議々論々 2019年8月号

「トランプ流外交」

小西隆裕 2019年8月20日

先日、「トランプ流外交」をテーマにテレビ討論がやられていた。

朝鮮、イラン、中国などを相手に展開される型破りの「トランプ流外交」をどう評価するか。

出席した三者は文字通り三様の見解を述べていた。

K氏は、トランプらしい、トランプ独特の外交だと評価した。

これに対し、M氏は、あんなのは外交とは言えないと全面否定。N氏も、あれは自己陶酔だとそれに続いた。

三者三様のこの三氏に共通していたのは、「トランプ流外交」には戦略がない、だった。その論拠は、対朝鮮、イラン、中国外交の一貫性のなさに置かれていた。だから、「外交とは言えない」だし、「自己陶酔」だし、「トランプらしい」だということだった。

しかし、この「論議」には問題があると思う。それは、その「論拠」とされていること自体にあるのではないだろうか。

すなわち、トランプの対朝鮮、イラン、中国外交には貫かれているものがないのではない。あるということだ。それは「ファースト覇権」に他ならないのではないだろうか。

グローバリズムによる覇権が破綻した今日、米国は、「ファースト主義」による新たな覇権を画策してきている。

それが、「米中百年冷戦」であり、イランへの強権の発動だ。

では、朝鮮の非核化に対しては、どうしてあれほど「甘い」のか。

それは、イランとは違い、朝鮮が核とミサイルを持ってしまったからだと思う。核とミサイルを持った朝鮮は、それを手放すことは絶対にない。だから、朝鮮に対しては、「改革開放」で溶かし、資本主義化、米国化して米覇権の下に取り込み、対中国包囲網を強化しようということだ。これが米ファースト覇権戦略でなくて何であろうか。

今日、「トランプ流外交」は、統一した整合的なものとして展開されていない。

しかし、それをもってこの「外交」に戦略がないとは言えない。それは、各国の自国の国益第一を認めながら、力と強権でアメリカ・ファーストを押しつけるこの覇権自体がもつ本質的な矛盾に起因しているからだ。

「トランプ流外交」がトランプとポンペオ、ボルトンなど要人たちの互いに矛盾する言動で推し進められているのもそのために他ならないと思う。

今、問われているのは、「トランプ流外交」の「支離滅裂」にあきれているのではなく、このトランプ・ファースト覇権戦略にどう向き合い、それとどう闘うかではないかと思う。

深刻化する日韓対立の打開のために

赤木志郎 2019年8月20日

日韓関係をどうすべきかという問題は、目先の日韓対立に目を奪われるのではなく、大局からとらえ、どうすべきかを考えることが重要だと思う。

大局とは、平和と繁栄の東北アジア新時代の前進だ。ここに日本がどう位置をしめ役割を果たしていくかという問題と離れて、日韓問題もありえない。

平和と繁栄の東北アジア新時代を実現するため解決すべき問題の中で、日朝国交正常化や日ロ平和条約、様々な領土問題などがあるが、核心は南北の融合と協力、統一だと言える。

南北の分裂がこれまで東北アジア地域で戦争と敵対の主な要因となってきた。南北の融和と協力が進み、統一が実現されれば、朝鮮半島で戦争がなくなり、日本にとっても平和と繁栄の時代を迎えていくことができる。

南北の融合と協力、統一の進展を支持し、これに日本が南北朝鮮との友好関係を発展させていくことが、平和と繁栄の東北アジアを築く上での日本の地位と役割だと思う。

今、安倍政権が行っていることは、わざと歴史認識で開き直って韓国を攻撃し、アメリカの覇権の手先になっていることであり、それは平和と繁栄の東北アジア新時代の潮流に逆行するものだ。

日韓関係の悪化にたいし、あくまで平和と繁栄の東北アジアの実現にいかに寄与していくかという立場から、日朝・日韓関係の改善・発展を追求し、南北の融和と統一に協力していくことが何より日本に問われている事だと思う。

南北朝鮮は日本にとって最も近い隣国であり、歴史的にも文化的にも深い関係がある国だ。それゆえ、南北朝鮮との友好関係を発展させ、かつ南北の統一に寄与していくことが、日本の平和と繁栄を保障し、平和と繁栄の東北アジア形成に貢献していくうえできわめて重要だ。

東北アジアの平和と繁栄のため、日本の平和と繁栄のために、日韓関係を新たな友好と協力の関係に築いていくことだと思う。

韓国との友好関係を築く上で、歴史認識問題が大きくある。歴史認識問題も友好の立場ではじめて解決していくことが出来るのではないだろうか。

安倍政権は「賠償は解決済み」だとして、文大統領が指摘するように「加害者が居直って大声を出」し、日韓の対立と亀裂を意識的に作り出している。少なくとも韓国側からはそう見えるだろう。「韓国経済の生死を決めるのは日本であることをわからせなければならない」(ネット媒体)のような論調は、過去の歴史を隠蔽し、アジア諸国からの孤立を深め、結局、日本のためにならない。

日韓友好関係を改善、発展させようという立場でこそ、歴史認識の違いをいかに埋められるかを追求し、その中で日本自身の反省も深めることができる。植民地支配の反省と謝罪の問題は、加害国が被害国の言い分と気持ちを聞き入れ理解し、それを真摯に受け入れることから始まると思う。

人を殴っておいて心からの謝罪なしに仲良くするというのはありえないではないか。かつて日本が朝鮮を蔑視し、植民地にしたことを直視し、多大な被害を与えたことを心から謝罪することが、道義的にも国としてももっとも重要なことだと思う。

「ねじれ」をどう解消するかの闘い

魚本公博 2019年8月20日

8月15日。この日を迎えながら、5月に亡くなられた文芸評論家の加藤典洋さんの「敗戦後論」について解説した記事を見かける。

加藤さんは、戦後日本は「ねじれ」ており、それを無自覚なまま放置してきたと指摘する(文外には、それを解消すべきだという意志がある)。

その「ねじれ」は、様々に指摘されるが根底的なものは「安保」と「憲法」ではないだろうか。それは、日本の国のあり方が、この二つによって規定され、両者は全く相矛盾する「ねじれ」た存在だからだ。憲法は、二度と戦争はしないという絶対平和をうたったもの。安保は、米国の軍事力に依存して、それに服務するという軍事同盟であり、両者は明らかに「ねじれ」ている。

この「ねじれ」は日本の政治、社会のあり方、人々の心理・精神状態に至るまで、規定的とも言える大きな影響を及ぼしてきた。それにもかかわらず、これを「無自覚なまま放置」してきたのは、この「ねじれ」体制の下で、日本の「平和と繁栄」という幻想があったからであろう。

米国も自らの覇権戦略にそれを大いに利用してきた。東西冷戦では西側陣営のショーウィンドーとして。その後もグローバリズム、新自由主義の優等生として。しかし今、覇権力を減退させた米国は、日本の「平和と繁栄」を許さない。トランプ政権は、経済でも、軍事でも日本は米国にもっと従属しカネを貢げ、軍事力も出せと露骨に言ってきている。

すなわち、日米貿易交渉と安保見直し。それに唯々諾々と従う安倍政権。貿易交渉では農業を犠牲にし、安保問題では改憲を明確に打ち出してきた。それは、「ねじれ」を米国の要求に従って国民を犠牲にしながら「解消」しようというものである。

そのようなものは、決して「ねじれ」解消にはならない。今、問われているのは、日本国民の平和と経済的利益を守るという「ねじれ」解消である。「平和と繁栄」の幻想はとっくに過ぎ去り、正に「れいわ新選組」の山本太郎さんが言うように「死にたくなるような社会、やめましょうよ」というような現実の中、それは切実である。

米国の利益に合う「ねじれ」解消か、国民の利益に合う「ねじれ」解消か。今、それが問われていると思う今年の8・15である。

社会保障について考えるー障害当事者の訴えに耳を傾け、その実現を

若林佐喜子 2019年8月20日

7月の参議院選挙で、山本太郎さん代表の「れいわ新選組」から特定枠の2人が当選。

今回、提起された問題は、ALS(筋萎縮性側索硬化症)患者の船後靖彦氏、重度障害者の木村英子氏は、障害者総合支援法に基づく「重度訪問介護」(国と自治体が費用の大分部を負担する)を利用しており、介助者によるサポートを24時間受けている。しかし、厚生労働省は告示で、運用ルールでは主に自宅利用を想定しているとして、通勤や仕事中は対象外としている。

木村氏は、当選後、重度障害者の職場での介護費用を公費で賄えるように求めていた。

参議院運営委員会は7月30日、理事会で2人の国会内での介護費用について、当面、参議院が負担することを決めた。今後、重度障害者の職場での支援についても、早急な制度の見直しを政府に求めることで一致したとのことである。

木村氏自身と「れいわ」は、介護費用を職場とみなされる参議院が負担することに否定的で、運用ルールを変えて公費負担とするように求めていた。理由は、現状では資金に余裕がある職場でしか重度障害者が働けなくなる懸念があるため、公費負担の対象を職場に広げることで重度障害者が働きやすい環境を整えるきっかけにしたいと考えている。

参議院負担の決定を受け、木村氏は「この大きな問題を改善していくために、国会の中で頑張って取り組んでいきたい」と語っていた。

気になるのは、当面、参議院が負担するとの決定に、維新が「反対」を表明したことである。

第一は、「参議院は国民の税金を何だと思っているんだ」(松井一郎市長)。ということだが、

国民の税金を重度障害者の介護保障に使うことのどこがいけないのだろうか。

第二は、橋下徹氏は「「福祉とは、障害があるなしにかかわらず、所得のある人が支える側に回ること。国会議員の年2200万円の報酬、その他文通費年1200万円や政党交付金年5000万円の収入を考えれば障害があっても国会議員であれば支える側に回ってもらうしかない」と。しかし、今、重度障害者が求めているのは、障害者が(公費負担のある)重度訪問介護サービスを使って就労するということであり、問題のすり替えである。

木村氏、船後氏が障害当事者として訴えているのは、公費、国が責任をもつ社会福祉、社会保障の実現である。

国と民族

小西隆裕 2019年8月5日

先日、テレビ討論を観ていたら、ある韓国人の論者が「文在寅大統領は、民族主義者だ。韓米日に基づく国益のことは考えていない」と言っていた。

そこで思ったのは、国と民族の関係だ。

「民族のことは考えているが、国のことは考えていない」。

果たしてこれは成り立つことなのか。

国があって民族があり、民族があって国がある。

もちろん、国を持てていない民族もあるが、

普通、国と民族とは不可分一体なのではないか。

実際、今問題になっている「日韓問題」にしても、

「文在寅大統領は、徴用工問題という民族問題を重視するあまり、日韓問題という国益問題を犠牲にしている」とは言えないと思う。

「徴用工問題」も「日韓問題」も、どちらも同じく、民族問題であると同時に国の問題、国益問題なのではないだろうか。

事実、「徴用工問題」で、日本による植民地支配を問題化し、民族としての彼ら自身の尊厳を守ることは、日韓の国と国との関係を正すという韓国にとってもっとも鋭い国の問題、国益問題に他ならないのではないかと思う。

国益問題は、貿易など経済問題だけではない。

尊厳問題など、より重要な国益問題もあるのではないか。

日本側の今回の輸出規制に対する韓国の人たちの怒りは、単純な経済だけの問題ではないと思う。

かんぽ不祥事に思う

魚本公博 2019年8月5日

最近、日本郵便傘下のかんぽ生命保険の不祥事が明らかになった。保険の乗り換え時に顧客が不利益を被った事例が今年3月までの5年間で2万3900件見つかり、その他にも二重払いさせられた事例が2万2000件見つかったことなどである。

それは、それで大問題であり、そうした強引な勧誘、ずさんな管理を早急に正し不正を生み出す体質を改善することは急務であろう。

だがしかし、この問題には米国金融の陰をみなければならない。元々、小泉内閣時の「郵政民営化」は、郵政が保有する、郵便貯金、かんぽ保険などの1000兆円を超える巨大な資金を市場に出して我々も使えるようにせよという米国金融の要求に基づいていた。

それによる郵政民営化。その後、随分目減りしたが、未だに郵便貯金やかんぽ保険は、巨大な資金を保有している。これをさらに弱化させつつ、その資金を市場に出せとの米国金融の要求が、この事件露呈の背景にあることは明らかである。

新聞各紙を見れば、そのような背景説明は皆無。マスコミがこのような「米国隠し」をしてはなるまいし、それでは問題の本質を知らせることはできないであろう。