[今月の視点]「トランプ・アジア歴訪」に脱覇権時代の到来を見る

小西隆裕

去る11月5日から10日間、日本を皮切りに行われた米大統領トランプのアジア歴訪については、悪評、酷評、百出。一言で言って、覇権国家、米国の威信をここまで台無しにした行脚はなかったのではないかということだ。

鳴り物入りで喧伝された「対北朝鮮制裁」は、日本以外のアジア諸国からは受け入れられず、軽くいなされてしまった。もう一つの懸案、「通商不平等の是正」について言えば、中国による「28兆円」のお土産で、苦も無く丸め込まれてしまったというところだろう。これでは、覇権国家の威信を誇示するどころではない。米国製兵器の押し売り人に身をやつした覇権国家のなれの果てをアジアと世界の面前で晒しただけだった。

もはや米国には、世界に押しつけるべき「理念」も、それを可能にする力もない。それを「アメリカ・ファースト」、エゴ丸出しで建て直そうとした今回の行脚は、逆に「米覇権崩壊」のありのままの姿をさらけ出す歴史的な行脚になってしまった。

一つの時代が終わった。米覇権の崩壊という、この途方もなく大きな歴史的事態の展開を前にして、これをどうとらえるのか、今、諸紛々だ。曰く「中国覇権」説、曰く「米、中、露,EUへの多極化」説。・・・。実際、今回の「行脚」で存在感を示したのは、トランプではなく、習近平だった。「一帯一路」やAIIB。中国の覇権的力は、確実に強まっている。一方、来年のサッカー・ワールドカップ、原油価格引き上げ、科学技術力強化、そして何より、シリアや朝鮮、ヨーロッパ自国第一主義などとの連携で力をつけるロシア、さらにEUを足場に多極世界との連携を強めるドイツ、等々。

これら諸説に共通しているのは「覇権」だ。米覇権は崩壊しても覇権自体は無くならない。「多極化」と言っても、それはあくまで覇権の多極化だと言うことだ。

「覇権のない世界などあり得るのか」。今飛び交う「覇権大前提」の諸説は、そう言っているように見える。だが、果たしてそうだろうか。覇権をするには、力とともに、曲がりなりにも世界を納得させる「理念」がなければならない。それなしに、その覇権の下での「平和」などあり得ない。

問うべきは、今、中国やロシア、ドイツなどに世界に新機軸を生み出す「新しい理念」と呼べるものがあるかということだ。それがないのは、「世界公認」なのではないか。

では、米覇権崩壊の現実にあって、新しい理念などどこにあるのか。ある。それは、国と民族、集団そのものを否定し、人間を一人一人バラバラの個人にして支配する究極の覇権、グローバリズム、新自由主義による覇権崩壊の中から見えてきているのではないか。

自分の国、自分の地域、自分の集団、共同体を大切にし、それを踏みにじるあらゆる覇権に反対する「ファースト」の理念、トランプによる「アメリカ・ファースト」、まやかしの覇権「ファースト」でなく、真の「ファースト」、自分の国、自分の世界、自分の共同体、そして自分たち一人一人「ファースト」、脱覇権「ファースト」の理念こそが、今、世界を動かす新機軸としてその雄大な姿を現してきているのではないだろうか。米覇権の崩壊を全世界に印象づけた先のトランプ・アジア歴訪は、米国の言いなりにならない朝鮮をはじめ、脱覇権・アジア諸国の気概を世界に示した歴史的出来事だったと言うことができるだろう。