南北朝鮮の統一はあり得ないのか?

小西隆裕

先般の南北首脳会談に対し、日本の識者、政治家の間では、少なからぬ不満と疑念の声が上がっている。「非核化」がほとんど取り上げられなかったと言うのだ。

日本では、南北の会談は始めから軽視されていた。本命は朝米会談、南北会談はその前座、「非核化」の土台作りに過ぎないということだ。だから、そこで肝心要の「非核化」を取り上げないとは何ごとか、前座の分際で、ということなのだろう。

だが、そうした考えを否定する見解も、日米の識者たちの間で生まれてきているように見える。

直近の「ニューズ・ウィーク」誌には、この間の南北朝鮮主動の動きが、いわゆる「制裁効果」などではなく、南北の平和と繁栄、そして統一を目指したものであり、「朝鮮半島の非核化」は、その実現を米国、そして世界公認の下、推し進めるために必要な行程であるという論調が掲載された。

また、拓大特任教授・武貞秀士氏などは、「朝鮮が言う『体制』とは、朝鮮半島全体を指したものであり、核は、その『体制』、すなわち『統一』が保証されてこそ不要になるということなのだ」と強調している。

しかし、こうした見解は、いまだ一般的になっていない。某評論家は、「そもそも統一などできませんよ。私の知っている韓国人で、生活水準が落ちる統一など望んでいる人はいませんよ」と断言していた。

人々の意思と要求を事の成否を判断する基準にすること自体は間違いではないだろう。だがその場合、誰の、どういう状況での意思と要求かは深く考慮される必要があるのではないだろうか。

実際、全世界注視の下で行われた今回の南北首脳会談を目の当たりにして、世界、とりわけ南北、そして世界に散らばる朝鮮民族の人々にとって、その驚きと喜びの大きさは、事前の予想をはるかに超えるものだったと思う。

南北両首脳が手を携えて分界線を超え往来する様、等々は、朝鮮の人々にとって、一つの民族としての自覚と感慨を呼び起こし、統一された祖国実現への実感を、少なからず抱かせるものだったようだ。

首脳会談前の韓国世論調査でも、「会談」に賛意を表していた人は全体の八割近くに達していた。ならば今はどうか。韓国のほとんどの人々がこの会談を肯定的なものとして受け止め、民族統一への期待を、あり得る現実として、多かれ少なかれ、抱き始めているのではないだろうか。

朝鮮民族の人たちばかりではない。世界の多くの人々が今回の事態発展に驚きつつ、それを喜び、共感を示してきている。南北両首脳がともに一躍ノーベル平和賞受賞の第一候補と目されるようになって来たのもその現れの一つではないだろうか。

この世界的な大きな流れに逆らうのは、米国といえども簡単ではないだろう。「朝鮮半島の非核化」がこの南北統一実現への流れを世界とともに公認するための一つの「行程」になる日が近づいているように思える。