議々論々 小西隆裕氏の「『朝鮮と戦争する国』になるのか?!」に一言②

Y.S

コーナー「議々論々」2月20日の「『朝鮮と戦争する国』になるのか?!」(小西隆裕) の文章にY・S氏から届いた感想を掲載します。

小西隆裕 様

論文読ませていただきました。ありがとうございました。昨日は東京に雪が降りました。
「朝鮮半島で起こった激震は、これで終わりではない。と言うより、これはまだ予震に過ぎず、本当の揺れはこれからだと言える。」
私もその通りであると考えます。

「この朝鮮をめぐる大激動にどう対するかが日本に問われている。そこでまず言えるのは、米国言いなりからの脱却ではないだろうか。」

安倍首相の独断的な外交で将来に向けてどれだけ大きな禍根を残したか。このことをよく国民が自覚しておかなければならない。彼の外交の基本(これは外交というより彼の政治姿勢の根幹であるが)として第一に挙げるべきは、論文に書かれている「盲目的な対米追随」です。そして北朝鮮はもちろん、大切な隣国の韓国、中国との関係も無茶苦茶にしてしまった。

安倍首相は近隣の諸国の首脳の誰からも評価もされていないし、信頼もされていない。ちやほやしてくれるのは彼が援助資金をばらまいている諸国だけで、それも本心からのものではないことは明らかです。

この実態を一番認識しなければならない日本国民が、今日まで選挙を通して安倍政権を支えてきたのであるから、自業自得と言わざるをえないと私は考えています。ただ政治、経済の分野はもとより、教育界への介入、マスコミに対する恫喝、官僚に対する人事権による支配、オリンピックを通したスポーツ界の支配、はては芸能界との交流に至まで、安倍政権の支配構造は全社会的に構築されている。

この権力構造が崩れてしまった後には「レベルの低い人々によるとんでもない支配であった」と評論家は述べるかもしれませんが、現時点では決して軽視できない巧妙さ器用さとある意味勤勉さを持ち合わせていると思われます。

戦後の政権でここまであらゆる分野に支配構造を張り巡らせた政権はない。それも表面的には安倍の坊ちゃん的な見てくれを利用してソフトな印象を持たせつつ、実態は政権に逆らう者に対してはあらゆる手段を使って排除するという冷酷な本質が秘められています。

「今回の事態に向き合う上で、次に問われていると言えるのは、朝鮮を蔑視し軽視する意識から脱却することではないかと思う。」

以下のことは小西もご存知かと思いますが、日本人に根強く残っている朝鮮蔑視の例として述べます。1998年50歳で亡くなった衆議院議員の新井将敬は日本で育ちましたが、両親が朝鮮人で16歳の時に日本に帰化しています。

彼が初めて衆議院議員選に立候補した時、同じ選挙区で競争相手となった石原慎太郎の秘書が新井氏のポスターに「北朝鮮から帰化した人物」というシールを大量に貼付けた事件がありました。石原慎太郎もその行為は正当なものであるとの考えを示し、それを後押しした週刊誌もありました。

この新井陣営への妨害行為に対して、右翼で憂国の士といわれた野村秋介が憤慨し、「汚いことをするな」と石原慎太郎の選挙事務所に怒鳴り込んだという事件がありました。このように右翼と言われる人でも朝鮮蔑視の行いは「日本人として恥ずべき行為であり絶対にしてはならない」と考える人もいます。

しかし安倍政権で彼を支えている人物は石原慎太郎と同じように朝鮮蔑視の考えを持っているように思われます。そして、そのような思考をする人々は、他の分野においても発想が共通したものとなり集団を形成して安倍政権を支える力となっている。私はこのような人々は決して真の愛国者ではないと考えています。

元文部科学省事務次官の前川喜平氏を出会い系バーに出入りしていたということで貶めようとした菅官房長官などはまさに品性下劣な人間であると考えます。権力におもねる茶坊主のような安倍首相の取り巻き議員も同じことです。

朝鮮を蔑視し軽視するということが盲目的対米従属と表裏一体であり、これを払拭する事が日本の品位を保つ事ことに繋がる非常に大切な事だという今回の提言に心から賛意を表したいと思います。

ではお元気で。(Y・S)