階級から民族へ① 私の転換

赤木志郎

私たちが闘争に参加するようになった動機で共通しているのは、67年10・8羽田闘争以降の高揚する闘争のなかに身を投じていったことだ。しかし、その経緯は皆それぞれ異なっている。小西は医学から弁証法→資本論と入っていったし、若林は反体制ロックから入った。魚本は反米愛国からだ。おそらく60年、70年代の闘争に参加した人の動機は皆、異なり、それぞれ自身の想いをもっていると思う。

私の場合は、軍国主義にたいする憎しみであり、依ってたつ立場は愛国よりも階級的立場だった。なにか心に動揺が起こると、「原点」として反軍国主義、階級的立場に立とうしてきた。

祖国より国際主義、民族より世界ではないかという響きがかつての私に満ちていた。「愛国」という旗を見ると目から怒りがかっーと出、「君が代」斉唱を拒否してきた。

その私が、国と民族を愛し、それから出発して考えようとなったのは20年以上の前のことだ。階級から愛国愛族、それは私にとってコペルニクス的転換だった。

多くの人々からは日本人が自分の国と民族を愛するのは当たり前のことで、「今頃、分かったのか」と軽蔑を受けるかもしれない。しかし、そう言ってくれるだけでも私には有り難い。また、愛国を拒否する人々も、愛国なんてと相手にしないかもしれない。そういう人ほど、私の教訓を聞いてほしいと思う。

国と民族を愛し、そのために生き闘うということは難しい。今だ、その葛藤の中でもがいている。しかし、その道を進むことこそが人間としての生きる道だと考えている。そこに至った経緯を時折、綴っていきたい。