帰国運動

1.よど号グループの帰国問題とは?

Q:ハイジャックまでして朝鮮に亡命したのに、なぜ日本に帰国したいのですか?

元来、亡命が目的で朝鮮に渡ったわけではありません。赤軍派、当時のよと号ハイジャック闘争は、朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)を世界革命の国際根拠地にする、具体的には朝鮮で軍事訓練を受けて帰国し、その年(1970年)の秋に予定されていた「70年安保決戦」で首相官邸占拠闘争などを武装闘争として行い、運動の高揚をはかること、すなわちその年の秋までには日本に戻ることを予定したものでした。

いま私たちが「政治亡命者」としてあるのは、当時の日本政府が私たち「赤軍派学生」も含め「よど号」乗客、乗務員の受け入れを朝鮮政府に要請し、それを受けた朝鮮政府の国際法に則った措置の結果です。当時、「よど号」で来た乗務員、「人質」の政務次官は帰国を希望したので帰国し、払たち「赤軍派学生」は残留を希望したので、国際法に定める「政治亡命者受け入れ」規定に従って、朝鮮政府が受け入れてくれたのです。

私たちとしては「政治亡命」する意思は当初からなく、どこまでも帰国して日本の地で政治活動することが終始変わらない気持です。

Q:なぜ帰国しないで朝鮮にとどまっているのですか?

ご存じのように、私たちの中で魚本(旧姓・安部)公博、森順子、若林佐喜子の三人には「結婚目的誘拐罪」名による「日本人拉致容疑」での逮捕状が出されています。私たちにとっては、これはえん罪であり当然、受け入れられないものです。

また朝鮮政府にとっても日本政府の要求する「結婚目的誘拐罪」逮捕状の執行に応じること、すなわち私たちを「拉致犯として引き渡す」ことは、とうてい受け入れがたい問題なのです。

なぜならば、「よど号グループによる拉致」というのは、「北朝鮮支配下のテロ工作活動として行われたもの」とされているからです。それゆえ日本政府による「拉致犯引き渡し」要求に応じることは、朝鮮にとっては身に覚えのない「よと号グループを使ったテロ工作」を認めさせられて膝を屈することを意味します。私たちもこのようなことに手を貸すような帰国は、日本のためにもしてはいけないと考えています。

このように私たちに出された「結婚目的誘拐罪」逮補状の存在が私たちの帰国問題の解決を妨げる基本要因となっています。私たちが簡単に帰国できない事情はまさにここにあり、またここに今の私たちの帰国問題解決の難しさがあります。

Q:「よど号ハイジャック」の逮捕状や裁判も拒否するのですか?

私たちは上に述べた理由で「結婚目的誘拐罪」(拉致)逮捕状執行、「拉致犯引き渡し」という形での帰国を認めることができませんが、「よど号ハイジャック」については、自分たちが実際にやったことであり、「人を犠牲にする大義に大義はない」と総括もしていることですから、帰国して裁判で反省すべきは反省し、主張すべきは主張して刑にも従うつもりでいます。

Q:高齢期に達したいま、帰国して獄中で老後を過ごすことになるくらいなら、朝鮮で生きることを考えた方がいいのではないですか?

帰国後の獄中での老後を心配いただくことはありがたいことではありますが、私たちは、朝鮮に対する政治的圧力手段にされた、「よど号拉致容疑」を正しく解明して日朝敵対の古い遣物を取り除き、日朝が敵対から友好協力に向かうことに少しでも寄与して帰国することが、「よど号問題」の、当事者としてやるべきことだと考えています。

Q:家族とは連絡を取り合えるのですか?

一家族を除いて妻や子供は、2000年から2009年の間にみな帰国しました。家族や親戚、友人とは手紙(私書箱)やメールで通信のやりとりはできます。また子供たちには旅券があるので、たまに「里帰り」訪朝します。

「よど号の妻」である大人の女性たちは、かつて「旅券法違反」で裁判を受けているので、いまだ日本旅券の発行が許可されず、「離散家族」状態が続いています。それでいま支援の方たちによって「旅券再発行」について政府(外務省)との交渉準備がされています。

Q:日本国内に支援者がいるのですか?

帰国支援の団体としては、1981年に「よど号人道帰国の会」が発足、代表に救援連絡センターの山中幸男氏が就任、主に政府との話し合いで帰国問題を解決する活動に骨を折っていただきました。

2000年から始まった私たちの帰国(女性、子供ら)の具体化と帰国後の日本での生活などを支援することを目的に、2004年に上記の支援団体が「『かりの会』帰国支援センター」(代表は山中幸男氏)と改称して活動するようになりました。現在は、残り6人の帰国のために諸活動、具体的には「よど号拉致逮捕状」の見直し、撤回を求める活動を基本とした活動を行っています。ここから年に数度の訪朝団を派遣し、私たちの交流を積極的に行っています。

他にも関連団体として、2017年3月に「えん罪・欧州拉致」(社会評論社)の出版を担った刊行委員会、「よど号国賠事務局」の方々ですが、国賠終了後も「えん罪」立証のための活動を続けて下さっています。また2014年から始めたツイッター国内開局を現場で支えて頂いている「yobo yodo事務局」があります。新しく開設したウェブサイト「ようこそ、よど号日本人村へ」の運営委員会が現在、このサイト運営を担ってくださっています。

2.帰国運動のあゆみ~帰国問題の現在と過去

国賠闘争と手記出版

2010年、よと号ハイジヤック渡朝40周年記念のシンポジウム「あれから40年、語ろうよど号問題」を契機に、「よど号問題」について関心が高まり、「よど号欧州拉致事件」に関する解明を求める声が高まるようになりました。

これを受けて「よど号欧州拉致(結婚目的誘拐罪)逮捕状撤回を求める」国家賠償請求のための訴訟を準備するようになり、この国賠闘争を「世論喚起型」国賠と位置づけました。いわば国賠を通じて世論を喚起する、国賠の闘いを契機に「北朝鮮支配下のテロ工作」の「嘘」を暴いていく闘いとして行うことにしたのです。それで国賠訴訟という裁判闘争と並行して、私たち「よど号グル一プ」の朝鮮での40余年をピョンヤンに残る6人の手記の形で河出書房新社から単行本として「『拉致疑惑』と帰国」を出版するようにしました。

2013年に開始された国賠訴訟と単行本化された手記の発刊は、マスコミでも一定程度、報道され、私たちの声が以前よりは世論に届くようになりました。その過程で私たちの朝鮮での「生き様」が理解されるようになったことはとても大きな成果でした。すなわち私たちが「北朝鮮の手先」や「テロ活動」をやるような人間でないこと、人として日木人として生き活動してきたことへの理解を得られる道が開かれるようになったのです。

この世論喚起型国賠闘争を通じて、これまでの「非国民」「拉致犯」攻撃一辺倒から、「よど号関係者の話も聞いてみよう」というように世論にも変化が現れ始めました。

朝鮮特別調査委員会設置による全容解明の機会

2015年、日朝政府間のストックホルム合意がなされ、日朝ピョンヤン宣言精神に戻り、敵対から友好協力へと向かう一環として、国防委員会直属の朝鮮特別調査委員会が拉致問題をはじめ「すべての日本人問題を解決する」ことを目的に全面的な調査が開始されるようになりました。私たちも事情聴取に積極的に応じるなど協力を惜しみませんでした。なぜなら私たちにとっては、「よど号欧州拉致事件」の全容解明の願ってもない機会だったからです。

私たちは世論喚起型の国賠闘争、手記発刊を通じて変わり始めた世論を、一挙にこの強力な権限を持った朝鮮特別調査委員会の調査を通じた「よど号欧州拉致事件」全容解明でえん罪性が明らかにされることを期待しました。

しかしこの全容解明の機会は、2016年初め行われた水爆実験などを契機に「北朝鮮の核とミサイル問題」を口実として米国の唱えた「独自制裁措置」の呼びかけに日本政府が応じたことによってストックホルム合意は破綻の憂き目を見、特別調査委員会は解体され、「拉致問題」調査も中止されました。

戦争の危険を避けるためにも「よど号問題」見直し帰国実現!

「北朝鮮の核とミサイル問題」は、元来、朝米間で戦争状態が継続していること(いまだ朝鮮戦争は停戦状態)から起きた問題で、これは日朝問題ではなく米国が朝鮮との間で解決すべき朝米問題です。

2017年の今、「北朝鮮の核とミサイル」が「日本への全面的脅威」とされ、「敵ミサイル基地攻撃の検討」など日本が解決すべき問題とされるまでになって、朝鮮との戦争か平和かという問題にまで事態が深刻化しています。この4月、朝鮮近海に原子力空母カールビンソンを中心とする機動打撃部隊派遣で「一触即発の朝鮮半島」事態に直面して日本国内で不安が広がりましたが、戦争か平和かという問題はいつ現実のものになるのか知れない、そこまで事態が来ています。

私たちは、「北朝鮮の核とミサイル問題」は米国が解決すべき問題(停戦協定を平和協定に代えれば解決)であって、日本が解決すべき問題は、「拉致間題」など敵対時代の遺物を精算し、朝鮮との敵対を友好、協力に転換していくことであることを訴えています。これが朝鮮をめぐる戦争か平和かの危機的事態から日本を救い、米国に先駆けて朝鮮との対話、友好協力の道を開くことだと考えています。

敵対時代の遺物を精算するという意味で、私たちの「よど号問題」見直し帰国のための闘いは、いまや戦争か平和かという事態を打開する闘いでもあると考えています。

3.帰国のための基本方針の転換

合意帰国の方針

当初の帰国問題の解決は、日本政府との合意による帰国という方針でした。

<なぜ日本政府との合意が必要なのか?>

理由の第一は、「よど号ハイジャック犯引き渡し(犯人送還)帰国」ではなく「亡命者の帰国」であるがゆえに、当事者間の合意が必要。

<なぜ「犯人引き渡し(送還)」問題にならないのか?>

元来、「よど号ハイジャック」当時、日本政府が「よど号乗客、乗務員、学生らの受け入れ」を朝鮮政府に要請、それを受けて朝鮮政府が私たち(よど号グループ)を国際法の慣例に基づき「政治亡命者」として受け入れたという経緯があるため、日本政府が朝鮮政府に「犯人引き渡し」を要求する問題ではなくなったからです。

朝鮮政府の立場は、第一に、帰国問題は本人たちの自主的意思に基づく(犯人引き渡し、強制送還にはならない)こと、第二に、当事者、私たち(よど号グループ)と日本政府との間で解決すべき問題であり、朝鮮政府が関与する問題ではないこと、この二点。

理由の第二は、私たちが「投降帰国」、逮捕前提の帰国を拒否、しかし政府としては「よど号ハイジャック」問題の法的処理(逮捕、裁判)が必要という立場の違いがあり、この立場の違いを「話し合い」の上で「合意」する必要があるからです。

ベトナム反戦や反安保の闘い、あるいは全共闘運動に象徴される学園闘争など学生運動が盛んだった当時、多くの活動家が警察の不当な逮捕状による弾圧を受けていました。不当な逮捕状を拒否して逮捕を逃れること、逮捕状拒否の闘いも一つの闘争として考えられていた。ここから逮捕状を認めること、ましてや自首して逮捕されることは、不当な弾圧に対する屈服、投降であるというのが活動家としての倫理観でした。

学生運動が死語化している今日の人には理解しがたいかもしれないが、私たちが朝鮮に来て以降も社会運動における一つの倫理観として存在していたのです(いまも社会活動家の間にあると思う)。ゆえに私たちが闘争として行った「よど号ハイジャック」に対する警察の逮捕状(当時、ハイジャック法がなかったので「強盗罪」などの罪名で)を認め、逮捕、裁判を前提に帰国するということは警察に頭を下げて自首するという「投降の勧め」、活動家の倫理観に反する行為、として私たちには肯定できることではなかったのです。

他方、日本政府は、法治国家として法に基づく「よど号HJ問題」の処理をすべき立場にあるが、他方で朝鮮に「亡命客」としてある日本人間題を解決すべき立場にもある。しかしながら過去の「よど号HJ」を含め赤軍派の闘争を総括、反省し、朝鮮における亡命生活を終えることを希望する私たちと日本政府との間で帰国問題を「話し合い」で解決することは不可能ではないという立場から「合意帰国」を基本方針としました。

「よど号問題」見直し帰国という闘争方針への転換

私たちの帰国問題は、1980年代末以降、「亡命者の帰国」について日本政府と話し合って解決するという合意帰国から、「よど号問題」見直し帰国へと変わるようになりました。

1988年、米国は朝鮮を「テロ支援国家」に指定、金融取引の制限など、これを朝鮮の社会主義体制崩壊を狙った制裁圧力の基本手段とするようになりました(この頃80年代末~90年にかけてソ連東欧社会主義諸国の崩壊時期)。この「テロ支援国家指定」の根拠の一つにされたのが「よど号ハイジャック犯を匿っている」ことでした。言い換えれば、「よど号グループの国外追放」が朝鮮に対して「テロ支援国家指定」を解除する条件になったことを意味するものだったのです。

この時点から私たちの帰国問題は、「よど号ハイジャック」による政治亡命者の帰国問題から、米国の朝鮮に対する「よど号関係者の国外追放」圧力といかに闘うかという問題に変わっていく。1988年以降、私たち「よど号グループ」が、「北朝鮮支配下のテロ工作」に関与したという事件が次々とでっち上げられるようになりました。この時から、米国は「北朝鮮支配下のテロ工作員」して私たちの「国外追放」を朝鮮に迫るようになったのです。

これを私たちは新しい「よど号問題」と呼ぶようになり、払たちの帰国問題にもこの「よど号問題」を解決して(見直して)帰国する闘いになったという意味で「よど号問題」見直し帰国と呼ぶようになりました。

実際、「テロ支援国家指定」直後の1988年8月、日本国内で活動していた柴田泰弘を逮捕、柴田が秘密裏に「北朝鮮の指令を受けたソウル五輪テロ工作」に従事していた疑いが強いと警察は発表、これはマスコミを通じて大きく世論化されるようになりました。しかし、これを裏付けるものがあるはずがなく、柴田はよど号ハイジャック関連の裁判を受けただけで事は終わりました。しかし人々の頭には世論化された「北朝鮮のソウル五輪テロ工作関与」だけが残る結果となったのです。

そして1996年3月、カンボジアで商社を開く準備をしていた田中義三が、「タイにおける北朝鮮の偽ドル工作」に関与したと容疑で米財務省シ一クレット・サービスによって逮捕され、これが大事件としで報道されました。この事件に先立つ2月、朝日新聞に「米政府高官発言」として、「北朝鮮をテロ支援国家指定名簿から削除するには不十分」という題目の記事が掲裁されましたが、そこには「よど号関係者の追放」が「指定削除の」条件となることが書かれてありました。その1ヶ月後に起きたのが「タイにおける北朝鮮の偽ドル工作活動に関与」したと田中を逮捕した、いわゆる「タイ偽ドル工作」事件だったのです。

この事件は、タイにおける裁判で無罪判決が下されましたが、この事件は米国の謀略の本質を象徴する事件でした。田中が「北朝鮮の偽ドル工作に関与」したとされた唯一の物的拠拠が「偽ドルに付着した田中の指紋」でしたが、これは巧妙にドル札に人為的にコピーされたものでした。このようにしてまでも「よど号グループの北朝鮮のテ口工作事件」をでっち上げ、「よど号関係者追放」で朝鮮を屈服させるという米国の強い政府的意図をこの事件は示したのです。

そして極め付きは、「欧州留学生拉致」事件であり、これまでとは異なり、「日本人拉致事件」として私たちに逮捕状を出すなど日本政府が前面に立つようになり、「よど号問題」が日本に於ける対朝鮮敵視に利用されるものになりました。これによって私たちは、この「よど号問題」の解決が日本人として解決すべき第一義的課題、「よど号グループ」としての役割であると考え、帰国問題を「拉致逮捕状撤回」を柱とする「よど号問題」見直し帰国とするようになったのです。(私たちが「よど号問題」見直し帰国を正式に方針化したのは、2002年9月に魚本公博に初めて「結婚目的誘拐罪」逮捕状が出されて以降のこと)

現在の基本方針は、「よど号欧州拉致事件」というえん罪を晴らこすことによって、対朝鮮敵視事代の遺物である「よど号問題」の解決を日朝友好、協力の日朝新時代を開く闘いの一環とし位置づけ、「よど号問題」見直し帰国を実現することです。