誰が何と言おうと

小西隆裕

今、朝鮮は、米国や日本、国連総会が何と言おうと、それには一切耳をかさず、自分たちの「核とミサイル」を止めようとしていない。

そこで思い浮かぶのは、かつて私が「信条」のようなものにしていた言葉だ。それは、「誰が何と言おうと」。同志たちの意見を聞かず、自分の考えに固執する私に、ある日、田宮さんが語りかけてきた。「人民が何と言おうと聞かないのか?」と。そう言われると困る。人民の言ったことは、自分の考えと違っていても受け入れなければならない。「ならば、同志たちの言葉はどうなのか?」。何かがストンと落ちた感じだった。

では、朝鮮はどうなのか?朝鮮が相手にしているのは、人民でも同志でもない。米国や日本だ。国連総会といっても、米日による工作が多分に入っている。事実、総会決定の「制裁」を真面目に履行しているのは10ヶ国にも満たないという。

この「誰が何と言おうと」は、どう見ても間違っていない。新年早々、朝鮮は韓国に呼びかけた。南北問題は、どこまでも民族内部の問題だ。外部に聞いて回っても、得るものは何もない。あくまで「わが民族同士の原則」で解決しようと。

もちろん、この「内部」と「外部」というものの考え方も一つ間違えば、「排外主義」などになってしまう。しかし、「内」を大切にしてこそ、「外」も大切にできるということもある。新年を迎えながら、私の「誰が何と言おうと」も深みを増すことが問われているようだ。