初対面なのに再会のような…

佐藤@公務員

いきなり、やらかしてしまった。村の皆様に、嫌な思いをさせてしまっただろうか。今回で十四回目の訪朝となる私でも、さすがに不安のまま平壌に到着した。しかし、そんな不安は、私たちを出迎えてくれた皆様の笑顔を見て吹き飛んだ。

セルフ大同江ビール祭り

様々な偶然が重なり「よど号帰国支援」チームとして訪朝することになったのだが、出発前に「何回も訪朝されているようですが、今回、特に希望される参観対象があればお知らせ下さい」との連絡があったので、それまで観光でしか訪朝経験がない私は調子に乗り、あれもこれもと無理な市内観光の注文をしてしまったのだ。よど号メンバーに会える喜びで舞い上がった私は「よど号帰国支援代表団」としてビザが下りたことをすっかり忘れて、お気楽な観光気分となってしまったこと、それが「やらかした」ことである。

よど号ハイジャック事件時はまだ五歳だった私だが、親と喧嘩をすると事情もわからず「大きくになったら、赤軍派に入る!」などと言う変わった子どもだった。ハイジャック事件や後のあさま山荘事件を見聞きし、赤軍派イコール悪い人達で、ただ親を困らせようとしただけだが、この頃から赤軍の名を出していた子どもは他にいなかったのではないか。時は経ち、それらの経緯や事情をテレビや書物で知るようになり、少し上の世代で起きていたことに興味を持つようになっていた。

そして22年前、ついに初めて朝鮮を訪れる機会に恵まれる。この時は、現在、朝日友好のためのキーパーソンとなっているアントニオ猪木選手のプロレス興行をメインとした「平壌国際体育文化祭典」というイベントが開催され、日本からも多くの観光客が訪れた。この時から、よど号メンバーに会えないだろうかと考えていたが、さすがにパックツアーの大集団の中で自分のリクエストが通るはずはなかった。その後、昨年冬の訪朝まで十三回、毎回よど号メンバーに会えるようリクエストをしたが、観光を目的としたビザでは不可能な話だった。

しかし、この二十二年間に様々な朝鮮関連の方々と出会えた。そうした中で有名な料理人・藤本健二氏とも知り合うことができ、日本でイベントを開催したことがきっかけで、椎野さんともお会いできた。それから約三年、諦めかけたこともあったが、いよいよ村へ行くことが許可された。

そして書きだしの場面だが、笑顔で出迎えてくれた彼らとは初めて会うのだから、本来なら「初めまして。」のはずだが「お久しぶりです。」のような気持ちになっていた。きっと、それまで長い時間をかけて彼らの本を何冊も読み、その他の情報(テレビやマスコミ、嘘も本当も)に触れてきたからであろう。

今回の朝鮮滞在で、これまで観光で訪れた時と明らかに違うと感じたのは、平壌市内の外国人向けホテルに宿泊せず、村の宿所滞在だったことも大きい。しかし、それよりも市内を車で移動中にふと気付いたこと。今、この車に乗っているのは全員日本人ではないか。これまでの観光では、日本人だけでの行動など考えられなかった。どこへ行っても何の違和感もなく通過でき、あちらこちらで挨拶までしている。平壌での生活に溶け込んでいる この姿こそ、四十年以上この地で暮らしている彼らの現実なのだろう。

アベ農園

村に滞在中、毎日の会議では同行メンバーの熱く意欲的な意見に圧倒され、何も発言できなかった自分が恥ずかしかった。何か役に立てることがないだろうかと考え、帰国後によど号サイト立ち上げについての告知をする約束をした。それは、本当に微力ではあるが、私が信頼している“朝鮮を愛する仲間達”の寄り合いで、今回経験した事実を話すこと。十月十日に行われた「朝鮮観光ファンミーティング」にて、サイト開設の告知をする時間を設けてもらった。五~十分の予定が、たくさんの質問もあり二十分を超える盛り上がりとなった。会場に集まった朝鮮観光ファンの方々(七十人ほどか)に、サイト開設の際にはどんどん拡散し“よど号”への関心を高めてほしい旨を伝えた。

朝鮮産の納豆
朝鮮産の納豆
朝鮮産の納豆
美味しいけど食べ過ぎに注意

これまでの観光で最も印象的なことが、平壌に限らず地方都市でも必ず「日本に帰ったら、見たまま感じたままを伝えてください」と言われること。私は、評論家や研究者ではなく朝鮮好きの一日本人なので、核開発やミサイル問題等の政治的なことに触れるつもりは全くない。先の言葉のとおり、よど号の皆さんが話してくれたこともそのまま伝えたい。
賑わう中央動物園

朝鮮の地べたを歩き、空気を吸った経験がある者しかできないことがあると信じ、これからも朝鮮とよど号に関わっていく気持ちが高まっている。