「ならず者国家」と「修正主義国家」その評価の基準を問う

小西隆裕

最近よく聞く言葉に「ならず者国家」「修正主義国家」なるものがある。前者の代表は、言わずと知れた「北朝鮮」だ。では、後者は?米国の「国家安全保障戦略」によると、中国やロシアのことらしい。

これらの国をなぜそう呼ぶことにしたのか。前者は聞かなくても分かる。核とミサイルで世界を脅して回る「ならず者」ということなのだろう。では、後者はなぜか?「修正主義」とは、何を「修正」しているというのか?すぐには分からない。そこで前記の「戦略」だが、それによると、今の「国際秩序」を修正しようとしているということらしい。

ひと頃よく言われた言葉に、「力による現状変更」というのがある。中国による「南シナ海の軍事基地化」やロシアによる「クリミア半島の編入」「ウクライナ分割」のことだ。ここで言う「現状」とは、今現にある「国際秩序」を指している。すなわち、中国やロシアは、その「秩序」を力で「変更」、「修正」しようとしているということだ。

この伝で言えば、「ならず者」とは、「国際秩序」を乱す者ということになる。では、「ならず者」と「修正主義者」とはどう違うのか。上記の「戦略」によれば、それは、「秩序」の乱し方、その程度の違いだということのようだ。それにもう一つ、「修正主義者」たちは、「秩序」を修正しようとはしているが、一方で「ならず者」の制裁などで協力もしているということらしい。

「協力」?一体誰への「協力」か。それが「米国」への「協力」、「米国による秩序」への「協力」であることは明白だ。
もはや明らかだ。よく言われる「国際秩序」とか「国際社会」とかは、どこまでも米国による「国際秩序」、「国際社会」であり、「米覇権秩序」のことに他ならない。

「ならず者国家」とか「修正主義国家」とかいった評価の基準もここから明らかだ。どこまでも米国による「国際秩序」、米覇権秩序に対する態度いかんにあるということだ。

ところで留意すべきは、今日、この「米覇権」、いや「覇権」というもの自体が通用しなくなってきているという事実だ。早い話、米国は、「ならず者国家」、朝鮮を取り締まれていない。制裁をかけてもかけても、朝鮮は核とミサイルの実験をやり続けることができた。それは、制裁が効いていないということの証に他ならない。事実、米国による経済制裁は「ザル」になっているし、戦争による脅しは全く効いていない。

朝鮮は、朝鮮による報復の核戦争が避けられなくなった今、米国が朝鮮に戦争を仕掛けることはもはや不可能と断言するまでに至っている。それだけではない。直近の事例を見ただけで、「エルサレム問題」にしろ「イラン問題」にしろ、米国が言ったことで「国際社会」で受け入れられたものは何一つない。ということは、今日、「国際社会」は、もはや米国が支配する社会ではなくなったということだ。

この米覇権崩壊の現実にあって、「ならず者国家」や「修正主義国家」と言った呼称も、遠からず、変わってくるのではないだろうか。