よど号LIFE 2020年4月号

「万引き家族」

小西隆裕 2020年4月20日

ちょっと時季はずれかもしれないが、衛星テレビで「万引き家族」を観た。

面白かった。で、録画したのをもう一度観た。

映画から私が受け取ったメッセージは、「つながり」だった。

何の血縁もない6人の「家族」と本当の家族。

どちらの「つながり」が本物か。

是枝監督の思いはもちろん「前者」にある。

人間にとって大切なのは、自分のことにも増して相手を思う「真心」だ。

「血縁」も、その「思い」あっての「血縁」だろう。

是枝監督描く「家族」の温もりが身にしみた。

新型コロナとの“戦い“の中、心温まる話

若林盛亮 2020年4月20日

私の“サッカー師匠“から次のような情報を知らされた。

「イギリス版“タイガーマスク・伊達直人“!? リヴァプール選手が匿名で病院に333万円を寄付」と題するイギリスメディア「インデペンダント」の記事だ。

新型コロナウィルス感染拡大の影響で、世界各地の病院はひっ迫した状況に追い込まれている。リヴァプールにあるアルダー・ヘイト小児病院も例外ではなく、人手、物資共に不足状態が続いている。そんな中、昨年、欧州チャンピオンズ・リーグ覇者の地元人気チーム、リヴァプールのある選手が同病院に寄付を行った。その際、この選手は名前を明かすことを断ったという。

またクラブとしてもリヴァプールは、地元の教会と協力し、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)の影響を受けている貧困層や高齢者への食糧提供の支援を行っている。ロイター通信によると、リヴァプールは無料の2コース料理分の食材を本拠地スタジアム近くにある教会に提供。リヴァプールのような港町では人気の、欧州北部の船員が好んで食べる「スカウス」と呼ばれる子羊、またはビーフのシチュー(肉じゃが)も含まれている、とのこと。

日本のJリーグもそうだが、英国サッカーは地域のクラブとして発展、特に1892年創設という「明治生まれ」のリヴァプールは約130年もの地元とクラブの歴史があり、地元ファンも曾祖父の代から続く熱狂的な人たちが多い。彼らが試合開始前に歌う有名な応援歌“You’ll never walk alone ”(君たちは独りじゃない)、この歌がサポーターとの結びつきの強さを物語る。

“第3次世界大戦”とも称される今回の新型コロナとの“戦い”は、まさに運命を共にする共同体全体の“戦い”、おそらく“タイガーマスク・伊達直人”はイギリスだけでなく日本や世界各国に多数いることだろう。

日本政府の国民の心を逆なでするような「上目線」対応に怒ったり落胆の日々だったが、リヴァプールの一ファンとして心温まる話を聞かされた。師匠、ありがとう。

不安と安心

赤木志郎 2020年4月20日

隔離が解除され1ヶ月ぶりにPCウイルス用のワクチンを入手するために、情報センターに行ったところ、そこで門番の人から入店拒絶を受けた。なんと私が一ヶ月前に行った後、外国人である私と接触した店の人たちが隔離されてしまったのだそうだ。

仕方なしに、約束した時間まで車が来るのを待ちながら、店の前でベンチに座り期限が切れたワクチンをどうすれば入手できるか、あれこれと思案していた。30分くらい経って、店の人が可哀想だと思ったのか、私が隔離から解放されたのかを確かめ、店に入れてくれて無事にワクチンを購入することができた。この30分間は、冷たい風にあたりながらの心細いひとときだった。

しかし、この程度のことはいくらでも我慢できる。現在のコロナウイルスの日本における拡大を見ていると、人々が大きくかつ様々な不安に陥れられていることを感じざるをえない。自分も感染してしまうのではないかという不安、休業などで生活費を稼ぐことが出来ない不安、食料品など生活必需品を入手できなくなるかという不安、そしていつコロナウイルスが終息するのか、将来への不安など。どの一つとっても生命に関わる重大な問題だ。どれもまだ展望がみえない。

こういう時に、一番大切なことは自分が所属している共同体にたいする信頼ではないだろうか。互いに助け合っていくのがあれば、安心できる。とくにコロナ制圧を行っていくのは個人ではできず国の力だし、生活費、生活必需品、将来も国というもっとも強固な共同体にかかっていると思う。

そのように信頼できる国という共同体との強い絆、信頼感があれば、封鎖や自粛にも耐えていくことができ、皆の力でコロナ危機を克服することができるはずだ。今や、戦争や自然災害でもない目に見えないウイルスとの戦いに人類や人々試練を受けている。このとき、信頼できる国民のための国こそが、要求されていると思う。

野菜作り

魚本公博 2020年4月20日

4月15日の太陽節の祝日、市内に出かけテソン百貨店の食堂で皆で食事しました。まだマスク着用厳守で百貨店に入るときも、体温検査と殺菌液で手洗いをします。

食堂はお客さんで一杯。この祝日の頃は、花見の季節なので例年なら大城山やモラン峰で花の下で歌って踊っての花見風景が見られるのですがまだ「3密厳守」でそれはできません。それでも街路のアンズが満開。それを見下ろしての花見気分が味わえる窓際のスナック席が人気のようでした。

この百貨店、一階のスーパーマーケットは食料品が豊富で人気があり、この日も多くの客でごったがえしていました。ただ野菜が少ないのが難。それで食事中に出た話しの一つが「今年は安部さんに頑張って貰わなくっちゃね」ということ。新鮮な野菜をという要望で、よど農園管理責任者への期待大というわけです。

よど農園では、これまで、「日本の味を」ということで、朝鮮にはないもの、手に入りにくいものを意識的に作ってきたのですが、今年は、趣旨を変えて、基本野菜を主にした野菜作りに力を入れようと考えているこの頃です。

春なのに

森順子 2020年4月20日

村はもうツツジやレンギョウが満開、アンズの花も咲いています。今年は山の枯れ木を切り落とし整えたのでいっそう花がひきたって見えます。市内でも色鮮やかな花が街角やロータリーの花壇に咲き春真っ盛りの日々ですが、気持ちはやはり春のように爽やかにはなれないですよね。

日本での報道は、毎日毎日、感染者の増加と医療崩壊の危機感、そして保障のない自粛要請への人々の不安感。この状況を予測していた専門家の人々もいたのに・・・。検査を無視した政府がうみだした最悪の状況になってしまいました。まともな政府の下できちんと対処すれば国民も頑張れるしコロナも乗り越えることができるはずなのにと思わざるを得ません。

厳しい状況の環境に適応して生活していくしかないですが、一人、一人は距離をもって接しても、こころの距離はありません。繋がっているという気持ちで過ごせたらと思います。

コロナの猛威に打ち勝ち感染拡大が早く止まることを祈っています。

あれから50年・・・

小西隆裕 2020年4月5日

「よど号」渡朝50年、今日、4月3日は朝鮮に着いた日だ。

日航機「よど」のコックピットから見たあの日の夕闇迫る着陸の光景は、今も昨日のことのように鮮明だ。

あれから50年、朝鮮は随分変わった。そして、われわれも。

この滔々たる時の流れの中で、

今、日本では、新型コロナウイルス禍大爆発の予兆がますますその深刻の度を増している。

この現実を前にして、われわれは一体何をどうすればよいのか。

50年前とはひと味違った思考ができなければならないのだが・・・。

50年前の3月31日、「よど号」で朝鮮に飛んだ若林君

若林盛亮 2020年4月5日

「そして最後に確認しよう。われわれは“あしたのジョー”である」

田宮のこの「出発宣言」が象徴する「起死回生」、衰運に向かう革命を7転8起、再び高揚を興す「気宇壮大」な抱負を抱いて1970年3月31日、私は「よど号」で朝鮮に飛んだ。

衆知の通り、この「気宇壮大」な抱負と目論見は見事に外れ、学生運動は混乱に混乱を重ね、革命はさらに衰運を早め、学生運動ほぼ消滅の今日に続いている。

「戦後日本にこそ革命は必要」と、はやる心でよど号で飛んだ23歳の若林君、肩まで垂れる長髪の若者がいまや坊主刈りの白髪爺さんと姿形の変わった私、でもその心は今も変わらない。

日本の防衛、軍事は米軍・日米安保に任せ、経済的繁栄を追求すればよい生存方式・「吉田ドクトリン」の戦後日本、「米国についていけば何とかなる」「アメリカに追いつけ追い越せ」式のアメリカンドリーム漬けの頭で自分では何も考えてこなかった戦後日本。

「自分のものがない日本」=めざす目標が見えない―これが青春時代、いかに生きるか頭を悩ませた若林君のドロップアウトから学生運動に至る決して美しいとは言えない青春時代を通過して、「よど号」で朝鮮に私を飛ばせた理由といえば理由、いまはそう思う。

「米国についていけば何とかなる」時代の終わった今、「戦後日本にこそ革命は必要」の課題が明確になる時期だ。

新型コロナウィルス禍で「世界第一」になった米国、「老人や持病持ちは危険だが、健康体の人はすぐ回復する」と国として検査も防疫も怠り国民の「自己責任」としたツケがいま回ってきたということだ。そしてこれから日本が「米国の二の舞」の危険にさらされている。

あの3月31日を迎え73歳となった「若林君」、私は50年前の“あしたのジョー”の心で老骨に鞭打って「最後のご奉公」をする時だと肝に銘じようと思う。

HJから50年経って

赤木志郎 2020年4月5日

窓越しに満開のつつじが見える。寒くもなく暑くもなく過ごしやすい季節だ。50年前もきっとそうだったのだろう。しかし、あの時、季節感を感じる余裕もなく、ただ一点、ハイジャックに集中していた。羽田空港に着いてすぐに搭乗手続きをした。そこにはばらばらに行動しているはずのメンバーが一堂に集まった。チェックインのカウンターの係りの女性は、各自が事前に定められた席を指定したので目を白黒していた。同じような集団が別々の席を指定したからだ。

3日前に予行練習!?をし、1日前には最終確認をしていたので、皆、機敏に動き、ベルトを留めるというサインが消えるとともに、一斉に立ち上がり、日本刀をふりかざした。乗客の中には映画撮影でも始まったのかと思った方もいたそうだ。演劇用の日本刀なのでそそう思われても仕方がない。1時間あまりで福岡空港に到着し、午後、平壌に着いたと思ったら、そこはソウル・金浦空港と緊張した一日だった。

それから50年、日本のラジオ、テレビを視聴できる近くて遠い国、朝鮮から、いつも日本を感じ日本を考えながら過ごしてきた。日本を離れたはずなのに、かえって日本のことばかり想うのは、元来、そういうものかもしれない。

50年間、朝鮮をはじめ社会主義国を知り、第三世界の闘いを知ったことは、日本の在り方を考えるうえで視野を広げることができたと思う。その間、戦後70年間ほど世界を支配してきたアメリカは、民族自主と主権を守るための各国人民の闘いの前にじりじりと敗北の道を歩んできた。

現在、各国の主権を否定するグローバリズムが崩壊し、さらにアメリカファーストまで破綻しながら、世界各国は自国を中心にして各国が国民のための独自の道を歩むようになっている。そのなかで日本も日本独自の道を模索し拓いていくときが来たと思う。アメリカの属国として生き何の国家の戦略を考えないのではなく、日本国民のための日本を創っていく新たな道を拓いていく時がきたのではと思うこの頃である。その道は険しく困難に満ちているだろうが、日本を愛し日本のために生きようとする国民大衆がいる限り、いつか必ず、新生日本を実現することができると思う。

ライラック

魚本公博 2020年4月5日

前回、日本ではコロナ禍で大変な中、こちらでは平穏に農作業もやれそうだと書きましたが、この冬の農閑期、よど農園の周辺の雑木を整理し、ツツジやボケ、レンギョウ、ライラックなど花が咲く木々を移植しました。

その中でも、ライラックは思い入れがあります。中学生の頃、見たレジスタンス映画に出てくるのです。時は大戦末期、ハンガリーでの出来事。一度撤退したナチス・ドイツ軍が反撃してドナウ河にかかるヘレンの橋を攻撃。死守を覚悟した静寂の中、「ああ、ライラックの香りがするね」の声。そのとき、人々の耳にカタカタと聞こえる戦車のキャタピラの音が。「あっ、ソ連軍だっ」という喜びの声の中、映画は終わるのですが、それでライラックという響きには何とも言えないものを感じるのです。

そのライラック、朝鮮には多く、村にもたくさん生えています。それを農園の傍にも移植したわけですが、これから春の花咲く頃が楽しみです。

季節は春なのに

森順子 2020年4月5日

ピンクのつつじに黄色いれんぎょう、たんぽぽ、スミレ、杏の花も芽吹きはじめました。

先日は、日々草の植木鉢の土を栄養たっぷりの腐植土に入れ替えました。アパート下の花壇では、チューリップの葉を山羊の親子が食べてしまうという春先のハプニングも。

昨日(4/1)は週一の買い物に出かけましたが、車も人通りも多く感じました。テレビは、マイクを向けられた人がマスクなしの対応と変化が見られ、国内の人々の医療監視対象者(外国と関係をもった人、その家族は自動的に30日間隔離)の隔離解除も進み、残り300人余りとのこと。しかし、世界で感染が拡大する中で、終息するまで防疫体制は緩めずに維持。特に手洗いと設備、物品の消毒の強化、食堂や商店、バスでの混雑調整などが、肌で感じるこの頃の朝鮮コロナ禍対応のようです。

日本では、非常事態宣言がいつ出されるのかという大変深刻な状況だと聞きます。

東京では集団感染者数が増える一方、感染経路がわからないケースが多いとか。

最近、外出自粛要請にもかかわらず、夜間の飲食業界の営業と出入り客。他県ですが、自宅療養していたとしながら、実はコンビニでバイトをしていた男性会社員の発覚。はじめは、「それはないでしょう」と思いましたが、仕事をしなければ生活できない事情があるのではとむしろ心配に変わりました。

政府の「要請」だけでは、結局、自己責任のおしつけで、具体的な休業補償、生活保障が伴わなければという声が出てきているそうです。医療崩壊が起こるというなら、起こらないように対策を立て実行していくのが政府と行政の責任でしょうと、怒りがわき、もどかしいばかりです。

米国をはじめヨーロッパでも感染が拡大している中、責任をもって的確な指示と組織力を発揮する国家と指導者が評価され、効果もでているとのこと。

ただ、ただ、世界と日本でのコロナ禍の一日も早い収束を心から願う毎日です。