保守かリベラルかではなく、従米改憲と立憲民主が対立軸

赤木志郎

この間ほど、保守とリベラルという言葉が行き交ったことはなかった。メディアやいろいろな人がとりあげ、論じている。それは、保守二大政党制を唱えた希望の党が登場したことと、それに反発し、リベラルの党として立憲民主党が生まれたことと関連している。

今日における保守、リベラルの意味を検討しながら、いま何が政治の対立軸となっているのかについて考えてみたい。

保守とリベラルの垣根をとりはらった立憲民主党
保守とリベラルという言葉は、政治における対立軸にかんする言葉(概念)だ。何が対立軸となるかで、右派と左派、保守と革新、資本主義と社会主義などがあり、その中間派をさす言葉として中道、社会民主主義などがある。 対立軸にかんする言葉だから、保守とはなにか、リベラルとはなにかからで考えると、誰(どの党)が保守かリベラルか分からなくなることがある。

かつて自民党と社会党で争ったことをさして、保守と革新が政治の対立軸だと言われてきた。
この場合の保守とは革新に対する言葉で、改憲派であり、現体制(資本主義)の維持派だった。大企業のほか中小企業家、自営業者(農民も含む)などを基盤にしていたといえる。一方、革新は、護憲派であり、労組や市民団体などを基盤にしていた。その後、冷戦が終了し、左の弱化で、保守とリベラルが対立軸になっていた。

他の資本主義国を見ても、イギリスの保守党と労働党、フランスの共和党と社会党、アメリカの共和党と民主党というように、保守かリベラルかを対立軸にするという点で共通していた。

今回、立憲民主党は、小池氏により排除されたことを契機に、「枝野立て」という国民の声に押されて生まれた。小池氏が改憲と安保法制を踏み絵にしたことにより、かえって反改憲・反安保法制、さらには格差是正を鮮明にした党を国民が求めたからだといえる。

この立憲民主党をさしてリベラルの党だと指摘する人が多い。普通、改憲を唱える安倍首相や小池氏は保守を自称しているし、保守とみられている。そこから、自民党・希望の党と野党第1党となった立憲民主党の対立軸を、旧来の自民党VS社会党に戻ったのではないかという識者もいる。従来の保守とリベラルの対立軸で見たら、そう見えるかもしれない。

ところが、立憲民主党代表の枝野氏自身は、「日本は戦後、お互いに支え合うリベラルな価値を積み重ねてきた。それこそ、保守じゃないか」と言いながら、自身は保守であるとしている。また、小林よしのり氏も、「安倍首相は保守でなく対米追随だ。立憲民主党こそ、保守だ」とし、保守の立場から立憲民主党への支持を訴えた。リベラルのチャンピオンのような枝野氏が「自分は保守だ」と言い、それに保守の論客である小林よしのり氏も「立憲民主党は保守だから応援する」というから、ちょっと戸惑ってしまう。しかも、二人とも「安倍首相は真の保守ではない」と断罪している。このことは、もはや、保守とリベラルが政治の対立軸でなくなっているということを物語っているのではないだろうか。

もともと保守は異なる考え方を排除せず熟議して漸進的改革をはかり、リベラルは個人の自由や多様性を尊重するというところに力点がある。西部邁氏によると、保守とリベラルは共存できるどころか一体と考えるのが妥当だという。そこから言えば、保守を自称しリベラルとみられる枝野氏は、これまであった保守とリベラルの垣根をとりはらったことになる。
それでは、何が現在の政治における対立軸となっているのだろうか。

対米追随改憲と立憲民主が対立軸
安倍自民党や小池希望の党は、アメリカの要請を受け9条改憲を主張する点で、同じ対米追随だ。小池氏は保守2大政党制をめざしたが、その企図は見事に破綻した。対米従属・改憲のもう一つの自民党を誰も望まなかったからだ。

以前なら改憲は保守の看板だった。保革の対立は憲法をめぐってあった。この場合の改憲の保守は、冷戦体制において現資本主義体制の維持であり、日本という国、その秩序を守るという意識が基底にあったと思う。しかし、現在の改憲の意味は、アメリカとの共同戦争体制を築くためのものになっている。これは、日本のためではなくアメリカのための改憲だ。このため、従来の保守が反改憲になりつつあり、政治の対立軸が変わるようになったといえる。

その変化はすでに2年前の集団的自衛権容認にもとづく安保法制に反対する闘争に表れていたといえる。
従来、改憲保守だった小林節慶大教授が反安保法制の闘いの先頭に立ち、今や、「立憲デモクラシーの会」に参加している。保守の長谷部早大教授も反安保法制の鋭い論陣をはった。国民的運動の牽引的役割を果たしたシールズは、現状の生活と平和を守ろうとする保守的な意識にもとづいていた。

今回の総選挙で自民党は、基盤とする保守層からも強い支持を受けなかった。多くの人々がとりあえず現状維持を望み投票しただけで、自民党にたいする支持が弱かったということは自民党関係者も認めている。もはや保守層は自民党支持の岩盤ではなくなっている。それは、アメリカの言いなりになって戦争の危険性を高め、生活では格差をいっそう拡大させていっているからだと思う。保守層が反改憲に大きく変わりつつあるといえる。

このことを端的に表現したのが小林よしのり氏だと思う。氏は、「なんで保守がリベラルを応援するのか。それはね、保守じゃないからですよ、自民党が。自民党は保守ではない。あれは、単なる対米追従勢力です。・・・我が国を、我が国で、個別的自衛権で守る。これが保守の考えなんですよ。・・・もともとやな、安保法制というのは安倍晋三がアメリカの議会に行って約束してきたことなんですよ。日本国民を置き去りにして、アメリカで約束して、それを日本で勝手に作ってしまったんですよ? こんなもののどこが保守だ!」と述べている。

他方、「立憲民主」も2年前の安保法制反対の闘いのなかで生まれた理念だ。これは日本国憲法を国の柱とし、そのことにより民主主義を保障し、国民大衆自身が主権者として政治に参加していくというものである。

この理念に基づく「立憲デモクラシーの会」「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」は、その後野党共闘を実現する活動を続けてきた。それが今日、「立憲民主」の政党の誕生に繋がったといえる。立憲民主党の躍進にかつてのシールズの学生たちが寄与したそうだ。そういう意味では、「立憲民主」をめざす勢力が、以前の知識人の組織や市民団体、学生運動からさらに、「立憲民主」の政党を求め、作ったことになる。立憲民主党は議席数の上では自民党と大差で負けたといえるが、国民大衆の熱い声援を受けたから敗北感はない。
今や、「従米改憲」と「立憲民主」が政治における対立軸となっていることをはっきり示していると思う。(了)