シリーズ・米覇権回復戦略の転換を考える

小西隆裕

これまで、そして今も、日本と世界の政治は、覇権を離れてはありません。古くは中国の、近代、明治に入ってからは、欧米、特に英米の、といった具合に、何らかの覇権の下で、日本の、そして世界の政治があったし、また、あり続けてきたと言うことができます。そうした中、戦後70有余年、日本の政治は、米国による覇権の下、それへの従属政治としてありました。

その米覇権が、今、著しく衰退し揺らいでいます。そのことは、日本と世界の政治にとって、極めて重要で決定的な意味を持っていると思います。

米大統領トランプは、昨年、その大統領選挙戦の最中、「世界の警官をやめる」と公言しました。しかし、その「公約」は、あっさりと反故にされています。今年4月、米国は、シリアの空港に巡航ミサイル数十発を打ち込みました。その際、彼らは、化学兵器を使ったかどでの「懲罰」だとその行為を正当化しました。

だが、その一方、米国がその覇権のやり方、あり方を変えてきているのも事実です。彼らは、TPPやパリ協定などから離脱、撤退しながら、これまでの「グローバリズム」に換え、「アメリカ・ファースト」を掲げるようになっています。

「グローバリズム」から「ファースト」へ。それは、大統領交代にともなう単なる看板の掛け替えではありません。それが米覇権戦略のやり方、あり方の転換であるのは、先述の「離脱」「撤退」をはじめ、トランプ政権がとってきたこの数ヶ月の政策全般の転換にも端的に現れていると思います。そして何より、米国の対日政策です。そこにも、当然のことながら、変化が見られます。先の解散総選挙がかつてない異例ずくめだったのも、そこから考えるとその原因が自ずと明らかになってくるのではないでしょうか。

米国のこの覇権自体の著しい衰退をともなう「転換」が何を意味するのか。日本にとってそれはどういう意味を持つのか。私がそれについて、なぜ一時的なものでなく、戦略転換の「歴史」からとらえ返すようにしたのか。転換される「戦略」自体、なぜ単純に「覇権戦略」ではなく、「覇権回復戦略」とわざわざ「回復」を付けて呼ぶようにしたのか、等々については、シリーズを通じ、追々明らかにして行きたいと思います。