よど号LIFE 2019年8月号

様変わりしたピョンヤン交通事情

小西隆裕 2019年8月20日

ピョンヤンの交通手段と言えば、昔は、トロリーバス、市電、地下鉄が基本で、他の手段はあまり目立たなかった。そもそも交通量自体が決定的に少なかった。

それが今では、大きく様変わりした。

朝鮮が一番苦しい時、増えたのが自転車だ。それまでなかった自転車が姿を現したと思ったら、急激に増えた。

次いで増えたのがタクシーだ。ほとんど見かけなかったタクシーが、今や完全に多数派になっている。

さらには電動式自転車。それが瞬く間に、自転車4台に少なくとも1台の割合になっている。

そうした中、昨今増えていると思うのは、大型の現代的バスではないか。これまでの停留所とは違う乗り場で、待っている多数の人を乗せて一定区間を定期的に運行されている。それが、私たちが住む郊外、山の中までだからすごい。地方都市や観光地行きの長距離バスも増えているようだ。

その他にも、たくさんの人を乗せた乗り合いタクシーなども見かける。

ピョンヤンの交通量が圧倒的に増え、ちょっとした渋滞が普通になっている中、トロリーバスや市電の停留所で長い人の列を見ることが少なくなり、歩いている人の数が減ったのは決して気のせいではないと思う。

バッテリー

若林盛亮 2019年8月20日

夏の甲子園、わが故郷、滋賀の近江高校は「初戦の名勝負」とされた東海大相模との一戦に1:6で大敗した。

「近江バッテリーの終幕」と新聞は書いた。昨年、夏の優勝校の秋田、金足農高に2:1とリードしながら9回表にスクイズを決められ土壇場で敗れたが、この夏の優勝候補にも上げられた。左腕投手・林と捕手・有馬のバッテリーは「投手の林が有馬の出すサインに絶対、首を振らない」というほどの信頼感で結ばれた名コンビと言われた。

東海大相模の門馬監督は盗塁、スクイズと「足で攻める」野球で名バッテリーのテンポを崩す作戦に出た。これが功を奏しエラー続発を誘い近江のリズムを崩させ「近江バッテリーの終幕」となった。

「近江バッテリーの終幕」を見ながら、私ははるか昔の「草津のバッテリー仲間」を思い出していた。

前にこの欄でも書いたが、私には「とっちゃん」という幼な友達がいた。彼とは町内の草野球チームでバッテリーを組んだ。林-有馬のように名バッテリーにはほど遠かったが、「信頼で結ばれる」バッテリーだった。

「とっちゃん」は幼稚園に通う時から泣きながら通園をしぶる「もりあきちゃん」(私)の手を取って園まで引っ張っていってくれたものだ。小三頃から彼とキャッチボールでよく遊んだ。いつしか私がピッチャー、彼がキャッチャーとなった。

「外角ストライク! ええで」とか「ボールやな、もうちょっと低めに」とか的確な指示で彼は私の制球力を高めてくれた。おかげで「もりあきちゃん」はコントロールのいい投手に成長した。投手「もりあきちゃん」の難点は球威がないことだった。背も低く身体も親戚の子から「ガリ男さん」と言われるほどやせていたから、これはどうしようもなかった。球威のなさをコントロールの良さでカバーする方法を「とっちゃん」は考えてくれた。

「内角ぎりぎりを狙うんや」と彼は言った。当時の小学生の草野球で内角は打者のウィークポイントだった。まずはバットに当てにくい、バットに当たっても遠くには飛ばない。小学生投手が内角ぎりぎりにストライクを決めるのは難しかったが、これを練習した。下手するとフォアボールになるので「内角攻め」は勝負をかけるべき強打者だけに使うことにした。

この作戦はけっこう当たって、わが町内チームはそこそこ勝った。「とっちゃん」とは最良のコンビ、いいバッテリーやなと実感できた。

でも強いチームには強打者がいて、私が内角を狙うのをわかってホームベースから遠くに打席を構えて「内角強打」に、外角球は一歩踏み込んで打って出られると、私も「とっちゃん」も混乱して打たれる場面が多くなった。負けた試合で「とっちゃん」は「しやあない。これが精一杯や」と慰めてくれた。

「とっちゃん」のキャッチャーとしての指示に「もりあきちゃん」は全幅の信頼を置いていた。とても「名バッテリー」とはいえないけれど、「信頼で結合」という意味では草津の町内野球「最良のバッテリー」だったと思う。

その最良のバッテリー仲間は不遇のうちに病死したと聞く。お盆には彼の霊魂も故郷の町に帰ってくるだろう。いつか「とっちゃん」の墓を訪ねる機会があればキャッチャー・ミットを供えたいと思う。

蝉時雨

赤木志郎 2019年8月20日

8月11日くらいだろうか。雨が激しく降った後、晴れて、蝉が鳴き始めた。それから毎日、蝉の合唱だ。

事務所の横にある銀杏の木の下で、椅子に座ってコーヒーを飲みながら休んでいたら、蝉の声が気になる。たぶん銀杏の木にもとまって鳴いているのだろう。大きな音だ。他の木々でも鳴いている。このことを蝉時雨というのかとその言葉を想い出した。

日本にいたとき蝉時雨で想い出すのは、小学生の夏休み、天理教の総本山に行った時のまわりの蝉の鳴き声だ。暑い陽差しがさしこむ大廊下を歩きながら耳に入る蝉時雨はすごかった。やはり、日本の蝉の声のほうが時雨のようにすごいのだろう。

それほど大きな音でではないが、朝鮮の銀杏の木の下の蝉の声がこれくらいでちょうど心地よく風情があるのではないかと思いながら、コーヒーを飲み干した。

クジラ肉の思い出

魚本公博 2019年8月20日

7月、商業捕鯨が31年ぶりに解禁されたとの報道にクジラ肉にまつわる思い出が甦りました。

私の子供の頃は、本当に安価で貴重なタンパク源で、九州の方では10㌢角の切り身で売られていました。私が好きだったのは刺身。刺身にするとクジラ独特の臭みも返って独特の味として極上の美味さに感じられたものです。これは亡くなった田中(熊本出身)も同様のようで、よく、その話しで盛り上がったことを思い出します。

クジラ肉の思い出では、HJ前の山谷で食べたクジラの「カツ・フライ」。HJ前の待機期間、「自活しながら待機しろ」ということで、私は他の二人と山谷でしばらく暮らしましたが、そのドヤ街の食堂で食べたクジラの「カツ・フライ」の味は格別でした。麦飯の大丼とみそ汁にクジラのカツ・フライで100円ほどの安価で本当に美味かったものです。

商業捕鯨の再開については色々と意見もあると思いますが、私的には、クジラは古来からの日本の食文化だと思いますし、捕獲数も調査捕鯨の時よりも減らし排他的経済水域内での自制的な再開なので許されてもよいのではないかと思います。捕鯨再開の報に「思い出」を書いてしまいましたが、至らなさがあればご指摘を。

「あべ農場」

小西隆裕 2019年8月5日

今年は、「わが農場」のできがいい。アパートの玄関を入ったところに置かれた籠には、いつもいろいろな野菜が入れられている。

それで私は、朝食用のトマトやキュウリが切れた時、階段を上がりのぞきに行く。

すると、期待が裏切られることはまずない。有り難いことだ。

しかし、それにしても、私の「わが農場」意識のなさはどうだ。

安部さんが開墾した「農場」を「よど農場」と名付けたのは久しい以前だ。

それから年に何度かは、「わが農場」に出て皆で作業するようにしている。

だが、私にとって、農場はあくまで「あべ農場」だ。

時たまやる農作業も臨時動員の「援農」だ。

どう見ても私は、この農場の主人ではない。

やはり、物事にはそれぞれ専門があり、主人がいる。

一番それに関心があり、心を込めている人が主人になる。

それぞれの分野、部門の主人に感謝し、また皆で主人を助けるということで、集団は成り立って行くようだ。

故郷からの暑中見舞い

若林盛亮 2019年8月5日

「田んぼの畦草刈りで大忙し、熱中症に注意し老体にむち打って・・・」

退職後は農作業という故郷の友からの暑中見舞いメール。

いまはもう農業は割が合わないと農業を継ぐ若者がいない、農業の行く末が心配、とつづる彼は地域の民生委員でもある。主な仕事は一人暮らしの老人、障害者、引きこもりの子供に寄り添うこと、とても忙しい日々だとか。

私のふるさと、草津市はいまや13万都市になって、私の頃の3万草津とは大きく変わった。かつて教科書にも載った天井川、ふだん水はない河原は絶好の「僕らの野球場」、いまは流れが変えられて「草津川公園」となり、その登り口にあった初デート記念の喫茶店もなくなった。故郷の景色が変わると思い出までも消えていくようで寂しい、友らもそう言う。でもこれは老人の郷愁、思い出の引き出しの中でそれぞれが大切にすればいいと納得すべきだろう。

年始の挨拶、暑中見舞いが故郷の友らとのメール定期便、何か事あれば交信する数人とのやりとりだが息長く続いている。古希過ぎの今も「現役」が二人もいる。

「よど号の若林」といえば、ハイジャック犯であり拉致容疑犯となっているから、「若林君」は世間体がはばかれる「友」だ。しかしここ数年は、郵便局を通さない当人同士直通のネット通信という気楽さもあって、故郷の友らから便りが届くようになった。

故郷の友にとって私は相も変わらない「わかちゃん」、友らとは「・・・君」と、小中時代と同じ呼び名でやりとりしている。

故郷の町は大きく変わり昔の面影はない。形あるものは変わるが、変わらないのは形のないもの、友情。

この秋、9月に中学の同窓会があるそうだ。「何か伝えたいことないんか? あったらみんなに伝えとくで」と友は言ってくれている。何を伝えようか? ・・・友らの顔を思い浮かべながらいま考えているのは、「『若ちゃんもここにおったらええな』とみんなに言ってもらえるように頑張るわ。それまでみんな、長生きしてくれや」ということかな・・・。

冷房病

赤木志郎 2019年8月5日

冷房装置が事務所と家に完備され、どんな暑さにも対応できるようになった。一方、私には冷房病という体質がある。弱い冷房なら快適なのだが、強い冷房には弱い。たちまち下痢し風邪をひくようになる。昨年、夏の避暑地への旅行でもバスの冷房で身体がやられ数日間下痢剤、解熱剤を飲んで寝込むようになった。今年、まだ大丈夫だと思っていたが、自動車の冷房で風邪をひき体調を崩してしまった。いずれも、服を余分に着たり、腹巻きをしていれば防げたことだ。

腹巻きは子供の頃、ずっと着用していた。そのせいで腸が弱くなったのだと思う。あわててタンスの中から腹巻きを捜した。車に乗るときのため余分の服も準備した。

昨年の猛烈な暑さにはまいったが、冷房装置があってもまた問題が生じる。一人でいるときは28度に設定し、湿気をとりのぞき快適に過ごせる。それだけでも十分だ。日本ではもっと暑いのだ。35度以上の猛暑が続いている。屋外で作業をしている人は大変だろうと思う。

昆虫食

魚本公博 2019年8月5日

先日、食堂で昆虫食について話題になりました。昆虫食、世界食糧機構などが将来の食糧難に備えて推奨しており、各地で取り組みがなされているようです。

元々、インドや東南アジアでは、昆虫食は一般的でしたが、最近ではインドネシアやタイなどで専用のレストランが開業し人気を集めているとか。日本でもイナゴやハチの子、長野のガガ虫などがあります。

さて朝鮮では? あまり聞いたことがありません。ところが新聞を見ていて、ああ、これなら朝鮮でも食べているな、と思うものを見かけました。カイコのサナギです。朝鮮では養蚕が盛んで、マユを熱湯に浸けて生糸を取り出す過程で大量の蒸されたサナギが出ますが、これが美味いのです。ちょっとエビの味に似た香ばしい香りで、市場でも売られています。一コップほどで日本円にして50円ほど。おやつ代わりにボリボリと食すわけです。

腹もちするので、それほど多くは食べられませんが、「一度食べたら止められない『かっぱエビせん』」みたいなものです。

暑中お見舞い申しあげます

森 順子 2019年8月5日

日本は、比較的長かった梅雨が明けたようですが、朝鮮は今からです。ここ数日は、雨が降り続きましたが、今日は陽が上がっています。市内までの畑は、トウモロコシが、「グン」「グン」と言いながら伸びているようで、一週間もすると背が大きくなっているのがわかります。

村の畑の作物も、キュウリ、トマト、トウガラシ、ナス、レタスなど、今年は、いろいろ豊富で、やはり精魂込め手をいれたということです。なぜか、とりたてのキュウリが、こんなに柔らかくおいしいと感じたのも初めてです。毎日、感謝して食べなくては、という心情にもなります。洪水や大雨の被害など起こらないことを願いながら。

果物、野菜が豊作です

若林佐喜子 2019年8月5日

暑い、暑いと言いながら、8月が始まりました。

日本は7月末に梅雨が開け、猛暑日が続いているようですが、皆様いかがお過ごしでしょか?

朝鮮は、高温現象と7月末から梅雨前線が上がったり下がったりという状況です。そんな中、毎日、天気予報を見て温度と雨マークのチェック。高温現象が色分けで示され、最近は対策がイラストつきの説明で興味深いです。「冷たい飲料水の一気飲み注意」「直接、冷風にあたらない」。特に、農業に関しては、田んぼの水の量と温度管理、○○肥料の散布と具体的で、見ながら、つい「農業は大変だなー」という思いに。

そんな矢先、日本の新聞で、「今頃の肥料の散布を『穂肥』と呼び、稲の種が茎の中で育ち始める時期に施す肥料で、この『穂肥』の成否で食味や収量も変わる」との説明がありました。毎日テレビで、肥料の散布を強調していたのは、こういうことだったのかと感心するとともに納得でした。まく時期や、まく量の判断は農家の腕の見せどころ、しかし、これから、台風の到来などで気が抜けないのが農業とも・・。

朝鮮は、今年も日照りや高温現象で、稲作をはじめ農業が心配でしたが、7月中旬に早生の桃が出始め、今は、桃太郎に登場するような(笑)ピンクで大きな桃、スモモがたくさん出回っています。よど農場では、一回にナスがバケツ一杯も獲れ、大同江辺りからやっとの思いで運搬。野菜と果物の豊作に、ちょっと一安心のこの頃です。

これからが本格的な夏、健康管理に注意して、のりきっていきたいです。