【今月の視点】朝米対話に敵対した日本政治の総括が問われている

小西隆裕

戦争と敵対から平和と繁栄へ、東北アジアの時代的転換と朝鮮半島の非核化をめぐる朝米の対話は、先の第二回朝米首脳会談の物別れをもって第一段階は終わった。それが第二段階に進むのか、それとも対話自体の終息に終わるのかは、未だ不明である。

ただ、日本としては、この対話に対しどうだったか、それが日本にとって何を意味したかについて総括しておく必要があるのではないだろうか。それを離れて、今後の朝米関係への正しい対応などできないと思うからだ。

歴史的な朝米対話の全期間、東北アジアの当事国でありながら、「蚊帳の外」に置かれた日本は、「蚊帳の中」に入るため、自ら努力するのではなく、拉致問題をはじめすべての問題の解決を全面的に米国に依存しながら、第二回朝米首脳会談の物別れに対しては、それを悲しむのではなくむしろ喜んだ。

こうした一連の行動により、日本にもたらされたのは何か。それは、何よりもまず、対米従属の一段の深化に他ならないと思う。

この間、安倍政権の対米従属は、世界のひんしゅくを買うまでに、決定的に深まった。拉致問題を自ら解決するのではなく、全面的にトランプに依存するようにしたこと、種子法、水道法など、日本経済の運営権を地方・地域の末端から米国に売り払う道を開く一方、日本の自衛隊を、「いずも」のF35B小型空母化など、米侵略武力の補完部隊に改編して米覇権軍事に組み込み、日本の経済も軍事も東北アジア全域への米ファースト覇権を支え補強する補完物に転化したこと、等々、日本は、もはや米国の前に国としての体をなさないまでになっている。

日本にもたらされたもの、それは次に、日韓、日朝関係の最悪化とさらなる悪化だ。

隣邦、南北朝鮮は、日本にとり、もっとも友好親善が求められる国だ。その関係が、歴史認識を改めないままに、悪化するだけ悪化し、今や手の施しようがないまでになっている。

悪化しているのは、南北朝鮮との関係だけではない。米覇権を背に負って、アジアと世界に覇を唱える日本と各国との間にも、かつてなく冷たいものが流れている。

事態のこうした進展を前に、日本には、今、朝米対話にどう対して来たのか、深刻な総括が求められていると思う。だが、安倍政権にこの総括を求められるだろうか。到底無理だと思う。そして残念ながら、これまでのこの問題への野党勢力の対応を見る限り、彼らにも無理かも知れない。この時代的要求に応えられるのは、唯一、日本国民自身しかいないのではないだろうか。

ここでも、国民が主体となって政党、政治を動かす「新しい政治」が求められているのではないかと思う。

時あたかも、安倍政権に反対する政権交代への国民的動きが生まれてきている。

この日本政治のあり方を問う闘いにあって、いまだ朝米対話をめぐる日本政治の総括について問題にされたという声は聞かない。

今こそ、国民の側からのこの問題への問題提起が求められているのではないだろうか。

国民主導の「新しい政治」を創り出していく上でその重要さが増していると思う。