よど号LIFE 2020年1月号

新年会

小西隆裕 2020年1月20日

元旦の夕方、もうあれから13年、この日亡くなった同志、田中義三に、いつものように一人一人、掌を合わせ焼香した後、恒例の新年会。

朝、昼、餅をオーブンで焼いたくらいで済ませていた、独り身の私たちにとっては、そういう意味でも楽しみな時だ。

今年は、すき焼きだった。

女性たちが整えてくれた食卓を囲んで、皆、一家言がある。

ああだこうだ言いながら、結局、チャンポンになってしまったようだ。

私としても、昔母がつくってくれたものとは大分違うなあと思いつつ、

それでも、大満足。

よし、新年も頑張るぞと、ほろ酔い気分で、

会場となった若林家の門ならぬ、ドアを出た。

輝いたラグビー、赤信号の灯った日本サッカー・・・「なんでや」!?

若林盛亮 2020年1月20日

東京五輪進出を賭けたAFC、アジア・チャンピオンズ・リーグで「優勝候補」サッカー日本代表は2敗1分け、「勝ち点」わずか「1」の予選リーグ最下位で敗退、日本サッカー史上にない悲惨な結果に終わった。

 私はガックリを通り越して怒りまで沸いてきたが、その怒りをどこにぶつけたらいいのかさえわからない。

もともと期待値は低かったが、ここまでとは思わなかった。

「なんでや」!?・・・

 いずれの試合でも「日本は巧いのに勝てない」サッカーだった。

五輪開催国である日本は勝敗に関係なく出場権を持つゆえ、出場権のかかる他国チームとは「やる気、気迫、モチベーションが違った」のは事実だろう。でも日本は韓国と並び、「W杯出場が当たり前」のサッカー大国、「アジアの最強豪国」だ。

メールで指南を受けている私のサッカー師匠は、「チームになっていない」ことを敗因にあげている。

相手陣内まではボールは運べるのに、ゴール前の相手を崩すために積極的に仕掛けることが少ない。相手DFを崩せていない状態でシュートするため攻撃が単発で終わってしまいゴールが遠い。相手の攻撃に対してDFが揃っているにも関わらず、誰が対応するのか、DFラインで意思統一ができていないため、対応が半歩遅れて失点するなど、チームとして攻守の連携プレーが明らかに未熟。

いまは東京五輪まで数ヶ月という時期、「いろんな選手を試している」(森保監督の言葉)場合じゃない、「チームとして成熟させる」、日本代表はこうして勝つのだという選手、戦術を「チームとして固めていく」段階、明らかに監督のチームづくり、采配ミスだということだ。

こうした森保監督の采配に「?」符が付き、進退までが噂されている。でも私の師匠は「いま監督を代えても選手に不安を与えるだけ」と悪影響の方が大きいと言う。いまはAFC惨敗の反省点をどれだけ修正できるか、監督、選手達の奮起に期待するしかない。

昨年のラグビーW杯の日本代表は日本中を沸騰させた。「ラグビー弱小国」であった日本チームが次々と強豪国を倒すチームになった、なのになぜ「アジア・サッカー強豪国」日本チームはアジアに惨敗を続けたのか?

全くの独断、素人考えだが、私は「目標喪失」にあると思っている。

勝てばW杯出場が現実になった試合終了間際に同点ゴールを許し涙をのんだ「ドーハの悲劇」、以降は「W杯出場」が日本の悲願だった。日韓W杯では「16強進出」が目標になった、それも果たした以降は「W杯メダル獲得」が口癖のようになった。だがそれはどう見ても「努力目標」、悪く言えば「空念仏」だ。

今回のAFCでも「金メダル獲得」を日本サッカー協会は目標に掲げた。じゃあ「金」獲得に向けてどれだけ協会、監督、選手が本気で目標実現に取り組んだのか? 「日本はこれで勝つのだ」という選手布陣や戦術を固めもしないで「本番は海外組を呼べばよい」「今回はいろんな選手を試すテストマッチ」のように臨んだ結果が「史上最悪の予選最下位」なのだ。

生半可な「強豪国」にあぐらをかいてアジアを舐めた結果だとも言える。

いま日本サッカーは「目標喪失」の時にあると思う。

「努力目標」でない「本気度目標」! これを協会が提示して監督、選手、サポーターが一丸となって燃えに燃えること、皆が熱くなれる目標を定めることが日本サッカー再生の道だと私は思う。

正月の歌謡番組

赤木志郎 2020年1月20日

BS放送は正月前後の歌謡番組が少ない。紅白歌合戦も放送されない。韓ドラなど各種連続ドラマが平日と変わらず放送されている。そんな中、数少ない歌謡番組で一つは「年忘れ日本の歌(テレ東)」が良かった。年末に国内地上波で放映されたのを15日過ぎにBSでも放送されたものだ。これまでのヒット曲が連続的に放送され、懐かしい歌が多かった。私はPCに取り込み、その中から気に入った歌をビデオ編集ソフトを使って一曲ずつに分けた。そうするといつでもそれらの曲を聴くことが出来る。ほとんど70年代の歌だ。。

もう一つは、多くの歌手が登場するこれらの番組とは異なり、一人の歌手の引退までの軌跡を追った番組があった。藤圭子特集だ。流しの浪曲師を父にもつ極貧の生活を経て、ドスの効いた怨み節の歌が心の中に響き渡る。

藤圭子の実生活での生きかた、人生が歌に刻み込まれているのが感じられる。そして、その内容が貧しかった時代を反映していた。

ヒットした歌は人々の心をとらえその時代を表しているだけでなく、その歌を唄う人の生き方の表現でもあると思う。歌のための歌ではなく、自分の生き方として唄う歌こそ、ほんとうに心に響き渡るのではと考える。他にもこれまでちあきなおみ、テレサ・テン、吉幾三を取り入れている。

なつかしい故郷の風景を見ながら

魚本公博 2020年1月20日

この間、BSの旅行番組で故郷である別府のことをしばしば見る機会がありました。田中陽希の「300名山踏破」では別府の背後にそびえる鶴見岳山頂からの別府の全景もみることができました。よど号渡朝・HJ50年は、「故郷を離れて50年」でもありますが、別府の風景も随分変わった印象です。

数年前、「未来に残したい日本の風景 100選」という番組で、一位に「別府の湯けむり」が選ばれていましたが、別府八湯といわれる八ヶ所の温泉場の内の鉄輪温泉の風景でした。別府駅前に広がる別府温泉が主だった頃とは様変わりしているようです。番組では鉄輪温泉の湯治客用の貸し家旅館の様子や共同浴場などが出て、知った人がいないかと注意深く見ましたが残念ながら居ませんでした。

別府温泉は、泉源数3700余、泉種も豊富、入浴法も泥湯、砂湯、石室の蒸し湯など多彩。本当に世界に誇る温泉地なのですね。そんな所に住んでいて日常的に温泉に入っていたのですから何とまあ恵まれた場所に生まれたものかと改めて感じ入りました。

温泉といえば、ここ朝鮮でも最近、陽徳(ヤンドク)温泉が、一大リゾートとして開発され、昨年暮れから操業を開始して注目の的です。ヤンドクは私たちの住んでいる所から郡を三つほど経た所で近いですし、平壌からは列車が出ているそうです。そこにはスキー場、熱帯植物温室、ホテル、食堂などが整備され、温泉卵もあるとか。

温泉も日本を感じさせる「なつかしい」ものの一つ。そのうち行ってみようと皆で盛り上がっています。その時は「故郷」を満喫しようと思っています。

令和二年一月

森 順子 2020年1月20日

凍らないテドン江、そして一月は毎年、厳寒の月だというのに雨がふるピョンヤン。街の人たちもこの暖かさに驚いています。私たちもこういう現象は数十年ここにいて初めての体験のように感じます。こんな気候で始まった今年。やはり、この異常気候は、地球の温暖化が問題だということですね。世界中の国と人が深刻に考えなくてはと、新年早々、思った次第です。

しかし、もう、寒さに弱くなってきている年齢ですから、暖かい方が楽ですが、もっと体を動かさないと、ということで、子供たちが帰国してからは倉庫になっていた小さい卓球場をかたづけ使えるようにしました。村での生活の気分転換、そして運動不足解消に少しはいいかなということです。体が思うように動くのかしらと心配ですが、今年は意義ある年でもあり心身ともに充実した一年にしようと思っています。

新年、ピョンヤンの正月風景に思う

小西隆裕 2020年1月5日

一月三日、今年も、毎年恒例となった、ピョンヤン市内のレストランでの食事に出た。

今年は、昨年新装のテソン百貨店。

予想に違わず、上階にある食堂に行くまで、エスカレーターから見る店内は、それなりに着飾った家族連れなどでにぎわっていた。

個室は皆予約済み、四階と五階に広がったテーブルもほぼ満席。食卓を囲む明るく穏やかで落ち着いた談笑が広がっている。

年末、十二月二八日から三一日までの四日間、金正恩党委員長の七時間に及ぶ報告など、朝鮮労働党中央委員会総会が開かれ、その内容が一日、テレビやラジオ、新聞などで一斉に報道されたばかりだ。打ち出されたのは、前進を妨げるあらゆる難関を「正面突破戦」で突き破って進もうという呼びかけ。それがこの二年間続けられてきた朝米交渉の「決裂」を意味しているのは皆知っている。

「重大決定」を受け止めるピョンヤン市民たちのこの明るい落ち着き。ある種感銘のようなものを改めて感じた一日だった。

新年期待のベストワン! 南野リバプール&Ayasa5弦バイオリン

若林盛亮 2020年1月5日

昨年、朝鮮版「ウッドストック」と書いた、新年カウントダウン音楽公演が今年も金日成広場で開催、広場を埋め尽くす大観衆、私の見立てでは10万は入る広場にぎっしり。鉄骨を組んだ特設ステージ、照明、大観衆、いい演奏には「ワーッ」と歓声の上がるステージはやはり伝説の「ウッドストック」。 

新年カウントダウン-「10・9・8・・・ゼロ!」は東京や世界各地で行われるものとまったく同様の風景。暖冬とはいえこの日マイナス10度くらいにはなる深夜のピョンヤン野外、出演のアーチストも観衆も厚手のコート、ジャンパー着用、でも広場の熱気は冬を感じさせない。

そんななかで明けた朝鮮での新年。

私の新年の「よど号LIFE」、期待のベストワンは、英プレミア・サッカー、リバプールFC移籍決定の南野拓実君、1月早々にあるいわゆるマージーサイド・ダービー、対エバートン戦には出場が期待されている。今や「世界最強」となったチームでレギュラーは難しいが、スーパーサブにはなってほしい。監督やサポーターも望んでいることだろう。彼の所属したザルツブルグはリバプールと似たサッカー、ストーミング、いわゆる混沌をつくりだし一気に攻勢に出るスピードサッカー、すぐにチームに馴染むだろう。

南野君の移籍は、対戦した試合で彼のプレーに接したリバプールの選手達が望んだことだと言われている。またKOPと言われる熱狂的サポーターからもUEFAチャンピオンズ・リーグ一次予選でリバプールと闘ったときの南野を見て「あの男を獲れ」という声が上がったという。選手からもサポーターからも、そしてクロップ監督からも熱望されての加入。

今年はYou’ll never walk alone、このリバプール応援歌を南野君に届くよう歌いたい。

もう一つの一押しは、Ayasa! この方は5弦バイオリンでロックを奏でる注目の女性ミュージシャン。

BS放送でたまたま見たステージは圧巻だった。異質のヘビメタ・ギタリストとのコラボレーションでの超絶の音、そして超カッコイイあでやかなステージに魅了された。

3歳からバイオリンを始め、桐朋学園卒業後も国内外クラシック・コンクールで賞を取るほど技量は超一流、ロックやアニメソングも好きという異色のバイオリニスト。ロックのギターの音量に負けないために4弦ではなく5弦のバイオリン、この5弦は弾くのが難しいと言われるもの。それを巧みに操り、ロック・ギタリストに負けない音とステージを展開、枠にとらわれず、いろんなジャンルの音楽に挑戦。

今年はAyasaにハマる予感。

小動物

赤木志郎 2020年1月5日

残飯を捨てにゴミ捨て場を行ったとき、大きなウサギがあわてて逃げていった。ふさふさした白い毛をもち、少し動作がのろいウサギだった。ここ日本人村は狩猟禁止区域などで、小動物が多い。島リス、蝦夷リスはしょっちゅう走り回っている。時々、ノロ(鹿の小さい目の動物)もみかける。厭のはヘビだ。小さくても赤い色の毒蛇は威嚇的だ。大きいいのししを見かけたという人もいる。

私が忘れないのでは、20数年前、狸と出会ったときだった。夜、車で市内に向かって出ようとしたとき、二匹の狸がライトを浴びて慌てて車の前を懸命に走っているのだった。その姿は漫画映画の狸と同じだった。腹をだして懸命に走るのだが速く走れない。私は笑いをこらえながら、速度をゆっくりし狸が走るのを後ろから追った。途中、横にそれて逃げ去った。最近でも、狸を見かけた人がいた。

鬱蒼とした木々、さまざまな鳥たち、そして小動物。恵まれた自然環境だ。もちろん空気も市内に比べ美味しい。この素晴らしい環境なのだから、研究活動に専念しなければないと思うのだが、遅々として進まないので焦るときが多い。

共同性こそ日本の強み

魚本公博 2020年1月5日

あけましておめでとうございます。

今年の正月は、正月番組視聴のテレビ三昧の三が日でした。昨年購入した録画機能付きのコンバーターを使ってめぼしい番組を録画し固め見したからです。

そうは言ってもBSしか見れないため、正月番組も、歌手協会・新春歌謡祭、Cool J apanの世界が驚いた動画大賞、スポーツ酒場でオリンピックを取り上げていたもの、そして箱根駅伝などでしたが。

そこで感じたのは、日本の共同性の強さとでも言うべきものもの。例えば、Cool Japan動画大賞の一つ、何の変哲のない街角風景。日本人の出演者が「一体何が感動なの?」と訝しむ中、外国人の声、「街路が綺麗に掃除されてる」、「分別されてゴミ袋が出されている」「ビール運搬車が見張る人もなく止まっている(うちの国なら盗られる)」などと。

駅伝も個人競技の長距離をリレーして協力・共同性を競う日本ならではの競技。そしてスポーツ酒場で取り上げられていた陸上の400mリレー。日本の強みは精妙なバトン渡し。昨年の世界陸上では予選で桐生とサニー・ブラウンの連携が今一つだったのを、桐生がサニーに、俺を信じろ絶対渡すから全力で走れと言って、日本新記録の銅。感動しました。

やはり共同性こそ日本の強みとの思いを新たにした正月でした。

前進の年に!

若林佐喜子 2020年1月5日

新年、明けましておめでとうございます。

元旦の朝は零下12度と冷え込みましたが、雪もなく穏やかな日でした。8時半に田宮高麿さんをはじめ亡き仲間たちに新年の挨拶の焼香、夕方に田中義三さんの一三周忌の焼香を行ないました。今年は渡朝五〇年で節目の年、見守っていて下さいとお願いしました。

その後の新年会、今年は、すき焼き鍋がメイン。他にお刺身、紅白なます、正月と言えばなぜかみかんです。すき焼きは、関西風でと赤木さんが担当。女性陣は、材料をそろえアシスタント。安部さんも学生時代のコンパでよくやったと「じゃんじゃん材料を入れよう!」。若林さんは、「味が薄い、砂糖が足りない・・」と。口を出すや、手が出るやら、なかなか賑やかなすき焼き鍋、最後はおじやで、皆、満腹、満足でした。今年のyodoすき焼きは、かなりだし汁を入れて煮たので、果たして関西、関東どちら風? まぁー、故郷の味、日本風でしょうか。

二日は、休息。三日に、皆で食事兼ショッピングに出かけました。まず、テソン(大聖)デパートに、ビュッフ式のレストランは家族連れで満員。各テーブルは、魚、お好み焼き、鶏の唐揚げなどの料理であふれ、みなよく話し、よく飲み、よく食べること。その活気と雰囲気に圧倒されそう。個室も一杯で、私たちは、カフェテラスに席を取りました。「菊茶」は色も綺麗で味もおいしい。最近は、ちょっとしたお茶ブームです。私は、アワビの神仙炉、ビビンパ、アサリとわかめのスープ(大きなどんぶり容器にはびっくり)、更にグラタン。女性陣は、その後、ヘマジ喫茶店でコーヒーとティラミスで癒しタイム。ボンヒャンギ(春の香り)化粧品店で買い物をして帰宅。ちょっと贅沢な三箇日でした。

日本の仲間たちから、「今年は、渡朝50年、これ以上の節目の年はありませんね。」「今年は、変化の予感が!!」などと、とても空気の入った年賀メールが届きました。本当にそうです。私も、しっかり気合いを入れて、前進の年にしていきたいと思います。

どうか今年もよろしくお願い致します。