アジアの内の日本 2019年12月号

「日米安保」栄えて「自衛隊」滅ぶ

若林盛亮 2019年12月20日

自衛隊の「ポンコツ」化が進んでいる、これはいまや「公然の秘密」と言われている。

昨年2月、佐賀県神崎市で陸上自衛隊のヘリコプターが住宅地に墜落、隊員二名が死亡、住宅に住む少女が幸い負傷ですんだのは奇跡だった。

原因は主回転翼の部品「メインローターヘッド」が中古品だったからだ。陸海空各自衛隊とも戦闘機や輸送機、ヘリコプターで中古部品の使い回しが常態化しており、その中古部品さえすぐに入手できず国籍不明機に対して自衛隊機の緊急発進(スクランブル)を断念するケースさえあるとのこと。

陸自のトイレットペーパーは一回45cmまで、あるいは「自腹で買う」だとか、弾薬予算も右肩下がりで、陸自では訓練弾(空砲)がなく、隊員が「パーン、パン、パン」と叫んでいるという冗談にもならない話まであるという。

人件費不足のあおりを受け陸海空自の人手不足が深刻化、「士」クラスの充足率は70%ほど。特別国家公務員たる自衛官は、いざ有事を前提にしているので残業手当はなく「各種手当ては警察官の方が手厚く、われわれはその三分の一程度でしょう」と自嘲するほどだ。

米国が2018年に採択した新安保戦略で同盟国の役割強化をうたったために日米安保基軸をとる安倍政権は昨年、閣議決定した新防衛大綱で「自衛隊の攻撃能力保有」をうたい高価な米国製兵器の暴買いに舵を切った。

その目玉である短距離陸垂直着陸可能の最新鋭ステルス戦闘機B35F導入、これを搭載できるよう「いずも」型護衛艦の小型空母への改修、敵レーダー圏外から撃ち込める長距離スタンドオフミサイル等々、兵器、装備導入などで防衛費は5兆3千億円にふくらんだが、他方、米国製兵器、装備暴買いのツケで自衛隊の補給や活動費にまわす予算はさらに縮小の一途をたどる。

さらには自衛隊の任務もあおりを受ける。

元海上自衛隊司令官・香田洋二海将が警鐘を鳴らすように、対潜水艦作戦任務を目的に運用されている「いずも」型護衛艦を日米安保義務によって空母に改修し戦闘機を搭載、海自に対空作戦まで担わすとするならば、「国防に大きな穴が空く」。

まさに「日米安保」栄えて「自衛隊」は滅ぶ! 

これが安倍政権下で進行しつつある日本の国防の現実だ。

丁寧な無視

赤木志郎 2019年12月20日

現在日本政府は韓国にたいし「丁寧な無視」という対応だと、小野寺元防衛大臣がいう。

これまで日韓関係は慰安婦、元徴用工、旭日旗、半導体輸出、軍事情報包括保護協定(GSOMIA)、日本製品不買運動などさまざまに衝突していた。日米韓同盟の建て直しをはかるアメリカの介入の結果、日本がとっている姿勢が「丁寧な無視」だ。

例えば、日韓の経済対話においてでも、韓国側が半導体輸出規制について協議をしようとしたら、この場は協議する場ではなくただの対話、いいかえれば日本政府のこれまでの姿勢を説明する場だとしてとりあわない。問題を解決するための対話ではなく、ただ自分の考えを一方的に述べるだけの「対話」だ。

「丁寧な無視」は相手の言うことを聞かず、相手国の存在を認めていないということだ。相手国を無視して、外交関係が成り立つはずがない。そこに丁寧かどうかが問題にならないはずだ。「丁寧な無視」を外交政策の一つとし、公言する日本政府の破廉恥さに驚くのは私だけではないと思う。

なぜ、安倍政権は韓国にたいし「丁寧な無視」するのか。小野寺氏は現在の文政権に代わって保守的な政権が誕生するまで「丁寧な無視」でゆくと言っている。つまり、アメリカが要求したのは、あからさまな衝突ではなく適当に協議などしながら、文政権をあくまで相手にせずに追いつめるということだと思う。

相手国の政権の交代を云々するほど、韓国(と文政権を誕生させた民衆)を無視し、否定しているということがよく分かる。

他国の政権を認めないというのはその政権を選んだ民衆を認めないということだ。日韓関係の悪化も単に政府間の関係悪化ではなく、植民地支配の反省と謝罪を求める韓国の民衆にたいし日本政府が敵対していることに原因がある。

アジア諸国の民衆にたいする敵対、これが日本がアジアの内に入ることが出来ない障害となっていると思う。これでは、平和と繁栄の東北アジアの新時代において日本がますます孤立してしまう。

相手国の意見にその国の民衆の声を聞き取り、問題の解決を図っていく努力なしに、「丁寧な無視」などという姑息な手法をとっていては、日韓関係を解決することはけっしてできないと思う。

―政府の「ロスジェネ世代」対策のミスマッチ―政治への当事者参加が求められているのでは?

若林佐喜子 2019年12月20日

政府は、今年の6月、経済財政諮問会議で「経済財政運営と改革の基本方針」の原案を公表した。その目玉がロスジェネ世代(就職氷河期世代)への支援プログラムで、今後3年間で正規雇用者を30万人増やすことが目標とされている。

このような政府の方針を受け、バブル崩壊後の就職難で正社員になれなかったことなど、苦しい事情を抱える「ロスジェネ世代」(30代半ば~40代半ば)を支援しようと自治体やハローワークが「氷河期限定」の採用活動に乗り出した。

行政が率先して安定した働き方を提供しようと、7月に宝塚市が就職氷河期世代を対象にした正規職員の採用試験の実施を打ち出した。すると3人枠に1861人の応募が殺到。中村智子宝塚市長が他の自治体にも「限定枠採用」を訴え、各地で同様の動きが広がった。そこで、厚労省は、民間での正規雇用も後押ししようと、8月から全国のハローワークで35歳~54歳の「限定求人」をスタートさせた。だが、10月末の時点で434人の求人に対して16人にとどまり民間は苦戦。原因は求人と求職のミスマッチである。

政府の「就職氷河期世代」就労支援と現場の実情や当事者の要求とのミスマッチ現象。このほかにも、政府の支援プランの内容に、当事者や支援者から意見、要望書もでているそうだ。

当事者の要求にあった対策が問われている。安定した職の提供のため、保育、介護、障害者介助,事故原発作業員などの公務員化を緊急対策にあげるなど、政治への当事者参加が求められているのではないだろうか。

「アジア悪友論」を問う

小西隆裕 2019年12月5日

これまで日本は、アジアの外にあった。外からアジアに対してきた。

実際、われわれ日本人は、アジアに対して疎遠だ。むしろ欧米の方に親近感があるのではないか。

「脱亜入欧」、明治の昔から、その根拠にされてきたのが「アジア悪友論」だ。

アジアは、一緒にいても益のない悪友、だから離れた方がよいということだ。

しかし、日本にとってアジアとは、良いからくっつき、悪いから離れる、そんな存在なのか。良かろうが悪かろうが、離れられない、かけがえのない存在、それがアジアなのではないのか。よく言われるように、日本は、アジアから引っ越しすることはできないのだ。

実際、日本は、アジアの外に出、欧米の仲間入りをする中で、アジアの上に自分を置き、アジアを侵略し、アジアの国々を相手に戦争を引き起こすようになった。

その挙げ句の、有史以来の大惨敗。日本は、米国にも増して、アジアに敗北した。

戦後、日本は、その失敗、その敗北を総括すべきだった。

だが、そうすることはなかった。今度は、対米従属、米国の下、その一部になって、どこまでもアジアの外に身を置いて来た。

その結果が、「最悪の日韓、日朝関係」、東北アジア新時代からの「蚊帳の外」ではないだろうか。

今、欧米覇権の時代の幕が下り、アジアの時代の幕が上がってきている。

この歴史の新時代にあって、日本に問われていること、それは、日本にとってアジアは、良いも悪いもない、かけがえのない拠り所であり、アジアの一員、アジアの内の日本としての自らの役割を果たしていくところに、終戦以来、いや幕末以来探し求めてきた日本の進むべき路があるということではないかと思う。

地方・地域の再生、効率主義か当事者主義か

魚本公博 2019年12月5日

「合併した所が人口が減少し高齢化率も高い」。日弁連が平成の大合併(1999年からの10年間で3239の自治体が1718に)について、17道府県の47の地域で聞き取り調査した結果である(朝日新聞11月7日)。合併した地域(町村)では57・5%もの人口減に対し、合併しなかった地域は17の地域が「減少なし」、平均しても36・2%減少(20ポイントもの差)に止まり、高齢化率も低かった。

日弁連は、その原因として「役場機能の縮小」をあげる。役場機能の縮小が飲食業や宿泊その他の需要減になり、就業者減少になって人口減に繋がっていると。そして「効率化の名の下で、人口減少に拍車がかかった」と結論付ける。

「効率化」。カネも人も集中して「効率化」をはかることで地方を振興させるという説明。しかし調査結果は、それが間違っており、真逆の結果をもたらすことを示した。しかし、担当省庁である総務省は、「関知していない」、「仮に国が合併した自治体に検証を求めても、失敗だったと認めにくい。検証は難しいだろう」(総務省幹部)と。一体何を言っているのか。この調査は国の政策(平成の大合併)に対したものである。その結果が「失敗」と出たにもかかわらず、そんなものは関知してないと突っぱね、まるで「失敗」はそれを受け入れた自治体にあるかのごとく言う。

政府は「効率化」政策をあくまで押し進めようとしているのだ。2017年に発足した「地方制度調査会」が唱える「中枢連携都市圏構想」も「効率化」。それを進める手段の一つとして平成の大合併法(合併すれば補助金を出す)も10年延長する方針だという。

私は、この「中枢連携都市圏構想」は、国と地方を切り離し、自治体業務をコンセッション方式(運営権の民間売約)で外資(米系)に売却し、日米の融合一体化を進め「地方から国を変え」ようとするものだと批判してきたが、政府は、これを何としても押し進めるということだ。

問題にすべきは「効率主義」。今、この効率主義を批判する理念が生まれている。それは当事者主義とでもいうべきもの。生産性で人間を見てはならない、どんな人でも存在価値がある、国はどんな人も見捨ててはならないという理念。それで行けば、どんな地方・地域にも存在価値があり、国はどんな地方・地域も見捨ててはならないということになる。実際、今日、地方再生・振興が各地で必死に取り組まれているが、その多くは、地方・地域の価値(景観、特産品、伝統文化など)を生かそうというものだ。

日弁連の調査結果は、効率主義で地方を振興させることはできないということを厳然たる「事実」として突きつけた。この事実を基に、効率主義ではない、「地方・地域の再生」を図るべきである。そして、その動きは既に始まっている。それを国民的合意にして、政府の「地方・地域衰退政策」と戦うことが今切実に求められていると思う。

先日行われた高知県知事選で、野党統一候補の松本けんじ氏(35歳)が「誰一人取り残さない県政つくろう」のスローガンで善戦したのを見ても、そう言えるのではないか。

「教育最貧困国、日本」?

森順子 2019年12月5日

先月、「令和時代の新しい教育とは」を語った萩生田文科相。だが、「身の丈に合わせて頑張って」発言により、一気に「新しい教育」に対する疑問が表面化された。これは、来年度から始まる大学入試共通テストのうち、英語の民間試験導入に関する発言だ。

英語は民間業者が提供するいろいろな試験を受けることが可能で、それを採点するのも民間業者。それだけでない。民間業者に受験料を払ってスコアを得ないと国立大学の受験資格が得られないというひどい話だ。つまり、お金のある人だけが、よい大学よい教育をうけられるのは仕方ない。そうでない人は身の丈に合わせて、ということだ。

このような格差と不公平に民間試験中止の署名を集めた高校生も出た。国が整えるべきことを民間業者に丸投げした結果、教育に対する国の冷酷さ、無責任さがあらわになった。

国の豊かさの基本は人材であり、人材教育は国が責任をもって行うべき重大事業である。しかし、その教育事業を民間業者に丸投げするような無責任な国であれば、人材は育たず国の発展は望めないだろう。一方で、受験生や国民は格差、不公平に反対し、誰もがよい教育を受けられることを求めている。このように国が求めていること、そして国民が求めていることに全く応えず、ますます格差を拡大していくだけの教育政策。これだけでも、安部政権は、政権としての資格がまったくないと言うことができる。