衛をやらないといけない」と述べた。

要するに、台湾有事は安保法制に定める「国家存立危機事態」だと認定すべきであり、集団的自衛権行使を発動し、日本は米国と一緒に中国と戦うべきだということだ。

この麻生発言を受けてフジTV「プライム・ニュース」では、日本の国家存立危機事態という認識を示すということは、単なる台湾防衛とか日米間の安保義務などではなくまさに「日本の防衛」そのものとして主体的に戦うことが求められるということだと解説した。

言い換えれば、「台湾海峡は日本の生命線」だと認識し、だから台湾海峡有事は日本の有事として日本が戦うべき事態だと考えるべしということだ。

かつて「満蒙は生命線」だとして満州、蒙古に進出、中国大陸への侵略戦争の泥沼化を招き、あげくは東南アジアに戦火を拡大した結果、ついには米英とアジアの覇を競う帝国主義間戦争に突入、その果ての「戦艦大和ノ最期」を若い学徒兵たちに強いることになったのではなかったのか?

8月15日の敗戦を「終戦の日」と言い換え、「敗レテ目覚メル」ことを怠った戦後日本の行き着いた果てがこんなところにまで来てしまった。

76年目の夏、「敗レテ目覚メル」! このことをいつにも増して深く考えるべきではないだろうか。


ナショナリズムが戦争の原因か

赤木志郎 2021年8月20日

8月15日を迎え、戦争のことを考えざるを得ない。なぜ、戦争が起きるのだろうか? これについてリベラルと言われる人たち、反戦平和のために活動してきた人たちには、ナショナリズムにたいする嫌悪感があり、それが戦争の原因だとする場合が多々ある。

久野収氏もその一人だ。久野収氏は戦前、学生のとき京大滝川事件で反対運動を闘い、反ファッショ民主運動を計画し治安維持法違反で検挙された。その体験からして、戦後すぐに「自由人権協会」を設立し、自由人権擁護の幅広い活動をおこなった哲学者、評論家だ。氏は、「おたがいの兵隊が、なんのために殺し合ったかといえば、それはやはり国家ナショナリズムのためです」「日本人が死んだのも、日本のナショナリズムを拡大するためだった」(『自由人権とナショナリズム』)と、戦争の原因はナショナリズムであり、ナショナリズムは膨張するとかならず他国を侵略し、場合によっては大量虐殺をもおこなうと、ナショナリズムを批判している。

実は、私も「ナショナリズム」こそが人々を侵略戦争に駆り立てたと思い、大学生のときはデモで愛国党の宣伝カーを見ると目から火花が散るほど憎悪感にかられていた。マルクス・レーニン主義も国際主義を強調し、ナショナリズムに反対していたと考え、ナショナリズムこそ侵略と戦争の根源だと思っていた。

ところが、朝鮮革命、中国革命が愛国、すなわちナショナリズムから出発し、帝国主義の侵略と戦い、独立を勝ち取ったことを知り、ナショナリズムにたいする印象ががらっと変わった。ナショナリズムでも他国を侵していくナショナリズムと自国を守るナショナリズムがあると。侵略と戦争をおこなうナショナリズムが悪く、ナショナリズム一般が悪いのではないと。

しかし、もしナショナリズムが自分の国と民族を愛し、国と民族の発展のために力を尽くすという民族主義であれば、自国を守るために戦うのは当然だとして、強国になればかならず他国を侵し、支配しようとするのだろうか。それが自国、自民族のためになるのかということだ。先の60年間の侵略と戦争で、他国を侵し、支配すれば、自分の国の尊厳を傷つけ、国民も幸せになることができないということが、明白になったのではないか。

軍国主義が悪いのは、他国の主権をじゅうりんし、その国民を奴隷のように扱っただけではなく、日本自身の国と民族の尊厳を否定し、日本国民を戦争の駒として総動員し犠牲にしたことだと思う。ほんとうに自国を愛し尊重するならば、他国の人々が自分の国を愛し尊重する心に共感し理解でき、他国を尊重するはずだ。だから、真のナショナリズムは、国自体を尊重し、すべての国を尊重すると思う。

日本軍国主義が掲げた「ナショナリズム」は、日本人は天孫降臨した大和民族であり、日本は万世一系の天皇を戴く皇国であり世界を支配すべき(「八紘一宇」)とした、外には排外主義、内には支配と差別(沖縄など)をもたらす民族優越主義、人種主義であり、けっして民族そのものを大切にしたナショナリズムではないといえる。

氏も体験したようにナショナリズムは大きな力を発揮する。それは人々の心の中に自分の家族を含めた共同体を守り、そのために自己を捧げていこうという祖国愛をもっているからだと思う。それを軍国主義者が植民地拡大のために侵略戦争を「お国のため」と言いかえたのであって、真に国と民族のためではなかった。

したがって、ナショナリズムが戦争の原因だということはできない。戦争の原因はあくまで他国、他民族を侵し支配するという覇権主義にあり、ファシズムや軍国主義は「ナショナリズム」の仮面を被った覇権主義だったと思う。

私自身、今は愛国、すなわちナショナリズムこそ日本の平和と繁栄、国民の幸福のために闘っていける原動力であり、国民を一つに団結させ非戦平和国家を建設できるようにする旗印だと思っている。


「米中新冷戦」と日本の進路(「月刊日本」7月号掲載)

小西隆裕 2021年8月20日

 米バイデン新政権の外交が動き始めた。そこで鮮明になったのは、米中対立だ。トランプ前政権が打ち上げた「米中新冷戦」が前面に押し出され、外交の中心に据えられた。

 日本がこの「新冷戦」に無縁であることはあり得ない。麻生太郎副総理兼財務相などは、いち早く「米ソ冷戦時のフロントライン(最前線)は欧米だったが、米中となった場合は、アジア、日本だ」「今まで以上に目に見える形で、日本の外交的な地位が格段に上がった」としながら、菅首相をはじめ日本の政治家に「最前線」を担う「覚悟」を促している。

 事態は容易ではない。日本の命運を左右する歴史的選択が問われてきている今、ここ朝鮮の地からこの問題について若干の問題提起をさせていただければ幸いです。

1 バイデン外交の本質を問う

発足したバイデン新政権の看板は、当初、「脱トランプ」、その外交の売りは、トランプによる「分断」から「国際協調」への転換だった。

しかし、動き出したバイデン外交は、いささかそれとは趣を異にしている。

露わになったのは、トランプと同じ、中国への敵視、敵対と世界の分断だ。

中国包囲の「アジア版NATO」形成に向けたクアッド(日米印豪)首脳会談、中国を共通の脅威として確認した日米、韓米の外務、防衛閣僚協議(「2プラス2」)、NATO外相会合、そしてアラスカ、アンカレッジでの米中外交トップによる凄まじい非難の応酬、立て続けに展開されたバイデン外交は、その最初から「米中新冷戦」を強烈に印象づけた。

一方、敵視、敵対は中国に対してだけではない。対ロシア、対朝鮮などでも同様だ。

現実のバイデン外交は、政権発足当初の態度表明とは裏腹に、その「国際協調」とは、意図的に分断した世界の一方、自分たちの「同盟」内部の協調に過ぎず、やっていることは、トランプ外交のかたちを変えた踏襲に他ならない。

ここから、「米覇権中枢」の企図は明確だと思う。

米覇権の衰退、中国の勃興という今日の現実にあって、中国のこれ以上の伸長を抑えながら、米中で世界を二分してG2覇権体制をつくり、それを通して米覇権の回復を図る。そこにこそ、バイデン外交の本質、米覇権回復戦略があると言ってよいと思う。

2 「米中新冷戦」、歴史は繰り返されるのか

G1覇権体制からG2覇権体制への転換。

このような転換は過去にもあった。

英国による世界支配から米ソ二極世界支配への転換、「米ソ冷戦」だ。

今回の「米中新冷戦」がかつての「米ソ冷戦」の「成功体験」に基づいているのは容易に推察できる。

しかし、柳の下にいつもドジョウがいるとは限らない。

今回の「冷戦」は、かつての「冷戦」とは決定的に異なっている。

二つの「冷戦」の間にある違いにはいろいろある。中でも、一方の当事国、米国自体の衰退が大きい。第二次大戦による打撃を免れ、上昇気流にあった隆盛発展の帝国主義から下り坂を転がり落ちる黄昏の帝国主義への転落。

しかし、それにも増して決定的なのは、今回の「冷戦」がかつて「西側」対「東側」の攻防になったように、同盟対同盟、ブロック対ブロックの攻防にはならないところにある。

それは、時代の大きな転換と関連していると思う。

今日、時代は、覇権から脱覇権へ、大きく転換している。

その根底には、国と民族そのものを否定する究極の覇権主義、グローバリズム、新自由主義の破綻がある。

新しい型の戦争、反テログローバル戦争の泥沼化、金融ビッグバン、新自由主義経済の破綻、そこから生まれた移民難民の大群、自国第一主義の嵐と新しい政治の台頭、そして今回、コロナによるグローバリズム、新自由主義の矛盾の大爆発。

これらすべての根因には、グローバリズム、新自由主義による国と民族そのものの否定がある。国と民族の上に君臨してきた覇権は、これだけはやってはならない最後の一線を越えてしまったのだ。その矛盾の大きさ、各国国民の怒りの大きさは、そのことを示して余りあると思う。

そうした中、今日、中国は、かつてソ連がとったような、「西側」の同盟に対抗する自分たちの同盟、「ワルシャワ条約機構」の構築といった、覇権のための同盟強化の動きは見せていない。

それは、単純に「米ソ冷戦」失敗の教訓によるものだけではないと思う。それにも増して、脱覇権の時代的基本趨勢を踏まえたものだと言えると思う。

実際、たとえ中国が覇権のための同盟強化の動きを見せたとしても、それに共鳴し、付いてくる国はごく少数に限られるだろう。

同盟対同盟の攻防にならない「冷戦」は、「冷戦」の体をなさない。

「米中新冷戦」は、米国か中国か、覇権抗争の決着をつける攻防ではなく、図らずしも、覇権か脱覇権か、歴史のより大きな分岐となる公算の方が大きいのではないか。

3 突き付けられた「黒船襲来」と「米中新冷戦」

日本は、今、「米中新冷戦」の「最前線」に押し立てられようとしている。「アジア重視」「日本重視」を印象づけたバイデン外交の出発がそれを雄弁に物語っている。

本稿の冒頭にも挙げたように、麻生太郎副総理は、「冷戦」の最前線に立つようになった「感慨」を込め、そのための「覚悟」の必要を説いている。

日本が欧米覇権に押し立てられたので想起されるのは、「共産主義の防波堤」にされた敗戦直後とともに幕末維新の時だ。

あの時、米英帝国主義は、ロシア帝国主義の南下を押さえるため、日本をその攻防の前面に押し立てた。

もちろん、あの時と今では、大きく時代が変わっている。

しかし、地政学的に見れば、あの時は、ロシア、今は、中国だ。

あの時も、日本には大きな圧力がかかった。

英米による維新政府への圧力、それにどう対するか、英米に従い英米と一体になって、アジアの外に出、アジアに対するのか、それとも、アジアの内からアジアとともに欧米全体に抗するのか。

明治6年の政変と「脱亜入欧」。この日本の選択の裏には、欧米への畏怖とともに、「アジア悪友論」、アジアへの諦めと蔑視があった。

今、菅政権にも大きな圧力がかかっている。

昨年9月、自民党総裁選時、菅総裁擁立には、「中国包囲は国益に資さない」(菅首相)など、「米中新冷戦」には簡単に従わない、自主独立の志向が垣間見られた。

しかし今、バイデン新政権誕生を経て、菅首相の長男のNTTとの会食、等々、菅政権に搦め手からかけられてきた圧力の数々。今、菅政権のそれへの屈伏は明らかだ。バイデン外交への追従がそれを雄弁に物語っている。

突き付けられてきた「米中新冷戦」。またしても日本は、欧米覇権の圧力に屈従しそれと一体になるのか。痛恨の歴史的教訓を生かすのかどうかが問われている。

4 「アジアの内から」、日本の進路を!

幕末維新、明治6年の政変に続く、西南戦争から自由民権運動。だが、明治政府に反対する闘いは、「脱亜入欧」からの転換にはつながらなかった。

その後の近代の超克。日本がアジアの盟主、リーダーになって、欧米に対してだけではなく、アジアに対して起こした「大東亜戦争」。その敗北の総括がなされないまま、過ぎてきた戦後76年、対米従属の歴史。

日本近現代史に貫かれた問題は何一つ解決されていない。今、覇権崩壊の危機に瀕する米国が破滅からの脱却のため仕掛けてきた「米中新冷戦」を前にして、それは一層深刻な問題として提起されてきている。

先日、バイデン新大統領は、その初めての記者会見で、米中対立に言及しながら、それを民主主義対専制主義の闘いと言った。

自由と民主主義、「普遍的価値」を掲げ、それを国と民族の上に置いて、国々の上に君臨してきた旧態然とした覇権の論理だ。

今問われているのは、この覇権の論理なのか。それを求めているのは、英、仏、独など欧州覇権諸国、それもその支配層ぐらいしかいないのではないか。

時代の基本趨勢が脱覇権の自国第一になっており、特に今日、コロナが世界中に蔓延している時、国民のための国の役割を高めることこそが何にも増して求められているのではないか。

いくら、欧米覇権諸国が、中国やロシアの「人権」「強権」を非難し、民主主義対専制主義の対決を説いても、世界が「民主陣営」対「専制陣営」の二つに分断され、「冷戦」が展開される事態にはならないと思う。

国の進路を定めるに際し、基準にすべきは、時代の要求、国民の要求だ。この基準に基づかない主観的な「提唱」など、何の力も正当性もない。

今日、もっとも切実な時代の要求、国民の要求は、欧米式の民主主義などではない。それは、世界的範囲での既成政党、「二大政党」の没落に端的に示されている。

求められているのは、何よりも、コロナ禍とそれに伴い一層深刻化する生活苦からの脱却であり、そのための国のあり方の転換、日本と日本国民のための国への転換だと思う。

今、菅政権は、バイデン政権の「米中新冷戦」戦略に巻き込まれながら、同政権のデジタル化、グリーン化戦略に追従して、日本が「新冷戦」の「最前線」を担うため、日米軍事経済のさらなる一体化を推し進めようとしている。それが、国民のためならぬ、覇権のための国のあり方の転換であるのは、菅政権にあって、コロナ禍、生活苦からの脱却が疎かにされているところに端的に現れている。

今日、世界の最先端は、欧米ではない。アジアだ。

それは、コロナ禍、国民の生活苦からの脱却がもっともよくできているのがアジアであり、そのために国の役割がもっとも高められているのもアジアだからに他ならない。

時代は、明らかに、転換している。もはや「アジア悪友論」に基づき、「脱亜入欧」した時代ではない。アジアに学び、アジアの内に入ることが求められる時代だ。

アジアの外に出、外からアジアに対していた時代は終わった。アジアの内に入り、アジアの内からアジアに対する時代の始まりだ。それが覇権から脱覇権への転換と一体であり、そうした中、「米中新冷戦」が米国によって突き付けられてきている今日、それこそが日本の政治に求められていることなのではないだろうか。

米国でも中国でもなく、アジアのリーダーでもなく、アジアの一員として、アジアとともに。そこにこそ、現時代と日本国民の要求に応える「米中新冷戦」への対し方、日本の進路があるのではないかと思う。


【お知らせ】伊藤孝司「平壌の人びと」写真展

会場:ギャラリーTEN(東京都台東区谷中)

期間:8/24-9/5

●関連イベント

・8/28(18時-21時)

伊藤孝司氏の講演と「一度でいいから」(朝日テレビ制作)上映とトークショウ(在朝日本人妻の日本の家族と)

・8/29(18時-21時)

外交評論家・孫崎享氏の講演と対論(平壌の小西隆裕と電話でつなぐ)

コメンテーター:足立正生(映画監督)、小林蓮実(フリーライター/アクティビスト、オンライン参加を予定)

総合進行プロデューサー:椎野礼仁(椎野企画)

会場:スペースたんぽぽ(都営地下鉄線神保町液下車 高橋セーフビル1F)


オリンピックと政治

小西隆裕 2021年8月5日

今回のオリンピックが無観客の残念なオリンピックになってしまったのは、ひとえに日本の政治が、コロナ禍にあって、オリンピックを自分のために利用してきたことの結果だと言うことができる。

政治のためのオリンピックではなく、オリンピックのための政治にならなければならない。

選手たちの一つ一つの競技での素晴らしい秘術の尽くし合いを見るにつけ、そう思わずにはいられない今日この頃である。


「身勝手な決め付け」、それこそが専制ではないのか

魚本公博 2021年8月5日

7月20日、バイデン政権が政権発足半年に際して閣議を開き、この半年間の活動を総括したそうな。そこでバイデン氏は「我々は、中国や他の国々との間で21世紀を決定する競争の最中にある」とし、「こうした国の多くは、専制主義に未来があり、民主主義は対抗できないと信じているが、我々は完全にこれを拒否する」と述べた。

これを聞いての印象は、「何とまあ、身勝手な決め付けを」ということ。民主主義対専制主義、どちらが正しく支持されるかとなれば当然民主主義だろう。だが中国は自らが専制主義などとは認めていないし、「中国には中国の民主主義がある」という立場。それを無視しての米国の言い分は、あまりに一方的。

こうした中、26日に中国・天津で米中高官会議が開かれた。丁々発止とやりあった3月のアラスカ会談以来2回目となる高官会議。ここでも双方の溝は埋まらず。新聞はこれを「国内世論意識 譲歩せず」と分析。すなわち、この間の米中間の対立問題で中国国内のネットなどでは、政府の対米強硬姿勢を支持する声が圧倒的であり、この声に押されて習近平政権は高姿勢なのだと。

国民世論に依拠する。となれば、これこそが民主主義ではないのか。それにも関わらず、それを無視して、外から専制主義だ何だと決め付けることこそ、非民主であり専制ではないのかと思う。

さらには、バイデン氏の「こうした国の多くは、専制主義に未来があり、民主主義は対抗できないと信じているが・・・」という発言。世界の「多く」が専制志向というバカなことはないのであって、この専制志向とは、「国家の主権を守る」「国家の指導性を高める」ということであり、それが世界の趨勢、時代の趨勢ということではないのか。

どうにも、こうにもバイデン氏説くところの「民主主義対専制主義」は、一方的な決めつけ、いいがかりの印象を免れない。

問題は日本。こんな一人よがりの米中対決に、「乗」って良いのか。心して考えるべきことだと思う。


政府が推進する大学の「イノベーション」

森順子 2021年8月5日

今年一月、菅首相は施政演説において、科学技術立国、日本にとって20年近く続く研究力の低迷は、国の将来を左右する深刻な事態だと言われ、大規模なイノベーションを掲げました。それは博士課程学生の支援の拡大、若手研究人材育成、世界トップレベルの成果を上げる自律した大学経営を促すために兆単位のファンドを立ち上げるイノベーションを促進するということです。 

ところが、今回、国立大の運営費交付金問題の政府の対応を見ると、日本の研究力低迷克服は、一体、何のために行うのかという疑問を持たせました。それは今後6年間の交付金の配布は、これまでと変わらない方向で示されたからです。

周知のように国立大は日本の教育、研究の中核的存在であり、その基盤を支えるのが交付金です。この交付金は毎年、削減されるため、教員を安定して雇えず、教育・研究の向上や若手研究者の登用を妨げ、そのため基礎研究はおろそかになり日本の科学技術研究は地盤沈下したと言われて久しく、最近では深刻な危機に直面しているデータもあるようです。このような国立大の危機的な現場を無視し、またノーベル賞受賞者をはじめ、多くの人が交付金見直しを訴え発する警告にも、一切、目を向けようとしない無責任な政府が掲げるイノベーションの中身とは、何なのかです。

それは主に、企業や外資からの寄付金や大学ファンドにより若手の研究人材の育成も行い、自律した大学経営を促すというものです。言い換えれば、大学が今まで以上に企業や外資を引き入れ、相手が求める研究開発を行い自力で資金を稼ぎ大学運営と人材育成をやりなさいということです。その規模は大々的で、しかも国の奨励のもとで行う兆単位規模のファンドの目標を目指して、より稼げる国立大として研究力向上をはかり技術開発していくということではないのでしょうか。そして、その成果如何で各大学は評価され、それに応じて交付金支給額に差をつけるということです。

ここから見えてくることは、外資がどんどん日本に入って来ることにより、大学はこれまで以上に資金稼ぎに振り回され、自分たちが開発した研究は外資に持って行かれ、日本の国立大をはじめとする大学は、外資の下請け的存在になる現実が待っているのではないでしょうか。そして、大学の研究室も奨学金留学生に占領される日も来るのではないでしょうか。

「自分は日本人だから、この研究(iPS細胞)ができた。アメリカ人ならできなかった。彼らは、合理的に考えて絶対に成功するはずがないことには、手を出さない。私はともかく何かあるのではないかと追求し続け発見に至った」と言われるのは、ノーベル賞学者の山中さんです。この発言に思うのは、科学技術研究は社会に役立つためにありますが、金儲けや市場の要求を満たすことを目的にした研究の追求だけでは、自国の将来の発展も人材の育成も望めないということです。菅さんがいうイノベーションも、日本をこの方向に進ませるものではないでしょうか。

日本の国立大は、その研究の拠点となる存在です。国は国立大に見合う政策を準備し、持てる力を発揮できる環境を整えることでこそ、日本のためのイノベーションにつながる自律した科学技術立国として日本の発展の道が開かれるのだと思います。


-お知らせ-

伊藤孝司さん写真展「平壌の人びと」と講演+トーク・イベント(孫崎享×小西隆裕)

題目にある写真展とイベントの通知をさせていただく。

『紙の爆弾』9月号にて小林蓮実氏が「『平壌の人びと』から見えてくる〝世界〟」等のタイトルでこの写真展とイベントの持つ意義などを巻頭と本文で紹介している。

巻頭の冒頭で小林蓮実氏は次のように語っている。

“今夏、今こそ目にしておきたい写真展が開催される。それが、伊藤孝司さんの写真展「平壌の人びと」だ。

フォトジャーナリストの伊藤さんは1992年から43回にわたって朝鮮民主主義人民共和国を訪れ、膨大な量の写真や映像を撮影して、それをテレビや雑誌などに発表してきた。(中略)生活感に満ちた、ありのままの人たちに触れることができる写真展となる。“(写真展は文京区根津「Gallery TEN」にて開催)

本文では伊藤氏への小林氏のインタビューの内容に加え、ご自身の訪朝体験が語られており、次のようにも記す。

“平壌市民は当然、私たち同様、普通の人間であり、喜怒哀楽があって、それぞれの思いや考えがある。そのなかで、日々を生きているのだ。そのようなことへの想像力すら、私たちは奪われるままになっていないだろうか。

冒頭で記したように、写真展とあわせ、8月28日・29日18~21時には「スペースたんぽぽ」(都営地下鉄 神保町駅下車 高橋セーフビル1F)にて関連のイベントも開催される。28日は伊藤さんによる講演や、在日朝鮮人の日本人妻の家族のなかで訪朝経験のある方と「朝鮮の真の姿」について語り合うトークショー、29日には外交評論家の孫崎享さんと平壌「日本人村」に住むよど号メンバーのリーダー小西隆裕さんとを電話でつなぐ予定だ。“

以上が写真展とイベントの紹介だが、『紙の爆弾』には小林蓮実氏自身の三回の山中訪朝団での平壌体験談、彼女独特の気さくな市民との交流エピソードなど貴重かつ楽しいお話満載、ここで紹介する余裕がないのがまことに残念、ぜひこちらもご一読をお勧めする。

伊藤孝司氏についていえば、平壌に来られる度にお会いする方であり、「日本人村」にも取材に来られた氏の映像はテレビに流れるなど、私たちの生の姿をそのまま日本にお伝えいただける誠意ある貴重なジャーナリストの友人である。

よど号メンバー参加のトークイベントについていえば、「米中新冷戦」をテーマにとりあげたいと思っている。

ぜひ写真展と講演及びトークイベントに足を運んでいただければ幸いに存じます。 

*講演及びトークイベント会場はコロナ緊急事態宣言延長のため当初の「不忍通りふれあい館」から「スペースたんぽぽ」に変更いたしました。


麻生発言、「台湾有事は存立危機事態」が招く日本の存立危機

若林盛亮 2021年7月20日

麻生副総理兼財務相は7月5日、台湾海峡情勢をめぐり「大きな問題が起き、日本にとって『次は』となれば、存立危機事態に関係してくると言ってもおかしくない。日米で一緒に台湾の防衛をしなければならない」と述べた。

4月の日米首脳会談で「台湾有事の安保協力」を約束させられたわが国だが、その安保協力の内容については、それが「後方支援」なのかそれ以上のことなのかは明言されなかった。この麻生発言はこれへの回答を与えたものだ。

麻生発言は、「台湾有事の安保協力」とは、2015年成立の安保法制で定められた集団的自衛権行使を可能にする「存立危機事態の認定」に値する「安保協力」になると明言したものだ。

すなわち安保法制に則れば、台湾有事を「我が国と密接な関係にある他国」(この場合、米国)に対する武力攻撃が発生し、これによって「我が国の存立が脅かされる」「国民の生命や自由が根底から覆される」といった事態になると判断するということ、したがって「台湾有事の安保協力」とは、自衛隊が米軍の攻撃作戦、戦争行動に参戦するような安保協力でなければならない、ということだ。

「安保協力の内容」について菅首相は明言を避けていたし、ここまではっきり明言したのは麻生発言が初めてだ。

それだけ事態が切迫しているのだろう。

案の定、この三日後の7月8日、朝日新聞は「米軍、対中ミサイル網計画」、「九州・沖縄-フィリッピン結ぶ第一列島線」と題する米国発の記事を掲載した。

これは「空母キラー」と呼ばれる中国や朝鮮の最新鋭ミサイルによって第7艦隊空母機動部隊が接近すらできないという「米抑止力の劣化」を補うため、日本列島を軸にするこの地域に地上発射型中距離ミサイルを分散配備するという計画だ。

第一列島線に分散配備するとの米軍の方針は、中国のミサイル攻撃の的を絞らせないためであることは言うまでもない。

当然、この方針の一環として自衛隊もこの種の地上発射型の攻撃的長射程ミサイル(迎撃用ではない)保有を迫られる(戦闘機発射型はすでに保有)。米軍としては日本の自衛隊がやってくれるに越したことはないだろう。

しかし専守防衛の自衛隊ではこの種の武装(敵基地攻撃用武装)は御法度だ、ところが安保法制が許す「存立危機事態」と認定すれば、「日米で一緒に台湾の防衛」のために必要な武装となる。

先の麻生発言はこのような意味を持つものだ。

しかしよく考えてみよう。

「台湾問題」は中国の内政問題であり、「台湾海峡問題」自体は日本にとっては海上交通路上の問題はあっても、それ自体が「日本の存立危機」に直結するものではない。むしろ「台湾有事」に米軍と共に自衛隊が参戦すれば当然、自衛隊のミサイル攻撃基地は中国軍の攻撃対象になり、日本は参戦国になる。そのことの方がまさに日本の「存立危機事態」を招くものではないのか? 


半導体の再興はまず日本の自立から

赤木志郎 2021年7月20日

最近、米国バイデン大統領が半導体の安定供給を叫び、大々的な投資をし半導体工場を建設するという。日本でも半導体産業の再興をめざす「半導体戦略推進議員連盟」が結成される。新国際秩序創造戦略本部座長を務める甘利明元経済再生相が主導し、呼びかけ人に安倍晋三、麻生太郎氏らが名を連ねる。設立趣意書では、「半導体を制するものが世界を制すると言っても過言ではない」と強調。

半導体は「産業のコメ」と呼ばれ、通信機器、電子機器のみならず、時計、自動車、カメラ、ミシン、工作機械などの機械機器の分野でも電子制御による高性能化が求められ、今後、あらゆる産業でデジタル化が進み半導体集積回路(IC)が不可欠となり、その需要はいっそう高まっている。半導体が不足し自動車生産ラインが一時停止したのはその一例だ。

ところが、半導体は台湾企業や韓国企業で多く生産されており、実際はその生産が中国でおこなわれているケースが少なくない。そこで、米国は中国との競争、対決で半導体の安定供給を確保するため、本国での生産工場への投資を大々的におこなう一方、日本などにも半導体生産を促しているという。

それを受けての半導体議員連盟結成であり、日本での半導体産業の再興だ。

しかし、日本で半導体をはじめ情報通信分野での先端産業が発展せず、「デジタル敗戦」を迎えたのは、米国の干渉ゆえんだ。かつて日本の半導体生産は世界の50%を占めていたが、現在、わずか10パーセントでしかなくなった。その原因は、先端技術分野で急速に発展してきた日本にたいし米国が圧力をかけ日米半導体協定を結ばせ、半導体生産を抑制したからだ。半導体のみならず、通信5世代開発の遅れ、PC生産もかつての世界一位からいまや東芝、富士通、NECなどが撤退し、先端産業で後塵を拝している。

以前は米国のために半導体産業を抑えられたとしたら、今度は「米中新冷戦」を掲げる米国のためにその主導のもとで半導体産業を興すということになる。それは日本の先端科学時術を発展させるためではない。いわば米国の覇権のためであり、米国のもとでの半導体産業下請けだ。

現在、ただ米国の言うとおりになり米国の下請けを担っていくのか、日本独自の道を拓き日本のための先端産業を興していくのかの岐路にたっている。

 甘利、安倍、麻生らは米国に迎合しようと半導体議連を作った。それが日本のためではないということは明らかだ。日本が日本のための半導体の開発、生産を発展させるためには、米国から自立することが先決だと思う。


過去最高税収、特に消費税収が一番に考える

若林佐喜子 2021年7月20日

7月5日、財務省は、2020年度の国の税収が前年度より2兆3801億円多い60兆8216億円で過去最高と発表。

新型コロナウイルスの影響でGDPがマイナス成長、人々の暮らしが大打撃を受けた中で、意外であり、特に、その内訳、消費税;20兆9714億円、法人税;11兆2346億円、所得税19兆1898億円。特に消費税収が一番多いことに思いが複雑になった。

経済学者の高橋洋一氏は、今回の発表をもって、「税収が上ぶれした、国民への還元をどう進めていくか」(現代ビジネス7?5)と言っている。

消費税・増税は、所得が低く支出に占める生活必需品の割合が大きい人ほど負担が重いと言われている。また、法人税を下げた分、企業は儲かり、法人税減税によって減った税収を補填しているのが消費税だという話もある。更には、「1997年の消費税増税(3%から5%)によって日本がダメ(GDP成長率、家計消費、賃金など)になった」と主張している人もいる。

今回の消費税収は巣ごもり需要などの影響と大きくは8%から10%の消費税率引き上げの結果だ。昨年からのコロナ禍で、非正規労働者の解雇が75万人、特に雇い止めにあったシングルマザーの一日一食の食事の話など困窮する人々の様子が連日、報道されていた。所得に関係なく一律にかかる消費増税が、このような人たちの生活に重い負担となることは目に見えている。

法人税収が前年度より増えているのは、IT、家電業界など一部の業界で予想以上に需要が伸びたことが要因としながらも、政府の巨額な雇用助成金により、本来、企業が負担してきた人件費が「軽く」なった可能性などもあると分析する経済ジャーナリストもいる。

これまでも、そして、コロナ禍のなかでも大企業は政府にしっかり保護され、一方、そのしわ寄せは、国民に、特に非正規労働者をはじめ社会的弱者におしつけられている。コロナ禍の中で、ますます格差が拡大している現実を考えると、消費税収より法人税収が少ないことに疑問と怒りが湧いてきてしまう。

税問題、特に消費税・増税問題は、「上ぶれしたから還元」と言う次元の話しではない。人々の暮らしに、どのような影響を与えてきたのか? とるべき対応策は消費税減税であり、将来的には廃止も念頭に考える重要な問題ではないだろうか?


おかしい!新冷戦論議の不活発

小西隆裕 2021年7月5日

今、日本政治の焦点は、コロナ、オリンピックに置かれているようだ。それが総選挙などとの関係で問題にされている。

しかし、自民党内の動きなどを見ていると、それとは違った力が働いているように見える。安倍、麻生、甘利のいわゆる「3A」が「新しい資本主義」「バッテリー」「半導体」「豪州」などといった一連の議連を立て続けに立ち上げたこと、それに対抗するかのように二階派が「自由で開かれたインド太平洋」議連を安倍を最高顧問に迎えて結成したことなど、そこに「米中新冷戦」が色濃く作用しているのは明らかだ。

ところが、この「新冷戦」が政界でもメディアでも、とんと取り上げられない。一言で言って、国民が見えないところで話が進められている。

これは問題なのではないか。

米国は、日本をこの「新冷戦」の最前線に押し立てようとしている。それが日本の命運に関わる重大事であることは言うまでもない。それが国民の知らない所、知らない間に決められるなど、決してあってはならないことだ。

増して、バイデン大統領は、この「米中新冷戦」を民主主義VS専制主義の闘いだと宣言したではないか。それが民主主義の主体である国民の分からないところで推し進められるとは、「民主主義陣営」の正当性が鋭く問われていると思う。


負け犬の遠吠え、あぶり出される日本のふがいなさ

魚本公博 2021年7月5日

G7で「民主主義的価値を損ない得る、政府によるインターネットの遮断やネットワークの制限といった措置への反対を確認する」との合意がなされた。

これは中国を念頭に置いたものだと新聞なども解説する。即ち、ネット分野においても「民主主義陣営」が結束して中国の専制的やり方に反対し対抗するというわけである。

中国の専制的やり方とは、中国が「ネット主権」を主張し、ネットやデータの国家管理を行い、そのための法整備を連続的に打ち出していることを指している。

今やデジタルは、その国の経済発展、国民生活の向上だけでなく、国防・安全保障でも不可欠なものになっている。中国は久しい以前から、その重要性を認識し、デジタル企業を育成してきた。その結果、米巨大IT企業(GAFAなど)に匹敵するBATHなどが生まれ、今やGAFAを凌駕する勢いとなっている。

元々、米国がネットやデータの規制・制限・管理に反対し「自由」を主張するのはGAFAなど巨大IT企業を擁する米国としては、彼らの国境を越えた活動が米国に大きな利益を与えてきたからだ。

まさに覇権、ITを駆使しての覇権。これに対して中国が「ネット主権」を主張し、ネットやデータの国家管理を強めるのは、主権国家として当然のことであり、どの国も程度の差はあれやっていることである。新聞なども「各国に広がる『ネット主権』『データ主権』」などと解説する。端的に言えば、今回G7で合意したEU諸国自身が米国の「制限反対・自由」に対して反対の立場であり、18年に「一般デジタル保護規則」(GDCR)を締結している。

そのような「ネット主権」を主張する中国に対し、その国家管理を非難しても、中国は聞く耳をもたないだろうし、14億の人口を基礎に中国IT企業は発展し、「ネット主権」を志向する絶対多数の国々との連携を強めるだけであり、痛くもかゆくもないだろう。G7でのネットやデータの「自由」など、衰退する米国の負け犬の遠吠えに過ぎない。

問題は日本。日本は、TPP(環太平洋経済圏構想)の「国境をまたぐデータの自由な流通の確保、国内でのデータ保存要求の禁止という原則」を承認し推進するという立場。

まさか、そんな「原則」を認めているなど私も知らなかったが、これではまるで主権放棄ではないか。日本は、米巨大IT企業の隆盛、それを使った米国覇権が続くと見たのだろうが、そのズブズブの対米従属の下、日本のデジタル化は大幅に遅れた。米国覇権は終わったという現実を直視し、「ネット主権」「データ主権」の道を日本も進むべきなのだ。

デジタル化は結局、どれだけ多くのデータを収集するかがカギだ、各国か「データ主権」の立場に立って自国のデータを集積管理し、それを相互に活用する国際連携を拡大する。それがデジタル世界の未来であり発展の道だろう。そうしたことを考えても、負け犬の遠吠えの米国にいつまでも従っておればよいという話ではないと思う。


問われる全国学力テストのあり方

森順子 2021年7月5日

導入から14年、5月末に小学6年、中3を対象とした全国学力、学習状況調査が行われました。

2017年から、県教育委員会は各公立の小中に「学力向上プラン」を作らせ全国学力テストの目標点を示し、各学校は弱点を分析し市販の教材や過去の問いで何度も事前準備が常態化し、そのため現場だけが結果責任を問われ追いつめられ、子どもたちは居場所を失っている状況だと言います。また、大阪では学力テストの成績を教員の給与にまで反映させる処置をとるということまで起きており、学力テストのあり方に疑問を持たざるを得ません。

全国学力テストは、(1)学校現場の指導改善、(2)国の政策に反映、という二つの目的を掲げ国が行っていますが、指導のためなら学校で行う普段のテストで十分なはず。そして国の政策に生かすためなら、子どもや学校現場の実態を正しく把握することが必要であるはずです。学力の一部しか測れない全国学力テストを評価の基準とし、そのやり方は強制、押しつけ、詰め込みのこのようなテスト方法で、学力向上がなされるのでしょうか。

地域、学校、教員、生徒間のさらなる競争と格差が生まれだろうし、結局は学力低下に繋がっていくと言えます。

以前、NHKでの「自律を目指す公立中学」という番組では、中間試験、期末試験をなくし、科目毎の小テストを主にした試験方法をとり、しかも赤点を採ってもクリアできるまで再挑戦できるという内容でした。この過程で生徒たちは自分で物事を考えるようになり学習意欲も上がり学力もついたようです。

このような公立中もあるのだと嬉しくなりましたが、要は、一方通行や押しつけの教受ではなく、どこまでも生徒自身が自分で考え身につける方法を編み出していくことが学力向上の鍵だということだと思います。そして、それは学校、全教科の先生たちの地道な取り組みがあってこそなされます。学校と教員で生徒第一の案で一致することが重要であるし、先生は一人ひとりの生徒に向き合い具体的なケアをし、見守り指導していくことが生徒の成長と学力向上に繋がるのだと思います。

学校教育が今、知識の「習得」から「活用」へと変わっていく最中にあって、全国学力テストのあり方を、行政や地域、保護者、学校、教員が一緒に改善策を考え、学力を問い直す議論を起こし広めていくことが必要ではないでしょうか。


米国の「押しつけ」に右往左往はもうやめるとき

若林盛亮 2021年6月20日

■最近はなはだしい右往左往
昨年5月、地元の反対を押し切って秋田県に配備予定の陸上イージスアショア、ミサイル防衛システムの配備が中止になった。理由は「迎撃ミサイル発射時に落下するブースターが住民地域を直撃する危険性があるが、それを除去する技術開発には十年以上かかりコストも増すことが判明したから」だった。

またこれを契機に辺野古基地移転にも「見直し」が云々される事態にまで発展した。

「見直し」の理由は、これまた「埋め立て地域に軟弱地盤が見つかり、完成に十数年かかり、予算も膨大にふくれあがるから」だった。軟弱地盤について言えば、早くに指摘されてきたことではなかったのか?

以降、軟弱地盤は避け埋め立て規模を縮小、ヘリパッドやヘリ用の短い滑走路に変更する案が一部に出ているが、沖縄ではその必要性にすら疑念が出されている。

政府の強硬姿勢の突然の変更、見直し議論の登場という右往左往ぶりはいったい何なのか? 「時間とコスト」という理由付けは国民的には強い「?」の残るもの、では本当の理由は何だろう?

■本当の理由は「米国の安保防衛政策の変更」
本当の理由は別のところにあった。

陸上イージスアショア配備中止に関しては、当時、米軍が新ミサイル防衛戦略に変更していたという事情によるものだ。

米国は「迎撃を基本とする日米の弾道ミサイル防衛(BMD)システムの限界を悟り、敵基地攻撃を基本とする統合防空ミサイル防衛(IAMD)構想に変更」(朝日新聞2020・6/20)、という事情があったのだ。

その理由は「北朝鮮のミサイル能力向上」(低空を変速軌道で飛来する新型ミサイル開発)などによって大気圏外から来る弾道ミサイルをレーダーで補足、防衛するようなイージスアショアでは対応できなくなったからだ。

これを裏付けるかのように当時の安倍首相はいち早く国家安全保障会議(NSC)でのミサイル防衛体制の見直し検討、すなわち「敵基地攻撃能力保有の議論」を提起、この年(2020年)8月には議論を始めるとした。敵の発射基地を叩くという方針転換だ。

また辺野古基地の見直し議論に関しては、その前年(2019年)にバーガー海兵隊総司令官が「集中から分散へ」と方針転換を示したことと関係する。その理由は「中国軍のミサイル能力向上(迎撃困難な極超音速滑空弾など)によって1カ所に海兵隊を集中させることは危険になった」からだ。つまり「辺野古が唯一の解決策」と日本に押しつけた張本人、米軍の「都合」による一方的変更によって、海兵隊武力の集中する大規模基地自体が不要になったのだ。

押しつけた米国のコロコロと変わる方針変更によって、日本政府が右往左往させられているというのが今日の悲しい現実だ。

■「台湾有事の安保協力」?もう右往左往は許されない
米中新冷戦に「同盟国」を巻き込むことに躍起のバイデン米国は、「米中対立の最前線」を日本に押しつけてきた。4月の日米首脳会談で菅首相は「台湾有事の安保協力」まで米国に約束させられた。

これには貿易額第一位の中国と対立することに日本の財界は動揺しており、台湾有事で米軍との共同攻撃作戦に動員される自衛隊にも疑問が出るだろう、また国民は誰も中国を敵にしたり米国の戦争に巻き込まれることを望まない。

もう米国の「押しつけ」に右往左往している場合ではないと思う。

非戦を国是とする日本は自分の「非戦の安保防衛政策」を立て、「敵対国を作らない」外交力、誰とも「ウィンウィン」の経済力を備えるなど、そろそろ自分の頭で国の進むべき道を自分自身が決めるときに来ている、そのための国民的議論を起こすとき、そう思う。

徴用工賠償裁判-欧米諸国がどうであれ朝鮮植民地化を謝罪すべき

赤木志郎 2021年6月20日

7日、ソウル地裁は、日本の植民地支配が不当なものだとしてきた徴用工賠償問題での最高裁判所の判決を覆す判決を下した。日本企業にたいする徴用工賠償を認めると、国内的には植民地ゆえに強制動員された不当なものと言えても、国際的には植民地支配が不法となっていないもとでは訴訟権は制限されるとし、日韓関係さらには米韓関係にも影響を与えるとして原告の訴えを退けたのである。

周知のように米中新冷戦を唱える米国は日米韓同盟の強化を求めている。ここで徴用工賠償問題が、駐日韓国大使に外務大臣が面会拒否しているなど日韓関係の亀裂として影響を及ぼしていることが問題になる。米国の要求に折れたのが韓国側だ。すでに文大統領は日本企業への賠償を求めることはしないということを言明していた。

日本での報道を見ると、「これまでの主張が認められた」、「韓国もグローバル秩序に従うようになった」など、当然のこととしている。

ここでの根本問題は、韓国内では日韓併合条約は非合法だが、日本では合法であるとしているところにある。国交樹立の前の日韓条約交渉でもこの問題が障害になり、棚上げにされ、「日韓経済協力協定」の名で「賠償」という言葉が避けられた。これまで日本政府として「日韓併合条約は合法だった」とし、それにもとづく植民地支配は正当だったという立場に立ってきた。

ここに徴用工賠償問題の根本があり、日韓関係が改善されない原因がある。今回の判決で「国内的には植民支配が不当だったとしても、国際的にはまだそうなっていない」もとで対外的に訴訟を起こすことができないとしているが、それでは韓国民はいっそう日本にたいする反感と怒りを増すだけだ。

当事者にとって植民地化は許すことのできないことであり、私たち日本人にとっても日本が武力を使い朝鮮民衆の独立への闘いを弾圧してきたのは歴史的事実からして明らかなことだ。

韓国民衆はこれからも日韓併合条約が合法、すなわち植民支配が正当だったとしていくのかと日本に問いかけていくと思う。民族自主と国家主権を守ることが正義であり、それを否定することは不正義であるということは、今世紀が示している時代のすう勢だと思う。欧米諸国は植民地支配を間違いだったとしてない。しかし、不当だったと認めていなくても、日本が率先して認めていくべきではなかろうか。

しかも、今回の判決が米国の「米中新冷戦」戦略に沿って日米韓同盟を強化するためになされたものであるだけに、「米中新冷戦」がいかに覇権主義的で時代遅れかを示しているといえる。

政府のワクチン接種対応に、危惧と怒りを禁じ得ない

若林佐喜子 2021年6月20日

菅首相は、先の国会・党首討論で、コロナ禍対応は「ワクチン接種が切り札」と主張し、「10月から11月にかけて、必要な国民、希望する方、すべて(打ち)終えることを実現したい」と表明した。

確かに、首相のこの間の対応は「いかにワクチン接種の速度を上げるか」であった。

やっと4月から高齢者(65歳以上)と基礎疾患をもつ優先者接種が始まるや、首相は、7月末までに完了することを各自治体に迫った。

更に、5月24日からは、「自衛隊大規模接種センター」での高齢者向けワクチン接種を開始した。4月末、首相の突如の指示で、東京会場で一日1万件、大阪会場で5千件の接種体制が整えられた。対象が65歳以上の高齢者接種にも関わらず、予約はオンラインのみ。一時、東京会場で予約が2割、大阪会場で3割しか埋まらない状況に陥る。(読売6/10夕刊)。そして、14日時点で、防衛省は「対象を64歳以下に拡大すれば、65歳以上の接種機会が失われる可能性がある」としながら、翌日には、「18歳から64歳に広げる」と発表。16日、両会場とも17日から28日まで予約が全て埋まり、担当者自身が、「対象年齢引き下げが影響している」と認めている。防衛省の数日間の対応を見ていると、このようにすることを「設置のときから想定していたのでは?」と、思うのは、私だけではないだろう。

13日には、元来21日から予定していた、「職域接種」が前倒しでスタートした。政府は5月末に、優先者接種と並行して実施する、企業や大学での「職域接種」を提示。一カ所で最低2000回(千人分)の接種を原則とし、従業員、一千人以上の大企業から初めて行く。企業接種は、自社の従業員や家族、グループ企業や下請けを対象。大学では、職員、学生、地域住民も可能。「職域接種」は自治体が発行する接種券がなくても可能で、采配は主催者側にある。13日に、全日本空輸、14日に日本航空でスタートし、すでに、大企業をはじめとして申請予定者が1千万人を突破。(14日、首相官邸ツイッター)

しかし、現場では、デジタル格差、企業格差を指摘、心配する声がでている。特に高齢者、基礎疾患者の接種予約がオンラインのみに対して、高齢者自身から戸惑い、強い怒りの声が上がっている。本当に、電話しか手段がなく、インターネットが扱えない、ひとり暮らしの高齢者は、接種を受けなくても良いということではないか?このままでは、政府が認めている高齢者、基礎疾患を持つ者、最優先接種者が置き去りにされてしまう。

6月6日現在、65歳以上の高齢者の一回目の全国(平均)接種率は、22.8%である。多くの自治体は、65歳以上の高齢者接種をやっと軌道にのせてきたところである。新たに対象を18歳から64歳と一挙に拡大すれば、接種券の組織の対応など一層の混乱が心配される。

また、「職域接種」は、自治体が発行する接種券が必要なく、采配が主催者側である。接種者の掌握、万が一の事故に対して責任は誰がとるのだろうか?などなど心配が尽きない。 

首相、政府のワクチン接種対応、「いかにワクチン接種の速度を上げるか」は、国民の「命と健康を守る」ためではなく、五輪開催、内閣支持率をあげるためである。と、いったら言い過ぎだろうか?

今、日本政治の原点が問われている

小西隆裕 2021年6月5日

時代の大きな転換点にあって、日本政治には様々な問題が山積している。

そこで今、もっとも痛切に思われることの一つが、政治の原点が見失われているのではないかと言うことだ。

政治の原点と言った時、それは、人々の共同の利益を実現することを置いて他にないと思う。そのために人々を動かすところに政治の役割がある。経済や文化など他の分野にも増して政治の社会的責任が重いのは、まさにそのためだと思う。

この重大な政治、とりわけ国の政治を行うに当たって、もっとも心すべきは、国益、国民益を実現するという原点に絶えず立ち戻ることではないだろうか。

ところで、日本政治を見た時、このもっとも基本的な原点が見失われているのではと思われる場合があまりにも多いように思う。

今、日本にはコロナや米中新冷戦などの問題が切実に提起されている。これらに対して、菅首相はどう対しているだろうか。

どう見ても、国益、国民益第一に対しているようには見えない。オリンピックは何のためか。米中新冷戦の一環であるクリーンネットワーク計画に対して、菅首相自身、国益に資さないと言っていたではないか。

なぜそうなったのか。その動機には、私益、党利党略が見え見えだ。

今日、コロナや米中新冷戦、等々、国と国民の命運を左右する大問題が山積してきている中にあって、私益、党利党略による政治は許されない。

総選挙をはじめ、国と地方の進路をめぐる選挙が目白押しになっているこの時にあって、政治の原点を問う闘いこそがもっとも切実に求められているのではないだろうか。


一体このどこが「成功」なのか?

魚本公博 2021年6月5日

コロナ禍が一層猛威を振るう中、ワクチン接種が大きな焦点になっている。菅首相は「ワクチンが決め手」としているが今だに接種率は2%にすぎない。高齢者の接種を7月末までに完了すると言うがワクチンの確保すら不確かで「到底無理」と言われる状況。

そうした中、「深層ニュース」などの時事番組で米国の「成功」が言われている。「米国はすでに37%が接種を終えた。7月4日の独立記念日までに国民の7割に接種を完了する。ワクチン接種で感染者数、死亡数も減少してきた。緊急事態も漸次解除されつつあり、ブロードウェイも9月中に再開する予定だ」などなど、米国の「成功」を賞賛し、日本の遅れを嘆き、米国に学ばなければみたいな話しになっている。

米国の「成功」? 5月末で感染者数は世界一の3314万人で死者59万人を出している国の一体どこが「成功」だというのか。もちろん、これはワクチン接種についてであり、その限りでは「成功」と言えなくもない。しかし「ワクチン接種」の成功が、「ワクチンで封じ込める」策の成功として、米国のコロナ対策そのものが「成功」の如く語られているのだ。

確かに、ワクチンはコロナ克服の決定的手段。しかし、今はそれが万全とは言えない。血栓症などの副作用や後遺症の発生、接種後の死亡、数ヶ月の効果しかないなどの例も報告されている。そしてワクチンをすり抜ける変異型ウィルスの蔓延。今はインド型が問題にされているが、変異株は続々と出現するだろうと予想されている(すでに英仏やベトナムでも発生)。

ワクチンによる「集団免疫」達成論についてはWHOも「どの国も近い未来に到達できない」と警鐘を鳴らし、感染症対策の基本である「検査・隔離」の徹底を呼びかけている。そういう意味では、米国の「成功」賞賛は、これまで検査を避け「ウィズコロナ」(集団免疫達成)にしがみついてきた日本のコロナ対策の過ちを覆い隠し、あくまでもこれを続けるためではないかとさえ思う。

日本のワクチン接種が無惨なまでに低いことについて言えば、国産ワクチン開発が遅れているからである。米国発の新自由主義改革でワクチン開発などの指導をすべき国立感染研究所の予算や人員を減らし、コロナ禍発生後も米国頼みで国産ワクチン開発支援を怠ってきたからではないか。

米国賞賛、米国追随、米国頼み。これを正さなければコロナ対策もおぼつかない。米国の「成功」などと言っている場合ではないのである。

21世紀の黒船、「米中対立の最前線」押しつけ

若林盛亮 2021年5月20日

■青天を衝け
NHK大河ドラマ「青天を衝け」、藍(あい)農家の長男、栄一が水戸領内の農村私塾で水戸斉昭の掲げた「尊皇攘夷」思想に触れ、愛国の決意に燃え、ついに決起する。
時は欧米列強がアジア植民地化を狙って日本にも押し寄せる19世紀後半。わが国は黒船来航に揺れる。鎖国日本がペリーの開国要求をのまされた幕府の弱腰外交を非難する水戸斉昭の「尊皇攘夷」思想が人々の心をとらえ澎湃(ほうはい)とわき起こる攘夷気運高揚の前に徳川200年の幕藩体制は揺れる。
「父っさま俺を勘当してくれ」!
頭を下げて頼む栄一は父に叫ぶ、「日の本のために俺も役に立ちてえんだ」!
彼は村の有志青年らと「横浜異人村焼き討ち」を企てる、尊皇攘夷・倒幕実現のために。

■21世紀の黒船、「米中対立の最前線」押しつけ
いま日本が揺れ動き始めている。
バイデン新大統領の「米中新冷戦」宣言を受けた4月の日米首脳会談で米国から「米中対決の最前線」を押しつけられた日本。
訪米前、菅首相は「対中強硬で有事対応を急ぐよりも、紛争を平和的解決する環境作りが大切」と言っていた。しかし日米共同声明では「台湾有事の安保協力」、中国との軍事的対決の最前線に立つことまで約束させられ、あげくに米誌News Week取材では「日本は9条改憲の意思があるのか」と迫られた。
この菅政権ののまされた日米共同声明を受けて朝日新聞は「受け身の外交からの脱却を」と書いた。
閣僚の中からも「米中対立で日本は厳しい立場に追い込まれる。もう少し曖昧な表現でもよかった」と不満が出ている。
貿易額第一位を占める中国と敵対することを約束させられたことに経済界からも不安と不満の声が挙がるのは必然だ。さらには対中対決での日米軍事協力、それは「台湾有事」で自衛隊が米軍攻撃作戦の一部に組み込まれ、いわば米軍の傭兵部隊化することになる。自衛隊内部からもおそらく強い不満が出てくるだろう。
非戦国家を自認する日本の国民にとっては米国の戦争に巻き込まれる危険にどう対処するのかがこれから問われることになる。
米国による「対中対立の最前線」押しつけ、これは日本を揺るがす21世紀の黒船襲来とも言える事態だ。 

■戦後世界の「幕藩体制」動揺が日本の国難に
米国による「対中対立の最前線」押しつけ、それは戦後世界の「幕藩体制」動揺の集中的表現ではないかと思う。
日米安保体制基軸、「米国についていけば何とかなる」を「国体」化してきたのが戦後日本だった。それが根本から揺らぐ事態にいまわが国は直面している。なぜなら「戦後日本の繁栄」を支えてきた戦後世界の「幕藩体制」、米覇権帝国中心の国際秩序がまさに崩壊の危機に直面しているからだ。
このことを米国自らも認め失地回復の窮余の策として打ち出されたのが「米中新冷戦」だ。
米国が仕掛けた「米中新冷戦」は、すでにトランプ政権発足1年後の2018年末に本格的に開始されたものだ。この年の末12月18日、米国防総省は「米国家安全保障戦略(NSS)」を公表、ここで「中国とロシアなどは米国の価値観とは対極にある世界を形成しようとする修正主義勢力」と定義、これまでの反テロ戦争戦略からの転換を宣言した。
この最大ポイントは、米国の脅威を「テロリズムではなく大国間の競争こそが最大焦点」としたこと、そのうえで「友好国との同盟関係強化」を強調したことだ。これは「米軍の競争力の劣化」、一言でいって米軍の覇権軍事衰退を認めた上で友好国にいっそうの「安保協力」を求めるという方針転換だ。
さらに今日、経済面においても中国の追い上げに苦しみ中国のIT企業、ファーウェー排除に踏み出さざるをえないほど、米国中心の覇権秩序が崩壊の危機にあることを自ら認めた。
この方針転換を受けて「友好国」日本に対して「米中対立の最前前線」に立つことを押しつける「米中新冷戦」戦略がバイデン政権によって完成された。
「米国についていけば何とかなる」という戦後世界の「幕藩体制」に赤信号が点滅し始めた。その結果として米国による有無を言わさぬ「対中対決の最前線」押しつけがあり、これを前にして進退窮まる国難に遭遇しているというのが現在の日本だ。
だから「日の本の役に立ちたい」という栄一ら青年が尊皇攘夷を論じたように、攘夷か開国か? 尊皇倒幕か佐幕か? このような論議が巻き起こる時代になってきた、そう思う。

緊急事態条項で改憲という自民党政権

赤木志郎 2021年5月20日

5月3日、憲法記念日に際した世論調査で緊急事態への対応について、全体では改憲せずに法律制定で対応すべきが多数をしめているが、無党派層で「緊急事態条項」を改憲して入れるべきというのが増加したという。だから、自民党内で「緊急事態条項」で改憲を提起すべしという声が起こったという。我ながら、自民党議員のずる賢い感覚に驚いた。
なぜ、国民の多くが緊急事態対応の法を要求しているのか。それはこの1年余りの新型コロナ・ウイルス対策で統一的で攻勢的な対策をとれずに、中途半端なことを後手後手とやってきたことに非常に苛立ち、怒っているからではないか。感染抑制を何よりも優先させることをほとんどの国民が望んでいるからこそ、緊急事態法への要求があり、無党派の人々が憲法にその条項を入れるべきだと思っている。
緊急事態への対応は現憲法のもとで十分、法制化できるものだ。そうした法律がないことや憲法に緊急事態条項がないことに問題があるのではなく、自民党政権に緊急事態に対応できる能力がない、危機管理ができないことにある。
問題の九条改憲については国民の大多数が賛成していない。そこで、九条よりも緊急事態条項を押し出して、改憲できないかというのが自民党の魂胆だ。
コロナ対応への国民の不満を改憲に利用しようとするところに、自民党政治の汚さ、ひどさを示している。
それゆえ、自民党がすすめる改憲策動を破綻させていかなければと思う。

-人々の命と暮らしのために、五輪中止を求めます!-「ネット署名」の威力(パワー)を実感

若林佐喜子 2021年5月20日

五輪の開催中止を求める「ネット署名」が、話題を呼んでいます。
元日弁連会長の宇都宮健児弁護士の発起により、署名サイト「Change.org(チェンジ・ドット・オーグ)」を通じて呼びかけると最速ペースで伸び、14日現在、35万筆を突破。勢いが止まりません。
署名のあて先は、IOC(国際オリンピック委員会)のバッハ会長、菅首相、東京都知事、組織委員会会長らで、英語での署名ページも開設。
疲弊する医療現場からは、「(署名は)自分たちにとって非常にありがたいことです」と、感謝の声が届き、署名参加者からは、「こういう(署名)活動をまっていました」という声が多く寄せられています。
この間、ツイッターでは、#五輪中止 がトレンド入りし、世論調査では国民の約7、8割が再延期、又は中止を求めています。医療が逼迫するある病院では、「医療は限界 五輪やめて!」「もうカンベン オリンピックむり!」と書いた張り紙を掲出しているそうです。
今回のネット署名活動は、このような人々の声や思いを可視化し、その実現のための方途を提示してくれたのだと思います。
人々のシビアな思いが可視化され、当然、海外からの取材も殺到しています。
五輪・パラリンピック開催時に放映権料を払う米放送局「NBC」も署名活動について報じ、海外メディアからも取材要請があったとのことです。海外メディアも世界的な大流行コロナ禍の中で日本政府の動きを注視しています。「ネット署名」という形で国民の声、意思を伝えることは大きなインパクト、力になります。ラジオの海外ニュースでも署名活動について報道していました。
14日、東京都知事宛に署名報告書(35万269筆5/14現在)と東京五輪開催中止の要望書が提出されました。今後は、スポンサーへの申し入れ、そして、政府にも。政府の五輪中止の決断まで、ネット署名の勢いは止まりそうもありません。
ネット署名は、現場の人々の声・世論の声を可視化し、その実現のためのパワーを生み出す威力ある活動・方途である事を、とても実感させられました。
同時に、政府の一日も早い五輪中止の「英断」を切に望みます。

「米中新冷戦」、対応の鍵は何か?

小西隆裕 2021年5月5日

米国が引き起こした「米中新冷戦」の「最前線」に立つことが、今、日本に押しつけられてきている。

菅政権は、その受け入れを約束させられた。先の日米首脳会談での共同声明は、そのことを明示している。

「米中新冷戦」は、一言で言って、中国と敵対し、世界を米国と中国、二つの陣営に分断し、中国陣営を包囲、排除することにより、崩壊の危機に瀕した米覇権の回復を図る戦略だと言うことができる。

日本はその矢面、先兵に押し立てられている。それは決して、日本にとって良いことではない。経済的にも、軍事的にも、大きな損失と打撃を覚悟しなければならない破滅への道を意味しているのではないか。

今、日本に問われているのは、米国に付くことでも中国に付くことでもない。アジアの内に入り、アジアの一員として、アジアと一体となり、米国も、中国も、そこに引きつけていく道ではないか。

そうするための鍵は何か。それは、日本が率先垂範して、アジアの外から、アジアに敵対してきた自らの覇権主義、帝国主義の誤りを、戦後の対米従属下でのことまで含め、世界で初めて総括する国になることだと思う。

そこにこそ、幕末維新以来長期に渡り、日本に提起されてきた「脱亜入欧」から脱却する道も広々と開けてくる。

総選挙を前にして、「米中新冷戦」をそのための奇貨とする戦略的な眼識、禍を福となす攻撃精神こそが今求められているのではないだろうか。

日本の土性骨を示す時

魚本公博 2021年5月5日

日米首脳会談で「台湾問題」が取り上げられた。首脳会談で「台湾問題」が上げられたのは69年の佐藤・ニクソン会談以来のこと。「その後の日本の行く末を決めてきた」とされる首脳会談での「台湾問題」。その内容は「台湾海峡の平和と安定に日米が協力する」というもの。だが、この会談を前に米国では「6年以内に中国の台湾への武力侵攻の可能性が高い」などの発言が出るなど、それが「台湾有事」を想定したものだというのは衆目の一致するところ。

米国は、米中新冷戦の中で、中国との武力的な対決(戦争)でも日本が「フロントライン」(最前線)に立つことを要求してきたのだ。果たして日本はどうするのか。まさに日本は岐路に立たされている。

ここで先ず押さえるべきは「台湾問題」とは何かである。「台湾問題」とは、「一つの中国」の内部問題。すなわち「台湾問題」は、中国の「内政問題」であり、それは外からとやかく言うべきものではなく、ましてや武力行使を云々するなど論外だとされてきた問題なのだ。米国自身、これまでその立場に立ち(中国の国連加盟71年、ニクソン訪中72年、交回復79年など)、中国との関係を深めてきた。その立場は国連をはじめ国際社会も同じであり、日本もそうであった。

それ故、共同声明でも、この問題をどう表現するかで多くの時間が割かれ、「台湾海峡の平和と安定」という表現に落ち着いたという。中国もそれは分かっている。共同声明への反論は、先ず駐米大使の「これは内政干渉であり遺憾である」との表明であり、夕方になっての外務省代弁人の声明となった。中国通の論客は、こうした中国の対応は予想されたものより低いトーンであり、「これ以上、踏み込むな」というシグナルだと分析する。

台湾はどうか。外交部は「歓迎、感謝」だが蔡総統は沈黙を守っている。彼らも「台湾問題は内政問題である」いう立場であり、「両岸問題の平和的解決」が中台双方の一致した見解である。台湾は貿易の40%、海外投資の60%が中国であり、中国との軍事対決など乗れるものではない。日本の新聞が「台湾『感謝』、刺激回避」と解説しているが、ある意味「ありがた迷惑」というのが本心だろう。そして、ある高官は「これからは『したたかな外交』が求められる」と述べている。それは、台湾の国益を守るために、中米の抗争に巻き込まれることなく現実的な対応をするということであろう。

現実的対応。それが求められるのは、「米国覇権の崩壊と中国の台頭」は誰もが認める現実だからである。その現実を前に、頭から米国に加担するなど愚の骨頂。それは日本も認識している。何よりも経済界。貿易相手国ですでに米国を抜いて中国がトップであり、中国への進出企業は2万社に及び、そこで莫大な利益を上げている経済界にとってみれば、中国との対決、ましてや武力対決など論外である。自衛隊も「台湾有事」で最前線に立たされることには異論があろう。

「現実的対応」「したたかな外交」、それが日本にも求められている。これまで米国覇権健在の時代には、米国に従うのが「賢明」であったかもしれない。しかし、もはやそうした時代ではない。どうすれば日本の国益に合うのか、それを第一に考えるべきなのだ。

アジアを見てもそれがトレンド。シンガポール国立大学の名誉フェローであるキショール・マブバニ氏は「西欧が民主主義的価値観を押しつける時代は終わった」としながら、ASEANが「イデオロギーにとらわれず問題解決に向け現実的な対応を模索している」と評価し「アジアのプラグマティズムは今後の世界に影響すると信ずる」と述べている。

日本が、時代の岐路にあって、これまでのような対米従属ではない日本になる。そうした日本をアジアは歓迎し共に進もうとなる。今こそ、日本の土性骨を示すべき時なのだ。

中身のない「こども庁」創設

森順子 2021年5月5日

「未来を担う子どもたちのための政策」実現への意欲を3月の自民党大会での菅さんの発言から「こども庁」創設となったわけですが、やはり、思った通り「こども政策は反応がいい」とばかりに衆議院選挙の目玉にあげました。そして、すぐさま自民党のどの省庁が、こども庁を担当するのかの主導権争いが始まり、それが弊害となり対応に遅れているというのが自民党の中身です。同じく、「自分たちこそ(こども)政策を考えていた」と相次いで検討チームを立ち上げたり、「選挙目当てだ。われわれが(こども政策)では本家本元」だと、自民党への怒りの声が出ているのが野党の中身です。

自分たちの党利の奪い合いのために子どもを利用する政治家の、このような様を、当事者である子どもたちは何と言うのだろうか。もし、私たち大人が子どもたちに問われたら、どう答えたらいいのかと、考えさせられます。

「子どものことは一番大事だから、国の宝だから、しっかり・・・」「日本の将来を考えたとき子どもは極めて大事だ」と言うのは、二階さんと菅さんです。

しかし、「子どもは大事、国の宝」だと言うのなら、子どもを大切にし、子どもが国の宝である社会は、どういう社会なのか。どういう日本で、どうやって子どもを育て教育していけば、子ども第一の社会になるのか。何よりも、そういう国のビジョンを示すべきです。そして、そこに理念あるいは構想がなければ、とても、子どものためとは言えず、第一、国民は納得しないでしょう。

今、こども庁の前に問われていることは、当事者の声、現場の声、すなわち国民の中に深く入って、子どもや国民の目線で、その声を聞き、子どもたちの夢や願いや望むことは何か、一番訴えたいことは何か、そして、保護者をはじめ、すべての子どもに携わる人々の現場の声に真摯に耳を傾けることを率先してやっていくことではないでしょうか。そして、ここから、国民や子どもが望むこども庁の役割や課題が出てくるのではないでしょうか。

「宮崎にF35B飛行隊新設」、「小型空母化護衛艦と一体運用」に隠された意味

若林盛亮 2021年4月20日

読売新聞(4/4)第一面トップに「F35B、宮崎に配備へ」という大きな見出しの記事が出た。

記事の内容は、最新鋭のF35B戦闘機18機が航空自衛隊の宮崎県新田原(にゅうたばる)基地に新しく配備され、これに伴い空自の一個飛行隊が編成されるという内容だ。

これだけを見て、空自の戦闘機配備がなぜ一面トップ記事になり、それが何を意味するのか一般にはわかりにくい。

小見出しには「垂直着陸機-離島防衛強化」そして「小型空母化護衛艦と一体運用」とあるが、まさにここにこの意味を解くキーワードがある。

F35B戦闘機は「垂直着陸機」、正確に言うと短距離離陸・垂直着陸のステルス型(敵のレーダーに捉えられない)戦闘機だ。俗に第5世代戦闘機と言われる最新鋭機、離陸距離が短くヘリコプターのように垂直着陸ができ、大型空母の必要はない。

ゆえに空自に新設のF35B飛行隊、それは「小型空母化護衛艦と一体運用」の飛行隊となる。

ついでに言えば「小型空母化護衛艦」とは海自保有の「いずも型」護衛艦を改修した小型空母化を指す。対潜水艦哨戒ヘリコプター14機積載用の同型護衛艦を改修してF35B戦闘機10機が搭載できるようにするというものだ。現在、「いずも」型の護衛艦「かが」にジェット機の噴出する高熱に耐えられるよう従来の対潜ヘリコプター用飛行甲板の改修などを施ほどこし「小型空母化」されることになっている(安倍政権時の防衛大綱改定、中期防衛整備計画で決定)。

注目すべきことは、元来、F35B戦闘機は米海兵隊専用の戦闘機、つまり敵国侵攻の先兵となる部隊用のもので、F35B搭載用の小型空母は海兵隊仕様のものとして米国では「強襲揚陸艦」と称され、その名の通り艦内には上陸用装甲車など海兵隊装備を積載できる攻撃用艦船(護衛艦ではない)だということだ。この強襲揚陸艦搭載のF35B戦闘機は海兵隊上陸地点の敵国の防御拠点をたたくもの、敵国侵攻(侵略)時、海兵隊の露払いとなる戦闘機だ。

つまり日本の自衛隊に米海兵隊同様のF35B飛行隊と小型空母が誕生するということだ。これに先月述べた日本版海兵隊、陸自・水陸機動団を加えれば、敵国侵攻用の攻撃部隊、「戦争のできる軍隊」に自衛隊が作り変えられるということ、これが一面トップ記事の裏に隠された意味だ。

もちろん現在の憲法9条下、専守防衛の日本では攻撃用部隊は持てない、だから尖閣など島(とう)嶼しょ地域の「離島防衛」などと「あくまで防衛」という口実をこじつけている。

F35B戦闘機搭載艦船ならジェット燃料タンクや空対地ミサイルなどの武器格納庫が必要で「対潜ヘリ護衛艦の小型空母化」は軍事技術的には不合理、その使用目的からして米海兵隊のように飛行甲板付きの強襲揚陸艦の建造が筋だと防衛専門家は言っている。にもかかわらずその筋違いの不合理をなぜやるのか? それは憲法9条の建前上、あくまで攻撃的な強襲揚陸艦ではなく「専守防衛の護衛艦ですよ」という形式主義をあえてとらざるをえないからだ。

重要なことは、米国の要請を受けて「抑止力強化(攻撃力強化)」と菅首相が所信表明演説で述べたことが国民的議論もなしに着々と実現に移されているということだ。

さらに言えば、これまでの自衛隊は「盾(たて)(防御)」、米軍は「矛(ほこ)(攻撃)」としてきた役割分担の境界線がなくなり、自衛隊が米軍と一体の「矛」になることを意味する。それは自衛隊が米軍の「矛」の一部になること、完全に米軍の傭兵部隊となることに他ならない。

以上のことが、空自にF35B飛行隊新設、その「小型空母化護衛艦と一体運用」に隠された意味だと思う。

なぜ、戦争と侵略を? (2)近代化が原因か?

赤木志郎 2021年4月20日

日本が侵略と戦争の道を歩んだことが「已む得なかった」理由の一つとして、「近代化と軍国化が不可分だった」という考え方がある。

「日本が東アジアの強国となり、清韓両国がその被害者となったのは、近代化の成否によるといっても過言ではあるまい。・・・近代化に一応成功した段階で、隣国を侵略したり征服したりしようとせず、国民生活を充実すれば理想的であるが、個人でも、国家でも、成功の限界を自覚することはなかなか容易でない。」(猪木正道「軍国日本の興亡」)。

近代化した国が侵略し、近代化できなかった国が征服されたとして、近代化がすなわち他国への侵略・征服になるのか、それはおかしい。

近代化とは、科学技術の革新と発展による現代化、文明化と同義とも言え、各国がめざす究極的な発展した社会の一つの目標であり、それ自体は他国への侵略や征服とは無関係なはずだ。

他国にたいする侵略や征服は、近代化により国力が強化されたとき、国力の増大を覇権に利用したからだ。近代化により侵略と戦争が已む得なかったというのは、強大になった国が他国を支配するのが当然であり、弱小国は強国に従うようになるのは当然なことだという覇権の考え方があるからだと思う。

それゆえ、近代化それ自体が侵略と戦争の原因ではなく、強国が弱小国を支配して当然だという覇権の考え方が侵略と戦争を引き起こすといえる。とくに西洋諸国の近代化は資本主義の発展と独占に基礎した帝国主義の形成にいたり、植民地獲得を生命とし地球上の国々をことごとく植民地にしていった。

国の大小、体制のいかんを問わず、それぞれの国にとって主権がもっとも貴重な生命といえるものだと思う。主権が侵されれば、その国の意思と要求どおりに国の政治をおこなっていくことができない。したがって、国の主権を守ることがその国にとって最高の利益であり、国の主権を犯す侵略とそれに屈する従属にたいし戦うことがもっとも高い祖国愛、人民愛の表れであり、正義だと思う。

しかし、今日でも強大国が覇権を狙うのは当然のことだということが通念となっている。

米国が中国にたいし強大化したことをもって中国が覇権を狙っていると非難するのは、強大国が覇権国家として他国を支配するのが当然だという考え方の裏返しだといえる。覇権を狙っているのかどうかは、実際の行動を見るべきだろう。ウイグル族問題、香港問題、南シナ海問題、尖閣列島問題などは中国の国内問題か国境問題であり、他国に軍隊を派遣していない。それに較べて米国は、世界各国に軍事基地を置き、東アジアにインド太平洋軍を展開し、米国に従わない国には制裁を加えている。どんな理由であれ他国に制裁、軍事的圧力、内政干渉など国の自主権を侵害する覇権こそが最大の犯罪だと思う。

強国が弱小国を支配しても構わない、仕方がない、当然のことだという覇権の考え方があるから侵略と戦争があるといえる。

日本政府のコロナ禍対応こそ人権侵害

若林佐喜子 2021年4月20日

人権を巡って中国などへの非難が高まっていますが、現在、世界的な大流行コロナ禍のなかで、自国民の生命と健康、安心・安全を守ること以上のものがあるでしょうか。

先日、西浦教授(厚生労働省医学対策アドバイザーメンバー)が、感染力の強い変異種の猛威やワクチン接種の遅れ、八月末までに高齢者ワクチン接種を終えるのも無理という現状を踏まえて、東京五輪一年延期の検討を提言しました。氏は「延期に伴う費用と感染者増を天秤にかけたとき、どちらが重いかは言うまでもない」と断言し、政府にコロナ禍対応を最優先させることを訴えています。それが多くの国民の気持ち、声だと思います。

しかし、この間の安倍、菅政権の対応は、国民の命と健康、暮らしを最優先に対応するのではなく、経済活動の優先の「ウイズコロナ」です。

そのため、感染症の防疫原則、検査、隔離、治療のための対応策、打開策をしっかりとってくるのではなく、原則を緩和する方向での対応でした。医療崩壊を口実にPCR検査の抑制、高齢者と持病持ちの方を守るとしながら医療資源の集中、効率化。入院隔離原則の基準を緩めての、宿泊療養、自宅療養の奨励。感染経路や濃厚接触をたどる「積極的疫学調査」の縮小と、列挙したら切りがありせん。

この結果が、累計感染者数が53万人を超え、死亡者が9646人(18日現在)。収束のめどどころか、現在、一日4千人台の感染者、第4波を招き、専門家からは緊急事態宣言の発令を要求する声がでています。

しかし、このような状況にあっても、菅首相の思考の最優先は、「東京五輪」の開催です。安倍政権下で1回目の緊急事態宣言の発令が遅れたのも「五輪」。今年に入り、国民の多くが心配するなかで、2回目緊急事態宣言の早期解除も、3月25日の聖火リレー出発式のため。菅首相は私的な思惑から「東日本大震災からの復興五輪、人類が新型コロナに打ち勝った証となる大会に」と、内外に示してきました。その「五輪」を一〇〇日前にして、三度目の緊急事態宣言だけはなんとしても避けたいというのが首相の本音。閣僚の一人は「重点措置をやって、やめての繰り返しでいい。それだったら五輪もできる」と、なんとも無責任な発言ですが、これが菅政権の実相です。憂慮をとおりこして怒りがわいてきます。

自国の国民の命と健康、安心・安全を守れず、むしろ感染拡大を増長させる人権侵害を行いながら、他国、特にコロナ禍抑えこみに成功している国々の人権問題を云々する資格は、日本政府にはないと思います。また、4月17日現在、56万人超というコロナ死亡者をだし、感染者数が3156万人の米国も同じではないでしょうか。

「覚悟」

小西隆裕 2021年4月5日

先日、麻生副総理兼財務相は、「『米ソ冷戦』のフロントライン(最前線)は欧州だった。しかし、今度(「米中新冷戦」)はアジア、日本だ」「今まで以上に目に見えるかたちで、日本の外交的地位が格段に上がった」と喜びながら、政治家の「覚悟」を促したという。

4月9日、訪米し、初の日米首脳会談に臨む菅首相を念頭に置いての言葉だと思うが、さすが失言癖のある麻生さん、今回も本音を、しかもうっかりではなく、意図的に口にしたようだ。

元来、政治とは覚悟を伴うものだ。覚悟を伴わない政治などないはずだ。

その上で問題は、何に覚悟を持つかだ。

今、日本の政治家に問われている覚悟でもっとも切実なことの一つは、麻生さんが言っているように、米国が日本をその最前線に押し立ててきている「米中新冷戦」を米国の要求に応えて担うべきか否かにあると思う。

その判断が正しいかどうか、正否を分ける基準は、当然のことながら、それが日本と日本国民にとってよいことか否か、すなわち国益に合っているか否かだ。

今、米国は、「大国間競争」「米中新冷戦」など、中国との覇権を巡る闘いを宣言しながら、香港、ウイグル、台湾、ミャンマーなど人権、強権問題を前面に押し出し、この闘いを民主主義と専制主義の闘いだと規定して、あたかも自らが民主主義の守護神であるかのように振る舞っている。

しかし、民主主義を掲げ、それを国々の上に置き、その総本山として米国が世界に覇権し君臨してきた時代はすでに終わっているのではないか。それは、人権蹂躙と強権が横行し、民主主義が踏みにじられている米国の惨状が何よりも雄弁に物語っていると思う。大統領選の不正を訴え、連邦議会を占拠したトランプ支持者たちの行動は、その象徴だと言えるのではないか。

今日、時代は、覇権国家が掲げる「理念」の下に各国が従い、それを自らの国益と考えさせられた時代ではない。それぞれの国が自国の国益を第一にし、そのために何が問われているか自分で考え自分の力で行動する時代だ。

今、日本において求められていること、それは、「米中新冷戦」の最前線に立つ「覚悟」ではない。何よりもまず、民主主義の名で米覇権のため、日本を中国との「冷戦」の矢面に立たせる米国の強要に抗し、それを拒否して闘う「覚悟」こそが求められているのではないだろうか。

「東日本大震災から10年」が問う、人、地方、国のあり方

魚本公博 2021年4月5日

東日本大震災から10年経った。その現状は「縮む沿岸部、膨らむ仙台」「仙台圏の一人勝ち」。仙台はタワーマンションの建設ラッシュ、大型商業施設が次々オープンするなど「ヒト・モノ・カネ」を飲み込んで膨張する反面、それ以外の地域は深刻な人口減や将来の消滅可能性に直面していると新聞は伝える。

政府は、これまで人口減、地方衰退を背景に「全ての地方は救えない」として、有力な都市に「ヒト・モノ・カネ」を集中する政策を採ってきた。「仙台の一人勝ち、他の衰退」もその結果である。

こうした地方政策に反対してきた論者に山下祐介氏(首都圏大学東京准教授)がいる。彼は、「ヒト・モノ・カネ」を集中するやり方は、新自由主義による「選択と集中」の考え方に基づくとしながら、地方は互いに有機的に結びついているのであり、弱い地域だからと言って、これを切り捨てるようなことをすれば、結局、地方全体が衰退し、国全体も衰退するしかないと見る。東北の事例で言えば、「仙台の一人勝ち」と他の地域の衰退は東北全体を衰退させ、それは東京に及び、ついには日本全体を衰退させるということだ。

そこから氏は「見捨ててよい地方・地域などない」として「多様なものの共生」による地方政策を説いてきた。

私も大いに触発されたが、新自由主義改革の流れの中で氏の主張はこれまで「孤軍奮闘」の感があった。こうした中、最近注目される人物が登場。その名はオードリー・タン。若干36歳にして台湾のIT担当相。デジタル技術を駆使して「コロナ封じ込め」に成功し世界的な脚光を浴びるデジタル界の英才。

タン氏はデジタル化において「一人も置き去りにしない」ことをモットーに「多様な人々が公共の決定に参加して衆知を集める」ことを重視する。デジタル化は、多くの人、その日々刻々と変化する膨大なビッグデータによって成り立つのであり人々との連携が多ければ多いほど効果を発揮するからであり、そのために「競争原理を捨てて公共の価値を生み出す」ことを求める。

「一人も置き去りにしない」「どんな地方・地域も見捨てない」。タン氏と山下氏の考え方には共通するものがある。孤軍奮闘の感あった山下氏の主張であるが、東日本大震災10年目の「仙台圏の一人勝ちと他の衰退」という現状。そしてデジタル化の進展は、「見捨てる」ことの間違いを如実に示している。

「一人も置き去りにしない」「どんな地方・地域も見捨てない」。どんな人にも価値がある、どんな地方にも価値がある。それを如何に結びつけるか。人と人のあり方、地方のあり方だけでなく、それを含めたトータルな国のあり方。連携・共同・共生を如何に深めるか。それが問われる時代なのだと思う。

千人計画に参加する日本の研究者への対応

森順子 2021年4月5日

「千人計画」を知っていますか。

「千人計画」は、科学技術強国を目指す中国が08年から実施されており、外国で活躍する研究者を国籍を問わず集める国家プロジェクトです。

日本政府は、千人計画に参加している日本の研究者44人に対して「研究者が資金をどこからもらい、何を研究しているのかについて説明責任を果たし研究を透明化していく」ということで資金源の開示義務を求めました。

まず、言いたいのは今はグローバルな時代、どこで誰が研究しようと自由なはずです。しかし、違法行為や情報の虚偽などは、言うまでもなく許されることではありません。

そのうえで、政府は、「海外への技術流出によって国益に反する事態が起きることを防ぐため」と言い、中国の千人計画の不透明な資金提供で日本の先端技術が盗まれかねない、また、千人計画の監視、規制を強化する米国に足並みをそろえる形で資金状況の開示をルール化したわけです。あたかも日本人研究者が不正を行うかのように「確信犯で悪いことをする人は、ウソを言うかもしれないが」とまで発言する科学技術相。そして、言われるままに米国についていく政府。米国だけを信じ、自国の研究者に対する疑いと不信から出発したこういうやり方が、果たして日本の国益と科学技術の発展になるのでしょうか。日本人として恥ずかしいことだと感じます。

何よりも、なぜ、優秀な日本人研究者が中国へ行くのかです。それは、中国の研究水準が上がっていることが大きいからです。

千人計画に参加している研究者は、「日本の研究者は少ない研究費の奪い合いで汲々としており、大学に残る人は減って、結果として日本の科学技術力が低下している」「研究職は中国の若い人にとって魅力的な職業だが、日本ではいつクビを切られるか分からないハイリスクな職業になっている」と、指摘しています。この事実は、政府が、科学技術発展のために重要な役割を果たすだけでなく日本の国益にも寄与できる人材である日本の研究者を追い出したのも同然であるということです。政府が米国について行こうが、日本の研究者を一律に叩いたとしても、自国の研究者を大切にしない日本政府であるなら、日本の科学技術研究の基盤の危機は解決できないと思います。

千人計画には、米国や欧州を中心に7千人を超える研究者が参加しています。日本が中国や米国のように、科学技術先進国を目指して出発するには、自国の研究者育成と職場の確保や研究環境の根本的改善が必須です。世界からも優秀な人材を招きたければ、やはり他国より見劣りする研究者の待遇の改善が先決であり、このような状況を作り出してこそ、千人計画に参加する日本の研究者も呼び戻すことができるのではないでしょうか。

新設「水陸機動団」、それは「9条平和国家」のあり方を変える部隊

若林盛亮 2021年3月20日

BS-NHKで「離島防衛のリアル」と題する陸自「水陸機動団」の1年間の猛訓練ぶりを放映。その「リアル」を伝える映像、それは「現実を直視しましょう」との視聴者、国民へのメッセージだった。

水陸機動団という日本式「名称」の部隊、これを米国では「海兵隊」と呼ぶ。一旦有事には真っ先に上陸侵攻する侵略の尖兵、戦時の「精鋭部隊」だ。

2018年初頭に新設され、長崎の佐世保基地を拠点にし、全国から選りすぐりの身体能力、「精神力」共に最精鋭3,000人、2個連隊が配属されている。

この番組最後のクライマックスは、米ロサンゼルス南に位置する海岸、上陸作戦訓練可能な演習場での米海兵隊との合同演習、これを陸自水陸機動団400名の部隊が行う場面。「この戦闘で死者、負傷者は何名である」までを数えあげる実戦さながらの演習場面、「戦場」をNHKは生々しい映像で流した。

このような水陸機動団=「海兵隊」を持ったのだという「日本の現実」をNHKは伝えた。これはいったい何を意味するのだろうか?

それは日本も敵攻撃を専門とする人的武力を持ったのだという事実、すなわち「専守防衛」、攻撃武力は持たないと規定した憲法9条とは相容れない事実、実質的改憲を先取りした武力がすでに存在するという「現実」を伝えたかったのではないか? 

もちろん日本政府は「陸自水陸機動団は尖閣諸島など『島嶼とうしょ防衛』部隊、だから『専守防衛』を任務とする部隊である」と説明することで、決して「違憲」部隊ではないと国民の目を欺いている。

一言でいって日本にも「海兵隊」がつくられたのだ。今日の安保法制によれば、現時点でも日本の陸自水陸機動団は米海兵隊の補助部隊ともなり、ひいては海兵隊の代役をさせられることになる。これは集団的自衛権行使が容認された結果だ。事はここに留まらない。

番組の最後をNHKはこんな言葉で締めくくった。「責任を現場に押しつけてはいけない」! 

これはどのようなメッセージなのだろう?

現在の自衛隊の武器使用は正当防衛時のみ、自分が撃たれる危険がある場合にのみ可能と定められている。憲法9条「専守防衛」だから先に手を出せない、正当防衛か否か、武器使用いかんは現場の指揮官の判断に任せることになっている。これは現場の指揮官にはかなりの重圧となる。

「現場に責任を押しつけてはいけない」とは、この現状は見直されるべきだというメッセージ。「現状の見直し」、それは「専守防衛」の足かせをとれということ、だから9条改憲で交戦能力、戦争能力保有を合法化すべきではないのか? これがNHK「水陸機動団」番組に隠された視聴者へのメッセージだ。

陸自水陸機動団保有、それは戦後日本の「9条平和国家」、いちおう形の上では日本は「戦争をやらない国」という建前、この国の形そのものを変えてしまうものだと思う。

なぜ、戦争と侵略を? (1)

赤木志郎 2021年3月20日

周知のように、戦前、すなわち明治、大正、昭和20年までの60年間、戦争につぐ戦争、侵略につぐ侵略の軍国主義の時代だった。

戦争については、それを描いた映画、小説、歴史書などで「戦時の興奮」を再現させたりするものと、終戦の日に多い戦争体験者の投書や書籍など「戦争の悲惨さ」を訴えるものがある。また、「戦争の経過」だけを記述した歴史書も多い。これらと異なり、「戦争の原因と教訓」を明らかにしようという書があまりない。

戦争と侵略の原因と教訓を明らかにしようとするのは、国と私たちの未来のために不可欠だからだ。原因を正しく解明し教訓をえてこそ、真の意味での平和国家を創っていくことができる。かつての戦争の悲惨さを嘆くだけでは、歳月とともに戦争の記憶が次第に風化させられていき、進歩と発展が何もないではなかろうか。

戦前の歴史を見ると、明治8年朝鮮の江華島を砲撃し日朝修交条規という不平等条約を強要したことから始まって、朝鮮の植民地化のために甲午農民戦争鎮圧、日清戦争、日ロ戦争。さらに第1次大戦のどさくさにまぎれた中国の青島占領と太平洋諸島のドイツ領占領、8年間のシベリア出兵、中国東北部を得るための満州事変、そして、廬溝橋事件と日中戦争の全面化、ソ連蒙古軍と衝突したノモハン事件、さらに対米戦争と東南アジア諸国植民地化、太平洋諸島の占領と突き進んだ。その結果、三百数十万人の戦没者と全国の焦土化、および千八百万人にも及ぶアジア諸国の犠牲者を出し、敗戦を迎えた。

なぜ、日本が広大な東アジア全域を占領しようとする戦争をひき起こしたのだろうか。

このことについて、「植民地にならず独立を維持するためには富国強兵によるしかなかった」「日本が自己の勢力圏を確立したからアジアで唯一、独立を維持し、経済発展も遂げることができた」「時代が、帝国主義列強が植民地を奪い合うのが当たり前の時代だった」とし、だから、「仕方がなかった」という見方がある。

それでは、アジア諸国を侵略したのは仕方がなかったということになり、侵略にたいする反省も生まれないし、教訓を得ることもできない。アジア諸国からの「侵略の反省と謝罪を」という声に聞き入れることは日本を悪者とする「自虐史観」になるとし、強く拒絶する。こうして、靖国神社参拝がおこなわれ、南京虐殺はなかった、従軍慰安婦は売春婦だったなどの発言が自民党、維新政治家から繰り返される。

「アジア諸国を侵略したのは仕方がなかった」という考え方の間違いを克服しないかぎり、民族史に教訓を得られず、日本のほんとうの誇りを取り戻せないし、正しい国の在り方にすることもできず、戦後、日本を米国の侵略基地にしたのを許し、今日にいたっては米国の手先となって再びアジア諸国を敵視し戦争に突入しかねない。

それゆえ、近代化と軍国化、戦争の目的、欧米との関係など幾つかの問題を検討し、戦前の日本の侵略と戦争の根本原因を探っていきたい。

3.11東日本大震災10年を迎えながら、怒りと憂慮を禁じ得ません

若林佐喜子 2021年3月20日

10年前の3月11日、事務所の衛星テレビに、押し寄せる大津波に車や家々が流されていく画面が映し出される。一体、日本で何が起きているのか? さらに、福島原発で爆発音が生じて白煙が立ちのぼり、緊張感が伝わって来る。ある通信社は「痛みも、悲しみもその大きさは計りしれない。でも、負けるわけにはいかない。」と、かつて経験したことがない厳しい状況、困難に必死に立ち向かおうとする日本の人々の思いを伝えていた。あれから10年・・。

大地震、津波、原発事故という三重苦により19747人の方が尊い命を失い、未だ行方不明者が2556人。ご遺族の皆様に心より哀悼の意を表します。

今なお、避難生活者が4万人、福島の一部地域は未だ帰宅困難区域。世界に例を見ない原発3機のメルトダウン事故、廃炉の対応、汚染水の対策は全く先が見えない状況です。

3・11に発令された原子力緊急事態宣言は今も解除されていない。帰宅困難区域のある方は、「一〇年は節目でもなんでもない。福島の現実を忘れないで欲しい」と訴えています。

菅政権は、震災を風化させてはならいと言いながら、やっていることは被災地の人々の思いを踏みにじることばかりです。

地元の漁業主や市議会が反対しているにもかかわらず、汚染水の海洋放出の機会をねらっています。特に、憂慮を禁じ得ないのは、菅政権の脱炭素化宣言をてこに国内で原発復権を目ざす動きが強まっていることです。

菅首相は、昨年の所信表明演説で、2050年カーボンニュートラル、脱炭素化社会の実現を宣言し、安全最優先で原子力エネルギー政策を進めることを表明。南海トラフ地震をはじめ大きな地震がいつおきても不思議でないと言われている日本で、「安全な原発」を一体、誰が保障し、誰が信じるというのでしょうか? 国民の8割は脱原発を望み、9割の人が危機感を持っていると言われています。

人々の生命と暮らし、安心、安全を守るのが国の責任と役割、政治の使命のはずです。

「復興五輪」で、フクシマ事故をなかったことにと目論んできた安倍・菅自民党政権ですが、現実は、コロナ禍対応の誤りとともに、その目論見は破綻を免れないようです。

3.11の日に、山本太郎代表・れいわ新選組は、原発即時廃止と同時に自然エネルギー発電を飛躍的に普及させるための国としての積極的な財政出動など盛り込んだ「あの日から10年」の談話を発表。「原発ゼロ、自然エネルギー推進連盟」主催でのコラボ企画、「原発事故から10年、エネルギーの未来を決めるのは誰か」など、様々な催しものが行われ、若者の参加、発言もありました。脱原発は押しとどめることのできない時代の流れ、人々の要求になっていると実感せずにはいられませんでした。そうであればあるほど、菅政権の脱炭素化を口実にしての原発推進の動きに心からの怒りと憂慮を禁じ得ません。

バイデン政権の正体

小西隆裕 2021年3月5日

「脱トランプ」を標榜するバイデン新政権の外交戦略で目立つのは、「国際協調」とともに「米中新冷戦」だ。

トランプ政権の継承であるこの「米中新冷戦」への執着が凄まじい。「アジア版NATO」であるクアッド構想や「クリーンネットワーク計画」など、中国を包囲、排除する作戦が展開され、米国に付くのか中国に付くのか、二者択一の選択を各国に迫る一方、「ウィグル」「香港」など人権問題、「ワクチン覇権」「電池覇権」など覇権問題、等々、中国敵視の宣伝攻勢が世界的範囲で繰り広げられている。

これは、「国際協調」とは裏腹の世界の「分断」であり、バイデン政権の言う「国際協調」とは親米派ブロック内での「協調」であり、「同盟」であるに過ぎない。

「協調」ではなく「分断」を追求するバイデン政権は、「トランプ」からの脱却ではなく「トランプ」の継承を追求する政権であり、世界の平和と友好ではなく、米覇権の建て直しのためでっち上げられた政権だと言うしかないと思う。

何故、国産ワクチンが出来ないのか、やろうとしないのか

魚本公博 2021年3月5日

日本でもワクチン接種が始まった。そこで起きている問題は、ワクチンが確保されていなこと。そのため、全国民への接種開始は6,7月にずれ込むなど、予定が大幅に遅れることが懸念される事態に。

そこで思うのは国産ワクチン。それがあれば、こんなことにはならない筈。国産ワクチン開発については、以前から疑問をもっていた。どの国も国家の緊急かつ重大事として取り組んでいるのに、日本は最初から米国のファイザーや英国のアストラゼネカなど外国産のワクチンを如何に確保するかばかり言って国産についてはほとんど言及されなかった。

元来、日本はワクチン先進国。これまで多くの優秀なワクチンを開発してきた。その日本が今や新型コロナ・ワクチンでは「周回遅れ」と言われる状況なのだ。

何故こうなってしまったのか。専門家が指摘するのは、ワクチン開発を「市場メカニズム」に任せていることにあると言う。すなわち,民間企業に任せる(民営化)、そうなれば儲からないことはやらないとなり、開発は遅れて当然だと。

そして言う。今回のような新型コロナ、更には、今後も確実に予想される新型ウィルスの脅威に対処するためには、「市場メカニズム」では不可能であり、「市場メカニズム」から訣別し国家的な体制を立てる必要性があると。すなわち、国がワクチン開発の戦略的方向を明示し、国家資金を投入し、生産されたワクチンを買い取り備蓄するなどの国家的対策が不可欠だと。

「市場メカニズム」とは、全てを市場(企業)に任せるという新自由主義。そして、これは国の役割を軽視・否定するグローバリズムを同伴する。国単位で考えるのではなくグローバルな視点で考える。すなわち「外」依存で「内」軽視の考え方。かくて日本は外国産ワクチン第一で、国産は二の次になっている。

ワクチン問題は、その是非を突きつけている。「外」に依存するのではなく、「内」なる国民の生命と生活を守る。それが国の役割であり、国が責任をもって「内」なる力を発揮させる、そうした国作りをしなければならないのではないかと。

先生の悩み相談室

森順子 2021年3月5日

「先生の相談室」という公立中学教員の悩み相談に答える記事を新聞で見ました。

Q、「新しい指導要綱が実施されるが新課程の指導法をどうやって身につけ対応すればよいのでしょうか」

A、「一つは自分自身が進んで勉強することが必要、二つ目は経験を聞いたり教員同士で検討したりして授業改善し指導法を高めていくことが大切です」

今回の指導要綱は、これまでのようにただ暗記させテストに備えるような授業から「主体

的、対話的で深い学び」の視点での授業が求められるので、教員の指導力や実力もより問

われこのような悩みを抱えている先生は多いようです。

この相談は、決して単なる一個人の先生の悩み相談ではなく、新しい教育の形が求められ

る日本の教育のあり方としてあると思います。ですが、国や教育機関、行政や学校では、

現場の先生の疑問や問題の解決に対応していく対策があるのでしょうか。なぜなら一般新

聞に相談したこと自体、先生たちの行き場がない現実を示しているように思うからです。

そして、教育関係者の答は自分で学ぶことが必要だということ。すなわち、自助努力、自

己責任で頑張りなさいということですが、こういう回答をしている限り悩みを抱える先生

は増えていくのではないでしょうか。

このように今、自分の指導力の不足に悩む教員だけではなく、長時間労働、父兄との関係、

孤立した環境などで、心の病をかかえ、休職や職場を離れる教員も多いと言います。

教員の人気がなくブラック職場とまで呼ばれるようになった要因は、「教員は崇高な使命を

もつ」この美辞麗句で政府が教員を縛り、自己責任だけを強いてきた結果だと思います。

そのため、教員としてのやりがいをもてず、教員として大切にされない教育環境に置かれ

ているのが先生たちの現状です。しかし、相談者のように悩みながらも頑張ろうとする先

生がいるから日本の教育は、それでも成り立っているのだとも思います。

教育の実践者である教員が、その役割を果たすことができないなら、教員自身の質も、生

徒の実力も、教育自体の質も落ち、しまいには、国の未来や発展さえも望めないようにな

る深刻なことだと言えます。

何よりも、教員が崇高な使命をもって、その役割を果たせるようにすることが、国家が一

番に行うことだと思います。そのためには教員の役割を重視し高める対策と教育環境を改

善し整え保障することだと思います。また、「教員軽視は教育軽視」という観点が必要です。

日本では、先生たちの不祥事問題が取り上げられますが、教員という職業は重視すべきで

あり、尊重し対応する風潮を社会的につくっていくことは、国と社会にとって、とても重

要なことだと思います。

*アジアの内の日本の過去の投稿は
http://www.yodogo-nihonjinmura.com/gigironron/
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