アジアの内の日本 2020年3月号

よど号渡朝(HJ)50年目に思う-幻に終わった“70年安保決戦”、あれから50年「日米同盟見直し」の時!

若林盛亮 2020年3月20日

新型コロナウィルス感染拡大の脅威の渦中にあるこの3月31日、私たちはよど号渡朝(HJ)50年を迎える。

私たちのよど号ハイジャック、渡朝闘争は、「労働者国家」朝鮮を国際根拠地とし軍事訓練を受けて秋には帰国し、首相官邸占拠?前段階武装蜂起を担い“70年安保決戦”を世界革命戦争の突破口とする、これが目的だった。しかし“70年安保決戦”は敗北、それは幻に終わった。日米安保改訂阻止は成らず、安保決戦敗北以降、日米安保は自動延長となって、日米同盟基軸が今日までの日本を規定するものとなった。

幻の“70年安保決戦”から50年、今年は日米安保同盟も還暦、条約締結60年となるが、時代の様相は大きく変わった。

最近の読売新聞に興味深い記事が二つ出た。

一つは「トランプ流安保」と題した「ジャパン・ハンドラー」と言われるアーミテージ元・米国務副長官(ブッシュ政権)の論文。

要約すれば、トランプ時代になって世界のリーダーとしての米国の信頼は地に堕ちた。「安保破棄」をちらつかせながら駐留経費負担増を迫る「トランプ流安保」に備えた「プランB」を日本は準備すべきだろうという論だ。従来の日米同盟、米国依存一方だった「プランA」に代わる案を日本は持てということだ。

二つは「ユーラシアと一帯一路」と題したケント・カルダー教授(米ジョンズ・ホプキンズ大学、元・駐日米国大使特別補佐官)の論文。

彼の主張は次のようなものだ。中国の「一帯一路」路線が東はロシア、西はドイツまで延びて、ユーラシアは一つの世界政治を左右する大きな政治経済的な戦略的地域になる。それは米国の居場所のない地域になり、中国の支配する地域になりかねない。だから米国の代理人として日本は同じ価値観を共有する欧州やインドと協力し、この地域を「法の支配」(市場経済、自由競争の法秩序)する米国式国際秩序を確立する役割を担うべき、米国はそれを後押しするという論だ。

これをいちいち論じる余裕はないが、彼らの論で明らかになるのは次のことだ。

第一は、戦後世界に君臨した国際秩序のリーダー、覇権大国としての米国の弱化、地位低下は、米国支配層自らが認める現実となったということだ。

第二は、日本が米国を補完する役割を担えというのが「同盟国」米国の要求だ。

アジア及びユーラシア地域では「市場経済、法の支配」など米国式価値観が支配するようにリーダーシップを発揮することで、日本が米国を補完せよということだ。

また軍事的にはトランプ安保が要求するように、日米安保の「破棄ではなく改訂」「同盟の進化」をやること、「米軍の戦争をTVで見ている」同盟者ではなく、自衛隊が専守防衛「盾」から敵基地攻撃能力保有の「矛」の役割を果たす同盟者になること、「九条改憲の日本」になれということだ。

明確なことは、戦後日本が「享受」してきた「米国についていけば何とかなる時代」はすでに終わったことだ。

これにどう対処するかを米国に問われるまでもなく、われわれ日本人が自分の頭で考え結論を下すべき、そんな時代にわが国は直面している。

「日米同盟の見直し」、そして「米国でも中国でもない自分の道」、「アジアの内の日本」を私たちは主張していく。それが五〇年前、“七〇年安保決戦”敗北の世代の使命だと思う。

新型コロナウイルスで老人は死ねと言うのか

赤木志郎 2020年3月20日

新型コロナウイルスが欧州、アメリカで急速に拡大し,世界的流行となっている。パンデミック宣言はその表れの一つだ。一方、感染者が多かった中国、韓国は急速に減少している。わが日本はどうか。周知のように、急速ではないが全国に拡大している。

WHO事務局長が「検査、検査、検査だ」と強調しているように、一番、重要なのは検査だ。無症状感染者が多いなか検査をしてこそ感染者を隔離でき、かつ治療でき、感染拡大を防ぐことが出来る。

ところが、安倍政権のもとでは。肝腎の検査については、疑いがあってもやたらに病院に行くなという始末だ。実際、検査が手続き上複雑でなかなか受けられない。韓国が一日1000件以上の検査をおこなっていったのにたいし、日本では100も満たない。そのため無症状感染者を把握できず、感染拡大を許してしまっている。対策として経済支援ばかり云々しているが、経済と人の命のどちらが大切なのか。

日本では死亡率が低いと言っているが、検査しないから通常の肺炎で死亡したのかコロナウイルスによる肺炎で死亡したのか区別できない。検査をしないで感染者の数を抑えようとしているのが見え見えだ。実際、肺炎で死亡した老人が死後、コロナ感染者だと判明している例がある。

国家的に検査体制を確立せず、自宅で療養するように言っているのは、責任は国民一人一人に押しつけ、国民の生命を守る国家としての責任を負わない考え方にあると言わざるをえない。ひどいのは、感染が分かってもできることは変わらないとして、あたかも検査が無意味であるかのように感染専門家が述べていることだ。多くの学者とマスコミが安倍首相に迎合してしまっている。

新型コロナウイルスは感染力が弱く、若者は軽症で完治しやすいが、老人は重症になりやすい。自分で治せというのは、老人や有病者など死ぬ人は死に、若者など免疫力のある人だけが立ち直れると言っているのと同じだ。

昨年は、「全世代型社会保障」で70歳まで働けと言って国民の老後をなくしたとしたら、今年は、老人は死んでしまえということだ。

安倍政権は企業とオリンピックを優先させ、一般国民、とくに老人たちを犠牲にし、国民の生命を守る国としての責任がまったくない。日本には国がないのか。

新型コロナウイルス禍-押さえ込みに成功しつつあるアジア諸国の経験を

若林佐喜子 2020年3月20日

3月11日、世界保健機関(WHO)がパンデミック(世界的大流行)宣言してから10日間。コロナ感染者は、アジアをはじめ、イタリア、イラン、欧州、米国など、全世界で20万人を超え、死者は8000人(18日現在)と拡大の一途をたどっている。

そのような中で、WHOは、「検査に次ぐ検査を。疑わしいケースはすべて検査してほしい。」と、各国の検査体制の強化が必要という認識を示した。

韓国の検査数の多さと致死率の低さが世界から注目されているそうだ。韓国では、政府主導で、「皆が防疫主体」と位置づけ、「情報の開示」「国民の参加」「検査の拡大」に力を入れて取り組んできた。短時間でできる検査キット。車に乗ったまま受けられる「ドライブスルー検査」の発案と活用。これらは、早期に診断して拡散を最小化し、治療を迅速に行うことができ、死亡率を押さえることができる。米国での導入をはじめ、検査キット関連物品の輸入を要請する国が相次いでいるとのこと。

確かに、アジアの国々を見れば、台湾では初期段階で押さえ込み、すでに学校なども正常化して久しい。予断は許さないが、中国は押さえ込みに成功し工場などが稼動し始めている。マレーシアも、検査は雇用主負担で、検査・検疫期間中は有給という措置がとられている。朝鮮では国家存亡の重大な政治的問題として取り組まれ、その迅速性と徹底さで、すでに外国人の隔離措置は解除され、国内の人々(外国と関係をもった人、家族は自動的に30日間隔離)の解除も続いている。

検査は感染拡大防止や治療の基本であり、防疫体制の強化、徹底化がコロナ禍収束の重要な環だと思う。同時に、国民の生命と健康を守るため、国家存亡の問題として必ず克服するという当該国の強い意志と実行力を実感させられる。

安倍首相は、14日に、大規模な財政出動に踏み切ることを示唆し、16日夜のG7テレビ会談後、「東京五輪を完全なかたちでおこなう」と言明した。しかし、その言葉は空虚で力が感じられない。検疫体制の強化をどう押し進めていくのか、打撃を受けた経済、生活支援対策をどうするのかなど、具体的な収束策が見えてこない。

特に現場は、検疫体制にたいする国民の不安、疑問が高まっている。新型コロナウイルスの感染の有無を判定することは感染拡大防止や治療の基本である。にも関わらず、政府はその矮小化の方向で動いている。先日の国会では、政府専門家会議の副座長が、検査のハードルを上げていたことに医学的根拠がなく、政府方針(検査の相談をできる目安を4日ないし2日の経過観察とする)の改善を認めた。一刻もはやく検査体制、治療体制を整え、検査拡大策をとり、その必要性を国民に正しく伝え人々の不安をとり除いて欲しい。

アジア諸国の押さえ込みに成功しつつある体験に学び、コロナ禍に負けない日本の防疫体制、国作りに政府の関心と力量が注がれることを切に望みたいです。

新型肺炎禍、問題は「国」がないことだ

小西隆裕 2020年3月5日

「新型コロナウィルス」問題で、安倍政権の指導力のなさへの批判、非難が日を追って強まってきている。それは、この間の内閣支持率の大幅低下と不支持率の大幅増加に端的に現れている。

実際、米国やWHOの動きを見てから、それに沿って動き出す安倍政権の「コロナ」対策は、すべて後手に回って、朝令暮改の小出しの対策に終始し、大胆で決定的な防止策がとれていない。

そうした中、この問題に対する安倍政権の姿勢自体がひんしゅくを買っている。首相自身、自らが招集した専門家会議にわずか10分ほどの挨拶だけで臨み、後は、財界、マスコミ界などとの食事会。それに倣って、厚生労働相など閣僚たちも、会議には代理人を送って、自身は地元回りをしている有り様だと言う。

感染の市中、全国への拡大、蔓延は、その結果に他ならないのではないか。

こうした「国難」とも言うべき事態の発展を見て一番思うのは、日本に「国」がないということだ。

すなわち、政治に国民の命と安全を守る意思と力が決定的に欠落している。

そのため、まず、戦略的で緻密、かつ断固とした方策、処置が執れていない。対策が場当たり的で、ずさん、優柔不断なものになり、後手後手に回って、感染の市中、全国への広がりを許してしまった原因は、まさにここにあると思う。

次に、国民の命と安全よりも経済が優先されている。観光や貿易など国の経済、企業の利益がまず考えられ、国境線を越えての人や物の侵入への規制、禁止を断行できなかったし、さらには、PCR検査などへの必須経費が大幅に削減された。日本の「コロナ」対策費は、韓国の100分の1という驚くべき情況になっている。

今、日本の政治にもっとも切実に問われているのは、緊急に国民の命と安全を守ることであり、その闘いを通して、それを第一とする真の「国」づくりを断行していくことではないだろうか。

誰が責任を負うべきなのか、個人か国か

魚本公博 2020年3月5日

新型コロナが蔓延する中で、首相のリーダーシップの欠如、国としての取り組みの弱さを指摘する声が高まっている。「基本方針」でも「検討を求める」「呼びかける」である。それをやるのもやらないのも「自己責任」ということのようだ。

その中でびっくりしたのは検査を「渡航履歴や濃密接触者に限る」とし、むやみに検査を受けないよう要望したことだ。新型コロナのような場合、感染メカニズムなど分からない点が多く、検査や対応は専門の施設や職員が担当しなければならない。ところが日本の場合、この体制が出来ておらず、一日に検査できるのは1000人以下(28日に3000人に拡充)、検査を受けた人は2月末段階で1800人ほど。こうしてウイルスが蔓延してしまった。

日本で、こうしたことに対する専門機関は、国立感染症研究所。ところが、その内容たるや人員360人、年間予算40億円というおそまつさ。とりわけ近年、新自由主義的(自己責任)な思考によって国家機能を弱化させ、人員削減、予算削減が進んだことが大きい。

検査体制については、よく韓国と比較されるが、韓国の場合、疾病管理本部の下で検査機能を強化し5万人(2月末段階)の検査を実施している。そして米国。米国には疾病管理予防センター(CDC)があり、その人員は、本部7000人、地方と海外支部に8500人で計1万5500人。しかし米国は新自由主義の「自己責任」第一で公的保険がないため、診断料に40万円もかかり(一般の往診だけでも4万円)、検査を受けたのは445名(2月26日)に過ぎない。

以上見て思うのは、今回のコロナ禍で浮かびあがったのは、誰が責任をもつのかということである。自己責任なのか国が責任をもつことなのか。答ははっきりしている。コロナ禍のような事態を個人が解決することなどできないのであり、当然国が責任をもって対処しなければならない。

国は「国民の命と暮らしを守る」責任をもつ。それを放棄し、各人の「自己責任」になすりつけるなどすれば、国全般の経済生活、社会生活をダメにし、国自身の存立自体を危うくするだけである。

国は「国民の命と暮らしに責任をもつ」。この原点に立ち返り、国のあり方を考えていくべき時。コロナ禍は、それを鋭く問うていると思う。

各国の協力でコロナウイルスに打ち勝とう

森順子 2020年3月5日

「今はパニック、差別のときではなく、ともに問題を解決するときだ。カンボジアは豊かな国ではないが、我が国および人民には同情心がある」

これは、41ケ国、2000人以上が乗船するクルーザー、ウエステルダムがコロナウイルス感染者が乗船している恐れがあるという懸念から数カ国からの寄港を拒否されたが、カンボジアは13日入港を許可し、その際のフンセン首相の言葉だ。そして、カンボジアは、いかなる民族も差別せず、すべての国々と協力するし援助を必要とする人は助けるとも述べている。

フンセン政権には、いろいろ問題もあるようですが、率直に言ってカンボジアの対応にはとても胸を打たれました。自国の難より他国の痛みを優先したカンボジアの勇断は、世界的にみても模範だと思います。このような国があるのだから、必ず新型コロナウイルスは退治できるという気持ちを強くしました。また、一方で中国とアセアン諸国が連携協力して、拡散防止対策をやるということや深刻な事態に直面してから中国も対応が果敢だと報道され国家をあげての取り組みに、安堵するものがあります。

しかし、27日の段階では、国と地域を越え世界中に感染者がさらに拡大しているなかで、いっそう、国同士の連携協力、そして、何よりも、自国を守り自国民の生命と健康を守る国としての役割をどれだけ果たせるかが各国に問われていることを強く感じます。

心配なのは、わが国です。開催が危ぶまれると言われるオリンピックも引っかかってきます。そのためにも危険を取り去って、一日もはやく日本を安全地帯にしなければなりません。国は、やれることは、何一つ惜しまずすべてやるべきときです。それは、日本だけでなく他国のためでもあるからです。

日本がコロナウイルスの猛威にうち勝ち、少しでもはやくこの禍が終息することを心から願っています。