よど号LIFE

青い朝鮮人参

小西隆裕 2021年10月20日

最近、朝鮮の市場に「オクラ」が出回り始めた。野菜売り場の片隅に遠慮がちに売りに出されている。

森さんが見つけて教えてくれた。それで買ってみた。

それを十本くらい刻んで粥の中に入れ、みそ汁や卵を加え煮込んで食べると絶品だ。

トロッとしていて滋養分があり味も良い。

それで売り場のおばさんにどういう名で売り出しているのか聞いてみた。

すると、ただ「栄養食品」としか言わない。

それで二,三回買った後、どんな名を付けたか聞いてみた。

すると、「プルンインサム(青い朝鮮人参)」と言うではないか。

言われてみると朝鮮人参に形が似ている。それに健康食品だ。

なかなか良い名を付けたものだ。

この「プルンインサム」が朝鮮の人たちの食卓で人気を博するようになる日も近いかも知れない。


「AI No Katachi」-愛のカタチ

若林盛亮 2021年10月20日

「AI No Katachi」(愛のカタチ)という歌をご存知だろうか?

歌っているのは世界カラオケ大会で優勝したという海蔵かいぞう亮りょう太た君、若い歌手だ。「J-MERO」というBS番組で偶然、耳にしたがとても心にしみいる歌だった。だから録画に採って何度も聴いている。

認知症の女性と家族をテーマにしたと言われるが、病に記憶を蝕まれていく母にそっと寄り添う中熟年の息子や娘の想いを歌にしたものだろう。

「AI No Katachi」はこんな歌詞から始まる。

“桜舞い散る 春待たずして/ もしもあなたが この世を去ったら/ 実り黄金こがねの 秋待たずして/ あたしは あなたを追うのでしょう“

出だしからの美しい言葉としっとりと歌い上げる高音域の亮太君の歌唱力が聴く者をぐいぐいと歌の世界に引き込んでいく。歌詞を彩る美しい日本語の響き、音韻がさながら言葉の霊となって認知症の母と子が心で交わす愛の世界を紡いでいく。

春の夕暮れ、裏通りへと散歩に出かけた「あなた」を「あたし」は庭の錆びたベンチで待つのでしょう

冬の夜、夢を諦めきれず北へと旅に出る「あなた」に「あたし」は毎夜、北に向かい「おやすみ」を言うのでしょう

このような歌詞がしっとり続いた後、亮太君が歌い上げるこの曲のクライマックス!

“あなたが教えてくれた事・・・/ それは本当の「愛のカタチ」“

これは説明するまでもない誰もが心にひっそりと宿す「母の愛」そのもの。

私はよど号で朝鮮に渡って10年もしないうちに母を亡くした。別に認知症だったわけではないが、この歌が母への想いを代弁してくれているように思える。

末期大腸癌に病んだ年老いた母、その母は最期を看取ることもできない不肖息子の送った「朝鮮人参」をとてもありがたがっていたと姉から聞いた。

私の母は「受験戦争」に背を向ける私を「寄らば大樹の陰やで」と心配した。学生運動に飛び込んだ私に「おまえがやらんでも他にやる人はいっぱいいるやろう」とも言った。そんな母だが私のすることに反対したことは一度もなかった。朝鮮に渡って以降は日本の訪朝団に託した手紙に「(朝鮮で)お世話になっているんやから感謝の心は忘れてはいけない」と書いてくれた。

心配はするが信じる、それが私の母の「本当の“愛のカタチ”」だったのだろう、そう思う。

この歌は最後をこう締めている。

“幾年いくとせ老いて あたしの記憶を/ 病が徒いたずらに食らえども/ 愛子まなごの名を忘れ 我が名を忘れ/ それでもあなたを忘れません“

幾年老いた私も母を忘れないだろう。


吉幾三さんの新曲「涙…止めて」

赤木志郎 2021年10月20日

 BSTVで吉幾三特集があった。吉幾三さんの歌には「かあさん」「娘に」「酔歌」「津軽平野」など肉親への情愛をこめた歌が多い。そして、女性の感情を歌った「海峡」「雪国」がある一方、愉快なラップ調の「俺さ東京さいくべ」「尽くさんかい」がある。「酒よ」は酒場の片隅で故郷に帰りたくとも帰れないで酒を寂しく舐めていた労働者から話を聞いて作った歌だそうだ。

 こうした様々な人の心の底に渦巻く気持を歌いあげているのが特徴だと思う。

 最近、といっても三年前に作詞作曲された「涙・・・止めて」という曲をこの番組で初めて聞いた。

 涙止めて世界中の涙を   夢を見たいこの先の夢

過去と未来みんな背負って 歩きだそうこの手つないで

やがて笑うみんなが笑う  そんな地球を私は見たい

水と緑に覆われた日本   この国でみんなが生きていくのなら

かつて子供の頃、覚えた反戦歌は、戦後直後に作られた、先の第二世界大戦を思い浮かべる歌だった。戦災を蒙って戦争のない国をめざし立ち上がろうという感じだった。「心の歌」「原爆許すまじ」などなど。今ではまったく耳にしない。そんな歌があったのかと思われるくらいだ。ベトナム戦争当時、反戦歌が多く歌われたが、外国のもので私には馴染めなかった。

 この歌は、現在の戦乱がたえない現在の世界、戦争の危険性がある日本のことを歌っている。だから、新鮮に感じたのだろう。

何回も聴きながら、日本という国を非戦平和国家にし世界から戦いをなくし平和を希うという人々の切ない願いが込められていると思った。

「非戦平和国家」こそ日本国民の願いであり、日本の使命と役割だとつくづく感じさせられた。


落ち穂ひろい

魚本公博 2021年10月20日

この間、朝鮮は寒波が張り出してきて急激に気温が低下。それまで最低気温も10度以上はあったものが、一挙に数度になり17日の日曜には零度にまで下がりました。よど農園の里芋も一挙にしおれ、まだまだ大きくなることを期待していただけに残念でした。

この日、市内に出かける機会があったのですが、周辺の農村地帯では稲の刈り入れも終え、脱穀準備に大忙しでした。そうした中、農場員や農業支援の子供達が落ち穂ひろいをしているのを見かけました。テレビなどでも「稲刈り戦闘をよくやろう」「一粒のコメも無駄にせず取り入れよう」と呼びかけていて、そのための稲穂ひろいなのです。

その風景を見ながら、昔、故郷で見た稲穂ひろいの風景を思い出しました。私の故郷は当時、別府の市街地に隣接する農村地帯で、住民の中には、土地を持たず、市内に働き場所をもつ人たちも住んでいたのですが、稲刈りの頃、そうした人たちの何人かが稲穂ひろいをするのです。何でも、集めると一升瓶ほどにはなり、生活の足しになるのだとか。幼少の頃、そうしたオバさんたちの稲穂ひろいを手助けした記憶があります。

以前、BSの歴史物で、昔、日本の農村では、村に住む土地を持たない人のために、農民はわざと落ち穂を残す習慣があり、ある地方では、勝手に稲刈りをしてもよいように小さな田圃ごと稲を残す習慣さえあったということを知りました。

貧しい人のための、弱い立場の人のための庶民のセーフティーネット。人々が助けあう共同体の中で自ずと生まれたシステム。何かほっこりする話しです。今では、そういう習慣も消えてしまったのでしょうが、それだけに、国が人々の命と暮らしに責任をもつという意味が問い直されているように思います。


メディアジャックの「乗客」にされて

小西隆裕 2021年10月5日

この間の日本のテレビ、ラジオ、新聞などメディアは、さながら、自民党の総裁選のため、連日、ハイジャックならぬメディアジャックされた観があった。

われわれも、その予想や分析、評価に熱中していた。言ってみれば、メディアジャックされた飛行機「日本号」の乗客にされていた訳だ。

総裁選は、岸田氏の予想を大きく上回る圧勝に終わった。国民的人気が高いと言われ、党員票での圧倒的優勢を言われた河野氏の惨敗。河野氏の票を大幅に食ったと言われる高市氏の出馬。

選挙後、岸田氏を真ん中に満面の笑みで主席壇に居並んだ安倍、麻生、甘利、いわゆる3Aの面々。2Fと言われる二階氏の憮然たる表情。

「日本号」がどこに着陸させられたかは明白だ。

「乗客」であるわれわれも黙っていてはならないと思う。


京都の思い出に出会う

若林盛亮 2021年10月5日

BS放送では京都の神社仏閣、古都の歴史、四季の風景、京都料理などを紹介する番組が多い。

私にとって京都は学生時代、青春の思い出のいっぱい詰まった町だ。

常連バイトでお世話になった「貸し物屋」という京都三大祭り、和服や華道各流派の展示会といった京都ならではのイベント、地鎮祭や学校の文化祭など催し物の会場設定をやる仕事があって、天竜寺や東福寺、東寺など主な神社仏閣はなじみの仕事場として記憶に残るところだ。

ある日、貴船きぶねという鞍馬くらま山麓にある夏の京都の避暑地の紹介番組があった。

水の神様が祀られているという貴船神社があって、谷間を流れる貴船川は鴨川の源流の一つだが渓流に沿って川床をしつらえた料理旅館がずらり軒を連ねる観光スポットでもある。

貴船祭りの際に紅白の幕張り、床几やテントの設営をやったが、京都にはこんな渓谷風景があったんやと感動した仕事場、それが私にとっての貴船だ。

あのとき職人のおっちゃんたちと休憩時間に吸ったタバコの味が忘れられない。思い出すのがタバコとは不思議だが、たぶん汗みずくで働いた後、シャツのポケットから取り出したじとじとに濡れたタバコの味が格別だったからだろう。「Bちゃん(=Beatles;私の愛称)、こうやるんや」と親しく私に仕事の要領を教えてくれた人情家のおっちゃん達はもういないだろうなと思うと少し寂しい。

新撰組ゆかりの地として紹介された三条大橋、鴨川にかかる橋桁あたりの風景も当時のまんまの姿で残っていた。

あの橋の下で「小説家志望の詩人」を誘って乞食のおっちゃん二人組とやった酒宴の思い出がよみがえる。二人のお乞食さんが近くの木屋町飲屋街から集めたポリタンクいっぱいの残り物ごちゃまぜビール、その味はなんとも言えなかった。朝目覚めて比叡山あたりから昇る朝日をみんなで眺めたが、「満州の太陽はもっとでっかいぞ」と言ったおっちゃんの言葉が忘れられない。満州引き揚げ者のおっちゃん二人の様々な想いのこもる言葉だった。

私の学生時代はある意味、放浪の時代、京都のあちこちを彷徨し、仕事もし、人に出会い仲間らと語り合った。

番組で紹介される京都にはそうした発展途上の青春にいろんなことを教えてくれた記憶が凝縮されている。

だからなぜか故郷の近江の風景より京都には思い入れが深い。


秋夕の月見

魚本公博 2021年10月5日

9月21日は中秋の名月でした。朝鮮では秋夕(チュソク)の日と言って、墓参りの日で休日です(もう一つの墓参りの日は4月5日頃の清明節)。中秋の名月の日は、旧暦の8月15日になります。お盆ですね。盆は丸いということで満月を意味して付けられたのだと思いますが、朝鮮でも「膨らんだ」という意味でボルムと言い、満月を意味しており、似ています。先祖供養の日であるというのも同じですね。

明治になって太陽暦を取り入れる際、旧暦の日時をそのまま当てはめたため、元来8月15日は満月の日だったのが必ずしも満月にならいのは残念な気もします。

中秋の名月では、ススキに月見団子が定番ですが、地方によっては里芋をそなえ、それが原型のようです。そこで私は、中秋の名月には、里芋をふかして食べることにしています。その日はあいにくの雨、小降りになった頃をみはからって、よど農園に行って里芋を掘り、何とか間に合わせることができました。夜もしばらく雨天でしたが11時頃に晴れ間が広がり、名月を見ることができました。

中秋の名月を仰ぎ見ながら亡き父母や故人を偲ぶ。今年は雨天の後の晴れ間に出た月ということもあって、妖しいほどの美しさで、いつにも増して身に染みる月見となりました。


最近のこと

森順子 2021年10月5日


160個の栗

9月、気になったことは台風ですが、昨年のような被害に見舞われず全国的に万全な取り組みもされ無事に過ぎそうです。残るは稲刈りを待つだけです。このまま気候がよければいいのですが。

もう、道ばたには秋桜がいっぱい。市内に行く高速道路の両側に列をなす秋桜が寂しくない秋を感じます。数日前は、アパートの下で皆と栗焼きしました。もちろん栗は村の栗の木です。すごい煙に覆われましたが初めての経験で秋の日の午後の思い出と癒しになったようです。

日本では、緊急事態宣言が解除されることと、もっぱら総裁選のことばかり。4人の候補者の人物評価の話が私たちの中でもよくでますが、どっちにしろ・・・。それより11月には6波が来ると誰もが言うのに解除とは、こっちの方が気になります。

明日は総裁選挙ですが、「ともかくコロナに勝てる人」「命を守ってくれる人」、国民の目線に立てば、これが総裁の条件だと思うのですが・・・。


あっという間にお腹の中に


10数年ぶりの卓球から

若林佐喜子 2021年10月5日

空一面に広がった鱗雲に魅せられ、ちょっと気分も爽やかな9月末のある日。

村に来ていた案内人のミョンチョルさん、わがyobo yodoたちと卓球を10数年ぶりにやりました。すでに帰国しているわが次男とやったのが最後のように記憶しています。

朝鮮の人たちは、みな卓球が上手です。どの学校、どの職場にも卓球台があり、住宅地の広場の一角にもコンクリートの卓球台があるくらいです。

何しろ10数年振りなのとyobo yodoなので、思うように身体が動きません。カットされた玉は受けられず、打ち込みをやろうとすると気があせり外に出てしまう(笑)。ダブルスで組んだ人にカバーしてもらいながら3回戦やりました。1セット目は負け、2セット目はジュースの接戦勝ち、3セット目はあっけなく負けました。

久しぶりに卓球をやりながら、思い出すのは小学校時代の事でした。田舎の学校で一学年一クラスの全校生徒150名弱の小さな学校です。お坊さんの先生が体育担当で、サッカー、ドッジボールなども人数的に男女混合です。高学年の教室の一角には卓球台があり、体育の授業だったのか、放課後やったのかは定かでないのですが卓球をやりました。また、全校生徒で近くの川原から石を運んで作った「仲良しローラースケート場」まであった校庭が、懐かしく目に浮かびました。

今の子供達の置かれた状況を考えると、当時は、なんとも牧歌的でのんびりした時代だったと思わずにいられませんでした。


同窓生

小西隆裕 2021年9月20日

母校、都立小石川高校を卒業してから、実に58・5年振りの対話だった。

クラス会をZOOMで開くので参加できないかというメールが来て、ZOOMではできない旨返信をしたのに対する向こうからの電話だった。

相手は、クラス会の幹事をやっているのだろうM君。

電話越しに聞こえてくる声は、どこか聞き覚えのある、まさしくM君のものだった。20分と20分、計40分間、同級生だったTさんと結婚したM君のこと、他の皆のことなど、時間はあっと言う間に過ぎ去った。

正直言って、M君とは高校の時、それほど親しかった訳ではない。しかし、時間が経つのを忘れて、話は尽きなかった。

たったの3年間。77歳の私にとって、半生の26分の1に過ぎない。しかし、それが鮮やかによみがえってきて、それより遙かに大きな比重を持って思われた。

話が合う合わない、昔仲が良かったかどうかなど関係ない。あの時一緒に居たというただそれだけで十分心が通じ話が通じた。同窓生とはそういうものなのだろう。


「自分の軸足を持ちたい」という「M」さんへ

若林盛亮 2021年9月20日

私たちのツイッター、yobo_yodoの9月更新分に質問が来た。

「成人し、少しずつ社会が見えてきて自分が正しいと信じていたことに疑問を感じる機会が増えました」とあるので、たぶん成人して間もない若い人からのものだ。

「今まで北朝鮮は自由がなく恐ろしい国だと思っていたので、皆様のウェブサイトでの氷みづのお話や船に乗っている花嫁さんの写真にとても驚き」、与えられてきた情報を鵜呑みにしてきた自分の未熟さを実感したのだそうだ。

「M」さんと名乗る彼女は(勝手に女性と推定)「日本の未来である子供達を守る仕事に就きたい」と考えており、自分の間違った認識や信念のために子供を傷つけたらと不安になる、だから「情報に振り回されるのではなく自分の軸足を持った人間になりたい」と私たちに助言を求めてきた。

「今後一人の大人として生きていく上で自分の芯を作る為にはどの様な事が大切でしょうか」?

とても難しい質問だ。私としてはMさんにいま言えることだけをツイットした。

「貴女が思う『おかしい』、その疑問の解答を求め続ける誠実さではないでしょうか」

一言でいおうとちょっと抽象的になった。ウェブサイトも閲覧されているようなので、自分の体験談も交えてもうちょっと砕いた返信にしてみた。

私も大学生になる前、自分が正しいと信じてきた「常識」、進学校の優等生やいい大学に入るため受験戦争に勝つことに疑問が芽生え、また物心つく頃から羨望の的であった「アメリカン・ドリーム」が色あせたものに見え始め、親や教師、大人たちから言われてきたことが「何かおかしい」と感じるようになった。でもその答はわからなかった。でも「おかしい」と思うことにずるずる流されていくことの方が怖くて、そこから一歩、距離を置くようになった。

私は「M」さんのように「日本の未来である子供達」のための仕事に就くというような明確な目標はまだ持っていなかった。だからあっちにぶつかりこちらに転がりしながらやっと社会と向き合うべきだと悟り学生運動にたどりついた、それが大学4年になるとき、とても遅い「覚醒」だった。そして「赤軍派―よど号で朝鮮へ」となって今日に至るも私の自問自答は続いてる。

「M」さん的に言えば、それは「自分の芯、軸足」を持つための人生遍歴だったように思う。

いま思えば、敗戦直後の大人たちも皇国史観の軍国主義日本から突然の米国式の民主主義日本への180度価値観転換に頭が混乱していた。敗戦の教訓も自分の頭で考え抜かれたものじゃなかったと思う。戦後の日本社会はその出発点から「自分の軸足」が確固としなかった。このことは私たち戦後世代を経ていまの若い世代が日本社会の「常識」に疑問を感じ「自分の軸足」を持てないで悩むことにいまだ影響を与えていると思う。

こういった私の想いを込め、「疑問の回答を求め続ける誠実さ」とちょっとカッコつけすぎのツイットをした。言葉を換えれば「自問自答を続けることではないでしょうか」と伝えたかった。

これまで正しいと思ってきたこと、自分の「常識」に疑問が芽生え始めたこと自体が「軸足を持った人間」への第一歩の始まり、そして「おかしい」への回答を求め続けること、またその過程での学びと人との出会いを大切にすること、失敗さえも力に変えていく努力を続けること、「ではないでしょうか」とだけは言える。

貴方が日本の未来である子供たちのために誠心誠意、精進努力を続けられんことを願うだけです。

玄界灘の向こうから「M」さんを応援しています。


お世話になった人々

赤木志郎 2021年9月20日

 長らく宿舎の周りを丁寧に手入れしていたオジサンもいつのまにかいなくなった。定年の60歳を越えていたからいつかは引退すると思っていたが・・・。よく宿舎の周りの雑木を刈り込み、綺麗にしていた。ここは大同江が見下ろせるからどんなに良いかと話していたことが印象的だった。

これまでそれこそ多くの人々にお世話になった。朝鮮に来たはじめの頃は、解放直後の民主改革経験者、朝鮮戦争参加者が多く、異口同音に「米兵が世界で一番弱い」ということを聞かされたのが印象的だった。いわゆる革命第二世代と呼ばれる楽天的で元気な人々だった。

つぎに朝鮮戦争後育った世代だ。ちょうど私の1,2歳上になる。復興時期なので苦労して育ったのが分かる。日本の戦後世代と似ている。

管理関係の労働者も最初は日本から親元を離れ異郷に訪れた若者として息子のように対してくれた。そうした人々もいなくなり、比較的長く世話になった運転手の方々も皆、引退した。

今や、皆、年下の人ばかりになった。管理するおじさんたちもどんどん若返ってくる。日頃接している市内の商店、病院の人たちもそうだ。孫のような人たちは、私を若返えさせてくれる。

しかし、昔、世話になった人たちは去っても、その情は日本人村の到るところに残っている。村や家のあちこちを見ても、その箇所を修理してくれたことを思いだす。風の便りで病死したという話をきくときもある。しかし、彼らの情は私たちの胸に残っているのだと思う。


先人の知恵、学ぶべし

魚本公博 2021年9月20日

今年の猛暑、ビールが美味かったです。ビールには枝豆。この単純にして簡単な枝豆がビールのつまみには最適。BSなどを見ていると外国人にも「あれは美味い」と好評のようです。

枝豆は大豆を青いうちに採ったものですが、よど農園で大豆を栽培するのがことのほか難しい。原因はキジ。我々が住む日本人村は、動物保護区(禁猟区)の一角なのでキジの天国なのです。アパートの周辺にも我がもの顔で歩き回っています(ちなみに、四つ足動物だけでもノロ(小型の鹿)、タヌキ、キツネ、リス、シマリスなどがいます)。

このキジの大好物が大豆。畑に植えても、必ず探しあてて食べてしまいう。そこでビニールで覆っても、鶏のような頑丈な足で隙間を作って入り込み食べてしまう。それならと苗を家で作って移植する方法でやってみたのですが幼苗も食べられてしまう。無念やるかたない。

そこで、一念発起して、やってみるかと思い立ったのが、昔、管理の人たちが直撒きした大豆畑に木の枝を刺し、そこに糸を張り巡らせてキジを防止するやり方。以前から考えてはいたことなのですが、あんな細い糸で囲っても、やられちゃうだろうなと、あまり気乗りしなかったもの。

やってみたら、それが大成功。どうもキジは細い糸が張られているような所は怖がるらしく、糸を張った場所には警戒して近づこうともしません。かくて、3mほどの畝2本に植えた大豆に実が鈴なり。今年の夏は(と言っても8月になってから)枝豆が大量に採れました。皆にも配って、喜ばれました。

イヤー、あんな細い糸を張ってもと半信半疑でやったことですが、先人の知恵、学ぶべしを思い知らされた枝豆でした。


肌で感じた「時代の転換」

小西隆裕 2021年9月5日

先日、外交評論家、孫崎享さんの講演を受けて、同氏との電話を通しての対論に「アジアの内の日本の会」を代表して出演させていただいた。さほど広くない会場には、コロナの中、40名ほどの人々が集まり盛況だったようだ。

講演の内容は、米朝問題、米中新冷戦問題、それについて私の方から質問するかたちで対論は進行したが、その過程で電話線につないだスピーカーから聞こえてくる会場の人々の声に感じ入った。

一言で言って、「時代が変わったなあ」という感慨だ。

「米国が中国に負ける」という孫崎さんの話がごく当たり前のように受け入れられている。

一方、米国が唱える「民主主義VS専制主義」がもはや何の力もないイデオロギー、古い戯れ言として受け止められている。

時代の転換は、人間の意識を超えて進んで行く。

この間の米国の衰退、没落、コロナ禍でのその露呈が生み出した、この時代の進展に改めて驚かされた一日だった。


夏の終わりは・・・

若林盛亮 2021年9月5日

夏の終わりはさみしい。

8月も下旬ともなれば秋風を思わせる涼風を肌に感じ始める。あのボギョム(暴炎)と言われた真夏の炎暑が懐かしくなるから不思議だ。

故郷の滋賀にいた頃、琵琶湖の海水浴場の砂浜に人気がなくなる季節、「海の家」、貸しボート屋などが寂れていくサマを思い出す。高校のヨット部活時、艇庫のある浜の隣が柳ケ崎水泳場だったが、寂れた桟橋や客もないかき氷屋の店先で「氷」の旗がひらひら風に揺れている風情は何とも言えないワビの世界を想わせたものだ。

さみしいと言えば、「村」前の大同江をあれほど頻繁に往来していた砂利運搬船、浚渫船がこのところめっきり減った。市内の1万世帯ニュータウン建設、丘陵地の8千世帯階段式住宅建設が完成段階に入って骨材の需要が激減したからだろう。これは季節とは関係がない。

夏の終わるこの季節、他方では私の密かな楽しみの始まる季節でもある。

これからは何と言ってもリヴァプールの季節! 英サッカー、プレミア・リーグの新シーズン開幕の季節だ。

昨季は防御陣の主力3人が負傷長期離脱で「苦難突破シーズン」、それでも最終的には3位にこぎつけた。だから今季はリーグ制覇、優勝が私の悲願、だから必勝祈願のシーズン開始となる。

ところで今季は優勝争いが大混戦になる気配濃厚。これまではマンチェスター・シティのみがライバルだったが、今季はチェルシー、マンチェスター・ユナイテッドも監督交代や新選手補強でライバルとなりうる強力な陣容を整えている。四つ巴のデッド・ヒートになりそうだ。

案の定、リヴァプール第三戦はチェルシーと1:1、ドロー(引き分け)試合になった。相手チームに出されたイエロー・カード(警告)二枚、レッド・カード(退場)一枚というのが試合の激しさを物語っている。

サッカーとなると話が止まらないのでここまで。

とにかく深く静かに私が燃えたぎる季節が始まったことは確か。

DAZNが放映権独占でBS放映は皆無になったので、速報は椎野さんから、詳報はわがサッカー師匠からいただく。この方たちも忙しくなる季節に入る。

かんにんしてな、おおきにやで。


やる気の源、大谷翔平

魚本公博 2021年9月5日

私の一日の生活パターン、夜はプライムニュース、深層ニュース、報道1930などBSの報道番組を見るのですが、最近はこれに11時からのワースポMLBが加わります。そこで一番の楽しみは大谷翔平選手の活躍ぶり。ダイジェスト版ですから活躍場面だけを見ての省エネ視聴。

ホームラン場面や投手で力投の場面を見ては、気分すっきり。そんな日には溜まった原稿書きも「よーし今日は徹夜だ」とばかりにやる気が出ます。我ながらミーハーというか単純だとは思うのですが。

日本人選手が大リーグで活躍しているのが嬉しいということですが、インタビューなどで垣間見る大谷選手の人柄にも好感がもてます。一言でいえば「野球愛」。自分の好きな野球を自身が楽しみながら、それを喜んでくれる観客や支えてくれるチームへの感謝も忘れない。そのための自己管理の努力などなど触発されることも多いです。

そうした大谷選手を通して、今の日本の若者像に触れる思いも。今の日本は様々な面で困難な問題が山積。それを解決し切り開くのは若い人たち。日本の若者はやりますよ。そうした期待を抱かせてくれるという意味でも「やる気の源、大谷翔平」です。


8月が終わって

森順子 2021年9月5日

五輪競技も応援できたし、今年は高校野球も開催でき、とってもよかったです。日本の深刻なコロナ状況を思うとネガテイブになりますが、選手や球児の躍動する姿で少し救われたような気持ちになれました。

ピョンヤンでは、一万世帯建設中です。もう今年の末までには入居できるようです。この短期間に、また新しい町が生まれ高層住宅がそびえ立ち緑化も進み、どんどん進化していくピョンヤンを感じています。また、今年は、2万人という青年たちが山に海に開発地に建設現場にと、いわゆるしんどい単位に志願したのです。28日は青年節、市内では祝典に参加する青年たちが乗ったバスに手を振る多くの人たちを見かけました。

朝鮮では、困難期を乗り越えたのは、青年たちの志願から始まったという歴史があり、それが今でも引き継がれていて、「青年強国」と言われるのも青年たちに対する国の信頼なのだと思います。皆、自分の故郷を離れるのは寂しいけど、と言っていましたが、国つくりに青春を捧げたいという、まさに頼もしい青年たちです。「若い人が元気な国、朝鮮」を感じた8月でもありました。


オバケひょうたんで、パガジを

若林佐喜子 2021年9月5日

朝晩は涼しく、日中には赤トンボを見かける今日この頃です。

よど農場はすでに実りの秋、枝豆、ゆりの根、ニガウリ、ジャガイモ。一番の収穫は、なんと言っても「ひょうたん」です。日本のひょうたんと違って楕円形で、朝鮮では、水くみ用の容器(パガジ)として使います。


オバケひょうたん8月中旬撮影

今年のひょうたん、一番大きいのは周囲が104センチ!です。 アパートの下の畑に行くたびに、よくこんな大きなひょうたんがぶら下がっているものだと感心しながら見守っていました。先日、皆様にお知らせしようとカメラとメジャーをもって畑にいくと、草むらに落ちて割れているではないですか。「ええ!2個とも? この間、お天気が悪かったせいかな」と。一人ではとても運べず思い悩んでいたら、偶然、管理人の人に出会い2人でアパートの前までやっとの思いで運びました。その日の夕食時に安部さんに話すと、「実は自分が切った」とのこと。な~んだ、どうりできれいに二つに割れていたのだと納得の私でした(笑)。

さて、オバケひょうたんですが、ばかでかいパガジを作って宿所に置き、支援者の方々が来られたときにお見せしようということに・・。

その日本の支援者の方々のご尽力で開催された8月29日のイベント、孫崎享氏と小西隆裕さんの電話対談。受話器ごしですが、日本の皆様の懐かしい声と熱気溢れる会場の雰囲気が電話を取り囲んでいた私達にも伝わってきました。会場の「スペースたんぽぽ」は、日本の友人がメールで送ってくれる「テント日誌」に出てくる名称なので勝手に親しみと懐かしさを感じていました。コロナ感染拡大の中で、会場の準備や当日の感染防止対策に苦労して下さった皆様、参加者の方々に心から感謝しています。

一日も早くコロナが収束し、帰国支援センター山中代表をはじめ支援者の方々を日本人村にお迎えできる日が来ることを改めて願った9月です。


癒しのひととき


オリンピック

小西隆裕 2021年8月20日

今回のオリンピックはもう一つ関心を持てなかった。だから、テレビのスイッチを入れる指先にも力が入らなかった。

しかし、一旦観始めると違ってきた。出場している選手たちのオリンピックに掛ける気迫が乗り移ってきたかのように。

プロの選手たちも、いつもとは違って見えた。米国との決勝戦、1点差の攻防の中、ピンチをキャッチャーフライで切り抜けた時、甲斐が落ちてくるボールを押し戴くように捕って跪いたのが印象的だった。

国を背負うと選手たちも重くなる。見る方も気が入る。人間にとって、国とはそういうものなのだろう。


Sailing(帆走)-風を読み風を操る

若林盛亮 2021年8月20日

夏のせいか、「Sailing」という歌を最近よく聴いている。

ロッド・スチュアートという英ロック歌手の歌だがバックを王立フィルハーモニック交響楽団の荘重な楽曲が支え、その素晴らしいメロディラインがSailing、人生という航海を悠々たるドラマチックな音楽として歌い上げている。

船は行く 船は行く/帰るんだ/海を越え/船は行く/嵐の海を/君のそばへ/自由へ

飛んでいく 飛んでいく/鳥のように/空を越え/僕は飛ぶ/雲を抜け/君のもとへ/自由へ

途中はさまれる歌詞は

「死にそうだ/泣き続けて/君のもとへ/なにがあろうと」

とあって、その航海は思うようにいかないこと、でもなんとしてでも「君のもとへ」たどりつくのだと人生の紆余曲折も歌いこんである。

あっちに転びこっちに転びの自分の人生体験を重ねることもできる歌だ。

Sailingといえば、高校時代にSailingクラブ、ヨットの部活をやった。競技自体に興味はなかったが、夏の広々とした琵琶湖を思いのままSailingする爽快さは忘れられない。

帆船とは風を帆に受けて風下にしか進まないものと思ってたら、風上に向かうものだということを知った。飛行機の翼の原理、丸みを帯びた上部と平坦な下部を過ぎる風が走る距離の差によって生まれる分力が浮力と推進力を生む原理を風にふくらむ帆に応用したものだ。風上に向かって40度角に進むときに最も速くヨットは走る。

風を読み風を操る操舵でどこにでも行ける! 

かつて堀江謙一さんが「太平洋ひとりぼっち」、小型ヨットで太平洋横断をやった。当時、「琵琶湖ひとりぼっち」、琵琶湖周航くらいはできそうだと私でも夢想できた。

人の人生と同様、国の運命も時代の風を読み風を操れば順風満帆、時代を読み間違えば国の舵取りを誤る。

日本が「米中対決の最前線を担う」、そして「台湾有事は(日本の)国家存立危機事態」だから米国と一緒に台湾防衛のために中国と戦う日本にすべきだという声が上がっている。しかし時代の風は「米国についていけばなんとかなる」という「戦後の常識」がもはや通用しないことを見せている。

今日は8月15日だ。

沖縄特攻で散った戦艦大和の士官の一人は遺書に「新生日本が世界史の中で正しい役割を果たす日の来ることをのみ願う」と書いた。私たち戦後の日本人には新生日本を託して散った先達の念願をなんとしてでもかなえる責務がある。

Sailing?日本の舵取りのためには時代の風を読む正しい眼力を養うこと。

そして風を操り嵐の海を突き抜け行くんだ?「君のもとへ/なにがあろうと」!


いつにも増して重い「8・15」でした

魚本公博 2021年8月20日

今年の8・15、いつにも増して重く感じる8・15でした。それは、五輪強行によるコロナ禍の急拡大。「最早、打つ手なし」とも言われる状況、まさに「コロナ敗戦」と重なる「敗戦記念日」だったからだと思います。

その「全国戦没者追悼式」。94歳という最高齢で参加された長尾昭次さんは、コロナ禍の中、参加をためらう気持ちもあったそうですが、兄が戦死し自身も陸軍少年飛行兵で「仲間には特攻で死んだ者もいる」として、「特攻で亡くなった人たちを思えば、私たちに何ができるか」との思いを抱いての参加だったとか。

そして言います。「(政治家も含め)戦争だけは絶対避ける考えをもっていただきたい」と。遺族を代表して追悼の辞を述べた兵庫の柿原啓志さん(85歳)は、「自分たちのような遺族を作ってはならない」と述べておられた。

これに対し、菅首相は「積極的平和主義の旗の下、国際社会と力を合わせながら・・・」と。積極的平和主義とは、「米国と共に戦争する国」を目指した安倍前首相が使った言葉。国際社会とは米国。そして今、米バイデン政権の唱える「米中新冷戦」で日本はその前面に立たされようとしている。

菅首相の言葉は、遺族の方々の思いを真っ向から否定し押しつぶすもの。一体誰が、どうした政治が「敗戦」をもたらしたのか。「コロナ敗戦」を見るにつけ、政治の無責任さを思わずにはいられません。

「二度と戦争してはならない」「二度と遺族を作ってはならない」。この言葉の重みがいつにも増して胸に迫る8・15でした。


「照ノ富士」(2)

小西隆裕 2021年8月5日

つい四ヶ月前、「こういう力士にこそ横綱になってほしい」とこのライフ欄に書いた照ノ富士が本当に横綱になった。

春場所で優勝して大関になったと思ったら、夏場所に大関としてまた優勝。横綱昇進がかかったこの場所で十四日間勝ちっ放し。千秋楽、全勝同士の白鵬戦では敗れたが、文句なしの「横綱」だった。

横綱昇進を受けての恒例の口上は、「不動心を心がけ、横綱の品格、力量の向上に努めます」だった。

彼ならこの言葉通りやってくれるだろう。

白鵬がもう三,四歳若かったなら、柏鵬時代に続く「鵬照時代」もあり得たのではと少々残念な思いがしている。


「暴炎」-真夏の大同江は「生ビールの季節」&「恋の季節だよ~」?

若林盛亮 2021年8月5日


船上レストランから見たチャンジョン街

炎暑のことを朝鮮では「暴炎」(ポギョン)という。

7月の下旬はこの暴炎つづき、暑さに弱い朝鮮の人々はまさにうだりにうだってあえいでいる。

“真っ赤に燃えた太陽だから~ 真夏の海は~ 恋の季節だよ~ ?”

50余年前のピンキーとキラーズのヒット曲にあやかって私たちyobo_yodoは、“真夏の海”ならぬ“真夏の河”、市内の大同江に浮かぶ船上レストランへ、“恋”ならぬ“生ビール”の季節を楽しみに出かけた。

川面から吹く風は心地よく、私は生ビールを立て続けに大ジョッキ3杯を飲み干した。フランクフルト風味のソーセージをつまみにぐいぐいと喉ごしを楽しんだ。みんなもよく飲み、よく食べた。

川面に目を移すとモーターボートが目に入った。

そこには遠目にも新婚さんとおぼしきカップルが乗っていたのでカメラを向けた。望遠にしてみるとカップルの前には「撮影班」のようなビデオカメラ、及び静止画像カメラを持った二人のカメラマンが舳先(へさき)からカップルを撮影しているのが見えた。


真夏の大同江は恋の季節

新婚さんの男性が上着を脱いで彼女に片側を持たせると、モーターボートのスピードが起こす風が上着をひらひらとなびかせ、両手を広げたカップルの頭上に「祝福の風」がはためくような演出になる。

若きカップルには暴炎もなんのその

”真っ赤に燃えた太陽だから~ 真夏の大同江は~ 恋の季節だよ~?”

になるのです。

以降、数組の新婚さんが、結婚式を終えての記念の大同江モーターボート遊覧、「祝福の風」撮影儀式に次々やってきた。

市内を流れる真夏の大同江は、老若男女に暴炎を忘れさせる優しいひととき、「生ビールの季節」、「恋の季節」をアレンジしてくれる粋な河でありました。


祖国愛について考える

赤木志郎 2021年8月5日

BS放送で一年以上かけて放映されていたインドドラマ「ポロス」が終わった。最初はペルシャの侵略、つぎに世界制覇を追求するマケドニアのアレクサンダー大王にたいし、ポロスはインドの独立を侵すものは許さないとして困難な戦いを繰り広げる。その戦いのなかで父と母、兄、妻の両親も戦死する。また、弟や母の兄(地方の王)とその息子などの裏切りも体験する。その過程でいっそう祖国愛を高め祖国愛で人々を奮い立たせ勇敢に戦い、インド統一の始祖とされた。最後に、「祖国のために捧げた精神は子孫代々に受け継がれ、インドの独立を守るだろう」という言葉を残して死んでゆく。ペルシャとの関係やまき散らされた伝染病のために全食糧を燃やさなければならない状況など、いろいろな場面があるが、すべてにわたって祖国愛に貫かれた叙事詩のようなドラマだった。

このドラマを見て、まず、インドの人々の祖国にたいする想いがすごく強いなと感じた。つぎに祖国愛があらゆる困難をうち勝つ力の最大の源泉だと思った。そして、人を信じるのはその愛国心を信じるということ、祖国を守る闘いのなかでいっそう祖国愛が高まり敵をも感動せざるをえないほど高潔なものに至るということなどが感想だ。

このドラマが終わった日は、朝鮮はちょうど7・27祖国解放戦争勝利記念日(いわゆる朝鮮戦争停戦協定締結日)だった。市内に出ると、飾り付けや踊りなど祭りのような雰囲気だった。TVでは、祖国愛をテーマにした「私の生と祖国」「戦士の歌」「祖国と私」などの歌が多く流されていた。

祖国愛についていろいろ考えさせられた日であった。


ゴン攻め

魚本公博 2021年8月5日

コロナ禍蔓延の中での東京五輪。そういう「イヤなこと」を吹き飛ばすかのような日本選手の活躍。とりわけ、開幕早々のスケート・ボードでの最年少13歳で金メダルの西矢椛の金は感動ものでした。

ところで、そこでNHKの解説を務めた瀬尻稜さんの発した言葉が話題になったとか。その言葉とは「すごいゴン攻めやってますねー」という「ゴン攻め」。その説明はなかったので詳しくは分かりませんが、「ゴンゴン攻める」みたいな感じでしょうか。

ある新聞は、この言葉を紹介しながら、少々イヤなことくらい頑張って乗り切ろうという気にさせると。競泳女子400m個人メドレーで金メダルを取った大橋悠依選手が極度の貧血症を克服しての快挙であったことも、あきらめず人生をゴン攻めした結果だろうと書いていました。

阿部兄妹の同時金メダル。卓球男女混合ダブルスで大逆転を演じての水谷・伊藤ペアの金メダル。ソフトボールでの上野投手の超人的な活躍と金メダルなどなど、多くの金メダルやメダルも「ゴン攻め」ですね。

「ゴン攻め」には、かつてのような悲壮感漂う「根性論」ではなく「楽しむ」という気持ちも込められているようです。西矢選手が劣勢にあってもニコニコ顔だったのを聞かれて「だって楽しかったもん」と。楽しいから、あきらめずに「ゴンゴン行く」。大リーグで大活躍の大谷選手についても、そういうことが言われますが、日本の若者の新たな「頼もし像」に好感を持ちます。オリンピックも残りわずかですが、「ゴン攻め」でメダルラッシュ、期待しています。


暑中お見舞い申し上げます

若林佐喜子 2021年8月5日

日本は連日、暑い日が続いているようですが、皆様、いかがお過ごしでしょうか?

朝鮮も7月中旬から高温現象、ポギョム(暴炎)が続き、野外の作業は11時から16時まで禁止でした。特に農業部門では積極的な対策がとられ、テレビでは、毎日、田畑の水管理と給水などに総動員、総集中の様子が報道されていました。8月に入り、梅雨前線の登場でお天気予報に傘のマークが並ぶようになり、やっとポギョムが解消。ちょっと一安心と言いたいところですが、この先、豪雨もあり得るということですので、一難去ってまた一難。まだまだ油断大敵の今日この頃です。

よど農場は、周りに木々が多く、この間は、草も伸び放題?が幸いしてか、きゅうり、キャベツ、唐辛子、特に、今は、トマトが食べごろです。雨が多かったときは、少し色づくとみな腐っていましたが、暴炎の中でトマトも真っ赤に成長です。

平壌の街中では、夏のビンス(氷みず)が大人気です。日本のようにかき氷を山に盛るのではなく氷みずです。そこにアイスクリーム、スイカ、桃などの果物を盛ります。真夏はソフトクリームより頭の芯まで冷えるビンス屋さんが大盛況。そんな姿をみていると、ついつい、日本の昔からあるイチゴ、レモン、メロンシロップのかかった山盛りのかき氷が懐かしく思い出されます。最近はフラッペと呼ばれ色々な種類があるようですね。

まだまだ、暑い日が続きますので、皆様、水分補給をはじめ体調管理にくれぐれも留意され、しっかりこの夏をのりきりましょう。感染拡大がとても心配です。感染防止にも注意して下さい。


「気候変動」

小西隆裕 2021年7月20日


暑中お見舞い申し上げます。盛夏

朝鮮も、この数年、気候変動が顕著だ。

異例の酷暑だったり、台風の連続的上陸だったり、私たちがこちらに来てからの50年を振り返っても、「変動」が目に見えている。恒例だったテドン江上のスケート乗りも、今年などは、川面が完全氷結したかどうかが話題になるくらいになってしまった。

何でこんなことになっているのか。

そこで犯人にされているのが「地球温暖化ガス」、CO2だ。

確かにこれは科学だと言えるだろう。

しかし、これが「脱炭素化(グリーン化)」の大合唱となり、「デジタル化」とともにバイデン政権による米覇権回復、再構築のために利用されているのも事実だ。

G7など各種国際会議で「気候変動」問題が重要事項として繰り返し取り上げられている背景にはこの事実がある。

「脱炭素化(グリーン化)」自体は、「デジタル化」とともにやらねばならないことだ。

しかし、問題は、どのようにグリーン化するか、その中身だ。

高度な最先端科学技術で再生可能エネルギーの特長を存分に生かした、国家主導、地産地消など、自主自治のためのグリーン化か、それとも米系科学技術、外資に依存した安易なグリーン化か。

問われているのは、覇権のための「デジタル化」「グリーン化」か脱覇権のためのそれか、その対決点を鮮明にした闘いだと思う。


高温現象で空模様も異常7月19日


杏(あんず)干し、朝鮮でじわりブームに!の予感

若林盛亮 2021年7月20日

恒例の杏干しの季節がやってきた。

今年のはいい材料を仕入れてすでに塩漬けにして瓶かめにつけ込んだ。後は赤ジソの出るのを待ち、赤く漬け込んだそれを夏の熱い日差しに三日間さらす。毎年変わらない作業工程だが、今年のはうまそうだ。

家庭を持つ前から始めたと思うから、私の杏干し漬け歴はかれこれ40余年の歴史を持つ。

私はなぜか梅干し、なかでも梅干しのおにぎりに思い入れがある。

小学生の頃は母が家で漬けた梅干しでおにぎりを作ってくれて、遠足や運動会でよく食べたものだ。大学生になって東大安田講堂死守戦で逮捕された警察留置場の食事量の余りの少なさに飢餓状態になったとき毎晩「食べる夢」を見たが、そのときいちばん夢に出てきたのが梅干しのおにぎり弁当だった。それで保釈出所後、京都へ帰って知人に梅干しのおにぎり弁当を作ってもらって遠足に行った、それくらい梅干しには思い入れが深い。

朝鮮には、残念ながら梅の木がなかった、だから梅干しもない。でも杏の木はいっぱいあった。なら杏で代用できないかと考え、やってみたらほぼ梅干しそっくりの味になった。以来、杏干しを作ることがこの季節の「村」の風物詩となった。

余談だが蓮池薫さんが朝鮮在住時、なにかの雑誌か本で「よど号グループが杏で“梅干しづくり”をやってる」という記事を目にしてご夫婦で作られたとご本人の著書にあった。やっぱし同胞、考えることは同じやないかとなんとなく嬉しかった。

朝鮮の人は酸っぱいものが総じて苦手、寿司でさえ箸もつけられない人がいた。でも最近は市内に寿司専門店ができたり、外貨ショップで主に帰国した在日の方向けと思われる「杏干し」が細々と売られ出すようにはなった。

昨年も書いたが私たちの案内人のミョンチョルさんの奥さんも「よど号杏干し」に触発されつくるようになり、さらには長男がその「母の味」を覚え、結婚してからは若夫婦で杏干し漬けをやるようになった。じわり朝鮮に広がる杏干し漬けのお話しだが、ささやかな日朝親善ができたとかなと思えたものだ。

極めつけは、先週、市場に行った森さんが「杏の塩漬けが売ってたよ」! という吉報をもたらしたこと。杏をただ塩漬けにしただけのビニールパック入りのものだ。蜂蜜を入れて食べるとけっこうおいしいとか。

朝鮮には杏がそこら中にあって、「果物」として売られているが、果物的消費には限界がある。おそらく現消費量の十倍以上の杏が熟したまま毎年、木から落ちてゆく。こうした大量の余剰杏を塩漬けにすれば食材として役に立てられるはず、誰が目をつけたか知らないがいい着眼だと思った。

欲を言えば、さらにこれを“梅干し”ならぬ“杏干し”として企業的に食品加工工業としてやれば朝鮮の人々の食生活を潤すことになるだろう。私の夢想の羽は大きく広がっている。


人生の一場面を照らす演歌

赤木志郎 2021年7月20日

BS放送で森進一を迎えての番組があった。もともと私と同じ年代で、ハスキーで優しく包み込むような声でダイナミックに唄う森進一を気に入っていた。

鹿児島から中卒後、集団就職で大阪の寿司屋で働きはじめた彼にとって東京は別世界でしかも歌手はそのまた天上の世界であり、歌手になることなど考えたこともなかった。しかし、もって生まれた才能が彼をほおっておかなかった。17歳のときフジテレビののど自慢コンクールで6週一位となり、チャリー石黒氏に見いだされ歌手への道を歩む。はじめは断り、幾度かの誘いで母親に相談して決めたという。デビューも偶然、練習曲を聴いた人が決めたという。

私がTVで初めて森進一が唄うのを見たのは、高校生のときの深夜だった。あまりの上手さでいっぺんに引きこまれた。彼がデビューして今年で55周年を迎える。

私が好きなのは、「おふくろさん」と「さらば友よ」だ。とくに、「おふくろおさん」歌の導入で森進一が自分で「いつも心配かけてばかり、いけない息子の僕でした」を付けて唄っていた。母への思いがジーンと伝わってくる。森進一だけでなく多くの人々の心情ではないのではと思う。私もそのフレーズだけまず覚えてしまった。それが、作詞家川内康範氏の抗議により唄われなくなったのは残念だ。

「さらば友よ」は恋のために列車に乗り去っていく友人への思いを唄った歌だが、私には革命のために奔走する私とそれを見送る友人の姿が重なる。ハイジャック前にカンパを募るためで大学での知り合い幾人かに会った。ある時には友人の下宿に立ち寄り列車表を手にして別れ、ある時には環状線のとある駅で、ある時は大学の近くで、一瞬、会ってちょっと不安そうな眼差しを受けながら旅立ち、それが友との最後の別れとなった。

演歌が好まれるのは、演歌が人生の一場面をスポットライトで照らすかのように浮かばせるからではないだろうか。

TVで見ると森進一さんは随分、老けられたが(失礼! 私はもっとそれ以上)、健康で長生きされ、これからも人生の歌をしみじみと唄いあげてもらいたいものだ。


返事がきました

森順子 2021年7月20日

私たちは、あるサイトと縁があって投稿させてもらっているのですが、今回は、アンケート形式で18個の質問を送ったところ、ロスジェネ世代の方から丁寧な返事が来ました。一番感じたことは、どの答えも現実が反映された重たいものだということです。ここから日本をみて、未来社会を描こうよなんてノー天気に言えないということ、

その前に、様々な人々の悲しみが軽薄な明るさで埋もれ自分の意志表明もできない世のなかへの憤り、そして、それを表現すらできない人々の思い、こういうところまで至って今、一度考えなければと、その大切さに改めて気づかされました。

もう一つは、バランスがとれた食事をとることが大変だということ。とくに若い人の食生活は気になるところだと言います。簡単で便利なファーストフードだけに偏っているのでしょうか。最適な生活を送るには、何よりも栄養バランスのとれた食事ですが、溢れるくらいの食品のなかで何が人にとって良いものかを見極めるのは難しいですよね。今は、持続可能な社会とか言われますが、でも、まずは持続可能な人間でなければ。そのためには、食育を考え食生活改善からだと思ったりしました。

また、私たちに対してアドバイスも下さり、このようにサイトや文章をみて下さる人が少しでも増え今回のような交流ができるよう学び工夫していきたいと思っています。


苦戦するソフトバンク

小西隆裕 2021年7月5日

最近、ソフトバンクが苦戦している。

と言っても、何のことかと思われるだろう。日本のプロ野球の話だ。

これまで5年連続で日本シリーズを制してきた常勝ソフトバンクがパリーグの3位から5位の間を勝率5割前後でウロウロしている。

福岡で育ち、西鉄以来、福岡の歴代チームを応援してきた私としては、朝のニュースでその敗戦を聞くたびに、もう一つ浮かない毎日なのだ。

その原因は、主力選手の怪我などいろいろあるだろう。しかし、一番大きいのは、流れだと思う。

何事にも、勢いや流れというものがある。

テレビで選手たちの顔を見ても、昨年まであった余裕というか、生気、覇気というものが感じられない。皆何となく緊張している。

これでは勝てない。実際、試合でも、ここで勝ち越しという時にもう一本が出ず、負けたり、引き分けたりしている。

もう少しして、オールスター戦が終われば、後半戦に入る。

監督、選手たちがこの苦境をどう脱するか。勢い、流れをどう取り戻すのか。

私にとっての見所はその辺りにある。


「TRUE COLORS」その2-色々いろいろ想像してごらん?

若林盛亮 2021年7月5日

先月の「よど号LIFE」に「TRUE COLORS-あなたの本当の色は美しい」を書いたら、これを読んだ方から、あの歌のいろんな資料がどっさりメールで送られてきた。

歌の題名はやはり「TRUE COLORS」、歌ってるのはシンディー・ローパー、80年代に旋風を起こした女性歌手だ。ご存じの方も多いと思う。30歳でデビュー、遅咲きのスーパー・スター。

この歌は全米でも日本でもヒットチャート1位を記録した。

「あなたの 本当の色は 美しい」という「TRUE COLORS」は、米国ではゲイのデモのテーマ曲にもなっているそうだ。元々、シンディ・ローパーのゲイの友人がエイズで亡くなったり、身近に「自分の色」によって迫害を受けたりする人がいて、彼女はこの歌を歌ったのだとか。

そして彼女の有名な逸話。

東日本大震災直後、日本公演を予定していた全アーチストに帰国するか来ないように通告があった。国際空港は閉鎖、でも彼女だけは横田の米空軍基地に臨時着陸してまで公演をキャンセルしなかった-「こんな時だからこそ行く」が彼女の信条。東日本は原発事故の放射能汚染、余震の危険に皆が戦々恐々のさ中の出来事だ。交通手段がなく徒歩帰宅や避難の人でごった返しの道路、横田から都心に入るのに手間取り翌早朝にやっとホテルに到着したという。さらにはコンサートでは被災者支援の募金を募ることまで彼女はやった。

そんな彼女だからこそ「もし耐えられなくなったら 私を呼んで すぐ行くから」と歌えるのだと思う。

この歌に救われ勇気づけられた人はどれだけ多いことだろう。異端、異色と見られていた青春時代の私は自分に自信というものが持てなかった。だからこの歌の世界がわがことのように思える。

十人十色、人にはそれぞれ色がある。「私には見える 大好きな色 こわがらないで 見せてね」と言ってくれる人はゼッタイ必要、みんなが輝けば国も社会も輝く。

生産性や効率だけで人の価値は決まらない、どんな人も存在すること自体に価値があるという山本太郎の考え方がいま支持を受けつつある。

国だって同じだ。十国十色、世界の国にもそれぞれの色がある。社会主義国だって中国式、ベトナム式、ラオス式、キューバ式、それに朝鮮式と色とりどりだ。十国十色を国際社会が「あなたの色は 美しい」と言えるようになれば、どれだけいいことだろう。

シンディ・ローパーの歌った「TRUE COLORS」が政治の世界にも広がる、そんな時代に向かう予感がする。

そんな世界を想像してごらん? 私はけっして夢想家じゃないと思います・・・


よど農園、近況報告

魚本公博 2021年7月5日


よど農場の初きゅうりと青じそ

久しぶりに、よど農園管理人からの一報です。

今年は雨が多く草取りが大変。毎日、5時から6時半の夕食までの1時間ほどの作業ですので、芽生え始めたものをスコップで削ってさっさと済ますやり方です。それに雑草もあった方が野菜も雑草に負けまいと何かしらの力を蓄えるからか美味い感じがするので余り神経質にならず、大ざっぱにやっています。

今は、キウリが収穫時、黒田さんが毎日のようにバケツに収穫してはアパートの階段に置いて、必要な人に持って行ってもらい、余ったものは食堂に。

そしてキャベツ。前から欲しかったのですが中々種が手に入らなかったもの。それを今年ようやくゲット。小ぶりですがちゃんと玉を撒いて育ちました。取り立ては水々しく柔らかで焼きそば、焼きめしの具にすると最高です。

トマト、ナス、インゲンも花を付け、もうすぐ食べられます。あっ、それからピーマンも市場で買ったものから種を取って植えたところ芽吹き育苗中。ピーマンは高値なので、これも育てば皆に喜ばれるでしょう。

ま、そんなところです。


新鮮でシャキシャキ感が


朝ドラ「おかえりモネ」

若林佐喜子 2021年7月5日

宮城県気仙沼出身のモネ(百音)が天気予報士を目指し、ふるさとに貢献する道を探すという物語で、すでに第7週。今週は、3.11の惨事を目の前にして、何もできなかったことがトラウマになっている自分の心に気づきはじめたモネ。そんなモネに「誰もが、自分は何もできなかったということを多少なりとも抱えている。でも次はきっと何かができるようにと強く思う」と、自らの体験と言葉で、励まし背中を押してくれるベテラン天気予報士の朝岡さん。衝撃的な体験のなかで、自分が何をしたら、どう生きたら良いか悩むモネ。そんなモネは登米で村の人たち、特に夏木マリこと「サヤカ」さんとの生活で、山や海、空は繋がり循環している、人々の生活、人生も。と、いうことに気づかされていきます。

東日本大震災で、気仙沼は地震と津波で大火災が発生しました。2012年に訪朝された今は亡き川口和子弁護士が「当日、事務所から避難しながら7時間かけて自宅に帰った。もし途中で気仙沼の惨状を知っていたら自分はその場で倒れてしまい起き上がれなかった」と話された。その衝撃的な言葉が私の脳裏にインプットされていて、今回、その気仙沼が舞台ということで、興味深かったのです。モネが3・11当日を回想する場面では、川口先生の言葉が重なって見えたかのようでした。

震災後、「3.11世代」という言葉とともに、若い人達の中で「世のため、人のためになることを」という機運が高まったと伝え聞いていました。人は、痛みも怒りも、そして喜びも共有し、そのなかで自分の役割を探し、果たそうと努力する存在。と、いう思いを改めて強くしました。

今、日本は、コロナ禍という国難に見舞われ、異常気象から自然災害も多発しています。そのような中で、多くの人たちが、特に若者たちがモネのように自分の役割を探し求めているような気がしてなりません。私自身も自分に課せられた役割を果たせるよう努力していこうと思います。

モネと若い菅波先生のやり取りを楽しみにしながら、朝ドラにはまっている7月の私です。


集団検診の日

小西隆裕 2021年6月20日

今日は、年に一度、恒例の集団検診の日だ。

朝、ミネラルウォーターをコップ二杯飲んだだけで出発のバスに乗り込んだ。

そこで誰とはなしに持ち上がったのは、検診後、市街の食堂で食事して帰ろうという話。

これまで十数年、一度もなかった話なのに、全員一致でそういうことになった。

そこでわれわれの食堂のお姉さんにその旨断って、出発。

胃カメラまで飲み、流れるように全員の検診が終わったのが午前十時半。

少し早すぎるが、買い物や喫茶も兼ねて、大使館街の商店経営の新しくできた食堂に行ってみた。

いつもわれわれが商店に買い物に行くたびに目にするこの食堂。

レンガの柱にガラス張り、その瀟洒なつくりの割には客の姿が見えない。

食事時でないのを割り引いても、余り期待は持てない。

なのに、その選択に反対の声は挙がらなかった。

やはり皆の心の片隅に、なにがしかの興味があったのだろう。

結果は、「当たり」と言ってよいものだった。

歳の割には、若干食べ過ぎ飲み過ぎて帰還後、

一時間ほど横になってから、日程通り2人対2人バレーまでやった。

少しふらつく状態で、ちょっとオーバーかなという思いもあったが、やはり最後までやってよかった。

後期高齢者前後のわれわれの一日でした。

若林盛亮 2021年6月20日

TRUE COLORS-あなたの本当の色は美しい  

BS放送、私の好みの「FOR YOU-静かな夜のSongbook」、DREAM編でとてもいい歌に出会った。録画したので最近、ささやくようなその女性ヴォーカルを毎日のように聴いている。

歌の題名は字幕が読みづらくて不明だがたぶん「TRUE COLORS」(本当の色)といったものだろう。

悲しそうな目ね

弱気にならないでほしいの

難しいよね

自分らしく生きるって

・・・・・

「だけどあなたの色は輝いている 私には見える (私の)大好きな色 こわがらないで 見せてね」と続き

true colors / あなたの本当の色は

are beautiful / 美しい

like a rainbow / 虹のよう

で終わる。

ぐっと来るのは「もしおかしくなって 耐えられなかったら 私を呼んで すぐ行くから」と呼びかけてくれる歌詞。

十人十色というが人それぞれに「自分の色」がある。でも本当の色はどんな色なのか、自分のそれは輝く色なのかなんて自分で気づくのは難しい。

でもこの世にたった一人でも「あなたの本当の色は 美しい」と言ってくれる人がいたらどれだけありがたいことだろう。

自信が持てなくて弱気になったりおかしくなりそうなとき、

「私を呼んでね すぐ行くから」と言ってくれる人、「あなたの本当の色は美しい」と挫けそうな気持ちを奮い立たせてくれる人がいたら強く生きる勇気がわいてくる。

私もお先真っ暗で挫けそうになるとき、いつも誰かに助けられて何とかここまでやってこれた。朝鮮に来てからの50年もそうだ。

古希を過ぎたいまも「本当の色」は何なのか、それを探すための旅は続いている。

十人十色、みんなの色が輝けばどれだけいいだろう。

できるなら「耐えられなかったら 私を呼んで すぐ行くから」と言える人にいつかはなりたいものだ。

喫煙者の言い訳

赤木志郎 2021年6月20日

世界的に禁煙が当然のことになってき、それに合わせ朝鮮でも公共場所の禁煙の法律が出たのが数ヶ月前。それから、喫煙者にとっては非常に不便になっている。灰皿が設置されていない所では吸えない。その灰皿が撤去されるともうお手上げだ。統一通りの市場前もそうなった。テソン百貨店前もそうなった。もちろん、食堂などはたとえ灰皿があったとしても論外だ。だから、目に見えて喫煙者は激減した。

ところで、ある時、数年前に購入していたバラの刻みタバコの塊が出てきた。湿気が少ないので変質していなかった。紙で巻いて吸う方法があるが、上手に巻けない。パイプかキセルなら吸えると思い、それも捜し出した。パイプやキセルを使って吸うと、肺まで吸い込まないで吐くだけなので喉にも悪くない。しかもフィルター付きのタバコより味わいがある。ただ、ヤニを取り除く掃除が大変だ。

TVの時代劇にはキセルがよく登場しているが、かつて喫煙も一つの文化だったと思う。紙タバコのない頃は、量的に多く吸わなかった、いや吸えなかった。キセルではまさに一服だけだった。キセルやパイプを嗜むのもあまり周囲にも迷惑をかけず、健康にもそれほど害にならならず、味わいがあるので、悪くないではないかと最近、思っている。

どんな文化にも価値がある

魚本公博 2021年6月20日

ユネスコの世界文化遺産に「縄文遺跡群」が登録される見通し。事前調査する諮問機関「国際記念物遺跡会議(イコモス)」が「登録」を勧告。7月16日からのオンラインによる「世界遺産委員会」で最終審査され登録が確定します。登録されるのは、1万5000年前の土器片が出土した「大元山元(おおたいもとやまもと)遺跡」、縄文都市と言われる大集落跡の「三大丸山遺跡」、ストーンサークル祭祀の「大湯環状列石」など北海道、北東北17カ所の遺跡群。

長年、日本政府に国内推薦を働きかけてきた人たちは、「これらの遺跡群は、人々が採集・漁労・狩猟で定住を確立した過程を示し、農耕文化以前の人類のあり方や精緻で複雑な精神文化を顕著にしめす物証」と指摘。これがユネスコ諮問機関の勧告理由にもなりました。

今回の縄文遺跡群「登録」の背景には、ユネスコが選考基準を変えたことがあります。これまでの登録が西欧型の石造りの宮殿、教会、町並みなどに偏っていたことへの反省。そういう西欧的基準で文化に優劣を付けることへの反省。

縄文遺跡群はそれに合致していたということです。これまでの定説では、西アジアなどで農耕・牧畜の開始によって定住が始まったとされてきた。ところが縄文は、農耕以前の狩猟採集段階で定住を確立し、社会を発展させていた。

そのことについて、東京都立大の吉田康弘教授は「縄文は、その日暮らしの停滞した文化というイメージをもたれがちだが世界史上例を見ない文化」だと述べています。すなわち西欧的基準から見れば、遅れ停滞していたかのように見える縄文だが狩猟採集を基盤にしながら「定住」を確立し独自の発展を遂げていたのです。

結局それは、「どんな文化にも価値がある」ということではないでしょうか。「どんな人にも価値がある」「どんな地方・地域にも価値がある」「どんな国にも価値がある」など、それぞれを認め尊重する観点。それが求められる時代なのだと思います。

「新しい朝が来た」?

森順子 2021年6月20日

畑のサヤエンドウが実をつけたというので、早速取りに行ってゆでてみたところ、まったく柔らかくならず、あっ、これは旬が過ぎてしまったということだとわかりガッカリ。何事も食べどきがあるってこと。でも、大根の葉やニラ、ホウレン草は、食べ頃、そして待っていたキュウリもいくつかでき、今年はキュウリ豊作になりそうです。

「新しい朝がきた 希望の朝だ」で始まる朝6時30分からのラジオ体操のうた。

少し窓をあけ、テドン江を眺めながらラジオ体操をやっています、今月から。体操は、このうたを聞いてからですが、このラジオ体操のうたは、いつ頃から始まったのでしょうか。最近は、「新しい朝が来た 希望の朝だ 喜びに胸を開け 大空あおげ・・・」と、言われてもなかなかねーという気持ちになるからです。どれくらの方が希望あふれる朝をむかえられているだろうかと、ふと思います。それでも背中を押され、今日一日、頑張ろうという前向きな姿勢で体操する人が多いかも知れません。「新しい朝が来た」と思えるには、まずコロナを収束させてからでしょうか。清々しい気持ちで体操できることを願いながら、そのときまで、私も続けられればいいなあと思っているところです。

野生動物の天国

小西隆裕 2021年6月5日

最近、わが日本人村の鳥たちの逃げ足が遅くなった。

キジだけではない。カケスや名も知れない小鳥たちも私が近づいても、なかなか逃げようとしない。

そんなことを思っていたある日、朝鮮の運転手の人が笑いながら言っていた。

「近頃、何度もキジを轢きそうになった。鳥も、コロナ以来、野鳥にさわるなとなっているのを知っているようだ」。

野生の動物は、地震など天変地異に敏感だと言うが、人間社会の変化にも敏感なのかもしれない。

日本人村だけではない。朝鮮全体が野生動物の天国になっているのに違いない。

私は、今、そのように合点している。


ピョンヤンの夜に舞うホタル

若林盛亮 2021年6月5日

5月末のある夜、事務所に向かう坂道でホタルを見た。

暗闇に点滅する青白い光、それはまぎれもなくホタル! 一匹のホタルが光を放ちながらゆらゆら飛んでいた。

「村」は大同江べり、湿地もあってホタルの生息場になるらしく夏の夜にはたくさんの点滅する光が何とも言えない情緒を醸し出す。でも5月末にもうホタルが見えるのはめずらしい。しばらくホタルに心を奪われて揺れる光を見ていた。

幼い頃、私の隣町に源氏蛍の名所があって母に連れられて見に行ったときはほんとうに驚いた。

無数の源氏蛍が密集して発する光が大きな塊になって揺れ動く光景は子供心にも幽玄境に誘い込まれたものだ。

京都での学生時代に鴨川上流で見たホタルにも特別の想いがある。

ドロップアウトはしたけれど一寸先は闇、空虚と迷いを抱えていた頃、私はある人の下宿近くの夜の鴨川に誘われた。そこには多くはないがホタルが青白い光をひいて夜の河原を飛んでいた。

こんな街中にもホタルがいるんや! 私はしばらく見とれていた・・・「闇の中にも光があるんだよ」となにか背中を押してもらった気がした、とても癒されたことを覚えている。いま思えば、同伴してくれた人の気遣いだったのかも知れない・・・

ピョンヤンに来てからのホタルには「日本人村」の夏の風物詩以上の感慨はなかった。

ある時、野坂昭如原作のアニメ映画「蛍の墓」を見た。

戦災孤児となった幼い兄妹の悲しい物語。敗戦直後日本の食糧飢饉で妹は餓死、兄は妹が大好きだったドロップの空き缶に妹の骨を入れ大切に身につけた。しかしその兄もついに上野駅で餓死、駅員が死体から出てきたドロップの空き缶を無造作に草むらに捨てる、するとそこから無数のホタルが光の帯となって空に舞い上がっていく。悲しくも美しい夢幻の世界。

また「ホタル」という高倉健主演の映画も見た。朝鮮人の特攻隊員が「自分は朝鮮人のために死ぬ」という言葉を残して出撃、帰らぬ人となったその夜、一匹のホタルが現れる。それは朝鮮人特攻隊員の鎮魂されないでさまよう魂なのだろう、そんな映画だった。

それからは闇夜を舞い上がる青白い光を見ると、ホタルは何を訴えているのだろう? そんなことも考えるようになった。

ホタルには不思議な魔力がある。


在朝華僑の人たちを見て

赤木志郎 2021年6月5日

日本、朝鮮、中国は地理的、歴史的、文化的に近い。欧州の人から見れば中国人、朝鮮人、日本人が同じに見えるが、その地理的環境と民族の違いがある。そして、それぞれの故国と離れ暮らしている人々がいる。中国に朝鮮人が多く暮らしているように、ここ朝鮮にも中国人(華僑)がかなりいる。

最近、時々、在朝中国人の人たちを見かける機会があった。かれらを眺めると、中国大陸の人たちと違うし、だからと言って在中朝鮮人や朝鮮人とももちろん異なる。一つの独特な集団をなしている。顔と服装は皆、違うのに、同じ集団だとすぐ気づく。何か共通性があるのだ。中国人だが朝鮮語を話し、服装も小綺麗にしている。女性の髪型なども一人ひとり異なるが、同じ美容院でセットしているのか雰囲気が同じだ。彼らに一つの共通性を感じるのはやはり中国人の血をひいているからだと思う。

私が生まれ育った神戸も在日中国人、在日朝鮮人が多かった。高校のラグビー部の一年下の部員のほとんどが中国人だった。クラスの友人には朝鮮人が多かった。かれらは日本語を母国語のように話すし、ほとんど日本人と変わりがない。異なるのは、日本社会で就職できないなど差別を受けていることだった。しかも、当時は故国が朴正煕の軍事独裁下にあった。政治が彼らの人生に暗い陰を落としていた。

ここ朝鮮での定住中国人にはそういう暗い陰がなく明るい。大国となった自信から来るのか、朝鮮の地で民族的権利が保障されているからなのか。どちらかというと、民族的権利が保障され、社会的地位が安定しているからだと思う。


台湾を戦場にする、というのか

魚本公博 2021年6月5日

台湾は親日国と言われます。それもあってかBSでも台湾の風景、食や温泉、旧植民地時代の町並みなどを紹介する番組をよく見かけます。この前も「迷宮グルメ」で「ひろし」が台湾に行っていました。こうした番組を通じても台湾の人の親日感情をうかがい知ることができます。今年はコロナ禍で日本には行けないので、せめて台湾桜の下で日本の桜見物気分をと、台湾桜の名所に大勢の人が出向いたとか。

こうした台湾に対し、今「台湾有事」が大きく取り上げられています。そのきっかけは米国のインド太平洋軍司令官の「中国は6年以内に台湾を武力侵攻する可能性が高い」発言。そこで日本の親米派、軍拡派が有頂天になって、「台湾有事は間近、日本は台湾を軍事的に支援する体制を早急に整えなければならない」というのですが、ちょっと待てです。それって、台湾を戦場にするということではないのかと。そんなことは台湾の人も望んでいません。

台湾問題は、「一つの中国」の国内問題であり、「両岸問題の平和的解決」が中台両国政府が「合意」する基本路線です。日本は、その「合意」を助けるべきなのであり、米国が仕掛け、「可能性が大」などという為にする「ガセネタ」に乗って、軍事支援を云々するなどもってのほかではないでしょうか。

台湾に対しては、日本も国民的感情として親近感をもっています。その感情を逆利用するかのような「軍事支援」論。BSで見る台湾の美しい風景、人々の親しげな態度や表情を思い出しながら、それはないだろう、そんなことは許されない、許してはならない、との思いを強くします。


田植え「戦闘」

若林佐喜子 2021年6月5日

すっかり深緑の季節です。朝鮮では、先月、総動員で田植えがおこなわれ、現在、青々とした田圃では稲の苗がすくすく育っています。気候不順と激しい朝晩の温度差で苗床の管理も大変ですが、苗が一定の大きさに育ったら最適時に質を保障して一気に植えなければならないそうです。その間は、毎日テレビで、現地からの報道をやっていました。田圃に入ったアナウンサーが仕事を手伝おうとすると、それより歌を歌ってくれとの農場員の要請に答えて歌う場面もあり、つい笑みがこぼれてしまいました。農業は大変だなあーという思いと、まず農業で国の経済の突破口をきり開くという農場員をはじめ朝鮮の人々の気概、熱意にちょっと圧倒されてしまった5月でした。

さて、よど農場も、先日、皆でナスの苗を植えました。穴を掘って肥料を入れ、栄養ポットの苗を置いて土をかけてしっかり抑えます。作業は30分ほどで終わり、最後は、冷たいビールで一息でした。その日は雨模様でナスの苗も水をたっぷり得て、その後もすくすく育っています。その日撮った写真を改めてみたら、土への愛着がにじみでている手、ぎこちない手、やったふりの手、いろいろでした(笑)。これまでは、アスパラ、ほうれん草が食べ頃でしたが、これからは、サヤエンドウ、大根、キュウリなどが楽しみです。

日本では、コロナ禍の影響、巣ごもりで、自宅で料理をする人が増えている一方、食品類の価格が上昇しているそうです。本当に色々と大変ですが、意識的に免疫力を高める食事をとり、感染防止と健康管理にくれぐれも注意して下さい。

PCR検査を受けた

小西隆裕 2021年5月20日

5月初旬、PCR検査を受けられるとの連絡が来て、その翌日皆で受けた。
正直言って、日本のテレビ報道などで、綿棒を喉や鼻に突っ込むPCR検査を見ていたので、少し覚悟して、検査室に入ると、防疫服に身を固めた中年の女の人が二人、そのうち一人が口を開けろと言う。
だが、検査は思いの外簡単だった。唇の裏と奥歯の辺りから綿棒で唾液を採取しただけでOK。綿棒は喉の奥には入れられなかった。結果は明日分かるという。
次の日、めでたく全員陰性。
こんな検査がなぜ積極的にやられないのか、日本の状況を改めて思った一日だった。


ピョンヤンの若き「八方美人」医師

若林盛亮 2021年5月20日

今回もピョンヤンの友人のことを少々。
若き医師、K君のこと、彼は30代半ば、私の長男と次男の中間に当たる世代、いわば息子のような若者だ。
彼は5月初旬に行われた「保健部門体育大会」バレー部門に出場した。
「保健部門体育大会」は毎年この季節、春から初夏にかけて行われ、昨年はコロナ禍で中止となったが今年は道(日本なら都道府県)対抗体育大会に続いて開かれた。バレー競技は1,2部のリーグ制で彼の病院は2部リーグに所属する。なんでも医師、看護婦、職員が千人以上は1部、それ以下の病院は2部所属となっているらしい。
K君はセッター、攻撃を左右、センター、あるいは後ろからのバックアアタックとか振り分けるいわばチームの司令塔、攻撃の要を握る選手だ。
結果は? と聞くと約10チーム中の3位だったと悔しがっていた。
聞くところによるとビッグスリー、強豪は固定されていて1,2,3の順位も毎年変わらないそうだ。どうしても上位チームの牙城が崩せない、今年は世代交代でベテランが抜けて若い新人が多数入ってまだチームができあがってない、これからチーム作りだと来年に向けて奮起中とのこと。
このK君、民間防衛組織の赤衛軍では射撃の名手、病院の文化サークルでは歌もできドラムもたたける万能選手として職場でも重宝がられている。
病院の女子バレーが組織されたときはコーチもやった。性格は素直で真面目、イケメンだから女性にももてるタイプ。
結婚4年目、若い奥さんと3歳の男の子があり、子供の名前は1週間かけて自分が考えたといういいお父さん。でも一時は「夜泣きがうるさくて慢性的睡眠不足で困ってる、ときどき赤ん坊が憎たらしくなりますわ」とぼやいていたが、私はきっと赤ちゃんと奥さんの寵(ちょう)を競ってやがるんだと邪推した。いまは成長した子供の写真を見せたり子煩悩のいいパパになっている。
実はこのK君も前回書いたネット技術者同様、かの「世界的サッカー名手」メッシ所属のバルセロナFC(スペインのクラブ)信奉者、英プレミアリーグのリヴァプールへの改宗を狙っているが、なかなかその牙城を崩せない。
病院では有能で患者に誠実、バレーでは相手を恐れさせるセッター、赤衛軍では名狙撃手、芸術ではいっぱしのミュージシャン、そして家庭では愛妻家にしてよき父、この「八方美人」の若者は朝鮮で大切な私の友人。ちなみに「八方美人」は朝鮮では文字通り多能多才の人を意味する言葉。
この若者の未来に日本人の古希過ぎ爺さんがやれることはあまりないが、応援だけはできる。これが私の国際主義だと思って、これからも彼のよき友人でありたいものだ。

一人は全体のため、全体は一人のため

赤木志郎 2021年5月20日

PCR検査のために市内の親善病院に往く途中で、大きな看板で「一人は全体のために、全体は一人のために」というスローガンが目に入った。このスローガンが掲げられるのは社会主義・共産主義建設をめざす朝鮮において当然のことといえよう。しかし、この数十年間、建物の中で掲げられていても街の目立つところでこのスローガンが掲げられるのは見たことがない。それで「おやっ」と思ったのである。
今年になって、党中央委員会や青年同盟大会で「一人は全体のために、全体は一人のために」というスローガンが強調され、TVでも職場での共産主義的気風が報道されている。だからなのだろう。
日本でもこのスローガンが掲げている所があった。大学生だったとき、灘生協の店に入ったときに、壁に大きく書かれた「一人は万人のために、万民は一人のために」の字が目に入り、少々びっくりした。生協運動の理念となるくらい、この思想が魅力あったのだろう。
言うまでもなく、「一人は全体のために、全体は一人のために」という集団主義は、社会主義・共産主義思想の核をなしている。これまで、世界各国での社会主義をめざす革命闘争においてこのスローガンがよく掲げられた。各国における社会主義運動がさまざまな紆余曲折を経る中で、唯一、一貫して社会主義・共産主義建設を進めてきた国は朝鮮だ。共産主義的道徳美風模範の大会もこれまで何回か開かれた。毎年、困難な炭坑や離島に志願して行く青年たちがいる。そして、国は台風などで被災した地域を都市での住宅建設を中断してまで一気に復旧し、かつてより幾倍もの立派な住宅を建設していく。そこから起きる「社会主義万歳!」の声。
スローガンが建前としてではなく、生活に根付き具現しているものとしてそのスローガンが掲げられている。街の真ん中でこのスローガンが掲げられるようになったのは、社会主義・共産主義建設の新しい段階に入ったのではないかと感じている。

疫病が国のあり方を変えた

魚本公博 2021年5月20日

先日見たNHK・BS放送の「英雄たちの選択」。主人公は橘諸兄(たちばなのもろえ)。奈良時代・聖武天皇の頃の政治家。墾田永世私財法を制定した人です。
この頃、天然痘が大流行し実権を握っていた藤原氏の武智麻呂・房前・宇合・麻呂の4兄弟(藤四子政権)を始め貴族や役人の多くが死亡するなど政府は機能不全の状態に陥ります。そうした中、実権を握った諸兄は、緊縮財政、農民の負担軽減に務め、743年に墾田永年私財法を制定するわけですが。これはそれまでの律令制度を止めたに等しく、いわば天然痘という疫病が「国のあり方」を根本的に変えたというのが番組の趣旨でした。
番組終わりのコメントでメイン出演者の歴史学者・磯田道央さんが面白いことを言っていました。すなわち、こうした大混乱が起きると、日本人の価値観、情念のようなものが表に出てくるのではないかと。
確かに律令制は中国・唐からの輸入品。それを廃止し農民の土地私有を認めるというのは、日本的価値観を認め活かすということであったのかも知れません。
今、コロナ禍の中で、これまでの新自由主義的な効率第一の価値観、さらには資本主義的なカネ第一の価値観に対して「コモン」とか「共生」などが言われ、もっと人間的な生き方をしようよというような声が高まっています。そして、それは日本人が歴史的に持つ日本的価値観に根ざしたもの。と見ることもできるのではないでしょうか。
コロナ禍という試練と混乱の中、人々は新しい生活、新しい社会を求める。それも私達日本人が持つ日本的価値観に基づくものとして。それが模索され実現されてこそ、本当にコロナにうち勝ったということになる。番組を見て、そういう思いを強くしました。ちなみに天然痘もウイルスによる疫病です。

川柳に目がとまり

森順子 2021年5月20日

5月の最初の週は雨も降り温度も下がりセーターを取り出したくらいです。黄砂と強風もやってきて私たち高齢者には要注意の日々でしたが、中旬からは田植えも始まりました。
先日、新聞を見ていたら川柳が目にとまりました。
「税で食う人ばかりがいる叙勲記事」「五輪やる 汝国民病んで死ね」
思わず、そうだよね、と納得する内容ばかり。3回目の緊急事態宣言になっても改善がみられず感染者は増えるばかりじゃないですか。当然ながらオリンピック中止の声が大きくなっていますよね。
それにしても、この川柳、応募する人のセンスのよさと的確さは学びたいところです。現実のなかで、不条理なことを感じながら、ちゃんと日本社会を冷徹にみて判断する人々の目は正しいんだと改めて思い知らされるし、そこには人々が望む社会や人間にとって一番大切なものが込められ教えてくれているようにも思います。

「おちよやん」その2

小西隆裕 2021年5月5日

朝ドラ「おちよやん」の視聴率がもう一つだ。1位は1位だが、20%に届かず、低迷している。

これは心外だ。それで「おちよやん」その2を書くことにした。

まず、出色なのは、毎週のテーマが明確で、山あり谷あり、一つ一つの劇に視聴者を引き込みながら、週を次いで全体の劇を展開していく手法だ。

そうした中、感じ入るのは、作者、脚本家の一人一人の登場人物への愛情の深さだ。一人一人が毎週変わるテーマの中、入れ替わり立ち替わり主役、準主役として登場し、皆個性的で、その他大勢は一人もいないということだ。

そうした中、主役の「おちよやん」こと杉咲花さんの演技が実に印象的だ。役になりきっている。特にその目がいい。観る者を引きつける迫真の演技だ。モデルの浪花千栄子さんとはまた別の大女優になっている。離婚し、一旦はやめるのを決意した芝居の世界で、新天地を見いだし成長していく「おちよやん」のこれからの姿を彼女なら、地で表現していけるのではないか。

観るほどに期待が大きくなる朝ドラ、それが「おちよやん」である。

ピョンヤンのネット技術者

若林盛亮 2021年5月5日

ピョンヤンには心おきなく話のできる友人が何人かいる。その一人がネット技術者のS君だ。

彼はインターネット・サーバーのスター社、タイとの合弁企業の技術者でメール故障の際などでお世話になっている人、不具合が起こると「村」まで来てくれて複雑な技術問題を解決してくれるありがたい存在だ。年齢は40代、うちの長男とほぼ同じ世代、私にとっては若い友人だ。

先々週の日曜日、ネット接続不能になって彼に来てもらった。

彼は「アイゴー(やれやれ)」とため息をつきながらやってきた。多忙な合間に来てくれたらしい。

聞くところによると、いまピョンヤン北東部、サドン地区にできるニュータウン、1万世帯建設場に派遣され、仕事はニュータウンの通信、ネット網構築という大事業の一端を任されているらしい。年内完成が目標の国家的プロジェクトだから日曜祝日返上で働いているとのこと。

不具合の原因は、接続機器の故障と彼は判断、違うものと取り替えてくれて彼の仕事は終わった。いつもながらスピーディーな判断、仕事ぶりはさすがプロ、なにやらプログラムをパチパチと打ち変えて手際よくメールを復旧してくれた。

仕事を終えてビールでのどを潤しながらの歓談。

「リヴァプール、負けましたなあ」とUEFA欧州チャンピオンズ・リーグ8強戦、スペインの強豪レアル・マドリッド戦のことをS君は語り出した。私が英プレミア・リーグのサッカークラブ、リヴァプールのサポーターと知ってのこと。

「もうクロップ監督もおしまいですなあ」とさらに挑発的な言動、これには私はがまんならず、「防御の主力が負傷欠場なんやから仕方ないやろ」と抗弁。

すると「そんな言い訳は通じません、レアルだって防御の要を欠いての勝利でっせ」「要は監督の采配ですやろ」と言ってきた。

「防御の要一人を欠くのと、主力三人を欠くのとはぜんぜん違うやろ! チームの攻守のバランスが崩れるという意味をわかってんのか」と私も譲らず。

彼は「ワッハッハ、そりゃ強がりでしょ? 結果は結果」と笑って取り合わず、私も息子のような相手にこれ以上、熱くなってもいかんと矛を収めた。

実はこのS君、かの「世界的名手」メッシ所属のバルセロナFC(スペインのクラブ)信奉者、数年前からリヴァプールへの改宗を狙っているが、うまくいかない。朝鮮のサッカー・ファンにはメッシ信仰が強い。私は「もうそれは時代の遺物」と説きまくっているが、この岩盤を崩すのは容易ではない。

でも朝鮮でサッカーを語り合える貴重な友人、あまり熱くなりすぎないよう、メッシを圧倒するリヴァプールの力を見せてやるしかないと根気強く取り組むつもりだ。

今日も彼はニュータウン建設場で愛国の知恵と技術をそそいでいることだろう。

「頑張ってや、S君」・・・そしていつの日にか改宗させたるよ。

メーデーの室内「野遊会」

赤木志郎 2021年5月5日

5月1日のメーデーの日に、日本人村の銀杏の木の下で野遊会をやろうということになった。

ところが当日は生憎の雨、シトシトと止まることなく降っている。しかも肌寒いくらいだ。どうするのかを思って事務室に行ったら、廊下にシートを敷き座布団もおき、焼き肉の準備がしてあった。

12時、全員が集まると、大盛りのアヒルの焼き肉が出された。久しぶりの焼き肉だ。しかも、訪朝団の方々と一緒に行ったことのあるアヒル焼き肉専門店から購入したものだから、見るからに美味しそう。食べてみると本当に美味しい。もともとアヒル肉の焼き肉は美味しいが、この日の焼き肉は特別に「おいしい」。専門店の肉を自分で焼いて食べるのが特別、美味しいのかもしれない。タレもその店のものだ。

 飲み物は朝鮮製葡萄酒で一番、高価のものだ。といっても12$くらい。私がいつか飲みたいと思っていたものだ。好みにより焼酎、ビールもある。

4キロのアヒルの肉があっという間になくなった。晴れていて野外でできればもっと良かっただろう。

訪朝団の方々と一緒にした賑やかな焼き肉の野遊会を想いだされた。コロナ禍が収束し、訪朝団の方々が再び村に訪れるようになればと思わずにいられなかった、そんなメーデーの日だった。

最近、「言葉」に引っかかる

魚本公博 2021年5月5日

近頃、年をとったからか日本的な言葉や言い回しで妙に気になり引っかかることが増えました。例えば「木で鼻をくくる」という言葉。これは菅首相のぶっきらぼうで話しをはぐらかすような答弁ぶりを批判した表現ですが、一体どういうことなんだろうと食堂でも皆の話題になりました。辞書を見ると元来は「木で鼻をこくる」という「こくる」(掻く)が誤って「くくる」になったものとありました。ちょっと前には「人を食う」も話題になりました。人を人とも思わない態度ということですが、それを「人を食う」と言うのは、確かに釈然としない表現です。

その他にも、私的には「頓珍漢(トンチンカン)」とか、うさんくさい、鼻を明かす、手が焼けるなど色々あります。トンチンカンは、BSの歴史番組で刀を鍛錬するときトンチン、トンチンとリズムを刻んでやるのにリズムを壊すようなカンという音が入ることをもって、場はずれな答え、行動を指していう言葉だと知りましたが、うさんくさいは辞書を見ても分かりませんでした。

若いときには、こうした言葉は話しの流れの中で、あまり頓着せずに使い聞いていたように思います。それで、年をとると思考が深まり若いときには気付かなかったことも色々と考えるようになるものだと思っていました。しかし一方で、年をとると変なところを気にし、こだわるようになるということなのかなと思ったりもします。

思考が深まるのはいいですが、「こだわりじいさん」はいただけませんね。心しなければ。

ふしぎなサボテン

若林佐喜子 2021年5月5日


日本人村はすっかり新緑の季節になりました。そんな中で、ピンクの芝桜、ライラックの花が目を楽しませてくれます。

さらに興味をそそられるのが、事務所の談話室に置かれた鉢植えのサボテンです。背丈は60㎝位の棒状で棘があり、18㎝位の細長い葉をつけています。不思議なのはピンクの花なのです。丸っこい緑色の葉状態から徐々にピンク色の花に変わり、その花の上に蕾が数個つき花を咲かせ、またその上に蕾をつけ、3、4段に。そんな状態の花がすでに10箇所。夏の季節に一番花をつけるということなので一体どうなるのだろうと毎日楽しみに眺めています。

サボテンは多くのO2を出すので、健康にも良いとのこと。挿し木で増やし、みんなの部屋におこうと試みています。残念なのは、名前がわからないこと。サボテンでも愛嬌がありますが、是非どなたか名前を教えて下さい。

それにしても、3度目の緊急事態宣言を発令する状態にしておきながら、いまだ「五輪はやる」との菅政権の暴走ぶりには、心配をとおりこして怒りを感じる5月です。どうか皆様、くれぐれも感染防止と健康管理に留意なさって下さい。

キジの家族

小西隆裕 2021年4月20日

浚渫船が行き交う大同江

春になって、わが日本人村にもキジの数が増えたように思う。

目に付くのは、やはり圧倒的に雄のキジだ。

私の姿が見えても、悠然とコンクリート道路上を歩いている。

その距離が縮まると、おもむろにこれまた悠然と茂みの中に入っていく。

雌はほとんど見かけない。

よく見ると道路の傍らの茂みの中に潜んでいることがある。

また、私と出会うと、真っ先に茂みの中に身を隠すのも雌の方だ

そうしたある日、私が宿舎の角を回って急に姿を現した時のことだ。

けたたましい鳴き声で雄のキジが飛び立った。

と同時に目に入ったのが芝生の上で遊んでいた母と子のキジの一団だ。

小さな子供たちが転がるように必死で茂みの中に駆け込む。

その時、普段見ない光景を目にした。母鳥が悠然と芝生の上を歩いているのだ。

私が近づいても歩みを速めず、最後まで悠然と茂みの中に入って行った。

それを見て私の頭に浮かんだこと、それは「母は強し」だった。

と、ここまで書いて皆に見せたら、

雄は父性愛が弱いから真っ先に逃げたのではなく、外敵の目を自分に引きつけるため大声を上げて逃げるのだという。

なるほど。

それでタイトルも、「キジの母性愛」から「キジの家族」に替えることにした。

日本人村の春の風景

ピョンヤンの理髪師-その2

若林盛亮 2021年4月20日

前に書いた「ピョンヤンの理髪師」のその2、続編、4月初旬頃のお話です。

春の陽気が辺り一面ただよう中、ひいきの床屋に行った。例のプロの職人芸のお店だ。

「もういらっしゃる頃だとお待ちしてましたよ」との理髪師アジュモニ(おばさん)の歓迎を受けて初っぱなから心地よく入店。

「もうすっかり春ですね」の言葉に誘われて、「今日はもっと春らしくお願いします」と散髪が始まった。

私の短髪を今日はどんな風に刈りあげるのか、しばらく様子を見た。

アジュモニはハサミで細やかに刈り込みながら、頭を右に左に、あるいは上に下にと鏡を見てあれこれ動かす。つい私が「もうだいたいできてるんじゃないですか?」と言った。するとアジュモニは仰った、「床屋の椅子に座ったら理髪師の命令に従うのよ」。「ハイ服従いたします」と答える私に理髪師は「ホっホっホ」とハサミを動かし続けた。

仕上がりは、この前よりもっと短め、やや丸みを帯びた頭のラインが「春らんまん」カットなのだとか、とてもいい感じ!

感心ついでに「この前のアジュモニの仕事ぶり、書かせてもらいましたよ」と言ったら、「エッ! 私のことですか!」と少し驚きながら「どんなとこに書いてらっしゃるの?」と訊きいてきた。「私らのwebサイトですけど」と答えたら、「それってインターネットですよね」と確かめて、「じゃあ、世界中の人が見るんですよね」と弾んだ声が返ってきた。

そう言われるとちょっとむずがゆい。原理的には「世界中の誰もが見れる」、けれど私たちのフォロワーはそう多くない。あまり失望させるのも何だし見栄もあって、「まあそうですが日本語がわかる人しかだめですけどね」と無難に答えた。

「書いてくださってありがとう」と嬉しそうに、しかし真顔でアジュモニは仰った。

「でもなにも私だけが特別じゃないのよ。わが国では“人民のために奉仕”がサービス業のモットーですから、商店だって食堂だってみんなそうしてる。お客さんもわが国のことはおわかりでしょう?」

それは謙遜というより、朝鮮という国のサービス業に従事する者の心構えがいかなるものか、それを外国人にわからせようとするこの女性理髪師の愛国心を言葉にしたもの。

彼女の職人芸は愛国心と一体! この方はどこをとっても一流だ。

理髪が終わると「お客さんはお茶、お好きですか?」と茶を煎(い)れてくれた。それはとても香り芳しい「薔薇(ばら)茶」、最後のサービスをゆっくり味わわせていただいて「コマスミダ(ありがとう)」とお礼を述べて店を出た。

ピョンヤンの理髪師から何かひとつ教えられた気がして、頭も気分も春らんまんの一日でした。

「青天を衝け」が面白い

魚本公博 2021年4月20日

大河ドラマ「青天を衝け」がなかなか面白いです。大河ドラマは戦国時代や幕末を題材にしたものが多く、これまでの主人公はほとんどが、その時代の主要人物でした。ところが今回のドラマの主人公・渋沢栄一は幕末の頃には一介の庶民。それでドラマは、時代の大事件と一介の庶民の成長物語が並行して描かれるのでスピード感があり、しかも名もない庶民が時代の流れをどのように受けとめたかという感じで描かれるので、それが、これまでの大河ドラマとは一味違った面白さになっているのだと思います。

渋沢栄一は、日本初の民間銀行(第一国立銀行)を設立し多くの企業を起こし「日本資本主義の父」と呼ばれる人物。それであまり好感はもっていなかったのですが、これはと思う点もありました。それは、「道義的な人」ということ。

渋沢は藍商売で才覚を現し、そこを買われて一橋家の家臣になりますが、その主人が徳川慶喜。その慶喜は明治維新で駿河60万石に移住。当時、徳川家の家臣である旗本は3万家。その内の1万300家が駿河に移住したそうですが生活は困窮。それを渋沢は持ち前の才覚を発揮して支えます。基金を集め(ファンド)茶の栽培、製造を行うなど色々な事業を起こし彼らの暮らしが成り立つようにしたそうです。

零落した慶喜を見捨てることなく支え、あまつさえ困窮する多くの旗本たちの生活まで面倒を見るなど。その「道義」的な生き方は、誰にでもできることではないと思います。

「一滴一滴の集まりが大河になる」というのが渋沢の持論だったそうですが、それは現在の「一人一人に価値がある」に通じるものがあります。波瀾万丈の幕末から明治にかけて、青年渋沢がどのように時代の荒波を駆け抜けていくのか、今後の展開が楽しみです。

種まき開始

森順子 2021年4月20日

今年のアスパラ

10日の土曜日、夕方の畑仕事。この春は体も動きそうなので数年ぶりの参加です。

うねをつくり白菜、ホウレン草、大根の種をまき、そして土をかぶせ水をやり、初めてスコップをもっての労働でした。終わってからはビールや健康水やおやつまで食べて、皆であーだ、こーだと話に花がさいて1時間あまりでしたが、よど農場のささやかな種まきを終えました。

畑にはすでにニラやネギもあり、たらの芽を採って帰り、さっそく夕食に。やっぱりこの季節は人々の生活にとって一番のいい時期だと感じます。そして、今月の末にはトウモロコシを植え5月中旬には田植えが始まり、もうすぐ青々とした光景が広がる朝鮮です。

「照ノ富士」

小西隆裕 2021年4月5日

照ノ富士が優勝した。

この間、BS1の大相撲ダイジェスト版を録画しておいて観るのが習慣と言うか、楽しみになった。

力士が瞬間の勝負のため、力を尽くし、秘術を尽くしてぶつかり合うのを観る楽しみに目覚めた。そんな感じだ。

もちろん、ひいきはいる。その中の一人が照ノ富士だ。

若手有望力士として、いち早く大関になった彼がいつの間にかいなくなった。そのくらいは知っていた。

その彼が序二段まで落ちて、再び上がってきた。

それで注目して観ていたが、とうとう再び大関を狙うところまで来た。

序二段まで落ちて再び大関になった力士は、大相撲の長い歴史でもいないという。

三役まで上がってきて、先々場所は小結で13勝、先場所は関脇で11勝。

今場所も二桁ならばというところで、彼も緊張したことだろう。

一番、一番、脇の甘い彼が、懐に飛び込んできた相手を両手に抱え、何とか勝ちをつかみ続ける姿には必死さが滲んでいた。

千秋楽、ここで勝てば優勝という一番、相手は大関、貴景勝。照ノ富士は、その突き押しを余裕を持って受け止め、逆転圧倒した。白鵬のいない大相撲にあって、最高の実力者としての貫禄だった。

大関から序二段へ、そして再び大関。感じられた貫禄は、その苦労に裏付けられたものだったのだろう。

こういう力士にこそ、横綱になってほしいと思う。

貧しい街が生んだヒーロー、ビートルズとリヴァプールFC(Football Club)

若林盛亮 2021年4月5日

ビートルズ解散後、リーダーだったジョン・レノンは「ワーキングクラス・ヒーロー」という名曲を書いた。「労働者階級のヒーロー」、ビートルズがまさにそうだった。メンバー4人は英国北西部の港町、リヴァプールで労働者階級の子として生まれ、ロックバンドで世界中のヒーローとなった。

リヴァプールにはもう一人(?)の「ワーキングクラス・ヒーロー」がいる。それが英プレミア・サッカーリーグの「リヴァプールFC」だ。1892年来の歴史を誇る古豪だ。

この欄で何度も書いたように私はそのリヴァプールFC大好き人間だ。

しばらく不振の時期が続いたがドイツ人の名将クロップ監督を迎えて、ここ二年間は、欧州チャンピオン(UEFAカップ優勝)に輝き、続いて昨季英プレミア・リーグ優勝を他チームに圧倒的な勝ち点差を付けて勝ち取った。

ところが今シーズンは防御の主力陣の相次ぐ負傷による長期離脱者続出で7位という不振にあえいでいる。でもこの苦境にあってリヴァプール魂そのものの「苦難突破戦」で欧州UEFAカップでは8強進出を決め、険しく困難な道、優勝という目標に向かって邁進している。

祈る思いの私は2月末にメールで送られてきたスポーツ雑誌「Number」、リヴァプール特集号の記事「貧しき街で輝いた欧州最強クラブの30年」を読み返してみた。

1980年代にリヴァプール観戦のためこの街を訪れた筆者はこう書いている。

「当時のリヴァプールはヨーロッパでももっとも貧しい街のひとつだった。・・・‘80年代の欧州最高のフットボールチームはそんな時代を生きていた」。選手の年俸もいまならたった数週間で稼ぐほどの額だったという。

当時、リヴァプールのホーム、アンフィールドでこのチームのアンセム(応援歌)“You’ll Never Walk Alone”(お前は独りじゃない)が歌われると敵地に乗り込んだ相手チームのサポーターからは侮蔑を込めて”You’ll Never Get a Job”(お前らには仕事がない)の大合唱が返ってきた。

リヴァプールはそんな歴史を背負ってきたチームだ。だから今もそのルーツを忘れない。

ホームのアンフィールドで行われる競技時には「フードバンク」が設けられ、ファンが缶詰や日持ちのする食品の袋を持ち寄り寄付する。それらはホームレスや貧しい家庭の人々の手に渡る。またコロナ禍発生当時、献身的に医療に従事する地元の病院に、リヴァプールのある選手が「名前は出さないで」と多額の寄付金を届けた美談もある。

「嵐の中でも前を向いて進むんだ 暗闇を恐れずに」に始まるこのチームの応援歌“You’ll Never Walk Alone”には「嵐の向こうには黄金に輝く空が広がる 夜明けを告げるヒバリの美しい歌声が聞こえる」という歌詞がある。コロナと闘うNHS(国民健康保健サービス)スタッフがこれを歌いながら自らを励ます動画が流れたという。それを見たチームのクロップ監督は涙が止まらなかったそうだ。ある病棟では受け持ち患者の1/3が感染症で亡くなってしまうという悲惨に耐える状況下での逸話だ。

街の人々と苦楽を共にするリヴァプールFC、「貧しき街で輝いた欧州最強クラブ」に刻まれたDNA、今季、主力を失っても「苦難突破戦」に挑むリヴァプール魂をこの街の人々と共に私は愛しチームの勝利を信じたい。

「嵐の向こうには黄金に輝く空が広がる」のだから。You’ll Never Walk Alone!!

水蒸気噴霧器

赤木志郎 2021年4月5日

春になり、アパートのベランダの壁塗りや補修が始まった。それに伴い、部屋の中の掃除、整頓もおこなうことになった。三人家族の生活から一人になったので使っているのは台所と浴室以外に寝室兼書斎の1部屋だけだ。掃除は日曜日にやることになっているが、つい手を抜くこともある。

BS放送でTVを見ていたら、水蒸気噴霧器の宣伝があった。100度の蒸気で汚れを落とすものだ。台所や窓のさんなどの汚れを簡単に落とすだけでなく、カーテンをつけたま汚れを落とすことができ、食器の消毒にも利用できる。手間をだいぶ省け、しかも綺麗になる。

あればいいなあと思っていたら、イタリアとの合弁の中国製のものが商店にあった。70$で購入できた。店で試し、使い方を教えてもらった。

作業が楽になるのが良いし、洗剤を使わないのが良い。もし「暮らしの手帖」の花森編集長が生きていたら、製品テストで太鼓判を押していたのではないかと思った。

春の衣がえとともに住居の壁塗り、家の掃除、四月になったことを実感する。

そろそろ畑作業を始める季節です

魚本公博 2021年4月5日

今年は春の到来が速く、例年ですと4月末から始める畑作業準備にもそろそろ取りかからなくてはと思うこの頃です。

そうした中、「スマート農業」に関する資料を読みました。今、日本の農業の問題は、後継者不足、人手不足。農業人口は200万人を切り、平均年齢67歳、今後数年間で多くの人のリタイアが予想される中で、これらを解消するものとして俄然、注目されているのが「スマート農業」。

機械のロボット化やドローンを使った無人農作業、ビッグデーターの活用により、これまで経験に頼っていた営農のデジタル化。これで一日24時間、365日の作業が可能に。後継者難、人手不足、重労働からの解放、経験の継承、楽しい農業・・・。BS放送などで、その一端を示す映像など見てもいいですね、

幼い頃、父親や母親の日曜農業の手伝いをし、土になじみ、朝鮮に来ても、土いじりを趣味にするなど農業に関心のある私としては、「スマート農業」が「日本の農業」を支え発展させるものになることを願ってやみません。

「デジタル農業」でデメリットとされるものの一つが「野菜の食味」だとか。温室栽培では、そこが難しいようです。そういう意味では、シャベルとクワの旧い農作業も捨てたがたいと力が入ります。

春の息吹

若林佐喜子 2021年4月5日

ピンクのつつじに杏の花、黄色いれんぎょうとタンポポなどが一斉に花開いた日本人村です。先日は、春の日射しに刺激を受け、わが家のベランダ掃除と窓ふきをしました。ベランダの鉢植えの枯れたトマトの苗木を捨てたり、水をまきブラシでこすり綺麗さっぱりに。窓ガラスも積もった埃をふき払ってすっきりです。朝から夕方まで動きまわりちょっと疲れましたが、冬の間に縮こまっていた身体が解きほぐされ心身ともにリフレッシュ、そんな気分の一日でした。

さて、朝鮮ですが、ピョンヤン市一万世帯住宅建設の話題でもちきりです。

先月の23日に、その着工式がありました。地熱や太陽エネルギーを利用したグリーン建築や超高層住宅などが建ち並ぶ近代的な建設見取り図。不当な経済制裁、昨年は過酷な自然災害に見舞われ、さらにコロナ禍対応での非常防疫体制と大変厳しい状況下ですが、自分式に自分の力で、自分の手であらゆるものを建設、創造していく攻撃精神、正面突破戦ということです。

5年前に建造された黎明街が約5千世帯ですので、それよりもかなり膨大な建設になるようです。着工式で発破とともに掘削機が動き出し、その後、テレビで毎日、建設現場の様子が伝えられています。建設を主に担当する人民軍隊をはじめ、セメントや鉄鋼などの建設資材を受けもつ工場や各企業所も技術革新とフル稼働で、皆やる気満々な様子。

春の息吹の中、新しい街ができる市民達の喜びと力強い躍動感が伝わってくる4月のピョンヤン、朝鮮です。

黄砂が来た

小西隆裕 2021年3月20日

3月15日夜、「黄砂が来るので、今日の夜12時から明日の夜12時まで、外に出ず、家に籠もっていてもらいたい」との連絡が入った。

それで、皆それぞれ思い思いだが、私は、パソコンを家に持ち込み、16日一日中、日本からPDFで送ってもらった本を読んで過ごした。「村」の食堂に行くこともできないので、昼食、夕食も自炊。

黄砂に乗って、コロナが飛んでくるからということだったが、それにしてもこの徹底ぶりがあっての「コロナ感染ゼロ」なのだと改めて感心した。

「うざったかった」、でも「なつかしい僕の町」

若林盛亮 2021年3月20日

     
1月の「よど号LIFE」、「父親の記憶」で私が触れたBS深夜番組「For You-静かな夜のSong Book」、3月は「HOME」をテーマの名曲を取り上げた。

故郷への様々な想いを歌った世界の名曲がわかりやすい日本語意訳詩で紹介される。

80年代に世界的にヒットした名曲「カウントリーロード」のような「故郷に帰りたい」的に純粋に故郷を愛し懐かしむ歌もあるが、故郷への愛憎の入り混じる歌もけっこう多い。

「これは」! と思ったのが「Dirty Old Town」、薄汚れた古い故郷の街を歌ったものだ。

アイルランドか英国北部から出てきたような古い民族楽器主体の地味なバンドThe Pogues、ヴォーカルはいかにも「あんちゃん」風、ケンカで折られたような前歯をむき出して歌う。

でもその素朴なメロディーと歌詞にはとても味わい深いものがあった。

歌詞を全部載せたいところだが、このバンドとメロディの独特な雰囲気がわからないと感じがわからないだろう。だから要約させていただく。

「ガス田跡で巡り会った女の子と運河を眺め夢を語り合った」に始まる彼らの街、そこは「猫は餌を探して通りを行く、女は夜の街に立ち続ける」古くて不潔な街、「春を匂わす風は煙りだらけ」、そんなすたれ、くたびれた街。そんな街に彼らはこう吐き捨てる。

切れ味鋭いオノを作ろう

火炎で鋼に焼きを入れて

枯れ木のように切り倒す

オノで切り倒したいような街、それが彼らの「Dirty Old Town」。

でも最後の歌詞は、「ガス田跡で巡り会った女の子と運河を眺めながら夢を語りあった」という最初の歌詞に戻りながら、そんな街でも「なつかしい俺たちの街」なんだよと締めている。

私にもこれに似た故郷の町への複雑な想いがある。

私の故郷、草津は東海道と中山道の合流点にある宿場町、別に汚れてすたれていたわけではないし、オノで切り倒すなんて考えたわけではないけれど・・・

高3の頃、ビートルズ風の長髪にした。体育教師は「女の子の授業はあっちだ」と言った。それから母校は「うざったい」ものになった。休憩時間にも旺文社の受験用英単語集暗記に熱中する級友らを「アホか」とあざけった。

ビートルズ「同志」と夜の町を延々と「夢を語り」歩いた。「高校生の異性交際」? 町には大人の好奇の目があった。ただビートルズの話をしてるだけなのに・・・。それから故郷の町は「うざったい」ものになった。町の中学の同級会もうんざり、私は誘いを断った。

時は流れ私は赤軍派に参加。ハイジャック決行のはずが「遅刻者」があって計画はいったん中止、福岡から東京に再び戻る電車が私の故郷の町、草津駅を通過した。そのとき姉とよく通った映画館の屋根がちらっと見えた。切なさがこみ上げてきて涙を干すために顔を上に向けた、「草津よありがとう、さようなら なつかしい僕の町・・・」と心はつぶやいていた。

「うざったい」故郷の町が「なつかしい僕の町」になった不思議な体験だった。
百人には「百の故郷の想い」があることだろう。
故郷の同窓もひとりふたりとこの世を去っていく、でもいま残った同窓とメールで「故郷」を語り合える。やはり草津は「なつかしい僕の町」なのだろう。

春の芽生え

魚本公博 2021年3月20日

          
厳しい冬も去り、めっきり春めいてきました。野山のあちこちでは野草が芽吹き始めましたが最初に芽吹くのがナズナ。日本でも七草粥で食す習慣がありますが、朝鮮でもよく食べられ、食堂ではみそ汁の具や味噌で根を煮込んだものが出されます。体にもよさそうで、ちょっと苦みがありますが中々の美味です。

そして、これからは蕗の薹やアスパラが芽吹きます。これらは昨年、作付けを広げたので楽しみです。その他、ハコベ、イラクサ、カンゾウ、スッパ、ヨモギなども芽吹いてきます。春の野草や芽は何でも食べられ体によいといいますが、休日には握り飯と味噌を用意して野外で野草食というのが私の密かな楽しみ、美味いですよ。

日本は、コロナ禍が収まる気配を見せず、大変な状況。春と言ってもまだまだ寒い、芽吹き始めた野草を見ながらそうした思いにとらわれるこの頃ですが野草にも目を向けて免疫力増強で行きましょう。

よど農場もお目覚め頃

森順子 2021年3月20日

         
テドン江の氷も溶け、キジやエゾリスも姿を見せ村の光景も春を迎えたという感じです。

さて、そろそろ、よど農場の土壌も温かい陽で目覚めるころです。

今年も昨年のように皆の一致した意向のもと、いつから耕し種まきをするのかは、作業班長さんがこれから計画をたてることになっています。毎年、笑顔と癒しと豊富な実りをもたらしてくれるよど農場は、生活的にも精神衛生的にも私たちにとって大切な場所です。

去年は20種類以上の野菜類があったので今年はそれ以上にしたいですが、まず自分が心を込めた労働をしなければ。そして何よりも、昨年、朝鮮を襲った洪水や台風の被害に見舞われないことを願い、今年の夏はよど農場も朝鮮の農業も豊作にしたいです。

真水と真心

小西隆裕 2021年3月5日

年をとるといろいろなことが思い起こされ、若い頃には考えもしなかった生活の真理のようなものが見えてくるものだ。

そこで今回は、「真心」の一節。

真水とは混じり気のない水だ。

純粋な水に何も他のものが混じっていない、そういう水だということだ。

では、真心とは?混じり気のない純粋な心とは何か?

そもそも純粋な心、純心とは何か?

水の場合は、「H2O」ということで一応説明はつくが、心となると簡単でない。

そこで思い至るのは、心とはもともと良いものだと思われていたということだ。

純粋に他人のこと、皆のこと、公のことを思う心、それが心だということではないか。

そこに自分個人の利益を図る考えが混じると真心ではないということになる。

そこで思うのは、今の世の中、自分の利益を図るのは、人間として当たり前だと考えられているということだ。

実際、人が何かすると、その人の利害関係から考えるのが当たり前になっている。

すなわち、真心という概念自体がこの世からなくなっているということだ。

では、この世に真心というものが全くなくなってしまったのかというと、そうではないと思う。

今日、時代の転換が言われているが、そこでもっとも切実に問われていることの一つがこの真心ではないかと思う。

特にそれは、政治の世界で問われているのではないか。

政治不信が一般的な社会現象となる中、政治家にもっとも問われているのは、この真心だと思う。

真心という概念の復活、時代の転換を切り開く政治家、革命家がもっとも心すべきことではないだろうか。

毎日の生活で、自らを戒めながら。

ピョンヤンの理髪師―「今日は春風にしてみました」に込められた職人芸

若林盛亮 2021年3月5日

最近、床屋は新しい店に行くことにした。安くてサービスがいいからだ。外国人もよく行く店だが、高級店なら千円以上はとられるが、そこは400円そこそこというのも魅力。でもいちばんの魅力はその店の理髪師のプロ魂、職人芸術。

若い頃は床屋いらずのロングヘアーが自慢だった私の髪型もいまはスポーツマン・タイプの短髪スタイル。白髪が目立つようになってからは「年寄り臭くみえないように」というスケベ根性もあって、短髪がけっこう気に入っている。最初の頃は息子から「似合わないよ」と言われたが、いまはすっかり古希過ぎ爺「若林君」の顔になった。

話をピョンヤンの理髪師に戻そう。

2月も終わる先日の土曜日に店に行ったら馴染みの理髪師に「ずいぶん伸びてしまいましたねえ」と言われた。「この前は冬だから寒くないようにちょっと長めに刈り揃えましたからね」と仰せになったが、自分ではそんな細かいことに気づかなかった。

「もう春だから今日は少し短めにしましょう」と彼女は仕事にとりかかった。仕事は実に丁寧でいちいちハサミで刈り込んでくれる。前の店では理髪師がバリカンで一挙に「芝刈り」風にやったので、「ハサミじゃ手間がかかるよね」と冗談紛れに話しかけた。するとそれへの答えぶりがとてもふるったものだった。

「同じ服でも工場の機械でつくった既製服より、人の手で縫い込んだオーダーメイドの方が自分の身体にフィットするでしょ」、だから自分はその人の頭と顔の形に合うように微妙な違いをハサミで創り出すのだと。

この女性理髪師の何気ない仕事ぶりにこんなプロ魂が宿っていたのだ! 

マッサージもやってくれるが、これも実に手の込んだものだとわかった。

仕上がりを鏡で見せて「どうですか? 額のシワが伸びたでしょ?」と。なるほど若返った感じがする。それで「どんなクリームを使うの? 自分でもやってみようかな」と訊いたら、またその答えがふるっていた。

「私のようなスベスベの手でやるからいいんであって、貴方のようなごつごつの手では逆効果になりますよ」と言いながら、だから毎日、私のところに来れば10歳以上は若返らせてあげます! とのたまった。

彼女には初級中学校(日本なら小学校高学年)の息子もいて夫と一緒に自分が刈ってやるのだそうだ。「そりゃ自分の旦那と息子、他人との違いを見せたいからね」と仰しゃった。

いやいやこのピョンヤンの理髪師、そんじょそこらのとは違うプロだ。前にも書いたメガネ職人といい、自分の仕事にプロの意地をかける姿は清々しいものだ。

私は春の風を頭に感じながら気分爽快に店を出た。

味噌玉

赤木志郎 2021年3月5日

          

大豆から作る味噌は栄養価もありながら、味噌汁として日本人には欠かせない。そのなかでも味噌玉の味噌がとりわけ美味しい。そのまま舐めても香ばしいし、味噌汁にすれば極上の味だ。手作りの味噌玉を作って軒下に干していた食堂のオモニがいて、その味噌が美味しかったのを想い出す。

今や、商店でその味噌玉の味噌が売り出されるようになっている。数年前から市場で売り出されていたそうだが、私は知らなかった。私が手にしたのは商店できれいに包装されたものだ。

味噌玉の味噌には、味噌と唐辛子味噌の2種類があり、唐辛子味噌でも唐辛子に苦手な私でも舐めることができる美味しいものだ。この味噌をご飯にかけ、ネギとソーセジーをみじん切りにしてかき混ぜて食べても絶品だ。で、もっぱら味噌玉の味噌を愛用している。

先月は、旧正月が3日間休みなど祭日の多い月で自炊する時が多かった。それで、味噌玉を使った味噌汁や好みのユッケジャン(肉汁)などを作った。連休なので一度で3食分をつくり、連続して食べることになる。味噌汁やユッケジャンは連続して頂いても食欲が湧き、飽きない。ところが、いくら好きなカレーでも3食連続となるとさすが厭になってくる。味噌玉の味噌汁やユッケジャンの味わいがそれだけ深いからなのか、日本人や朝鮮人の体質にあっているからなのか。

 食品革命で他にも飲む酢や銀杏の葉のお茶、鉄観音などがでているが、また新しい商品がでるのか、楽しみだ。

遺産

魚本公博 2021年3月5日

2月21日に行われた大分市議会選挙。定数44の内、自民の現職3人が落選した反面社民は現職4人が当選。それも上位5人の内の3人を占めるなど健闘。「大分は社民の牙城、その存在感を示した」などの解説を見ながら、嬉しい気持ちになりました。

それというのも、大分は社民の前身・旧社会党の地盤が強かった県で、50年代60年代の平松郁(かおる)社会党県政の時代は私の少年時代とダブルからです。

私の故郷は別府ですが、その中でも当時は農村地帯だった石垣の出身。地域の中心は農協。農協主催の旅行や野球大会、展覧会(習字、絵画)などが催され、貯金は農協貯金、家電は農協マーク。私の家で最初に買ったテレビも農協マークの入ったテレビでした。

農協はほとんどが自民党の支持基盤になるわけですが農民運動の盛んだった大分や東北などでは社会党色が強かったと聞きますし、石垣農協もそんな感じだったと思います。

石垣では、成人学校、母親教室、料理教室なども催されていました。それとナトコ映画。別府の野菜供給基地だった石垣にはセリ市が5カ所もあり(30m四方ほどをトタン屋根で覆ったもの)、そこでしばしば無料で上映されていた巡回映画がナトコ映画。社会派映画が多くて「沖縄の少年」「警察物語」「生きていて良かった」とか「力道山物語」も観ました。(ナトコ映画、手持ちの辞書で調べても分かりません、どなたか教えていただければ幸いです)

これをもって社会党県政だったからと言うのは合わないかもしれませんが、少なくとも進歩的で共同体的な気運が強かったことは確かです。そうした「和気あいあい」とした共同体的な体験。私が今でも地方問題に興味があるのも、そうした時代、そうした田舎で幼少時代を過ごしたことが原点としてあるからかもしれません。

大分の社民も立憲民主党への合流を決め、これが社民としての最後の選挙。「どうしても社民に投票したくて」とか「(立憲に合流しても)ずっと社民で頑張って欲しい」という声もあったとか。何かそうした時代の遺産という感じがします。社民の皆さんも、この「遺産」を今に生かすという気持ちで頑張ってほしいです。

今日は、ひな祭り

若林佐喜子 2021年3月5日


テドン江の氷もすっかり解け、柳の木も黄色く色づきもうじき芽吹きそうです。

先日は、日本の新聞の「メイクに涙した79歳のばあば」という記事に、ついほっこり。コロナ禍で外出もままならい中、同居の「ばあば」に、口紅から、ファンデーションとフルメイクをしてあげると、鏡を見つめて涙を流し、「生まれてきてくれてありがとう」と言ってくれたとの20歳のAさんの投書。彼女の両親は共働きで幼いときから祖母が面倒をみてくれたそうです。きっと彼女の感謝の気持ちが祖母に伝わり、幼いころからの姿が目に浮かび思わず言葉に出たのでしょうか。

数年前から、「生まれてきてくれてありがとう」「生んでくれてありがとう」と言う言葉が人々の口にされるようになったと聞きます。日常生活で、より「命」の尊さに気づかされる出来事が多い中で、「尊い命」が繋がれていくことの大切さを実感する日々なのだと思います。

コロナ禍で大変な毎日で心が沈みがちです。でも、このような時だからこそ「尊い命」らの健やかな成長を願い、しっかりお祝いをしてあげたいと切に思わずにはいられない3月3日、今年のひな祭りです。

*よど号LIFEの過去の投稿は
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