見落としてならない「アメリカ」―「モリトモ」もう一つの視点

魚本公博

前回、黒田勝弘氏の「日本は『朝鮮半島』に深入りすべきでない」という本について述べながら、事の本質をよく見るためには、「アメリカ」を見なければならないということを強調した。

今問題になっている「モリトモ」の文書書き換え問題でも、もう一つの視点として、「アメリカ」との関係を見なければならないとこ思う。

「選択」1月号の「東京地検『スパコン詐欺』の落とし所」という記事があり、「財務省、文科省ときて、次はいよいよ経産省か・・・」という文章から始まっている。

スパンコン詐欺とはペジーコンピューティング社長の斉藤元章氏による補助金横領事件であるが、この事件も「モリ、カケ」同様、安倍首相の「おともだち」への便宜斡旋という問題としてある。

確かにそれは問題だ。その上で、この問題は、選択誌が指摘するように、「森友=財務省、加計=文部科学省、スパ=経済産業省」として、それぞれの省庁が問題視されていることを見落としてはならない。

米国は、90年代に入って「日米構造協議」で日本の政治、経済のあらゆる領域での構造改革を要求してきた。

それは、80年代に「Japan as NO.1」と言われるまでに力をつけた日本をあくまでも米国の従属下に置き利用するために、「日本株式会社」と言われたような政財官が一体になった社会や政治の構造を破壊し、「アメリカ」が浸透し利用できるようにせよというものであった。

今問題にされている文書管理=情報公開も、その「構造改革」要求の一環としてあった。
そこでは各省庁が握っていた許認可権が問題とされた。95年段階で各省庁が持っていた許認可権限は実に1万760件。

これでは「アメリカ」が入っていけないとして、許認可の削減や許認可決定過程の情報公開が要求され、それらを盛り込みながら2001年には「省庁改変」が行われた。

今「モリトモ」で問題視されている「公文書管理と情報公開」の徹底化は、それをもって、財務省、経済産業省、文部科学省などの省庁改編に進むと取り沙汰されており、それは米国にとって、「もっと入りやすく、利用しやすく」するためのものとなるのではないだろうか。

このように見れば、安倍首相は、見苦しいほどの従米姿勢を示すことで、もう大丈夫と安心し傲慢になり、安逸に「おともだち」への便宜斡旋を行い、その結果、省庁再編という米国の要求実現に口実を与えたということになろう。

まさに批判すべきは、そこにあるのではないだろうか。

今後、安倍首相が米国の要求を実現することで保身を果たすのか、それとも新しい誰かが、それをやるのかは分からない。しかし、どちらにしても、日本の政治は、日本の国益を第一に考える自主的な政治でなければなければならず、その実現なしに問題の根本的解決はできないと思う。