シリーズ・米覇権回復戦略の転換を考える【第2回】米国の衰退と米覇権回復戦略

小西隆裕

このところ、トランプ大統領の登場を前後しながら、米国の衰退についての声が高まり、もはや一つの常識になっているのではないかという感があります。もちろん、それは米国の国力一般のことではありません。世界の超大国、覇権国家としての衰退です。だから日本にとって他人事ではありません。自分の運命に関わることとして、それを喜ぶのか、嘆き動揺するのか、私たち一人一人の立場が問われて来るのではないかと思います。

ところで、米覇権の衰退について言えば、それは何も今に始まったことではありません。1950年代初、朝鮮戦争で停戦を余儀なくされた時も、70年代、あのドル危機やベトナム戦争敗退の時にも「衰退」が言われました。さらに帝国主義覇権総体の衰退について言うなら、第二次大戦前後にまでさかのぼるようになります。アジアをはじめ、アフリカ、中南米など、植民地、半植民地の解放、独立をめぐる闘いや大戦勝利の一方の旗頭、ソ連と東欧諸国の社会主義に向けた闘い、そして大戦の戦火で廃墟になった日欧帝国主義本国の衰亡。これら帝国主義覇権総体の著しい弱体化を通し、一人戦火を免れた新興帝国主義、新たな覇権国家、米国の隆盛は、その足下から掘り崩されていたと言えるのではないでしょうか。

この帝国主義覇権総体の崩壊に直面しながら、米国はそれを自らの興亡に関わる問題としてとらえ、その復旧に躍起になりました。そこで取られたのが、植民地、半植民地諸国の「主権」を認め、かれらに「独立」を装わせながら、実は米国の意思に従う傀儡政権に仕立て上げるという新たな植民地主義、新植民地主義による覇権回復戦略でした。一方、ソ連・東欧など新興社会主義圏に対しては、「冷戦」による覇権回復戦略が取られ、日欧帝国主義に対しては、それらが、米覇権の下、息を吹き返し、その手足になって従う帝国主義覇権陣営の復活が図られました。これが第二次大戦直後、米覇権の実相だったと言えるのではないでしょうか。

問題はその結果です。大戦終結を前後して米国が取ったこうした覇権回復戦略の成否について言えば、何よりもまず挙げられるのは、新植民地主義・覇権回復戦略が以後40年に近い攻防の末、結局破綻したことです。南北に引き裂かれた分断国家の南半部・傀儡政権が米軍の後ろ盾の下、北半部の独立政権に対して引き起こした戦争、朝鮮戦争やベトナム戦争が「北」の勝利に終わったこと、また、アンゴラなど旧来の植民地主義政権やキューバ、ニカラグァなど独立を装う新植民地主義・傀儡政権に反対し真の独立を求めて立ち上がった民族解放闘争が世界的範囲でことごとく勝利したこと、などにそれは端的に示されていると思います。

一方、「冷戦」による覇権回復戦略は、ほぼ40~45年に及ぶ攻防の末、「西側」、帝国主義の側の勝利となりました。なぜそうなったのか。その要因については、「東側」、「社会主義陣営」の側に、ソ連による覇権主義、支配主義とそれに対する東欧諸国の事大主義の問題、社会主義諸国内部にはびこった官僚主義の問題、等々、深い総括が求められているのではないでしょうか。

そしてもう一つ、日欧帝国主義に対する戦略の結果はどうなったでしょうか。戦後、日米や米独など帝国主義間の不均等発展による摩擦や対立が生じながらも、その関係はおおむね協調を基本とするものであり続けてきました。なぜそうなったか。そこで重要なのは、民族解放勢力など、反帝反覇権自主勢力の力が世界的範囲で決定的に強まり、帝国主義覇権勢力が互いに対立しているどころではなくなったことであると思います。

新植民地主義による米覇権回復戦略の破綻、それはすなわち、米国の衰退とともに、第三世界、非同盟自主勢力など世界的な範囲での反帝反覇権自主勢力の成長・発展を意味していました。1970年代も後半に入り、それは、誰の目にも明らかでした。そうした中、米覇権回復戦略の大転換が世界的な規模で図られていたのです。それについては、次回に述べさせていただきたいと思います。