アジアの内の日本 2020年8月号

三島の「憂国」が現実に、敵基地攻撃能力保有は「自衛隊の傭兵化」

若林盛亮 2020年8月20日

「現場へ?三島事件とその後(2)」と題する朝日新聞記事に、三島由紀夫の「盾の会」憲法研究会での発言があった。三島への評価はいろいろと分かれるところだが、「三島事件」から50年後、彼の提起に耳を傾けるべき事態にわが国は直面している。

三島の提起の一つは「第9条だけが改憲されるならば、日本は楽々と米軍事体制の好餌となり、自立はさらに失われ・・・」との発言。

これは「交戦権否認」の9条だけを変えて「盾」から「矛」へ、交戦権を持つ自衛隊、すなわち攻撃能力「矛」保有の自衛隊になれば「楽々と米軍事体制の好餌となる」という指摘だ。日米安保機軸の防衛体制下で核兵器、空母など自衛隊を遥かに上回る攻撃能力「矛」を持つ米軍に「矛の一部」として体よく利用されるだけという意味だ。

また一つは「安保条約を双務条約に書き換えても、それで日本が独立国家としての体面を回復したことにはならぬ。韓国その他アジア反共国家と同列に並んだだけの結果に終わることはあきらか」

これは、「片務」条約である現在の日米安保を「双務」条約に改定したとしても世に言われるように独立国家の体面を回復するどころか(当時の)親米「かいらい政権」下の韓国その他アジア反共国家の軍隊のようになる。すなわち自衛隊は「かいらい軍」になりさがるだけだという指摘だ。

三島の念頭にあるのは、「米軍に日本を守ってもらうだけで自衛隊に米国を守る義務はない」という安保条約のいまの「片務」関係は独立国家同士の集団安保体制ではない、「自衛隊も米国を守るために戦う」という「双務」的なものに改定してこそ独立国家として体面を回復できるとする保守界の議論だ。三島の指摘はその逆、「双務」化によって米軍との共同戦争に自衛隊が参戦するならば、それは基本戦争武力保有の米軍主導下に自衛隊が置かれる、結局、自衛隊は「傭兵部隊」化せざるをえないということだろう。

この9月に安倍政権が国家安保戦略改定を狙っている。この基本課題が「敵基地攻撃能力の保有」だ。これを「抑止力(報復攻撃能力)をいつまでも米軍任せにしていていいのか?」「もっと自衛隊が米軍の矛の肩代わりをする」、これが「日本独自の安保防衛を考える」(いずれも中谷元防衛相)ことだという論理で国民に納得させようと画策している。

「攻撃能力保有」や「米軍の矛の肩代わり」、この国家安保戦略改定は実質的な「9条改憲」であり「日米安保の双務化」に他ならない。三島の指摘によればそれは「9条改憲=米軍事体制の好餌となる」「日米安保の双務化=アジア反共国家と同列に並ぶ(かいらい軍となる)」結果を生むだけだ。

いま50年前の三島の「憂国」が現実になろうとしている。敵基地攻撃能力保有、「米軍の矛の肩代わり」は、本質において「自衛隊の傭兵化」に他ならない。

米中冷戦はかつての米ソ冷戦と同じか?

赤木志郎 2020年8月20日

昨年5月末、スイスのビルダーバーグでの会議で米国は「米中百年冷戦」を宣言した。そして今年になってファーウェイ排除、総領事館閉鎖などが始まっている。はたして米中冷戦はかつての米ソ冷戦と同じになるだろうか。

米ソ冷戦は、社会主義圏の出現にたいしこれを抑え込み、戦後世界を米国のもとに軍事経済的力で支配しようという米国覇権の野望から開始されたといえる。トルーマン米大統領はソ連・東欧が「鉄のカーテン」で遮られていると非難し、「共産主義の脅威」の口実でソ連圏を封じ込め、自由と市場経済、民主主義という「普遍的理念」を掲げ、自由主義VS社会主義・共産主義という理念の対立で西側陣営と東側陣営に分けた。そして、圧倒的な軍事力と経済力を背景に「マーシャルプラン」などでテコ入れし、欧州、中東、アジアなどの各国を「西側陣営」に結束させ、世界を米国の支配下におこうとした。

今日、覇権そのものを崩壊させていく時期を迎えるようになっている。

今や米国はみずから普遍的価値観を否定し米国ファーストを掲げざるをえず、朝鮮・イラン・シリア・キューバ・ベネズエラなど反米諸国に排撃され、世界的に展開していた方面軍を縮小・撤退させ、経済的には製造業だけでなくIT先端産業でも競争力を失い、覇権の衰退を覆い隠させないでいる。

米中冷戦の理由として「共産主義=全体主義と自由の対決」としても、何の説得力もない。米国が開始した米中冷戦には大義名分も理念もなく、世界の大多数の国を糾合、支配することはできないであろう。米国は軍事経済的にもますます衰退し、国内空洞化と格差、人種差別による国内矛盾もさらに激化させるだけだ。

だから、米中冷戦は米中覇権争いを演出することによって各国にどちらにつくかを迫るための滅びゆく覇権の最後のあがきだということができる。

米中冷戦、それは死に瀕した狼の哀れな叫びだと言えるのではないだろうか。

家庭内感染が増大、その上に自宅療養の奨励とは!?

若林佐喜子 2020年8月20日

先月の末、東京都は、「7月28日までの一週間で、感染経路別にみると接待を伴う飲食店(9.7%)よりも、同居人(11.8%)が上回り家庭内感染が増えている」と発表。小池都知事をはじめ政府は、それまで、「夜の街」が感染の元凶かのようにして責任を転嫁していたが、今度は、家庭内感染のようだ。家庭内の活動力の高い人が外で感染して、家族に感染ということだが、家族を基本単位とする生活の中で、一体どう防止しろというのでしょうか。

その上に8月7日、厚生労働省は、ホテルなどの宿泊施設で療養するとした(感染者の)軽症者や無症状者について、自治体が宿泊施設を確保できない場合は自宅療養を認める方針を示し、条件を緩和しました。テレビ報道では、宿泊所での統制が弱く無断外出者、シャワーもないなど宿泊所設備が劣悪で入所を拒否する人もいるとか。そのような状況で自宅療養の奨励とは国の怠慢に他なりません。

一方、現場は、不安と疲労困憊状態だと言われています。8月9日、島根県の高校で寮生活のサッカー部員ら90人以上が感染。校長先生は、生徒には責任がない、学校側に感染予防に対する緊張感が不足していたと説明。また、コロナ感染患者を受け入れてきた病院は、収入が大幅赤字のみならず、看護師たちは心身ともに疲労状態。小さい子供がいる看護師は、自分が病院で感染して家族に感染させたらと不安な毎日を送っている。更に子供が通う保育園からは病院で感染者が出たら通園はお断りと宣告され、心がおれてしまったそうです。現実は、個々人の緊張感と感染防止努力だけでは、新型コロナウイルスとの対応は限界、無理があるということです。

ある識者は、政府は「伝染病」を「感染症」と言い、「PCR陽性者数」を「感染者数」と誤魔化している。PCR検査、免疫抗体を集団検査し、むしろ、無症状者、軽症者を徹底的に隔離する施設を造り、病院の医療体制を整備して重症者の医療をするのが防疫対処の歴史的常識だと、政府の無責任さ、対応の誤りを批判し憤怒しています。

本当にそう思います。8月に入って、新規感染者数が最多を更新する毎日で、17日現在、累計で5万6005人。さらに、死者も7月は39人、8月は13日間で64人と増え、自宅待機で重症化の懸念も出ているとか。今回の新型コロナウイルスは伝播性の強い伝染病で、何よりも防疫の原則である迅速な検査と隔離、治療、接触者の追跡などでの封じ込め策を徹底的に行うことが求められています。そのためには、国、厚労省がその責任と役割をしっかり果たしてこそ出来るというものです。

不安と心身の疲労、緊張感の緩みを訴える現場の声、人々が、今、政府に切実に望むのは、「ウイズコロナ」、コロナとの共存ではないと思います。国の責任で、防疫の原則である検査と隔離、治療体制を整え、一日もはやい封じ込めを心から願うばかりです。

コロナ大流行と歴史の転換

小西隆裕 2020年8月5日

14世紀、ペストの世界的大流行は、中世から近世、近代への歴史的大転換をもたらしたので名高い。

では、今大流行のコロナは、歴史の前に何をもたらすのか。

歴史的大転換の根底には、人々の意識、社会や経済のあり方の大転換がある。

あのペスト大流行の時には、人々を死の恐怖から救えなかったカトリック教会の権威の失墜があり、農民など労働力の激減、人材の払底などによる荘園の崩壊、封建的身分制度の崩壊などそれまでの経済、社会のあり方の大転換があった。

それが、宗教改革、ルネサンスからフランス革命など各国ブルジョア革命へとつながっていったと言うことができる。

今、「新型コロナ」禍にあって、社会や経済のあり方、そして人々の意識で起こっている変化と転換は何か。

よく言われるオンライン・デジタル化などから生まれる、働き方や生活様式の変化。

外へ外へと出て行き展開されたサプライチェーンなど、これまでの産業経済のあり方から、中へ中へと内を充実させる方向への一大転換。

東京一極集中や地方地域衰退の見直しなど、地域主体、全国均衡均等の発展へ。

そうした中、国民大衆の意識の転換で何より顕著なのは、一人では何もできないコロナ禍を前に、「自己責任」論の完全な破綻であり、「国」に責任的で決定的な役割を求める広く切実な国民的願いではないだろうか。

それは、「新型コロナ」禍に直面してその矛盾が爆発した、国と民族、集団そのものを否定して支配する究極の覇権主義、グローバリズム、新自由主義とそれによる米覇権の最終的破綻と崩壊が近いことを予言しているのではないかと思う。

「新型コロナ」禍の下、最終的に深まる米覇権の崩壊と米中覇権抗争の一段の激化にあって、今、日本の進路が問われている。

滅び行く米覇権と一体の新しく見えてその実「古い日本」への転換か、それとも米国にも中国にも付かない脱覇権の真に「新しい日本」への転換か。

歴史的大転換の岐路にあって、選択の主体はどこまでも日本国民自身に他ならない。

主体の意思をどれだけ全面的に闘いに反映できるか、闘いの勝敗は、すべてはそこにかかっていると思う。

コロナ禍は、こうした問題も突きつけている

魚本公博 2020年8月5日

コロナ禍の中、沖縄の米軍普天間基地とキャンプハンセンでコロナ感染者が発生。7月11日、玉城デニー県知事は「米軍の感染防止対策に対し強い疑念を抱かざるをえない」として、両基地の閉鎖を求める意向を明らかにした。

デニー知事が抱く疑念とは、基地当局が米国の独立記念日である7月4日に盛大なバーベキューパーティーを開催し肩を組んで歌い踊るなどの「超密」を放任したこと。基地当局が国防総省の方針を楯に感染人数の情報開示を拒んでいることなどである。

また岩国基地では、軍用機で飛来した米軍人3名を基地当局がPCR検査の結果が出る前入国させたこと(後に陽性と判明)。この際、レンタカーで移動すると申告したのに実際は民間機を使ったという虚偽申告の例も明らかになった。

日本は世界最大の感染国である米国からの入国禁止の措置をとっているが、米軍基地はその抜け穴になっており、米軍人は、日本側の検査も受けることなく自由に出入りし、「3密禁止」をあざ笑うような「超密」をやり、日本国内を自由に往来しているのである。

まるで日本を占領国、植民地と見ているかのような振る舞い。実際、米軍基地は日本が敗戦し軍事占領した際の基地をそのまま踏襲したものであり、彼ら米軍人にとってみればそうした振る舞いも当然なことなのだろう。

これに対する日本政府の対応はどうか。河野防衛相は「米国の感染防止策に問題がある」と言うに止まり、茂木外相は、情報共有を米国大使館に申し出ただけ。如何に米軍基地が聖域であり、タブーなのかを思い知らされた形。

コロナ禍は、これまで「常識」とされ見過ごしてきた様々な問題を突きつけてくる。それも皮膚感覚で。基地問題も「こういうことなんだ」と、その実感は重い。

この問題では、コロナのような感染症への対応として、地位協定に「日本の国内法に従う」という新たな条項を加えるべきだとの主張もある。だがしかし、果たして米国がそれを聞き入れるだろうか。今のような政府がそれを断固要求できるだろうか。

結局、コロナ禍が突きつけた問題に真摯に向き合い解決するのは、我々国民をおいて外にない。そのために米軍基地をタブー視せず日本の法に従わせることの出来るような政権樹立を。そこまでコロナ禍は突きつけていると思う。

国家的なオンライン教育の導入を!

森順子 2020年8月5日

コロナの感染拡大を受けて、今やテレワークやオンライン教育、電子取引など、IT先端技術が急速に普及し、今後、すべての社会分野に一層、活動範囲が拡大していくと言われています。

周知のように日本はコロナ禍によりIT化の遅れが明らかになり、デジタル後進国と言われるまでになりました。韓国、中国、ジンガポールなどのアジアの国々がコロナ感染拡大の中でも支障なくオンラインを使用した授業が保障されたのに対し、日本では殆どオンライン教育は受けられず、さらに格差が広がったのは事実です。

コロナ禍で起きたこのような変化は、教育における科学技術の役割を高め科学技術を活用した教育事業に転換する必要があることを示していると思います。また、低下した日本の教育、科学技術水準を高める上でも、最先端技術や先進的な教材での教育を行ってこそ日本の展望も見えて来るのではないかと思います。

それは、何よりも日本の人材育成のために重要だからです。

日本が「IT、デジタル後進国」だと言うことは、日本の人材、世界を舞台に活躍できるグローバル人材がいないということに他なりません。

世界全体では5G通信が普及し日常生活には新しい技術が次々導入されています。また、感染症対策も進めながら、人々の命と暮らしを守るために、IT先端技術の活用範囲が拡大されています。近い将来には日本もIT先進国と言われるようになると思いますが、このような先端技術を、日本の人材で、日本が開発した技術で行えば、きっと社会と国民の生活の需要に合ったものになるに違いありません。それは、これまでのように外からの留学生を多く入れ、海外のIT人材獲得に依存するのではなく、日本のIT人材を育成してこそできることだと言えます。そのためにもオンライン教育を始めとする最先端技術教育を取り入れた日本のための人材を育てなければならないと思います。

次に、格差をなくすためにもオンライン教育を行うことが重要だからです。

長期休校で、デジタル教材や動画の配信、双方向授業などオンライン学習を拡充する動きが広がったと言えます。また、塾や予備校で使用されているAIを使った教材は、基礎学力向上を図り、学習時間の短縮、試験得点が伸びる効果があることが証明されています。このような先端技術を使った教材での教育を全国的に行えば、飛躍的に日本の子供たちの学力は伸びるでしょう。

しかし、学校間、地域や家庭環境の違いにより限られた学校の児童、生徒しかこうした学びが得られていないことが日本の現実です。それゆえ、オンライン教育を定着させ教育効果が向上していく中で格差を縮めていくことだと思います。問題は格差に反対し、なくすようにすることではないでしょうか。また、日本の人材を育てる上でも格差があってはならず誰もが公平に学びの保障を受けられる環境を築くことがもっとも重要です。

そして、このような教育環境は国家が準備しなければならないということです。国家が投資をして責任を持って行わない限り、人材は育たず格差もなくならず広がる一方ではないかと思います。教育環境に大きな変化が起きている現在、日本の人材育成、オンライン教育は国家の責任で行うべき重大事業です。それは先端科学技術時代、AI時代とも言われる時代にあって、日本が必ず推進しなくてはならない国家の重要な課題であると思います。