よど号LIFE 2019年9月号

青春時代の恩人、ニーナ・シモン

若林盛亮 2019年9月20日

ニーナ・シモン! 

近頃の私の朝は彼女のCDを聴きながら始まるというのが日課になっている。

ニーナ・シモンと言っても知らない人が多いと思うが、この女性は学生時代の私が政治運動に人生転換する前の時期、私の空虚を埋め励ましてくれたアメリカの黒人ジャズ歌手だ。

当時の私には、京都、立命館大近くにあったジャズ喫茶「Champ Clair-“しあんくれ~る”」が日常の空疎からドロップアウトできる唯一無二の「場(Champ)」だった。ニーナ・シモンとの因縁の始まりはそこで偶然耳に入った「ズンゴ」という曲だった。

その曲は、「ズンゴ」という歌詞をただ延々と繰り返すだけ、しかもメロディも単調、でも私にはアフリカ大陸から響く祈りの歌のようでなぜか心にしみた。以来、「ズンゴ」の入ったニーナ・シモンのアルバムをリクエストするのが「しあんくれ~る」での私の日常になった。

昨年、送ってもらったCDのライナー・ノートを読んで彼女の別の素顔を知った。

幼い頃からピアノに抜群の才能を発揮した彼女は、周囲のバックアップもあってクラシック音楽のトレーニングで有名なジュリアード音楽院でレッスンを受けながら、カーティス音大への進学を試みた。しかし入学は断られる-理由は「黒人だから」!

彼女はジャズ界で活躍するピアニスト・歌手となったが、他方で黒人解放運動にも強い関心を寄せるようになった。1960年代の「黒人公民権運動」にも参加、のちにこの運動の指導者、キング牧師の非暴力主義を否定するほどの過激な主張を述べるようになったという。また1970年には黒人政権が成立していたカリブ海のバルバドスに移住、ベトナム戦争に反対して合衆国に税金を納めない運動を展開してアメリカ政府にマークされ、税金不払いで逮捕令状まで出されたそうだ。

暗中模索の青春時代、私の心を強く打ったニーナ・シモンの「ズンゴ」! アフリカ大陸から響きわたる祈りのような歌声、そこには彼女のそんな強い魂が込められていたのだろう。

ニーナ・シモンは2003年、乳ガンで亡くなった。彼女には、ただただ「ありがとう」のみ!

台風15号

赤木志郎 2019年9月20日

朝鮮に台風13号が来たころ、日本には台風15号が襲った。2週間近く経った今でも、館山市、南房総市、市原市などが停電で復旧には27日までがかかるという。長い停電で冷房が効かず、すでに老人が熱中症で亡くなっている。水道水、電話も支障がある地域があるという。

私は高校3年生の夏、1ヶ月以上、館山市に居たことがあり、なんとなく房総半島のイメージがある。しかも、私たちのツイッターを保障してくれているKさんが南房総市に移住したばかりだ。南房総市は館山市周辺の町が合併してできた市という。それで、台風15号のニュースを刻々と見ていた。停電の復旧に2週間以上もかかるとは、Kさんもさぞ生活に不便だと思う。そのうえ壊れた家の上に大雨が降るという。踏んだり蹴ったりだ。

知っている地区や身近な人がいるところに台風がくると心配してしまう。なんとかはやい復旧をと思うばかりだ。

読書の秋なのに

魚本公博 2019年9月20日

この間、多くの客人が村を訪れましたが、楽しみの一つが「本」です。ご承知のように今、日朝関係では「日本の独自制裁」によって、手紙以外の物品の郵送ができなくなっており、本類は、個人が持ってきたものを貰うという形でしか入手出来ません。

読書好きの私としては、鬱憤この上ない。「読書の秋」も尻すぼみ。今回も私が読みたかった本としては、井出英策さんの「富山は日本のスウェーデン」と白石太一郎さんの「古墳と大和政権」の2冊をようやく手にすることができました。

井出さんの本は新聞の書籍紹介欄で基本的なことは知っていましたが、実際に本を読むと、作者の人となり、言わんとしていることなど、私として新たに感じ、発見できることもあり、よかったです。「古墳と大和政権」の方は初版が1999年のもの。内容も知っているようなことが多く、ちょっとがっかり。それでも、これまでの知識も整理でき、秋の夜長、寝床に入っての読書にはうってつけ。重たい思いをしてもってきて頂いたお客さんに感謝しながら、楽しいひとときを過ごしています。

それにしても、このわけのわからない、いじめのような制裁。何とかならないものでしょうか。「条件なしで向き合う」(安倍首相の対朝鮮の姿勢表明)というなら、先ず、こうしたことを止めて欲しい。

電気工事第4種

赤木志郎 2019年9月5日

私の仕事の分野として電気関係がある。配線工事、衛星アンテナ設置調節、PC環境、衛星テレビ、ビデオ編集などが含まれる。しかし、私はこれらにすべて責任をもつというのではなく、どちらかと言えば副業的にやっている。難しいことは専門家に来てもらわなければ解決できない。

もともと兄たちが電気関係の学校や学科だったので、家にはいつもテスターがあり、自然と電気に親しんでいた。テスターは3個も壊し、ようやく使い方がわかった。中学校ではすぐに放送部に入った。授業も物理が好きなほうだった。だから、電圧と電流、電力の関係は理解していた。

朝鮮ではまず100vの日本製は変圧器がないと使えない。今はほとんどないが停電や電圧の変化があった。そのため、電気製品の使い方を注意しないと故障してしまう。それで、村の電気製品について気をくばっているつもりだ。それでもボイラー、コーヒーメーカー、冷房機などの線がこげたりすることがある。

「習うより慣れよ」という言葉があるように人には使いながら慣れていくタイプの人がいる。私にはそれができない。原理を理解しなければ使えないのだ。だから最初、時間がかかる。説明書があればよく読んでからおそるおそる使う。そして、故障しても原因を調べ直せるものは自分で直す。私のPC2台も10年以上、使っている。掃除機、洗濯機は40年、30年、同じものだ。

ただ原理と言っても、専門家が理解する程度ではなく、ごく初級程度だ。だから電気工事第4種と私は思っている。

うれしかったお土産3品

魚本公博 2019年9月5日

この8月、私たちの村に5人のお客さんたちが訪れて下さいました。私たちの「帰国支援」のための色々な協議及び朝鮮の見学など。私たちの活動、生活ぶりなどへの辛辣な批判もあり、私たちとしても刺激的で有意義な日々でした。

そして色々なお土産。本当にありがたいことです。その中でも、私的にうれしかったお土産が3品。

一つはベーコン。朝鮮でも中国製の「培根」(ベーコン)が売られていますが、一袋20$ほどで、とても手が出ない。それで私は、蒸し器の底に木屑を入れてコンロに掛けるという方法で自家製ベーコンを試みたりしたのですが、旨く行かず諦めていたもの。やっと念願がかなった感じですが、やっぱ本物のベーコンは、肉からして美味かったです。

次ぎに日清の「チキンラーメン」。ラーメンは、訪朝されるお客さんからのお土産でよく頂きますが、私としては「チキンラーメン」が一番。先の朝ドラ「まんぷく」で出た、日清食品の最初の即席ラーメンの「あれ」です。あの味は、昔を思い出させます。

次は、山芋の「ムカゴ」。これは、Oさんが「もってくるの忘れちゃった」と残念がっていたもの。ただ、これについては、朝鮮には自然薯(じねんしょ)はありませんがナガイモはあり、私たちの「村」の山林にも無尽蔵に生えていて、それを採取して栽培もしていることを説明すると「ああ、よかった」と安心されていました。

私たちへの思いを感じる、うれしかったお土産3品でした。

夏の終わりの窓ふき

森 順子 2019年9月5日

久しぶりに村にお客さんを迎えることになって、事務所も宿所もきれいに、そして梅雨の雨にあたった家の窓もきれいにしました。

窓に上がって拭くのは、もう無理なので椅子を使って、それでも届かないところは長いモップを使いお湯で洗い流しきれいになったので、スッキリです。

次はアパートの廊下の窓、長いモップを持って開けた途端に何十匹というハチが飛び出してきて・・・・。あとは想像どおり。おかげで刺されたのは顔じゃなかったので助かりました。

よく見ると外窓ガラスが欠けていて、そこから入って巣を作ったようです。けっこう大きな巣でよくみるとぎっしりハチが住んでいます。

さて、どうしようか。真冬になったら凍えてなくなるのか? 早いうちに退治したほうがいいのか、それともそのままにしようか、思案中です。

「こんにちわー」

若林佐喜子 2019年9月5日

朝晩は肌寒さを感じる今日この頃です。8月末に、かりの会帰国支援センター代表の山中訪朝団を日本人村に迎えました。

5年ぶりという方が3名おり、特に黎明街の高層ビルをはじめ街の変化に大変驚いていました。午前中は日本についていろいろお話を聞き、午後は冷麺で有名な玉流館や学生少年宮殿などにご一緒しました。

年配のOさんの発する「こんにちわー」「ありがとう」の威力に感心しました。行く先々で、色々な人たちと気持ちや心を通わせてしまうのです。リニューアルオープンした大聖デパートに入り、エスカレーターを上るとき、横に座っている女性たちに笑顔で「こんにちわー」。ちょっと怪訝な顔をするが、すぐに会釈で応じてくれた彼女たち。

玉流館では、祖国訪問団の在日の学生たちが横の席に座りました。Oさんが「こんにちわー」と挨拶し、すぐに和気あいあいとした雰囲気になり、「よど号の人たちよ」と紹介され、彼らとしばらく談笑。

学生少年宮殿では、舞踏、アコーディオン、刺繍などの部屋を見学するのですが、Oさんは、入るときに必ず「こんにちわー」。そして見終わったら、「ありがとう」と声をかけます。なんだか子供たちもとても嬉しそうでした。

Oさんの心のこもった「こんにちわ」「ありがとう」で、行く先々で色々な人たちと心を通わせることができた代表団一行、いつしか私たちもその中に入っていました。なんだか私が案内されているような気分の今回の訪朝団、あっという間の日々でした。