うわすべりのリベラル、何が問われているのか

魚本公博

今、「富山=北欧論争」なるものが起きているという。地方問題に関心を持ち、「議々論々」欄でも、しばしば地方問題に関して議論提起している私としては大いに興味をそそられる論争である。これについて社会学者の小熊英二さんが朝日新聞の論壇時評欄で「リベラルは上滑りなのか?」と題して、この論争について評論していた。

それによると、財政学者の井出英策さんが昨年8月に「富山は日本のスウェーデン」という本を出し、「(富山など)北陸は、出生率や女性労働率が高く北欧に似ている」として、北欧は、地域に残る家族的、共同体的な風土、慣習のようなものを生かしているのであり、日本もそうすれば経済も好循環すると主張する。それにもかかわらずリベラルは、そのことを評価せず、後ろ向きに対応してきたとして「リベラルの議論がどうしてもうわすべりな感じがして仕方ないのは日本社会の根底にある土台、風土、慣習のようなものとその上に据えられる政策とがうまくかみ合っていないからではないか」と指摘したことから、論争が起きているということである。

これに対して、小熊さんは、疑問を呈する。「主張はよく分かる。だが私はそんなに都合よく地域慣習を改造できるのか疑問」と。そして、当の富山県の女性たちが「結局、女性が我慢して何とかやってるだけ」(週刊金曜日の座談会)という声を紹介し、さらに「地域を改造するべく地道な努力を重ねてきた地元のリベラルな活動家や地方議員は一方的に愚か者扱いされたと感じる人が居ても不思議ではない」と指摘する。

井出さんの主張「All for All」などが全世代型社会保障などの論拠にされていることへの批判はあるが、「日本社会の根底にある土台、風土、慣習」のようなものの中に「共同体の原理」があると見、それを現代に生かそうという主張に私は賛成である。

そこから見たとき、井出氏が問題にする「リベラル」と小熊氏が擁護する「リベラル」は違うのではないかと思う。

井出氏は、地元で頑張っている活動家、議員が自身の活動の中で地域の共同体的なもの(「もやい、結い、手伝い、寄り合い、頼母子(講)、入会(権)などなど」に直面し、それを排斥するのではなく、それを取り入れた形で地域振興などに努力していることを評価している。