アジアの内の日本 2020年11月号

-「米国は頼りにならなくなった」時代-菅政権・「アジアのリーダー」外交は空想的覇権主義

若林盛亮 2020年11月20日

BSフジ「プライム・ニュース」でジャーナリスト鈴置高史氏(元日経編集委員)は「自助」が日本のとるべき姿勢だと主張した。

いまや「米国は頼りにならなくなった」、だから日本は「(アジアと)一人で向き合える力を持つべき」、それが氏の言う「自助」だ。

これはいま菅政権のめざす外交路線に符合するような主張だ。

菅首相の最初の外交はベトナム、インドネシア訪問だったが、それは日本が主導してASEAN(東南アジア諸国連合)に中国外しの「自由で開かれたインド太平洋構想」の楔を打ち込むことだった。

この菅外交は何をめざすのか? これについての示唆的な発言があった。

国連大使も務めた北岡伸一氏(東京大学名誉教授)が読売新聞「地球を読む」欄に寄せた「“太平洋連合”構想の実現を」と題した寄稿文がそれだ。

北岡氏はこの論文で日本を中心に「中国外し」のASEAN諸国との連合を提唱している。

まずASEAN諸国と日本で「西太平洋連合」(WPU)をつくり、これにオーストラリア、ニュージーランドに大洋州諸国(大洋州の島々)を加えて「太平洋連合」(PU)とする構想だ。

ここには超大国の中国は入れない、つまり「中国外し」が目玉だ。もう一つの超大国、米国を入れないのは「東南アジアには米国に強い抵抗感を持つ国もある」からであり、これを知る米国も「日本を通じて間接的に結びつくほうが有効だ」と判断するからだとしている。

一言でいえば、「米国が頼りにならなくなった」時代というのは保守支配層共通の認識であり、これに「米中対立」という新冷戦構図の中でその間隙を縫って日本が「アジアのリーダー」になるという覇権主義的な構想だ。

これは二つの点で空想的いや妄想だ。

一つはASEAN諸国は「米国に強い抵抗感がある」、すなわち覇権主義には反対だからだ。昨年のASEAN外相会談で米国務長官ポンペオの提示した中国の一帯一路に対抗するとした「インド太平洋地域戦略」に対して「対抗ではなく対話と協力の地域にする」構想をASEAN諸国は対置したが、このことはASEANの脱覇権主義の立場を象徴するものだ。いまASEANが日本に好意的なのは憲法九条平和国家として力づくの覇権主義国家ではないと見るからだ。

「米国が頼りにならなくなった」時代とは、アジアからすれば、米国であろうと日本であろうと誰かリーダーの「覇」の下につくことを良しとしない時代だということだ。アジアの要求にも、時代にも合わない、それが菅政権の進めようとする「アジアのリーダー」外交だ。

二つは「アジアと一人で向き合える力を持つ」にはおのずと限界があるという点だ。

いま「敵基地攻撃能力保有」をめざす論議が盛んだが、日米安保体制下で抑止力=覇権軍事力を米国に依存している条件で、日本には「一人で向き合える」軍事力はない。

「難しい攻撃目標は米軍に任せ、“自衛隊は敵のミサイル基地やレーダー施設、司令部などの固定攻撃目標の攻撃力から整備すべきだ”」(防衛研究所の高橋杉雄・防衛政策研究室長)というのがせいぜいで、中国や朝鮮に対抗して「アジアと一人で向き合える」軍事力などとうてい持てない。だから「アジアのリーダー」といっても妄想であり、せいぜい「米国に強い抵抗感を持つ」アジアで米覇権主義の代理人、手先になるのが関の山だ。

以上の理由から、菅政権・「アジアのリーダー」外交は空想的覇権主義、実現不可能な妄想にすぎないと思う。

「不自由で閉ざされた」インド太平洋構想

赤木志郎 2020年11月20日

「自由で開かれたインド・太平洋構想」は、日本と韓国・インド・オーストラリアなどを“ひとつの帯”として包囲網を作り、中国を排除、けん制する米国の安保戦略だ。米国は今、米中新冷戦を唱え、通信分野や軍事分野をはじめとして中国との貿易、交流を制限しようとしている。

このどこが「自由で開かれた」というのか。これでは、むしろ「不自由で閉ざされた」と言うべきではないか。

米国が主導する「インド太平洋構想」は中国を包囲し、アジア諸国を米国の覇権のもとにおこうとするもので、自由と民主主義、人権、法の支配などは単に中国排除、覇権の口実にすぎない。

ASEANはインド太平洋を対抗ではなく対話と協力の地域にすることを志向している。EUのような一つの理念で統合しようとした単一の地域共同体ではなく、各国それぞれの違いを認め、尊重し、そのうえで対話し協力していく地域、それこそが「自由で開かれたインド太平洋」ということができる。

しかし、菅政権は中国を名指しするのではないが、中国を念頭にASEAN諸国をアジア地域に対立をもちこむ米国のインド太平洋構想に引き入れようとしている。米国がASEANに影響力がないから日本が代わって米国の手先となりながら、同時にASEAN諸国を束ねようという魂胆が透けてみえる。インド太平洋を対立の地域にするのではなく、対話と協力の地域とすべく努力していくことが、ASEAN諸国の要求に合致し、そのことが「自由で開かれた地域」構想ではないだろうか。

怒りと憂慮

若林佐喜子 2020年11月20日

「私が目指す社会像は、『自助・共助・公助』そして絆です。自分でできることは、まず、自分でやってみる。そして、家族、地域で助け合う。その上で、政府がセーフティネットでお守りする」

菅首相の国会での所信表明演説の中での言葉である。この発言をめぐって、災害の影響や新型コロナ禍で苦しむ人々から怒りと憂慮の声があがっています。

原発事故で避難生活を余儀なくされた人たちの「ひなん生活を守る会」の鴨下代表は、「『公助』の責任者で最大の権力者である首相がまず『自助』を口にするのはおかしい」と批判し、公助についての思考が停止することに危機感を抱いています。

本当にそう思います。

「3助」の考え方は、まず自己責任で、次は互助で、政府は最後という論法。この政府は、効率第一の「小さい政府」であり、給付は「重点的」に絞り込み・削減する。本質は、憲法25条をはじめとする国民の権利と国の責任の形骸化と言われています。

このような「3助」の考え方を、「コロナ感染拡大と戦後最大の経済の落ち込みという国難の最中」に、なぜ首相自身が、あらためて意思表示、強調するのかに怒りがわきます。

日本で、コロナの第3波到来と指摘される中、昨日(19日)、一日のコロナの新規感染者が2千人を超えました。政府は、個人、飲食店などへの3密の回避、マスクの着用などの徹底化を要請するのみ。さらには、Go Toキャンペーンは継続し、利用するかの判断は自己責任。厚生労働省は、コロナ禍の影響で解雇や雇い止めが6万5千人にと発表するがその対策、対応策はなし。

他の国では、自粛要請と補償は一体で出され、生活保護の受給資格の条件緩和の措置などがとられていると聞きます。

今ほど、国、政府、その長である首相の役割、責任が問われている時はないのではないでしょうか?

「米中新冷戦」破綻の必然性

小西隆裕 2020年11月5日

米大統領選が終わって、これから「米中新冷戦」はどうなるか。その行方がいろいろと取り沙汰されている。

しかし、大統領選の結果の如何に関わらず「新冷戦」が強行されるのは、ほぼ間違いないだろう。それは、「新冷戦」が危機に陥った米覇権必須の生き残り戦略に他ならないからだ。この戦略なしに米覇権の存続はあり得ないのではないか。

その上で言えるのは、「米中新冷戦」破綻の必然性だ。

それは、一言で言って、「新冷戦」が時代の要求、人々の要求に合っていないからに他ならない。

それが「米ソ冷戦」と「米中新冷戦」との決定的な違いだ。

かつて、資本主義と社会主義、イデオロギーによる世界の分断は可能だった。実際、それによって世界が動き人々が動いた。

しかし、今は違う。ポンペオが「自由主義か全体主義か」「習近平による共産主義覇権だ」といくら叫んでも、誰も動かない。

問われているのは、イデオロギーではない。アイデンティティだ。

かけがえのない自分たちの国、自分たちの地域、自分たち自身にとってどうなのか、それが第一だと言うことだ。

そこから見た時、「新冷戦」はどうか。「自由と民主主義」「法の支配」を守るため、米国に付いて中国に敵対するのかということだ。

米国に付くのでも、中国に付くのでもない。今、日本に問われているのは、かけがえのない日本、日本国民のため、国益、国民益第一に、米国か中国か、二者択一を迫る「新冷戦」に反対して闘うことではないだろうか。

その闘いを、アジアとともに、世界とともに、国益、国民益第一、アジア益第一、世界益第一、一体に闘う時、「新冷戦」の破綻は必然であり、米覇権そのものの崩壊、そして日本の対米従属からの脱却も確定的だと思う。

無敵のアイデンティティ

魚本公博 2020年11月5日

注目された「大阪住民投票」は賛成67万票、反対69万票、その差1万7000票という僅差をもって大阪市廃止は阻止された。

今回の住民投票、当初は劣勢が伝えられた。とりわけ5年前には否決に回った公明党が賛成に回ったのは決定的と思われた。その膨大な票(昨秋の参院選での公明党の獲得数は17万票)が今回は賛成に回ることになったのだから。世論調査でも「賛成多数」だった。

しかし勝った。奇跡とも思える、この大逆転は、何がもたらしたのか。色々あるにしても、最大の要因は「大阪アイデンティティ」だったと思う。元々、都構想は「大阪の成長戦略」として打ち出された。その成長戦略とは民営化や国際エンターテインメント都市“大阪”。すなわち、インバウンド、カジノ、万博、そして外資依存の民営化。しかし、コロナ禍によって、それらは「そんなん出来るの?」になってしまった。

そこで維新は、、「二重行政解消」で「住民サービスが向上する」に焦点を変えたがこれが裏目に出た。賛否両論渦巻く中で市民は「言うことが正反対。どっちがホンマか分からん」となってしまい、そういう中で、そこまでして大阪市をなくす意味があるのか、一度なくしたら元には戻らない、コロナ禍の中何故それを今やらなくてはならないかなどなど、「大阪市を守れ」の声が高まった。

「大阪市を守れ」。それはアイデンティティの問題。大阪市は大阪市民にとって最も身近な生活単位。その中で大阪市民は、「大阪人」「浪速っ子」意識をもち、大阪に愛着を持ち、自身の暮らしと地域の発展を結びつけ、地域の発展を願う。すなわち大阪市民にとって大阪市は自身のアイデンティティであり、その廃止を突きつけられた市民は、NOの判定を下したということだ。

新自由主義者は、効率主義、自己責任の名で公(集団)を敵視・軽視する。そもそも公・集団というものが頭にない。そうした維新・新自由主義者が考えもしなかった所からの逆襲。それが大阪アイデンティティだったのだ。

このことは、これからも続く新自由主義(政府、企業、地域振興など)との闘いにおいてアイデンティティを打ち出すことが如何に重要かを教えている。「アイデンティティは無敵」。それを身をもって示してくれた大阪市民の皆様に敬意を表したい。

リスナーの質問に思う

森順子 2020年11月5日

「次はPCR検査についてです」と、大学教授が質問に応えるラジオ放送がありました。

①韓国では検査をやって効果があり防げた。日本もそうやればいいのに。

②GoToキャンペーンとかの観光が増えていくのにもっと検査をやってほしい。

③企業は一人でも感染すれば生産をストップせざるを得ない。検査はやるべきです。

この質問に対する名古屋大学教授の回答とは?

「韓国と日本の検査数の差はないんです。韓国はPCR以外の検査で成功したのです。問題は、検査とは何かという視点で考えてもらいたい。検査の捉え方です。検査は確率論で考えるものです。皆さんは、それを理解していないから私はこうやってラジオで説明しているんです。個人の感染を止めることは難しいのです。」

そして、この回答に対するリスナーの反応は、「一般の人には全く理解できません。納得できるように言って下さい」というものでした。

現在、感染者増加に歯止めがかからない状況のなかで、PCR検査をもっとやってほしい、やるべきだという声が上がるのは当然のことです。今、全国民は検査を切実に望み、社会に求められていることも検査を拡充する必要があるということだと言えます。新型コロナウイルスは伝染病であり、伝染病は、検査と隔離が基本中の基本だということは、今では誰もが知る初歩的な知識です。これをも無視し国民を誤魔化す、このような回答をするのでは、感染拡大を助長する張本人は政府だというしかありません。

一方で、もう一つの現実があります。それは、アジアでは感染者数が増えていないことです。中国、韓国より、日本の感染者数が多いというのは驚きです。

言えるのは、一にも二にも検査だということ。検査を徹底させてコロナを封じ込めたこと

です。

すなわち、無症状者も疑わしい人も検査を簡単に迅速に受けられるようにしたこと。心配

な人、受けたい人は全員に、かつ、頻繁に検査をおこなったこと。国の責任の下、この体

制を敷くことで封じ込めに成功したわけです。検査を重点的に十分に実施することがコロ

ナに打ち勝つ唯一の方法であることをアジアの国の現実が証明しています。その結果、経

済も成長し発展しているこの現実は、先にコロナを封じ込めた国が発展するということで

はないでしょうか。

国民の命と暮らしを守り、日本の経済活動を活発にするためには、どこまでも、検査の拡

充が出発点ではないでしょうか。こうしてこそ経済も国民の暮らしもよい兆しが見えてく

るということです。それゆえ、国民のため、国と社会のための検査拡充こそが、国民益で

あり、同時に国益だと言えます。

検査に対するこのような立場が、今、問われているように思います。