【今月の視点】徴用工賠償判決がつきつけるもの

赤木志郎

10月30日韓国大法院が新日鉄住金にたいし元徴用工への慰謝料支払いを命じる判決を下したことと関連し、日韓関係が極度に悪化している。

韓国大法院判決は日韓請求権協定は植民地支配にたいする賠償ではなく単なる日韓間の債務債権関係で請求しないという協定であり、経済協力金は賠償金でなかったゆえ、植民地支配下において強制連行され過酷な労働を強いられたことにたいする慰謝料を支払えということである。日本政府は「(この問題は)1965年の日韓請求権・経済協力協定で完全かつ最終的に解決している」(安倍首相)、だから韓国は国と国との約束を守れと強く反発している。

このまま日本企業が賠償に応じなければ、韓国内の日本企業資産没収とそれに対抗した日本における韓国資産没収という果てしない泥沼に陥る可能性がある。

問題は、日本政府が植民地支配の清算し、ほんとうに賠償問題が解決済みなのか、戦後70年以上もすぎた今日、なぜ、この問題が提起されるのかということにあると思う。

韓国を非難する日本政府の誤り

日本では多くの人々がかつて侵略したということすらあまり意識のないままで暮らしていると思う。私もかつて日本にいたときそうだった。しかし、朝鮮にいれば(韓国や中国でも同じと思うが)、日常的に日本が朝鮮などを侵略したということを想起せざるをえない。なぜなら、かつて植民地下で苦労したが、今はこんな新しい国を作っているという気持ちがあり、つねに過去を思い出しているからだ。

実際、植民地化で苦労した人の話を聞くとそう感じる。強制的に連行された徴用工のみならず、流浪の民となって日本や満州の各地で辛酸を嘗めた人々が多い。

徴用工賠償問題は、日本の植民地支配下で苦労したことにたいする賠償のひとつにすぎない。他にも軍事施設建設で殺害され葬られた人々もいる。関東大震災で殺害された人々について賠償を受けたのか。

徴用工賠償について、日本政府は個人に請求権があるが、その請求権が政府の保護を受けられない、つまり実質的に請求できないとしたのが、日韓請求権協定だという。その引き換えに経済協力協定がある。つまり、植民地支配は認めずその賠償はしないが、かわりに他の名目で金を出したということだ。

日韓基本条約交渉において日本政府が日韓併合条約を合法的だと主張し、「失効した」で妥協したようにあくまで植民地支配を認めず謝罪していない。だから、日韓請求権協定は、「植民地支配に対する賠償」を対象とせず、単に日韓間の財政的、民事的債権・債務関係を政治的合意により解決するためのものとなっている。

当時、椎名外相は、国会で「経済協力というのは純然たる経済協力ではなくて、これは賠償の意味を持っておるものだというように解釈する人があるのでありますが、法律上は、何らこの間に関係はございません。あくまで有償・無償5億ドルのこの経済協力は、経済協力でありまして、韓国の経済が繁栄するように、そういう気持ちを持って、また、新しい国の出発を祝うという点において、この経済協力を認めたのでございます」(参院/1965年11月19日)と述べている。

つまり、これまで日本は韓国にたいし植民地支配の反省と謝罪、賠償をおこなってこなかったということだ。「日本の韓国への植民地支配への反省」を日韓両国が公的文書で初めて明記したのは、小渕恵三首相と金大中大統領の間で交わされた「日韓パートナーシップ」(1998年)だ。しかし、それに伴う賠償はなかった。

日本政府の立場がこうだとすれば、日韓基本条約、日韓請求権協定は植民地支配の謝罪と無関係だから、賠償問題が解決済みというのは間違いだと言える。植民地支配下における強制連行の賠償を訴える元徴用工の公訴とそれにたいする判決も正当だといえる。

これまで日本政府が韓国(朝鮮)にたいし植民地支配を不当なものとして認めず、それにともなう賠償をしてこなかったところに問題の根源があると見るべきではないか。

ところが、日本政府は徴用工賠償問題で、あくまで植民地支配と賠償を認めない姿勢だ。そして、企業が賠償に応じようとしていたのも中止させている。

植民地支配→強制連行→徴用工、これは従軍慰安婦と同じ構造だ。植民地支配の罪過は年を追って忘れられ風化するのではなく、逆に日に日にその罪過の清算と謝罪が問われてきている。

徴用工賠償問題は日本のあり方を問い、東北アジアの当事国として生きるかどうかの試金石

朝鮮(韓国)は日本の姿を映し出している鏡だといえる。朝鮮・韓国にたいする侵略、そこで土地を奪われ、虐殺され、強制的に従軍慰安婦、徴用工に狩りだされ、名前も奪われた朝鮮・韓国の人々の姿は、日本のあり方をそのまま映している。だから、朝鮮(韓国)にたいする対応は、日本の国と国民自身の問題ということができる。

三菱重工業本社まえで455回の抗議行動をおこなってきた「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会」がある。その会の平山氏は、「私は愛国者だ。日本が戦後処理をきちんと行うことが真に日本のためになる道だ」と語っている。

この言葉が端的に示しているように、真摯な反省と謝罪、賠償こそが、日本が二度と侵略せず他国を尊重する平和国家として、アジア諸国と共に生きていくための出発点、証しとなると思う。

反省と謝罪という行為は、すぐれて主体的な行為だといえる。自分自身で考え、過ちの結果と原因を把握し、それにもとづき被害者にたいし心からの謝罪をしてこそ、その国の発展がありえる。

反省し謝罪することはもちろん気分のよいものではない。だから「自虐史観」という批判も起こりえる。しかし、反省し謝罪する痛みより、植民地支配を受けた朝鮮(韓国)の人々の苦しみの方がはるか大きいというのは言うまでもないことではないか。

問題は、今、なぜ徴用工賠償問題として、さらにいえば従軍慰安婦問題として、植民地支配の反省・謝罪・賠償が提起されてきたかだと思う。

今日、東北アジアが平和と繁栄の新時代を迎え、過去の植民地支配を完全に清算していくことが問われている。アジア諸国は南北朝鮮の融合が示すように、今やかつての蔑まれ、侵略を受けた国ではなく、自己の主権を守り、民衆がより主人となって国を建設している時代だ。今日、侵略、大国主義などの他国の主権を侵害する覇権が音をたててくずれさっている。

このとき、日本がアジアの一員としてアジア諸国と共に手を携えていこうとすればするほど、過去の侵略にたいする反省と謝罪をさけることはできない。歴史認識を正しくおこなってはじめて日本もアジア諸国と共に時代に合流していくことができると思う。

徴用工賠償問題がつきつけているのは、日本が平和と繁栄の東北アジアの新時代にあってアジア諸国とともに手を携えるのか、否かということではないだろうか。このことを韓国・大法院判決が日本に迫ったと受け取るべきではないだろうか。

日本政府は国と国の約束を守らないと憤っているが、侵略を認めない条約など、一片の正当性もない。そもそも1965年の日韓基本条約と日韓請求権協定は、両国の民意と無関係にアメリカに督促され米日韓軍事同盟を強化するため韓国の軍部独裁政権と交わした条約、協定だ。それゆえ、すでに韓国で日韓基本条約を見直すべきだという声が起こっている。

朝鮮民主主義人民共和国においてでも日本の植民地支配における悪行を連日、非難している。中国においても徴用工賠償の裁判がおこなわれている。

強制徴用工像、従軍慰安婦の像の設立が世界各地に拡がっているように、日本が侵略の過ちを認めない限り、ますますアジア諸国と世界各国から指弾を受けるようになるだろう。

したがって、徴用工賠償問題にいかに対処するかは、覇権国家か平和国家かの日本のあり方を問う問題であり、日本が新しい東北アジアの当事国として生きるかどうかの試金石となる問題だと思う。

朝鮮に滞在している日本人として、日本自身のために一日もはやく植民地支配の反省と謝罪、賠償をしっかりおこなうこと願っている。