シリーズ・米覇権回復戦略の転換を考える【第3回】究極の覇権、グローバル覇権への転換

小西隆裕

1975年、米帝国主義を打ち破ったベトナム戦争の勝利。それに続く、ラオス、カンボジアでの戦争勝利。このインドシナ半島の民族解放戦争勝利がもたらした意味は計り知れませんでした。それは、世界的範囲でのかつてなかった民族解放闘争の大高揚、それにともなう第三世界、非同盟運動の出現を引き起こしました。1970年代を通じて、決定的になった新植民地主義・覇権回復戦略の破綻は、その結果でした。

形式的な「独立」によってできた、米国や旧宗主国言いなりの傀儡政権は、米国やフランスなど帝国主義、旧宗主国の後押しにもかかわらず、民族解放革命、戦争に破れ、次々と倒壊しました。もはや、新植民地主義の欺瞞とその破綻は万人の前に明らかでした。

一方、米覇権回復戦略は、経済でもその破綻を露呈しました。あのニューディール政策、そして第二次大戦以来、政府が大々的な公共事業投資や戦争で有効需要をつくり出し経済を回転させて来た「ケインズ主義」による覇権経済が、戦争や公共事業でいくら需要をつくり出しても不況を活況、好況に転換できず、それとカネのばらまきによるインフレが重なって生まれた、不況とインフレの同時進行、スタグフレーションの泥沼を前に為す術を知らない無力をさらけ出してしまったのです。

この軍事と経済、両面に渡る新植民地主義、ケインズ主義による米覇権回復戦略の破綻は、新たな覇権回復戦略への転換を要求しました。そこで打ち出されてきたのが、グローバリズム、新自由主義による覇権回復戦略でした。

新自由主義の経済政策としての実施は、よく知られているように、1970年代後半、南米のチリで始まりました。1929年大恐慌の原因となった経済政策として烙印を押され、世界的に放棄された自由主義の亡霊がもう一度新たな装いの下、新自由主義として息を吹き返しました。その特徴は、有効需要の創出ではなく、規制の徹底した撤廃、究極の自由化、すなわち、徹底した弱肉強食のジャングルの論理、無制限の自由競争や国営企業の民営化など、供給の側の構造改革によって、スタグフレーションからの脱却、経済の活性化を図るというものでした。

一方、国と民族の独立、革命の嵐からの脱却は、国と民族そのものを否定し、国境をなくして、世界の単一市場化を図るグローバリズムによって追求されるようになりました。

このグローバリズムと新自由主義は、その奥深いところ、根本的なところで重なり、一致していると思います。それは、集団的で社会的な存在としての人間そのものの否定と言うことです。言い換えれば、それは、自分の国と民族を思い、同胞、故郷を思う人間の心とそのつながりの否定だと言うことができるのではないかと思います。

こうしたグローバリズム、新自由主義による覇権は、国と民族の主権、自主権を奪い蹂躙して、その下にある人々を支配する覇権にとって、その極致であり、究極の覇権だと言うことができます。それは、この覇権が、これまでの国や民族、集団がもつ抑圧的で否定的な側面に反発反対し、そこからの解放を求める人々の共感と共鳴を誘いそれを利用して、主権、自主権の基にある国と民族、集団の存在それ自体を否定し、国境をはじめありとあらゆる規制を取り払って行う覇権であるからに他なりません。その上で言えば、この究極の覇権が、米国の圧倒的な核軍事力による恐怖の支配、新保守主義(ネオコン)覇権を離れてはあり得ないのを忘れてはならないと思います。

この究極の覇権、グローバリズム、新自由主義、そして新保守主義による覇権が、新植民地主義から脱却した国と民族の独立、革命の嵐を鎮め抑え付け、ソ連、東欧圏の崩壊を決定的なものとし、他の帝国主義諸勢力をその懐の中に納めて、「米一極世界支配」とも言える状況を現出したのです。

しかし、このグローバル覇権は、意外なほど短命でした。あの南米での「実験」から数えてみても、40年にも満たない年月です。ではなぜ、この究極の覇権が崩壊に至るようになったのか、「次回」はそれについて見てみることにします。