暮らしを守りたいと思う人々の思いこそ

魚本公博

「おいは 国とは 生きたいと思う者の集まりだと思います。生きたいと思う者たちのために働くのが政(まつりごと)ではありませんか」

大河ドラマ「西郷どん」、先週の一場面。第一次長州征伐で副総督として作戦を任された西郷が長州藩の3人の家老切腹で事を納めたことについて、「大砲を撃ち込み、城下を焼き払えと言った」(それをやらなかったお前は)「天子様を裏切り、この国を裏切ったのだ」と激怒する慶喜に言った言葉。

慶喜が言った国は、天子様であり幕府。それに対して、西郷の言う国とは民であり、それも具体的に日々額に汗して暮らしている民ということなのでしょう。私たちも国とは民であるというような考え方をしていましたが、この言葉はもっと人々の暮らしに思いを寄せた言葉のように思います。

今、政府の従米姿勢には目を覆うものがあります。今こそ日本という国のあり方を心配し考えなければならないと思うのですが中々、そういう気運が盛り上がらないのも事実です。やはり、もっと生活に密着した提起の仕方をしなければならないのではないか。

考えてみれば、安保法制反対の大デモを実現した、あのシールズの人たちは、「生活保守」を言っていました。生活(暮らし)を守るために闘う。国のあり方を考える、政治を考えるとは、そういうものでなければならないと思います。

何か、そういう「生活愛国」みたいなアプローチができないものか、「西郷どん」に触発されて、今、そんなことを考えています。