魚本公博
歴史好きの私は、BSの「歴史」ものもよく見ます。そこで見た「空海」。その凄さにびっくりしました。
空海と言えば密教。私は、密教なんてものは護摩を焚いて、印を結び、呪文を唱えるという呪術的な宗教だと思っていたし、日本密教の祖である空海には、それほどの思い入れはありませんでした。
ところが、番組では密教というのは「現世利益追求」であり、人々の幸福・利益実現のために教理だけでなく医学、薬学、土木、歴法、鉱物学などの科学技術を取得しそれを実践することが求められ、空海はそれらを全て最高の水準で会得し実践した人なのだという捉え方をしていました。
空海は804年に31歳で遣唐使の一員として唐に渡り、在唐2年でそれら最先端の知識を全て修得したそうです。
教理的には、密教の教主・恵果に就き、普通10年はかかるとされたものをわずか数ヶ月で会得。恵果は「私が待ち望んでいた人だ」とぞっこん。そして第8代教主に任命。空海は日本に居たときから密教教理を研究しており唐に渡っては、先ずサンスクリット語を学び仏教原典にも精通し、おそらく師以上の学識・見識を持っていたのでしょう。
それにしても、異国日本の僧を次の教主に任命するなどありえない話です。恵果としては、自身が信ずる真理を世界に広げるという宗教者としての使命感の下、空海を通じて知った日本でこそ、日本人の中でこそ、それが可能だと思ったのではないでしょうか(これは私の勝手な解釈ですが)。
ちなみに密教関係の遺物は中国ではほとんど失われましたが、日本には国宝級の遺物が豊富に残っています。
そして人々の幸福のための実践。有名な満濃池もその一つ。決壊して何年かかっても修復できかったものを嵯峨天皇の依頼で数ヶ月で修復。アーチ式の堤に排水口を備えるという現代土木にも通じる技術を駆使した満濃池は、その後1200年経った今でも地域の命の水として満々たる水をたたえています。
わが国最初の庶民教育の学校として綜芸種智院を作ったのも空海。こうした庶民のため、地域のために残した空海の足跡は全国3000カ所に上るとか。
私の故郷にも、衣にかかった熱湯を杖で突くと真水になったという泉水が。うちの集落はその水を暗渠で引いた泉水を各家で使っていました。
空海は、その死に際して。「私はこれから入定(にゅうじょう・食を断って即身成仏すること)するが悲しむな、私が本当に死ぬのは、万民が幸せになったときであり、それまでは死なずに見守っている」というような言葉を残したそうです。だから高野山では空海は今も生きており、毎日2膳、その廟堂に食事を捧げるのだとか。
万民の幸福のために哲学的思索を深めに深め、それは現実に万民が幸福になるものであってこそ意味あるものとして、人々の中に入り実践していった空海。
その巨大さ。司馬遼太郎氏は「地球上の住人だったということすら信じがたい」と評したそうですが、そんな偉人が1200前の日本に居たのですね。