アジアの内の日本 2019年11月号

「協力と対話の場」に「対抗」を持ち込む「アジアの外の日本」

若林盛亮 2019年11月20日

私たちの「アジアの内の日本」の主張は、「アジアの外の日本」からの脱却を願うものだ。

ピョンヤンに大使館街があるが、アジアで大使館がないのは日本くらいだ。理由は、いまだに朝鮮と戦争状態にある米国の「同盟国」=朝鮮の「敵対国」だからだ。これは「アジアの外の日本」の一表現だ。

「アジアの外」という日本の立ち位置は、米トランプ政権の新アジア戦略において「第一の同盟国」と位置づけられていることにも象徴されている。

米国防総省は6月、「インド太平洋戦略」を米国の新アジア戦略として発表した。ポンペオ米国務長官は8月に開かれた東南アジア諸国連合(ASEAN)外相会議で「自由で開かれたインド太平洋」構想への協力を訴えた。しかしASEAN諸国の賛同を得られなかった。

逆にこの会議でASEANは、インド太平洋地域を「対抗ではなく協力と対話の場」とする独自構想を採択した。米国の新アジア戦略が、中国を「米中心の国際秩序の修正主義勢力」と規定し、中国に「対抗する」覇権秩序をうち立てるというものだからだ。

11月開催の東アジアサミットとASEAN首脳会議にトランプは欠席した。米・新アジア戦略が受け入れられないとわかるからだ。

そんなアジアの中でわが日本は、米トランプ政権のインド太平洋戦略において「第一の同盟国」と位置づけられている。

昨年、閣議決定された小型空母など「自衛隊の敵攻撃能力保有」を骨子とする新防衛大綱は、「米国のインド太平洋戦略を支えるもの」と説明されている。これはインド太平洋地域を(中国との)「対抗の場」とするという日本政府の態度表明であり、ASEAN諸国の「協力と対話の場」とする構想に真っ向から対立するものだ。

この一事を見ても、日本はアジアの外にいる。

フィリピン残留日本人2世問題

赤木志郎 2019年11月20日

日本はアジア全域で戦争をおこない、その過程で、多くの日本人が現地に渡り、現地の女性との子供が生まれている。とくにフィリピンでは敗戦時の混乱で国籍を取得しえないまま、日本人2世が反日気運が強い社会の中で今日まで世から隠れるように生きざるをえなかった。

問題は無国籍だから国の保護を受けることは出来ないでいることだ。すでに平均年齢が80歳を超えている。その数、1069人にも達している。幾度も来日し日本政府に訴えたが、解決されないでいる。

たとえ確実な書類がなかったとしても証言などで、日本人であることを認め、国籍をもてるようにし、国の保護を受けられるようにすることが、国としての責任であると思う。中国残留孤児の場合、国策で移住を奨励した事情もあって重い腰をあげたが、フィリピンの場合、個人で渡航したと日本政府は冷たい態度だという。

敗戦時に混乱の極にあった事情を考慮し書類はなくても、国策であったか否かに関係なく、まず日本人であるゆえ、国の基であり使命でもある国民の一員として大切にすることこそが国の責任だと思う。

与野党議員が拍手-障害者の当事者参加への反響から

若林佐喜子 2019年11月20日

先日、重度の障害がある木村英子参院議員の国会での初質問の新聞記事を目にした。

当事者の立場からバリアフリー化の重要性を訴え、とてもインパクトがあった。

話すこと以外、生活のすべてで介助が必要な木村氏にとり、「バリアーの多い人生でずっと抱えている問題」の一つがトイレ問題。当事者の体験から、高齢者や子供連れも利用できる多機能トイレについて取り上げ、「それぞれのニーズにあわせたトイレを複数つくるべきではないか。」また、「スペースの狭さ」を指摘した。

そんな当事者からの質問と指摘は、国土交通大臣から「良かれと思ってしたことが、結果として障害をもった方に良くないことはある」「見直すように指示したい」との答弁を引き出した。さらに大臣自らが「バリアフリーが当たり前という視点でやっていかなければ」と発言した。

そもそも介助が必要な重度障害の議員が国会質問をすること自体、皆、初めての体験だ。与野党は、木村氏の質問を前に、体調不良になった場合は秘書による代読を事前に確認し、木村氏が無事に質問を終えると与野党議員から拍手が起きる場面もあった。

7月の参院選では、「生産性ではなく、存在しているだけで人間は価値があるんだ!」「この国に欠けているのは愛と金だ!」との「れいわ新選組」の訴えに、「生きづらさ」を抱える人たちが賛同した。そんな彼ら、彼女らが木村氏、難病患者の船後氏を当選させ国会の扉を開かせた。

当事者2人の国会参加は、議会のあり方、見直しを迫り、参院は大型車椅子向けに本会議場の議席の改修などと、同時に議員らの意識改革も問うようにした。その第一弾が、障害者が(公費負担のある)重度訪問介護サービスを使って就労する問題が提起され、当面は参院で負担し、いずれ法改正が必要と確認。今回の当事者の初質問をめぐっても、議員や政府側の対応に変化が現れはじめている。

今、日本社会で、生産性ではなく存在しているだけで人間は価値があり、ひとりひとりが大切にされる政治が求められ、国会でもその思いが少なからず受け止められていっていることを感じさせられた。