【安保防衛論議その3】日本が朝鮮と戦争を「する」のか「しない」のか-その決断が問われる現実を直視すべき

若林盛亮

2018年、新年を迎えるいま、朝鮮にいる私たちが痛切に思うのは、来る新年は日本が朝鮮と戦争を「する」のか、「しない」のか、この決断が問われる年になるであろうということ、このリアルな現実を日本人すべてが直視すべきではないかということだ。言うまでもなく日本が戦争を「しない」という決断を下すべきだ。そしてその決断を国策として具現できるリアルな日本の安保防衛路線とは何かを全国民的に議論すべき時に来たのだということをこの「議々論々」の場を借りて訴えたいと思う。

今回は、わが国に朝鮮と戦争を「する」か「しない」かの「決断」が問われるという、この現実をリアルに直視すべきことについて述べたい。

11月に朝鮮が発射した新型ICBM「火星15号」は米本土全域を射程におさめ、かつ重量級核爆弾積載能力を備えたものであった。朝鮮のこのICBM発射実験は、かつて米国が言っていた「レッドライン(越えてはならない一線)」を朝鮮が越えたことを意味する。どんな制裁も圧力も朝鮮の核とミサイル開発を止めることはできなかったということだ。米国に残された選択肢は、朝鮮と戦争を「する」のか、「しない」のか、これしかなくなった。いまこの決断が米国に迫られている。トランプ政権内部から「いま軍事攻撃の確立は30%、水爆実験をやれば70%になる」との声も上がっている。

このような事態の中で私たち日本人が考えなければならないことは、「朝鮮との戦争か否か」この決断が日本にも迫られるということ、単に米国の戦争に巻き込まれるのではなく日本が戦争当事者になるということが、避けられない現実だということだ。

日米安保を国の防衛の基軸とし、集団的自衛権行使を強いる安保法制が施行されている日本にあって、自衛隊には朝鮮の攻撃を受ける米軍を防衛する義務が生じ、米軍を攻撃する朝鮮人民軍との交戦は不可避なものになってしまった。米国の朝鮮との戦争は、即「日本の朝鮮との戦争」になるのだ。これがいま私たちの置かれている日本国のリアルな現実だ。

こうした現実があるにもかかわらず、日本の政治家や識者という人々は、「トランプはいつ軍事的決着に乗り出すのか」だとか、「いや政権内の良識派がトランプを押さえるからまだ大丈夫だ」だとか、もっぱら米国の「決断」がどうなるかに一喜一憂することに終始している。戦争を「する」「しない」の決断が日本とは関係のないまるで他人事になっている。

肝心の政府、安倍政権に至ってはもっとひどい。朝鮮と戦争を「する」というリアルな決断も覚悟も打算もないままに、その政治は戦争を「する」にひたすら向かっている。

先頃、安倍政権は米国から射程900kmの巡航ミサイル購入を決めた。これは日本海からピョンヤンに届くミサイルであり、敵基地攻撃能力、交戦力を保持することを意味するものだ。またわが国の次期防衛大綱では「敵基地攻撃能力の保有」を打ち出すと安倍首相は国会で明言した。自衛隊を「交戦権」を持った「戦力」に、朝鮮と戦争を「する」軍隊に改編するということだ。言うまでもなくこれは違憲行為、立憲主義の否定である。公然たる憲法九条否定、立憲主義の否定は「戦争放棄」の否定の公然化であり、これはとても危険なことだ。

今日の「北朝鮮の核とミサイル問題」の現在位置は、米国と共にわが国が朝鮮との戦争当事国になるのか否か、その「決断」をわが国に迫る究極の段階にある、すべての日本人がこの厳然たる現実をリアルに直視すべきだと思う。