よど号LIFE 2020年8月号

ケチの代償

小西隆裕 2020年8月20日

二週間に一度のジャンマタン(市場)通い。

私は、その度に魚を買う。二回の週末、自炊用だ。

今回は青魚、ニシンで行こうと決めていた。

入り口でコロナ用体温検査と手消毒を受け、真っ先に魚売り場へ。

そこでまず目に入ったのは、生きの良さそうな鮭。

そこで食指が動いたが、そのすぐ横にあったのが、大きさも生きの良さも引けをとらない別の魚。

そこで売り手のおばさんに聞いてみた。「マグロ」だという。

値段を聞くと「キロ二万」。

「これは何キロくらいになるか」おばさんに聞くと、返事は、「三キロ」だった。

というと、一匹六万ウォン(約八百円弱)。かなりの「予算」オーバーだ。

そこで、他の魚を見てからと、歩を移すと、目に入ったのは、小振りのニシン。

値段は、「キロ二万」。一キロで五匹。

若干の躊躇の末出てきた答えは、「ニシン」ならぬ「二万」だった。

その代償は、オーブンから出したニシンを食べた時に払わされた。

その瞬間浮かんだのは、いかにも脂ののったマグロ(日本で言えばメバチだそうだ)の姿だった。

梅干の朝鮮版、「杏干し」化の力

若林盛亮 2020年8月20日

私は毎年、杏干しを漬けている。若い頃、朝鮮に梅がないので朝鮮に多い杏で代用できないかと試すと梅干に近い味、それも独特の味になることを知った。以来、杏干し漬け込みが私の恒例の年中行事になった。

今年は村の杏が不作であきらめていた。ところが案内のミョンチョルさんが「今年は長男の家で作るから、杏を分けてあげる」と言ってくれ、今年も杏干しができ、いまは梅雨明けを待って日干しにする日を待っている。

でも長男の家庭でもつくるというお話はなんとなく微笑ましく嬉しい。

実は一昨年、ミョンチョルさんの奥さんがやってみたいというので漬け方を教えた。奥さんの作った朝鮮製「杏干し」を長男がいたく気に入って、昨年結婚した彼が新婚の奥さんと共同で今年は自分の家庭で作るというので、またつくり方を教えたのだ。

日本の梅干が朝鮮で「杏干し」に姿を変えて新婚夫婦の愛の共同作業を経て朝鮮の家庭で愛されるようになると思うと、これもささやかな日朝親善かなと勝手に悦に入っている。

夏休み

赤木志郎 2020年8月20日

毎年、夏休みとして東海岸に行くのが恒例となっていた。昨年は訪朝団があり中止、今年もコロナ対策措置で行けない。そこで、数日間、何もない休みの日となった。しかし、雨の毎日。湿気が多いのでちょっと動いても汗をかく。一日だけ晴れたので、家の掃除、スリッパの修理、卓球室の清掃、台所の片づけ、石階段の修繕、洗濯など、日頃、ためていた仕事をおこなった。

後はテレビ視聴。BS放送では韓ドラとともに中国ドラマが多い。日本で放映される中国ドラマはほとんど歴史もので宮廷での争いを描いている。陰謀が基本で、もっとも信頼して人に裏切られるというのが多い。だから、少々厭になってくる。朝鮮でもTVやDVDで中国ドラマを見ることができる。多くは抗日闘争を描いているもの。今は「偽装した人々」を放映している。日帝のかいらい政権に浸透した共産党員たちの戦いの話だ。DVDでは「曲折多い人生」が抗日闘争の中での国民党との葛藤を描いている。2種類の中国ドラマ、両方が中国の現状を語っているのかもしれない。

 家のこととドラマで過ごした休みの日だった。

 その間でも、日本ではコロナウイルス感染者が拡大し、家族から不安な日々を送っている話が伝わってくる。そのうえに猛暑、そして政府と都・府の政治の貧困。国が自己責任を押しつけるから、皆、自己防衛に追われている。それに比べ、安全地帯にいる私は不安がない生活を送ることができる。日本の皆さんがコロナウイルスに感染されることなく、無事でいて欲しいと願うばかりだ。

もうすぐチャンマあがり

魚本公博 2020年8月20日

今、朝鮮はチャンマの真っ最中。チャンマ、長雨の意味で日本の梅雨にあたります。日本の梅雨前線が上がってきたもので前線も崩れ日本ほど長雨が続くこともないのですが、今年は台風の影響も重なり、黄海北道で大きな被害が出ました。

目の前のテドン江は河口から5つの閘門があり、そこで水量調節するので洪水の心配はほとんどありません。それでも増水時には水位も2m近く高くなりゴッゴッと渦を巻いた流れに草や雑木が矢のように流れていきます。

付近の農村では用水路の底さらいや堤の強化などの対策がとられ、トウモロコシは先端を切ったり外側の列は数本まとめて結わえるなどして倒れないようにしています。

こうした国家的な対策、全国的な対応。コロナ対策でもそうですが、体制が違うとは言え、国の役割の重要性を考えさせられます。

チャンマはもう少し続きそうですが、それが終われば、秋の到来。秋と言えば食欲の秋。雨の中、急に大きくなったサツマイモを楽しみにしながらも、色々と考えさせられる今年のチャンマです。

梅雨が長く続きます

森順子 2020年8月20日

8月中旬になれば風も変わり秋を感じる頃ですが、今年は梅雨が長く雨が降り続いています。その雨の量も昨年の何倍にもなるとかで今年はもう夏が来そうもないように感じます。

今月は、コロナのためにケソン市を遮断、封鎖しなければならず、また、ウンパ郡では洪水により農地は浸水し住宅は崩壊する被害があり、さらに全国的なコロナの感染防止対策の徹底さと農作物の被害防止などの対策をことある事に呼びかけています。

一方、ケソン市と被害にあったウンパ郡の800世帯への支援物資が送られました。ケソン市の住民には、列車で物資が運ばれ生活補償金が渡され、ウンパ郡では、すぐに軍隊の住宅建設が始まり生活必需品も全国から支援され・・・。住民の人々は、さぞほっとしたことでしょう。不安と心配が安堵の涙に変わり、ウンパ郡の農民は農地を早く復旧し今年もかならず多収穫にしなければと、大変な状況の中でも新たな決心を語っていました。そんな姿をみて思うのは、やはり国がちゃんと対処すれば国民は頑張れるし、コロナも災害も乗り越えることができるはずということです。

さて、私たちも今、夏の休暇中です。少しは気分のいい雨の休暇を過ごしたいです。

「感染者ゼロ」

小西隆裕 2020年8月5日

この間、日本のBSテレビの報道番組を見ていると、朝鮮の「感染者ゼロ」に関するものが多い。

先日、脱北者が越北してきてケソン市で逮捕された日やピョンヤンで全国老兵大会が開かれた日など、いくつもの局が同じ問題を一斉に取り上げていた。

いずれもが、「ゼロなどあり得ない」というものだ。

無理もないと思う。

世界で1700万を超える感染者。少ないと言われる日本でも、2万人以上。

誰も信じない。

宣伝のためにウソをついているということだ。

しかし、「ゼロ」は国外向けだけでなく、国内向けにも言っている。

国内向けにそんなウソをつくだろうか。

ウソはたちどころにばれ、口から口へと伝わって、宣伝どころか、逆効果になるだけだ。

だから私は、「ゼロは本当だ」と思っている。

真理は、得てして単純なところにあるのではないだろうか。

「どうしようもない必然性で選んだ生き方」を語るべき

若林盛亮 2020年8月5日

鹿砦社の松岡社長からメールをいただいた。

「今年はよど号HJから50年、なにか書いてもらえませんか」

鹿砦社で「1970年?端境期はざかいきの時代」をこの秋に出版の予定、ここに掲載したいとのこと。

すでに「拉致疑惑と帰国」(河出書房新社)や「追想にあらず」(講談社)で手記風に当時のことを書いたので「さて何を書こうか」と思案した。松岡さんは何を要求しているのだろう? 

昨年、送付いただいた「遥かなる一九七〇年代?京都」(鹿砦社)にそのヒントがあった。

ノンセクト活動家だったというS・M氏の言葉に自分たちの闘いの歴史を語ることの意義を教えられたという松岡さんの記述だ。

S・Mさんはこのように語られている。

「戦時中に前線で戦った人々は、ほとんどがその<現場の記憶>を腹にしまいこんだまま、墓場に持っていこうとしています。・・・・

しかし、彼らはそれなりのどうしようもない必然性や、その他さまざまな考えがあって、そうした生き方を選んだわけです。ですから、喜怒哀楽のすべてを堂々と語ってほしかったと、私は心から残念に思います」

全共闘・新左翼の「ヘルメットとゲバ棒」の闘いは、連合赤軍「同志粛清」や「中核・核マル戦争」など内ゲバ殺人という結末を生んだことによって、「負の記憶」として誰もが堂々と語れるものではなくなった。それは「一億総懺悔」の下に戦争世代の「現場の記憶」が封じ込められたことと同じではないか? そんな指摘だと感じた。

S・Mさんはこう続ける。

「・・・先達が語らなければ、後世には伝わらないし、批判するにせよ共感するにせよ、後輩が理解する機会すら提供できないからです」

私たち戦後世代は、親たち戦争世代からなにも語られなかった。私の母は「日本はアメリカに負けてよかったんだよ」としか話さなかった。中学生の時、日本史の教師はただ黒板に年表を殴り書きするだけの授業をやった。だから私は日本史が嫌いになった。いま思えば皇国史観から戦後史観への180度の転換についていけなかったのだろう。「何も教えない」! それは日本史教師のせめてもの抵抗だったのかもしれない。

朝鮮に来て革命博物館参観時にガイドの講師は「日本人民も軍国主義者の犠牲者です」と私たち日本の若者に語った。この言葉に私はなにか釈然としなかった。でも全日本民族が当事者であったあの戦争を戦後日本世代の私がどう言えばいいのかわからなかった。

私たち戦後世代は未熟な自分の頭で考え、戦後日本を生きる指針を見つけるしかなかった。やはり「先達が語らなければ後世には伝わらない」のだ。

「青年はいつの時代でも青年であり、青年ならではの理想や情熱で行動していくわけです。ですから、本来的にそうした素質をもった世代に、経験を語り伝えることは絶対に必要です」

最後にこう断言されたS・Mさんの言葉を胸に刻んで私たちの闘い、「現場の記憶」を語ろうと思う。できれば後世の教訓になるように・・・。

後悔先に立たず

魚本公博 2020年8月5日

よど農園、今年は雨も適時に降ってトマト、キウリ、ナス、インゲンなどが豊作。自炊時には重宝しています。やはり採り立ては美味いです。

残念なのは、日本の種ではないこと。コロナで朝鮮は国境封鎖中なので日本からのお客もなく、日本の種入手は不可能。でも赤シソは種を採っていたので大繁茂。日本が世界に誇る「日本のハーブ」。梅干し(アンズ干し)に使った後は、「シソふりかけ」にもなるので大量につけ込んでいます。それとシソジュース。煮出し汁に酢と砂糖を加えた濃縮液を保管しておいて水で薄めて飲むのですが、これが夏季の疲労回復に最適(皆さんもお試しを)。 

赤カブなどは開花させ種を採取。当面こうした努力で凌ぐしかなさそうです。それにしても後悔するのは、「種を採っておけば良かった」ということ。三度豆、大根、京菜、エンドウ(グリンピース)などなど、「後悔先に立たず」です。

ちょっと焦りました

若林佐喜子 2020年8月5日

朝鮮は、7月25日、コロナウイルス感染が疑われる越北者のため、国家非常防疫システムを「最大非常体制」に切り替え開城市を封鎖しました。

ピョンヤン市内では、これまでもやっていましたが、検温、消毒、マスク着用が徹底されています。一方で、全国老兵大会の開催や学生達のマスゲーム練習はやっています。

日本からのメールに、日本人村の生活を心配してくださる声も届いていますが、大きな変化はありません。ただ、消毒の強化で、食堂に入るときに手の消毒。市内に出かけ、帰宅時は警備所の前で手の消毒と車のタイヤ消毒。外出は週一の買い物や病院と、最小限にとどめるようにしているという感じです。

個人的には、夏風邪で微熱がでたりして、ちょっと焦りました。買い物時に検温にひっかかったら大変と、しばらく外出せずに自主隔離。その間に、よど農場は、トマト、きゅうり、なす、つるインゲンなどが大豊作。私が収穫係なのですが、もうとても手に負えず、みな自分で必要な時にザルを手に獲りに行っていました。その方が美味しさも増すようですし、健康にも良いみたいですね。

この間の、ちょっと焦りの生活体験、健康管理に注意したいものです。日本では、最近、一日の新規感染者が全国で一千人を超えているそうですが、とても心配です。暑さもます時期、熱中症ともどもくれぐれもお体ご自愛下さい。「ウイズコロナ」ではなく、一日も早い封じ込め、収束を心から願っています。