小西隆裕
この間、朝鮮では首班の来訪が相次いだ。文在寅韓国大統領、そしてミゲル・ベルムデスキューバ国家理事会委員長。
日本のマスコミの扱いは極めて地味なものだった。特に後者の場合、報道自体ないに等しかったのではないか。
それとは裏腹に、朝鮮での両首脳に対する歓迎はすごかった。「大歓迎」を予想していた私の想定を完全に超えていた。
金正恩委員長夫妻の空港への出迎えから見送りまで、なるほどこういう歓待の仕方があるのかと驚きの連続だった。
沿道に連なる歓迎の花束の波、また波。すべての高位級幹部、一流芸術人総出の大宴会や公演。マスゲームによる歓迎に集まった万余の大観衆とその前での文在寅大統領の演説。そして民族の聖地、白頭山への南北首脳夫妻揃っての登頂。
それら一つ一つに、見ている者まで引き込む感動があった。この感動は一体何なのか。
それは決して「想定外」自体から来るものではなかったと思う。
自分の想定を完全に超えた愛の深さ、それを感じたところから来るものだったのではないかと思う。
それぞれ違った愛、同じ民族同士、社会主義国同士の「同胞愛」と「同志愛」、二つの愛の深さを感じた両首脳の来朝だった。