よど号LIFE 2020年5月号

朝ドラを観て思ったこと

小西隆裕 2020年5月20日

朝ドラ「エール」の主人公、古山裕一を観ていて感心することがある。

それは、彼が人に対し、決して恨んだり怒ったりしないことだ。

すべて相手の立場に立ち、相手が自分に対しなぜそう出てくるのか理解してしまうということだ。

時には、裕一の気持ちになった私の方が怒りを覚えるような時にも、彼は相手を理解し決して怒らない。そのような時には、怒った私の方が苦笑してしまう。

そんな裕一が怒った時がある。

最愛の妻、音が自分のワイシャツに付いた口紅を見て怒った時だ。それに対し彼は、「君がそんな分からず屋だとは思わなかった」と言い、しばらく口もきかなかった。

なぜそうなったのか。

それは、彼女の「誤解」が彼にとって許せなかったからに違いない。

「分かること」と「受け容れること」とは違う。

分かっても、受け容れられないことがある。

大概のことは分かって受け容れ、理解する裕一も、妻の自分への「疑い」だけは受け容れられなかったということだ。

こうしたところに、「古山裕一」こと古関裕而という人物の大きさと一途な側面が現れているのだろう。

「怒り」を形に?山本耀司の「黒」ファッション

若林盛亮 2020年5月20日

BS1で「懐かしの名場面」で磐田と鹿島のJリーグ優勝を決する「名勝負」放映、ゴン中山(雅志)の大ファンなので録画してたら、止めるのを忘れて続きの番組が入っていた。それはファッション・デザイナー山本耀司に焦点を当てた「時空を越える黒」、知ってる名前だったのでそれも見たが、「う?ん」とうならされた。

山本耀司と言えば、1980年代に山本寛斎、高田ケンゾーに続く世代として、「黒」ファッションでパリコレクション界に旋風を巻き起こした人物だ。

なぜ「黒」なのか? 山本耀司はこう語った。

「僕の怒りを形にしたんですよ」

山本耀司の「怒り」とは?

彼の父親は戦争末期、乗せられた輸送船が米軍の攻撃を受け沈没、戦場に行く前にあっけなく海の藻くずと消えた。戦後、父の戦死を伝えに来た司令官なる人物がその経緯を語るさまに「強烈な怒りを覚えた」まだ5歳の山本耀司。以来、彼は「大人が大嫌いになった」。

「強烈な怒り」! その「怒り」を形にしたのが「黒」ファッションだった。

私はこの言葉にとても共感した。同じ戦後世代として感じるものがあった。

私の場合は「おかしい」という疑問、戦後日本への強い違和感だった。「怒り」を感じるほどの体験はなかったが、いつもどこか「おかしい」と感じていた。

手記にも書いたが、小学5年生の時、壁新聞を生徒が自主的につくるように指導した「戦後民主教育のリーダー」と言われた教師が、彼の戦時体験、中国人捕虜刺殺訓練をやる時の要領を得々と語るのを子供心にもなにか違和感を感じた。母は「日本はアメリカに負けてよかったんだよ」と私に語り、他方で父は天皇のお召し列車に最敬礼する勤皇家だった。

戦後日本の大人たちが「なにかおかしい」という「?」マークが私の頭からは常に離れなかった。

長髪で進学校からのドロップアウト?革命バンド「裸のラリーズ」?赤軍派参加、そしてよど号ハイジャックで渡朝の「革命家への飛翔」という私の人生遍歴、それは山本耀司の言葉を借りれば、私の「おかしい」を形にしようとしたものなのかもしれない。

「飾り立てるのがファッションかもしれない」でも「人の目をだましてはいけない」。だから山本耀司は「黒」にこだわる。戦後日本の繁栄という華やかさ、それは「飾り立てたファッション」、「人の目をだましてはいけない」ということなのだろう。

「おかしい」を形にしようと「戦後日本にこそ革命は必要」と私は朝鮮に飛んだ。あれからもう50年にもなる。

75歳になっても「怒り」を形にする探求の旅を続ける戦後世代の先輩、山本耀司、私もしっかり歩き続けよう! なにかとても力をもらった。

渡り鳥

赤木志郎 2020年5月20日

新緑がまぶしいこの季節、渡り鳥が来る季節でもある。久しぶりに皆で畑作業をおこなった。畝をならし、サツマイモを植えるのが終わりかけたとき、ふとテドン河の方を見ると、水鳥が数羽浮かんでいるのが目にはいった。そういえば、昨年もそうだった。畑作業に行ったときに、水鳥の群れを見かけた。そのことを思い出した。

この水鳥の他にも頸の長い大きな鳥(白鷺?)が飛び交っている。河と森、それが鳥たちを惹きつけるようだ。

日本の変化の富んだ山河にも多くの渡り鳥が飛び交っていることだろう。しかし、今は列島全体がコロナウイルスに覆われ、多くの観光地が門を閉ざし、自然の豊かさを人々が味わうことができないでいる。

人と人の接触を防ぐための措置が、人々を大きな痛みを与えている。もともと人間は人との接触と交流、助け合いと協労を通じて生活を営み、成長し、社会を発展させてきた。ネット購入などのデジタル生活など人との接触を避けた生活様式は、便利な面がある一方、なにか人間生活に合わないのではないかと思う。人で溢れていた古い商店街に懐かしみを覚えるのは私だけではないだろう。

コロナウイルスを制圧し、人と人が接触できる世界に戻すことができないのだろうか。ネットやデジタルも活用しながら、人と人の熱い交流がいっそうできるような世界を私は望みたい。

キウイ

魚本公博 2020年5月20日

今、キウイ・フルーツの棚を作っています。朝鮮ではキウイはワン・タレエと言います。ワンは王、タレエはサルナシで王のような大きなサルナシという意味。キウイはニュージランドが有名ですが、元々は中国雲南省原産。その姿形が同国に生息するキウイ(鳥類)に似ているというのでキウイと名付けて売出したものというのは周知のこと思います。

キウイを植えたきっかけは、以前、ケソン(開城)でキウイを栽培しているという話を聞いたから。種から育て、数年後には20個以上の実がなるまでになったのですが、何年か前、零下20度にもなった年に凍死してしまい、そのまま放置していたもの。

キウイは市場でも売っていますが、かなり高価。それで、最近は暖冬が続いていることだし、行けるのではないかと再栽培を一念発起したわけです。凍死と言っても完全には死なず毎年芽吹くので棚さえ作れば期待大です。

それにしても、気候変動、地殻変動、コロナ禍など自然の脅威が増す中、生物は必死で生きていく。凍死しても凍死しても芽吹いて生き抜こうとするキウイを見ながらそう思います。コロナ禍の中、世界的に共同して対処する機運が高まっていますが、人間社会もそうして発展していきたいものです。

5月に思う

森順子 2020年5月20日

毎年、5月の村はアカシアの香りに包まれ、朝の空気はなんて清々しいことか。むかしは、松とツツジしかなかったのが毎年の植樹のおかげで、こんなに樹木や花が育ち日々の生活と精神衛生に潤いをもたらしてくれることを実感するこの頃です。とくに、コロナウイルス拡大のため、日本では花が活躍できでない日常を思うと尚更です。

今度はチューリップが可哀想。関東で最大級のチューリップ畑では80万本が刈り取られてしまったとのこと。観光客の密集を避けるために苦渋の判断だったそうですが、80万本という数には、そこまでするの?という気持ちになります。ある街では、「ドライブスルー」方式で、お客の車に渡し販売しているというのもあったので残念です。

昔のことですが、戦争当時、花はぜいたく品と見なされ生産者は非国民扱いという状況で、チューリップの生産者は人目につかないようつぼみを摘み球根の保存に努めたと知りました。どんな時代であろうが花までも切り捨てられ犠牲にされる社会なら、とても平和に安心して暮らせる社会ではないことを改めて感じます。

チューリップの花言葉は「思いやり」。コロナウイルスの蔓延のなか、チューリップの声が聞こえてくるようです。

鳥の世界の「覇権」

小西隆裕 2020年5月5日

窓の外は、辺り一面、新緑だ。その向こうには、大同江。

そこで、私の目に映るのは、この間、その数が増えたように思える鳥たちの飛び交う姿だ。

鳥たちが「自由」の象徴になるのも分かるような気がする。

広く大きな空には遮るものがない。

そこをなんの規制も制約もなく思うままに飛び交う鳥たち。

だが、この一見自由に見える鳥の世界も、そう簡単ではないようだ。

支配的な鳥の種類がどんどん変わってくる。

つい数年前までは、長く続いたハトの時代だった。

大繁殖したハトが軒下にまで入り込み、そろって喉を鳴らしていたものだ。

ところが、この数年、ウソのように一羽もいなくなってしまった。

その代わり登場したのが小型のタカだ。

彼らがハトを駆逐したのだと思っていたら、

3,4年前、彼らも姿を消してしまった。

変わりに全盛を誇るようになったのがカケスの大群。

われわれの事務所の窓際まで飛んできて、窓ガラスをこつこつ突っついて、

この「よど号ライフ」にまで登場するようになった。

ところが、今年、私の目に映っているのは、またしても小型のタカの大群だ。

この周辺に獲物が増えたのか。

ちらほら姿を見せるカケスの「ガラス窓ノック」の音もしなくなってしまった。

鳥の世界にも「覇権」というものがあるようだ。

「仕方がない」!?それはちがうでしょう

若林盛亮 2020年5月5日

いま感染者数は? と質問されて答えられない首相、このところ信じられない事態の連続。

新型コロナウィルス拡大を止められず緊急事態宣言がまた1ヶ月延長された。

「営業自粛」で青息吐息の飲食店やライブハウス、劇場など文化施設の多くが「家賃が払えない」「資金繰りができない」と廃業や倒産に追い込まれる。仕事のなくなったバイト学生は退学を考え、文化の火が消えミュージシャンや演劇を志す若者は夢の挫折に追い込まれる。「仕方がない」と。

こうした非常時に直面した現場からの「補償を」! の要求に対して日本政府は「補償はできない」という立場だ。財政が破綻するから「仕方がない」と。

個々の現場が「仕方がない」と考えるのは、それこそ仕方がないことだろう。でもそれを「仕方がある」ように方策を考えるのが政治の仕事ではないのか?

ましてやコロナ戦争のような非常時には「非常時対策」が必要な時、平常時の「仕方がない」を「仕方がある」よう政治が考えるべき時だ。

「医療崩壊が起きるからPCR検査は重症者に限る」と現場の医師、病院が考えるのは仕方がないことだが、政治が「仕方がない」と言ってはいけないと思う。

現にコロナ戦争に成果を上げている国々は、「仕方がある」と考える政治を行っている。

政治が「仕方がない」と言ってはいけない。このことをコロナ戦争は教えてくれた。

テレビ視聴にも異変

魚本公博 2020年5月5日

今年の大河ドラマ、どうなるのでしょう。コロナ禍で撮影が出来ず、ストックされていたものも底をつきそうなのだとか。朝ドラもそうなりそうです。

スポーツも同様。野球、相撲などは無観客試合で興ざめ。それで過去の「名試合」「名場面」などと銘うっての苦心の番組編成ですが見る気もしない。とりわけ、今年は大リーグの大谷翔平選手の活躍を期待していただけに残念なことこの上ない。この分だと来年のオリンピックも危ない。

こんなこと、過去の歴史にもなかったこと。ささやかな「テレビ視聴」でこの調子なのですから、コロナ禍の中での生活では、これまで考えもしなかった「異変」が起きていることでしょう。

こうした異変は人の思考、行動様式にも影響を与え、社会は変化・発展していく。そんな歴史的渦中に私たちは今いるのかも知れません。乱世の時、混乱した世の中を鎮めるために聖獣麒麟が現れるという大河ドラマの題目「麒麟がくる」も意味深です。

お天気お姉さん、ニューフェイス登場

若林佐喜子 2020年5月5日

すっかり新緑の季節となりました。

先月から、朝鮮のテレビのお天気お姉さん、ニューフェイス登場で、私たちの中でちょっとした話題になっています。最初は少々緊張気味でしたが、今はすっかりなれた様子。初々しい声で、「強風に注意して下さい」と言われると、つい思わず「はーい」と。Wさんは、「台風が来ると言われてもハッピーな気持ちになりそう・・」と妙な心配を。初めはちょっと早口でしたが、ゆっくり聞きやすく修正され、yobo yodoたちはすっかり天気予報の時間が待ち遠しくなった感ありです。

今、農業は、苗代の季節ですが、朝鮮は、朝晩の温度差が激しいので、温度管理が大変です。お天気お姉さんは、「気温が下がるので、ビニールの覆いをしっかり行い、温度管理に注意して下さい」など、詳細に伝えてくれます。

5月1日は、ピョンヤンは27度、ウォンサンは30度超えと、今月に入って、急に温度が上昇。そのせいか、今、よど農場はアスパラ豊作です。成長が早いので、2日に一度、アパートの下とテドン河辺の2つの畑を一周するとビニール袋が一杯に。結構ハードな散歩をかねてのアスパラ収穫に励むこのごろの私です。

世界、特に日本でもコロナ禍との闘い、くれぐれも感染防止に留意して下さい。ただ、ただ、一日も早い収束を願うばかりです。