18歳で欧州サッカーに挑戦、いま25歳の宮市亮君を応援したい

若林盛亮

私のサッカー師匠に頼んで資料を送ってもらった。それは宮市亮の近況に関するもの、以前から気になっていたサッカー選手。

宮市亮は2009年のU-17ワールドカップ世代でいま日本代表で活躍の柴崎岳や宇佐美貴史らと同世代、高校在学中に英国の強豪アーセナルと契約、労働ビザの関係でオランダのフェイエノールトへのレンタル移籍、とんでもない快速でサイドを駆け上がり相手DFを翻弄するそんな18歳に誰もが輝かしい未来を期待した。

しかしその後のキャリアは度重なるケガとの戦い、所属のアーセナルでは出場機会に恵まれず、英国内でボルトン、ウィガンなどへのレンタル移籍、2015年の夏、アーセナルを離れ、当時ドイツ3部リーグのザクト・パウリへ完全移籍、しかし直後に左ヒザ十字靱帯を断裂、その後も同じ箇所の大ケガ、選手生命さえ危ぶまれた。

Jリーグでやっていれば、まちがいなく強豪チームの中心選手になっていたであろう宮市、一時は日本代表にも選ばれた宮市だが、いまは彼の名前を知る人さえ少なくなった。そんな彼が私はずっと気になっていた。

宮市はインタビューにこう答えている。

「U-17ワールドカップでプレーしてヨーロッパでプレーしたいと思った、その感覚を信じて良かった。10代でヨーロッパに飛び出してきたことは絶対に間違ってなかったと思います」と。

ただ一つ悔いがあると語る。それは英国強豪のアーセナル在籍時、「ものすごいレベルの高いチームで、メンタル的に負けないでほしかったなあ」と、まったくミスのない選手たちに囲まれて凄い緊張感の中でのトレーニングの日々、たまに逃げてしまう自分がいたりしたのだと。「そういう困難な状況に意味があったんだ」というのが彼のつかんだ教訓だ。

まだ25歳、「何も成し遂げていない。ここからだと思います」が現在の宮市亮だ。

私も50年前、「革命家になる」とよど号で朝鮮へ飛んだ、その年の秋に帰国して70年安保決戦を闘う予定が「政治亡命者」として朝鮮で50年を過ごすことになった。

私も自分の選択を「間違っていなかった」と思うし、「何も成し遂げていない、ここからです」というのも同じだ。

宮市君は25歳、私は「古希+2」、宮市亮君を応援しながら老骨に鞭打って私もがんばりたいと思う。