よど号関連年表

1970年

3月31日~4月3日:よど号ハイジャック。日航機「よど号」をハイジャックし朝鮮民主主義人民共和国へ

1971年

7月:赤軍派路線を総括、新しく出発することを決意

1972年

5月:日本の新聞、TV取材団と記者会見、公式に赤軍派路線を総括、ハイジャックを自己批判し新しい出発を表明

1975年

学習、総括期間を終え、帰国に向けた活動を開始

1980年

手記「祖国を離れて10年」(雑誌「使者」)公表

1981年

*「日本を考える」編集委員会を発足。季刊誌「日本を考える」発刊

1983年

7月:世界ジャーナリスト会議(ピョンヤン)に「日本を考える」編集委員会代表として参加

9月:全アフリカ青年フェスティバル(リビア)に「日本を考える」取材団として参加

1985年

7月:中曽根首相に書簡、帰国問題の解決を提起

吉田金太郎逝去

1988年

*米国が朝鮮民主主義人民共和国に対し「テロ支援国家」指定 その根拠に「よど号ハイジャック犯を匿っている」をあげる

3月:第2回日朝本会談で日本政府が「犯人として送還要求」

5月6日:柴田泰弘、東京で逮捕。「北朝鮮によるソウル五輪テ口エ作に関与」のマスコミ大キャンペーン

5月22日:八尾恵、横須賀で逮捕。「北朝鮮の女スパイ」キャンペーン(有本恵子さん拉致の「北の大物工作員」とされているキム・ユーチョル氏との写真を見せられ、「台湾国籍の劉さん」だとして「親密な関係」を認める供述をしたとされている。6月釈放)

*「丈藝春秋」7月号に「赤軍派からの停戦提案」掲載(合意帰国の提起)

8月6日:かりの会・女性五人に外務省が旅券返納命令。

「尊憲」を提唱。田宮著「わが思想の革命」発刊

岡本武、福留貴美子逝去

1990年

6月:海部首相に書簡、帰国問題の解決を提起

救援連絡センター山中事務局長ら訪朝。以後、訪朝団が毎年組織される。

「日本の自主と団結のために!の会」発足。思想理論誌「自主と団結」(累計8号発行)、手記「飛翔二十年」、田宮著「社会主義国で社会主義を考える」発刊

1991年

12月:「よど号人道帰国の会」結成

1993年

5月:女性5人に旅券不返納罪で逮捕状、国際指名手配

*子どもたちの国籍取得開始

1995年

9・2国恥日集会開催。

田宮高麿逝去

1996年

2月:米国務省高官「北朝鮮に対するテロ支援国家指定リストからの削除条件」に「よど号犯に対する適切な措置」必要との談話

3月:田中義三、「偽ドル工作容疑」で米シークレットサービスによりカンボジアにて逮捕、タイに拉致、日本では「北朝鮮偽ドル工作事件」としてマスコミが大々的に報道

*「かりの会」発足

田宮著「遺稿 民族論」、「祖国と民族を語る」発刊。

1997年

4月 高沢皓司、雑誌「サピオ」で集中連載「よど号グループは北朝鮮の「日本人拉致に使われていた」 同時期、高沢皓司は、タイで裁判中の田中に「新しい生活を」と転向を勧める

「回想 田宮高麿」、「田宮高麿著作集」発刊

1998年

8~10月:米朝高官協議において「よど号グループの追放問題」が議題の一つに取り上げられるとのマスコミ報道

9月:高沢皓司箸「宿命」(新潮社)発売。「欧州留学生拉致事件」が詳細に描かれる(後の八尾証言と完全一致)

1999年

6月:田中義三、タイで「完全無罪判決」(「偽ドル札に付着」とされた田中の指紋が巧妙にコピーされた米情報部の偽装工作と判明)

2000年

3月:第三回米朝会談で再び「よど号追放問題」が議題になるとしながら、サンケイ新聞で「消えた青春」のタイトルで欧州留学生拉致事件を10回連載

6月:田中義三氏タイから自主帰国、ハイジャック関連で警視庁に逮捕

10月9日:米朝会談の最終局面、共和国の趙国防委員会副委員長の訪米直前に「よど号容疑者追放の用意-北朝鮮、米側に言明-米、テロ支援国家指定解除も」見だしの一面トップ記事(朝日新聞)

2001年

*子ども、女性たちの帰国事業始まる

5月15日:かりの会・三人娘の帰国(帰国第一陣となる)

9月17日:K・E氏帰国、旅券不返納罪で逮捕(直前の11日、米同時多発テロ事件発生)翌日、八尾恵出演のTV朝日「元妻の証言」が流され「よど号の拉致関与」を「証言」。引き続き「週刊新潮」に「よど号拉致関与」関連記事を連載この段階ではまだ八尾自身の「関与」は秘匿

*この年、5月に八尾恵、警視庁での事情聴取に応じ(後の発表)、この時点で自身の「拉致関与」を認めたというのが「公式発表」

*年未放映のTV朝日「元妻の証言」続編で自身が「“拉致”実行犯」であることを示唆する内容の編集

2002年

3月12日:K・E氏裁判開始、公判で「八尾証言」、欧州留学生拉致実行犯であることを公開の場で「自供」(K・E氏帰国を前にした前年、5月に「警視庁の事情聴取に応じ自供した」というのが公式見解)。これに連続して八尾恵著「謝罪します」(新潮社)発刊

3月27日:八尾恵が証言(K・E氏旅券法違反公判)

*3月:「かりはゆく」(帰国機関紙)発刊

7月:かりの会、「全員帰国」声明

9月17日:日朝首脳会談で日朝ピョンヤン宣言

*朝鮮が拉致被害者(石岡さん、有本さん、松木さんを含む)を公表

9月25日:安部公博(現姓:魚本)に逮捕状(有本さんへの結婚目的誘拐容疑)

森順子著「いつまでも田宮高麿とともに」発刊

2003年

4月15日:八尾恵TV朝日出演「ヨーロッパで発行された反核ミニコミ誌が拉致の拠点」という追加的「証言」

6月:NHKスペシャル「よど号と拉致」放映

2004年

7月:かりの会、朝鮮政府宛に、日本政府との協議のための実務的援助を要請する手紙

2006年

2月:再開された日朝政府間協議で日本政府が魚本(旧姓;安部)公博など「よど号グループ」を「拉致関連」で「引き渡し要求」とのマスコミ報道

2007年

6月13日:森順子、若林佐喜子に「結婚目的誘拐罪」で逮捕状発布(石岡さん、松木さんへの誘拐容疑と警視庁公安部

10月30日:6者協議で合意文書採択「共和国の核無力化と米国のテロ支援国家指定解除」盛り込む

*これ以降、ライス国務長官など米高官の「(朝鮮への)テロ支援国家指定解除とよど号関係者問題は無関係」(「よど号関係者追放」なしでも解除するということ)発言が続く

田中義三逝去。「田中義三遺稿追悼集」発刊

2008年

10月:米国務省、朝鮮民主主義人民共和国への「テロ支援国家指定」解除を発表

2009年

子ども、女性(計26人)の帰国終える。残る6人の帰国問題解決を目指す

2010年

3月:国賠ネットワークの土屋氏、井上氏がはじめて朝鮮を訪問

4月30日:シンポジウム「あれから40年、語ろうよど号問題を」(京都大学でよど号ハイジャック40周年の集いパネラーに青木理氏、鈴木邦男氏ら)

7月:2回目の国賠訪朝団、国賠ネットワークの高木氏、新居崎氏が加わる

11月:第3回目の国賠訪朝団

2011年

7月15日:第4回目の国賠訪朝団」(弁護団も加わる)

柴田泰弘逝去

2012年

4月:第5回目の国賠訪朝団(弁護団も加わる)

2013年

2月:第6回目の訪朝団(弁護囲も加わる)

4月25日:よど号欧州拉致(結婚目的誘拐罪)逮捕状撤回を求める国賠提訴(東京地裁)

*同時期に手記「『拉致疑惑』と帰国」(河出書房新社)発刊

4月27日:「『拉致疑惑』と帰国」出版記念会(涵徳亭)

6月21日:東京都答弁書提出

7月22日:第1回口頭弁論(東京地裁民事40部)

8月12~19日:訪朝団 山中氏、椎野氏ほか8名

8月24~25日:国賠ネット合宿(伊豆)で「よど号」国賠報告

2014年

3月27日:東京地裁、請求棄却の判決

4月18日:東京高裁に控訴

4月下旬~5月初:7回目の国賠訪朝団。日本人村開村。作家の森達也氏らも参加

4月27日:平壌で国賠拡大会議

5月:日朝政府間でストックホルム合意、「日朝ピョンヤン宣言」に戻ることを確認。「全ての日本人に対する調査(拉致被害者を含む)を行う」ことが合意文書に盛り込まれる。これに従って朝鮮では国防委員会直属の強い権限を持った朝鮮特別調査委員会が発足、日本人拉致被害者についても調査再開

6月9日:控訴理由書提出

6月29日:国賠栽判を支える会結成の集い

7月16日:控訴審第1回弁論

8月27日:控訴棄却の判決

9月10日:上告(最高裁)受理

11月7日:最高裁へ上告理由書・上告受理申立理由書を提出

12月:朝鮮特別調査委首会の調査に協力開始(事情聴取など)

2015年

2月5日:最高裁が上告棄却の決定

2016年

2月:朝鮮特別調査委員会解体、日本人に関する(拉致被害者含む)調査中止(米国による「北朝鮮の核とミサイル問題での独自制裁」に日本の安倍政権が応じ、ストックホルム合意を破綻させたため)

7月:山中訪朝団(1次)、ツイッター開局メンバー、2年ぶりの訪朝

10月11~15日:山中訪朝団(2次)、8回目の国賠訪朝団。国賠本の出版と帰国問題の会議

2017年

2月28日~3月4日:山中訪朝団(3次)、9回目の国賠訪朝団

3月:「えん罪・欧州拉致-よど号グループの拉致報道と国賠訴訟」出版(社会評論社)

4月1日:帰国支援センター総会&「えん罪・欧州拉致」出版報告会(於:スぺ一ス・たんぽぽ)