あなたの一言

無題

K・T

「・・菅総理は、1月27日の参院予算委員会で、新型コロナ・ウイルス対策として国民一律に現金を配ると特別定額給付金について「再び支給することは考えていない」と発言しています。また、立憲民主党・石橋通宏議員が、新型コロナ・ウィルスの影響を受けた生活困窮者への対策をめぐって、「収入を失って路頭に迷う方々が多数にのぼっています。命を落とされた方が多数にのぼっています。政府の政策は届いているのでしょうか」と質問。すると菅首相は、「例えば大事なのは、私は雇用と暮らしだと思っていました。やはり雇用を守り、暮らしをしっかり支えていく」と回答。さらに、「政府には最終的には生活保護という仕組みも、そうしたセーフティーネットを作っていくのが大事」と発言しました。もはや、呆れて物が言えません。本来、生活保護とは、最終手段であって、新型コロナによる経済的な困窮を支援する制度ではないはず。そうした基本的なことも理解できていない人が、国の方針を語ることに恐怖すら感じます。この発言に対して、各方面から批判の声があがっていますが、菅総理には届いていないことでしょう。国民の声が聞こえていれば、こうした発言ができるはずがありません。

菅総理は、自民党総裁に選ばれた際、「私が目指す社会像。それは自助、共助、公助、そして『絆』であります」と言っていました。つまり、政府は、自助、共助、公助は同列ではなく、まずは自分で何とかして、それでもダメなら周りに助けてもらって、最後に行政に助けてもらう。ということなんでしょう。ですが、そうした状態に陥らないように事前にサポートすることが、行政の役割だと個人的には思っていましたが、菅総理が考える行政では、そうなっていないようです。

こんな状況なので、自由に食事に行ったりするのは、当分先になりそうです。政府のお世話にならないように(笑)、気を付けたいと思います。・・」
(2021年1月29日)


日本に絶望 人生に絶望

O・M

はじめまして。まずメッセージを書けることに感謝いたします。
私は54歳ですが、今の日本社会には絶望しています。
確かに北朝鮮にも功罪はあるでしょうし、日本にも功罪はあります。
コロナで終わった2020年前半、そのコロナの経緯を見ても、一つの理想としてスウェーデンのような社会を望みます。
これは、国連事務次長の中満泉さんも、同じことを言っております。
今年、スウェーデンは全く独自のコロナ対策で、世界から孤立しかけましたが、今は社会も経済も落ち着いているようです。
赤軍について語らせてもらえば、もう時効ではないかと私は思っています。みんな若い時は間違いを犯しました。法的には裁かれるかもしれませんが、道義的にはもう時効だと思っています。
ある意味では太平洋戦争と同じく『時代の空気』に流されたが故の、暴挙ではないかと考えます。太平洋戦争でも、みんな日本軍の兵士は勇敢に戦ったんです。敵をめがけてですね。
ところが日本の戦争責任、どこまで問われたか?は全く曖昧なままなんですから。
失礼をお許しください。

小西隆裕より

お便り有り難うございます。
「今の日本社会への絶望」。
貴方の言葉に今の日本社会の実相が見えてくる思いです。
しかし、「絶望」とは、重い言葉ですね。
そこには、あの太平洋戦争の「責任」とともに、私たちの闘争敗北の「責任」も込められていると思います。
それが曖昧にされたままでいるところに、「絶望」の根因があるのではないかと思います。
今、世界は激動の時代に入っていると思いますが、その中でかつての「責任」を問い、その誤りの根源を明らかにすることが問われているのではないか、そのように思います。

若林盛亮より

「日本の戦争責任、どこまで問われたか?は全く曖昧なまま」とのご指摘、その通りだと思います。
「一億総懺悔」で自らの責任を問わないまま来たのが戦後日本だと思います。それが貴方が「いまの日本社会には絶望しています」と仰る今日の日本を生み出した根元にあることだと思います。
このことと同様、私たち全共闘世代のかつての闘いも「時代の空気に流されて」式の懺悔ですませてはいけないと考えます。ベトナム反戦、反安保の闘いのように、日米安保体制下の戦後日本に「おかしい」と異議を唱え闘ったこと自体はいまも正しいと確信しています。問題はなぜあのような敗北に終わったのか、国民の支持を得られないものになったのか、このことの教訓を汲むことが大切だと思います。それは今を生きる世代に語り伝えるべきことだと考えます。
詳しくは「拉致疑惑と帰国」「追想にあらず」「1970年 端境期の時代」など私たちの手記を読んでいただければと思います。

魚本より

「絶望」の言葉は重いです。色々と想像もしますが、到底分かることなど出来ません。とりわけ日本を離れて半世紀の私たち。想像を越える現実があるのでしょうね。
最後の「日本の戦争責任、全く曖昧なまま」は鋭い指摘です。その結果としての今日の「絶望」でしょうか。失礼なことは何もありません。返って励まされました。今後ともお便りお願いします。メールを通じての「語り合い」ですが、よろしくお願いします。


帰国したいと思う理由について

Y・T

皆様の行動によって多くの方々に、取り返しのつかない、多大な迷惑がかかった訳ですが。
通常このような事をしでかしたにも関わらず、我が身可愛さで帰国を希望する事など、人として出来ないものと思います。
乗員の方々がそれぞれどの様な不利益を被ったかは把握しておられるのでしょうか?
ただのハイジャック犯がなぜ帰国したいなどと厚かましい願望を抱いているのでしょうか?
命を全うするその時まで、只管贖罪の念に駆られ、懺悔する日々を送る事こそが人としての在り方であるかと思います。
国民が求められておらず、国が求めておらず、自己陶酔してしまった貴方達が勝手に起こした、遅れた思春期の凶行の結果なのですから受け入れるべきかと思います。
ご意見をお伺い致したく。

小西より

あれは、こちらに来て30年ほど経った時のことでしょうか。乗客の一人で、私たちへの理解を示してくださっていた日野原重明先生から「(ハイジャックは)乗客の人々にとってトラウマになっているのですよ」とたしなめられました。その時はじめて、自らの罪について自覚したというのが正直なところです。
それから、遅きに失したのですが、ハイジャックについての総括を深め、「人を犠牲にする大義に大義はない」とその過ちについて改めて自覚するようになりました。
その上で、「帰国」についてですが、私たちは、これを私たち自身の闘争と位置付けています。すなわち、帰国後の「ハイジャック裁判」で、国民に対しては、ハイジャックの誤りについて謝罪するとともに、政治権力に対しては、当時の闘いの正当性を主張してあくまで闘うためであり、それにも増して、帰国に際し、「よど号」拉致問題の見直しを実現して、朝鮮敵視のためにでっち上げられたこの古い時代の遺物を解決するためです。
以上、ご理解いただけたらと念じます。

若林盛亮より

乗員、乗客の方々に多大の迷惑をおかけしたことは、お詫びの仕様がないものであると承知しています。例えば、福岡で女性、老人、病弱者を降ろすとき、「親が危篤だ、このままでは死に目に会えないから降ろしてくれ」と懇願した乗客の方を「男だからダメだ」とにべもなく拒否したことは、いま思えば冷酷だったと思います。「自分たちの“大義”のために多少の犠牲は仕方がない」という自己中心主義だったと反省しています。ここから私たちは「人を犠牲にする大義に大義はない」ということを痛切に感じています。
ご指摘のように、この未熟さを「遅れた思春期の凶行」と言われても仕方ないことだと思います。
帰国については、私たちが「亡命客」としていつまでも朝鮮当局の保護に甘えることは日本人として許されないことですし、私たちの居るべき場所は日本だから帰国すべきだと考えています。帰国後はハイジャックについては裁判を受け刑に服するつもりです。
私たちの帰国に対する考えについては、このサイトの「帰国運動」のコーナーで詳しく述べていますのでお読みいただければ幸いです。


贖罪の意思はありますか

ラムダ

ハイジャックを行ったことに対する贖罪の意思が見受けられないのですが、
罪を精算するおつもりはあるのでしょうか。
「正しい行いだったので罪の意識がない」というのであれば、日本の裁判所で判断していただければと思います。

若林盛亮より

当時のベトナム反戦、反安保の闘いは正しかったと思いますが、ハイジャックが「正しい行い」だったとは思っていません。ハイジャックについては日本で裁判を受け罪に服するつもりです。

罪を認められないのは「結婚目的誘拐罪」逮捕状に示された「日本人拉致」容疑です。これは朝鮮敵視政策から政治的に作り出された冤罪であり、日朝関係を正常なものにするためにもこれは認められません。

ここで詳細を述べることはできないので、このサイト「帰国運動」に詳しく書いていますので、そちらをご覧になってくだされば幸いです。


勇気をもらっています!

K.S

お元気ですか?
私は皆さんのツイッターやブログ等で勇気をもらっています!
仕事で落ち込んだときは特にそうです。
これからも人権重視の皆様の投稿に期待しています!

小西隆裕より

久し振りですね。
お元気で何よりです。
私たちが書いたもので勇気を得ておられるとは、有り難い限りですね。
その言葉に、私たちこそ力を得ることができます。
何か楽しいことがあった時など、どうですか、そちらの様子を知らせていただけませんか。
文通ができれば、最高ですね。

若林盛亮より

過分のお言葉に感謝、というより恐縮する次第です。
もしできることなら、「こんなところからがよい」、また「これはいただけない」とか言っていただければありがたいです。
異国にあって「仕事で落ち込む」ときがあるという葛西さんや皆さんの苦労をどれだけわかるのか自信はありません。ですからご肯定、批判さまざまなご意見をいただきたいのです。
これからもよろしくお願いします。
愚策の政府、コロナ禍拡大の中でどうか自己管理にご留意願います。

赤木より

勇気は私たちこそ貴方から得ています。
私たちの投稿が役に立てればこんな嬉しいことはありません。有り難うございます。

魚本より

「勇気をもらっています」など、長い間、日本向けに発信を続くけてきましたが初めて聞く言葉です。嬉しいこと限りなし。全く、こちらこそ勇気をもらいました。ありがとうございます。時には耳痛い言葉も掛けてください。


1972年生まれの主婦です。

よど号事件に興味があり、こちらのサイトにたどり着きました。
皆さんに質問があります。
愛読書は何ですか?
それから、日本人の良さって何だと思いますか?
好きな言葉、座右の銘などありましたら教えて下さい。
季節の変わり目ですので、お身体ご自愛下さい。

小西より

私たちがやったことに興味を持ってくださって、有り難うございます。
もしよろしかったら、どうして興味を持たれたのか教えていただけたら嬉しいですね。

愛読書というか、私にとって「目からウロコ」の本は、やはりマルクスの「資本論」でしたね。そしてこちらに来て、生きる姿勢、闘いに向き合う姿勢について教えてくれたのは、金日成主席の回顧録「世紀とともに」でした。

日本人の良さですか。私は、日本のラジオ放送を聞きながらいつも思うのですが、リスナー間に行き交う思いやりの深さですね。それとコロナ対策などに見られる皆で決めたことは守る気質の強さ。総じて、共同体的志向の深さと言うか、強さに良くも悪くも日本人らしさを感じますね。もう一つ言わせてもらえれば、聖徳太子や織田信長、徳川家康などに見られる覇権に屈しない精神にも日本人の良さを感じます。戦後、だいぶ薄れたのかも知れませんが、そうした気質、精神は誰の心にも、その奥底にあるのではないでしょうか。

好きな言葉、座右の銘ですか。どんな時にも諦めないという意味で、「禍をもって福となす」ですね。
いつかお会いして、楽しく歓談したいですね。

若林盛亮より

私たちのことを気にかけて頂きありがとうございます。

本に関してふだんは「アジアの内の日本を考える」うえで必要な資料、書籍を読んでいます。

そのうえで愛読書とは言えませんが、私には特別な1冊があります。

私の「人生転機」のきっかけを作ってくれた文庫本「他人の血」(S・D・ボーヴォワール)がそれです。

手記「拉致疑惑と帰国」や「追想にあらず」にも書きましたが、高校生の頃、ビートルズ「同志」から「これ読んでみない?」とこの文庫本を渡されたのですが、私にはまったく理解不能で読めなかったというちょっとした衝撃、「進学校の優等生の無知」ぶりを思い知らされたのです。

こちらに来て読んでみて「長髪ひとつで世界が変わる」と自我に目覚め始めた当時17歳の私にはぴったしの本だっなと思いました。

この本の終わりにこんなやりとりがあります。
「君がこんなになったのは僕が悪いせいだ」・・・「どうして悪いの?」・・・「・・僕は禁止することもできたんだ」
彼女は微笑した。「私の代わりに決める権利は、あなたにないわ」

主人公はパリに住む平凡な菓子屋の娘、彼女が恋した男性はブルジョア出身の負い目を持つ労働運動リーダー、のちに反ナチ・レジスタンス指導者になる男性。幾多の曲折、葛藤あって彼女は彼のレジスタンス組織に参加、上記のやり取りは、恋人の指揮するレジスタンス運動中、瀕死の重傷を負い「死の床」にある彼女と「リーダー」の恋人とのやり取り。要は「決めるのは、私よ」という自己の運命、社会参画への自己決定権、というのがボーヴォワールの言いたかったことではないか、と。

ある意味いまの私の出発点にもなったという意味で特別な本です。だからいまも自宅の机に置いています。

最近、BS放送で見た映画「蝉しぐれ」に接して藤沢周平を読んでみたいなと思っています。「義に生きる」、「情に厚く」という日本人の精神世界に惹かれます。

また「選択」という雑誌にある石井妙子さんの連載「をんな千一夜」、明治以降の近代、時代の制約、女性への制約の中で自分の役割を見つけ出し凛とした意思を貫く女性たちの姿はとても刺激的です。

日本史をあまり勉強しなかった反動もあって歴史小説はこっちへ来てけっこう読みました。

ご質問の「好きな言葉、座右の銘」は何か? について

・それは「人間は鋼鉄より弱い、しかし鋼鉄よりは強い。なぜなら鋼鉄は自己の酸化過程を防げないが人間はそれができるからだ」という言葉、ある意味、私の「座右の銘」です。

自分の心、良心に錆が出ていること(思想に錆が付いたことと言い換えてもいいかもしれませんが)に人間は気付くことができるし、それを正していくことができるという思想。人間には自力更生力があるということだと受け止めています。

手記に書いた赤軍派総括を前にした時期、「若林、おまえは誰のために革命やってるんや?」と田宮に問われて、頭(理性)にあった「そりゃあ当然、人民(日本)のためでしょう」が口から出てこなかったこと、それは心臓(心)になかったからだということ、心にもないことは言えない。どう考えても答えは「人民のため」ではなかった、「革命家になりたい」一心が第一の「自分のため」、自己中心の私に気付きました。こうした体験があってこの言葉が座右の銘的な言葉になったと思います。

・これと似た好きな言葉として「失敗は人に優しい」。

これは「バーテンダー」という漫画にあった言葉です。失敗は人にはいいことなのだということ、人を大きく成長させるものだという「失敗」を肯定的にとらえる考え方です。失敗を恐れず挑戦を薦める言葉でもあると思います。根底には「人間は失敗から教訓を汲む力がある」という人間への信頼があるのでしょう。最初に書いた「座右の銘」にも通じるものを感じます。

「日本人の良さ」ですか?
一言では難しいですが、最近感じたことを一つ。故郷の同窓からのメールに感じたこと。

コロナ禍で高齢ゆえ巣篭もり状態にあった同窓が所用で大阪から滋賀に行く電車や街中で見た光景、ほとんど全員がマスク着用の人々に接して「日本人は素晴らしい、思いやりのお国ですなあ」と書いてきました。

政府の無策にもかかわらず日本人の他人への「思いやり」の心、これによって被害拡大がなんとか抑えられている、そんな国柄というものを考えさせられました。

コロナ禍拡大、冬に向かう季節にあってどうかくれぐれも自己管理にご留意ください、私たちはある意味「安全地帯」にいて心苦しいくらいです。

赤木志郎より

お便り、ありがとう。赤木志郎です。

愛読書は「源氏物語」です。日本人の良さがここに凝縮しているのではないかと思っています。

日本人の良さは一言で言うのが難しいですね。自分をおいてまず人のことを考える美徳がありますね。

好きな言葉、座右の銘は、一つは「我らは遠くからやってきた。そして遠くまで行くんだ」(白戸三平作「忍者武芸帳」より)

魚本より

読書好きで何でも読みたがるタイプなので特別の愛読書はありません。ただ歴史好きなので夜、就寝前の読書は主に歴史ものですし、寺沢薫さんの「王権誕生」などはよく読み返します。最近では、飯嶋和一さんの島原の乱を扱った「出星前夜」が面白かったです。

そこで描かれているのは、圧政の下で立ち上がる人々の生き様。それぞれの立場で「世のため人のため」、自己犠牲をかえりみず立ち上がる姿に感動しました。日本人の良さは、そこにあると思います。

座右の銘も特別にはないのですが、この「世のため人のため」という言葉、一般的なように見えて、奥深いものとして好きな言葉です。


よど号LIFE. 小西さんの、こおろぎのお話

BEA

よど号LIFE. 小西さんの、こおろぎのお話に、そちらは、もっと秋がはっきりしていて、どんな空気なのかと、思いました。こちらは、台風が来るらしく、今夜は、雨です。お身体を、ご自愛なさって下さい。

小西より

「コオロギ」を見てのメッセージ有り難うございました。

そうですね、こちらの秋は、日本の秋とは少し趣が違いますね。

貴方のメッセージを見て、私は日本の秋を思いました。

同じ爽やかさでも、爽やかさの質が微妙に違うのでしょうね。

貴方の言う「はっきり」と言うのが当たりかも知れませんよ。

民族性の違いも、その辺が少し影響しているのかも知れませんね。


初めまして。T.Sと申します。

T.S

ネットでよど号日本人村のことを知りまして、以前から社会主義に興味があったのでこの度メールを送らせて頂きました。

自分自身、日本で共産主義革命運動をやりたいのですが、

どうしたらいいかわからず、もしよろしければ返信ください。

いつか、共和国に行きたいと思っております。

この度は突然のメールですみません。

よろしくお願いします。

若林より

一言で答えにくい難しい問題ですね。

私たちもイデオロギーとしての社会主義には賛成ですが、問題はいまの日本国民のどれほどが社会主義を要求しているのか? を考えることが大事だと思います。国民の要求と支持がないところではどんな革命もうまく行かないと思います。旧ソ連、東欧の社会主義崩壊がそれを示しているでしょう。

私たちの総括は、信奉する自分のイデオロギーから出発するのでなく、日本の現実にしっかり足をつけた革命にすることです。日本の現実の何を解決することが国民の要求なのか? 

例えば、戦後日本は日米安保体制下で「米国についていけば何とかなる」だったと思います。しかしいま、それに「?」が付く時代になったと考えています。言い換えれば、対米従属に代わる日本とは、どんな日本にすることを国民は要求しているのか? このことをよく研究する必要があると考えます。

「自分の要求」(社会主義・共産主義信奉)からではなく「人民の要求」「日本の現実」から出発すること、これが私たちの総括です。

朝鮮も最初から社会主義革命をやったわけではありません。解放直後の朝鮮人民の要求が社会主義ではなく、植民地支配と封建的隷属からの解放だったからです。人々の社会主義への要求が熟してから社会主義革命に移行したというのが朝鮮の経験です。

なんか原理的、抽象的説明で申し訳ありませんが、今の時点で言えるのはそんなことです。

疑問などあればまた質問してみてください。

*「あなたの一言」の過去の投稿は下記に移動しました
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