よど号LIFE 2021年1月号

コロナ感染大爆発に思う

小西隆裕 2021年1月20日

2021年は、コロナ感染の旧年に倍する大爆発で明けることになってしまいました。

この先の見えない大惨禍にあって言えるのは、「禍を転じて福となす」と言うことではないかと思います。

今からでも遅くない。国を挙げての全国的な検査、隔離、治療を断行することではないでしょうか。

アジア諸国の、そして国内にあっても、和歌山県などの成果に学ぶことが問われていると思います。

それによって、コロナを終息させることができるだけではありません。

アジアに学ぶ、地方の成功に学ぶ、そして国を挙げ、国の役割を高めて問題を解決する、こうした経験、教訓を得ることも大きな福だと言えるのではないでしょうか。

「Father’s Eye」-父親の記憶 

若林盛亮 2021年1月20日

BS放送を録画した中に「For You-静かな夜のSong Book」という音楽番組が偶然入っていて聴いてみた。この日のテーマは「家族」-Bono、エリック・クランプトン、マドンナ、ティーラー・スウィフトなど多くのミュージシャンが自分の「家族」をしっとりと歌い感動的なものだった。

エリック・クランプトンは華麗なギタープレイで「Father’s Eye」(父親の眼)を歌ったが、父親を懐かしむ歌が多かった。これは意外だった。子供にとって母親の愛は絶対的なものだから母の歌が多いと思っていたから。

多くは「いま父に聞いてみたい」とか「鏡を見ればそれは父の顔」といった父親への想い、だいたいが「感謝」と「悔い」だ。

私にも共感する部分がある。

いつも密着感のある母親とは違って父とは一定の距離感があって知らないことが多い。

私の名前は父が付けたと聞いている。

「盛亮」、これを「もりあき」と正確に読めるのは大人でもいなかった。語呂も悪く発音もしにくい、だから小学校では「若ちゃん」とみんなは私を呼んだ。幼な馴染みの一人だけが「もりあきちゃん」と呼んだだけ、「なんでこんな名前にしたんや?」と母に訊いた。なんでも姓名学をやる人に相談して付けたらしい。でもこの名前の意味を父に訊いたことはない。

父は時計眼鏡商だったが子供の頃、他の店で見た「ピストル型のライター」をウチでも売れば? と父に言うと「そんなもんは社会的に影響が悪い」と一言ではねつけられた。父は「商売は社会奉仕だ」といって金儲けには関心がなく、それを母もよくこぼしていた。真面目一徹を絵に描いたような人で道徳科学というものをやっていると母から聞いた。

浮世離れのしたそんな父に私はいつも煮え切らない不満を感じていた。だから父と話した記憶はあまりない。

ハイジャック直前のある日、赤軍派の活動で来ていた京都から東京に帰る新幹線になぜか乗り遅れた。想い出の地を後にする感傷があったのかもしれない。新しい切符を買う金がなくなって父に電話をして京都駅まで来てもらった。発車時間まで喫茶店で父と過ごしたが、そのときが父と向かい合って話をした初めての経験だった。赤軍派加入の私に父は何も訊いてこなかった。なぜか終電車にも乗り遅れて結局、草津の実家で一夜を過ごすことになった。私は親友3人を呼んでレコードをかけながら徹夜で語り明かし父母と話す時間を持たなかった。翌朝、「しばらく会えなくなる」とだけ父母に告げて家を出た。駅で私は親友3人に見送られて故郷を後にした。

年齢を経た今、もっと父のことを知っておけばよかったとよく思う。「父の背中」というのを感じることが多いから。

「もっと話しておけばよかった」-でも気づいたときにはもうその人はいない。

父親とはそういうものなのかもしれない。

寒波と寒心

赤木志郎 2021年1月20日

正月早々、寒波が朝鮮半島、日本、中国東北部を襲い、1週間ほど続いた。ここ数年間、暖冬だったのに、今年は記録的な寒さだそうだ。

朝鮮では今回、寒くても雪が降っていないので歩行や自動車運転に支障はない。ところが、日本では大雪で車が動けず、除雪作業で老人たちが転落したりする事故が起こったという。冷たい空気が暖流の流れる日本海から水分を吸い上げ、日本列島に大雪をもたらすそうだ。

そのうえ、今は、精神的にも寒々した状況に追い込まれている。周知のように、日本ではコロナウイルス感染の増大で緊急事態宣言がなされ、飲食店などは悲鳴をあげている。4都県だけでなく、大阪、兵庫などの7府県も国に緊急事態宣言が出された。政府は世論や県に突き上げられ後手後手で対応し、今やほとんど感染者がない中国、台湾、朝鮮の経験を学ぼうとせず、効果的な対策を講じないでいる。

感染症対策の基本はまず封鎖といわれるが、それを怠たり、しかも検査を制限し無症状感染者を放置したうえ、GoToトラベルで感染拡大を促したので、現在は手をつけられない状況に陥っているといえる。入院できないで死亡する人もでている。オリンピック開催どころではない。

こうなった以上、首都圏など大都市での封鎖を実施し、コロナウイルス専門病院新設に着手する一方、医療資源を集中させ、入院治療と自宅隔離を分けて対応し、生活物資を保障していくという中国の経験を日本に生かすことだと思う。中途半端な自粛要請では感染拡大を阻止できない。野党もただ政府を批判するだけではなく、どうすべきかの政策を提示しなければと思う。

気候が寒々していることより、国が麻痺し心まで凍りつくような寒心状態なのが年明けの様相だ。

うれしい「田舎暮らし」志向の高まり

魚本公博 2021年1月20日

新聞で「田舎暮らしの本」という雑誌(2月号)の「2021年版住みたい田舎ベストランキング」で大分県の豊後高田市が「10万人未満の市」(他に10万人以上の市、町、村)の部で総合評価が3年連続の一位という記事を見ました。

11年から本格的に始め、空き家バンク、相談業務、中学生までの給食無料、高校生までの医療無償化、移住者への無料宅地貸与などで人気なのだそうです。移住者の数は19年に300人(139世帯)、20年は4月から12月までの統計で297人(126世帯)で増加傾向にあるとか。

その他にも大分県は「10万人以上の市」で大分市が若者世代部門で2位。「10万人未満の市」で日田市が総合2位。宇佐市が「子育て世代」部門で2位。臼杵市がシニア部門で2位。

大分県(別府市)出身の私としては、自然豊かで、山海の幸に恵まれ、人情味豊かな大分の良さが評価されたのではと嬉しい気持ちになります。九州の尾根と言われる久住連峰と周辺の大高原地帯。別府を始めとする豊富な温泉。関サバ・関アジに代表される海の幸、豊後高田市のある国東半島の六郷満山と言われる豊かな文化史跡などなど。さらに付け加えたいのは、大分弁には尊敬語がないこと。目上の人(先生や上司)にも「これ、どげーなっちょんの」(これ、どうなってるの)と、いわゆる「ためぐち」です。上下関係よりも横の関係を好む風土というか・・・。

今、日本では、コロナ禍の中、大都市脱出・田舎暮らし志向の高まりという現象が起きています。これまで政府は「中枢都市圏構想」など、力のある大都市にカネと人を集中させ、弱小市町村や集落は切り捨てるという、いわば「田舎切り捨て」策を採ってきたわけですが、コロナ禍は、それが間違っていることを浮き彫りにしました。

コロナ禍の中、地方・地域、「田舎」の重要性にもっと多くの人が目を向けてほしい。大分の美しい山河を想い起こしながら、そういう思いを強くする記事でした。

大晦日の晩

森順子 2021年1月20日

この冬は思ったより厳寒です。マイナス19度まで下がった日は体が痛いくらいの寒さです。毎年、この時期は「はーるよ来い、はーやく来い」と思い歌う毎日です。

朝鮮の大晦日の夜は、野外での公演が行われ鐘の音とともに花火があがり、朝鮮の人々にとっては希望と自信にあふれる新しい年を迎えたという感じです。零下10度はあるというなかでも、その熱気は心まで温かくなりそうです。朝鮮は防疫体制が以前より厳しくなったので、今年の「カウントダウン」は、やるはずないよね、とか話していただけに意外でした。これも防疫強化のおかげだということでしょうね。TVでこの様子を見ながら、一方、ラジオでは,NHKの紅白歌合戦を聞きながら私は最後の夜を明かしました。

そして、一年の終わりの日に切実に願ったことは、ただ一つ、コロナの収束です。

年賀状のデジタル化

小西隆裕 2021年1月5日


2021年初日の出

明けましておめでとうございます。

新年早々、われわれの生活にもデジタル化の波。

それを実感させてくれたのが年賀状だ。

コロナのため国境が封鎖されている朝鮮にあって、国内への年賀の挨拶はメール以外にあり得ない。

それで皆で分担して、かなりの人たちに年賀のメールを送った。

それを通して実感できたことがある。

何よりも、リアルタイムに近く挨拶のやりとりができる。同時に向こうから送ってくる人もあれば、こちらから送った同日、遅くとも一,二日後には返事をもらえる。

もう一つは、行き交う年賀メールの数が郵便の時より明らかに増えた。

それに、メールという媒体自体の性格もあってか、挨拶が話し言葉で面白味が増した。

何か国内との距離がぐんと近くなった感じで、嬉しい正月だった。

「日日是好日」をお正月に観た

若林盛亮 2021年1月5日

お正月の二日目、BS・TV東京放映の「日日是好日」を観た。

以前、新聞の書籍広告にある女性が茶道を始めてからの25年を描いた同名エッセイ紹介があり、それが映画化され「出演:黒木華、樹木希林」とあったので一度観てみたいと思っていた。黒木華は大河ドラマ「西郷どん」で西郷の妻、おいとさん役が光っていたから興味があったし、樹木希林さんは以前から好きな女優さんだったから。

門外漢の私が茶の湯の世界を簡単に理解できるものではないけれど、心に残った言葉がある。

樹木希林さんの演じるお茶教室の竹田先生が、作法の厳しい茶の湯に対しいちいち「なんでこんなことをするのですか?」と聞いてくる二十歳の理屈っぽい女子大生、のり子役の黒木華に語って聞かせる言葉。

「茶道は形から入ります、まず形を覚えて、その形に魂を入れるのです」

茶の湯を頭で考えてはいけない、まず作法、「形」を身につけること、そこに魂を吹き込むのが茶道-なんとなく「う~む」とうならせる含蓄ある言葉だ。

茶道の奥義が簡単にわかったとは思わないが、ただ「そうだよな!」と素人でも納得のいったのは、主人公役の黒木華が青春以降の人生とオーバーラップする形で25年もの間、竹田先生の茶道教室に通った末に悟ったこと。

新年明けましておめでとうございます

赤木志郎 2021年1月5日

コロナで始まりコロナで暮れた一年が経ち、さらに感染拡大止まることのない新年ですが、皆様のご健康を祈っています。どうか今年も宜しくお願いします。

日本からの年賀メールでいつか必ず訪朝したいという方々がおり、嬉しく思いました。また、現状を「日本統治システムの無為無策の日々は、日本崩壊を予感させるなんとも情けない断末魔のように感じました」と嘆く方もいました。

ほんとうにそうだと思います。国を否定した新自由主義の破綻をコロナ禍が示したのに、現政権はさらに新自由主義改革をおしすすめようとしています。そのため、コロナウイルスを抑えることができないばかりか、あらゆる社会経済活動が窒息し、日本は崩壊の危機に直面していくのではと憂慮しています。

しかし、希望はかならずあると思います。希望と日本の未来を見出せる新年にしていきたいと思っています。

激動の年を迎えながら、皆様にとって良い年になることを願います。

新春の挨拶

魚本公博 2021年1月5日

あけましておめでとうございます。旧年中はお世話になりました。今年もよろしくお願いします。

こちら年末年初、寒波襲来で最低気温マイナス十数度の厳しい寒さとなりました。テドン江もすっかり凍り付き、朝夕、氷が膨張収縮するときに発するチューン、チューン、ゴゴン、ゴゴンという音が響いてきます。

さて今年の正月。日本ではコロナ禍のため例年になく静かな正月だったようです。BS放送を見ても。各地の神社参拝風景を紹介する番組やこれといった正月番組もありませんでした。ただ恒例の箱根駅伝では、駒沢大の最後の勝者の力走で奇跡の逆転、13年ぶりの優勝が感動的でした。

その監督の言葉、「何が起きるか分からない。最後まであきらめないことの大事さが分かりました」が心に残りました。

猛威を振るうコロナ禍。正月早々、東京都をはじめ近辺4県の知事が共同で緊急記者会見を開き国に非常事態宣言を出すよう要望する事態。

前途多難の今年の門出。しかし、「最後まであきらめない」日本人の底力を発揮してこの難局にうち勝つ。今年はそういう年になることを切に願っています。

メール年賀に込められたもの

若林佐喜子 2021年1月5日

新年、明けましてお目でとうございます。

最低気温は零下14度でしたが、晴天で穏やかな元旦でした。目の前のテドン江の氷もまだ厚くありません。

朝は恒例の田宮高麿さんをはじめ今は亡き仲間への焼香、夕方に、命日である田中義三さんへの焼香。見守っていて下さいと共に一日も早いコロナ収束を祈願しました。

その後に、今年はお持ちよりのヘルシー料理新年会。手作りドレッシングで味付けのきゅうりと野菜のハム巻きとブロッコリー。コチュジャンのヤンニョンでのカニとホタテ。健康のために蜂蜜で味付けしたツナの昆布巻き。紅白なます、アヒルの焼肉、朝鮮式の豆の入った餅、パック入りのチャチュック(五葉松の実入りおかゆ)など。安部さんは以前、代表団の方から頂いた「すしのこ」でちらし寿司を。食べながら、皆でついつい酢は健康に良いとか飲む酢が色々販売されている。夜中に足がつったりするが、のり、ゴマ、くるみが体に良いなどと健康食品、健康管理に関する話しは尽きません。

現在、朝鮮はコロナ対策のために国際郵便物の発着はすべて停止です。それで今年は年賀メールです。文面を準備して、一人一人のメールアドレスにコピペして・・、慣れない作業で手間取ること(涙)。でも、そのかいあって、すぐに返メール年賀が次々に届き、中には10年あまり年一回の年賀状のみの方からも、近況返メールが届き感激です。さらにメール年賀には、コロナ禍に立ち向かわれる祖国日本の皆様の姿が。みな一日も早いコロナ収束を願いながら、ある方は乗り越えられないものはないという自負、強さで。感染を覚悟で医療現場に復帰された退職の医師。年相応?の腰痛にも関わらず、気分は戦闘状態とのOさん、こんな時だからこそ、来るべき時代を大に語り合いたい。「杖を付き腰を曲げてでも海をこえたい」と叱咤激励のお言葉もありました。

コロナ感染の不安と経済社会的に大変な状況の中で、一日も早いコロナ収束のために自身の持ち場で刻苦奮闘されている皆様の姿に、励まされ力を頂いた新年です。私も自身の置かれた場所で少しでも役割を果たせるよう努力していきたいと思います。くれぐれも健康に留意され、お会いできる日のために。今年もどうかよろしくお願いします。