魚本公博
NHK「英雄たちの選択」という歴史ものの番組、3月7日の放送では立花宗茂を取り上げていました。
立花宗茂は朝鮮の役の時、碧蹄館(ヘキテイカン)の戦いで数万の明軍を相手に果敢な突撃戦を敢行して敗走させた猛将。関ヶ原の戦いでは西軍に属し大津城を攻略した後、関ヶ原に急行する途中で敗北を知り、大阪城に引き返し籠城戦を主張したわけですが、籠城すべきだったか、柳川に帰るべきだったかというのが「選択」の論議でした。
難攻不落の大阪城に籠城すれば絶対勝てたという人が多い中、宗茂は権謀術策できない人だから、籠城しても家康にやられただろうという人が居て、意外な視点からの考察に、「なるほど」と唸らされました。
歴史番組の面白さは、新たな資料が発掘されたりして、人物も含めて評価が変化し深まった歴史研究の「今」を知ることができることです。歴史好きの私、日本にいれば色々な文献、新評価など直ぐに分かるのでしょうが、何しろ朝鮮在住の身ではそれが出来ません。そこで歴史番組。「英雄たちの選択」以外にも「偉人たちの健康法」「歴史鑑定」など、新たに触発されることも多いです。
今回の番組では、次の逸話が心に残りました。あるとき細川忠興が宗茂に聞いたそうです。あなたの軍勢は何故あんなに強いのか、さぞかし猛訓練しているのでしょうね、と。宗茂、答えていわく「そういう訓練は別にやってない。ただ私は考えていることを全て部下に話す。夢に見たことまで話すので、下々まで私の考えをよく分かっている」と。
私が知ってる宗茂像は、その勇猛果敢さと共に、二人の父のこと。実父は高橋紹運、婿入りした先の義父が立花道雪。二人とも島津が九州制圧戦に乗り出し大友家の衰退著しい中、共に助け合いながら、大友家を支え続けた名将たち。高橋紹運は、その名を惜しんだ島津が破格の報酬をもって降伏を勧めたのに対して「名を汚さず」として応じず大屋城(福岡県)で家臣と共に散った人。一方の道雪には息子がなく、娘に家督を継がせるという戦国時代にはありえない処置をして、宗茂を婿に迎えたわけです。
この番組では島津の名将・島津義弘と懇意であり互いに起請文を交換する仲であったことも紹介されていました。義弘は宗茂にとっては、いわば「父の仇」。それなのに信頼できる人物と見れば過去のわだかまりを捨てる。番組では、それを「柔軟な人」と評価していましたが、それだけではない人物の大きさ、誠実さを感じました。
関ヶ原で西軍に属して取りつぶされた家は50数家、そのうち旧領回復を果たしたのは宗茂だけだった(20年後に柳川に復帰)そうで、番組では「こういう人は、周囲が捨てておけない、助けたくなるものなのです」とも評していました。
歴史番組は、本当に面白くためになります。