【安保防衛論議その5】―朝鮮と戦争を「する」防衛論議からの転換を図るために―

若林盛亮

「安全保障環境が最も厳しくなった」のは米国! 日本ではない

「年明けから防衛大綱見直しの議論が本格化する」と安倍首相は昨年末に明言。その核に据えたのが「敵(北朝鮮)基地攻撃能力保有」だ。朝鮮と戦争を「する」防衛論議を行うという宣言だ。

先月のこの欄で述べたように、当事者である南北朝鮮が和解と緊張緩和、「戦争をしない」関係に進もうとしているのに、いまわが日本国に、朝鮮と戦争を「する」防衛論議を行うべき正当な理由があるのか? このことを見ていきたい。

第一に、わが日本国に朝鮮と戦争を「する」防衛論議を本格化させるべき理由はまったくないということ、このことを正しく認識すべきだと思う。

安倍首相は「敵(北朝鮮)基地攻撃能力の保有」を防衛大綱に明記するとしているが、その理由を「わが国を取り巻く安全保障環境は戦後もっとも厳しい」からだとした。しかし果たしてそうだろうか?

「北朝鮮の脅威」レベルが頂点に達したとされるのは、昨年11月の「米国本土全域を射程に収めた」大陸間弾道ミサイル「火星-15型」試射成功だ。しかしこのことによって「安全保障環境が最も厳しくなった」のは米国であって日本ではない。これは重要な点だ。

もし朝鮮のミサイルが日本の直接的脅威だというならば、すでに10年以上も前から日本を射程に収めるノドンなど中距離ミサイル配備があったが、この時に「敵基地攻撃能力保有」を論議されるべきだった。しかしそんな議論は起こらなかった。

以上から明白なことは、米国の「安全保障環境が厳しくなった」から、日本の自衛隊が「敵(北朝鮮)ミサイル基地攻撃能力の保有」の必要性が提起されたということだ。 

第二にいまわが国がよく考えなければならない問題点は、米中心の国際秩序を守ることが日本の安保防衛問題に直結するという安保防衛観、これ自体を見直す時期に来ているのではないか? ということだ。

米国が今年に入って発表した「新安全保障戦略」は、米国中心の国際秩序に変更を加える国を修正主義諸国(中国、ロシア)とし、これに正面から挑戦する国を「ならず者国家」(朝鮮、イラン)とした。そして危機にさらされている米中心の国際秩序維持のためには、同盟国の役割を強めること、つまり日本がもっと積極的役割を果たすことを求めている。

朝鮮の「米本土全域を射程に収める」ICBM保有によって「安全環境が最も厳しくなった」米国のために同盟国、日本が積極的役割を果たすべきこと! いらないなりえない安倍政権の「敵基地攻撃能力保有」、朝鮮と戦争を「する」防衛論議を本格化させるという新年の方針はこの延長にある。

しかしいまや肝心の米国が危機に瀕した米中心の国際秩序を再建する方策を持ち合わせていない。先のトランプ米大統領の一般教書演説を聞いて日本の親米派論客からも慨嘆の声が上がっている。岡本行夫氏は「理念も論理もない単なる政治ショウ」と失望を隠さず、手嶋龍一氏は「唱えたアメリカンドリームなどはかつての米国であり、いまは新しい理想を世界に語ってほしかった」と嘆いた。この種の人たちの間にさえ、これまで通りの「米国頼み」に不安と危惧が芽生えている。

「一触即発の朝鮮半島」を危機から救おうと、冬季五輪を契機に南北和解、緊張緩和へと「戦争をしない」努力を南北朝鮮は開始した。この動きは、米中心の国際秩序(東アジア覇権拠点としての米軍基地、米軍の韓国駐留)維持のために朝米間の戦争状態(朝鮮戦争の停戦のまま)継続が維持され、南北敵対が固定されることへの民族あげての異議申し立てである。

わが国も自身の安保防衛問題を考え直すべき時に来ている。
米国の同盟国としての役割を果たすことが即、日本の安保防衛問題だという旧来の思考方式から抜け出せず、朝鮮と戦争を「する」防衛論議に走ることは危険千万なことだ。