【安保防衛論議その9】―激変する東アジアの安保環境(2)―戦後日本の安保防衛路線「憲法9条+日米安保」を見直す時!

若林盛亮

南北朝鮮の和解と協力が進む、それは米国をして朝鮮との停戦協定を平和協定に転換すること、「朝米間の戦争状態終結」にまで行かざるをえなくするだろう。

結果として韓国駐留の米軍縮小、撤収という事態にまで進む、日本を取りまく東アジアの安保環境が激変する。

これが日本に及ぼす影響は好ましいはずなのに、残念ながら現状ではそうはならない。
東アジアの軍事拠点としての韓国を失う米国は、日本の米軍基地強化とともに、自衛隊の役割を強化することを求める。その核心は専守防衛から攻撃能力(交戦能力)保有の自衛隊への転換、9条の無力化、または9条改憲を求めてくるだろう。

これはどう考えてもおかしい。日本の周囲が平和的環境になるのになぜ沖縄など米軍基地縮小ではなく増強となるのか、なぜ専守防衛できた自衛隊が攻撃能力を持ち、米軍と共同で戦争できる軍隊にならねばならないのか? 

それは「専守防衛の自衛隊独自では日本を守れない、米軍によって日本は守られる」、すなわち「憲法9条(専守防衛の自衛隊)+日米安保(交戦能力保有の米軍)」というのが、戦後日本の安保防衛路線となっているからだ。

戦後日本の進路を決めた吉田ドクトリン「軽武装、経済成長」という考え方、これが「憲法9条+日米安保」という安保防衛路線の基礎にある。

戦後日本は、吉田ドクトリンの通り、軍事に金をかけず、経済成長に専念できた、だからGNP世界二位の経済大国の地位にまで上りつめ、「一億総中流化」とまで言われる「豊かさ」を経験したとされる。

だが1980年代以降、「戦後の常識」は「一国平和主義」と批判され、日本のいっそうの「国際協力」、安保防衛努力が求められるようになった。それがついには今日、東アジアの緊張緩和が進むのに、これとは真逆の日本の軍事的役割の強化が迫られるという「おかしな」未来が生まれようとしている。

この「おかしな」事態の原因となっているのは、戦後日本の安保防衛路線、「憲法9条+日米安保」だ。これはいったい日本の何を防衛してきたのか? このことを考えたい。

私たちの世代は、ベトナム反戦世代だ。当時の問題意識は「戦争放棄の憲法9条平和国家がなぜ米国の戦争に荷担するのか?」という素朴な疑問であり、「それは日米安保があるからだ」に結論が行き着いた。だからベトナム反戦と反安保の闘いが結合した。

日本の基地からベトナムに出撃した米軍は、いったい日本の何を防衛したのか? 「共産主義の浸透からアジアを守る」が米国の大義名分だった。

要するに「米国のアジア権益を守る」ための戦争だが、わが国がこの戦争に荷担したのは、「日本のアジア権益を守る」ことに直結すると考えたからだ。一言でいって「日本の海外権益を守る」ための戦争を米軍にやってもらったということだ。

これはかつて「満蒙は日本の生命線」だとして満州事変を起こし、その「生命線」を中国大陸、東南アジアにまで拡大し、ついに米英との植民地争奪戦争に突入した当時の安保防衛思想、「海外権益を守るための日本の防衛」とまったく同じ防衛思想ではないか?

後のアフガニスタンやイラクでの米国の「反テロ戦争」では、自衛隊が「後方支援」名目で海外派兵にまで駒を進めるようになった。これは「南アジア、中東地域の米国の権益を守る戦争」、これを「日本の海外権益を守る戦争」だということで自衛隊が協力した。

このことは何を意味するのか? 戦後日本の「憲法9条+日米安保」という安保防衛の考え方、それは「満蒙は生命線」と防衛戦を国外に拡大した大日本帝国時代の帝国主義的な考え方と本質上、変わらないということだ。違うのは、「米国の海外権益」を「日本の権益」とみなし、これを防衛するのが日本軍ではなく米軍だとして対米依存の安保防衛路線としたことだ。

だからこそ今回の「東アジア安保環境の激変」を「日本の平和的環境の誕生」と喜ばず、「米国の覇権の後退」=「日本の危機」だと憂えるような「おかしな」ことになるのだ。

したがっていま、問われることは、戦後日本の「憲法9条+日米安保」、「米軍によって日本は守られる」という安保防衛の考え方、「米国の海外権益=日本の権益を守る」ための防衛という考え方を根本的に見直すことだと思う。