アジアの内の日本 2020年12月号

「自由で開かれた」から「平和で繁栄した」に変わった「インド太平洋構想」

若林盛亮 2020年12月20日

菅首相は就任早々の10月下旬、ベトナム、インドネシア訪問で対ASEAN(東南アジア諸国連合)外交に力点を置いた。そこで打ち上げたのが「自由で開かれたインド太平洋地域構想」、これにリーダーシップを発揮するというものだった。

しかしそれから1ヶ月もしない11月13日に行われたASEAN首脳会議後の記者会見で菅首相は「平和で繁栄したインド太平洋」と語り「自由で開かれた」の文言を使わなかった。

その前日、バイデン次期米大統領との電話会談でのやりとりで菅首相が「自由で開かれたインド太平洋構想」と述べたのに対し、バイデンが「繁栄した安全なインド太平洋は日米同盟の基礎」と語ったからだ。バイデンの言葉を受けて「自由で開かれた」という文言を削除した。この意味を考えてみる必要があると思う。

昨年、ASEAN外相会議でポンペオ米国務長官は、中国の「一帯一路」に対抗する「自由で開かれたインド太平洋地域構想」への参加をASEAN諸国に求めた。これにASEAN諸国は「対抗ではなく対話と協力の地域」とする対案で抵抗した。「自由で開かれた」とは「外資に自由で開かれた」地域にする、すなわち無制限の外資流入に対し国有企業保護など外資規制を行う中国を排除する地域にするものであり、またASEAN諸国の国内産業保護のための関税障壁などの規制を無力化するものだからだ。

一言でいってトランプ政権のやった「自由で開かれた」がASEAN諸国の反発を招くことをバイデンが学習したからだ。しかし文言を変えたからといって本質が変わるものではない。バイデンも菅も衰退一途のグローバリズム、新自由主義の復活を使命としている。狙いは国境の壁を取り払い多国籍資本の弱肉強食の覇権秩序を復権させることだ。

ASEANはそれを構成する社会主義国やイスラム色の強い国、王制の国など多様な国々がそれぞれの違いを認め合い共存共栄するため主権尊重、内政不干渉を最高原則とする地域共同体だ。その本質はかつて欧米(日)列強の植民地の境遇から独立を勝ち取った歴史を継承し脱覇権の地域共同体にしようということである。中国も同じ歴史をたどった民族としていくら大国であっても主権尊重、内政不干渉を犯すべからざる原則とすべきこと、この地域を覇権争いの地域にしてはならないことは心得ているはずだ。

グローバリズム、新自由主義の価値観押しつけの象徴である「自由で開かれた」の文言を使えなくさせたこの一事をとってもアジアは強くなった。

いま米国は米中新冷戦の時代であるとしてどちらの覇権につくかが時代の様相であるかのように演出しているが、アジアにおいてASEAN諸国に見られるように時代は覇権と脱覇権の闘いが基本潮流だと見るべきだと思う。

ピョンヤンの大使館街に一歩足を踏み入れると、まず左手にフィリッピン、そしてカンボジア、その向かい側にベトナムの大使館が見える。それぞれ申し合わせたように前庭に国旗と並んでASEAN旗の二本の旗が高く翻っている。それは脱覇権に向かうASEAN諸国の共同体意識と結束の強さをアピールしているように思える。

米中対立の間隙を縫って「アジアのリーダー」をめざす菅政権のアジア外交は時代錯誤の妄想に終わるだろう。わが国は「アジアの外」を卒業し「アジアの内の日本」をめざすべきであると思う。

菅政権には国家像がないと言われるが

赤木志郎 2020年12月20日

菅政権発足から数ヶ月経つ。所信表明をはじめ政策発表に際し菅首相には国家像がないと言われている。たしかに、携帯電話料金値下げ、不妊治療補助など目に見える政策を掲げ、グリーン化(脱炭素化)とデジタル化を柱にした経済政策などを云々するが、日本をどういう国にするか見えない。国家像は?という記者の質問にたいして菅首相は「安倍政権の継承です」とはぐらかす。

ほんとうに国家像がないのだろうか。菅政権が日米同盟をさらに強化すると言いながら、米国のアジア版NATOの創設、クリーンネットワーク計画に不参加を表明する一方、中国との関係を維持強化しようとしていること、通信および軍事産業における日本独自化を鮮明にしていることを見ても、国家像がないとは言えないのではないだろうか。明らかに安倍政権などこれまでのようにただアメリカに従って言うがままになっていたのと異なる。

では、菅政権の国家像がどんなものであり、なぜ言えないのか。寺島実郎氏が「アメリカにつくのでもなく中国につくのでもなく、日本はアジアのリーダーをめざすべき」と述べたことがあった。この言葉が菅政権の本音に近いでのはないかと思う。菅首相が国家像を言えないのは、米覇権の弱化が明らかになった今日対米関係を全面追随から独自性へ転換させ、そして「アジアのリーダー」という覇権主義の野望を胸に秘めているからではないだろうか。

 日本支配層はこれまでのようにアメリカに従ってもやっていけないと考えている。それだけアメリカの力が落ちている。いざ対米関係を見直すとなると慎重にやらざるをえない。

その根底には日本独自の覇権追求がある。侵略を反省していない支配層はアジア覇権の野望を捨てていない。ところが、アジア諸国はかつてのアジア諸国ではなく、「アジアのリーダー」が自分の頭上に存在することを心よく思わない。だから、「アジアのリーダー」という野望をあからさまにすることはできない。

対米関係、さらにアジア諸国との関係で、国家像を明確に言えないのではないだろうか。

覇権そのものが許されなくなっている時代にあって、日本支配層が独自の覇権の道を歩もうとしても、それを実現しえないだけでなく。結局は、弱化した米国のアジア覇権、新冷戦戦略にていよく利用されるようにされるだけではないか。

 菅政権が」国家像を語らないで「アジアのリーダー」という危険な道に日本をすすめようとしている時、国家像がないと非難するのではなく、「戦争をしない国」「アジアの友に」という旗幟を掲げるべきではないだろうか。それがほんとうに日本のためであり、アジア諸国のためでもあると思う。

アイデンティティ時代夜明けの年

小西隆裕 2020年12月5日

今年一年を振り返って言えるのは、何と言っても「コロナ」だろう。

しかし、そうした中、他にいろいろな事変があったのも事実だ。「米中新冷戦」や「米大統領選」も決して見逃すことはできない。

そこで、誤解を恐れず提起させていただければ、今年は、米覇権の崩壊が完全表面化した一年だったと言えるのではないかと思う。

何よりも、コロナ禍自体が、国境をなくし、福祉医療をなくしたグローバリズム、新自由主義の矛盾の爆発であり、その総本山、米覇権崩壊の現れだったと言えるのではないだろうか。

米覇権の崩壊は、他にも随所に現れた。中でも、米中新冷戦の行き詰まりと米大統領選の惨状はそう言えるのではないか。

米覇権、最後の生き残りを賭けた「新冷戦」は、今、アジアを中心に世界から冷たく受け止められており、これまで覇権誇示の場であった米大統領選は、その衰退を決定的に印象づけるものになった。

その上で、これらすべてに貫かれているものがある。それは、アイデンティティ気運の高まりではないか。

これまで米覇権の下、アイデンティティは抑え込まれ、眠り込まされてきた。特に日本では、自分のものがないと言われて久しい。

だが、今年、年来のアイデンティティ気運の高まりは一段と顕著になった。米大統領選は、「アメリカ」を掲げながら、それに応えられなかったトランプの自滅だったし、米中新冷戦低調の第一の要因は、それが各国の国情に合わないところにこそある。

もはや時代は、「自由主義か全体主義か」などイデオロギーで動く時代ではない。国の役割を「反民主」だ「強権」だと否定するコロナ対策の破産は、その象徴ではないだろうか。

一人一人が、そしてすべての国々が自分のものに目覚め、自分のものを自分の頭、自分の力で実現していく、アイデンティティ時代の夜明け。コロナの年、2020年はそのように位置づけられるのではないだろうか。

日本農業を外資に売る策動、許すまじ

魚本公博 2020年12月5日

12月2日、俳優の柴咲コウさんが「問題あり」とSNSで流したことで反響を呼んだ「種苗法改正案」がついに国会で可決成立した。

改正案の主な内容は、開発者(種苗会社)が作った種・苗は開発者がその栽培地を指定する。開発者の許諾なしに「自家増殖」してはならないなどである。

その理由は、日本のブランド作物の海外流出を防止。しかし、これは「ウソだ」と元農水相の山田正彦氏は断定する。海外流出防止は現行の法律で対処できるし、栽培地も届け出制にすれば済むことであり、真の狙いは、バイエル(旧モンサント)、コルデバ・アグリサイエント、シンジェンダの三大種苗メジャーへの門戸開放だと。

私もそう思う。それは、これまでの経緯を見れば明らかだからである。

先ず種子法改正(15年施行)。55年制定の「種子法」によって、国民の食料保障のために、コメ、麦、大豆の3種については、国の指導の下、各県が責任的にタネの開発育種し安価に農家に供給していたものを廃止した。その理由は「これでは民間企業が参入できない」であった。

それに代わる農業支援協力法では、これまで各県の農業試験場などで蓄積された知見は「民間企業」に公開しなければならないとした。その上で、農水省は、企業が開発したタネについて「自家増殖」禁止の措置を取り、その数は今や9000種に及ぶ。

そして、今回の「改正種苗法」。それは、「自家増殖」を許可制にし、開発者に栽培地指定の権利を与え、違反者には罰則を課す(故意に国外に持ち出した場合、懲役10年以下1000万円以下の罰金)など、開発者の権利保障を強く打ち出したものとなっている。

開発者の権利保障は、三大メジャーの日本進出を促す。三大メジャーはすでに世界のタネの7割を支配しており、「次は日本」なのである。モンサントの日本法人「バイエル・クロップサイエンス」はすでにその準備を始めているという。

モンサントなどの遺伝に組み替え種子(GM種子)は、自社の除草剤しか効かない。一度植えたら駆除は困難(カナダの例)。「アーミネーター種子」(二度目は発芽しない)なので永遠に買わなければならない。アトピーやガン多発の原因とされている、など問題が多い。その上に開発者の権利保障。今後、コメや普通の野菜、地域の伝統野菜などがちょっと手を加えた新品種として登録され、「自家増殖」を許されなくなる事態も予想される。

すなわち改正種苗法は、日本の農業を食の安定と安全を3大種苗メジャー(外資)に売り渡すための布石なのだ。

これとの闘いが求められている。その反攻の基点の一つは「地方」にある。種子法改正時には、新潟や東北などの農業県が条例によって、育種体系を維持する動きが出た。今回の改正種苗法に対しても各県で「日本のタネ」を守る条例を定めることができる。

外資に「地方を売る」政策の先鋒である大阪維新の都構想に大阪市民はノーを突きつけた。国民の食の安定と安全を守るために、地方からノーの声を挙げる。そして日本を変える。国民の命と暮らしに責任をもち、その役割を果たす国に。それが今、切実に求められている。

日本の宇宙開発の行方は?

森順子 2020年12月5日

日本の宇宙飛行士、野口さんを乗せた宇宙船打ち上げが成功しました。

日本と日本人にとっては、未来の希望や夢を与えてくれたとてもうれしい出来事であり、有人宇宙開発は新しい時代を迎えたと言われています。日本が「デジタル後進国」から脱し、今後、日本の科学技術の力で日本を発展させ、日本独自の宇宙開発も実現できるという可能性を強く抱かせてくれたと思います。

それゆえ、ますます教育と科学技術の新しい発展のもと、日本を支える日本の人材育成が求められていると思います。教育事業も「デジタル庁」が設置されてから入試に「情報」科目を入れ少しずつ変化があるようです。

しかし、現実は論議になっている事が、子どもや生徒、学生のための教育や教育環境を第一に考えず、いかに教育に金をかけないから出発した効率第一の内容ばかりです。

まず、少人数学級導入は、金がかかるからと財務省が待ったをかけました。

また、デジタル改革相が小中学の教科書を原則デジタル化すべきだと主張し、デジタルか紙かでもめています。これは学校現場の声を無視した一方的な主張であり、それにデジタル教科書は無料配布ではないので、そのため使用できる学校は1割に満たないのです。日本の全小中学校に政府が責任をもって無償化するでしょうか、疑問です。

そして、大学の国際競争力向上や経営安定のために、国立大の留学生増、授業料自由化を容認しました。大学の主な国際ランキングでは、留学生比率や国際化も重要な指標の一つだと言われ、政府は23年までに上位100位に10校以上をランクインさせる目標を掲げています。ちなみに東京大は36位、京都大は54位。今回は10校以上をランクインさせる目標ですが、そのために留学生を増やし国立大のランキングを上げ国際競争力を付けたいという話です。国立大は日本の大学の柱であり日本の顔でもあります。もちろん国際化の指標も大事ですが、こんな基準にとらわれてランクを上げる必要があるのかということです。こういう基準自体がおかしいのではないでしょうか。しかも目標実現は難しいのが現状だというのに。

教育、科学技術の発展は国の発展であり、元来、国家が責任を持つべき重大事業であるはずですが、日本は、なぜ、こうも未来への投資をしないのか。

しかし、日本の場合、もっとも重要なことは、日本独自の戦略がないということだと思います。教育と科学技術発展の戦略、日本の科学力を引き上げる戦略、それは日本の未来のビジョンでもあります。このような戦略なしに計画作成も資金投入もできるわけありません。今回、宇宙船打ち上げ成功によって、年間100億以上の資金を必要とする飛行士育成に日本も乗り出し日本人の人材育成が急がれていますが、やはり資金確保が大変だと言います。これこそ日本の宇宙開発戦略なしには展望できるものではないでしょう。

これらは結局、日本のビジョンと金に現れる、国のあり方が問題だということに尽きます。

知識経済時代、科学技術が先行される時代にあって、ビジョンと金、日本という国のあり方が、今、切実に問われているのではないでしょうか。