【今月の視点】今、朝鮮とどう向き合うか

小西隆裕

世界が驚いている。この間の朝鮮半島をめぐる情勢の急転は普通でない。

ピョンチャン・冬季オリンピックを同じ民族の慶事としてともに祝おうと、選手団、芸術団などとともに格別の高位級代表団が送られ、南北首脳会談の早期実現を呼びかける親書が文在寅大統領に直接手渡されたこと。

オリンピック閉会式に再び「北」の高位級代表団が派遣されたのに続き、親書を携えた「南」の高位級代表団がピョンヤンを訪問し、金正恩委員長との会談に基づいて、4月末の南北首脳会談など5項目の確認を明らかにしたこと。

さらに、その結果が米国へ伝えられ、トランプ大統領が即席で5月までの朝米首脳会談を表明したこと。このわずか一ヶ月の一連の出来事が、これまで一触即発の危機に直面していた国際政治の様相をがらりと変えたように見える。

急転する朝鮮情勢は、「制裁効果」なのか?
トランプ大統領は、朝鮮半島で起きた世人の想定を超える激動を「世界にとって素晴らしいこと」と激賞しながら、それを引き起こしたのは自分だと胸を張って見せた。すなわち、米国主導の世界的包囲と制裁、それが朝鮮に手を上げさせたということだ。

日本でも評価は判を押したように右へ倣えだ。「制裁が効いてきている証拠だ」、等々。その上で、「北の制裁逃れ」「包囲網破り」「時間稼ぎ」「騙されるな」などといった声がしきりだ。

だが、本当にそうなのだろうか。今確かに、朝鮮でガソリン代が上がっているのは事実だ。しかし、交通量はさほど下がっていないし、電力事情にも大きな変化は見られない。貿易量が下がっており、海上での「瀬取り」(物の受け渡し)などがやられるようになっているのは事実だろう。

だが、全世界200近い国々で、制裁を真面目にやっている国は10ヶ国に満たないという。そして何より、朝鮮が元来、外に頼らない自立的民族経済の国であり、特にこの間、自力自強、国産化の運動を強めていることを忘れてはならないだろう。

「米国言いなり」の誤りを問う
米国に倣っているのは、何も今回の評価だけではない。日本の対朝鮮政策を見た時、それが米国に倣うどころか、米国言いなりになっているのは一目瞭然だ。

何よりもまず、ものの見方自体が米国言いなりだ。朝鮮の核とミサイルが日本を対象にしていると言われれば、それをそのまま受け入れている。ミサイル開発が日本を遙かに超えた射程で米国に向けて進められているにもかかわらずだ。

見方だけではない。ものごとへの対処の仕方も完全に米国言いなりだ。「攻撃能力の一部を担え」と言われれば、朝鮮のミサイル基地への攻撃を検討しているというが、正気の沙汰か。そんなことをすれば、朝鮮の核ミサイルによる対日報復は避けられない。その時、日本が身を捨てて守った米軍は、一体何をしてくれるというのか?

朝鮮を封鎖し孤立させるための安倍外交もそうだ。核とミサイル問題は、あくまで朝米問題だ。なのに安倍首相は、米国に言われるまま、広く世界各国に出向いては、「米国の敵」である朝鮮の圧殺を説き、貴重な国費をばらまいている。

こうした日本のためでない、米国のための米国言いなりの対朝鮮政策が日本にもたらしている事態は重大だ。中でも深刻なのは、今、朝鮮が日本の「国難」、最大の「脅威」とされ、日本が米国と共同で戦争するための「改憲」「新防衛大綱」の根拠にされていることだ。

「改憲」「新防衛大綱」によってその完成が目論まれる日米共同戦争体制の構築。それは今日、弱体化し揺らいでいる米国中心の国際秩序、米覇権秩序を支え補強するため、日本の軍事力を米軍事力に全面的に組み込み、その補完力量として使い捨てるためのものに他ならない。

日朝関係が「米国言いなり」で悪化し、それがまた、対米従属をさらなる新たな段階へと引き上げる。それは何も今に始まったことではない。

明治維新から間もなく、日本が「脱亜入欧」に踏み切った時にも、第二次世界大戦の惨劇から戦後復興に立ち上がった時にも、隣国、朝鮮との関係は、日本にとって大きな意味を持った。

朝鮮への対応をめぐって明治6年の政変が起き、それを契機に、欧米を背に負ってのアジア覇権への道筋がつけられたこと。朝鮮戦争での特需と「参戦」が、対米依存、対米従属の日本の復興と再軍備、アジアへの再膨張を決定づけたこと。対朝鮮政策と対米、対欧米政策との関係は、日本の近現代史に深々と貫かれている。

制裁の破綻としての「朝米首脳会談」
朝鮮半島をめぐる激震、「南北対話」と「朝米対話」にどう向き合うか、それは今日、日本でもっとも切実に問われている問題の一つだと思う。

そこで問われているのが「米国言いなり」からの脱却だ。

今回の「激震」で、米国が言っていることの核心は、先述したように「制裁効果」だ。
普通、にらみ合いの勝負では、先に動いた方が負けだ。今回、先に動いたのは朝鮮の方だ。だから、「制裁効果」だというのがトランプの言い分だろう。

しかし、今回の「勝負」に限っては、そうとは言えないと思う。なぜなら、今回は朝鮮の方から米国へ助け船を出してやったという側面が濃厚だからだ。

今回、困っていたのは米国の方だ。昨年末、朝鮮は「国家核武力完成」を宣言した。これで米国は、自国本土への核攻撃を覚悟することなしに、朝鮮を核や戦争で脅して支配することができなくなった。後は、時間が経てば経つほど、核による米覇権力の衰退はより決定的になるだけだ。

覇権国家としてこの苦境を乗り切るため、米国には、朝鮮を制裁で屈服させ、核を放棄させるしか方法はなかった。朝鮮は、それに「朝米首脳会談」と「朝鮮半島の非核化」で応えてあげたのだ。

朝鮮がそれによって得るものは大きい。米国との間での「平和協定」と「国交正常化」、そして何より、「南北統一」への大きな前進だ。これは、明らかに、制裁の「効果」ではなく、「破綻」だと言えるのではないだろうか。

脱米自主、日朝友好の時が来た
朝鮮半島で起こった激震は、これで終わりではない。と言うより、これはまだ予震に過ぎず、本当の揺れはこれからだと言える。

この朝鮮をめぐる大激動にどう対するかが日本に問われている。そこでまず言えるのは、「米国言いなり」からの脱却ではないだろうか。

今日、事態を掌握し主導しているのは米国ではない。朝鮮だ。そうした中、今回の事態を米国言いなりに「制裁効果」と見、河野外相のように「今こそ制裁強化の時だ」などとトンチンカンにはやり立つのは禁物だと思う。

これからの事態発展に対応する過程は、日本にとって、米覇権崩壊の実相を学ぶ学習の過程とならねばならず、これまでの対米依存・従属の呪縛から抜け出、脱米自主へと飛躍する突破口になるべきではないかと思う。

今回の事態に向き合う上で、次に問われていると言えるのは、朝鮮を蔑視し軽視する意識から脱却することではないかと思う。

朝鮮が米国に勝てるはずがない。屈服するのが当然だ。いや、屈服してくれなければ困る。でないと、日本の立つ瀬がない。こうした意識がわれわれの中に全くないと言えるだろうか。

蔑視は、「南」にも向けられている。今回、朝米の間を仲介した韓国を単なる「使い走り」だと蔑むところにもそれは端的に現れていると思う。

南北朝鮮への蔑視、軽視は、また何よりも、両者の「統一」に向けた民族的な意思と要求がまるで尊重されていないところに如実に示されているのではないか。首脳会談で注視されているのは、「朝米」であり「南北」ではない。後者は、せいぜい「北」の体制維持のため、「南」がどれだけ援助させられるか、それをなんとか食い止めねばと言われているだけだ。

「アジア悪友論」に基づく「脱亜入欧」、欧米の覇権の下、アジアに覇権してきた150年近く、われわれ日本人の意識に広く深く浸透し沈殿してきたアジア、中でももっとも近い隣国、朝鮮に対する蔑視の思想、意識と今こそ闘い、そこから脱却する絶好の時が来たのではないだろうか。

朝鮮は、「北」はもちろん「南」も、昔の朝鮮ではない。これから、南北朝鮮の統一に向けた闘いが、日本も含めた周辺諸大国の様々な妨害に抗して推し進められていくだろう。そこで問われるのは、彼らに一目も二目も置いた連帯、新しい日朝友好だろう。それが脱米自主と一体になること、この「自主」と「友好」こそがこれからの闘いのスローガンになるのではないだろうか。