「おちよやん」
小西隆裕 2021年2月20日
朝ドラ、「おちよやん」が面白い。
浪花千栄子がモデルだというが、その生き方が凄い。芝居に魅了されたおちよがただひたすら芝居のために生きる姿がいい。
自分が馬鹿にされ、嫌われ、どうされようと、そんなことにはお構いなし。芝居への思い入れの桁が違う。
自分の芸を磨くだけではない。
座長を支え、やめた女優を引き戻すためには、その女優が自分のことを嫌っているのもかまわず、家にまで押し掛けて説得する。
自分たち一座のことをぼろくそにけなす元の師匠に必死に食い下がって教えを請い、その難解な答えの真意を考え続けて、ついにそれを見つけ出さずにはおかない。
その教えに基づき、一座の皆を誘って、芝居に没入、役になりきるため、夜を徹し、本番の最中には、台本とは違う即興劇を演じる主演の俳優に対し、それを上回る即興で、皆の即興を誘って対抗する。
それが大当たり、大好評、新聞に紹介されるまでになる。
と、ここまで観たが、これからどうなるか。
おちよが道頓堀に革命を起こしていくのが楽しみだ。
ブラックパンサー(黒豹くろひょう)党とジミ・ヘンドリックス&ニーナ・シモン
若林盛亮 2021年2月20日
12日は旧正月で休日、それで「Jimi Hendrix & Experience in London」DVD観賞とした。
ジミヘンと言えば、「裸のラリーズ」結成当初、3人が注目したバンドだったが、このDVDにはジミヘンの意外な一面、ブラックパンサー党に接点があったという話が出た。それで音楽と政治ということについて少し書いてみたい。
1968年、ベトナム反戦の嵐吹き荒れる米国に自らをブラックパンサー党と称する武器を持ち公然と武装闘争を掲げる黒人組織が登場した。
百万人ワシントン大行進などを実現した黒人公民権運動の指導者キング牧師がこの年に暗殺されたが、当時は多くの死者まで出したデトロイト暴動など黒人による自然発生的暴動が各地で頻出する時期だった。
当時の米国の黒人差別はとてもひどかった。特に南部では食堂やバスなど公共乗り物は「白人専用」と黒人のそれとは明確に区別され、これに抗議する黒人が白人レストランに入ろうものなら袋ただきのリンチにあい、南部に入った黒人支援の白人活動家3人の暗殺などの事件が頻発していた。
余談になるが、ビートルズが米国公演時、南部では白人と黒人の観覧席を分けようとしたことに抗議して「自分たちの音楽はpeople(人々)のためのもの」「それなら公演をやらない」と言明、白黒区別なく同席を認めさせた行為が当時の常識を破る「異例の事件」としてその勇気ある4人の行動が賞賛された。
それほどの人種差別の中、公民権運動指導者暗殺に怒かれる黒人の若者たちが武装をもって行動を起こした、それがブラックパンサー党だった。
余談になるが、‘69年に登場した赤軍派が中央大で開いた国際集会にはブラッックパンサー党代表が参加した。
世界三大ギタリストの一人と賞賛されるジミ・ヘンドリックスは、ロンドン公演の冒頭で「このショウをすべての米国の黒人に捧げる」と語った。彼はブラックパンサー党の若者に「白人のための音楽ではなく黒人のためのものをやれ」と言われていた。当時のロックは主に白人青年が聴く音楽だったからだ。後に彼のバンド、エクスピアリエンスが音楽観の違いから解散となったが、こうしたことが背景にあったのだろう。伝説のウッドストック野外コンサートでジミ・ヘンドリックスは米国歌をモチーフとした壮絶演奏をやったが、ベトナムでの爆撃を連想させる歪めた轟音サウンドを披露して話題を一身に集めた。彼の「黒人のための音楽」観を表現したのだと思う。
もう一人、黒人ジャズ歌手のニーナ・シモン、彼女は幼少期から類い希なピアノの才能の持ち主だったが、クラシック音楽の登竜門であるジュリアード音楽院への進学を「黒人だから」の理由で断られ、ジャズの道に入った女性だ。私が京都のジャズ喫茶「しあんくれ~る」でいつもリクエストしていたのがニーナ・シモンだった。彼女の歌はアフリカ大陸から届けられる「祈り」のように心に響き、暗中模索途上にあった私の不安を癒してくれたものだった。
ニーナ・シモンは、キング牧師流の非暴力主義を否定する主張をしたり、黒人政権が成立したカリブ海のバルバドスに移住、ベトナム戦争に抗議して合衆国への税金支払いを拒否する闘争を始め、米国政府にマークされ逮捕状まで発行されたという硬骨漢でもあった。おそらく彼女もブラックパンサー党に共感していたのではないかと私は勝手に想像している。
いま「BLACK LIVES MATTER」運動が米国から世界に広がりを見せている。テニスの大阪なおみもこれに連帯する一人だ。
ジミ・ヘンドリックスやニーナ・シモンを聴きながら、キング牧師やブラックパンサー党のような先達の苦闘の歴史があったことを想起するというのも音楽鑑賞の醍醐味かもしれない。
三寒四温
赤木志郎 2021年2月20日
この冬はいつものように暖冬かと予想していた。秋に台風が朝鮮半島を3回も襲ったのも、シベリアからの寒気団が弱く、暖かい南からの空気が押し上げたため、コースが変わった。そして12月になってもなかなか大同江が凍らなかった。「やっぱし暖冬だな」と思った。
ところが、正月の数日間、さらに小寒(5日)から大寒(20日)の間、シベリアからの寒気団が幾度も降りてきて、最低温度マイナス18度を何回か経験した。日本にも大雪をもたらした寒気団だ。「なんだ暖冬ではなかった」を思わざるをえなかった。
ただ面白いことに、数日間寒くなると比較的に暖かくなり、また寒くなるということを繰り返しているのだ。これは昔から三寒四温といわれている。2月に入って、この三寒四温を繰り返しながら、だんだんと春にむかっている。
毎日の温度が大きく変化するので、天気予報を必ず聞くようにしている。TVでは金曜日に週間予報があり、ラジオでは毎日、当日と翌日の予報をしてくれる。とくに雪には市内に行くうえで不便なので注意して聞いている。
この冬は暖冬でも厳冬でもなく、三寒四温を繰り返しながら、だんだんと寒くなり、そしてだんだんと暖かくなっていくきわめて典型的な冬だった。
もう、農村では堆肥を積んだトラックが頻繁に来て降ろし、営農準備がすでに始まっている。春が一日一日と近づいている。
覇権の道を歩んではならない、それが麒麟の教えでは?
魚本公博 2021年2月20日
大河ドラマ「麒麟がくる」が終わりました。最終回、燃え上がる本能寺を見上げながら、光秀の脳裏に浮かぶ信長との最初の出会い。漁を終え小舟に乗って浜に帰ってくる信長の姿。庶民の中に身を置き親しむ信長に光秀は麒麟を見たのです。しかし信長は横暴の度を増し麒麟たりえなかった。そして光秀は麒麟を家康に託したと思わせるような終結。
これを見て、光秀の子孫だという明智憲三郎さんの「本能寺431年目の真実」を思い起こしました。明智さんは、光秀謀反の原因は、当時、信長が進めていた「行政改革」への危機感にあるとする。それは、尾張、美濃、伊勢などを3人の息子に統治させるなど中央を織田家で固め、無能な家臣を追放(佐久間、林など)する一方、有能な武将は「天下布武」のための方面軍司令官にする。そして「唐入り」(中国侵略)を実行するというもの。
この構想にとって家康は邪魔。そのために、武田征服の後にその労をねぎらう名目で家康と臣下を安土に呼んで歓待し、堺見学に送り出した後、本能寺での茶会に呼び戻し、光秀に討たせるという策略。光秀は、これを逆手にとって、この策略を家康にうち明け、信長を討った後の協力を取り付け、信長討ちを実行したのだと。
この「唐入り」は当時の覇権国家スペイン勢力(イエズス会)の要求。信長はそれをスペインに従って行うことを拒否したために殺された(スペイン黒幕説)。私は、それが「本能寺の変」の真相だと思いますが、最終的には、秀吉が天下取りを果たし、この秀吉が「唐入り」を実行しました。
その後、家康は「唐入り」で地獄の苦しみを味わった豊臣方武将を味方に引き入れて「関ヶ原」で勝利し、江戸幕府を拓くや朝鮮との国交回復(朝鮮通信使)に務め、明、清交代期に明の遺臣の出兵要請にも応じず、スペイン勢力を追放するなどの政策を進め、260年間の「徳川の平和」の礎を築きました。
戦乱の世に現れる聖獣「麒麟」。それは単に戦乱を終わらせるだけではなく、他国を侵略するようなことはしない。光秀はそういう「麒麟」を求めたのであり、いわば覇権の道は歩まないというものだったのではないかと私は思います。
歴史の真実を探り教訓を導き出す。秀吉はスペインの意図を受けて、それなら自分がやるとアジアの覇権を目指したのですが、それは戦前の軍国日本とダブリます。日本は二度と覇権の道を歩んではならない。光秀、「本能寺の変」が残した教訓は、そこにあり、それが「麒麟」の教えなのではないでしょうか。
米国覇権失墜の中で、歴史の見直し気運が高まっています。次の大河ドラマ「青天を衝く」は渋沢栄一が主人公。多くは期待できませんが、何らかの新たな視点がどのように反映されるのか楽しみです。
最近のテレビ
森順子 2021年2月20日
すこーし、温かい気配の日差しを感じるこの頃。家の二つあるサボテンも、お日様に向かい背伸びをしているように見えます。
冬の間は散歩もできず、もっぱらテレビを観て過ごし日曜日は一日中です。もちろん朝鮮の。2チャンネルの殆どは科学技術に関するものが多く、この間は、「4G、5G通信技術の講義」番組を見たのですが、言うまでもなくさっぱり?です。また、外国の「第4次産業革命について」なども放映しています。1チャンネルでは、教授案や教授方法の改善に力を入れる教員の取り組みで、ルービックやトランプを持たせ幼稚園生の記憶力を高めた例の紹介などがあり、素質と才能を引き出す様々な方法を研究し行っています。教員が大変ですが、朝鮮は教員陣営も整っているし、常に新しい教授内容と方法を創造し、成果と経験、教訓を地域ごとに交換発表する討論会もやり教員たちの資質も上がったそうです。
数年前、ネット(日本から送られてきた)で、「朝鮮の教育の本気度」という文字を見ましたが、まさにその通りで、朝鮮では教育事業は国事中の第一の国事。テレビから見える現在の朝鮮は、科学と技術の時代、知識経済時代である今日、創造的で実践的な人材育成に拍車をかけていることがよく分かります。
「麒麟がくる」
小西隆裕 2021年2月5日
「麒麟がくる」(大河ドラマ)も最終回を残すだけとなった。われわれ皆が共通に観る映画やドラマはあまりないが、これは数少ないうちの一つだ。
近年、明智光秀に対する評価が変わってきている。これは、その極めつけの一つだと言っていいだろう。われわれの「歴史博士」、安部曰く、「新しい史実が結構盛り込まれている」ようだ。
光秀がなぜ信長を討ったのか。彼の室町幕府や天皇との関係を見ていると「さもありなん」と思わせるものがある。
だが、分からないのは、信長の心の内だ。若き日の信長と晩年の信長、その変わり様がもう一つ理解できない。ドラマの中でも、奥方、帰蝶でさえ「分からない」となっている。権力者になると人間ああも変わるものなのか。
そこで思うのは、当時のスペインの存在だ。鉄砲やキリスト教の伝来、それと諸大名や民衆、境の商人などとの関係一つとっても、無視できない存在であったに相違ない。死に体となった幕府や天皇よりよほど大きな存在であったに違いない。そのスペインの動きがまったく見えてこない。
もう一つは、秀吉の存在だ。「本能寺」後の天下を取るまでの動きを見ても、秀吉がこの歴史過程に関わっていたのは十分に推し量られることだ。
最大の謎は、その後、なぜ秀吉が朝鮮を経て明にまで攻め込もうとしたのかだ。何かよほど大きな力が働いていないとあり得ないことだと思う。
そこで出てくるのが、当時の覇権国家、スペインの存在だ。秀吉の参謀、黒田官兵衛がイエズス会に通じていたのは、その一つのヒントなのではないか。
作家、安部龍太郎が説く「スペインの朝鮮、明侵攻への誘いを拒否した信長」と「その誘いに乗った秀吉の朝鮮侵攻」というところから「本能寺」を見るとどうなるか。
日本の歴史は、中国や欧米による覇権との連関でもう一段階も二段階も深く掘り下げる必要があるのではないだろうか。
それが今、切実に問われているように思う。
オンラインでは埋められないもの
若林盛亮 2021年2月5日
「村」で働いていた女性の結婚式があり、「元同僚」ということで「村」の食堂の娘さんたちが招待されてスマホで撮ってきた動画などを見せてもらった。
動画には新婚夫婦がデユエットで歌う姿が、そこにただよう愛する二人の空気感・・・。
朝鮮では対コロナ非常防疫体制が「超特級」で敷かれているが、人数制限はあるものの結婚式はこのようにできるらしい。
他方、日本からは「彼女との食事会はやめてオンライン・デートに切り替えています」ともどかしい気持ちを伝える若い友人からメールがあった。
朝日新聞記事「会う大切さ、実感する恋人たち」にこんな声があった。
「一緒に過ごしながら何気なくふれあったりする、その積み重ねが恋人同士の距離を近づけている。それはオンラインではたどり着けないんじゃないかな」
#あいみょん の歌にもありますよねえ。
♪ Oh~ アイラブユーの言葉じゃ足りないからと キッス して・・♪
こんな恋時間を友人が取り戻せるよう祈るばかり。
お茶
赤木志郎 2021年2月5日
以前では、山中氏が訪朝のたびに珈琲豆をもってきてくれたので、この数十年間、美味しい珈琲を頂くことができた。コロナ封鎖により訪朝団は昨年ゼロ、そこで代わりのものとしてココアや発酵玄米粉など各種の飲み物を試みた。
茶の名前がついているが茶の葉っぱと無関係に、人参茶、生姜茶、なんとか茶など単にお茶のように飲むが材料を粉状にしたものが多い。それらは健康のためのサプリメントだといえる。いわゆる口の中がさっぱりする茶の葉で作られたお茶を味わいたい。それで最近になって緑茶を試みている。
私は、もともと緑茶を日本にいるときからあまり飲んでいない。緑茶より紅茶が好きだった。ハイジャックの前に不二家の喫茶店で朝の陽差しがさしこむ部屋で紅茶をのみ、気持を落ち着かせたこともある。朝鮮に来てからも、中国製の紅茶が供給され、朝食後、紅茶を飲むのが愉しみだった。
ところが、紅茶を長年、愛好したのに今や緑茶に代わった。紅茶がそれほど美味しくなくなったのだ。
日本製の緑茶は当然ながら商店にない。中国産の「鉄観音」というウーロン茶は非常に高価で手がでない。そこで朝鮮産のお茶を見つけた。ドイツ産のお茶も高いが中国産より安い。家の台所に眠っていた緑茶も見つけた。
早速、それらを飲むと、身体が暖まり、口の中もさっぱりする。自分にはお茶が良いのだとつくづく思った。
下からの力こそ日本文化の源流
魚本公博 2021年2月5日
先日見たBS1のCool Japanは「江戸」でした。参加者の外国人に「江戸」で好きなものを挙げてもらい討論する趣向。挙げられたものは、浮世絵、歌舞伎、教育(和算)、料理などでした。議論は概ね、江戸時代の文化は今の日本人の生活の源流をなしていること。とくに江戸時代は、鎖国で日本的なものが凝縮されているというものでした。
私もそう思いますが、その上で私が思うのは江戸文化の庶民性です。
料理を見ても、寿司(握り寿司)、ソバ、うどん、おでん、やきとり、天ぷら、うなぎの蒲焼きから始まった丼もの、などなど。参勤交代で男の一人者の多かった江戸で、彼らに安価で簡単に速く出せる料理として考案され発展したものなのだそうで、実に庶民的です。
浮世絵もそうです。フランスの印象派に大きな影響を与えたことは有名ですが普通はその色使い、大胆な構図などを指します。それもありますが私は、その題材の庶民性が大きいのではないかと思っています。「こんなものが絵になるのか、こんなものを絵にしてよいのか」というショック。
和算も関孝和の関流が全国に流布し、庶民が互いに出題しあって回答を絵馬にして神社に奉納する。その絵馬、地方では名もない農民のものが多い。中には13才の子供のものもあるとか。彼らにとっては土地の面積を知ることが切実。曲がりくねった複雑な土地の面積をどう出すか。その高度さは、カナダの大学が試験に応用したほどです。
下からの力。それが日本文化の特徴であり源流ではないか。今言われる「クリーンとデジタル」も上からの為にする押しつけではなく、下からの庶民自身のための庶民自身の力によるものであってこそ、庶民、国民のためのものになると思います。その力を日本人は持っている。「江戸」を見ながら、つくづくそう思いました。
日射しに温もりを感じるこの頃です
若林佐喜子 2021年2月5日
「立春」を迎え、事務所の植木鉢のカクタスの花が咲き始め、気持ちもほっこりです。
朝鮮は、1月5日から12日まで第8回朝鮮労働党大会が開催され、その後、みな報告の学習、全国各地で決起集会。すでに、農村や企業所などでは国家経済発展の新5ケ年計画の完遂へと活気に満ちた様子が連日テレビで報道されています。
干拓地建設のための10万山発破、セメント増産のためのスンチョンン石灰石鉱山の21万山発破と、山を一挙に崩して運び出す様子は大胆で規模が大きく朝鮮ならではの風景でしょうか。ピョンヤン郊外の田畑は綺麗に掘り起こされ農業への意気込みが伝わってきます。
日常生活では、当然ですが輸入品は減少しています。一方、国産食品の種類がいろいろ増え、先日は、インスタント(即席)食品、「クッパブ」(スープ付ご飯)を購入してみました。乾燥した松茸と貝、薬味、ご飯、スープの粉、それらを器に入れ、400ccのお湯を注いでふたをし、待つこと15分。待ち時間が長くお湯が冷めてしまうのがちょっと難点ですが、土鍋に入れて最後沸騰させて食べるととても美味しかったです。
また、最近は食酢、イチゴや杏などがあるのですが、眼にも良いということでブルーベリー酢を愛用。毎日10cc×2回、湯でわっても良いのですが、そのままでも甘くて飲みやすいです。酢は健康にも効果ありということで乞うご期待です。暦の上では「立春」、日差しも明るく温もりを感じる今日この頃です。
しかし、まだまだ寒い日がありますので、日本の皆様も、感染防止とともに体調管理にくれぐれも留意なさって下さい。