若林盛亮
いつもサッカー談義ばかりで愛好家以外は面白くないと思うので、今回は私の村の生活風景を。
この時期、私は「花咲か爺さん」と「梅干し爺」になります。
「梅干し爺」という言葉はありませんね。「しわくちゃ爺」ではなく梅干しを作る爺という意味です。朝鮮に梅がなく杏(あんず)を使うので、正確には「杏干し爺」です。
まずはお花から。
子供たちのいる頃からアパート前の花壇に子供と一緒に松葉ボタンを植え始めたことが起源です。松葉ボタンは幼い頃から私の家の裏庭に植えていたので懐かしい花です。いまは訪朝団用の宿舎の上り坂にある石垣上に約20mほどの長く帯状の花壇を作り、毎年、そこに松葉ボタンを咲かせるのです。
4月下旬頃から種まきが始まります。松葉ボタンの種は粒が風にも飛ぶような微細で均等にまくのに苦労します。また苗床用のピートパンは買うほどでもないので手作り。本葉3~5枚に育った頃、花壇に移植、300余もの苗の移植もけっこう大変。
こうして丹精込めただけに可愛い花々をつけるまで毎日通るときは花壇を点検、雑草はその都度抜くなどの手入れ、長いホースを水道から引いて朝夕二回、水やりをします。
いまようやく花が咲き揃い少し花壇らしくなり、7月中旬~8月頃には一面の赤、ピンク、黄色、白、橙あるいは八重咲きの花々が帯状に花絨毯となる絶景に。
「花は芸術だ」! です。
見頃の夏、「LIFE」で写真をお見せしますので、ぜひ閲覧品評会をやってくださいね。
8月に「村」を日本から訪れる方々には花絨毯の絶景を楽しんでいただきたいものです。
魚本が「よど農場管理委員長」(実質、彼一人が作業)ですが、夕暮れ時にバケツにスコップ、鎌、ホミ(朝鮮の小農具)を入れて畑に通うのが「何やることがあるんだろう?」と不思議でした。でも花咲か爺になってみると、父親が帰宅後に幼子の成長ぶりを毎日のぞき見るように、花壇の花々の具合加減を見ることが日課になるのです。
「愛」ですよねえ。
あと梅干し爺の話をちょっと。
杏は「村」にもいっぱいできるので原料には困りません。いちばん大変なのはカビ防止。杏は梅ほど水があがってこないので、空気に触れる部分はどうしてもカビが生えます。これを防止するために冷蔵庫に入れます。大きなカメは1個しか収容できないので冷蔵庫は宿舎の1個を使わせてもらいますが、あと二つのカメは昨年残して置いた梅酢を補充して漬けた杏がすべて浸るようにします。
後は「村」に自生する紫蘇ができる頃、それを漬け込み香りと色を付ければいいだけ。最初の漬け込み作業以外はさして労力はかかりません。こちらも水の上がり具合など、つい毎日のぞきこみたくなります。
松葉ボタンも杏干しも要は“All You Need Is Love”! 「愛こそすべて」!
口の悪い「村」のyobo_yodoらに言わせると、「人間にもそれくらい愛を注いだら?」だそうです。