「花はどこにいった」-お正月に電話したNさんのこと

若林盛亮

元日の午後、日本に電話した。ご夫婦で老人ホーム居住のNさんに年賀の挨拶をするために。お子さんもおられないので、せめてお正月くらいは肉声で挨拶をと思ったからだ。

Nさんは、1980年代初期に九州の各局TV取材団の団長として訪朝されたが、Nさん取材番組が久々の「よど号」TV放映だとして話題になったものだ。またTV局引退後の2000年代に入って、大人の女性第一陣のKさん帰国時に同行され、帰国した「3人娘」を家庭に招待もしてくださった。そういった因縁浅からぬ方だ。

85歳のNさん、電話のお声は話すのがやっとというものだった。「もうやることもないし、ずーっと生きててもしようがないしね・・・」などと言われるものだから、「二度と戦争をする国になってはいかん! と言える世代がいる、そのことが大事なんです」というような言葉を返した。それは私自身の思いでもあった。

「死ぬ前に考えたこと」というNさんのご著書がある。ご夫婦でピースボートに参加、地球を二周された航海記だが、「Where Have All The Flowers Gone-花はどこに行った」の歌声が波間に響くというシーンが私の胸を打った。その感想をNさんに送った。私たちの世代には馴染みのあるベトナム反戦歌だが、Nさんには日本の戦争で「散った花たち」、日本の戦死者への鎮魂の歌だった。

航海がアリューシャン列島のアッツ島とミッドウェーの間を通過するときをはかって、米人女性アリソンさんに後甲板でその歌をうたってほしいと所望。

 花はどこにいった 花は少女たちが摘んでいった
 少女たちはどこにいった 少女たちは若者たちが連れていった
 若者たちはどこにいった 若者たちは兵士になってしまった
 兵士たちはどこに行った 兵士たちは墓場にいった
 墓はどこにいった 墓は花に覆われてしまった

ミッドウェーは大日本帝国海軍の主力航空母艦と3,064名の将兵を呑み込んだ海、アッツ島はその一年後、日本陸軍守備隊2,500名が玉砕した島。毎日新聞記者だったNさんの父君は敗色濃厚な中でも「マニラ新聞」発行を続け、マニラ脱出後もフィリッピン山中で「神州毎日」をつくりつづけ殉職、餓死だったという。

当時、軍国少年で「もう少し年長だったら特攻隊に志願していただろう」というNさんは、「花はどこにいった」を一人で聴くのはもったいないと若者二人を誘う。「爺さんの感傷のおつき合いでベトナム反戦歌を聴かされたけどあれは何だったのか、いつの日か思い出してくれればうれしい」、これで「私の気はすんだ」とNさんは書いている。

「あとがき」にはこんな怒りが綴られていた。
今日(2014年10月19日)、自民党の女性大臣三名が靖国神社に参拝し、「国策に殉じた方々の御霊が安らかであるように祈った」と語ったと報じられている。「国策に殉じ」とはどんな国策なのか説明してもらいたい。三人とも、焼け跡も知らない、遺家族の苦しみも感じない世代だと思うが、「国策に殉じた方」とは、国策を立案した連中を容認するとでもいうのか。

こういうことを言えるのは、軍国少年だった世代、「国策に殉じさせられた」父たちの魂の声を知る世代だ。戦後生まれの私の世代にはできないことだ。だからNさんには生きつづけ語りつづけてほしい。世代に世代を次いで日本人の歴史は伝えられ生かされねばならない。歴史を知ることは自分を知ることだ。

いま「北朝鮮が国難」なので「敵基地攻撃能力の保持」が必要だからと、巡航ミサイル購入だとか、自衛隊護衛艦を空母に改造するだとか、実質的な「戦争をする国」国策化が進みつつあるわが日本国。

Nさんの著書「死ぬ前に考えたこと」、その最後は「なかなか安らかになれない私である。やっぱり戦争のことを書くか」で締めくくられている。いまは話すのがしんどければワープロでトコトコ打つこともできるじゃないですか、語り続けてくださいNさん。