アジアの内の日本

「宮崎にF35B飛行隊新設」、「小型空母化護衛艦と一体運用」に隠された意味

若林盛亮 2021年4月20日

読売新聞(4/4)第一面トップに「F35B、宮崎に配備へ」という大きな見出しの記事が出た。

記事の内容は、最新鋭のF35B戦闘機18機が航空自衛隊の宮崎県新田原(にゅうたばる)基地に新しく配備され、これに伴い空自の一個飛行隊が編成されるという内容だ。

これだけを見て、空自の戦闘機配備がなぜ一面トップ記事になり、それが何を意味するのか一般にはわかりにくい。

小見出しには「垂直着陸機-離島防衛強化」そして「小型空母化護衛艦と一体運用」とあるが、まさにここにこの意味を解くキーワードがある。

F35B戦闘機は「垂直着陸機」、正確に言うと短距離離陸・垂直着陸のステルス型(敵のレーダーに捉えられない)戦闘機だ。俗に第5世代戦闘機と言われる最新鋭機、離陸距離が短くヘリコプターのように垂直着陸ができ、大型空母の必要はない。

ゆえに空自に新設のF35B飛行隊、それは「小型空母化護衛艦と一体運用」の飛行隊となる。

ついでに言えば「小型空母化護衛艦」とは海自保有の「いずも型」護衛艦を改修した小型空母化を指す。対潜水艦哨戒ヘリコプター14機積載用の同型護衛艦を改修してF35B戦闘機10機が搭載できるようにするというものだ。現在、「いずも」型の護衛艦「かが」にジェット機の噴出する高熱に耐えられるよう従来の対潜ヘリコプター用飛行甲板の改修などを施ほどこし「小型空母化」されることになっている(安倍政権時の防衛大綱改定、中期防衛整備計画で決定)。

注目すべきことは、元来、F35B戦闘機は米海兵隊専用の戦闘機、つまり敵国侵攻の先兵となる部隊用のもので、F35B搭載用の小型空母は海兵隊仕様のものとして米国では「強襲揚陸艦」と称され、その名の通り艦内には上陸用装甲車など海兵隊装備を積載できる攻撃用艦船(護衛艦ではない)だということだ。この強襲揚陸艦搭載のF35B戦闘機は海兵隊上陸地点の敵国の防御拠点をたたくもの、敵国侵攻(侵略)時、海兵隊の露払いとなる戦闘機だ。

つまり日本の自衛隊に米海兵隊同様のF35B飛行隊と小型空母が誕生するということだ。これに先月述べた日本版海兵隊、陸自・水陸機動団を加えれば、敵国侵攻用の攻撃部隊、「戦争のできる軍隊」に自衛隊が作り変えられるということ、これが一面トップ記事の裏に隠された意味だ。

もちろん現在の憲法9条下、専守防衛の日本では攻撃用部隊は持てない、だから尖閣など島(とう)嶼しょ地域の「離島防衛」などと「あくまで防衛」という口実をこじつけている。

F35B戦闘機搭載艦船ならジェット燃料タンクや空対地ミサイルなどの武器格納庫が必要で「対潜ヘリ護衛艦の小型空母化」は軍事技術的には不合理、その使用目的からして米海兵隊のように飛行甲板付きの強襲揚陸艦の建造が筋だと防衛専門家は言っている。にもかかわらずその筋違いの不合理をなぜやるのか? それは憲法9条の建前上、あくまで攻撃的な強襲揚陸艦ではなく「専守防衛の護衛艦ですよ」という形式主義をあえてとらざるをえないからだ。

重要なことは、米国の要請を受けて「抑止力強化(攻撃力強化)」と菅首相が所信表明演説で述べたことが国民的議論もなしに着々と実現に移されているということだ。

さらに言えば、これまでの自衛隊は「盾(たて)(防御)」、米軍は「矛(ほこ)(攻撃)」としてきた役割分担の境界線がなくなり、自衛隊が米軍と一体の「矛」になることを意味する。それは自衛隊が米軍の「矛」の一部になること、完全に米軍の傭兵部隊となることに他ならない。

以上のことが、空自にF35B飛行隊新設、その「小型空母化護衛艦と一体運用」に隠された意味だと思う。

なぜ、戦争と侵略を? (2)近代化が原因か?

赤木志郎 2021年4月20日

日本が侵略と戦争の道を歩んだことが「已む得なかった」理由の一つとして、「近代化と軍国化が不可分だった」という考え方がある。

「日本が東アジアの強国となり、清韓両国がその被害者となったのは、近代化の成否によるといっても過言ではあるまい。・・・近代化に一応成功した段階で、隣国を侵略したり征服したりしようとせず、国民生活を充実すれば理想的であるが、個人でも、国家でも、成功の限界を自覚することはなかなか容易でない。」(猪木正道「軍国日本の興亡」)。

近代化した国が侵略し、近代化できなかった国が征服されたとして、近代化がすなわち他国への侵略・征服になるのか、それはおかしい。

近代化とは、科学技術の革新と発展による現代化、文明化と同義とも言え、各国がめざす究極的な発展した社会の一つの目標であり、それ自体は他国への侵略や征服とは無関係なはずだ。

他国にたいする侵略や征服は、近代化により国力が強化されたとき、国力の増大を覇権に利用したからだ。近代化により侵略と戦争が已む得なかったというのは、強大になった国が他国を支配するのが当然であり、弱小国は強国に従うようになるのは当然なことだという覇権の考え方があるからだと思う。

それゆえ、近代化それ自体が侵略と戦争の原因ではなく、強国が弱小国を支配して当然だという覇権の考え方が侵略と戦争を引き起こすといえる。とくに西洋諸国の近代化は資本主義の発展と独占に基礎した帝国主義の形成にいたり、植民地獲得を生命とし地球上の国々をことごとく植民地にしていった。

国の大小、体制のいかんを問わず、それぞれの国にとって主権がもっとも貴重な生命といえるものだと思う。主権が侵されれば、その国の意思と要求どおりに国の政治をおこなっていくことができない。したがって、国の主権を守ることがその国にとって最高の利益であり、国の主権を犯す侵略とそれに屈する従属にたいし戦うことがもっとも高い祖国愛、人民愛の表れであり、正義だと思う。

しかし、今日でも強大国が覇権を狙うのは当然のことだということが通念となっている。

米国が中国にたいし強大化したことをもって中国が覇権を狙っていると非難するのは、強大国が覇権国家として他国を支配するのが当然だという考え方の裏返しだといえる。覇権を狙っているのかどうかは、実際の行動を見るべきだろう。ウイグル族問題、香港問題、南シナ海問題、尖閣列島問題などは中国の国内問題か国境問題であり、他国に軍隊を派遣していない。それに較べて米国は、世界各国に軍事基地を置き、東アジアにインド太平洋軍を展開し、米国に従わない国には制裁を加えている。どんな理由であれ他国に制裁、軍事的圧力、内政干渉など国の自主権を侵害する覇権こそが最大の犯罪だと思う。

強国が弱小国を支配しても構わない、仕方がない、当然のことだという覇権の考え方があるから侵略と戦争があるといえる。

日本政府のコロナ禍対応こそ人権侵害

若林佐喜子 2021年4月20日

人権を巡って中国などへの非難が高まっていますが、現在、世界的な大流行コロナ禍のなかで、自国民の生命と健康、安心・安全を守ること以上のものがあるでしょうか。

先日、西浦教授(厚生労働省医学対策アドバイザーメンバー)が、感染力の強い変異種の猛威やワクチン接種の遅れ、八月末までに高齢者ワクチン接種を終えるのも無理という現状を踏まえて、東京五輪一年延期の検討を提言しました。氏は「延期に伴う費用と感染者増を天秤にかけたとき、どちらが重いかは言うまでもない」と断言し、政府にコロナ禍対応を最優先させることを訴えています。それが多くの国民の気持ち、声だと思います。

しかし、この間の安倍、菅政権の対応は、国民の命と健康、暮らしを最優先に対応するのではなく、経済活動の優先の「ウイズコロナ」です。

そのため、感染症の防疫原則、検査、隔離、治療のための対応策、打開策をしっかりとってくるのではなく、原則を緩和する方向での対応でした。医療崩壊を口実にPCR検査の抑制、高齢者と持病持ちの方を守るとしながら医療資源の集中、効率化。入院隔離原則の基準を緩めての、宿泊療養、自宅療養の奨励。感染経路や濃厚接触をたどる「積極的疫学調査」の縮小と、列挙したら切りがありせん。

この結果が、累計感染者数が53万人を超え、死亡者が9646人(18日現在)。収束のめどどころか、現在、一日4千人台の感染者、第4波を招き、専門家からは緊急事態宣言の発令を要求する声がでています。

しかし、このような状況にあっても、菅首相の思考の最優先は、「東京五輪」の開催です。安倍政権下で1回目の緊急事態宣言の発令が遅れたのも「五輪」。今年に入り、国民の多くが心配するなかで、2回目緊急事態宣言の早期解除も、3月25日の聖火リレー出発式のため。菅首相は私的な思惑から「東日本大震災からの復興五輪、人類が新型コロナに打ち勝った証となる大会に」と、内外に示してきました。その「五輪」を一〇〇日前にして、三度目の緊急事態宣言だけはなんとしても避けたいというのが首相の本音。閣僚の一人は「重点措置をやって、やめての繰り返しでいい。それだったら五輪もできる」と、なんとも無責任な発言ですが、これが菅政権の実相です。憂慮をとおりこして怒りがわいてきます。

自国の国民の命と健康、安心・安全を守れず、むしろ感染拡大を増長させる人権侵害を行いながら、他国、特にコロナ禍抑えこみに成功している国々の人権問題を云々する資格は、日本政府にはないと思います。また、4月17日現在、56万人超というコロナ死亡者をだし、感染者数が3156万人の米国も同じではないでしょうか。

「覚悟」

小西隆裕 2021年4月5日

先日、麻生副総理兼財務相は、「『米ソ冷戦』のフロントライン(最前線)は欧州だった。しかし、今度(「米中新冷戦」)はアジア、日本だ」「今まで以上に目に見えるかたちで、日本の外交的地位が格段に上がった」と喜びながら、政治家の「覚悟」を促したという。

4月9日、訪米し、初の日米首脳会談に臨む菅首相を念頭に置いての言葉だと思うが、さすが失言癖のある麻生さん、今回も本音を、しかもうっかりではなく、意図的に口にしたようだ。

元来、政治とは覚悟を伴うものだ。覚悟を伴わない政治などないはずだ。

その上で問題は、何に覚悟を持つかだ。

今、日本の政治家に問われている覚悟でもっとも切実なことの一つは、麻生さんが言っているように、米国が日本をその最前線に押し立ててきている「米中新冷戦」を米国の要求に応えて担うべきか否かにあると思う。

その判断が正しいかどうか、正否を分ける基準は、当然のことながら、それが日本と日本国民にとってよいことか否か、すなわち国益に合っているか否かだ。

今、米国は、「大国間競争」「米中新冷戦」など、中国との覇権を巡る闘いを宣言しながら、香港、ウイグル、台湾、ミャンマーなど人権、強権問題を前面に押し出し、この闘いを民主主義と専制主義の闘いだと規定して、あたかも自らが民主主義の守護神であるかのように振る舞っている。

しかし、民主主義を掲げ、それを国々の上に置き、その総本山として米国が世界に覇権し君臨してきた時代はすでに終わっているのではないか。それは、人権蹂躙と強権が横行し、民主主義が踏みにじられている米国の惨状が何よりも雄弁に物語っていると思う。大統領選の不正を訴え、連邦議会を占拠したトランプ支持者たちの行動は、その象徴だと言えるのではないか。

今日、時代は、覇権国家が掲げる「理念」の下に各国が従い、それを自らの国益と考えさせられた時代ではない。それぞれの国が自国の国益を第一にし、そのために何が問われているか自分で考え自分の力で行動する時代だ。

今、日本において求められていること、それは、「米中新冷戦」の最前線に立つ「覚悟」ではない。何よりもまず、民主主義の名で米覇権のため、日本を中国との「冷戦」の矢面に立たせる米国の強要に抗し、それを拒否して闘う「覚悟」こそが求められているのではないだろうか。

「東日本大震災から10年」が問う、人、地方、国のあり方

魚本公博 2021年4月5日

東日本大震災から10年経った。その現状は「縮む沿岸部、膨らむ仙台」「仙台圏の一人勝ち」。仙台はタワーマンションの建設ラッシュ、大型商業施設が次々オープンするなど「ヒト・モノ・カネ」を飲み込んで膨張する反面、それ以外の地域は深刻な人口減や将来の消滅可能性に直面していると新聞は伝える。

政府は、これまで人口減、地方衰退を背景に「全ての地方は救えない」として、有力な都市に「ヒト・モノ・カネ」を集中する政策を採ってきた。「仙台の一人勝ち、他の衰退」もその結果である。

こうした地方政策に反対してきた論者に山下祐介氏(首都圏大学東京准教授)がいる。彼は、「ヒト・モノ・カネ」を集中するやり方は、新自由主義による「選択と集中」の考え方に基づくとしながら、地方は互いに有機的に結びついているのであり、弱い地域だからと言って、これを切り捨てるようなことをすれば、結局、地方全体が衰退し、国全体も衰退するしかないと見る。東北の事例で言えば、「仙台の一人勝ち」と他の地域の衰退は東北全体を衰退させ、それは東京に及び、ついには日本全体を衰退させるということだ。

そこから氏は「見捨ててよい地方・地域などない」として「多様なものの共生」による地方政策を説いてきた。

私も大いに触発されたが、新自由主義改革の流れの中で氏の主張はこれまで「孤軍奮闘」の感があった。こうした中、最近注目される人物が登場。その名はオードリー・タン。若干36歳にして台湾のIT担当相。デジタル技術を駆使して「コロナ封じ込め」に成功し世界的な脚光を浴びるデジタル界の英才。

タン氏はデジタル化において「一人も置き去りにしない」ことをモットーに「多様な人々が公共の決定に参加して衆知を集める」ことを重視する。デジタル化は、多くの人、その日々刻々と変化する膨大なビッグデータによって成り立つのであり人々との連携が多ければ多いほど効果を発揮するからであり、そのために「競争原理を捨てて公共の価値を生み出す」ことを求める。

「一人も置き去りにしない」「どんな地方・地域も見捨てない」。タン氏と山下氏の考え方には共通するものがある。孤軍奮闘の感あった山下氏の主張であるが、東日本大震災10年目の「仙台圏の一人勝ちと他の衰退」という現状。そしてデジタル化の進展は、「見捨てる」ことの間違いを如実に示している。

「一人も置き去りにしない」「どんな地方・地域も見捨てない」。どんな人にも価値がある、どんな地方にも価値がある。それを如何に結びつけるか。人と人のあり方、地方のあり方だけでなく、それを含めたトータルな国のあり方。連携・共同・共生を如何に深めるか。それが問われる時代なのだと思う。

千人計画に参加する日本の研究者への対応

森順子 2021年4月5日

「千人計画」を知っていますか。

「千人計画」は、科学技術強国を目指す中国が08年から実施されており、外国で活躍する研究者を国籍を問わず集める国家プロジェクトです。

日本政府は、千人計画に参加している日本の研究者44人に対して「研究者が資金をどこからもらい、何を研究しているのかについて説明責任を果たし研究を透明化していく」ということで資金源の開示義務を求めました。

まず、言いたいのは今はグローバルな時代、どこで誰が研究しようと自由なはずです。しかし、違法行為や情報の虚偽などは、言うまでもなく許されることではありません。

そのうえで、政府は、「海外への技術流出によって国益に反する事態が起きることを防ぐため」と言い、中国の千人計画の不透明な資金提供で日本の先端技術が盗まれかねない、また、千人計画の監視、規制を強化する米国に足並みをそろえる形で資金状況の開示をルール化したわけです。あたかも日本人研究者が不正を行うかのように「確信犯で悪いことをする人は、ウソを言うかもしれないが」とまで発言する科学技術相。そして、言われるままに米国についていく政府。米国だけを信じ、自国の研究者に対する疑いと不信から出発したこういうやり方が、果たして日本の国益と科学技術の発展になるのでしょうか。日本人として恥ずかしいことだと感じます。

何よりも、なぜ、優秀な日本人研究者が中国へ行くのかです。それは、中国の研究水準が上がっていることが大きいからです。

千人計画に参加している研究者は、「日本の研究者は少ない研究費の奪い合いで汲々としており、大学に残る人は減って、結果として日本の科学技術力が低下している」「研究職は中国の若い人にとって魅力的な職業だが、日本ではいつクビを切られるか分からないハイリスクな職業になっている」と、指摘しています。この事実は、政府が、科学技術発展のために重要な役割を果たすだけでなく日本の国益にも寄与できる人材である日本の研究者を追い出したのも同然であるということです。政府が米国について行こうが、日本の研究者を一律に叩いたとしても、自国の研究者を大切にしない日本政府であるなら、日本の科学技術研究の基盤の危機は解決できないと思います。

千人計画には、米国や欧州を中心に7千人を超える研究者が参加しています。日本が中国や米国のように、科学技術先進国を目指して出発するには、自国の研究者育成と職場の確保や研究環境の根本的改善が必須です。世界からも優秀な人材を招きたければ、やはり他国より見劣りする研究者の待遇の改善が先決であり、このような状況を作り出してこそ、千人計画に参加する日本の研究者も呼び戻すことができるのではないでしょうか。

新設「水陸機動団」、それは「9条平和国家」のあり方を変える部隊

若林盛亮 2021年3月20日

BS-NHKで「離島防衛のリアル」と題する陸自「水陸機動団」の1年間の猛訓練ぶりを放映。その「リアル」を伝える映像、それは「現実を直視しましょう」との視聴者、国民へのメッセージだった。

水陸機動団という日本式「名称」の部隊、これを米国では「海兵隊」と呼ぶ。一旦有事には真っ先に上陸侵攻する侵略の尖兵、戦時の「精鋭部隊」だ。

2018年初頭に新設され、長崎の佐世保基地を拠点にし、全国から選りすぐりの身体能力、「精神力」共に最精鋭3,000人、2個連隊が配属されている。

この番組最後のクライマックスは、米ロサンゼルス南に位置する海岸、上陸作戦訓練可能な演習場での米海兵隊との合同演習、これを陸自水陸機動団400名の部隊が行う場面。「この戦闘で死者、負傷者は何名である」までを数えあげる実戦さながらの演習場面、「戦場」をNHKは生々しい映像で流した。

このような水陸機動団=「海兵隊」を持ったのだという「日本の現実」をNHKは伝えた。これはいったい何を意味するのだろうか?

それは日本も敵攻撃を専門とする人的武力を持ったのだという事実、すなわち「専守防衛」、攻撃武力は持たないと規定した憲法9条とは相容れない事実、実質的改憲を先取りした武力がすでに存在するという「現実」を伝えたかったのではないか? 

もちろん日本政府は「陸自水陸機動団は尖閣諸島など『島嶼とうしょ防衛』部隊、だから『専守防衛』を任務とする部隊である」と説明することで、決して「違憲」部隊ではないと国民の目を欺いている。

一言でいって日本にも「海兵隊」がつくられたのだ。今日の安保法制によれば、現時点でも日本の陸自水陸機動団は米海兵隊の補助部隊ともなり、ひいては海兵隊の代役をさせられることになる。これは集団的自衛権行使が容認された結果だ。事はここに留まらない。

番組の最後をNHKはこんな言葉で締めくくった。「責任を現場に押しつけてはいけない」! 

これはどのようなメッセージなのだろう?

現在の自衛隊の武器使用は正当防衛時のみ、自分が撃たれる危険がある場合にのみ可能と定められている。憲法9条「専守防衛」だから先に手を出せない、正当防衛か否か、武器使用いかんは現場の指揮官の判断に任せることになっている。これは現場の指揮官にはかなりの重圧となる。

「現場に責任を押しつけてはいけない」とは、この現状は見直されるべきだというメッセージ。「現状の見直し」、それは「専守防衛」の足かせをとれということ、だから9条改憲で交戦能力、戦争能力保有を合法化すべきではないのか? これがNHK「水陸機動団」番組に隠された視聴者へのメッセージだ。

陸自水陸機動団保有、それは戦後日本の「9条平和国家」、いちおう形の上では日本は「戦争をやらない国」という建前、この国の形そのものを変えてしまうものだと思う。

なぜ、戦争と侵略を? (1)

赤木志郎 2021年3月20日

周知のように、戦前、すなわち明治、大正、昭和20年までの60年間、戦争につぐ戦争、侵略につぐ侵略の軍国主義の時代だった。

戦争については、それを描いた映画、小説、歴史書などで「戦時の興奮」を再現させたりするものと、終戦の日に多い戦争体験者の投書や書籍など「戦争の悲惨さ」を訴えるものがある。また、「戦争の経過」だけを記述した歴史書も多い。これらと異なり、「戦争の原因と教訓」を明らかにしようという書があまりない。

戦争と侵略の原因と教訓を明らかにしようとするのは、国と私たちの未来のために不可欠だからだ。原因を正しく解明し教訓をえてこそ、真の意味での平和国家を創っていくことができる。かつての戦争の悲惨さを嘆くだけでは、歳月とともに戦争の記憶が次第に風化させられていき、進歩と発展が何もないではなかろうか。

戦前の歴史を見ると、明治8年朝鮮の江華島を砲撃し日朝修交条規という不平等条約を強要したことから始まって、朝鮮の植民地化のために甲午農民戦争鎮圧、日清戦争、日ロ戦争。さらに第1次大戦のどさくさにまぎれた中国の青島占領と太平洋諸島のドイツ領占領、8年間のシベリア出兵、中国東北部を得るための満州事変、そして、廬溝橋事件と日中戦争の全面化、ソ連蒙古軍と衝突したノモハン事件、さらに対米戦争と東南アジア諸国植民地化、太平洋諸島の占領と突き進んだ。その結果、三百数十万人の戦没者と全国の焦土化、および千八百万人にも及ぶアジア諸国の犠牲者を出し、敗戦を迎えた。

なぜ、日本が広大な東アジア全域を占領しようとする戦争をひき起こしたのだろうか。

このことについて、「植民地にならず独立を維持するためには富国強兵によるしかなかった」「日本が自己の勢力圏を確立したからアジアで唯一、独立を維持し、経済発展も遂げることができた」「時代が、帝国主義列強が植民地を奪い合うのが当たり前の時代だった」とし、だから、「仕方がなかった」という見方がある。

それでは、アジア諸国を侵略したのは仕方がなかったということになり、侵略にたいする反省も生まれないし、教訓を得ることもできない。アジア諸国からの「侵略の反省と謝罪を」という声に聞き入れることは日本を悪者とする「自虐史観」になるとし、強く拒絶する。こうして、靖国神社参拝がおこなわれ、南京虐殺はなかった、従軍慰安婦は売春婦だったなどの発言が自民党、維新政治家から繰り返される。

「アジア諸国を侵略したのは仕方がなかった」という考え方の間違いを克服しないかぎり、民族史に教訓を得られず、日本のほんとうの誇りを取り戻せないし、正しい国の在り方にすることもできず、戦後、日本を米国の侵略基地にしたのを許し、今日にいたっては米国の手先となって再びアジア諸国を敵視し戦争に突入しかねない。

それゆえ、近代化と軍国化、戦争の目的、欧米との関係など幾つかの問題を検討し、戦前の日本の侵略と戦争の根本原因を探っていきたい。

3.11東日本大震災10年を迎えながら、怒りと憂慮を禁じ得ません

若林佐喜子 2021年3月20日

10年前の3月11日、事務所の衛星テレビに、押し寄せる大津波に車や家々が流されていく画面が映し出される。一体、日本で何が起きているのか? さらに、福島原発で爆発音が生じて白煙が立ちのぼり、緊張感が伝わって来る。ある通信社は「痛みも、悲しみもその大きさは計りしれない。でも、負けるわけにはいかない。」と、かつて経験したことがない厳しい状況、困難に必死に立ち向かおうとする日本の人々の思いを伝えていた。あれから10年・・。

大地震、津波、原発事故という三重苦により19747人の方が尊い命を失い、未だ行方不明者が2556人。ご遺族の皆様に心より哀悼の意を表します。

今なお、避難生活者が4万人、福島の一部地域は未だ帰宅困難区域。世界に例を見ない原発3機のメルトダウン事故、廃炉の対応、汚染水の対策は全く先が見えない状況です。

3・11に発令された原子力緊急事態宣言は今も解除されていない。帰宅困難区域のある方は、「一〇年は節目でもなんでもない。福島の現実を忘れないで欲しい」と訴えています。

菅政権は、震災を風化させてはならいと言いながら、やっていることは被災地の人々の思いを踏みにじることばかりです。

地元の漁業主や市議会が反対しているにもかかわらず、汚染水の海洋放出の機会をねらっています。特に、憂慮を禁じ得ないのは、菅政権の脱炭素化宣言をてこに国内で原発復権を目ざす動きが強まっていることです。

菅首相は、昨年の所信表明演説で、2050年カーボンニュートラル、脱炭素化社会の実現を宣言し、安全最優先で原子力エネルギー政策を進めることを表明。南海トラフ地震をはじめ大きな地震がいつおきても不思議でないと言われている日本で、「安全な原発」を一体、誰が保障し、誰が信じるというのでしょうか? 国民の8割は脱原発を望み、9割の人が危機感を持っていると言われています。

人々の生命と暮らし、安心、安全を守るのが国の責任と役割、政治の使命のはずです。

「復興五輪」で、フクシマ事故をなかったことにと目論んできた安倍・菅自民党政権ですが、現実は、コロナ禍対応の誤りとともに、その目論見は破綻を免れないようです。

3.11の日に、山本太郎代表・れいわ新選組は、原発即時廃止と同時に自然エネルギー発電を飛躍的に普及させるための国としての積極的な財政出動など盛り込んだ「あの日から10年」の談話を発表。「原発ゼロ、自然エネルギー推進連盟」主催でのコラボ企画、「原発事故から10年、エネルギーの未来を決めるのは誰か」など、様々な催しものが行われ、若者の参加、発言もありました。脱原発は押しとどめることのできない時代の流れ、人々の要求になっていると実感せずにはいられませんでした。そうであればあるほど、菅政権の脱炭素化を口実にしての原発推進の動きに心からの怒りと憂慮を禁じ得ません。

バイデン政権の正体

小西隆裕 2021年3月5日

「脱トランプ」を標榜するバイデン新政権の外交戦略で目立つのは、「国際協調」とともに「米中新冷戦」だ。

トランプ政権の継承であるこの「米中新冷戦」への執着が凄まじい。「アジア版NATO」であるクアッド構想や「クリーンネットワーク計画」など、中国を包囲、排除する作戦が展開され、米国に付くのか中国に付くのか、二者択一の選択を各国に迫る一方、「ウィグル」「香港」など人権問題、「ワクチン覇権」「電池覇権」など覇権問題、等々、中国敵視の宣伝攻勢が世界的範囲で繰り広げられている。

これは、「国際協調」とは裏腹の世界の「分断」であり、バイデン政権の言う「国際協調」とは親米派ブロック内での「協調」であり、「同盟」であるに過ぎない。

「協調」ではなく「分断」を追求するバイデン政権は、「トランプ」からの脱却ではなく「トランプ」の継承を追求する政権であり、世界の平和と友好ではなく、米覇権の建て直しのためでっち上げられた政権だと言うしかないと思う。

何故、国産ワクチンが出来ないのか、やろうとしないのか

魚本公博 2021年3月5日

日本でもワクチン接種が始まった。そこで起きている問題は、ワクチンが確保されていなこと。そのため、全国民への接種開始は6,7月にずれ込むなど、予定が大幅に遅れることが懸念される事態に。

そこで思うのは国産ワクチン。それがあれば、こんなことにはならない筈。国産ワクチン開発については、以前から疑問をもっていた。どの国も国家の緊急かつ重大事として取り組んでいるのに、日本は最初から米国のファイザーや英国のアストラゼネカなど外国産のワクチンを如何に確保するかばかり言って国産についてはほとんど言及されなかった。

元来、日本はワクチン先進国。これまで多くの優秀なワクチンを開発してきた。その日本が今や新型コロナ・ワクチンでは「周回遅れ」と言われる状況なのだ。

何故こうなってしまったのか。専門家が指摘するのは、ワクチン開発を「市場メカニズム」に任せていることにあると言う。すなわち,民間企業に任せる(民営化)、そうなれば儲からないことはやらないとなり、開発は遅れて当然だと。

そして言う。今回のような新型コロナ、更には、今後も確実に予想される新型ウィルスの脅威に対処するためには、「市場メカニズム」では不可能であり、「市場メカニズム」から訣別し国家的な体制を立てる必要性があると。すなわち、国がワクチン開発の戦略的方向を明示し、国家資金を投入し、生産されたワクチンを買い取り備蓄するなどの国家的対策が不可欠だと。

「市場メカニズム」とは、全てを市場(企業)に任せるという新自由主義。そして、これは国の役割を軽視・否定するグローバリズムを同伴する。国単位で考えるのではなくグローバルな視点で考える。すなわち「外」依存で「内」軽視の考え方。かくて日本は外国産ワクチン第一で、国産は二の次になっている。

ワクチン問題は、その是非を突きつけている。「外」に依存するのではなく、「内」なる国民の生命と生活を守る。それが国の役割であり、国が責任をもって「内」なる力を発揮させる、そうした国作りをしなければならないのではないかと。

先生の悩み相談室

森順子 2021年3月5日

「先生の相談室」という公立中学教員の悩み相談に答える記事を新聞で見ました。

Q、「新しい指導要綱が実施されるが新課程の指導法をどうやって身につけ対応すればよいのでしょうか」

A、「一つは自分自身が進んで勉強することが必要、二つ目は経験を聞いたり教員同士で検討したりして授業改善し指導法を高めていくことが大切です」

今回の指導要綱は、これまでのようにただ暗記させテストに備えるような授業から「主体

的、対話的で深い学び」の視点での授業が求められるので、教員の指導力や実力もより問

われこのような悩みを抱えている先生は多いようです。

この相談は、決して単なる一個人の先生の悩み相談ではなく、新しい教育の形が求められ

る日本の教育のあり方としてあると思います。ですが、国や教育機関、行政や学校では、

現場の先生の疑問や問題の解決に対応していく対策があるのでしょうか。なぜなら一般新

聞に相談したこと自体、先生たちの行き場がない現実を示しているように思うからです。

そして、教育関係者の答は自分で学ぶことが必要だということ。すなわち、自助努力、自

己責任で頑張りなさいということですが、こういう回答をしている限り悩みを抱える先生

は増えていくのではないでしょうか。

このように今、自分の指導力の不足に悩む教員だけではなく、長時間労働、父兄との関係、

孤立した環境などで、心の病をかかえ、休職や職場を離れる教員も多いと言います。

教員の人気がなくブラック職場とまで呼ばれるようになった要因は、「教員は崇高な使命を

もつ」この美辞麗句で政府が教員を縛り、自己責任だけを強いてきた結果だと思います。

そのため、教員としてのやりがいをもてず、教員として大切にされない教育環境に置かれ

ているのが先生たちの現状です。しかし、相談者のように悩みながらも頑張ろうとする先

生がいるから日本の教育は、それでも成り立っているのだとも思います。

教育の実践者である教員が、その役割を果たすことができないなら、教員自身の質も、生

徒の実力も、教育自体の質も落ち、しまいには、国の未来や発展さえも望めないようにな

る深刻なことだと言えます。

何よりも、教員が崇高な使命をもって、その役割を果たせるようにすることが、国家が一

番に行うことだと思います。そのためには教員の役割を重視し高める対策と教育環境を改

善し整え保障することだと思います。また、「教員軽視は教育軽視」という観点が必要です。

日本では、先生たちの不祥事問題が取り上げられますが、教員という職業は重視すべきで

あり、尊重し対応する風潮を社会的につくっていくことは、国と社会にとって、とても重

要なことだと思います。

*アジアの内の日本の過去の投稿は
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