メッセージ

G7-「同盟」の時代の「終わり」の始まり

ピョンヤンかりの会 若林盛亮 2021年5月20日
(「救援」 2021年7月 627号-ピョンヤンから「アジアの内の日本」を考える-)

「ASEAN旗翻るピョンヤンの大使館街」を前号で書いた。

ASEAN諸国がバイデン米国の押しつける「米中新冷戦」とは距離を置き、日本政府が「対中包囲」を働きかけてもアジアで孤立するだけだということを訴えたかったからだ。ASEANは誰かと対抗する「同盟」ではない。

他方、6月にあったG7、先進国首脳会議は旧帝国主義列強諸国による「同盟」であり、バイデン米国は対中包囲網形成に成功したと一般には報道されている。

確かにEUは「人権問題」をもって中国への制裁を決めており、「同盟軽視」のトランプとは異なり「同盟に復帰した」バイデン米国を歓迎していると言われている。

だが内実はそうでもないようだ。

G7に先立ち中国政府は、自国への不当な制裁に参加する外国企業を中国市場から閉め出したり参入禁止にする逆制裁の法律を施行すると決めた。これに浮き足だった欧州企業はEUや自国政府に「米国に従属して中国敵視をしないでほしい」と訴えているとのことだ。

中国との貿易額第一位のわが国経済界の内心はさらにそうだろう。

これが「米国の同盟への復帰」と「歓迎された」とされるG7の内実だ。

「『同盟』の終わりの始まり」はすでに現実のものとなりつつある。

戦国時代や帝国主義時代でもない現時代に「合従連衡して覇を競う」は時代遅れの遺物だ。

わが国で「3Aと2Fの対決」だと自民党内の暗闘が言われている。安倍、麻生、甘利(3A)は日米同盟重視、「対中対決の最前線」派、二階(英語で2F)は「対中包囲参加は国益に資さない」派、これは日本の財界、自衛隊など支配層内部の暗闘の反映でもある。

4月の日米首脳会談で「台湾有事の安保協力」、日米安保同盟強化が謳われた。台湾有事の際、中国の極超音速滑空弾など最新ミサイルのため米空母部隊は接近すらできないという「米軍の劣化」を補うために自衛隊の攻撃武力化、有事攻撃作戦参加を求めるという米国の身勝手な要求だ。国民投票法改正案が参議院でも通過、いずれ9条改憲(専守防衛放棄)が論議されるが、それはいまや米国の「押しつけ改憲」の性格を帯びる。

劣化、衰退一途の米覇権と運命を共にする日米安保「同盟」一辺倒を見直すとき、今度のG7がそれを教えてくれていると思う。


世界とアジアを分断する米中新冷戦にアジアは反対

ピョンヤンかりの会 若林盛亮 2021年5月20日
(「救援」 2021年5月 625号-ピョンヤンから「アジアの内の日本」を考える-)

4月のピョンヤンは春爛漫の季節、15日は太陽節で祝日、みなで食事会に出かけた。市内はチマチョゴリで着飾った女性たちが行き交い、街角ではあちこちで野外音楽公演があって興に乗った女性たちが踊っていた。また道(日本の都道府県)対抗体育競技大会決勝戦に金日成競技場は5万人を集めた。コロナ非常防疫体制下とは思えないにぎわいの春。

他方で菅首相訪米、日米首脳会談、こちらは春にふさわしからぬとても殺伐たるもの。「専制主義対民主主義」だと米中新冷戦を宣言し世界とアジアを二つに分断、その対中対決の最前線に立たされた日本が「台湾有事の安保協力」まで約束させられ、「9条改憲をやる意思があるのか」と菅首相は米誌「News Week」の取材で迫られた。昨年「対中包囲網参加は国益に資さない」と明言した菅首相はバイデンに恐れをなしていとも簡単に前言を翻した。

これをアジアはどう見るだろうか。参考として「価値観押しつけの時代は終わる」(読売4/4)と題する論評にある国立シンガポール大学名誉フェロー、キショール・マブバニ氏の言葉を紹介する。

「今後の世界秩序形成では、イデオロギーではなく現実重視のプラグマチズムに基づくアプローチが重要だと考えています。西欧が民主主義的価値観を非西欧社会に押しつけるだけの時代は終わりました」-これがアジアの時代観であり総意だと思う。

シンガポールの属するASEAN(東南アジア諸国連合)は、社会主義国、イスラム系国、軍事政権下の国、各様各色の国々がイデオロギーや体制にかかわらず、諸問題を「対抗ではなく対話と協力」の精神で解決する独自の協調体制をとっている。異なる政治体制であれ各国の主権は尊重されるべきという確信が各国に共有されているからだ。それぞれの国には自分流の生き方がある、自分のものを大切にする、そして他人のそれも尊重する体制だ。

米国は日本をアジアで対中対決の最前線に立たせた。日本は「専制主義対民主主義」の対決だと欧米の価値観を押しつけ、アジアで対中対決への参加を促すリーダーシップをとるべき位置に否応なしに立たされる。しかし菅首相のように前言を翻してまで米国に言われるがまま、自分のものがない日本の言うことにそのまま耳を傾ける国はアジアにはない。

「台湾有事の安保協力」、戦争をやる国になってまで対米従属下でアジアに覇を唱える「アジアの外の日本」を続ける、そんな時代遅れの考えを見直すべき時が来た、そう思う。

「アジアの外は同盟」再構築、でも「アジアの内は非同盟」堅持の意味するもの

ピョンヤンかりの会 若林盛亮 2021年4月20日
(「救援」 2021年4月 624号-ピョンヤンから「アジアの内の日本」を考える-)

3月はバイデンの米安保外交が動きを開始、クアッド(米日豪印)首脳会談、そして日本、韓国との「2+2」(双方の外務、防衛大臣会談)で「反中包囲網」、同盟諸国を束ねた後、アンカレッジでの米中会談(双方の外交責任者会談)に臨んだ。結果は周知のように、それは米国の中国との厳しい「対決姿勢」を世界に見せる一大ショウ舞台となった。

「米中新冷戦時代の到来」と政治家やマスコミは騒ぎ立てているが、これは正しいのか?

朝日新聞(3/17)にこんな記事を見つけた。

「1980年代から『独立自主』外交を掲げてきた中国は、日米のような同盟関係を『冷戦時代の遺物』と見なしており、自ら同盟ネットワークを築く意向はない」

同盟関係は「冷戦時代の遺物」、この意味を考える必要があると思う。 

考えてみれば東西冷戦時代、資本主義大国・米国は西欧諸国とNATOを、日本とは日米安保をという同盟関係を築きあげ、他方、社会主義大国・ソ連は東欧社会主義諸国とワルシャワ条約機構という同盟関係を築き、東西両陣営に世界を分断し覇を競った。

だが今は違う。米国はバイデン流「国際協調」、「反中包囲網」・同盟再構築に奔走しているが、他方の中国は「同盟関係を『冷戦時代の遺物』」としてこれに取り合っていない。だからこれは米国の勝手につくりあげた「米中覇権抗争・新冷戦」であって、世界の実相ではないということではないだろうか?

アジアを見てみるとASEAN諸国は反中包囲網の米国の「自由で開かれたインド太平洋構想」に反旗を翻し、この地域を「対立と抗争ではなく協力と対話の地域」とする構想を対置した。ASEANは誰かに敵対する同盟ではない、あくまで「地域協力機構」だ。

「アジアの外」で展開される同盟再構築運動は、「合従連衡」の戦国時代や帝国主義覇権抗争時代ならいざ知らず、今日の時代にあっては「時代の遺物」、衰退した自らの覇権回復を狙うバイデン・米覇権帝国の最後のあがきと見るのが正しいのではないだろうか。

これが「アジアの外は同盟」再構築、「アジアの内は非同盟」堅持の意味するものだ。

サンケイ新聞のねつ造記事に抗議する

2020年4月5日 魚本(旧姓安部)公博

このたび、サンケイ新聞(3月30日付)に「よど号事件、拉致 私が防げたのでは 元警視、50年後の告白」という記事が出されましたが、それは全く事実無根であり、私たちよど号グループを貶めるための三文記事以外の何物でもありません。

記事によれば、私が安田講堂事件で逮捕された際、取り調べた警視庁の元警視M氏と連携を持ち、ハイジャック前の70年3月13日に中村橋駅で会ったということですが、そのような事実はありません。このことに関しては、3月25日にサンケイ新聞の仲介でM氏と電話で話しをした時に明確に「そんなことはない」と述べており、同席していた編集委員の加藤達也氏にも「そんなことはなかった。何か勘違いしているようだ」と釘を差したものです。サンケイ新聞は、そうした本人の否定にもかかわらず、M氏の「証言」を一方的に採用し、何らかの目的をもって、この記事をねつ造したということです。

この記事があることによって、私たちが「よど号ハイジャック50年」に際し、事件への反省や帰国問題や拉致容疑などに関して行った主張は消し飛んでしまい、新聞の社会面一面をとった、よど号ハイジャック50年に関連する記事全体が私たちを貶める印象の強いものになってしまいました。

私は、取り調べ場にいただけのM氏と連携などありませんし、ましてやハイジャック直前の70年3月13日に中村橋駅で会ったことなどありません。記事では、その時、八王子市の親戚の家に泊まるというので、そこまでの切符を買って渡したなどとも書いているのですが、八王子市に私の親戚などいないし、話し全体が全くの作り話しです。

この件に関しては、サンケイ新聞のK編集委員とM氏に以下のごとく抗議文を発送しましたので、ご参照ください。なお、二人への抗議文は実名宛に出しています。

2020年4月5日

○サンケイ新聞社会部編集委員K氏への抗議文
サンケイ新聞3月30日付けの記事「よど号事件、拉致 私が防げたのでは 元警視、50年後の告白」について、この記事作成の指揮を執った社会部編集委員K氏に厳重抗議します。

この記事は、元警視庁警察官M氏の「記憶」に基づいて書かれた体裁をとっていますが、それは全く事実無根のねつ造記事です。すなわち、私が東大安田講堂事件で取り調べを受けたM氏と連携をもち、ハイジャック前の70年3月13日に中村橋駅で会ったというのですが、そのような事実は全くありません。そのことは、3月25日にあなたの頼みで行った電話会話でM氏本人にも「そのようなことはない」と明確に伝え、そのとき、同席されていたあなた本人にも明言しています。

それにもかかわらず、本人が否定したことを無視し、このような記事を仕立てたのは、極めて不適切で何らかの目的をもって書かれたものと断定せざるをえません。

この記事によって、私たちよど号グループが警察と連携をもっていたような人間を成員とするいい加減な組織であると印象づける結果をもたらし、そのことによって私たちが「よど号ハイジャック50年」に際して述べた事件への反省と帰国問題や拉致容疑への主張などは消し飛んでしまいました。それは決して私たち宛に送られてきた貴社からのメールにありました「ご見解に沿わない部分もあると存じますが、是々非々でおくみいただければ幸甚です」で済まされる問題ではありません。

私は、M氏と連携をもったことなどなく、1970年の3月13日に中村橋駅近くの喫茶店で会ったこともありません。その本人が否定したことを無視し、このような記事をねつ造したことについて厳重に抗議するものです。

2020年4月5日

②元警視M氏への抗議文
サンケイ新聞3月30日付けの記事「よど号事件、拉致 私が防げたのでは 元警視、50年後の告白」を読みました。この記事は、Mさんの「記憶」として、東大安田講堂事件で取り調べたときから、私と連携があり、70年3月13日に、私が中村橋駅であなたに会ったという「資料」に基づいています。しかし、この「資料」については、当事者であるあなたご自身がフィクションであることをご存じの筈です。ことについて、私は「そんなことはない」と明確に否定しました。それにも係わらず、サンケイ新聞のK編集委員にそのような、でっちあげ「資料」に基づく記事作成を容認したことは、あなた自身が、このねつ造記事に積極的に荷担したものと見ざるをえません。

これは私への人権侵害・名誉毀損であると同時に、そのような人間を所属させるよど号グループ全体に対する極めて悪質な名誉毀損です。よって、ここにあなたに対して厳重抗議することを表明するものです。

2020年4月5日

 

-ピョンヤンから「アジアの内の日本」を考える-「外」から「内」へ!

2020年3月31日 ピョンヤンかりの会成員一同

毎年迎えるHJ当日、「3・31」も、今度で50回目になります。

半世紀を経た今、この日を迎えながら何より思うのは、日本という「国」があっての私たちだったという感慨です。

人間にとって「国」は、生きていく上での拠り所だと言いますが、それは何よりも、心の拠り所、柱だということなのではないでしょうか。

私たち自身、一人の例外もなく、この長い歳月、朝鮮の地にありながら、日本を思わなかった日はただの一日もなく、日本を思うところから、生きる意味も生き甲斐も、闘う意思も活力も、得てきたのではないかと思います。

そのかけがえのない日本という「国」が、今、なくなってしまっているのではという思いに駆られます。新型コロナウイルス禍への現政権の対応には、国民の命と安全を守る「国」としての体がないように思われます。そればかりではありません。経済、軍事にも外交にも、今の日本の政治には「国」がなくなってしまっているのではないでしょうか。

今日、グローバル覇権秩序の世界史的な崩壊。それと一体に進行する「国」に対する要求の世界的範囲での高まり。南北朝鮮を中心に進展する東北アジアの地殻変動は、その一環ではないかと思います。

この歴史の新時代、朝鮮の地から日本を見つめ続けてきた私たちの目には、今こそ日本が、米国につくのでも中国につくのでもなく、アジアの内の日本として自らをうち立てる時が来ているのではないかと映ります。いよいよ深刻の度を増してきている新型コロナウイルス禍は、そのことを一層鮮明に教えてくれているのではないでしょうか。

このかつてない「国難」にあって、何よりも日本国民の皆さんの無事と安寧を心からお祈りしながら、私たち自身、生まれてくる新しい日本への胎動と一体に、そのために少しでも寄与していく決意を改めて固めています。

 

「よど号」渡朝50年に思う

2020年2月21日 ピョンヤンかりの会 小西隆裕

渡朝ハイジャック50年、今思うのは、「あれから半世紀、再び、いやさらにすごい時代を迎えている」という実感です。

■半世紀の時を経て
思えば、あの時も激動の時代でした。

ベトナム戦争を中心とした地殻変動が先進国にも波及し、欧米でも、そして日本でも、学生運動の激震が世界を揺るがせました。

「暴力革命」「プロレタリア国際主義」の旗を掲げながら、旧左翼と訣別した新左翼の運動の、その最極端へ進んだ私たち赤軍派による「前段階武装蜂起」「国際根拠地建設」を目指したハイジャックも、その中の一つの現れだったと思います。

そして今、全世界に広がる古い政治から新しい政治への巨大な地殻変動は、学生運動の枠を超え、幅広くすべての階級階層が立ち上がる、より根底的で強力な激震を世界的範囲で生み出してきているのではないでしょうか。

この50年の時を経た二つの激震の間には、明らかに質的な発展があるように思います。

それは、一言で言って、階級の反乱から国と民族の反乱へ、発展途上国だけでなく先進国にあっても、「自国第一主義」、国と民族を挙げての反乱へとその様相を変えてきているところにあると言えるのではないかと思います。

言い換えれば、それによって生まれる米覇権の揺らぎが、覇権そのものの存亡を問う、より根底的な揺らぎとして、覇権時代そのものの終焉に向け、後戻り不能、不可逆的なものへと深まってきていると言うことです。

もはや、かつて新植民地主義・ケインズ主義からグローバリズム・新自由主義へ、その覇権のあり方が変わったような新たな覇権への転換はあり得ないのではないかと思います。

実際、トランプによる「アメリカ・ファースト」覇権は、米国民の要求に従って、自分自身が「自国第一主義」を掲げるしかなくなっており、国と民族を否定しその上に君臨する覇権としての本質と言うか、体をなすこと自体ができなくなっているではありませんか。

■東北アジア新時代、そのただ中にあって
米覇権の衰退と弱体化、それは、東北アジア新時代にあって、もっとも赤裸々に現れているのではないかと思います。

2018年、ピョンチャン冬季オリンピックを契機に顕在化した東北アジアの地殻変動は、南北朝鮮から朝中、朝米、そして朝ロへと、首脳会談の連鎖を軸に広がり、戦争と敵対の時代から平和と友好、繁栄の新時代へ、その時代的転換が大きく進行しました。

この世界を驚かせた事態の進展の根底には、それを可能にするいくつかの要因がありました。一つは、核武力を完成し、米本土全域を核攻撃の射程に入れた朝鮮とロウソク革命の炎の中から生まれた韓国、南北朝鮮の平和と繁栄、統一に向けた意思と要求。もう一つは、朝鮮の「改革開放」と資本主義化、アメリカ化を目論み、それに基づきながら、東北アジアにおける覇権のあり方のグローバリズムからファースト主義への転換を狙う米国の企図。さらには、東北アジアの平和と安定、繁栄とそこへの進出を図る中ロの要求。それらが互いに共通の利害関係にありながら、水面下で激しく交差・対立し、攻防する。そこに、事態発展の根因と真相が隠されていたのではないでしょうか。

この「攻防」を米国は当初受けて立ちながら、最後までやり抜くことができませんでした。南北朝鮮共同の統一への動きの予想を超えた早さと強まりを嫌い、形勢の逆転を図ったハノイでの「ちゃぶ台返し」、そして昨年末までという期限を設けての朝鮮による「合意」突き付けに対する「無回答」は、南北朝鮮の攻勢に対応できなかった米覇権の弱さの顕れ以外の何ものでもないのではないでしょうか。

新年に当たってのトランプ一般教書演説には、「北朝鮮」への言及はまったくありませんでした。これをもって、東北アジア新時代の終焉と見る向きもあるようですが。だが、果たしてそうでしょうか。米国の動向をもって世界の情勢を展望する時代は、すでに過ぎ去ったのではないでしょうか。

今日、東北アジア新時代は、新たな発展段階を迎えているのではないかと思います。新年を迎えながら、朝鮮全土は、難関突破の新方針、「正面突破戦」貫徹の闘いに沸きかえっています。米国が東北アジアを舞台とする「攻防」を日和り、あくまで「制裁」にしがみついてきたのに対する回答だということでしょう。

「制裁」には「自力更生」で対決し、覇権の手段としての「制裁」そのものを無力化する。そこには、米覇権、ひいては覇権そのものを撃滅する意思が感じられます。「核」を「核武力完成」で無力化したのに続き、覇権の牙を、軍事と経済、二本とも抜いてしまおうということです。

それと関連して、今回打ち出された「自力更生」は、明らかにこれまでの「自力更生」とは違ったものになっていると思います。「制裁」に耐える「自力更生」から「制裁」自体を意味のないものにしてしまう主動的で攻撃的な「自力更生」への転換です。

実際、朝鮮の経済は、それができるだけの力を付けてきているのではないかと思います。社会主義企業責任管理制、分組管理制と田圃担当責任制など経済の個々の単位にこれまでになかった裁量と責任を持たせる制度が内閣責任制、内閣中心制による統一的指導、戦略的管理の下、人々のやる気とともに、国の経済の主体としての自覚と責任感を高める中、IT,ナノ、新エネルギー、生物、生態環境、宇宙など先端科学技術開発が経済発展の鍵として押し出され、それを生み出す母である教育の革命と人材育成、人々の健康を増進する保健の強化が図られるなど、朝鮮の現実は、「自力更生などできるものか」という日本の識者たちの見解をいとも簡単に覆してしまうのではないでしょうか。

東北アジア新時代を新たなより高い段階に引き上げる朝鮮の姿は、今日、「新型コロナ・ウィルス」に対する、迅速かつ徹底した国を挙げての主動的で厳格な対応にも、その一端が示されているのではないかと思います。その中の一つ、少しの逡巡もなかったいち早い国境完全封鎖なども、「自力更生」の本気度、その真価を問うリトマス試験紙の一つになるのではないでしょうか。

■今、問われていること
50年の時を置いて、再びめぐってきた激動の時代。

世界に広がる古い政治から新しい政治への転換と米覇権崩壊過程の進行、そして東北アジア新時代の新しい段階への進展、等々、この激動の時代に私たちに問われていることは何か。

それは、私たち「よど号」本来の使命を、この時代的要求に応えて果たして行くことに他ならないのではないかと思います。

私たちは、「よど号」渡朝50年に当たる新年を迎えながら、メッセージを発信しました。「かけがえなく大切な日本」のため、「一人一人を大切にする日本」「アジアの内の日本」実現のため、少しでも寄与すること、それを通して、最悪の朝米、日朝関係の下、朝鮮敵視のためにでっち上げられた古い敵対の時代の遺物、「よど号問題」の見直し帰国のために闘うこと、これがメッセージで表明した内容です。

これは、自分たちの「革命」のため、乗客の皆さんを犠牲にすることを省みなかった「HJ」への痛恨の総括であり、朝鮮の地、アジアの地から半世紀の長きに渡り日本を見、考え続けてきた者の当然の義務であり責務です。

今日、奇しくも古い政治から新しい政治への転換が進む歴史の新時代にあって、どこまでも国を人間集団の基本単位として、自分たちの国第一、一人一人の国民、住民、当事者第一に、自国主体、国民、住民、当事者主体で政治を行うことが求められてくる中、「人を犠牲にする大義に大義はなく、一人一人のためでない革命は革命ではない」という私たちのHJ総括がそのための肥やしになることができれば、私たちにとってそれに勝る喜びはありません。

時代は東北アジア新時代。それが終息するのではなく、新しいより高い段階に進展していこうとする今日、これにどう対するかは、日本にとって決定的です。

これまで日本は、東北アジアのこの事態進展の蚊帳の外でした。しかし、もうこれ以上、米国の影でなす術なしのままでいるわけにはいきません。事態進展の当事国から対象国へと転落した米国の後ろに従って、この時代の発展に敵対するのか、それとも、米国の影から抜け出し、時代の発展とともに進むのか、その選択が問われているのではないかと思います。

そうした中、今、米国から突き付けられてきているのは「米国か中国か」の選択です。ヨーロッパでは、「中ロの脅威」への対抗を呼びかけながら、それを排撃され、東南アジアでも、中国の「一帯一路」に対抗する「インド太平洋構想」を掲げて、それを拒否された米国が迫ってきているこの選択に、日本はどう応えるべきなのでしょうか。

国と民族が反乱し、覇権が最終的に崩壊してきている今日、答えは明確なのではないでしょうか。「米国か中国か」ではなく、「米国でも中国でもなく」。日本国民の要求もまさにここにあるのではないかと思います。

しかし、これでは完全でありません。では、どの道に進むのか。そこで出されてきているのが、「米国でも中国でもなく、アジアとともに、アジアをリードして進む道」です。

「アジアのリーダー論」。これはどう見ても時代錯誤です。東北アジアも、東南アジアも、アジアのどこもついてこないでしょう。第一、日本国民自身、納得しないのではないかと思います。

今は、アジアの外というか上からアジアをリードするのではなく、アジアの内に入って、アジアに学び、アジアの一員として日本が果たすべき役割を果たしていく時なのではないでしょうか。

「米国でも中国でもなく、アジアの内の日本へ!」
(一水会機関紙「レコンキスタ」3月1日号掲載)

 

-ピョンヤンから「アジアの内の日本」を考える-「外」から「内」へ!

2020年1月5日 かりの会ピョンヤン 若林盛亮

朝鮮半島を中心に起こる東北アジアの地殻変動はいまや確実な現実だ。しかしわが日本国は周知の「蚊帳の外」状態。この地殻変動への対応を焦り、敵視から一転、「朝米対話」に乗り出した米トランプ政権に振り回されるだけだった。

その結果は「拉致問題解決なしに日朝対話はない」と豪語してきた安倍首相が一変して「条件なしの対話」を呼びかけても朝鮮からは鼻にも掛けてもらえないという惨めな境遇に置かれたままだ。これが戦後日本の究極の姿、ひいては明治の「脱亜入欧」、「アジアの悪友を去り、欧米の処するようにアジアに対処する」とアジアの「外」に出た日本、そのわが身から出た錆だと言えるのではないのか。

ところで朝米対話に出た米トランプ政権だが、二月のハノイでの「ちゃぶ台返し」、「寧辺核施設破棄」という朝鮮の提起を「もっとビッグ・ディール(大きな取引)でないとだめだ」と傲慢にも交渉決裂の挙に出たばかりに、この「千載一遇の好機を棒に振った」(チェ・ソンヒ朝鮮外務副相)。

結果は、年末を期限に「新しい計算方法を」と迫る朝鮮に対処できず、二〇一九年末現在、今や米国自体が朝鮮、東北アジアから見限られる危険にさらされている。

また八月に開かれた東南アジア諸国連合(ASEAN)外相会議で米国は、「一帯一路」の中国に対抗する新アジア戦略「自由で開かれたインド太平洋」構想への協力を訴えたが、ASEAN諸国は、この地域を「対抗ではなく協力と対話の場」とする独自構想を採択した。米国式対処は東南アジアからも見放されている。

東北アジアからも、東南アジアからも米国式対処、覇権主義は排撃されるものになった。いまや「米国についていけば何とかなる」戦後日本の「成功神話」の時代は終わった。明治以来の「脱亜入欧」、アジアの「外」の日本のあり方が問われる時代になったのではないだろうか。
(【救援】2020年1月 609号)

 

「よど号渡朝(HJ)五十年」、朝米交渉「合意」でも「決裂」でも

2019年12月5日 かりの会ピョンヤン 若林盛亮

十一月二六日から三〇日まで第二次山中訪朝団を「日本人村」に迎え、「よど号渡朝(HJ)から五十年」を迎える節目の年、二〇二〇年の帰国闘争方針を協議した。訪朝団成員は山中幸男「帰国支援センター代表」、「よど号<欧州らち>逮捕状撤回を求める会」事務局のI氏のお二人、「よど号問題見直し」帰国闘争支援の中心を担っていただいてきたメンバー。合意の内容は、国内に持ち帰って協議するということなので、ここでは方針上の詳細には触れない。

私たちから山中さんらに提起したのは、「朝米交渉『合意』でも『決裂』でも東北アジアは新時代に入る」と見る、この帰国闘争を攻勢に転じる成否の鍵となる情勢認識問題だ。

私たちはこの欄でこれまで書いてきたように、朝鮮が米本土全域を射程に収める核弾道ミサイルを保有したことにより米国が戦争という選択肢を失い、また南北朝鮮が「民族同士」での和解と協力、統一へと動き出したことにより軍事境界線の実質的無力化、非武装化が進展する中、米国に朝鮮敵視姿勢の放棄(平和協定締結-国交樹立)以外に道がなくなり、古い敵視時代の遺物である「よど号問題」見直し帰国が実現する闘いを攻勢に転じることができるようになる。

しかし朝鮮側の提示した今年中というタイムリミットが残すところあと一ヶ月と迫る中で朝米交渉が暗礁に乗り上げた感がいま強まっている。ならば私たちの「欧州拉致」逮捕状撤回、「よど号問題見直し」帰国の闘いも暗礁に乗り上げるのか? 

秋のストックホルムでの朝米実務者協議は朝鮮側が米国の提案を「内容のない単なる時間稼ぎ」と一蹴、決裂に終わった。そして11月に米国がスウェーデン政府を通じ伝えたとされる交渉再開打診も「“戦争終結宣言”や“相互の連絡事務所設置”のような(情勢次第で紙切れに終わる)話し合いのための話し合いには興味もない」「すでにわが方の要求事項は伝えてある」、米国がこれに答えるだけだとにべもなく拒否した。

朝鮮側の要求事項(新しい計算方法)とは、非核化と制裁解除を取引条件にするような交渉ではなく、米国による実質的な対朝鮮敵視政策の完全放棄、停戦協定の平和協定への転換(戦争状態の解消)、その先にある国交樹立を含む米国の態度変化であろう。

米国にボールが投げられたまま膠着状態が続き、年末のタイムリミットが迫っている。私たちは、南北朝鮮の民意による東北アジアの地殻変動という動かしがたい現実に抗うことなく、米国には「合意」による解決以外にこの地域で生き残る道はないと思う。だが、それは米国の決断することだ。米トランプ政権がどう答えるか、またそれを朝鮮がどう判断するのか、「合意」か「決裂」かが年末には結論が出る。

運命の時を前にして、私たちの見通しに揺るぎはない。朝米交渉が「合意」なら言うまでもなく歓迎だが、「決裂」でもかまわない。

「決裂」になったとすれば、米国なしでも南北朝鮮、朝中、朝ロで東北アジアを戦争と対立から平和と友好、繁栄の地域としていく一致した努力に更に拍車がかかり、この地域の地殻変動はさらに大きなものになるだろう。

対朝鮮敵視政策の破綻は、米国がそれを認める「合意」であろうと、認めない「決裂」であろうと、言い換えれば米国の態度いかんに関わらずそれが動かしがたい現実になっているということだ。すなわち米国覇権による対朝鮮敵視の時代はすでに終わった。ゆえにこの古い覇権と敵対の時代の遺物である「よど号問題」は清算されるべき時期に入った。

「よど号渡朝(HJ)五十年」、二〇二〇年は、帰国闘争を最終的解決に向けた攻勢に転じる年になる、この情勢認識に基づき積極的な方針を考えていこう、これが山中訪朝団との協議の結論だ。(【救援】12月 608号)

 

いま、「アジアの内の日本」を考え発信する時!

2019年11月5日 かりの会ピョンヤン 若林盛亮

来年、「よど号ハイジャック闘争五十周年」を迎える私たちだが、いま世界は激動の時代、大きな転換の時を迎えている。特に東北アジアではかつてない地殻変動が起き、南北朝鮮、朝米、朝中、朝ロがこの新しい事態解決に積極的に動く中にあって、ひとりわが国、日本だけが「蚊帳の外」状態を脱することができずにいる。

それは明治国家の「脱亜入欧」以降、戦後七十余年を経た今日もなお、わが国がアジアの国でありながら「アジアの外」にあるということを示しているのではないだろうか。

戦後日本も戦前同様、「アジアの外」のままにある。いや戦後のそれはもっとひどい。あの戦争の総括を「強大なアメリカに身の程知らずの軍部(軍国主義者ら)が起こした無謀な戦争」と総括し、戦後は日米安保体制の下、「日本軍部」に代わって「米軍事力」に依存することで再び「アジアの外」から覇権的にアジアに対するようになったからだ。米国中心の国際秩序維持の先兵となって自らの覇権的権益を得る、戦後の日本はこんな「虎の威を借りる狐」としてアジアに対し今に至っている。

朝鮮半島に対する態度は、そんな「アジアの外」の戦後日本の象徴とも言える。

いま「徴用工問題」で最悪になった日韓関係だが、日本政府は「一九六五年の日韓条約で賠償問題は解決済み」としている。しかしその日韓条約自体は「アジアの外」、米国の強い要求によって生まれたものだ。一九六〇年四月革命で親米独裁の李承晩政権を倒した学生運動はじめ韓国民主化闘争を軍事力で弾圧、クーデターで権力の座に着いた親米軍事独裁・朴正凞政権を日本が政治経済的に支え、朝鮮半島分断の固定化のための米日韓同盟強化を図ったもの、それが日韓条約だった。その内容は当然、日本の植民地支配への反省も賠償もない代物で、「賠償金」ではなく「建国報奨金」だと当時の椎名外務大臣はうそぶいた。当然、「内から」は日本でも韓国でも民意は日韓条約反対闘争として示された。

「二〇一四年末の日韓政府間合意で従軍慰安婦問題は決着済み」と言われるが、この問題も、「北朝鮮の核とミサイル」に対抗する米日韓軍事一体化推進という「アジアの外」からの必要、オバマ大統領の強要によって安倍政権、朴槿恵政権がしぶしぶ「政府間合意」としたものだ。そもそも「最終的かつ不可逆的」などという「合意」の文言自体が「もうこれ以上、謝罪云々は言うな」という傲岸無礼なものだ。当時、絶対多数の韓国国民、民主化陣営が反対したのも当然で、後に彼らが起こした「ろうそく革命」が文在寅政権を押し立てたのだ。

他方、「北朝鮮」に対しては更にひどい。一九九〇年代「苦難の行軍」時期以降、米国は明確に「北朝鮮窒息、圧殺」を目的とする政治的、経済的、軍事的圧迫を対朝鮮政策の基本に据えた。日本政府は経済制裁の先頭に立ち、在日米軍基地は常に「北朝鮮打撃」態勢を整えるようになった。ブッシュ政権時には「核先制攻撃対象」の筆頭にあげられた「北朝鮮」は日本が「核の傘」と頼む米軍の核による戦争の脅威にさらされることになった。

さらに言えば「よど号問題」はじめ米国主導の対朝鮮敵視政策の先頭には常に日本政府が立ってきたのは周知の通りである。 

いま朝鮮半島で起こっている「アジアの内」からの地殻変動、戦争状態の終結、南北朝鮮の和解と協力、そして統一に向けた大きな胎動、それは「アジアの外」から、しかも「虎の威を借りる狐」としてアジアに対してきた日米安保体制下の戦後日本のあり方の見直し、「アジアの内の日本」への転換を迫るものでもある。

このような新しい事態を前にして私たちは、アジアの内から「アジアの内の日本」を考え発信する必要を痛感している。それゆえ私たちは「アジアの内の日本の会」を結成し、会の発信の場としてウェブサイト「ようこそ よど号日本人村」の「議々論々」コーナーを新たに「アジアの内の日本」コーナーに変えることにした。

どのように発信していくか試行錯誤が続くだろうが、皆さんからのご批判、ご意見を積極的に受けていきたいと思う。(【救援】11月 607号)

 

「アジアの内の日本の会」を立ち上げるに際しての趣意書

2019年10月5日 かりの会ピョンヤン

私たちが日航機「よど」をハイジャックし、ここ朝鮮に飛んで来てから、来年3月で50年になります。

この間、日本も朝鮮も、アジアも世界も大きく変わりました。

しかし、変わっていないものもあります。

日本と朝鮮の敵対的な関係です。

私たちが朝鮮へのハイジャックを決意したのも、この関係があったからですが、

それは、日本にとっては決して良いことではありません。

そしてその良くない関係は、朝鮮に対してだけではないと思います。

アジア全体に対し、日本は、敵対とまでは行かなくとも、決して良好な関係にあるとは言えないと思います。

この間、最悪の日韓関係にあって分かったことですが、

日本が安全保障上、信頼できる国、「ホワイト国」に指定しているのは大部分欧米諸国であり、アジアの国は、韓国以外一国もなかったようです。

この一事にも、日本がいかに「アジアの内の日本」になっていないかが示されていると思います。

今回、東北アジアの、戦争と敵対から平和と繁栄への時代的転換、政治的地殻変動にあって、日本が一貫して「蚊帳の外」に置かれたのも、そのためだと思います。

今日、世界はアジアの時代であり、東北アジア新時代は、その重要な環だと言うことができます。

この歴史の新時代にあって、これ以上、日本がアジアの外にいることは許されません。

事実、憲法改正や安保改訂、地方・地域の再編や政界再編など、これから展開される戦後日本政治の一大転換をめぐる闘いも、東北アジアにおける新事態進展をめぐっての闘いと密接に結びついて来るのではないでしょうか。

そうした中にあって、この度私たちは、「アジアの内の日本の会」を立ち上げ、日本の闘いに少しでも寄与するため、積極的に発言していくようにしたいと存じます。

それが、ここ朝鮮に半世紀の間生きてきた者の最低の責務だと思っています。

どうかよろしくお導きくださるよう、心からお願い申し上げます。

 

―朝米首脳「板門店」会談の衝撃-東北アジア新時代を開く闘いは、トランプ式「自国第一主義」との闘いに・・・

2019年7月5日 かりの会ピョンヤン

「軍事境界線を越えて朝米首脳が握手」! 電撃的とも言える六月三十日の板門店での朝米首脳会談は全世界を驚かせた。私たちも驚いたが、すでに伏線はあった。この直前に金正恩委員長への「トランプ親書」公表があり、これに「(トランプの)政治的判断力と並々ならぬ勇気に謝意を表する」と委員長が肯定的評価を与えた。今回、軍事境界線を越えて「北朝鮮」に足を踏み入れた史上初の米大統領としてトランプの行動を「並々ならぬ勇断」と金正恩委員長は同じ言葉で讃えた。親書などですでに示唆があったのかもしれない。

「軍事境界線を越えて朝米首脳が握手」を事実上の「戦争終結宣言」だと評する声もある。私たちも「軍事境界線を無意味化する=戦争状態終結」意思を表した出来事だと思う。

日本のマスコミ報道は「まだ何も決まっていない、ただの政治ショーだ」と半信半疑だが、この欄で述べ続けて来たように私たちは事態を楽観している。

南北朝鮮の民意が起こした東北アジアの地殻変動を誰も止めることはできず、「戦争もできず制裁も効果がない」以上、「朝米敵対から和解へ」以外の選択肢が米国にはないと思うからだ。今後の朝米対話の速度と深度は、朝鮮に一方的な非核化を強いるハノイ式の「古い計算方法」ではなく、双方納得のいく「新しい計算方法」に基づく代案を米国が提示できるか否かにかかっている。

古い国際秩序の破壊者としての役割を託され米大統領に就任したトランプにとって、「古い計算方法」=朝鮮の一方的非核化自体への固執はないだろう。今回の板門店での「軍事境界線を無意味化する」トランプの行動は、東北アジアの古い国際秩序を破壊し、新しい米覇権秩序樹立を画策するための第一歩でもある。

他方、南北朝鮮、そしてアジアの民意が目指すのは、古来、地政学的に大国の覇権争奪の草刈り場であった朝鮮半島、東北アジアに脱覇権自主の新時代を開くことだ。

「東北アジアの古い国際秩序の崩壊」を前提とした「新しい秩序づくり」をめぐる覇権勢力(米国)と脱覇権自主勢力(南北朝鮮の民意など)の間の闘いは新たな段階に入った。このように見れば、今起きている事態を正しく見、またこれに正しく対処できると思う。

「米中新冷戦の時代」を前面に掲げ始めたトランプの米国は、東北アジアで起きつつある地殻変動を米国主導の対中覇権抗争に変えることで、アメリカ・ファーストの新しい覇権秩序樹立を画策している。

最近、トランプが「日米安保破棄の可能性」を声高に主張し始めた。「日本が攻撃されれば米国は第三次世界大戦を戦う。・・・でも我々が攻撃されても日本は我々を助ける必要はない。彼らができることは攻撃をテレビで見ることだ」という言説流布、また自ら作り出した「イラン危機」に当たっての「日本のタンカーは日本が守れ」発言も根は同じだ。大阪G20記者会見では、「破棄ではなく日米安保の改訂」だと公言した。安保の双務化、米国を守る戦争に日本が参加できる日米安保に改訂すべきだということだ。

「自分は自分で守れ」「日米同盟をやるなら攻守同盟だ=

 

好機を「待つ」のではなく「引き寄せる」、より積極的な闘いを!

2019年5月5日 かりの会ピョンヤン 若林盛亮

昨年六月のシンガポールでの朝米首脳会談以降、朝米敵対関係解消気運が一挙に高まり、私たちは「好機到来」、「よど号問題見直し」帰国実現の時が来たと、この欄で訴え続けてきた。ところがハノイでの朝米首脳会談におけるトランプの「ちゃぶ台返し」でその目算に狂いが生じている。

「・・・すぐる二月ハノイで行われた第二回朝米首脳会談は、われわれが戦略的決断と大勇断を下し踏み出した歩みが果たして正しかったのかについて強い疑問を引き起こしており、米国が真心から朝米関係を改善しようという意欲があるのどうかについて警戒心を持たせた契機となりました」

これがすぐる四月十二日、最高人民会議(国会)で金正恩国務委員長が行った施政演説にあるハノイ会談に対する朝鮮側の認識だ。演説の結語では、「敵対勢力の制裁解除問題ごときには今後は執着しないであろう」とまで言い切られている。これは制裁を武器に一方的な「非核化要求」で「先武装解除・後体制転覆」を狙うといったハノイ方式の朝米会談には二度と応じないということだ。

これにより朝米関係改善を軸に朝鮮半島、東北アジアに新時代を開こうという気運に暗雲がさしたことだけは事実であろう。だが、だからといって朝鮮半島、東北アジアに生まれた新時代開拓の流れ自体が滞るわけではない。ハノイでのトランプの「ちゃぶ台返し」は、この流れに乗じてすでに破綻した東北アジアでの覇権を繕おうとした米国の企図が中途挫折、再検討を余儀なくされる一方、かと言ってこの流れにストップをかけることもできず右往左往して醜態をさらす覇権帝国、米国の弱さを世界の目に余すところなく露呈させたものだ。

今回の事態は、ある意味で闘いを新たな段階に押し上げる契機となったとも言える。米国の覇権野望を根底から挫くことが、新時代への流れを加速させることを当事者に教えたのではないだろうか。

東北アジアを戦争と敵対の不毛地帯から、平和と友好、協力、繁栄の新地帯に転換させる闘いは、元来、一昨年二月のピョンチャン五輪の共同祭典化から始まったこの地域の主人たち、南北朝鮮主導のものだ。

すでに南北朝鮮の主体的努力によって軍事境界線一帯の非武装化が進展し韓国側では一帯の観光地帯化構想までが練られており、南北朝鮮間では実質的に「戦争終結状態」に限りなく近づいている。あとは米国に「終戦宣言」「平和協定締結」を迫るだけだ。

朝鮮の社会主義強国建設も当初から米国の制裁を前提に行われてきたし、「制裁解除」があればよしなければそれでよしというものだ。

先の施政演説には、「長期間の核威嚇を核で終息させたように、敵対勢力の制裁突風は自立、自力の熱風で一掃すべき」とあるが、米国の核威嚇を無力化したいまは、覇権の最後のカード、制裁威嚇をも無力化するものとして従来からの自力更生により積極的な意義付けを与えたものだと思う。

最近、大聖(テソン)という百貨店がリニューアル・オープンしたが、一階のスーパーマーケットの食料品は朝鮮各社の国産品で占められ品質も中国製品に遜色のないものだ。制裁下で景気は活況を呈している。百聞は一見に如かず、山中訪朝団がその眼で見ることになるだろう。

今回の朝ロ首脳会談を終えたプーチン大統領は「世界情勢は強いものが勝ちという論理ではなく、国際法重視に戻さなければならない」と述べた。東北アジアにおいて、米国式の「制裁威嚇」など覇権的、強権的な支配から脱し、各国の主権、各民族の自主権尊重の新しい国際秩序を作り出すという南北朝鮮の闘いに、プーチン自身も積極的に入っていくという意思表示であろうと思われる。

米国がどうあろうと東北アジアは新時代に向けた動きをより活発化させるだろう。私たちの「よど号問題見直し」帰国も朝米関係好転という好機到来を「待つ」段階から、好機を「引き寄せる」闘いに転換する時が来たように思う。それについて次回山中訪朝団と協議していきたいと思う。

 

四九年前に始まった「よど号」の対米対決戦、その最終決着の時

2019年4月5日 かりの会ピョンヤン 若林盛亮

 三月三一日はよど号が羽田を飛び発った日、今年で四九年目になる。ピョンヤンに到着したのが四月三日だが、四日もかかったのは、ソウルで三泊四日留め置かれたからだ。

 玄界灘を越え朝鮮半島に入った瞬間から、よど号は対米対決戦の渦中に否が応でも巻き込まれることになった。「北朝鮮に行かせてはならない」という米軍の強硬姿勢は、よど号機内にCIA要員がいたから(米国人が乗客にいた)だとか言われるが真相はわからない。だが要するによど号が金浦に強制着陸させられた理由は、朝鮮と米国が戦争状態にあるからであり、ソウルでの四日間の厳しい攻防はその緊張関係を肌で痛感させられた事件だった。

 いま「よど号問題見直し」帰国の闘いの基本環である「よど号欧州拉致逮捕状」撤回の闘いも、朝米の戦争状態持続からくる米国の対朝鮮敵視政策と直接、連関する闘いだ。「よど号問題」についてはこの欄で何度も述べてきたので詳述は避けるが以下、概略を記す。

 一九八八年に米国が朝鮮を「テロ支援国家」に指定、その根拠に「よど号ハイジャック犯を匿っている」ことをあげ、その後「ソウル五輪テロ」(八八年)、「タイ偽ドル工作」(九六年)、そして「欧州留学生拉致」と幾多の「北朝鮮支配下の“よど号”テロ工作」事件をでっちあげ、「よど号犯を追放せよ」と長年にわたり朝鮮に制裁圧力をかけ続けてきた。そのような朝鮮敵視政策の産物、それがよど号問題だ。「よど号問題見直し」帰国の闘いは事の本質上、われわれの対米対決戦でもある。

 朝鮮に対する米国の「テロ支援国家指定」は「よど号とは関係なく」解除されて久しい(二〇〇八年解除)。だが米国の対朝鮮敵視政策追随の結果、「結婚目的誘拐(拉致)罪」で逮捕状まで出させられた日本政府が引っ込みがつかなくなった形でこの「拉致逮捕状」撤回の闘いが未解決の課題として残された。いまその闘いが決着の時を迎えている。

 昨年来の朝鮮半島の地殻変動は、覇権時代の終焉という大きな時代の流れの中にあって、朝米間の戦争状態と米国によって強いられた分断と敵対の民族的悲劇を終わらせ、和解と協力、統一と共存共栄を闘い取るための南北朝鮮の民意によって引き起こされたものだ。米合衆国大統領トランプが朝米首脳会談の場に出てきたことは、米国の長年にわたる朝鮮半島支配と対朝鮮敵視政策の破綻と敗北を世界に示したものだ。

 「合意なし」で終わったハノイ会談で見せた米国の唐突な「ちゃぶ台返し」は、米国の強さではなく弱さの表現と見るべきだろう。「北朝鮮の完全な非核化なしには制裁解除はない」というオール・オア・ナッシングの挙に出たことは、米国の豹変ぶりを世界に示すものだ。

 昨年六月のシンガポールでの朝米首脳会談での共同宣言で合意された非核化とは「北朝鮮のみの非核化」ではなく「朝鮮半島の非核化」であり、それは「(非核化と制裁解除を)段階的に進める」すなわち「行動対行動」原則で行われるものだったはず。首脳間で交わした「共同宣言」すら「ちゃぶ台返し」をする米国を世界がどう見るかは明白だ。ゴラン高原のイスラエル占領を不法としこれをシリア領と認めた国連決議を破り、ゴラン高原をイスラエル領と宣言した米国に、「北朝鮮に対する国連制裁決議履行」を世界に迫る資格も権利もないことは世界も認識したはずだ。

 今後、朝鮮がどのように出てくるかは不明だが、米国による朝鮮半島支配と対朝鮮敵視政策の破綻と敗北は免れようがないものであることは間違いないことだ。

 われわれの「よど号問題見直し」帰国の闘い、「よど号」の対米対決戦の最終決着の時に来ていることも間違いないことだ。問題はそれをいかに早めるか否かだと思う。

 

3・1蜂起百周年を迎えて

2019年2月5日 かりの会ピョンヤン 小西隆裕

来る3月1日は、あの「3・1蜂起」百周年に当たる日だ。

100年前のあの日、日帝の10年に渡る過酷な植民地統治に反対し、「独立万歳」を叫ぶ朝鮮全国、数万、数十万の一大示威闘争が起こり、一,二か月に及んだ。だが、そこで流された無数の血の代価が払われることはなかった。

その後、26年続いた植民地時代、第二次大戦後、74年に渡る南北分断時代、そして今、その分断された隣国、韓国、朝鮮とわが国との関係は、悪化するだけ悪化し、今や最悪になっている。これまでの対朝鮮関係に加え、対韓国の関係までがそうなっている。

かつて様々な問題が生じながら、その多くが政治決着に持ち込まれ、朴槿恵政権では、慰安婦問題で訴訟の先送りが図られるなど、その関係悪化が回避されてきた日韓関係が、今、徴用工問題やレーダー照射問題など、逆に、関係の悪化が図られているのでは?と見られるまでになっている。

なぜそうなっているのか。その原因については、いろいろ言われている。文在寅政権が「ポピュリズム(人気取り)をやっている」「『北』に動かされている」、等々。

ここで想起すべきは、文在寅政権がどのようにして生まれた政権かということだ。「ろうそく革命」、この政権の誕生は、あの事変を離れてはあり得ない。あの時、「ともに民主党」など野党が韓国民を動かしたのではない、逆に、韓国民の方が諸政党を動かしたと言われた。

今、世界的範囲で広く見られるこの国民と政党の関係は、文在寅政権樹立後も変わっていないのではないか。すなわち、韓国民の民意が文在寅政権を動かして、元徴用工の人たちへの日本企業による損害賠償問題などを引き起こしているのではないかということだ。

その上にもう一つ想起すべきことがあると思う。それは、文在寅政権が、今、「北」と協同で、戦争と敵対から平和と繁栄、統一の時代へ、朝鮮半島の転換を図っているという事実だ。古い時代から新しい時代への転換、この南北朝鮮の民意共通の要求、時代転換の要求が文在寅政権の問題提起には反映されているのではないだろうか。

こうして見ると見えてくるものがある。それは、今日の最悪の日韓関係が南北朝鮮の民意の共通した要求を反映した、すぐれて時代的な民意の産物だということだ。

今日、日本において、この悪化するだけ悪化した最悪の日韓関係に対して、主として韓国側に責任を求める考え方が一般的なようだ。

それは、よく言われるように、徴用工の問題など植民地時代の諸問題は、すべて1965年の日韓基本条約とその付随協定の一つ、請求権協定によって解決済みだ。それを無視して損害賠償問題などを蒸し返すのは、国際法の大原則に反する非常識極まりない無法行為だ。ということだ。

ところで、われわれ日本人には、ここで知らなければならないことがあると思う。それは、この日韓基本条約や請求権協定で、日本側が、過去の植民地支配を国際法に基づき合法的に行われたものだという従来の認識に基づいて、その総括も謝罪も行っていないという事実であり、そのため、この条約を米国から促されるまま、唯々諾々と締結した朴正煕政権に対する韓国民の広範な反対闘争が激しく展開されたという事実だ。

一言で言って、韓国民の民意は、この条約も協定も認めておらず、文在寅政権は、その民意に無言の理解を示し、それに従ったと言うことができるのではないだろうか。

今、時代は、帝国主義・覇権の崩壊とともに、民意によって世界が動く民意の時代に転換してきている。韓国における「ろうそく革命」や元徴用工による損害賠償請求など、朝鮮半島をめぐる東北アジアの時代的転換は、その一つの現れだと言えるのではないだろうか。

こうした巨大な歴史的転換の時代にあって、最悪の日韓、日朝関係にどう対処すべきか。今、日本は正念場にあると思う。

この問題を解決する主体は、あくまで日朝、日韓国民自身であり、問題解決で鍵となるのは、やはり歴史認識だと思う。日本による朝鮮とアジアに対する悪辣きわまる覇権と植民地支配、この認識が日韓、日朝国民の間で互いに一致していてこそ、その共通の認識に基づき問題を解決することができる。

南北朝鮮と日本、両国国民の間に過去の植民地支配への認識で本質的で根本的な矛盾、対立などあるはずがない。それは、帝国主義者と国民の間のそれとは決定的に異なっている。

民意によって世界が動く歴史の新時代、歴史認識問題の解決に基づく日韓、日朝関係改善への道は広々と開けている。

それは、朝鮮に対する植民地支配から始まった、日本の脱亜入欧、帝国主義覇権の道に終止符を打つ未来に直結しているに違いない。

 

新しい年、2019年を迎えて

2019年1月5日 かりの会ピョンヤン 小西隆裕

新年を迎えながら思うことの一つは、やはり、旧年を振り返り、それがどういう年だったと言えるかということではないかと思います。

旧年、私たちにとって、そして日本にとっても大きかったのは、何と言っても、朝鮮半島をめぐって起こった東北アジアの地殻変動だったのではないかと思います。

一昨年、朝鮮の核とミサイル実験をめぐり一触即発の危機そのものにあった東北アジアに一転、平和と繁栄の新時代が開ける展望を見ることができるようになりました。

ピョンチャン・オリンピックを契機とする南北の積極談合に始まったこの事変は、南北、朝中、朝米のそれぞれ数次に渡る首脳会談を経て、大きく進展しました。

問題は、この大事変にあって、隣国であるわが日本が終始「蚊帳の外」だったことです。

実際、日本は必要とされていませんでした。あってもなくても関係ない存在でした。

その理由は、言うまでもないと思います。日本が完全に米国の一部になってしまっているからに他なりません。日本は国として存在していない。だから必要ない。「蚊帳の外」と言うことは、日本が東北アジアの当事国として存在していないと言うことだと思います。

今日、日本が国として存在していないというのは、何も東北アジアとの関係だけではないと思います。何よりも、国民との関係で国として存在していない。それが最大の問題だと思います。

今、堤未果さんの「日本が売られる」(幻冬舎新書)が多くの人たちの共感を呼んでいます。水から農地まで日本人の資産が売られ、学校や医療、老後に至るまで日本人の未来が売られている。さらに深刻なのは、軍事や金融という国の根幹までが売られてしまっていることだと思いますが、それは、とりもなおさず、日本国民が自らの生の拠り所としての国という存在を失うことを意味しているのではないでしょうか。

人々が政治に何も期待しなくなり、投票所に足を運びもしなくなるのは、余りにも当然です。その結果、20%台という低得票率の安倍政権がいつまでも維持され、日本が骨の髄まで売り払われていく。この悪循環を断ち切ることこそが今切実に問われているのではないかと思います。

新年を迎えながら、そこで提起したいことが一つあります。それは、「取り戻すべきは、日本の国としての存在だ」ということです。

安倍首相は、6年前、「日本を取り戻そう!」と呼びかけて首相の座に着きました。その結果が現状です。今問われているのは、米国の軍事・経済の一部となった「軍国日本」ではありません。日本の国としての存在自体の確立です。

その試金石の一つが東北アジア新時代にどう向き合うかにあると思います。

今、東北アジアに起きている新事態の行方がどうなるか、それをめぐっての情勢分析がいろいろやられていますが、そのための基準は、覇権国家・米国の動きにあるのではなく、どこまでも民意にあると思います。南北朝鮮の民意がどこにあるか、東北アジア関連諸国、特に米国の民意がどこにあるかです。

民意は明らかに、東北アジア新時代の進展を求めています。戦争と敵対から平和と繁栄への時代的転換が求められているということです。

旧年末、米軍のシリア撤退とマティス国務長官の更迭が決まりましたが、西アジアのこの地殻変動が東北アジアに連動してくるのは明らかです。

もちろんトランプ政権は、民意の要求に応えてそうするのではありません。彼らは、どこまでも新しい覇権、ファースト覇権の要求から民意を利用するということです。

新年は、東北アジア新時代の第2ステージがほぼ確実に幕を上げていくでしょう。そこで問われるのが、日本の国としての存在です。

隣国である日本がいつまでも「蚊帳の外」にいるわけにはいきません。しかし、そこで問題は、どう「蚊帳の中」に入るかです。言い換えれば、日朝関係をどう解決するかということです。

米国の一部として、米国に口を利いてもらい、こそこそと「中」に入るのか。それとも、自ら「国」として、「国」としての南北朝鮮に向き合い、植民地支配問題など謝罪すべきは謝罪し、堂々と国と国との関係を築いて、入るのか。それが問われていると思います。

それを安倍政権ができるのか。できないなら、政権交代をしてでも解決するのか。選挙の年である新年、日本と日本国民の前には、そう問題が提起されているのではないでしょうか。

日米韓と朝鮮の古い敵対時代の遺物である私たちの「よど号」問題を見直して帰国することは、まさにこの問題の解決と一体です。そのことを最後に確認させて頂いて、新年のご挨拶に代えさせて頂きたいと存じます。

 

来年の日本政治に望むこと

2018年12月20日 かりの会ピョンヤン 小西隆裕

この数年続いてきた世界政治の地殻変動がいよいよその激しさを増した年、2018年もあと十日余り、新しい年を目前にしながら、来年度日本政治に望む私たちの思いを発信させて頂きたいと思います。

■安倍政権に臨終の宣告を!
今、フランスでマクロン政権に対する怒りが爆発しています。

それを見て、日本のメディアなどからは、マクロン政権の政治と安倍政権の政治、一体どこが違うのか、何も違わないじゃないか、なのに日本国民のこのおとなしさ、これはどうしたことか、といったような声が上がっています。

しかし、それは少し違うのではないでしょうか。フランス国民にはフランス国民のやり方があり、日本国民には日本国民のやり方があるのではないかと思います。

その証拠に、日本でも、沖縄で、君津や川西で、安倍政権の横暴への怒りが吹き出てきているではありませんか。

大きな地の底からの予震を感じます。

安倍政権に臨終の宣告を!

時あたかも、来年は選挙の年、日本国民が怒りの民意を爆発させる時が来ているのではないでしょうか。

■政権交代に向け、問われていること
政権交代に向けて、日本政界の動きがこのところあわただしくなってきているように思えるのですが、どうでしょうか。

野党共闘への合従連衡は、その一つだと言えるでしょう。

そこで一つ提起したいことがあります。

それは、この政権交代を、徹頭徹尾、国民が求める「新しい政治」実現のためのものにするということです。

今日、それ以外に政権交代の意味も可能性もないのではないかと思うからです。

■国民は、「新しい政治」を求めている
国民は明らかに、「新しい政治」を求めていると思います。

この十年余り、民主党への期待も、橋下・大阪維新や小池・希望の党への期待も、国民の要求はそこにあったのではないかと思います。

しかし、新しいと見えたこれら政党、政治家たちも、それに応えられませんでした。と言うより、応えようともしていなかったと言うのが真相だったのかも知れません。

「もう『変革』などと言わないでくれ」という若者たちの声は、その結果だと思います。決して彼らが「新しい政治」自体を求めていないのではないと思います。

■国民第一、国民主体の政治を!

今、世界中でこれまでの「古い政治」が拒否され排撃されており、既存の政党、政治家の影が急速に薄くなっています。

なぜそうなっているのか。原因は、はっきりしているのではないかと思います。

国と社会が分裂、崩壊し、生活が破壊される、このかつてない現実に直面し、「古い政治」がなす術を知らず、まったく無力でそれを促進するばかりだからではないでしょうか。

求められている「新しい政治」は、このどうにもならない現実を変革する意思と力をもった政治、国民のための国民第一の政治、国民による国民主体の政治以外ではあり得ないと思います。

今のこの現実を転換する意思も力も、ただ国民にのみあります。それを米国や大企業に頼ることはできません。

そこで問われて来るのが、国民第一の政策、国民主体の政治の主体だと思います。

来年、野党共闘をはじめ、政権交代に向けたすべての闘い、すべての政治に望むのはそのことです。

それが日朝関係改善のため、引いては、私たちの「よど号」問題見直し帰国のため、決定的な意味を持ってくるのは確実です。

新年も、どうかよろしくお願いします。

 

ローマ法王もピョンヤン訪問快諾、東北アジアは新時代へと確実に動く! ところでわが国は?

2018年11月5日 かりの会ピョンヤン 若林盛亮

二回目の朝米首脳会談開催時期が「年を越す」「いや年内にでも」とトランプの米国はまだ揺れている。次回会談で問われる朝鮮戦争終結宣言は遅かれ早かれやるべきこと。しかしトランプはいかに「米国の面子」を立てるかで揺れ、トルコでのカショギ記者暗殺問題で「サウジ王室擁護姿勢」非難の国際世論への対応、そして「民主党躍進か?」の予想高まる間近に迫った米中間選挙への対応に追われている。これらがトランプをして第二回朝米首脳会談開催時期の決断を揺らがせている要因だろう。

しかしながら南北朝鮮が主体となって主導する朝鮮半島の地殻変動、戦争と敵対から平和と友好、繁栄へと向かう東北アジアの新時代は着実に前へ前へと動いている。

その一例が、世界に一三億というカトリック信者の頂点に立つローマ法王の積極的動きだ。十月一八日にバチカン法王庁で行われた文在寅大統領とローマ法王との面談時、金正恩委員長の法王のピョンヤン招請意向を文大統領が伝えたが、法王は「文大統領の言葉だけでも十分だが、金正恩氏が正式に招待状を送ってくれば、無条件に応じるだろう。」と述べた。

今年初め、平昌(ピョンチャン)冬季オリンピックに南北単一チームとして北朝鮮選手団の参加が決まった際、法王は「南北単一チームはスポーツ精神が世界に教える対話と相互尊重を通じた対立の平和的解決を示す事例」だとして祝福して以来、四・二七板門店における南北首脳会談を二日後に控えた二五日にバチカンのサン・ピエトロ広場で開かれた特別祈祷時間には「二人の首脳の会談は和解の具体的な道のりと兄弟愛の回復に導く尚緒な機会になるだろう」と述べ、南北首脳に「平和の匠」としての役割を果たすと共に、希望と勇気を持つよう祈った。

今回も文在寅大統領との会見を終えながら、法王は「朝鮮半島で平和へのプロセスを進める韓国政府の努力を強く支持する」「立ち止まることなく前に進んでほしい。恐れてはならない」とも話したという。

現ローマ法王フランシスコは南米の親米独裁政権に抵抗した「解放の神学」の伝統のなかで、神父や司教、枢機卿を経験した人物であり、保守的だったヨハネ・パウロ二世やベネディクト一六世に比べ、正義と平和の具現に非常に積極的な人物だ。

以前この欄で書いた二九年前の世界青年祝典に韓国から全大協(韓国の全学連)代表として派遣され、板門店軍事境界線を越えて逮捕、懲役刑に処され「統一の花」と称賛された一女学生、林秀卿(リム・スギョン)もカトリック教徒であったし、彼女と共に板門店を越境、逮捕、懲役刑も共にした神父もカトリック正義具現全国司祭団が派遣した解放神学の流れを汲む人物だった。

こうした中でわが国の外務大臣、河野太郎は「終結宣言は時期尚早だ」とブレーキをかけるのに必死の有様、南北朝鮮、朝米が戦争と敵対を止め東北アジアが新時代に向かうことには反対というのが安倍政権の立ち位置だが、これはもはや世界では異色だ。「私自身が金委員長と向き合わねばならない」と言うのが最近の安倍首相の決まり文句だが、この政権に新しい時代に即した日朝正常化策は出てきそうもない。

最近、小沢一郎・自由党代表が「野党が一つになれば可能」という政権交代論を述べだしたが、私たちの「よど号問題」の最終的解決、帰国闘争対策とも関連するこうした世界と日本の動きについても十一月末の第三次山中訪朝団と討論することになるだろう。

 

南北首脳会談と日本

2018年9月20日 かりの会ピョンヤン 小西隆裕

朝鮮の南北首脳会談が9月18日から3日間、平壌で行われた。

世界的注視と関心の中、隣邦で行われたこの会談に日本としてどう向き合うのかが問われている。

今年4月27日、朝鮮半島の平和と繁栄、統一を目指す「板門店宣言」を採択した前回の首脳会談に続き、今回の会談は、その合意に基づき、それを深め強固化するものとして行われた。

一方会談は、前回がそうであったように、この会談に続き設定されている朝米首脳会談に向け、朝鮮半島の非核化を促進することを目的に行われた。

大きくこの二つの目的を持って行われた今回の会談結果に対する大方の評価は、前者が大きく促進され、南北の融和が一段と深まったのに比べ、後者の前進があまり見られなかったというものだ。

そこで確認すべきだと思うのは、何よりもまず、これまでその分断と敵対が戦争の危機と緊張の根源になってきた南北朝鮮の融和と友好が深まることが、東北アジアの平和と繁栄にとって決定的な意味を持っており、日本にとっても極めて大きな利益になるということだ。今の日本において、この歴史的意義についての国民的合意が決定的に遅れているのではないだろうか。

もう一つは、今回の非核化への合意に基づき、近い将来開かれる予定の第二回朝米首脳会談で、朝鮮半島の非核化が大きく促進され、平和で繁栄する東北アジア新時代が決定的に切り開かれる可能性が十分にあるということだ。

今日、平和と繁栄の東北アジアへの転換は、朝米だけでなく、広く世界的で時代的な要求になっている。今回の会談結果に対する米大統領トランプの賛意と喜び、世界的範囲で高まる歓迎の声は、そのことを雄弁に物語っていると思う。

今、日本に問われているのは、この東北アジア新時代を確実に到来する厳然たる現実としてしっかりと受け止め、その平和と友好、繁栄の実現のため、時代の当事国として積極的に寄与していくことではないか。そこにこそ、アジアとともに、世界とともに進む日本の新しい未来があると思う。

 

翁長さんの遺志を!

2018年8月31日 かりの会ピョンヤン 小西隆裕

8月8日、翁長雄志沖縄県知事が亡くなった。
「命かけ辺野古に心残し逝く」
「仁王立ち矢ぶすま覚悟で逝きにけり」
知事急逝の報直後から新聞社へ相次いだ投句の数々。翁長さんは、沖縄の心を背負って命を懸けた、県民のお父さんのような人だったという。

「イデオロギーよりアイデンティティ」「オール沖縄」。保革、左右の壁を超えて全沖縄県民を一つにしたこのスローガンは、まさにそこから生まれたに違いない。

今、世界は、自分のもの、自分たちのものを求めている。「沖縄」を掲げた翁長さんは、それに応え、その先端を切り開いた。

辺野古新基地反対闘争は、沖縄の自己決定権を求める闘いとして、折から興った立憲主義・反安保法制の幅広い全国民的運動とともに、さらには世界に巻き起こる自国第一主義の嵐とともに、かつてない運動の高揚を生み出した。

だが、その翁長さんはもう居ない。闘いの柱を失い暗然たる中、遺されたわれわれに問われていることは何か。時代は、今、大きな転換の時を迎えている。

米国によるグローバル覇権が破綻・崩壊する中、戦争と敵対から、平和と友好、繁栄へ、東北アジアに生まれ、世界を震撼させる地殻変動。

南北朝鮮が平和と繁栄、統一を求め、主導するこの歴史の新時代は、自分のもの、自分たちのものを求めてうねる、世界史的運動の一環であり、その新しい発展だ。

今こそ問われているのは、翁長さんの遺志であり、遺志を全面的に実現することではないだろうか。

新たな時代的状況に対応するため、米国は今、日本の政治経済的、軍事的な一層のアメリカ化、その一環としての辺野古をはじめ沖縄と南西諸島の日米共同軍事基地化を一段と強化しようとしている。

そうした中、沖縄戦の犠牲者らを悼む直近の「慰霊の日」、その平和宣言で翁長さんは、「民意を顧みず工事が進められている辺野古新基地建設については、沖縄の基地負担軽減に逆行しているばかりではなく、アジアの緊張緩和の流れにも逆行している」と基地建設の時代への逆行、反動を戒め、それに抗する闘いを訴えた。

自分のもの、自分たちのものを求める民意に応え、その民意に訴えて、世界と東北アジアの新しい時代的流れに合流すること、この翁長さんの遺志にこそ、「オール沖縄」の闘いをアジアとともに進む「オール日本」の闘いと一体に、決定的勝利に導く鍵が秘められているのではないだろうか。

 

大国のパワーゲームを終わらせる東北アジアの地殻変動

2018年8月5日 かりの会 ピョンヤン 若林盛亮

かりの会帰国支援センター総会が、新橋カンファレンスセンター6階会議室で7月29日に開催される。

今総会は、南北首脳会談、朝米首脳会談後に起きつつある東北アジアの地殻変動という新しい情勢下で開かれるが、「よど号問題」見直し帰国闘争の最終決着のための好機として、この地殻変動を正しくとらえるべきであるという主旨で開かれる。

第一部は活動報告として、ツイッター“yobo_yodo”、ウェブサイト「ようこそ日本人村」の現況、そして新たなK子さんへの「旅券再発給の闘い」について経過説明がなされる。

そして今総会の主旨からして目玉は、第二部「どうなる日朝関係! 訪朝報告」になる。

慰安婦問題を中心に日朝間の懸案問題解決に取り組まれているフォトジャーナリスト・伊藤孝司氏はじめ今年、訪朝された三名の方が生々しい現地報告をされる。またシンガポール現地で取材された浅野健一氏からの生の朝米首脳会談レポートが予定されている。

この方たちの報告が具体的にどのようなものになるかは知るよしもないが、この間「救援」紙上で述べてきたように「主役はトランプではなく南北朝鮮」であること、南北それぞれが「いじめに強い」体質造りに成功し、いまは南北が力を合わせて「いじめをなくす」(大国のパワーゲームの利用物にならない)段階に突入した、この東北アジアの地殻変動の本質を少しでも感じていただけるものになるのではないかと期待している。

わが国ではいまだに朝米首脳会談の評価が旧来の思考方式、「大国のパワーゲーム」の域を出ず、今後の対応でわが国が大きな過ちを犯すのではないかと危惧している。

一例をあげれば、朝米首脳会談を前後して金正恩委員長が三度に渡り訪中したことをもって、「朝鮮が再び中国を後ろ盾にした」とか「朝鮮問題が中国主導になった」という見解がまかり通っている。また朝米首脳会談は「今秋の米中間選挙を前にしたトランプのパーフォマンスにすぎない」といった類の議論が事の本質をわからなくさせている。要するに東北アジアで起きている事態は、大国のパワーゲームの延長上にあるものであり、大国による「いじめ」構図に変わりはないという見方だ。

この見方からは東北アジアの新事態に対するわが国の対応は誤ったものになる。

その端的な例は「日本が最前線になる」論、朝鮮半島の軍事境界線がなくなればパワーバランス上、「中国を後ろ盾にした北朝鮮」に対し日本が最前線とならざるをえない、といった論議だ。最前線の役割を担う以上、集団的自衛権行使容認範囲を拡大すべきだし、ひいては憲法9条第二項「交戦権否認、戦力不保持」削除、すなわち自衛隊が敵攻撃能力、戦争能力を持つことに踏み切るべきだという議論に導かれていく。現に秋の自民党総裁選に出馬をめざす石破茂元防衛大臣はこのような発言をしている。それはわが国が憲法9条の縛りを抜けて米軍と一体化し、戦争能力を持つパワーとしてアジアで米覇権を支える国になるという時代遅れの思考方式だ。

東北アジアの地殻変動の主導力は、大国の利用物にはならないという南北朝鮮であり、その事態の本質は大国のパワーゲームの時代を終わらせるものであるというところにある。

「北」はソ連圏にも入らず、中国の風下にも立たず自主、自立、自衛の国造りをやった上で、対米対決戦ではその最終決着として米本土全域を射程に収める核ICBM保有、国家核武力完成によって米国の対朝鮮軍事力行使を不可能に追い込んだ。

「南」では親米傀儡・李承晩政権を倒した一九六〇年の4月革命とその挫折以降、親米軍事独裁政権に対する民主化の闘いが連綿と継承され、一九八〇年の光州人民蜂起を契機に反米自主、統一が民主化の一環として闘われるに至り、その闘いの伝統が昨年のろうそく革命による文在寅政権、「北」との戦争状態終結、統一をめざす政権を生んだ。

このような「大国のパワーゲームを終わらせる」南北朝鮮の闘いの結実として南北首脳会談、朝米首脳会談があり東北アジアの地殻変動がある。

私たちはこうした観点に立って、大国のパワーゲームの時代、対朝鮮敵視時代の遺物である「よど号問題」の最終的清算をめざす闘いにより積極的に取り組んでいく決意である。

 

東北アジア新時代への地殻変動を正しく見、正しく対処することが必要

2018年7月10日 かりの会 ピョンヤン 若林盛亮

南北首脳会談から朝米首脳会談で大きく動き出した朝鮮半島を中心とした東北アジアの激動、新しい時代の地殻変動にわが国が対応できず右往左往しているように見える。

小野寺防衛大臣は、朝米首脳会談時の記者会見での「善意の対話が続く間は米韓合同軍事演習を中止する」トランプ発言に、「日本の抑止力を弱めるもの」と猛反対、のちにそれが米政府の公式見解とされるや「評価する」と前言を翻したものの「米韓合同軍事演習は必要なもの」と不快感を隠さなかった。今回の朝米首脳会談に対する評価において日本の政界、言論界では「北朝鮮の非核化の内容に乏しい」とか、「譲歩しすぎ」などと否定的なものが多い。総じて朝鮮半島において戦争状態を終わらせ、東北アジアが平和地帯、非核地帯へと変貌をとげようという時代の変動を直視できずにいる。

1970年代にあった突然の米中国交正常化で世界を驚かせたその立て役者、ニクソン政権時の安全保障担当補佐官であったキッシンジャーは、2017年初頭、トランプ政権が発足した時、「かれにはチャンスが与えられるべきだ」と題して中央公論(3月号)に寄稿した。

「歴史をひもとけば、例えば欧州の『一八四八年革命』(自由主義、ナショナリズムの高揚により、欧州で次々に革命が発生し、ナポレオン戦争後の国際秩序を担ってきた国王、貴族による『ウィーン体制』が崩壊した)の例もある。この時も、いくつもの激変が同時多発的に起きたが、2016年は、それが地球規模で起きた」
これは2016年に起きた英国のEU離脱など欧州各国で「自国第一主義」台頭など、グローバリズム拒否の台頭とトランプ大統領の誕生を重ね合わせたキッシンジャーの時代認識だ。

戦後世界の覇権秩序であった米国中心の国際秩序が音を立てて崩れている、この世界的地殻変動の時期に、古い秩序の「破壊者」、新しい覇権秩序を立てる大統領としてトランプに「チャンスは与えられるべきだ」というのがキッシンジャーの結論だ。

朝鮮半島の地殻変動について言えば、北と南でそれぞれ「いじめに強い」体質を培ってきた南北朝鮮民族が、トランプに戦争状態終結、分断と敵対の禍根である軍事境界線の撤廃を迫る、これが南北首脳会談から朝米首脳会談へと進展する事態の本質だった。

「反テロ戦争」を掲げたブッシュ政権時、「核先制攻撃の対象国」にあげられた「北」は、米本土全域を射程に収める核ICBM保有という「国家核武力計画完成」によって、米国が「北」に対し軍事力行使・戦争に訴えることを不可能にし、他方、「南」の「ろうそく革命」が産んだ文在寅政権は、昨年の「一触即発の朝鮮半島危機」に際し、韓国政府の承認なしには朝鮮半島での軍事力行使、戦争は起こさせないと強く米国に要求した。韓国軍は戦争に協力しないという意思表示だ。南北それぞれが「いじめに強い」体質造りに成功し、いまは南北が力を合わせて「いじめをなくす」段階に突入した、それが今年に入っての地殻変動の正しい見方だ。

東北アジア新時代、その地殻変動の本質は、もはや大国の覇権的利益、都合によって東北アジア諸国の運命が左右されない、そのような時代をつくっていこうということだ。

日米安保基軸で軍事は米国に委ね「軽武装と経済至上主義」のスローガンの下、米中心の世界覇権秩序の恩恵を受け「繁栄」を謳歌できた戦後日本神話、「米国についていけばなんとかなる」という時代は永遠に過去のものになった。

時代の地殻変動を直視し、自分の眼で世界を見、自分の頭で対処する、新しい日本に生まれ変わる好機にしていくべき時が来たのだ。東北アジア新時代の地殻変動に応じた新生日本の形を日本人すべてが考えることが問われていると思う。

 

主役はトランプではなく、南北朝鮮であることが明らかに

2018年6月5日 かりの会 ピョンヤン 若林盛亮

朝令暮改、これがいまの米覇権帝国の現実であることを世界は知った。五月二五日、朝には「朝米会談中止」を世界に宣言したトランプが夜には「予定通り6月12日にやる」と態度を一変させた。

こ日の夜、私たちはBS放送の「深層NEWS」を見ていた。テーマは「トランプの米朝首脳会談中止の表明について」だった。ところが番組終了間際、「予定通り六月一二日に米朝会談は行われるだろう」というトランプ発言の速報が入った。米国政治専門の政治評論家、渡部恒男氏は「これは米国の権威を落とすもの」と苦り切るしかなかった。

事の発端は、朝米会談を前にしたボルトン大統領安全補佐官の「北朝鮮の完全非核化が前提、その前にはいっさい見返りを与えない」発言だが、これに朝鮮の金桂冠第一外務次官が「一方的な核放棄を要求するなら、朝米会談を再考せざるをえない」と応じ、さらに崔善姫外務次官は、「哀願外交はしない」、「米国のとるべき態度は朝米対話の席に着くか、核対核の核対決戦に出るのか二つに一つだ」、すなわち米国には対話か戦争か二者択一の道しかないと決心を迫った。

朝米首脳会談の本質は、米国が朝鮮に非核化を迫るところにあるのではない。先月、この欄で書いたことだが、再度、記すことをご容赦願いたい。

四月二七日の南北首脳会談、その結実である板門店宣言の基本精神は、朝鮮半島の平和と繁栄、統一であり、その実現主体が「わが民族同士」、南北朝鮮民族であることを謳ったことだ。それを象徴するのが朝鮮戦争停戦六五周年の今年中に戦争終結を宣言し強固な平和体制を築くという南北合意であり、それはすなわち「北」との戦争当事者である米国には停戦協定廃止、平和協定締結を迫るということだ。朝米会談はそのためのものだということを示唆したものだ。

崔善姫氏の「対話か戦争か」、米国に決心を迫る発言の主旨は、米本土全域を射程に収める核弾道ミサイル「火星一五型」試射成功によって「国家核武力計画完成」宣言をした朝鮮に対して米国には戦争の選択肢はなく対話に出るしかない、嫌であろうとこの現実を受け入れなさいということだ。

「あさま山荘への道程」の若松孝二監督はピョンヤンでお会いした際、「朝鮮は俺と同じだ、いじめに強い」と言われた。「北」は解放後、米国など大国の「いじめに強い国」造りをしてきた。他方、「南」はどうか? 顔面に大やけどを負わされた在日留学生、徐勝氏への拷問事件、銃剣で鎮圧の光州人民蜂起大虐殺、学生らのビルからの抗議の投身自殺続発などで世界に悪名を轟かせた歴代親米軍事独裁政権の苛酷な弾圧に抗して「いじめにめげない主体」を築く学生運動、労働運動など民主化、祖国統一のための闘いの火種を絶やさなかった。そしてその結実が昨年の汎国民的な「ろうそく革命」によって産まれた文在寅政権だ。俗に「八六五世代」政権、「八〇年代に学生運動を経験した六〇年代生まれの五〇歳代」の政権と言われている。前号でも書いたように、三十年前に韓国外大の女学生、「統一の花」と称賛された林秀卿(リム・スギョン)のピョンヤン派遣を成功させた「罪」で懲役刑に処せられた伝説の学生運動リーダー、全大協議長、その人がいまは南北首脳会談を取り仕切る大統領特別秘書室長、任鍾晳(イム・ジョンソク)氏であることは象徴的だ。

北と南でそれぞれ「いじめに強い」体質を培ってきた南北朝鮮民族が、トランプに戦争状態終結、分断と敵対の禍根である軍事境界線の撤廃を迫る、これが南北首脳会談から朝米首脳会談へと進展する事態の本質だ。南北それぞれが「いじめに強い」体質造りに成功し、いまは南北が力を合わせて「いじめをなくす」段階に突入した、それが今年に入っての事態の正しい見方ではないだろうか。

一方、トランプの朝令暮改ぶりは、戦勝国が敗戦国に迫るがごとき「北朝鮮の完全な非核化が前提」の看板で体裁だけでも取り繕おうとしても、それすら否定されて右往左往する米覇権帝国の零落ぶりを世界に示すものだ。

南北首脳会談から朝米首脳会談への大舞台の主役は、トランプではなく南北朝鮮民族であり、彼らの「いじめをなくす」闘いだ、そう見て間違いはないと思う。

 

メッセージ2018年~新年に当たり、申し上げたいこと

2018年1月1日 小西隆裕

新年、明けましておめでとうございます。サイトを立ち上げてから最初の正月を迎えました。そこで、私たちが新しい年、2018年をどうとらえ、どう迎えようとしているのか申し上げようと思います。

新年について最近よく言われるのが、1868年、明治維新から数えて150年だということです。こういう「節目」というものがどれだけの意味を持っているのかよく分かりませんが、一つ思うことがあります。それは、あの時、欧米覇権が押し寄せてきたとすれば、今はその崩壊が押し寄せてきているということです。

150年前の日本は、押し寄せてきた欧米覇権を「攘夷か開国か」の大議論で迎え、維新を挟み、結局、「開国」「脱亜入欧」でそれに応えました。それが欧米に従属しアジアに覇権する従属覇権の日本の歴史を決めたと言うことができるでしょう。

では今、米覇権崩壊の現実に日本はどう対しようとしているでしょうか。
150年前、欧米覇権の象徴は、1853年襲来したペリーの「黒船」でした。それに対し今、米覇権崩壊の象徴は何か。そこで思い浮かぶのは、旧年行われたトランプによるアジア歴訪です。やって来たのは今にも沈没寸前の「泥船」でした。

この「襲来」を契機に、「攘夷か開国か」ならぬ、「米国につくのか中国につくのか」、はたまた「覇権多極化か」、等々の議論が、このところ深まって来ていた「混迷」を一層抜き差しならぬものにした感があります。

そこで提起したいことが一つあります。それは、新年を迎えながら、「立憲自主か従米改憲か」という角度から日本の進路について考えてみるのはどうかということです。

旧年、あの「安保法制・改憲」を踏み絵とする小池「選別・排除」に対し、立憲主義、民主主義を旗印とする立憲民主党が大きな国民的支持を受けて誕生・躍進しました。そして新年早々、トランプべっちゃりの安倍首相が2020年、日本を「戦争できる国」へ生まれ変らせる「改憲」への意欲を露わにしています。

そこで、「立憲自主か従米改憲か」の議論です。米国の意思ではなく、どこまでも日本国憲法に基づいて政治を行う立憲自主の道に進むのか、それとも、米国言いなりに改憲し、米国と共同で戦争する従米改憲の道に進むのかという議論です。これは、民主か独裁か、平和か戦争かの闘いであると同時に、米覇権崩壊の現実に直面しながら、古い覇権の世界そのものと決別し、アジアとともに世界とともに、脱覇権自主の新しい道に進むのか、それとも、あくまで米覇権、覇権世界そのものにしがみつき、従米覇権、従属覇権の古い道にとどまるのかの闘いだと言えると思います。

新しい年、2018年を迎えながら、私たちは、この議論に積極的に参加し、立憲自主の新しい日本実現のため、少しでも寄与できればと考えています。どうかよろしくお願いします。

 

サイト開設に当たって

2017年11月25日 小西隆裕

皆さま、こんにちは。朝鮮・ピョンヤン、よど号日本人村へおいで下さり有り難うございます。皆さまは、当方最初のお客さまです。
この度、私たちは、当ウェブサイト「ようこそ、よど号日本人村」を開設し、日本の皆さまと広くお付き合いさせていただくことにしました。

1970年の3月31日、私たちが日本を飛び立ち、日航機「よど」をHJして、朝鮮に来てから、47年を超える長い歳月が経ちました。当初、日本で武装闘争をするため、朝鮮を国際根拠地とし軍事訓練もしようとやって来た私たちでしたが、物事、やはり現実の要求と条件に合わないことは成就できません。自らの至らなさに思いを致した私たちは、新たな闘いに出発しました。それからの長い歳月、何があったか、それについては、サイトの各種コーナーでのお付き合いを通じて、今後ご理解いただき、お互いの意思の疎通を図っていければと思っています。

こうしてサイト開設を目前にした、去る11月14日、思いがけないことが起こりました。私たちのかつての責任者、塩見孝也さんが心不全で亡くなったのです。悲しく残念な報でした。サイトの開設は、私たちの心と環境に相応しいものではなくなりました。しかし、いつまでも開設を伸ばしている訳にはいきません。それは、故人の望むところでもないと思います。

今、サイト開設のご挨拶を行うに当たって、まず問われていること、それは「なぜ今、サイト開設?」なのではないかと存じます。日本との関係最悪の国、米国から世界でもっとも危険な国と烙印された国、その「注目」の国、朝鮮から、もうほとんど生きた化石と化しつつある私たちが、こともあろうにウェブサイトの開設とは、ということです。

サイトを開設することは、もともと私たちの切なる願いでした。このSNSの時代、手紙などペーパーを通じての発信、交流は、いかにも時代遅れそのものです。そこで3年ほど前から、国内の支援者のお力添えで、ツイッター「yobo‐yodo」を始めました。結果は予想を超えたものでした。返ってくるのは、いわゆる「ヘイト」の山と連続。さすがの私たちも、いささか閉口、という時もありました。しかし、考えてみれば、彼らがそう言うのももっともです。要は、その思いにどう応えていくかです。

今、世界は動き、時代も動いています。トランプ大統領の登場は、その象徴だと言えるでしょう。このかつてない時代にあって、国内の方々の声にお応えしながら、祖国日本の現実に、私たちなりの視点から提言し、帰国へ向けての訴えを発し、ご理解を得て行くのは、決して容易なことではありません。今回開くサイトに私たちは、「議々論々」や「よど号LIFE」などいくつかのコーナーを設け、それらを通して、私たちの見解だけでなく生き様まで、私たちを丸ごと知っていただいて議論し、その輪を広げていけるならと切に願っています。

どうかこれからのお付き合い、よろしくお願いします。