始めまして
こんばんわ。
自分は平成8年生まれの23歳の男です。
日本赤軍事件を知ってからよど号ハイジャック事件を知りました。
幾つか質問させて下さい。
1、韓国から北朝鮮に到着してから保護されるときは怖かったですか?
2、今現在の生活は楽しいですか?
3、今、事件を振り返ると自分達が起こした事件は間違ってたと思いますか?正しいと思いますか?
皆さんが帰国する意思が本当だと自分は信じています。帰国できるといいですね。
お返事
関心をもって質問くださりありがとうございます。4人がそれぞれの質問に答えました。
1、韓国から北朝鮮に到着してから保護されるときは怖かったですか?
(小西)
まったく怖くありませんでした。
その理由の一つは、もともと私自身、朝鮮は日本でもっとも悪く言われている国だから、われわれにとってはもっともよい国だ、と思っていたからです。
もう一つの理由は、私自身、朝鮮に着いたら最初は拘留されるだろうと覚悟していたからです。
(若林)
金浦を飛び立って平壌までの「よど号」機内で、金浦の緊張感が解けたこともあって虚脱状態というか、「何の約束もない地に行く」という現実を前にしてなのか、何かどんよりした不安感に陥ったことを覚えています。到着してからは平壌ホテルに案内されたりしたので、不安も恐怖もありませんでした。
(赤木)
保護されるとき怖かったというより、追い返されるのかを心配しました。だから亡命者として入国を許可するという話を聞いて、ホッとしました。
(魚本)
一番恐れたのは、強制退去・追放でした。だから政治亡命者として受け入れると言われた時はホッとしました。
2、今現在の生活は楽しいですか?
(小西)
楽しいです。
特別、楽しくてしょうがないと思いながら毎日を送っているわけではありませんが、皆に支えられ、自分の意思で、「よど号問題」見直し帰国の実現を目標に生きているので、改めて「楽しいですか?」と問われれば、「そうです」と答えたいと思います。
(若林)
私たちのホームグランドは日本ですから朝鮮にいるということは不本意な生活ですが、日常的な仕事や生活は「楽しい」というと語弊がありますが、けっこう忙しくやってます。サイト、ツイッター、寄稿など文章活動を中心に仕事への反応はイマイチですが、趣味のサッカーで英プレミアのリヴァプール応援や音楽、BS放送で懐かしい京都の景色やスポーツ、映画など楽しんでます。
(赤木)
50年ですから喜怒哀楽のあった日々でした。楽しいといえば、今回のようにご質問をくださるなど国内の人とのやりとりをしたり、私が書いた文章に反応があったとき(あまりありませんが)、非常に嬉しく思っています。
(魚本)
6人だけの小集団なので、ともすれば固苦しく無味乾燥になりがち。そこで「楽しい生活」を意識的に考え、色々やっています。
3、今、事件を振り返ると自分達が起こした事件は間違ってたと思いますか?正しいと思いますか?
(小西)
間違っていたと思います。
もともとハイジャックというものは、乗客の皆さんを犠牲にして自分たちの目的を達成しようというものです。そういう意味で、私たちが行った「よど号ハイジャック」も間違っていたと思います。
(若林)
いまは赤軍派のやり方が間違いだとわかりますが、当時は、退潮に向かう運動を再生させる道は「これしかない」と自分で考え選択したことであり、その意味で後悔はありません。間違いを犯さない人間はいない、けれど間違いから教訓を汲むことができるのも人間ではないでしょうか。失敗さえも力に換える自力更生力を養うこと、これはとても大切なことだと思います。
12月5日に「追想にあらず」という赤軍派誕生50周年を記念して講談社エディトリアルから出版されます。私たちも手記を寄せています。ご笑読くだされば幸いです。
来年は「よど号ハイジャック闘争50周年」、なにかイベントが国内で開催されるかと思います。こちらの方もよろしく。
私が朝鮮に来た歳が貴方と同じ23歳、貴方がよき人生を開いて行かれることを願っています。ご声援、とてもありがたく思います。
(赤木)
もちろん間違っていました。自分を特殊な存在と考え、庶民のことを考えていませんでした。誰のために「革命」をやるのかが分かっていなかったのです。
(魚本)
乗客を人質にして目的得を達成しようとしたことは、弁解の余地なく間違っていたと総括しています
以上です、何か参考になれば幸いです。どうかお元気で。