【安保防衛論議 その1】9条改憲!-「自衛隊のアイデンティティ」が問われる

若林盛亮

衆院選後、改憲勢力が実に国会の3/4を占める大勢力となった。このことによって「9条改憲」がいずれ日程に上ることが必至の状況となった。

安保防衛論議として今回は9条改憲の不当性を訴える上で、9条改憲は「自衛隊のアイデンティティ」を根本から揺るがすものであり、「自衛隊のアイデンティティ」を9条に求める議論が起きる契機になるのではないか? ということを考えてみたい。

戦後日本の防衛路線は、憲法9条と日米安保条約の二本立て、「憲法9条“専守防衛の自衛隊”が“盾”+日米安保“報復攻撃の米軍”が“矛”」、このワンセットとされてきた。すなわち憲法9条によって交戦権のない自衛隊は専守防衛、つまり「盾」の役割、交戦権を持ち報復攻撃能力を有する米軍は「矛」の役割、このように役割分担がなされてきた。もちろん現実の自衛隊が「専守防衛」という建前通りであったか否かは議論のあるところだろう。

しかし最近は、この建前としての「専守防衛」自体を脅かす事態が進んでいる。特に昨年末、国会で強行採決された安保法制によって集団的自衛権行使容認が合法化され、自衛隊が交戦権を持つ米軍と軍事行動をともにする道が開かれた。その具体化として戦闘地域である南スーダンへの「駆けつけ警護」という交戦権行使の領域に踏み込む自衛隊の国連PKO派遣が実際に行われるようになった。一言でいって専守防衛の自衛隊が国土防衛以外の任務で他国軍と戦闘する、交戦するという領域に踏み込むことを余儀なくされている。

このような建前とはいえ9条の縛りを受けている自衛隊の専守防衛という役割に変質を迫る状況が出てくるに及んで、自衛隊や防衛関係者の間で自衛隊はどうあるべきかを正面から考えようという動きが出てきている。

「新安保法制に基づく自衛隊の新任務をどう見るか。これは完全に憲法9条に抵触します」。これは日本政府顧問として国連PKO活動の一環としてアフガニスタンでの武装解除を担当した伊勢崎賢治氏の言葉だ。氏はいまや国連PKO活動は交戦権を行使し他国の内政に干渉する活動に変質したとしながら、こう語る。「今、やらなければならないことがあります。交戦権を否定する憲法9条と交戦権を行使するPKO参加との関係を、真正面から問い直すことです」と。「自衛官の殉職を政治利用させない」とする氏の結論は、日本は国連PKO活動に参加すべきでなく、9条日本の独自の国際貢献を考えるべきだということだ。

新安保法制反対の立場からミサイル防衛部隊にいたという自衛隊員だった泥憲和氏の言葉がある。「自衛隊は、・・・防衛にのみ使える軍隊、侵略には使えない軍隊。そういう自衛隊であることを、私は誇らしく思う」。9条自衛隊、それが自衛隊員の誇りであり、これが自衛隊のアイデンティティになるべきではないのか? 日本の防衛現場からの一つの重要な声として聞くべきではないだろうか?

しかし現実はいま、新安保法制から9条改憲にさらに一歩進める危険性、9条改憲勢力が国会の圧倒多数を占めるという状況が生まれた。
9条改憲の最大の狙いは第二項「交戦権否認、戦力不保持」の削除だ。一言でいえば、相手国に攻め込む交戦権を持ち、戦争のできる攻撃的武力を持つということだ。自衛隊が専守防衛の「盾」ではなく、米軍同様、「矛」になる。

これを日米安保体制下の防衛路線とすればいったいどのようなことになるのか?
「交戦権、戦力を持った自衛隊+米軍」の防衛体制をとるということだが、「矛」といっても自衛隊は圧倒的攻撃能力を持つ米軍の「矛の一部」になるということではないのか?

攻撃能力という点で米軍の「矛」は自衛隊武力の比ではない。自衛隊は、核戦力、航空母艦、長距離爆撃機、巡航ミサイル、大陸間弾道ミサイルなど圧倒的な「矛」を持つ米軍の下位に立つしかない。結局、「矛」としての自衛隊は米軍の「矛の一部」にならざるをえない。

ならば9条改憲のもたらすもの、それは自衛隊の米軍への吸収合併、自衛隊が日米安保軍の下請け機関になることではないのか? さらに言えば、自衛隊は、米国の主導する戦争の「矛の一部」、一つの「駒」にすぎなくなるということだ。このような自衛隊に自衛隊員が誇りを持てるのか? また国民の支持が得られるのか? これこそ自衛隊のアイデンティティ危機ではないのか?

日米安保体制下における9条改憲は、自衛隊のアイデンティティを根底から揺るがすものとなるだろう。
「自衛隊のアイデンティティ」という視点からも9条改憲の正否を問う必要があると思う。それは憲法9条にこそ自衛隊のアイデンティティを求めるべきではないのかということを正面から考え、その議論を起こしていく契機でもある。